え、知らない?
福井県 | |
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県旗 | ![]() |
人口 | 743,386人(令和6年1月、推計人口) |
県庁所在地 | 福井市 |
県知事 | 杉本達治 |
県最高峰 | 二ノ峰(1,692m) |
県の花 | 水仙 |
県の木 | 松 |
県の鳥 | つぐみ |
県の魚 | 越前がに |
ふるさとの日 | 2月7日 |
公式サイト | http://www.pref.fukui.lg.jp/![]() |
目次 |
福井県は大自然、豊かな海と山の幸、由緒ある歴史・伝統・文化、そして世界に羽ばたく地場産業と農林水産業に恵まれた今後に期待できるすばらしい県(公式サイト要約)。
嶺南地方(旧若狭国+敦賀市)と嶺北地方(敦賀市を除く旧越前国)は仲が悪いというか、関わりが非常に薄い。そのため、二つの地方は地方自治法上は同一の県とされているものの、地域間交流や文化、経済の上では全く別の県とも言えるような状況にある。歴史上においても、二つの県を旧若狭国の住民の反対を押し切って合併させている。
山陰や北関東勢とともに都道府県知名度最下位グループで福井県出身だと言うと東北や九州出身と間違えられることがしばしば。コシヒカリ発祥の地だとか眼鏡フレーム生産日本一などの「知る人ぞ知る」という地場産業ネタなら他県並にあるが、隣県に比べて決定打に値するもの(観光に耐えうる派手なもの)がほとんど無いから知名度が低い・・・らしい。県知事も地味さは自認していて地方活性化のためにふるさと納税を発案したのは西川一誠福井県知事である。
歴史的には貿易港や穀倉地帯としてそれなりに重視された地域なのだが、それゆえに中央の有力者に与えられる土地という位置づけになってしまい土着の有力者があまり育たず地味な印象を受ける。戦国時代には朝倉氏が越前を地盤に勢力を持ったが最終的に織田信長に滅ぼされているし、朝倉氏の発祥地は但馬(兵庫県)である。(発祥地を言うなら織田氏が越前発祥ではある)
福井県内の地域区分に嶺北と嶺南と言う区分がある。全国向けに福井県北部・福井県南部と表現されることもあるが形状的に福井県北東部・福井県南西部と言った方がより分かりやすいだろう。越前と若狭と言えばまだわかりやすいかと思うが敦賀市は嶺南地方だが越前国なので正確には同一ではない。と言うか旧若狭国+敦賀郡を指す名称として明治に定着したのが嶺南・嶺北と言う区分である。明治以前に越前と若狭が統一的な統治を受けたことが無かったのだ。
嶺北は石川、嶺南は滋賀や京都方面との結びつきがかなり強く、各々の地域の人間が県外へ遊びに行くとなれば、嶺北人は石川へ、嶺南人は滋賀、京都へ、という具合になる。また、在福マスコミで嶺南地方を取り上げることが少ないほか、県全域でケーブルテレビが広く普及していて(特に嶺南)、嶺北では北陸放送・北陸朝日放送など石川のテレビ局の電波が、嶺南ではびわ湖放送を中心とした関西圏のテレビ局の電波が再送信されており、二つの地方では見るテレビ局まで差異が生じている。また電力会社の区分も敦賀から東(旧越前国の範囲)は北陸電力で美浜町から西(旧若狭国の範囲)は関西電力の営業エリアとなっていた。若狭湾に多数立地する原子力発電所も美浜町以西は関西電力、敦賀原発は日本原電の所有となっているので実は北陸電力の原発は福井県内には無く、むしろ関西の電力供給を支えているという自負がある。これらのせいもあって嶺南の人々は北陸・福井市域への帰属意識および交流が皆無に近く、もっぱら「近畿」「関西」への帰属意識が高い。
そのため、道州制が施行されて福井県が北陸(中部)に組み込まれようものなら、嶺南は分離して近畿とくっつくとまで言われている。このこともあって福井県知事は道州制に反対している。嶺北人は関西弁の影響を強く受けた嶺南人の言葉を「なまっている」ととらえ、逆に嶺南人はまるで東北弁のような崩壊アクセントの嶺北人の言葉を「なまっている」ととらえる人が多く、県民レベルで隔絶性を感じているんだから仕方ないね。
嶺北・嶺南の「嶺」とは境界にある「木嶺」とも呼ばれた「木ノ芽峠」のことで昔ながらの交通の難所である。木ノ芽峠は標高が高いわけではないが一帯は平地がほとんど無い山塊であるため峠を迂回するルートもそれなりに険しく、海路を使っても九頭竜川河口の三国(現坂井市)まで海岸沿いに山地が続くためやはり往来の困難が伴った。特に冬には峠は雪が積もり海は時化るのでより一層往来の困難が増した。この往来の障害から人や物の交流が阻まれ文化的断層が生まれた。
