函館市とは北海道(道南)の中核市である。人口は約25万人弱。
観光都市、イカの産地として有名。北海道第三の都市であり、道南の拠点となっている。イカール星人の他、榎本武揚や新撰組などの徳川方の勢力、ソ連のMiG-25戦闘機、ハイジャックされた全日空機など変なものが度々やってくる。かつては物流や公益、北洋漁業で栄えたが、いまは落ちぶれ斜陽都市。生活保護率はかなり高い。
地域ブランド調査では、京都市、札幌市、横浜市、小樽市あたりと毎年デッドヒートを繰り広げている。褒められて悪い気はしないものの、市民は少なからず「世間が思う函館は、自分が知っている函館ではない」とも思っている。
渡島半島の先っちょにあり、市街地中心部は陸繋砂州の部分にある。半島の先っちょという地理的条件は、海に出る点においては利便性が非常に高い一方、内陸部との接続と言う点では割りと不利。青森県と地理的に近く、交通・物流の中継地として便利な場所だった、昔は。青森県の下北半島とは最短距離で30kmぐらいの距離にある。
こういった立地から文化や歴史、経済などの面で東北と近い関係が続いており、「北海道南部と言うより東北地方の北端」と言われている。まんざら間違いでもない。みちのく銀行があるし。少なくとも多くの人が思い浮かべる北海道とは異なった土地柄だろう。
東北とは親密な関係がある一方で、同じ北海道でも道北(稚内など)、道東(根室など)とはあまり交流がない。遠すぎて。稚内とは道のりで約631km離れており、これは青森市役所と、栃木県佐野市の佐野立犬伏東小学校ぐらい離れている。同じく根室市とは約668km離れており、これは静岡市役所と、広島県大竹市の大竹小方郵便局との距離に相当する。また道都・札幌とも約250kmの距離があり、岐阜県恵那市のバロー恵那店から、群馬県高崎市の太田歯科医院ぐらい遠い。つまり函館が道内の他の都市との交流すると言うのは、内地の人が県を二つか三つか四つか五つ跨いで交流するのに相当するのだ。そりゃ疎遠でも仕方がないと言うもの。
気候は北海道の中では温暖な方であり、雪や雨は程ほどに降る。平均気温は真夏で22℃、真冬で-2.6℃ぐらい。一年を通じて見れば、暑過ぎず寒すぎず程度なので概ね過ごし易い。
など
など
古くはアイヌ人と大和民族との交流と戦いの場であった。日本の武将が立てた館(≒砦、屋敷)が箱型であったので、そこから箱館と名づけられた。昔から交易の拠点となっていたのがわかる。やがて人々が移り住んできて栄えていく。江戸時代頃に記されたの箱館人の気質として「皆贅沢を好み堕落しているが、ここは富が集まる場所なのだから、金の魅力にかかればしょうがないと言えるだろう。(要約)」とある。今では死語となったヒルズ族が、シャンペンタワーをやっているようなものか。ソースは称名寺(新撰組の慰霊碑がある寺)が寺の歴史をまとめた冊子
明治元年には戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となり、蝦夷共和国の首都となる。現在の亀田郡あたりがプロイセンに租借される手はずまでついたが、戦破れて大日本帝国の一都市に。幕末から明治以降にかけて漁業基地、貿易拠点、交通の要衝として栄える。初期に開港した貿易港であったのも理由のひとつ。明治中期の地図を見ると大手商社や銀行の支社・支店が立ち並び、馬車鉄道の線路が市内を駆け巡っている。現在の千代台の方などは寂れているが、温泉街として有名な湯の川は既に湯の川として栄えていたようだ。この馬車鉄道の線路の一部が後の函館水電(今の北海道電力)の路面電車となり、今日の市企業局交通部の路面電車になっていく。
函館は都市として発展していくものの、海に挟まれて強い風が吹く地形により、割と昔から度々大火が発生している。木造家屋は多くが焼け、焼け野原に蔵が点在しているような状態になることがしばしばあった。
特に昭和9年の大火はひどかった。防火対策を行う必要から、大正から昭和初期にかけてコンクリート建築物が積極的に作られるようになった。弥生小学校などはその代表例である。また八幡通りなど、田舎町に似つかわしくない緑地帯と片側三車線の広い道路も、延焼を防ぐ為の緩衝帯として作られた。市内の宇賀浦町には大火の慰霊堂があり、当然コンクリートで作られている。
コンクリート万歳!
北海道警察函館中央警察署が編纂した「道南警察史」によると、この頃から労働組合が活発化したらしい。当時は純粋な労働運動であり、ある会社で団体交渉が上手くいって賃金が上がったことから、他の会社にも波及していたよう。その活動は飽くまで穏便なもの、つまりテロや騒擾の類ではなかったという。
先述の通り、函館は公益や物流と漁業で栄えていたが、昭和40年代から50年代になるとそれも衰えてくる。
最大の要因は、ソ連とアメリカが自国の経済領域を主張して日本の船団の操業を許さないようになり、沿岸から200海里の操業を実力で厳しく統制し始めたため。その後、国連海洋法条約で200海里の排他的経済水域が確定となり、日本の北洋漁業は完全に衰退した。北洋漁業が衰退すると、それに関連した漁具、倉庫、物流およびそれに従事する港湾荷役など労働者の経済が衰退する。これらの景気が悪くなるとそれは消費にも悪影響を及ぼし、こうして町全体の経済が地盤沈下を始める。この頃に隣接する亀田市と合併し、新しい函館市ができる。
1976年9月6日にはMiG-25に乗ったベレンコ中尉が亡命してくる。北海道は以前から冷戦の最前線であったが、この事で一気に緊張の焦点となった。市民はリアルに「ソ連が攻撃してくる」と思ったとか。中尉は湯の川にある温泉ホテルに宿泊し、親子丼を振舞ってもらったようだ。ホテルの人曰く、中尉の感想は「こんなにおいしいものを食べたことがない」。暫く日本に滞在した後アメリカに亡命した。
1988年には青函トンネルが開通し、青函連絡船が廃止になる。日本列島が陸続きになり物流が容易になるトンネルの開通は悲願ではあったが、短時間で海峡を通過できる上に函館で一度降りる必要がないため、街はスルーされやすくなる。観光地としては既に知られる一方で、経済状況は常に厳しい状態にある。函館空港が国際空港となり、チャーター便や定期便が飛び始めるのは1990年代に入ってから。以後、海外から北海道への窓口として、帯広空港などとともに「新千歳の次点」の地位にある。
1995年には羽田発函館行の全日空機がハイジャックされ、着陸した函館空港が閉鎖される事態になる。犯人は、当初はそう自称したためにオウム真理教信者だと思われていたが、実際は精神疾病を患う休職中の銀行員であった。犯人制圧の為に投入された警視庁特科中隊が暁の強行突入を行い、人質全員の無事が確保され、犯人も生きたまま逮捕され事件は解決する。これがきっかけで従来から噂のあった警察特殊部隊の存在が明らかとなり、公に編成されることとなった。1990年代初頭、佐々淳行がテレビ番組で「日本の警察もSWATと同程度の能力を有す部隊がある」と説明していたが、「元警官だから、フカしてるんじゃないの?」と疑っていた。佐々さん、どうもすみませんでした。
