トラロック(Fate) 単語

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ウィツィロポチトリ

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トラロック(Fate)とは、スマホゲームFate/Grand Order』に登場するサーヴァントの一騎である。

CV本多真梨子
イラスト:西浩紀(LASENGLE)

サーヴァントについてはサーヴァント(聖杯戦争)の記事を参照。

概要

心臓都市、起動!
アルタール、カットーラ、愛しトラマカスキ!
今度こそ、私は失わない!

メインストーリー第2部第7章『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』にて初登場した、トラロックもしくはウィツィロポチトリを名乗る女性サーヴァント2022年12月25日より配信された前編で登場したが、この時は実装されずNPCの扱いだった。1ヶ後の2023年1月31日19時放送の『FGO カルデア放送局 Vol.19 第2部第7章 ナウイ・ミクトラン(後編)開幕直前SP』で実装が発表。同日23時の後編配信に伴って実装とともにピックアップが行われた。絵師の西氏は2016年から概念礼装のイラストを担当してきた古で、トラロックが初の担当サーヴァントである。声優本多氏もトラロック役でFGO初参加。Twitterによるとどうやら運営側からオファーを出したようだ。

レア度は4、クラス詐称を意味する特殊霊基プリテンダー。恒常に追加されたプリテンダーは彼女が2番。また初期状態では第三再臨以降のセイングラフバトルキャラ、そして宝具名が封印(再臨自体は行える)されている。これはサポートに出ているトラロックにもし、解放条件である第2部第7章18節をクリアしないと見る事が出来ない。こちらは4では史上初の要素。プリテンダーは正体に繋がる真名を隠し持つクラスなのでむべなるかな。レア4という事で排出率が較的高く、テスカトリポカ(fate)ククルカン(fate)を狙った結果、彼女が大量に召喚されたというが散見される。称は加湿器だからか湿度が高く(公式設定)、マスターに対する態度も湿っぽいものが多い事からく間に定着した。

『ナウイ・ミクトラン』ではテスカトリポカ(fate)イスカリとともに敵勢オセロトル側に属する紅一点テスカトリポカ様と呼び、オセトロルたちの王であるイスカリの教育係を務めながらカルデア軍団と敵対する。トラロック形態ではルーラー、ウィツィロポチトリ形態ではバーサーカークラスが変化。ちなみに第一層トラロカンは汎人類史のアステカ神話において「トラロックの住み処」をすが、『ミクトラン』では特に関係い。

2023年3月12日の『ウィンターパーティー 2022-2023』にて、2023年バレンタインイベントにおいて祝福ロックオンチョコ(好きなサーヴァント1騎だけに与えられる特別なアイテム)が贈られたサーヴァントランキングトップ10が発表。トラロックは初登場から日が浅いにも関わらずレディ・アヴァロンラスプーチンら強を抑えて第4位に堂々ランクイン4の組みでは見事1位いた。また『ナウイ・ミクトラン』実装組の中でもトップという大人気ぶりを見せつけている。ちなみにククルカン(fate)は6位、テスカトリポカ(fate)は10位とこちらも人気。八周年記念フェスにおいては彼女グッズが即座に売したという報告が寄せられた。

トラロックの活躍はゲームの外にも及び、2023年から翌年にかけて開催された特別展『古代メキシコ - マヤアステカ、テオティワカン』とのコラボが実現、これに伴ってアステカ文明と関わりのあるトラロックFGOからの出張組に選ばれ、望月けい氏による描き下ろし絵が発表されている。

戦闘能力

アステカ神話におけるトラロック太陽ウィツィロポチトリの権武器に戦う。トラロック形態では戦意を見せるとが降り出し、しなるから迸るを操って攻撃を加える。とは動植物を養うからの恵み。一方で強生物であろうとしでは生きていけず、また多すぎる降は濁流のを招く、慈悲と無慈悲の表裏一体。大きな河がい地にある生態系はトラロックに生殺与奪を握られているようなものであり、集落の一つや二つ簡単に消してしまえる大自然の具現。ちなみに地面から生えてくる石像トラロックった像。

ウィツィロポチトリ形態では純戦闘が向上。ウィツィロポチトリは創造神話においてケツァル・コアトルとともに地球太陽創造したで、最高テスカトリポカ肩する権を持つアステカ帝国格。帝国が滅んだ後に建されたメキシコ名はウィツィロポチトリの別名「メシトリ」と、場所を示す「コ」を組み合わせたのものであり、これに伴ってメキシコ太陽とも言われる。まさに文字通り次元の違う。この形態では焼け付く程の太陽で攻撃し、足元に炎を這わせる灼熱の権化となる。が生命を育むものなら炎は壊滅的な破壊をもたらす脅威。相反する属性を巧みに使い分ける者、それが彼女である。またウィツィロポチトリの側面が出てきている時はる特徴がある。

得物のは言わば「伸縮自在な蛇腹剣」であり、ひとたび振るえばニトクリス(fate)の全身を切り裂いて流血させる程の威を発揮。使用しない時は納して短のような形状になるが、この状態でも血のような身をわせての近接戦闘が可を帯電させて離れた敵にを迸らせる芸当も出来る。1本で近・中・遠距離全てをカバーする多機性がる。高い運動と格闘をも有しているようで美しい放物線を描く跳躍から手刀で敵を切り裂く攻撃も披露。

彼女が頭に付けている丸ゴーグルはトラロックの両羽根飾りはトラロックの装飾であるサギ羽根、血でに染まった両手は血液めるウィツィロポチトリの儀式は火のシウコアトルの表現、左利きなのは「ハチドリの左」から来ている等、二柱の意が各所に施されている。トラロックもウィツィロポチトリも神話上では男なのだが、南米異聞帯で確認されたのは何故か女性である。

一騎で二柱のを宿しているため性が非常に高く、内包する魔力も規格外な事から霊級サーヴァントに分類される。一方でテスカトリポカや他のサーヴァントと違って人間を依り代にしていない特徴を持つ。彼女の事を「都市」と呼んでいるが…?彼女が持つ特殊霊基プリテンダーとはまで騙る事で世界中を敵に回す詐称エクストラクラス。不規則に変化し続ける霊基パターンは、機械による精を以ってしても真名特定出来ない不可知の領域である。だが偽りの霊基は枷にもなっており、もしトラロック真名明らかにすれば更なるを発揮する事になるであろう。

霊級サーヴァントの強大な実シナリオ内でも明確に描写されている。初陣ニトクリス(fate)勝する衝撃的なデビューを飾り、ウィツィロポチトリ形態で歴戦のマシュを圧倒、たった一騎でディノスの群れを蹴散らしてストームボーダーを追いつめるなどカルデア軍団だけでは対処出来ない強敵として描かれた。同時に対トラロック用権でコーティングした霊子魚雷を喰らったり、『ミクトラン』最のカマソッソから細切れにされても戦闘継続が可という前代未聞の防御も持ち、ロリンチにして『ミクトラン』最優の防御だと評される。