例えば木ノ芽峠を境に方言が大きく変わる。敦賀を中心としたエリアが近江弁、嶺南の西が京都や山陰の方言の影響を受けた関西弁を基礎とした方言であるのに対し、嶺北は東北弁のように聞こえる無アクセント型の方言である。
近代以降は鉄道や自動車道路が整備されていくが国道8号線や旧北陸本線は木ノ芽峠を避けて海沿いに大きく迂回している。この旧北陸本線は迂回したとはいえ、いくつもスイッチバックやトンネルが存在する難所だった。現在では自動車道路に転用されていて今も残るレンガ造りのトンネル群が登録有形文化財に登録されている。
この往来の問題は木ノ芽峠の直下を通過する1962年の北陸本線の北陸トンネル開通によってようやく解消される。この北陸トンネルは在来線の陸地トンネルとしては現在も最長ということからもかつての往来の困難さがうかがえる。
自動車道路も明治に入った早期から整備がなされ、敦賀湾東岸-武生間に数多のトンネルを穿ち、明治19年に全長44kmの車道を開削。その後時代に合わせていくつかの経路付け替え等はあったものの、100年以上経過した今もこのルートは国道8号線として利用されている。しかしながら実用に耐え、なおかつ最短距離で嶺北に抜ける道路は長らくこのルートしかなく、北陸自動車道の敦賀トンネルが1977年に供用されるまでこの状況が続いた。そのせいで、平成に入ってから発生した豪雪で北陸自動車道・国道8号線が機能不全に陥ったさいは南北の物流が文字通りストップし、新聞でさえも岐阜経由で大回りして1日遅れで嶺南へ運ばれるありさまであった。2004年に木の芽峠トンネルが開通したことで、ようやく迂回ルートが確保されたのだった。
なお、一般的な「福井弁」とは福井市周辺で使われているアクセントのものであり、嶺南では一部のおじいちゃん・おばあちゃんを除きほとんど使われていない。
現在日本で最もポピュラーな米の銘柄といえばコシヒカリである。日本で最も有名なブランド米と言えば「魚沼産コシヒカリ」であり生産量も日本一なことからコシヒカリは新潟県のお米というイメージが強い。しかし福井県民は声を大にして言いたい。
コシヒカリの起源となる交配が行われたのは新潟県だが育種が行われたのは福井県である。品種改良は一回の交配で終わるものではなく育種によって性質が固定されて初めて品種の誕生となるため、コシヒカリという品種が生まれたのは福井県と言える。最終的に真価を見出したのは新潟県ではあるが…
1982年に勝山で恐竜と同時代のワニ化石が発見されたことや石川県での恐竜化石の発見(奇しくも福井県の女子中学生が発見者だった)により1989年から福井県での本格的な恐竜発掘が始まった。以後次々と恐竜化石が発見され2020年4月現在、国産恐竜化石の8割以上が福井県で産出し、国内で有効な学名が付けられた恐竜9種のうち6種が福井県で発見されている。
このことから数少ない名物として福井県が「恐竜王国」を熱心にPRしている。ご当地マスコットもジュラチック(福井県公式恐竜ブランド)・はぴりゅう(福井国体マスコット)・リューピー君(福井県警マスコット)など恐竜のモチーフが多い。2000年には福井県立恐竜博物館が開館し福井県屈指の観光施設であると同時に国内随一の恐竜研究施設にもなっている。
2015年には北陸新幹線金沢開業に合わせて新幹線はまだ来ないのに福井駅前に学術的に正確に再現された実物大の福井県産恐竜3体の動くモニュメントが登場した他、県内の駅のホームに恐竜博士が座るダイノベンチも出現している。これにはTwitterなどで反響があったが「恐竜より福井駅にこんなに人がいることに驚きだよ」と恐竜出現より人だかりの方が珍しい恐竜王国福井であった。北陸新幹線敦賀開業時も同じ様な反響があっただろう・・・。
そして2020年の新型コロナ禍でもソーシャルディスタンスの例えがフクイラプトル(全長4m)の恐竜王国福井である。
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/JuraticPR/status/1263652583803023360
これらの恐竜は福井県立恐竜博物館で実物化石が常設展示されている。そして2016年には発掘現場と学名が付けられた5種の恐竜化石が国の天然記念物に指定された。また恐竜の足跡や卵殻化石、同時代の哺乳類や鳥類化石も見つかっていて今後も新発見や新種発見が予想される。