平成の大合併により周辺の恵山町、戸井町、南茅部町、椴法華村を吸収し、市の規模は拡大。駅前は再開発が行われ、函館駅は全面改築、駅前広場もバスターミナルなどが整備される。また函館駅近くにある若松町のあたりも再開発が行われるようになり、大人向けのいかがわしいお店が減ることになった。
北海道新幹線の着工が始まり、新函館北斗駅までが2016年春に開業したが、新幹線の開通は道民の悲願ではあるが、新函館北斗駅は函館市ではなく隣の北斗市にあるため、札幌開通を機に函館が華麗にスルーされる可能性は今よりも高くなる。JR北海道は函館駅~新函館駅(新函館北斗駅の仮称)から手を引くとか言い始めるし(後に撤回)、北斗市は「ここは北斗市なんだから、北斗駅か北斗函館駅にするのが当然だろJK。新函館とかアホかと」と言い始めるし、函館は完全にオワコン扱いである。結局、新函館は新函館北斗と駅名は決まったが、しっくりとこないのは気のせいだろうか。
函館空港はターミナルビルが全面的に改装され、外観も内装も綺麗になった。
地元経済を改善する試みとして、がごめこんぶの成分の研究も進められる。この成分が美容や健康に良いと言う事で、産学政共同で研究と開発を進めてきた。その実績が認められて研究の助成金が出るようになったものの、民主政権の事業仕分けで2010年度から助成金が出なくなるらしい。と思ったら、2010年度予算では減額になったものの一応金はでることになった。
2010年には復元されていた箱館奉行所が完成し、一般公開が始まった。五稜郭公園の中にあり、箱館戦争の史料などが展示されている。
色々あるけど経済状態は厳しい、泣くほど厳しい。函館はテレビ局が度々観光特集やドラマの撮影場所で使い、映画の舞台としても使われることが多いが、そういった本州メディアの函館推しにも関わらず市民はそれを活かしきれていないと言う面がありそう。
幕末に建設された本格的な西洋城郭だが、完成する前に江戸時代が終わってしまう。かつて箱館奉行所が置かれ、また箱館戦争時には奉行所の建物を使い蝦夷共和国行政府が設置された。いずれも当時の行政、外交、軍事の要衝であった。今風に言えば、首相官邸と飯倉公館と防衛省を兼ねるようなもの。幕府時代は首都ではないから、対等には比べられないが。
春には綺麗な桜が見られる。特に五稜郭タワーから見下ろすとすばらしい。
2010年から公開が始まった、復元された奉行所。五稜郭公園内にある。4年の工期を経て完成した。復元されたのは敷地の一部ではあるが、当時の建築様式に則って建てられている。あまりにリアルに作りすぎて、冬は寒いらしい。館内見学もできる。
入館料 | 一般 | 団体 |
一般 | 500円 | 400円 |
学生・生徒・児童 | 250円 | 200円 |
未就学児 | 無料 | 無料 |
開館時間
おじさんぐらいの年齢になると、500円取られる。歴史に興味のある函館の子は、有料の年齢になる前に是非見に行って欲しい。
五稜郭公園のすぐ傍にある観光用タワー。展望台からは五稜郭公園の全景を見ることができ、街を広く見渡すことができる。昔からあったタワーは老朽化していたこと、また周囲に高い建物が増えたことからより大きなタワーが建設された。
昔から温泉街として栄えてきた場所。数々の温泉ホテルや旅館がある。表層はむちゃくちゃ熱いけど、下の方は案外ぬるい。そろっと静かに入ってみよう。
標高334m
函館のもっとも海に突出した場所にある山。高さはドバイタワーや新電波塔東京よりは低く、ランドマークタワーより高い程度だった気がする。元々は島だったが、潮の流れで土や砂が集まり陸続きに成ったらしい。戦前は函館山要塞があり海峡防衛の拠点だったが、今は観光名所となっている。夜景はこの頂上にある展望台から見られる。
また、展望台の近くにテレビとFMの電波塔があるということで、旭川の旭山に次いで道内の行きやすい送信所のひとつとして一部界隈で有名
函館山へ登る手段は以下の5つ。
このうち一番利用しやすいのはロープウェイである。特に冬季は車の登山道が閉鎖されるため、実質的にこれしかないと考えてよい。料金は往復1,280円(大人)。割引クーポンは観光案内所やホテルに1割引のものがある。
自家用車及びレンタカーは雪のない季節の日中は良いが、午後5:00から午後10:00までは入山規制がかかる。午後10:00頃になると規制解除を待つDQNっぽい車が並ぶし、店は閉まっている。後はバスとタクシーとなる。
なお、夜景を見る際は日没後ではなく日没前に展望台へ登ることをオススメする。比較的空いていて場所を取ることが出来るし、日が沈むところを見ることも出来る(ただし日没地点は夜景スポットの反対側)。また写真を撮る場合、真っ暗になってから撮影するより、若干太陽の光が残っている間に撮影する方がキレイに映る。携帯のカメラなど、暗いところの撮影に向いていないカメラで撮る場合は参考にしてほしい。
ちなみに、8月13日は「夜景の日」(や=8,けい=K=トランプの13)となっている。この日は市民がせっせと電灯を灯したり懐中電灯の光を空へ向けたりするので、より一層夜景が映える。ただし空気中の光の屈折率や積雪による反射の関係上、冬の方が夜景は美しい。ウソだと思うならポストカードを買って夏と冬の夜景を見比べてみよう。
函館山の麓にある旧市街地。港の近くということから函館では初期から発展した場所で、明治時代あたりまでは繁華街であったことから、古い建造物が多く立ち並ぶ。函館区公会堂やハリストス正教会などが有名だが、注意してみると古民家にも味のあるものが多い。
坂が急であることから、冬の間は歩いて上るにも車で上るにも苦労する場所。特にFF車に乗り、ロードヒーティングがない場所で一時停止しすると発進するときに苦労する。原因は、上りの場合は荷重が後ろにかかって駆動輪にかかる荷重が抜ける上に、凍結や積雪及び圧雪でタイヤと路面との摩擦係数が小さくなっており、この二つの要因から前輪のグリップが低くなってしまうため。FF車の弱点の一つ。かといってFRが良いかというとそういうわけでもなく、結局のところ4WDが良いと言う事に。
函館山の麓にある公園。函館の子が一度ならず訪れ過ごす場所。小さな動物園と小さな遊園地のようなものがある。周辺は明治期には別荘地であり、昔から休日を過ごす場所として知られていた。春には花見で賑わう。北海道新幹線の着工により、函館公園の新幹線もただの夢物語の遊具ではなくなった。海賊退治のゲームで、なんどお姉さんを間違って撃ったことか。