トラロック/ウィツィロポチトリ

彼女は2つの名前を持つ。どちらも中南米では役級の知名度を誇る。

最初に名乗るトラロックは中南米に伝わるアステカ神話における。他にも、干ばつ、洪水、生命、破滅をがあり、作物の豊作と不作を決めるのもトラロックである。東西南北に置かれた4つの粘土製のを持ち、東のを持てば恵みのが降り出すが、北のからは霜が、南のからは干ばつが、西のからは人々を苦しめる恐ろしい疫病が流れ出る。生活を翻弄する強大なる存在ではあるものの、生け贄をげると望み通り慈を降らせるなど人間に対しては概ね好意的な性格。

ナワトル語大地を意味する「トラリ(Tlalli)」と座るを意味する「oc」を組み合わせてトラロックになったとされる。アステカ帝国首都テオティワカンにられるの一柱であり、生命と栄養を与える慈悲深い存在としてメソアメリカ時代から広く信仰されてきた最古の土着のチチェン・イツァーのマヤ遺跡からチャクモール(彫刻)が発掘された事でマヤ文明でも信仰の対になっていたと判明。マヤ文明ではチャーク、サポテック文明ではコシホ、トトナック族ではアクツィンという名前で呼ばれていた。洞窟、山岳などを住まいとする。黒色々の世界を示すな色で、官たちは体をく塗る事でトラロックにより一層近づき、世界との距離を縮めて交信・一体化を容易なものにしていた、と考えられている。

アステカ創造神話『五つの太陽』では、火によって破壊された第三の太陽の支配者。トウモロコシを降らせてをやる様子が描かれているが、「火の」「火打石」「菌の」「」を降らせて作物を破壊する描写もある。これは中央アメリカの気自然トラロックというに当てはめていたからだと思われる。どちらかと言うと有を降らせる事の方が多かったらしく、困った人々はトラロックの前に現れて敬意を表する儀式を挙行。これに応えてトラロック雨水を降らせ、時には漁師や乗りを保護する事もあった。こうして太陽の責務を果たしていたが、いたずら好きのテスカトリポカトウモロコシで妻のショチケツァルを誘拐され、責務を果たせなくなってしまう。最低です。トラロックは悲しみにくれ、世界は大干ばつに見舞われる。人々は必死ごいをして慈悲を願ったがそのは彼のに届かなかった。やがてトラロックは大激怒。火のを降らせて以外の生命を全破壊してしまった。第三の太陽はナウイ・キアウィトルとも言う。ちなみに第四の太陽の支配者になったのはトラロックの新しい妻で女神チャルチウリクエ(マトラクエイェ)である。その妻との間に「の男」を意味する息子テクシステカトルが誕生した。余談だが当時の人々は重要な交易路であるメキシコ湾を「チャルチウリクエの」と呼んでいたんだとか。『太陽伝説』でられる神話によると移住先をめて放浪中のアステカ族はトゥーラに辿り着くが、そこでは飢餓に見舞われていた。官であり導者でもあったトスクエクエクスは繁栄を取り戻すために自分のを生け贄にして心臓げ、トラロックは犠牲者の心臓ヒョウタン製タバコ入れの中にしまって受け取った。するとが降り出してトゥーラの飢餓が終息したという。

メソアメリカ時代に使われたトレセナ(13日ごとに区切った)では、7番の1キアフィトル()の守護であり、西の方角を担当していた。アステカ族が用いたシウポウアリ(20日ごとに区切った)では、トウモロコシの種まきをする2月14日3月5日、作物を収穫する5月23日6月13日、様々なを祝う10月12日~31日、トウモロコシトラロック人形を作る12月11日~30日、アマランスタマレを食べる1月20日2月8日トラロックげられたとしている。時刻を意味するトナルテウクティンでは十三柱いるの一柱とされ、8番を担当。関連する飛行生物

メキシコ中央部にはトラロック山(標高4120m)と呼ばれる山がある。トラロックの住み処であるトラロカンだとアステカ族やナフアン族から信じられていたようで、頂上には盛大な儀式を行ったであろう遺跡が残されている。アステカ人たちはを降らせて貰うべく季の始めに儀式を挙行。豊富な供物や子供の命がげられ、周囲の都市エリート層も参列するなど重要な儀式だったようだ。まず最初に2月中旬から3月上旬にかけて儀式の第一段階が行われ、犠牲となる7人の子供奴隷貴族の次男から選出。内に辿り着くまでに泣く事を推奨された。これはが「豊かな」を徴していたからである。もし自で泣けなかった子供を剥がされて理やり泣かされる(ヴォーコエー)。特にうなじを2つ持つ子供が望ましいとされ、そのような幼児が生まれた時は両から買い取ってトラロック用に確保する。乞いの儀式では官によってを作り出すかのように様々な色と香りの煙が焚かれた。々にとって香りは栄養を与えるなる食べ物なのだ。最後は心臓を抜き取られて第一段階は終了。子供死体食料として食べられる。4月からの第二段階はトラロックを喜ばせるために供物がげられた。

アステカ神話世界は「人間が住む地球」「死者が落ちる冥界ミクトラン」「の上層」の三つに大別される。トラロック十三に分かれた上層世界の最下層トラロカンの支配者。そこは永遠に続くと食用植物楽園であり、落溺死に関する現で命を落とした者を受け入れる場所だという。アステカでは火葬が基本なのだが、トラロカンへ行く死因で亡くなった場合はいた木片を抱かせて土葬される。こうする事で木片トラロカンで芽吹いて豊かな自然になるのだという。トラロックはここから地球上の生命に有益なを与えている。北方の大きな洞窟にはの支配者エヘカガットと死の支配者ミキタガットがいて、死んでから最初の1年が経つまでの世話をし、死後1年が経過したトラロカ東方にあるのように大きなへ向かって深くに位置する都市す。トラロカンでの生活はまさに幸福そのものだという。アステカ人からの聞き込みで得られた情報をベルナディーノ・デ・サアグン神父がまとめ上げ、著書に記した記録が現代に残っている。

スペイン人の征により1521年8月31日アステカ帝国が滅び、メキシコ文化が根付いた後もトラロック信仰は絶えずに続けられ、スペイン人が広めたキリスト教と上手く習合。教会内にもトラロックの絵が描かれていた。これを受けてカトリック教は土着の信仰を粉砕しようと悪魔扱いし、1579年頃のディエゴドゥラ神父記録小悪魔と並べて描かれたトラロックの絵図が残されている。しかし底的な弾圧や宗強要を以ってしても成果を出す事なく現代に至るまで信仰され続けた。最西部ティファナからユカタン半島にかけてメキシコ全土でトラロック像が確認出来る。