※ ニコニコ大百科に記事のある方のみ記載して下さい。
奈良時代以降現在の福井県にあたる地域には越前国と若狭国が設置されていた。この時点で福井県の輪郭が見えるが廃藩置県以前に越前・若狭両国が統合された地方行政区分になったことは無い。
戦国時代には越前では守護代から下克上を果たした朝倉氏が一乗谷を拠点に栄華を築いた。若狭では守護の(若狭)武田氏が戦国大名化した。若狭武田氏はしばしば幕府の戦いに駆り出されたため領国支配が安定しなかったが、反面歴代当主が文芸に秀で京の文化が若狭に流入した。若狭武田氏は最終的に朝倉氏に屈服することになるが朝倉氏は若狭を掌握しきれず若狭国人討伐の名目で織田信長の朝倉氏討伐を招くことになる。
江戸時代には初め越前一国に徳川家康の次男である結城(松平)秀康が、若狭一国に京極高次がそれぞれ封ぜられた。その後越前では秀康の長男の素行不良により藩領が縮小されると以後越前には小藩が分立し藩領・天領・飛び地が錯綜するようになった。一方若狭では越前敦賀郡が加えられた後京極氏が移封され代わりに幕府老中の酒井忠勝が入り以後幕末まで若狭一国+敦賀郡の酒井氏統治が続いた。
廃藩置県直後は幕末の藩がそのまま県となったため若狭国は旧敦賀藩と合わせて小浜県となったが越前国は9つの県に分かれて飛び地など境界が複雑に入り乱れていた。参考
越前国の坂井・吉田・足羽・大野・丹生郡と幕府直轄地であった加賀国の白山麓地域が合わさって福井県が、若狭国と越前国の今立・南条・敦賀郡が合わさって敦賀県が誕生した。この福井県はその年の内に足羽県に改称される。これは旧藩名から県庁所在地の郡名にしたものだが、福井藩が親藩であったため明治政府がその名を嫌ったとも県側が政府を憚ったとも言われている。 また敦賀県に今立・南条郡が含まれたのは人口の調整の為、県庁を敦賀に置いたのは明治政府が国際貿易港として敦賀港を重視したほかに戊辰戦争の際に幕府側についた小浜藩の解体を意図したとも言われる。明治5年(1872年)には白山麓地域が石川県へ編入され現在の県域の原型ができた。
敦賀県が足羽県を編入し現在の福井県とほぼ同じ県域になったが県庁所在地は敦賀のままであったので往来の難所である木ノ芽峠(木嶺)以北の越前七郡の不満が高まり県庁移転運動がおこる。「木嶺以南」を「嶺南」、「木嶺以北」を「嶺北」とする区分が生まれたのはこのときである。
県庁問題と全国的な県統合の動きから現在の嶺北地方は石川県、嶺南地方は滋賀県に編入され敦賀県は消滅した。 滋賀県に編入された嶺南地方では元々交流が深かったことから特に大きな混乱は無かったが嶺北地方が編入された現在の富山県も含んでいた当時の石川県(通称大石川県)では金沢が主導権を握っていたため地域対立が激しかった。
石川県から嶺北地方が分離、合わせて滋賀県に編入されていた嶺南地方を分離合併しここに現在に至る福井県が誕生した。この時嶺南地方住民の意向は考慮されず滋賀県に比べて福井県の税金が高かったこともあり滋賀県復帰を求める分県運動がおこる。結局滋賀県復帰は実現することは無かったが現在でも対立感情は残り道州制では分県してでも関西入りを目指すと嶺南首長が公言するほどである。
明治14年で現在の福井県は誕生した。しかし実はこれ以降にも県域は変化している。
それは1958年(昭和33年)大野郡石徹白村の岐阜県側への越県合併である。 昭和の大合併の際に石徹白村は冬季の往来の困難さと岐阜県側との交流の深さ、福井県の対応の不信感から越県合併を主張した。福井県は阻止しようとしたものの最終的には自治庁の裁定により石徹白村の2集落を福井県和泉村に編入し残りの大部分は岐阜県側へ越県合併をした。これにより福井県は九頭竜川の最長源流を失った。
このことは忘れられているのか用意するのが面倒なのか昭和以前の福井県の図でもしばしば石徹白地域を含まない図が使われる。
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石徹白村越県合併前 | 石徹白村越県合併後 |
各市町村のニコニコテレビ君の旗をマウスオーバーすると市町村名が表示され、クリックするとその項目までジャンプします。色分けに意味はありません。隣接関係は正確ですが面積比は正確ではありません。