現在では、海賊退治ゲームやモナコGPが置かれていたゲームコーナーはお化け屋敷に改装されているものの、他の大物遊具は健在。
動物園は改装されて、高低差のある部分にビルが建った。中は小動物の展示檻、鳥を飼う為の吹き抜けのような檻、小さな会議場などが設置されている。動物園の高層部と低層部の両方に出入り口があるので、中を通って行き来することも可能。お年寄りが使う電動車いすのようなマシンの貸し出しも行われるようになった。
西部地区にある古い倉庫街で、昔のレンガ造りの姿を今でも残している。現在は一部を除いてレストランやみやげ物屋などが入居。元々は海産物を冷凍冷蔵するための倉庫で、一部はまだ倉庫として稼動している。
むかーし、むかしのことじゃった。函館で明治政府軍と旧幕府軍の戦があってのぉ。碧血碑は幕府方の戦死者を追悼するための記念碑なんじゃ。明治政府軍は錦旗に歯向かう反乱軍(蝦夷共和国軍)の死体を葬らなかったため、戦後は市中に遺体が散らばっていたそうな。それは可哀相だということで柳川熊吉が遺体を葬り、死を悼んで碧血碑を建てたんじゃぁ。『碧血碑』と言う名前は中国の「忠義を貫き通した人物の血は3年経つと碧色になる」という伝説にちなんでいるそうじゃと。
熊吉の子孫は今でも函館に住んでいる。編集者が有斗に通っていた頃に、担任だった先生が子孫だと言っていた。先生、高校生の頃は大変お世話になりました。今でもなんとか元気にやっております。
郊外にある男子禁制の女子修道院。前庭と資料室が見学可能となっている(男性も見学可能)。
売店では修道女が手造りしたお菓子や工芸品が売られており、土産品として有名である。
函館とは特に所縁もない坂本竜馬を称えるために建てられた、坂本竜馬記念館と坂本竜馬像。どうやら建築した人は坂本竜馬が好きみたいぜよ。西部地区の十字街にある。
坂本竜馬と函館又は北海道の接点を見出すと、坂本竜馬は北海道で開拓をしたいと思っていた、という点である。日本が近代化を目指すにあたり、北海道の広い土地を発展の足がかりにしようとしていた。坂本の開拓者精神は今でも道産子の心に根付いている…ということはないが、その心意気は感じ入るところもある。どちらかというと、クラーク博士やペリー代将、川田男爵の方が馴染みがあるが。
展示物はおもしろそうなので、見てみると良いだろうと思う。
函館市末広町にある、様々な文化的な催しを行う場所。建物は、北海道では老舗百貨店となる丸井今井呉服店函館支店(現・株式会社 函館丸井今井)として、大正12年に建てられた。丸井今井が本町に移転し地域交流センターとなるまでの間は、函館市水道局の庁舎として使われていた。
建物には古いエレベーターが設置されている。これは手動操作のもので、電車のマスコンのようなスロットルを操作して動かす。スロットルをぶっこむとモーターの咆哮が響いて箱が上下に動き、良いタイミングでブレーキをかけるとその階で停止する。水道局時代は操作役のおばちゃんが常駐していたが、今は係の人に頼めば動かしてくれる。ちなみに普通のエレベーターもあるので、心配しないで欲しい。
市内を走る路面電車。函館市企業局交通部が運営している。かつては東雲町やガス会社、五稜郭駅前なども走っていたが、現在は2つの系統を残すのみである。
車両は長年の間、昔からあるボギー車を使っていたが、比較的最近になって本格的な低床車「らっくる号」も導入された。車両はアルナ車両株式会社の傑作「リトルダンサーシリーズ」の一つである「リトルダンサーC2」。交通部の型式では9600形。カーブを曲がる為に、運転台のついた2両を連結した固定編成となっている。最初に1編成が導入されて、最近になってさらに1編成が増強された。
以前に部分低床車の8100形という、従来的ボギー車を改造したものが作られ現在でも運行されている。これはボギー間だけを低床とするものもだったが、そんなへんてこりんな方法から想像がつくように不便すぎた。この交通部の黒歴史が本物の低床車導入へと繋がる。市民としては市外に漏らしたくない故郷の暗部だったが、「迷列車で行こうシリーズ」で取り上げられて全国デビューを果たす。動画は一度は消えたものの、2013年6月26日に編集し直したものが再びうpされた為、また全国に黒歴史を披瀝することとあいなった。
もし交通部がこの件について言い訳の会見を開くことがあれば、編集者はその隣で囁く役を買って出たい。
尚、上記動画において「交通局じゃなくて、企業局交通部だよ」みたいなコメントがあるが、黒歴史を作ったのは函館市交通局時代なので「交通局」という説明であってる。九七式中戦車「チハ」が防衛省や陸上自衛隊が作ったものではないというのと同じこと。
らっくる号と一部のボギー車はVVVFインバータを使った制御だか、他は従来的な吊り掛け駆動になっている。この古いものに乗れば、
「フォンフォンフォンフォンフォンフォンフォフォフォフォフォフォフォフォフォ ウィーーーーーーーーン ガッ! ウィーーーーーーーーーーーーーーーン ガッ! ガタンゴトンガタンゴトン シューーーシュッ!シュッ!シュコーーーーーーーーーーシュッ! 『はい、駒場車庫前です』」
という懐かしい音を今でも聴ける。東京都交通局で使っていた車両もあるので、わざわざそれを見に来るマニアもいるらしい←退役しました。鉄分の濃い人の好みはイマイチわからないが、好きなものに対する行動力は凄いと思う。冬季には軌道に積もった雪を、細く切った竹(ササラ)を沢山付けた回転ブラシで払う除雪車「ササラ電車」が走る。その雪煙はすさまじく、まるで戦車がスモークディスチャージャーを炊いたように。
湯の川から空港への延伸は何度も話題になっているが、まともに事業推進されたことはない。多分コスト面でキツい上に、車の間を縫って湯倉神社前の交差点を市電が右に曲がりつつ通過するのもキツいからだろう。自動車が通過できる道路幅も狭くなるし。空港ターミナルに横付けする市電を見たくないと言えば嘘になるが、もう許してやれよ。
鉄道むすめシリーズから「松風かれん」が発売された。この車体広告が付けられ、見事な痛電車になった。2010年7月20日まで運行された。
あと車体広告と言えば、大河ドラマで「新選組!」が放映された際にNHKがこの広告を出していたのだが、主人公であるはずの近藤勇(香取慎吾)がハブられていた。その代わりに土方歳三役の山本耕史と、そのお手つきされ女役の田丸麻紀の写真が貼られた。今となっては良い思い出。山本、いや山本さんには五稜郭祭にも何度か来ていただいた。
車体の前後に回転竹ブラシがついた路面除雪車。函館以外では札幌市交通局が持つのみである。というよりガチの除雪車両を必要とする軌道事業者が函館と札幌にしかない。昨今は自動車による除雪も増えたものの、冬の風物詩として今でも時々活躍している。