1800年代後半、テスココ近郊コートリンチャンの干上がったから全高7m重量168トンに及ぶ巨大トラロック像(通称トラロックモノリス)が発見された。アメリカ大陸最大の一枚岩である。学者たちの研究を以ってしても何時の時代に作られたのか明確に特定されていない秘の代物。1964年メキシコ政府は新たにオープンする国立人類学博物館での展示を決定し、運び出す前に特別な傾斜路を作ったり、横に繋いだ2台のトレーラーを使って四苦八苦しながら輸送。モノリスの輸送にはど降らない季に行われたのだが、そのモノリスメキシコティへ到着した時に猛が降り注いだ。信心深いメキシコ人たちはこれをトラロックサインだと一様に思ったという。現在博物館の入り口で訪れた者を出迎えている。今やメキシコシンボルにまでなったトラロックは、スペイン人の征に打ち勝ったと言えるのではないだろうか。


ウィツィロポチトリは同じく首都テオティワカンにてられる戦争、人身御供、狩猟太陽。その名は「ハチドリの左」を意味する。アステカ帝国で最も強に信仰されたであり、征した土地の土着信仰には普段干渉しない帝国が、信仰対にウィツィロポチトリを追加するようめていたほど(写本がど残っていない辺りあまり浸透しなかった模様)。信仰する部族や文明によって容姿は大きく異なっていたが、緑色ハチドリのみ一貫して共通の装具となっていた。投擲用のの形をした、火のシウコアトルを武器とする。シウコアトルは火、、熱をシウテクトリが精霊化した姿であり、放たれる太陽線は闇を祓う徴としてアステカ人に崇められた。

獰猛な女神コアトリクエコアテペック山で羽毛の玉を掃いていた時にウィツィロポチトリを妊娠するが、既に成長していた400人の息子コヨルシャウキが妊娠した方法にを立て、母親ごとウィツィロポチトリを殺しようと共謀。殺気を感じ取ったウィツィロポチトリは母親に「怖がるな、がやらなきゃいけない事は分かっている」とりかける。その間にもコヨルシャウキは400人兄弟の戦意を盛り上げ、戦いの準備を進め、軍隊のような行軍で山を登って来た。コヨルシャウキに率いられた兄弟が山頂へ辿り着いた時、ウィツィロポチトリはシウコアトルを携えて子宮から飛び出し、揮を執るコヨルシャウキの首を落としてコアテペックの斜面へと投げ捨てた。続いて400人兄弟を麓まで追い回す。彼らは応戦したがウィツィロポチトリには通用せずきにまで叩きのめされる。やがて兄弟たちは「もう十分だ!」と降の意思を示すがウィツィロポチトリの猛攻は止まらず、わずかに生き残った兄弟のみが南へ逃げ延びてスリアノスと呼ばれる民族となった。めちゃくちゃ強いウィツィロポチトリをアステカ人は崇拝して称え、そんな彼らに報いるためウィツィロポチトリも加護を与えた。アステカ族は太陽をウィツィロポチトリに、をコヨルシャウキに、々を兄弟に見立てており、太陽と月入れ替わりへ昇るのは追いかけているからだと解釈していた。

別の神話では宇宙創造した二柱のメテオトルから生み出された四兄弟の一人。ケツァル・コアトル、シペ・トペック、テスカトリポカがおり、トラロックテスカトリポカ(fate)様と呼ぶのはこの事に由来している。オメテオトルはケツァル・コアトルとウィツィロポチトリに「世界に秩序をもたらせ」と示し、協同で「火」「太陽」「地球」「男女人間」を作り上げた。

アステカ神話において戦闘死亡した戦士出産死亡した女性ハチドリ変身して彼の宮殿へ赴き、ウィツィロポチトリに仕えるとされる。スペイン人が書き記したフィレンツェ写本によると非常に頭明晰であり、しかも直接で見る事が出来ないため、戦士たちはを隔てて見なければならなかった。宮殿に送られたは4年後にハチドリの姿で生者の世界へ戻る事が出来たらしい。戦いにおいてもウィツィロポチトリは強大だった。2つの勢が対立した時、彼は敵対勢を率いていた女性リーダーのコヨルソーの戦士を打ち破り、胸を裂いて心臓を食べた話が伝わる。

テオティワカンにアステカ人を導いたのもウィツィロポチトリである。オービン写本によると元々アステカ人はアズトランと呼ばれる場所に住んでいたのだが、ウィツィロポチトリが彼らにアズトランを捨てて新地を探すよう命じ、そのを導いた。途中で先導役をマリナルショチトルに任せるも、マリルコを設立した彼女の判断にアステカ人が不満を抱いたため呼び戻され、やむなくを眠らせてを続けさせた。置いてけぼりを喰らったブチ切れ、コピルという息子を産んで復讐を代行させる。ここでもウィツィロポチトリは強かった。襲ってきたコピルを難なく撃破して心臓を抜き取るとテスココん中に投げ捨てる。数年後、ウィツィロポチトリはアステカ人に「からコピルの心臓を探し当て、その上に都市を建設せよ。その場所が永遠の住み処となる」と示。彼らは多くのの末、テスココに到達してテオティワカンを建設したのだった。

人身御供のであるウィツィロポチトリはアステカ神話の生け贄文化に深く関わっており、儀式によって毎日血がげられた。神話によると血はウィツィロポチトリの栄養であり、悪いやつらである駆けるや多くの兄弟を寄せ付けないようにするため常に血をめていた。もしウィツィロポチトリが他の兄弟に負けてしまうと世界が破壊されると信じられていたという。このような終末思想神話太陽伝説』において々の自己犠牲によって太陽と月が生まれ、そして動くようになった事に端を発している。したがって何かを成し遂げるには必ず犠牲が必要という訳である。々にげられる供物は食べ物、彫刻、うずら等があったが、める努が大きければ大きいほど大きな犠牲が必要とアステカ人は考えており、世界の破滅を防ぐ絶大な責任を負うウィツィロポチトリには人間の血や命が一供物となりえた。このため地位や性別に関係なく傷を付けて血を流した他、戦士に敗れた捕虜の血も供物となった。元々メソアメリカにも人身御供の概念はあったが、それを大規模かつ組織的に行ったのはアステカ帝国が初めてであった。ウィツィロポチトリの儀式には大量の生け贄が必要になるため、戦争と呼ばれる生け贄確保の戦争を敵対に仕掛け、捕虜の獲得に成功した戦士には地位向上の報酬が与えられた。しかし捕虜を得るのは大変難しく、複数人の戦士が結託してようやく一人捕まえるのが精いっぱいだったらしい。一方でアステカの戦士は捕虜を得る技術に長け、どれだけ少なくても40~50名をえていたとする資料もある。捕虜を生け贄にする事で敵対や征した恐怖心を抱かせるとともに、帝国に反発する首長や戦士といった反乱分子を始末する政治的意図も含まれていた。生け贄の近者を大神殿に招待して眼前で処刑する様を見せつけ、もし招待を断ればそれを口実に戦争を仕掛けるという人の心案件もやっていたという。