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県内の難読地名・珍地名・歴史的な地名を紹介する。荘園由来地名(名田庄など)は多いので割愛。
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平成の大合併前 | 平成の大合併後 |
平成の大合併前から自治体が最も少ない県だったが平成の大合併でさらに自治体が減り17になった。ただし現在自治体数が最も少ない県は富山県の15。郡単位の合併と越郡合併により大飯郡以外は一郡一町となり村は無くなった。まとまりすぎて旧市町村名を使ったほうが分かりやすいことも。
木ノ芽峠を境にして県の北東地域。敦賀と旧石徹白村を除く旧越前国。律令制で四等級中最上級の大国で歴史的に有力者が支配してきた。
文化も気候も北陸圏で、福井県でイメージされることはだいたい嶺北のこと。ただし大野市と勝山市は奥越地方に分けられることもあり、こちらは飛騨文化の影響も見られる。平野部でも雪が積もり山間部は豪雪地帯でスキー場がある。ただし沿岸部は暖流の影響で積雪は少ない。
地形は若狭湾のリアス式(沈降)海岸に対して越前海岸は隆起海岸で北部の福井平野以外は海岸沿いに平地が少ない。そのため沿岸部の道路は海岸線を走っており景色はいいががけ崩れや高波でしばしば通行止めになる。河川は沿岸部以外ほぼ全域が九頭竜川水系(九頭竜川・日野川・足羽川)でまさに母なる川。そのため基本的に人口密集地は内陸の川沿いに有る。
平成の大合併では合併が進み鯖江市、勝山市、池田町以外は合併に参加した。郡単位で合併が進んだため一郡一町となり地図がかなりすっきりした。しかし「越前」のつく自治体が3つ誕生してさらに全て隣接しているのでややこしくもなった。
自然・活気・誇りにみちた 人が輝く かえりたくなるまち ふくい
国府の文化と匠の技、日野の山川に育まれ ひとづくり、ものづくり、まちづくりの活力みなぎる「元気な自立都市 越前」
めがねのまち さばえ
記事の人口を反映させていて気付いたが、2900人から2100人に減少していて驚く。
「人と技 海土里(みどり) 織りなす 快適なまち」 -越前 E-town Brandの創造-
木ノ芽峠を境にして県の南西地域。旧若狭国+敦賀。平地は狭いものの都に近く豊かな海産物や製塩、交易により古くから重視されていた。若狭国は朝廷に海産物を献上する「御食国(みけつくに)」であったと考えられ若狭国から塩や海産物が運ばれていたことを示す木簡が大量に出土している。越前国であった敦賀も歴史的に結びつきは若狭の方が強く江戸時代には敦賀藩は小浜藩の支藩だった。
嶺北地方とは対照的に関西文化圏で北陸文化とはあまり縁がない。そのため嶺北よりも関西への帰属意識が強く嶺北のことを聞かれても分からず嶺北と一緒にされるのを嫌う。「福井弁しゃべらないの?」は禁句。気候は日本海側気候だが標高の高い山が無いため積雪は比較的少なくスキー場もない。むしろ滋賀県側にスキー場があり積雪も多かったりする。
地形は教科書にも載っている典型的なリアス式海岸(三陸海岸の扱いの方が大きいが)で山と海が迫り平地が少ない。河川は大河は無く短い河川の各河口周辺の限られた平野に市街地が形成されている。半島部はほとんど平地はなくわずかな平地に集落が形成されている。半島部の集落へは今では道路が整備されているがかつては船が主な移動手段だった。半島を一周する道路はなく土砂崩れで寸断されるとたちまち陸の孤島と化す。
かつては漁業や夏の海水浴を主とする観光業が主要な産業の地域だった。しかし敦賀原発が建設されたことを皮切りに4自治体に原発が建設され原発関連産業で地域経済がにぎわい原発立地自治体は原発関連の収入で潤っている。また非原発立地自治体でも原発関連企業や作業員の宿泊などで原発の経済的恩恵を受けているため嶺南地方では全体的に原発に肯定的である。そのため他の原発立地地域と比べてもやや特殊で原発再稼働の際の周辺地域の同意の問題というのは嶺南以外の地域のことである。
国道27号線を自動車で走っていると道路に門のようなものがいくつか設置されている。これは原発事故の際に封鎖するためという噂もあるが実際は大雨の際に危険個所に侵入させないためのもの。この設備が存在しない山間部を走る国道は存在しない(三桁国道にも普通に存在する)。