函館のササラ電車は元々は東京市を走っていた路面電車で、製造時期は明治時代という骨董品である。函館が昭和9年の大火に見舞われて路面電車に壊滅的な被害が出た際、とりあえずの間に合わせとして東京から中古車を導入した。飽くまで間に合わせであり、また中古であったことから殆どの車両は長い時を経ず退役していったが、数両がササラ電車に改造された。これを今でも使っているのである。
これが思いもよらない成果に繋がった。東京では古い車両の保存を殆ど行ってこなかったので、函館のササラ電車が東京の路面電車としては最古のものになったのだ。しかも輸送業務ではないとは言え現役車両である。2011年の夏に「東京の交通100年博」が江戸博物館東京で行われた際、里帰りし屋外展示された。
青函連絡船摩周丸を改装し、今は展示館になっているもの。当然動かない。場所はかつて青函連絡船の船着場があった所。かつて煙突には良く分からんマークが施されていたが、今は国鉄のロゴ「JNR」の表記がされている。昭和のゲオにあるセコハンショップで、青函局の刻印入りセイコー製鉄道時計が売っていたが、13000円ぐらいした。クソ、高い。でも欲しい。でも高い。うーむ。
地元資本のハンバーガ店。ボリュームが多く、中のハンバーグがまともな代物なので有名。カレーやスパゲティ、ソフトクリーム、他サイドメニューも充実。修学旅行の学生から地元民にまで大人気。しかしハンパないスローフードであるため、お昼時の混雑は想像を絶する(特に五稜郭店辺り。修学旅行生は自由行動タイムの残り時間に要注意だ!)。電話で時間を指定して注文するテレホンオーダーもあるので、急ぎの時は使う手もあり。
愛称は「ラッピ」もしくは「ラキピ」。駅前という非常に恵まれた立地に建っていたマックが、ラッピに敵わず潰れてしまったという逸話がある。ロッテリアは駅前でそれ以後も商売を続けていたが、最近はそこも潰れてMEGAドン・キホーテ函館店(旧長崎屋)の一店に。
一部のメニューは店舗によってバラバラで、ラーメンを販売してる店やピザを販売してる店もある。
これらの店舗によってバラバラなメニューを一緒に食べられる店は隣の七飯町にある峠下総本店しか無かったが、2015年になって函館市のベイサイドエリアにマリーナ末広店がオープンし、ここでも各店舗の人気メニューを一緒に食べられるようになった。
おみやげやオリジナルグッズも豊富であることから、函館土産としても有名である。このうち、オリジナル炭酸飲料であるラッキーガラナとラッキーピエロラーメンは宅配を受け付けており、メールもしくはFAXを送った上で振り込みすれば全国どこでも買えるようになった。
現在は、態勢を整えて再び殴りこみをかけてきたマクドナルド、市内と隣接する北斗市に店を出すモスバーガー、昭和タウンのフレッシュネスバーガーがかなり頑張っているが、ラッピの牙城は今のところは揺るがない。そういえばイオン湯川店と、北斗市のイオン上磯店にドムドムもあったな。
函館にしかないコンビニ「ハセガワストア」で販売している焼き鳥弁当。北海道の常として、単に焼き鳥と言う場合は豚の精肉の串刺しを意味する。お店で焼いて販売するので、おいしく食べられる。店内に調理場がない店舗では、作ったものを運んできて売る。蓋と箱の縁で串を挟み、それを引き抜くのが食べやすくなるコツ。え?だったら串は要らないだろって?。串を抜くところからがお食事です。あと串を抜く時に力加減を間違えると、あたり一面がご飯と海苔と豚肉と焼き鳥のタレでコンタミされるので注意。
2020年にはJR函館駅前への出店を果たし、函館に来た観光客が手軽に買えるようになった。
JRAの競馬場。2008年からこの不況下に120億円かけてスタンド改築工事を行い、2010年の第一回函館競馬でグランドオープンした。改築されたばかりということで中はとてもキレイ。フードコートやキッズコーナーも充実しており、1年を通じて、誰でも快適に競馬を楽しめるつくりになっている。
ここで行われる重賞のひとつに函館記念があり、荒れるレースとして有名。
そういえば函館には競馬場・競輪場の両方があり、地方都市らしくパチンコ屋もたくさん。宝くじやtotoの売り場もそこら中にある。ギャンブルには事欠かない街である。
体育施設として使われてきた函館市民体育館が老朽化してきたので、その代わりとして2015年に完成した施設。コンベンション機能も備えられているほか、コンサートの開催も可能。収容人数約5000人。
函館市出身のロックバンドGLAY(後述)が7月に2daysのこけら落とし公演を行った。オープンは8月1日。
アーレンフォックス社とは、アメリカの消防車架装メーカーである。日本で言えばモリタのような会社。本車両は大正8年(1919年)以降に、アーレンホックス社の総代理店であった日本自動車㈱通じて輸入されたもの。先述の通り大規模な火災が多いので、市民から寄付を募り2万8000円で購入した。当時は仕立ての背広が30円、万年筆が1円~2円程度だったというから、2万8000円を現代の価値に換算すると約2億8000万円ということになる。最終的に5台程が導入されたようだ。そのうちの一台が静態保存され消防本部に展示されている。
国内では他に、東京消防庁の消防博物館に一台が静態保存されている。またアメリカでは、愛好家によって動態保存されているものもある。
本車両を輸入した日本自動車は、大倉財閥2代目総帥の大倉喜七郎によって創設された輸入車代理店及び販売店。1919年当時は東京府東京市赤坂区溜池町30番地(今の溜池交差点付近)に本社を構えていた。アーレオンフォックスの他にアメリカン・ラフランス(2014年廃業)の消防車、乗用車ではハドソンなどを取り扱っていた。当時はまだ国産車が無かったので、輸入するしかなかったのである。昭和40年代まで営業していたようだが、販売権を持つメーカーの廃業、ヤナセの台頭などにより凋落。廃業に至ったと言う。
市電の五稜郭公園前近くにある百貨店。運営会社は三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社函館丸井今井。
札幌に本店を置く丸井今井の支店として開業。当初は末広町にあったが、棒二森屋(後述)が1937年に駅前に開業したことで、売り上げが落ち、最終的に当時人口が急増していた五稜郭付近の現在地に1969年に移転した(旧店舗は函館市の分庁舎として使われた後に「函館市地域交流まちづくりセンター」となる)。しかし、モータリゼーションの影響で、売り上げが下がったところで、1980年に美原に長崎屋(現在のMEGAドン・キホーテ)とイトーヨーカドーが開業したことで追い打ちをかけられた。
最終的に丸井今井自体が経営破綻に陥り、店舗そのものの存続の危機になるが、存続店舗となることが決まった。2005年の改装を経て、2009年に札幌本店と共に三越伊勢丹ホールディングス傘下となる。現在は黒字店舗。