生け贄にされる者は石の上に寝かされる。儀式を執り行うはチャチャムーアと呼ばれる高位の祭6名。4人が犠牲者の四肢を取り押さえ、1人はを押さえつける。残った最後の1人が黒曜石もしくは火打石を切り裂き、脈動する心臓を摘出して全ての人に見えるように掲げられた後、ウィツィロポチトリの像に投げつけられた。残った死体は階段から転がり落とされて血を撒き散らす。これを生け贄がいなくなるまで繰り返す。儀式が終わると心臓殿の地下へ、遺体は火葬される。生け贄が戦争捕虜だった場合はバラバラにされて生け贄を提供した戦士貴族に贈られ、翌日の祝宴で他の料理ともども食べられた。

生け贄の儀式以外にもパンケツリストリと呼ばれる儀式がウィツィロポチトリにげられた。これは分身に扮した者がテノチティトランの大神殿を起点にトラテロルコ、トラパン、コヨアカン等を巡って生け贄を屠り、最後は大神殿へ戻ってくるという巡礼儀式である。分身が各地をしている間、殿では二手に分かれた戦士集団がテスカトリポカ祭のもと儀礼的戦闘を行う。ウィツィロポチトリにげる儀式でありながらテスカトリポカが関係するのはしい。貴族の居住区アカナンコでは民代表の戦士集団と貴族で占められた戦士集団による儀礼的戦闘が行われたが、特に貴族側が有利な訳ではなくあくまで等に戦った。また儀礼的としながらも死者が続出したという。これらの戦闘分身大神殿へ戻ってくるまで続けられ、戦いが終わると戦士たちは疲れ果てて地面に倒れ死んだように動かなくなるため、耳たぶナイフで傷つけられて強引に起こされる。

アステカ歴11月9日から28日まではウィツィロポチトリにげられたとされ、この期間に行われる儀式や締めくくりの人身御供は最も重要なアステカの祭りの一つであり、人々は1ヶ前から準備と断食を行う。アマランスの種と蜂蜜で作られたの像は、祭りが終わる末になると小分けされてみんな食べる事が出来た。しかしスペイン人に征された後はアマランスの栽培が禁じられてしまった。またアステカの守護でもあり、かの地で行われた戦争の勝敗は全てウィツィロポチトリが決めたとされる。

アステカ帝国が崩壊した後、コンキスドールは土着の信仰を破壊してキリスト教へと宗させるべくウィツィロポチトリをウイチロボスと呼び、ヨーロッパ悪魔と結び付けて文化的根絶を図った。写本や教会の文書では動物の脚、コウモリの羽、部の顔を持った典的な悪魔の姿で描かれ、ルシファーの命のもと共食い欲望を煽る醜悪な怪物扱いを受ける。それと並行して血をげる儀式中傷的に表現された。


トラロックウィツィロポチトリるため、テオティワカンには大神殿テンプロマヨールが建造された。1325年以降に土台部分が造られ、それから52年ごと6回に渡る増築によりピラミッド方式で第七層まで積み重ねられる。大神殿の頂上には2つの寺院が建立されており、北はトラロック、南はウィツィロポチトリが支配する聖域だった。神トラロックは豊と成長、戦のウィツィロポチトリは犠牲と戦争を表しているが、このように正反対の権を持つを相対配置するのはアステカ文化ではよく見られるという。16世紀のドミニコ会修ディエゴデュランは「この二柱は同等のを持つ仲間だと信じられていたため、常に一緒にいるように意図している」と評した。実際ナフア族もウィツィロポチトリが作物に好ましいをもたらしてくれると信じてトラロック像の近くでり、また戦争トラロックを貸すとも信じられていた模様。々の像の前で官がコバルを燃やして重厚かつ香り高い煙を発生させ、それを触媒にして界とのやり取りを行う「火の奉納」が日常的に行われた。1487年、アステカ人は二柱にげる大神殿を造るために4日間に渡って囚人を動員し、約2万400名を犠牲にしたと言われているが、これは後からやってきたスペイン人が捏造したプロパガンダとする意見もある。

大神殿テンプロマヨールはアステカ人にとって最も重要な施設であると同時に、征に現れたスペイン人に対して彼らが反旗を翻した徴的な施設でもある。1519年、反乱の予兆を嗅ぎ取ったスペイン軍は祭典に参加していた丸腰貴族8000~1万人(推定)を大量虐殺し、かろうじて生き延びた貴族大神殿を脱して中の同胞に窮地を知らせた。すると怒りに燃えたアステカ人が大挙して大神殿へ押し寄せてスペイン軍を攻撃。兵士7人を討ち取り、挟み撃ちにされた68名が捕まり、このうち10名が生け贄として処刑。切断された頭がスペイン軍へ投げ返された。残りの捕虜もその日のに皮を剥がされて全員死亡。その後、アステカ人の猛攻によりスペイン軍は100名の戦死者を出して内から叩き出されている。

1521年にスペイン軍が首都を征すると大神殿品や重な資料は略奪された挙句、破壊・解体されてメキシコティを造る材料になった。また内の西側半分にはスペイン堂(後のメトロリタ大聖堂)が建てられた。その後しばらく歴史の闇に埋もれていたが、19世紀末から20世紀初頭に了した考古学研究に基づいて一部の学者が細々と発掘調をするようになり、第二次世界大戦後に調が活発化。1987年にはユネスコ世界遺産に登録された。

性格

自らの正しさを信じ、これを底する鋼の優等生クールビューティーで冷酷・冷と自己評価しているが、語尾の「・・・ね」には様々な感情が乗っている上、怒りに駆られると気が強くなるため意外とのようだ。ただ頭明晰なウィツィロポチトリ形態だと冷静沈着になる様子。壇のやりを日課として欠かさず行うなどな性格。一方でだからか湿度がとても高く、この点はテスカトリポカも欠点だと捉えている。大抵のサーヴァントスリーサイズ把握しているミスクレーンに対しては「はぁ、ただの犯罪者ですか」「かなり気持ち悪い」と辛辣な評価をしていたが、交友関係が少ないという事で自ら友人になってあげるという優しい一面も持ち合わせる。