平成の大合併では嶺南一市構想も持ち上がったがほとんど話が進まなかった。原因の一つは原発立地自治体と非立地自治体の財政格差であったことから非原発立地自治体同士での合併が模索された。しかしその場合必然的に小浜市が合併後の主導権を握ることになるためそのことを嫌った遠敷郡の自治体は多少の利便性を欠いても越郡合併を選んだ。
輝きと優しさに出会えるまち
「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
江戸時代に若狭小浜で漁獲された鯖を京都まで運んだ道がいつしか「鯖街道」と呼ばれるようになった。しかしこの街道は古来より鯖以外にも若狭の産物を都に運んだ道であり、また都からの文化を伝えた道でもあった。
「鯖街道」をたどれば、古代から現在にかけて1500年続く往来の歴史と、伝統を守り伝える人々 の営みを肌で感じることができる。 日本遺産認定ストーリーより
北前船とは江戸時代から明治にかけて蝦夷(北海道)と上方を往来した交易船で寄港地には多くの物資や文化が行き交い巨万の富を得るものもいた。
福井県からは敦賀市と南越前町が他の北前船寄港地とともに日本遺産に認定された。構成文化財は北前船主の建築物として右近家住宅 、旧右近家住宅 西洋館 、中村家住宅、旧大和田銀行初代本店が認定されたほか、蝦夷からもたらされた鰊・昆布を扱う鰊蔵、昆布の手すき加工技術等も認定された。また福井から北前船によって運ばれた物資もあり他県の寄港地で越前産の笏谷石や越前赤瓦が利用された建築物が構成文化財に認定されている。
他の古窯と共に越前焼も日本遺産に認定された。構成文化財は越前焼や製法、窯跡のほか、全国的に珍しい甕を墓標にした甕墓、陶工が氏子であった劔神社の本殿や文書などが認定された。
平泉寺、一乗谷朝倉氏遺跡、福井城址、養浩館庭園など「石」をテーマにストーリーと構成文化財が認定された。
北陸新幹線金沢-敦賀開業により並行する北陸本線の同区間はJR西日本から経営分離・第三セクター化されており、2020年までに福井県の並行在来線鉄道「ハピラインふくい」が設立された。
ちなみに福井県内の駅には自動改札が設置されていなかったが、2018年、福井国体の開催とICOCAエリア拡大を機に福井駅と敦賀駅に初めて設置された。なおこれは四国以外では最も遅い設置であった。
えちぜん鉄道と福井鉄道も新幹線開業に合わせて2025年春にICカード対応にする模様。一方で1日乗車券がスマホで買えたりする点は先進的と言えよう。
当たり前だが2024年3月開業の北陸新幹線には自動改札がある。
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掲示板
443 ななしのよっしん
2024/11/20(水) 21:54:58 ID: p0pcfXYkN+
全国でもトップクラスの出生率と知って驚いてる地元民の私
まあ、自然減や他県への流出の方が多くて人口増加には至ってないのが悲しいが
444 ななしのよっしん
2025/02/10(月) 02:20:32 ID: uDvrBqGbZd
自民党のごり押しで福井県知事に当選し、統ー協会へ祝電を出すレベルかつ原発推進派の 杉本達治 が大阪万博のチケットを、税金から約1億4千万円使って全小中高生に無償配布する模様。
なお交通費や家族の入場券は実費負担との事。
ttps://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2237447
ttps://static.chunichi.co.jp/chunichi/archives/article/senkyo/chihosen2019/fukui/CK2019040702100045.html
ttps://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/102421?page=2
ttps://www.asahi.com/articles/ASQ7P2F7ZQ7NPISC00T.html
445 ななしのよっしん
2025/03/10(月) 18:50:01 ID: YzbUGRBLcQ
池田町はとっとと滅亡してくれ
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最終更新:2025/03/21(金) 13:00
最終更新:2025/03/21(金) 13:00
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