ところで内地の人は「丸井」と聞くとOIOIの方を思い出すようだが、全くの別会社である。丸井今井は現金で支払おうとする客に対し、おっさんの店員が客を囲んで「カード作れ」とか言ってくることはない。内地の人が北海道へやって来て、地元民に「丸井」と言われても、決してOIOIを探してはいけない。あなたが探すものは永遠に見つからないだろう。
逆に、内地に赴いた道産子も注意が必要。「明日、池袋のマルイの前で10時にね」と言われて、必死に丸井さんを探しても見つからない。手を伸ばしたクラーク像を、北大の構内で探すようなもの。ここで言う丸井はOIOIなのである。
函館駅前にある百貨店。中合(ダイエーグループ)運営。
もともとライバル同士であった「金森森屋百貨店」と「棒二荻野百貨店」が合併して、1937年に現在地に開業。丸井今井に売上で勝って、道南で一番の百貨店となる。その後は後発の彩華デパート(1998年閉店)、和光デパート(後述)とともに競争を繰り広げていたが、モータリゼーションの影響や長崎屋(現在のMEGAドン・キホーテ)、イトーヨーカドー、函館西武(2003年閉店)の開業で経営が悪化。
1982年にダイエーと提携して、新館を増設した後に、経営権がダイエーグループに移る。その後はイオングループへ移行した。本館の老朽化等により閉店。
函館駅前のマンション併設の再開発複合ビル。2016年8月に商業施設が先行オープンし、2017年3月までに全面オープンとなる(当初は北海道新幹線開業にあわせて2016年3月にオープンする予定だったが、工事の遅れで延期となった)。
もともとは和光デパートが営業しており、棒二森屋と競争を繰り広げていたのだが、老朽化が進んだことで建て替え工事が決定して、2013年に閉店した。末期には北海道鉄道博物館、アニメイトなどが入居していた(前者は閉館、後者は美原に移転)。
梁川町に「テーオーデパート」、美原に「MEGAドン・キホーテ函館店」、「イトーヨーカドー函館店」、五稜郭駅の裏に「函館ショッピングセンター ポールスター」、昭和に「函館昭和タウンプラザ」、湯川町に「イオン湯川店」が営業している。
函館では名門とされる私立男子校。詳細は「函館ラ・サール高校」の記事を参照。
同校内に「メロンクラブ」なる男性同性愛者のクラブが存在するという噂が函館市内で流布されていたりもする。しかし残念ながら単なる噂話の域を出ず、実在しないようだ。
五稜郭機関区の下を通るトンネルで。元々不気味な雰囲気はあるが、昔からお化けがでるという噂がある。
函館山の裏側にある洞穴。海に開いており、入り口付近は潮が渦巻いている。非常に危険な場所なので遊泳禁止だが、禁止とされた後もおぼれて死んでいる人がいる。2000年代のはじめには白人男性が行方不明になり、一説によると穴間に落ちて溺れたのではないかとのこと。
イカをテーマにした踊り。函館開港を祝う「港祭り」の時に踊られるもの。祭りにおけるパレードの時は順番待ちの間に練習するのだが、十字街出発のコースでは江口眼科の前で大音響で練習するので、入院患者の迷惑にはならないかといつも心配している。
函館の黒歴史の一つ。市内の水産物販売業「マルキタ北村水産」の社長(当時)が2010年6月、店の前に自由の女神像を設置。これに対し「景観をぶち壊す」ということで市が撤去命令を出した。それ受け、北村水産も一時はこれを撤去した(屋根の上に置いてあるらしい)。これも市外に広めたくない市の暗部であるが、報道と2chを通じて全国に広まってしまった。ところが2011年に入り、再び自由の女神像が設置されてしまう。で、なんか揉めてる。ソース。以後、市民団体が撤去の要望を出し、市も再三に渡り指導するなど、社長との対立が続いていた。
(そもそもこの自由の女神像は元はラブホテルやパチンコ店にあったもので、それを何故魚屋に置いたのか?わからん)
これ以後、市の条例が改正され、伝統的建造物群保存地区で工作物を新築又は増築する場合は市との事前協議が必要になるなど、景観維持強化策が取られる事にもなった。
2016年6月20日、この抗争はついに終結を迎えた。自由の女神像が撤去されることになったのだ[1]。足掛け6年。異彩を放っていた自由の女神像はタダノ・ZEST eco[2]で吊り上げられ、トラックの荷台に乗せられてどこかへドナドナされていった。
函館と自由の女神を接点を無理に探せば、箱館戦争に蝦夷共和国軍指揮官として従軍したフランス人軍事顧問団がいた。ジュール・ブリュネ大尉を中心とするフランス軍人数名は、幕府伝習所に教官として来日。旧幕府軍が北海道へ向けて戦略的転進を始めると、フランス軍を脱走しこれに追従した。ブリュネは映画「ラスト・サムライ」で、トム・クルーズが演じたオールグレン大尉のモデルでもある。でも自由の女神と結び付けるにはやはり無理がある。
函館市をモチーフとした架空の都市『海炭市』を舞台とした小説で、だんだんと寂れていく街(=函館)とそこに暮らす人々を描いた作品。函館に住んでいる人なら「あー、これあの辺りか」と所々に見える函館ネタに気づくかもれない。
また同作品は映画化され、平成22年12月に全国公開された。ロケは全て函館で行われ、制作費も市民の寄付を募ったり製作委員会も市民有志で立ち上げられたりエキストラにも市民が大勢参加したり・・・『函館のみんなで作った映画』と言っても過言ではない。ぜひ見てほしい。但し函館市民が見ると、リアル欝になります。
七夕は日本の風物詩であり、日本全国で様々な催しが行われる。北海道のそれは独特であり、子供たちが家々を廻って歌を歌い、お礼にお菓子を貰う。昔は子供だけで廻ることも多かったが、現在では紳士ではない変態を警戒し、必ず父兄が同伴する。歌は、函館では以下のようなもの。
当たり前だが、今時ロウソクで喜ぶ子供など存在せず、駄菓子などをあげるのが一般的。その為7月7日が近づくと、市内各所のスーパーでは七夕用駄菓子の箱売りが行われる。
道外の人には全く馴染みのない風習なので、移民後にこのイベントに出くわし、面食らう人もいるらしい。一方で欧米人には「函館のTrick or Treat」と説明することで大抵は通じる。
wikipediaの「ローソクもらい」の記事によれば、安政二年(1855年)には子供たちが七夕に練り歩く様子が記録されているそうだ。起源は不明ながら、ねぶた祭りとの関連性があるらしい。詳しくはその記事を参照のこと。
函館市内のミスタードーナツ(正確には隣の北斗市のミスタードーナツも含む)は、全国チェーンのはずなのに他のどこのミスタードーナツよりもぶっちぎりで安い。どのくらい安いかと言うと、定価151円のチョコファッションが常時64円だったりするくらい安い。100円セール? 何ですかそれは?