を奉る都市は強く、また美しいものでなければいけない」と考え、都市として正義と秩序の基準を「都市の繁栄と安全」に置く。このため「都市」「暮らし」「開発」といった単を多用し、作りの参考と称して他の都市の視察に赴くなど、都市というより不動産屋みたいな行動をよく取る。ネロが巨費を投じて作った黄金劇場奮したり、始皇帝房宮を変態の所業としつつも興味を隠せなかったり、オジマンディアス殿築に携わろうとするなど建造物に強い関心を抱いている。エリザベート・バートリーとも交友関係があり、彼女アンプにする発想を高く評価した。特にファーストサーヴァントであるマシュには対抗心を燃やしているようで、「(聖杯を)彼女に使う前にまず私を築して下さい、ね」とマスターにねだる。マシュに言及するサーヴァントは全体で見てもしい。同じ都市だからか東ローマ帝国コンスタンティノープル失陥については深く同情しており、「何より彼女皇帝(コンスタンティノス11世)の最期を悲しんだのでしょうね」とっている。彼女都市コンスタンティノープル女性のようだ。2023年のカルデアボーイコレクションで追加されたネモ(fate)台詞によると、よく彼に勝負事を挑んでいるのだという。当初ネモは何故ここまで敵視されるのか理解出来ていなかったが、マスターに「優れた建造物に対するライバル心」「競争相手として無視出来ないだけ」と理由を説明されて納得し、ちゃんと相手をするようになった。嫌いな言葉は「住めば都」。都市の衰退や危険に曝される事を悪と捉えるため、正義生きる者には褒めたり笑いかけたりこそしないが優遇し、悪に生きる者には叱ったり見下したりはしないが処刑する。まさに善・秩序属性らしい善き精の持ち

テスカトリポカの事は「様」と呼んで敬愛しているが、「人間たちを戦わせて死ぬよう仕組む」の考えと「都市を繫栄させる人間を守りたい」の考えは相容れず、慢している状態。ストームボーダーのシールド把握出来なかったり、魚雷と聞いての味を期待するなど、現代かぶれなとは対照的に近代技術に疎い。西洋の文化にも疎いようで、バレンタインデーの趣旨が分からずに相談しに行く描写もあった。また現代の装を好むテスカトリポカに倣い視察の際は自身も現代を着込む事がある。ロボットにも興味があるようで、を飛びながらミサイルを乱射するメカエリチャンに関心を寄せているが、あまりにも荒唐稽だからか童話の存在と勘違いしていた。

マスターとの関係は良好。アステカの言葉で官を意味するトラマカスキ(Tlamacazqui:提供者、与える者という意)と呼ぶ。好きなものに(婉曲ながら)マスターを挙げたり、嫌いなものにマスターとの二人きりの時間を邪魔する者を挙げている。宝具を使用した時に「愛しトラマカスキ」と叫んでいるからか、マスタートラマカスキだと答えるのにする乙女らしさを見せる。バレンタインイベントでは、シミュレーターで再現したハワイにてイチイチャベタベタするよう要しており、かなりの食系のようだ。Lv5に必要なポイントは2万7500。Lv1→2で8500も要されるが、その壁を乗り越えると徐々に要数が減っていき、Lv4→5へは僅か2500で済む。最初こそとして厳格に振る舞っているが、ある一線をえると気に入って一気に距離が近くなる感じだろうか。実は5のククルカンニトクリスオルタと同じ要数だったりする。Lv10にするには151万6000が必要。他にもラーマ、メカエリチャン(号機)、BB、本物及び妖精騎士ガウェイン、ラクシュミー、カイニス等がこのグループに所属。2023年7月5日より開催されたイベントミスティックアイズシンフォニー』では、サーヴァント休憩所に相性が設定されており、相性が良いと疲労回復までの時間が短縮されるメリットがある。トラロックの場合、マスターマイルームが良相性となっている。

またスペイン人を敵視し、思い返すだけで「頭がナウイ・キアウィトルになる」と棄している。ナウイ・キアウィトルとは第三の太陽で生命を絶滅させた火のの事である。殺意が高すぎる。

ステータス

ゲーム内性能

2部7章『黄金樹海紀行 ナウイ・ミクトラン』後編にて実装された恒常4プリテンダー。
霊基第三以降は封印されており2部7章18クリア後、開放可

プリテンダーだけあって大変トリッキースキルを持つ。特筆すべき点は敵全体のガッツを剥ぎ取り、味方に必中を付与するというオンリーワンな性の「戦争」。必中付与があるのは様のクソエイムを補うためとも言われる。「第三の太陽」にはフィールド特性にする効果があり、他には張角(fate)水着メルトリリスしか持たない希少なスキル。恩恵を得られるネモネロ水着カイニス、水着マルタ等との相性が良い。「」は味方全体にダメージカットを付与する使いやすいもの。宝具ヒット数の多い全体攻撃のためスターを稼ぎやすい上、自分を除く味方全体の宝具アップさせるので火力の底上げに有用。更にフィールド特性だとNP獲得量アップも付く事から「第三の太陽」の恩恵を自身も受けられるメリットがある。スカディシステムにも対応していて宝具を連射可

泣き所はプリテンダー共通の攻撃の低さ。特にトラロックHP偏重ステータスの関係上、他のプリテンダーより攻撃の低さが立ってしまい、攻撃有利が取れるクラスが相手でも火力を出しにくいのが辛い性:A+により与えるダメージが上昇しているものの焼け石にサポートするか、フォウ君や聖杯を投入して補うべし。

フィールドへの特性付与、ガッツ効化、全体必中付与という他にはい特殊スキルトラロックの強みと言えよう。特にガッツ効化は高難易度クエストでの起用に期待出来る。

作中の活躍

黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン

※ネタバレ注意
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 

第2部第7章『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』の「断章(Ⅰ)」にて、敵対勢オセロトルに属するサーヴァントとして初登場。

南米異聞帯へ突入した直後、ストームボーダーは巨人から空手チョップを喰らって撃墜され、第二冥界線手前の樹海に不時着。そこは頭の戦士オセロトルが支配する領地であった。トラロックテスカトリポカオセロトルの王イスカリ、武装した数のオセロトルとともにからの侵入者ストームボーダーを包囲。テスカトリポカ示を受けたイスカリが攻撃を仕掛けるも、カルデア軍団サーヴァントニトクリス(fate)及びマスターのカドックから抵抗を受け、数名のオセロトルが犠牲となる。そこへ、