なぜこれほどまでに安いかというと、itmediaの記事によれば、もともとは価格検証のために函館市限定で安く販売していたが、フランチャイズ経営しているキングベーク(函館市の有名パン店)がこのまま安く提供したいと希望したため、価格が据え置きになったのだそうだ。
そういうわけで、函館の価格に慣れてしまうと、逆に他の場所では高く感じて買えなくなるかもしれない。恐らく日本一ミスタードーナツが価格崩壊した都市といって間違いないであろう。皆さんも、函館に寄ったらミスタードーナツに寄ってみてほしい。
江戸時代より交易の拠点となり、幕末の開港以後は国際貿易で、あるいは造船で栄えた函館。それ故に、西部地区を中心に様々な名所・旧跡がある。しかし、日本海を茜色に染めるが如き街の経済事情は、それら名所・旧跡を管理する行政や法人、個人にも及んでいる。よって負担に耐えかね、維持できなくなることも珍しい事ではない。
それらの解体や改築に関しては保存を求める主張がある一方で、保存の為に必要な負担をどうするかという切実な問題もある。
※以下のリンクは関根要太郎研究室@はこだてにしている。同サイトには他にも美しい画像が多いのでオススメ。山崎まさよしの「one more time,one more chance」でも聞きながら見ると良いだろう。
昭和13年に建てられた、コンクリート建築の瀟洒な小学校。大正~昭和初期のモダン感覚を反映した建物だった。耐震強度に問題があるということで、当初は補強する予定だったが、方針が変更され古い校舎は解体され、新校舎が建築されることになった。弥生小学校は隣接する西小学校を統合したので、新校舎は統合後の弥生小学校校舎として使われる。また旧校舎の一部を保存する。
既に解体された旧校舎は昭和初期の作りであるだけに非常に頑丈で、解体するときにはかなり苦労したそうだ。
函館の情景として親しまれていたゴライアスクレーン。1975年製と、函館の名所としては若い。だがこれを必要とするほどの大規模造船は受注がすっかり途絶えてしまい、加えてクレーンの老朽化、函館どつくの経営上の問題もあり、2009年に解体された。
無尽会社である函館無尽の本店として大正12年に建てられ、後に道内無尽会社との合併により北洋無尽が出来ると、その支店として使われた。戦後は北洋無尽が北洋相互銀行になったことから、やはりその支店として使われた。その後は北海洋裁学院となり、現在は前所有者から個人が買い取って住居として使われている。
だが如何せん築88年である。老朽化による様々な問題があった。函館市の景観形成指定建造物であることから勝手に解体はできなかったが、2011年8月23日、函館市景観審議会は指定建造物解除を決定した。これを受け、同年9月から解体が始まり、新しい建物が建設される予定。
女優。一定年齢以上の人には、欽ドコの「良い妻、悪い妻、普通の妻」で知られている。また一定年齢以上の市民には、「遺愛の目加田さん」として、やんちゃな方の伝説が知られている。
本当は知内町の人なんだけど、なぜか函館の人だと思われている。「函館の女(ひと)」が原因なのか、函館西高校に通っていたからなのか。しかも函館のほうでも宣伝の利用しているところもあるし。まぁ良いか、縁はあるわけで。
函館出身のロックバンド。紅白歌合戦における「函館ありがとう」という、謝辞ではあるがイマイチ要領を得ないコメントを出したことで有名。観光客を呼ぶなど、函館への貢献は大。地元では「GLAYが食べたソフトクリーム屋さん」が(一応)観光地として有名。あやかっているのか事実なのか、「V6が食べたソフトクリーム屋さん」もひっそりと存在しているが、それはまた別の話。
元JUDY AND MARYのボーカル。ジュディマリの人気と共にファンも増えた。グループ結成のきっかけは、深作欣二監督の「いつかギラギラする日」。別名、Grand Theft Auto:Hakodate City。
ふぅ…。元AV女優で、後に女優として活躍。おっぱいおっぱい。
ボキャ天の「あ、ガーター」のネタでお馴染み、シンガーソングライター。
公立はこだて未来大学教授。粘菌コンピュータの第一人者。生物を使った情報処理研究の第一人者で、先述の粘菌コンピュータの他、この手法を応用した都市及び都市間交通網の設計理論を発表している。この功績から2010年、世界的に権威のあるイグノーベル賞・交通計画賞を受賞。
「説明しましょう!松井菜桜子さんは函館市出身の声優よ。主な出演作品は名探偵コナン(鈴木園子役)や機動戦士ZZガンダム(ルー・ルカ役)。土方歳三の娘の役も機動新撰組 萌えよ剣(土方歳絵役)でされているそうよ。そうそう、機動戦艦ナデシコでわたし・・・じゃない、イネス・フレサンジュ役も演じているわ。強気・勝ち気・高飛車な女性キャラを得意とする・・・え?もう終わり?まだまだ説明したりないけど、この続きはニコニコ大百科の他のページでね。」
JRA所属の騎手。2getで有名なあの人。函館競馬場の改装・グランドオープンと同じ時期にはこだて観光大使に任命された。本人は茨城県出身だが父が北海道出身であり、また夏競馬は函館を主戦場にしていた縁があったため今回の任命に至った。本人も「函館は第2の故郷」と思っているらしい。うんうん。
そういえば昔、五稜郭のミスドの商品を全部買い占めたことがあったそうな。飲み過ぎて早朝の調教に乗れる状態じゃなかったらしく、そのお詫びのために買い占めを行い関係者に振舞ったとか。
日本の船員、ミステリー小説家。高知県出身。神戸商船大学航海科を卒業後に国鉄に入り、青函連絡船の乗組員となる。連絡船で船長にまでなった。宇高連絡線に異動し船長や航路監督になったが、1988年の同連絡船廃止に伴いJRを退社。執筆活動は船員時代から行っており、退社後はそれに専念する。サントリーミステリー大賞読者賞、函館市民文芸賞などを受賞。
作品には船を題材にしたものが多い。土曜ワイド劇場の「高橋英樹の船長シリーズ」では原作を務めた。
せりな。歌手、タレント。元SDN48メンバー。出身は北海道岩見沢市であるが高校は函館市内の私立高卒。
舞台女優。アニメ『けものフレンズ』フンボルトペンギン役(2017-2019、声優として出演)。
芸人俳優。彼自身は江別市出身で函館とはあまり関係は無いのだが、兄の潤氏が函館市役所に勤めており、2023年より市長に就任することが決まった。
この用語の定義を用いて説明すれば、「貴社の記者が汽車で帰社した」とは「貴社の記者がJRで帰社した」という意味になるのであり、決して蒸気機関車と客車で編成される列車に乗り帰社したわけではない。未だに汽車が少なからず使われるのは、JR北海道の営業区域では殆ど電化がされておらず、気動車中心の営業がされているのもあるだろう(北海道新幹線開業後は函館駅~新函館北斗駅間で電車が走っている)。
JR東日本の新青森駅開業のニュースを見ていたら、「孫を連れて汽車を見に来ました」とインタビューに答えたおばあちゃんが、記者に「新幹線ですか?」と言い直されていた。東北でもやはり汽車なのである。汽車を新幹線と言いなおした貴社の記者は、汽車で帰社すればいいと思う。
特に函館や札幌の人が「電車」と言った場合、それはほぼ100%の確率で市電(路面電車)を意味する。「電車で~」と説明を受けたら、JRの路線ではなく路面電車だと理解して欲しい。若い人は「汽車」という言葉をあまり使わないが、それでも「JR」などと言うので、電車の定義自体は変わらない。よって函館の人に「電車」と言っても、JRの電車の事は思い浮かばないので気をつけよう。特に新幹線のお客さんは。
函館や北海道の人に「ハイヤー」と言われても、それを営業所で運送を引き受ける一般乗用旅客自動車と思ってはいけない。彼らが言っているのは、ニューヨーク市タクシー・リムジン協会の定義で言うところの「タクシー」の方であり、リムジンの方ではないのである。
逆に本来の意味でのハイヤー、つまり件の定義で言うところのリムジンを意味して「ハイヤー」と言った内地の人に対し、「ハイヤーじゃなくてタクシーだろwwwwww」と突っ込みを入れて赤っ恥をかく道民もいると言う。ちなみに函館にも、本来の意味でのハイヤーはあります。
2016年3月に開業した北海道新幹線の新函館北斗駅は前述した通り、函館市ではなく北斗市にある。函館市だと思ってたYouはShock。新函館北斗駅から連絡列車の「はこだてライナー」に乗り換えて函館駅方面に行くことになる。3両編成だから新幹線からの乗換え客が乗れないのでは?と言う指摘もあるが、全員が函館に行く訳でもないのでまあ大丈夫なのだろう。・・・と書いていたら、連結して6両編成にすることも発表された。おそらく多客期考慮だと思われるが、果たして需要に合うのだろうか。
ちなみにJR・バス・市電が2日間乗り降り自由な「はこだて旅するパスポート」(3,080円。3月26日から3,380円)があり、函館市やその周辺(北斗市、七飯町、鹿部町、森町。3月26日から木古内町)を観光するならこれを買ってしまうのが一番である。
詳しくは函館駅を参照。鉄道で函館を訪れた時の玄関口。青函連絡船が運航されていた頃は、貨客は函館駅で北海道に足を踏みいれていた。連絡船がなくなった今でも、本州と札幌方面を結ぶ特急が函館に立ち寄る。が、人口自体は桔梗町や石川町、昭和、七飯など函館外周部の方へ移動しているので、函館駅より五稜郭駅を利用する人が増えている。駅と駅前の全面改装により、古い駅舎が建て替えられて近代的な駅舎になった。ただ編集者は昔の駅舎を密かに惜しいと思っている。
北海道新幹線開業で、函館駅には本州からの列車は来なくなるため、行き止まりとなる函館駅がどのようになるかは不透明である。
詳しくは五稜郭駅を参照。未だに昔ながらの駅舎を使っている駅。外観は函館駅の旧駅舎を小さくした感じの形。いかにも古い田舎の駅だが、先述の人口移動からこちらから特急に乗る人も増えている。その為駅の敷地内には、パークアンドライド用の駐車場も備えられている。ちなみに平成22年12月4日のダイヤ改正でほぼ全ての北斗・スーパー北斗が五稜郭駅に停まるようになった。
ちなみに「五稜郭」と言う駅名がついているが、五稜郭公園および五稜郭タワーまでは距離があるため、五稜郭を目的として当駅で降りると割りと面倒なことになる。一応、路線バスはあるし、ハイヤー(タクシーのこと)も止まっているが。
普通に五稜郭に行きたい場合は、函館駅で市電に乗り換えて五稜郭公園前で降りるのが便利。
詳しくは桔梗駅を参照。函館市の北の端っこにある駅。特急は止まらないため、五稜郭駅を利用するほうが便利ではあるが、ここを利用する人はそこそこいるため、駅員が配置されている。
ちなみに「函館 蔦屋書店」の最寄り駅は一応桔梗駅であるが、路線バスを利用するほうがはるかに便利である。
詳しくは函館空港を参照。函館の空の玄関で、空港から函館を訪れる人は多い。国内線は全日空、日本航空、エアドゥ、北海道エアシステムが乗り入れ。国際線はサハリン航空と、コードシェアで大韓航空とデルタ航空が乗り入れている。また海外とのチャーター便も函館空港に乗り入れることが多い。かつてはエアトランセというベンチャーの航空会社も函館を基点に運航していたがお察しください。
到着機がランウェイ12を、出発機がランウェイ30を使う場合は市街地方面に伸びる経路を使うのだが、空港へとつながる道路を掠めるように飛んでいくので、付近の道路や公園からは飛行機の迫力ある姿が見られる。ランディングギアがウィーンって格納されていくところとかたまらん。イオン湯川店(旧:ホリタ→ダイエー→グルメシティ→ダイエー)あたりから見ても迫力がある。空港と市内は函館バス、帝産バス、タクシーなどを利用すると便利。MiG-25とか三沢のF-16とかF-35Aとか、韓国にフェリーされるスーパーコンステレーションとか、忘れた頃に変わった奴らがやってくる。
ちなみに函館空港から大沼方面に向かう場合は大沼交通の路線バスか観光バスで移動することになるのだが、経由する産業道路は交通量が多いので、よく渋滞する。このため、バイパスとして函館新外環状道路(函館IC~函館空港IC)が建設中で、2015年3月に函館IC~赤川IC間が開通したが、函館空港まで開通するのは2020年度とまだまだ先の話である。
自動車で往来する時に必須のフェリー。かつては東日本フェリー、道南自動車フェリー(現:津軽海峡フェリー)、青函フェリー、青函連絡船が就航していた。その後青函トンネルの開通で青函連絡船が脱落。さらに、何度もハイドロフォイルやウォータージェット推進の高速フェリーを導入しては廃止を繰り返していた、スピードバカの東日本フェリーが倒産の憂き目にあい、津軽海峡フェリーと青函フェリーという二社が津軽海峡横断の使命を負っている。
特に津軽海峡フェリーが東日本フェリーから引き継いだ「函館~大間」航路は重大。もしこれがなくなった場合、大間の人が函館で済ますような用事を県内でしようとすると、青森市まで自動車で行かなければならなくなるからだ。下北半島を通っていく道路では時間がかかる上に自走なので負担は増大する。交通手段が制限されることでライフラインが乏しくなるので、大間の人たちは航路存続を強く希望している。ただ津軽海峡フェリーは、単独では航路を維持できないとのことであったため、青森県と大間町の支援で存続している。
函館市内はもとより道南地区を縦横無尽に走る私鉄バス。通称は函バス(カンバス)。以前は東急グループに属していたが、今は独立している。東急グループではないのに、銀地に赤いラインの入った東急カラーを施しているのはその名残。函館市交通局(当時)がバス事業を函館バスに譲渡したため、旧市バス路線も今は運行している。基本的に中古車両を使っているが、三菱ふそうのエアロスターエコハイブリッドを新車で導入するという大奮発をしたことも。
ダイヤはあるけどまともに守られることはなく、利用者も遅れるのを前提に利用している。時間通りに来たと思ったら、30分前に来るはずのバスだったこともザラ。よってたまに定時運行されるとかえって困るというのが本音。旧市バスは概ね定時運行だったが、函バスに吸収された途端に同じように遅れるようになった。なぜなんだぜ?