なにそれ。笑える。人とかとか、立場で強さを競うなんて。
なら――の化身情である女はそのものである私に敵うのか。
――試してみましょう、ね。

イスカリに代わってトラロックが参戦。天空の化身たるニトクリスに挑戦する。
 

以下、2部7章最終盤までのネタバレが含まれるため折りたたんでいます。閲覧の際はこちらをクリック

神トラロックアステカ神話において級の知名度を誇る強大なであり、そのの一端を示すかのようにが降り出す。彼女の登場は文字通り戦況を一変させた。灰色から注がれる情の、血まみれで横たわるニトクリス、全くの傷で立つトラロックが見てもトラロック勝だと分かる状況。回復出来ないほど痛めつけられたニトクリスだったが、敢えてトドメを刺さなかった。それは慈悲ではなく苦しみ抜いて死ぬようにする無慈悲。そんな彼女の意図を知ってか知らずか、テスカトリポカニトクリス心臓を抜き取ろうとするが、を慮って「必要以上に、他の神話の血に触れるのはどうかと」と忠言。だがこの忠言が彼の怒りに触れた。に意見したという理由でトラロックの頭に玉による穿たれる。絶対的王である彼に意見するには内容の善悪を問わず命をげなければならないルールがあったのだ。あまりに自然な射殺にさすがのイスカリもを上げたが、テスカトリポカ相手では従うしかなかった。とはいえトラロックサーヴァント。当然弾程度では死に至らず、撤収の際にそのまま放置された。その後、U-オルガマリーの稲妻を受け、焦げとなって河に流れていたイスカリを保護。

次の登場は第9節「失われたの都」。オセロトルの本拠地メヒコシティにある殿にて、太陽に一人で出歩くイスカリを見つけて「不用心にも程があるわ」と諫める。前回のストームボーダー襲撃で捕縛したロリンチシオンを生け贄にする儀式を翌日に控えた。1年前から始まったこの儀式も終わりが近い。この時、トラロックは初めて現代の装をってイスカリの前に現れたようで、「その姿は?まるで汎人類史の人間のようですが……」と困惑を持たれている。どうやらテスカトリポカに「メヒコシティを守るなら、文明に溶け込む努を見せろ」「古くさいは嫌われる。オセロトルたちに時代遅れと言われるぞ」と言われ、渋々着替えたようだ。1年テスカトリポカとして育てられたイスカリは汎人類史の滅亡を掲げ、ディノスを滅ぼしてオセロトルの時代を築き、強き心臓げると意気込む。だが彼は一度カルデア軍団に敗れた身にも関わらず自信に全く陰りを見せず、増長しているのではと怪しんだトラロックは「汎人類史を甘く見ているのか、いないのか?」と問いかける。まるで一連の儀式の裏に潜む相を、彼の正体を知っているかのように。

第10節「ORTの日」にていよいよ生け贄の儀式が始まるが、ロリンチシオンを救出すべく祭壇までカルデア軍団U-オルガマリーが殴り込んで来る。衆の中、イスカリが古参オセロトルを率いて迎撃するが、苦戦している間に別働のコヤンスカヤによって生け贄二人は救出されてしまう。全てがカルデア軍団の計算通りに進みかけたその間、テスカトリポカが飄々と参戦。イスカリを下がらせた後、U-オルガマリーの相手をさせるためにトラロックが呼ばれ、彼女の登場に伴って晴れ渡っていた曇天からの土砂降りとなる。

ここで初めてトラロックとのバトル。毎ターン繰り出される「荒ぶるメストリアパン」は浮遊属性を持たないサーヴァントを強制スタンさせる悪な性であり、浮遊しのサーヴァントで戦うにはスタンを効化にするネモ生存させる必要があるのだが、トラロックネモを優先して狙う思考があるため防御手段に乏しいとネモがあっさり落ち、そのままられてしまう。これまで以上に人選が重要なバトルと言えよう。しかしが浮遊属性持ちなのかはゲーム上では見分ける手段がい。駒姫のようにどう見ても浮いてなさそうなサーヴァントが浮遊判定だったり、を飛べる設定のメリュジーヌが浮遊していない扱いだったりと見ただけの判別は困難(再臨の状態によって同じサーヴァントでも浮遊判定の有が変わる者までいる)。このため情報が出っていない最初期のマスターたちは体当たりでの調を強いられ、多くがトラロックに敗れ去っていった。更に毎ターン3万回復の「豊」を使用。火力が足りなければその時点で敗北が決定する。『ミクトラン』での鬼畜ポイントの一つ。余談だが、トラロックニトクリスに対して「河の氾濫なんて、あのには通じなかった」と評しているが、実際には浮遊属性ためゲーム中では普通に効く(ニトクリスオルタには本当に通じないが)。

命を奪うほどの自然の猛威を押し切ったカルデア軍団。だがトラロックの余裕は全く崩れない。彼女クラスを変化させ、もう一つの姿である古今独歩の軍ウィツィロポチトリに霊基を変化させ、すぐさま第2ラウンドが始まる。戦のだけあって攻撃の苛さはトラロック形態のではなく、毎ターン無敵付与と宝具を撃ってくる攻防一体のスタイル。ただ1回ブレイクすれば戦闘終了になる事、厄介な「荒ぶるメストリアパン」や「豊」を使わない事、クラスバーサーカーに変化する事から、無敵貫通の手段と高火力を用意出来れば簡単に決着がつく。

戦争たるウィツィロポチトリ形態はトラロック形態よりもかに強く、いつしか形勢逆転。戦闘導権はウィツィロポチトリに渡っていた。一部始終を見ていたカドックも「なんだアイツ、えらく硬い上にえらく回転が速い!本当に生物!?」と評し撤退を推奨する程だったが、テスカトリポカがそれを阻む。逃げ出したロリンチシオンに代わりカドックとマスターを生け贄にしようと迫る兄妹テスカトリポカ加護であるい煙がU-オルガマリーの攻撃すらいなし、カルデア軍団全に打つ手がくなる。全滅まで読み段階に入った時、思わぬ入者がを差す。

南米異聞帯の王ククルカンが祭壇へ乱入し、い煙を貫通してトラロックダメージを与えたのである。彼女は以前結んだ縁からカルデア軍団マスターに肩入れしていた。ククルカンの名を聞いて「マヤ霊は存在しないはず……でも、この陽気なは確かにケツァル・コアトルの――」と思考を巡らせるが、その隙を突かれてククルカンの接近を許し、慌てて放った攻撃は全く通用せず、強パンチを受ける。ウィツィロポチトリは石を砕きながら吹き飛ばされ、殿の壁叩きつけられて気絶。あえなく戦闘から脱落した。

デイビット令呪を受けたテスカトリポカ宝具を発動し、数日後の未来――宇宙より飛来した侵略体ORTによって崩壊したミクトランやメヒコシティの惨状を垣間見る。トラロックにとってメヒコシティやそこに住む市民を守る事こそが存在意義であり歓びでもあるため、あの惨状は十分動揺を誘うものだった。未来は一時的なもの。時間経過によって時間軸は現在へと戻るが、あくまで陽気な態度を崩さないとは対照的に、は絞り出すように言葉を出すのが精いっぱいだった。破壊の未来の当たりにしたトラロック静を取り繕りながら、テスカトリポカに「この都市戦場にする必要はないのでは?いえ、そもそもあのような怪物を使う必要は」と嘆願するが、願いむなしく聞き入れられず。またククルカンに敗れたのは「娯楽を娯楽と楽しむ自由」が足りないと摘され、人知れずする。何せ娯楽を受け入れるという事は新たな文化を受け入れるという事。かつて彼女は新たな文化を受け入れたがために滅んだのだから。テスカトリポカ示でとりあえず先ほどの戦闘の余波で破壊された自身の殿修理を始めるのだった。


にも結末は変えられない。今のままでは、にも……


第15節「戦争」で、官長ヴクブと結託したイスカリはディノスを滅ぼすべくオセロトルを率いてチチェン・イツァーに侵攻。を破壊して内に崩れ込んでいた。一方トラロックは別動隊としてチチェン・イツァー近郊で修理中のストームボーダーを単身襲撃。デイノニクス兄弟やディノスの迎撃を容易に蹴散らす。シールドって応戦するボーダーだが、戦況はトラロック優位に進み、あと30分しか持たない所まで追い詰める。しかし艦内では対トラロック用の秘密兵器が急ピッチで製造されていた。神話上でトラロックは一度ケツァル・コアトルに殺されている事を利用し、霊基グラフからケツァル・コアトルの権を取り出してコーティングした対霊弾頭をシオンネモプロフェッサー開発。続いて艦内から出撃したカドック率いるロリンチネモニトクリスチームトラロックを射程圏内の艦首右舷へ誘導するべく挑発を開始。ニトクリスとの舌戦が始まる。交わした言葉の中で「方は汎人類史を誇りに思っているのですね」「それなのにカルデアと敵対している。人理を守る汎人類史の英霊であるというのに」「トラロック女はテスカトリポカとは違う。自ら進んで血をめるではない」と胸の内を見透かされるが、負けじとトラロックもデイビットから聞き出した情報をもとに彼女の生前の行いを非難。「都市に住む以上は私の民。民のために血を流すのはとして当然、でしょ」と言い放つ。舌戦によりトラロックはボーダー破壊よりカドックチームの粉砕を優先。仕掛けに乗せられる格好となる。

ここで3回となるトラロック戦。「荒ぶるメストリアパン」は健在だが、毎ターン回復量が3000に低下、ネモ付きの固定パーティーのため浮遊属性持ちを選ぶ必要がく、1回ゲージを破壊するだけで戦闘終了となるため難易度が劇的に下がっている。動揺しているからだろうか。

戦闘自体はトラロックが優勢だったが、知らず知らずのうちに射程圏内の艦首右舷へと誘導され、必殺の霊子魚雷をぶち込まれる。直撃を受けた小さな体は遠く離れた樹海の方まで吹き飛び、は止んだ。当たれば確実に霊核までダメージが届く。たとえ霊核が残っていても戦闘不能は確実とロリンチは判断するが…。必殺の一撃を喰らったにも関わらずトラロックは健在。それどころか魔力が一回り上昇し、異常な霊基反応を伴いながらストームボーダーへと歩み寄る。「くそ、対霊弾頭でも効かないのか!?鉄壁にも程がある!」とカドックがづくが、「いえ、それは違います彼女霊ではありません」とニトクリス摘する。思い起こされる「民のために血を流すのはとして当然」というトラロックの言葉。人間のために血は流さない。特に血を欲するアステカの々が自ら血を流すはずなど。つまり彼女霊ではない。

彼女霊ではなく、もっと別のもの――
それも、場合によっては霊を上回る――

トラロック真名と隠された本当の実を悟ったはニトクリスは勝算がいと判断。カドックたちにボーダー内への退避を促した後、オルタ化に手を出そうとした。そこへ不敬極まる奇とともにカマソッソが乱入テスカトリポカとの契約オセロトルへの攻撃を禁じられているはずのカマソッソがトラロックに襲い掛かり、「!? き、貴様……!なぜ貴様が私を狙う!?」と驚愕を挙げながらく間に鋭利なで切り刻まれ、細切れにされた。突然の出来事に驚愕するカドックチーム。カマソッソく「あの女は正体を現そうとした。そうなればオマエたちはみな、祭壇をる生贄になっただろう」とし、「どうせ死ぬのならオレげろ!」という理由でトラロックを切り刻んだのだった。図らずもストームボーダーはカマソッソに救われる形となった。戦争オセロトルの勝利に終わり、太陽遍歴の奪取と恐竜王の殺に成功。しかし参加した精鋭2000名中16名しか生還者がいない壊滅に等しい被害をこうむった。

カマソッソに切り刻まれ、血を吸われ、連れ去られたトラロックミクトランの最下層、第九層カラクムルにまで落とされていた。彼女にとって幸運だったのはカラクムルが自身が召喚された地であり、加えて相性も良かった事から、全身に生々しい傷を刻まれながらも何とか戦えるレベルにまで回復

第18節「の都(アストラン/カラクムル)」にて、ORT復活させようとするデイビットテスカトリポカ阻止するべくカルデア軍団第九層地下に現れる。そのカルデア軍団の進撃を止めるため立ちふさがるようにトラロックが舞い降り、カルデアに最後の戦いを挑む。

テスカトリポカから「いいかげん正体を明かしてやれよ、ハチドリ」「名前を隠したままで勝てる相手じゃないぜ。さぼり々の仕事なんざ投げ捨てろ」「昔っから、オマエは人間のために戦う方が強かっただろう?」と正体を隠していた事をイスカリの前で暴露され、思わず様呼びを止めるほど怒りに駆られるも、彼にカルデア軍団の殺を命じられて本来の敵へと向き直る。樹海で1回、メヒコシティで2回ストームボーダーの前で3回、そして今回のカラクムルで4回。いずれもトラロックが優勢だったが、全て外的要因に邪魔されて決着がつかなかった。だから今度こそ雌雄を決する。カラクムルの地の利を得ているトラロックはこれまで以上にを発揮する事が出来る。ロリンチは「……まずいぞ。彼女の言葉は虚勢じゃない。この場所との相性がいいのか、今までで一番強い」「霊基に満ちている防御概念ハンパじゃない。攻撃じゃカマソッソだけど、防御では彼女が上だ」と困り顔で評し、正面突破を諦めて回を提案。しかしニトクリス不可能と考え、ここで消える事を覚悟した上でオルタ化。隠され続けたトラロック真名を看破する。

の名は(メストリアパン)!いや、その姿ではこう呼ぶべきか!聖地を抱くテノチティトラン!
二柱のった、中南米でもっとも栄えた水上都市と!