最近まで、路線図が函館駅近辺のものしかなく、ホームページを見ただけでは郊外はどこにバス停があるのか全くわからない状態であったが、北海道新幹線開業を目前とした2015年にホームページがリニューアルされ、バス停位置が地図上に表示されるようになった。
1日乗車券として「カンパス」(800円)があり、函館市内のバス路線が乗り降り自由となっている。市電との共通1日・2日乗車券もある(1,000円、1,700円)。
詳しくは函館市企業局交通部を参照。名物のところにも書いた、函館のシンボル。現在運行されているのは以下の2路線である。
2系統 |
湯の川~湯の川温泉~市民会館前~駒場車庫前~競馬場前~深堀町~柏木町~杉並町~五稜郭公園前~ |
5系統 |
湯の川~湯の川温泉~市民会館前~駒場車庫前~競馬場前~深堀町~柏木町~杉並町~五稜郭公園前~ |
「函館どつく」の読みは「ハコダテドック」。なぜ「どつく」のかというと、それが正式な表記だから。湯の川~十字街間は両系統とも共通の路線になっているので、この間を移動する場合はどちらに乗ってもかまわない。両系統とも12分間隔で運行しており、共通部分に関しては日中は6分間隔のダイヤになっている。料金は距離制で初乗り210円(最大250円)。
1日乗車券は600円で、3~4回乗れば元が取れる。毎年1~3月には18時以降のみ乗り降り自由な「トワイライトパス」も300円で発売される(こちらは2回で元が取れる)。
函タク、すずらん、函交、相互、キング、モーモー、道南、しんわ、個人、色々あるぞ。法人は小型が多く、個人は中型が中心。貸切観光は多くの会社も個人もやっているので、観光にはこちらがオススメ。
函館のタクシーは運転席と後部座席のパーテーションが大きく、運転手の防護が結構しっかりしている。理由はタクシー強盗が運転手を殺したから。無知の恥の人が有名だがそっちが原因ではなく、割と最近もあった方。未だに犯人は捕まっていない。
函館と札幌を結ぶ高速バス。北都交通・中央バス・道南バスが共同運行する「高速はこだて号」と北海道バスが運行する「特急ニュースター号」の2路線が存在する。だいたい5時間くらいかかる。昨今の長距離バスは全国どこでもそうだが、座席広め定員少なめで運行。
運賃は双方ともあまり大差無いが、「高速はこだて号」のほうが昔から走っていたこともあり、知名度では優勢である(つい最近まで「特急ニュースター号」は大百科からも忘れられていた)。が、サービス面では充電コンセントがついている「特急ニュースター号」のほうが優勢である。
エンジンの唸りは歓喜の声...低く回るエンジンでは不満がたまる...
スロットルを踏み込む刹那...俺の血管に流れる血液はエンジンオイルのように熱くなる...
俺のHeartを冷やすラジエターはない...ただその熱さをアスファルトぶつけてやるだけ...
ロードのテクスチャがSnowでもかまわない...俺には関係ないさ...
Hakodateの空気についてこれない奴は、悪いことは言わない...ステアリングは握らないことだ...
でもまぁレンタカーは便利なんで、煽られても気にせずに安全運転をすれば問題ない。レンタカー店は函館駅及び空港の周辺に多い。
内地から来る人は、先述のようにフェリーを使うことになる。札幌、室蘭、苫小牧、小樽方面との移動では、国道5号、国道230号、道央自動車道を使うことが多いだろう。国道5号は函館新道に繋がっているので、道なりに走れば市中心部と市外とを往来できる。北斗市の旧大野町地区を縦貫する大野新道を使うことも可。
松前方面とは海沿いを走る国道228号、江差方面とは(渡島)中山峠を通るルートで結ばれている。いずれも一本道で、標識通りに走ればおk。ちなみに、揚げいもが有名な中山峠は道央の方。外はほんのり甘くサクサクした衣で、中はホクホクのジャガイモ。一本300円也。
主要な道路は面パト、レーパト、白バイが取締りを行っているので注意が必要。オービスに関しては、北海道では固定設置のものは手前に四枚の警告標識があるので見逃さないこと。黄色地に黒文字で書かれており、夜は前照灯の光を反射して目立つので確認しやすい。
我こそは函館出身と語る知り合いが居たら、以下の文章を読ませてみよう。
節付きで突然歌い始めたら間違いなくそのお方は函館市民である。
歌い始めなかったら? そいつは北斗市民か七飯町民だ! YouはShock!!!
掲示板
123 ななしのよっしん
2024/01/03(水) 22:35:18 ID: 9q+x35o/Lr
124 ななしのよっしん
2024/03/28(木) 22:13:21 ID: YLRbYoaWly
市長さぁ・・・大泉洋の名前を盛大に使って選挙してたのはいいとしても、新函館北斗とは別に駅作って新幹線引き込みますは流石にルール無用すぎるだろ・・・
3両でいいから!とかじゃないんだわ
あのクソ長いH5系ノーズを2つも増やすのがもう無理ってわかるだろ
政治まで大泉洋みたいなノリにしなくていいから(良心)
125 ななしのよっしん
2024/12/13(金) 22:23:31 ID: I5vjKprWaP
アーレンフォックス社製ポンプ車の所、正しくは
アーレンスフォックス社製ポンプ車だね
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/22(日) 11:00
最終更新:2024/12/22(日) 11:00
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