テノチティトラン――かつてアステカ帝国首都として繁栄を極めた都市で、スペイン人の征で破壊された挙句、残骸の上に現在メキシコティを築かれた今は亡きの跡。それがトラロックの本当の名前だった。真名看破に伴ってシバの霊基観測が安定し、霊基グラフにも登録される。隠された名前を見抜かれて動揺を隠せないテノチティトランだったが、ニトクリスオルタの挑発を受けての姿を見せ、最大のを以ってカルデア軍団との決戦に臨む。

開幕時から「岩が如き覇王樹(サボテン)」を自身に付与し、被ダメージを減らしながら毎ターンチャージを1増やす。1ターンにチャージが2ずつ進むため宝具連打されやすいが、同時にデバフの「宝具ダウン」も付与されているので威は下がる。この戦闘ではニトクリスオルタが強制参加。勝利するとトラロックに掛けられた制約が撤されて第三再臨が開放される。

己の全てを乗せた戦いはニトクリスオルタ勝利に終わり、テノチティトランは地面に倒れる。そして心臓を抜き出される事を覚悟しながら瞳を閉じるが、「今はその時ではない」「まだ成すべき事を残した生者の心臓は不要だ。生暖かくて気持ち悪い」と彼女は手を下さなかった。戦闘自体はニトクリス勝利だったが、オルタ化を強行した代償に消滅は避けられなかった。消える間際、ニトクリスは「イヤイヤ戦っている女の姿は、あの頃の、兄弟を失う前の私に似ていました」「戦うべき時、戦うべき相手。それが見えた時、自分を偽らないで」「民のために血を流すと言った、美しい都市の化身。その心臓には、まだ未練が残っているのでしょう?」と問われ、その言葉がテノチティトランの心の中でいた。その直後に戦闘の余波で足元が崩れ始める。マスターやカルデア軍団は溶岩の上へと放り出され、為す術なく落ちていく。そんな彼らを殿ロボのオメテオトル・テノチティトランの腕ですくい上げて保護し、ORTがある下層まで降ろしてあげた。

しかし不運な事にテノチティトランやカルデア軍団が移動した先にはテスカトリポカイスカリの姿があった。これは全なる利敵行為。敵であるはずのカルデア軍団を助けた理由をテスカトリポカに問われても納得の行く回答が出来ず、それが彼の怒りに触れる。後々足を引っられても面倒だと処刑を試みるテスカトリポカを直前で制止したのはイスカリだった。メヒコシティの守護であるテノチティトランが汎人類史の侵略者に手を貸すはずがない、と。その彼に「ヤツが守っているのは自分だけ」「アイツが一度でもオセロトルにを向けた事があったか?ないだろ?」「ヤツはどこまでいっても汎人類史の英霊だ。ミクトランの類人に肩入れする事はない」「本当の名前を明かさないヤツが、オマエたちに気を許していたと思うか?」と残酷な真実を突きつける。だがイスカリの哀願が届いたのか、テスカトリポカはテノチティトランの処刑よりカルデア軍団殺を優先し、その役割をイスカリが担う。

テノチティトランが自分たちを信じていなかった。この事はイスカリの殺意を萎えさせ、攻撃の冴えを奪い、とうとうカルデア軍団との決着がつかなかった。それならとテスカトリポカイスカリをORT起動の最後のにしようとするが、彼は自分でも分からない理由で己の使命を拒否し、「全てを破壊するORTを起動させる必要はない」とに意見したため、1年間手にかけて育ててきたにも関わらずあっさり殺される。その様子を然とした表情で撃するテノチティトラン。その後の戦闘U-オルガマリーが参戦し、テスカトリポカが敗死、最後にやってきたデイビットが自らとなる事で遂にORTが起動。停止していた巨が動き始めた事で崩れゆく第九層下層。マシュから一緒に脱出するよう促されるが、テノチティトランはカルデア軍団とは同行出来ないとしてカラクムルに留まった。

第21節「樹海決戦」では、終わりを迎えるミクトランをつぶさに見つめていた。もはや地底世界に安全な場所はい。ORTや射出されたの種子が植物以外の生命体を片端から殲滅。種子に殺された動物水晶化したのち砕かれてミクトランへと散っていく。傍らには物言わぬ遺体となったイスカリがある。ここに留まったのは崩壊する殿マントルに巻き込まれて死ぬためだったが、イスカリの遺体見つめているうちに正体不明の怒りが沸き上がり、ぼろぼろの体に打って殿の入り口まで移動する。しかしここまでだった。怒りは冷め切り、何もかも陶しくなってその場に倒れ込む。恐れていた未来は変えられなかった。メヒコシティは滅ぶし、ミクトランも滅ぶ。後はもう何処で死のうが同じだ。自分と同じように冷たくなったイスカリにそうり掛ける。彼女は彼の正体を知っていた。汎人類史におけるアステカ帝国最後の王モテクソ2世。征しにきたスペイン人を迎え入れて裏切られ、中南米の部族にも裏切られ、最後は自民に石を投げられて死亡した悲劇の王。汎人類史に強い憎悪を抱く戦士。そのを使ってテスカトリポカが土から作ったのがイスカリなのである。今から1年前、デイビットミクトランに来てからの事。彼のサーヴァントテスカトリポカによってカラクムルの地でテノチティトランは召喚され、それからはイスカリの教育係として彼の傍で成長を見守ってきた。…自分が汎人類史側の存在である事を隠して。ふと思い浮かんだ回想イスカリからも「イヤイヤ戦っている」と見抜かれていた事を思い出し、それに釣られて今際のニトクリスが遺した言葉が去来する。「その心臓には、まだ未練が残っているのでしょう?」と。それならばとテノチティランは最後ので立ち上がり――。

第22節「惑星を統べるもの」にて、自身が築き上げたメヒコシティへと戻るテノチティラン。止められないORTの暴威を前にオセロトルたちはもう逃げ出しているだろうと考えており、も居なくなった都市の中心でミクトランの最期を見届けて消えようとしていた。そんな彼女が見たのは活気あふれる並みだった。オセロトルたちは滅亡不可避と知った上で、自分たちの住み処である侵略者から守ろうと一致団結していたのである。「この場所でずっと暮らしたい」という意思が彼らを絶望的な戦いへと駆り立てていた。だが未曾有の脅威はオセロトルの抵抗を苦にも思わず、遂にメヒコシティの外縁部に到達。オセロトルは防衛線を都市内部にまで後退させて抵抗を続ける。そんな彼らを守るかのように殿ロボ、重機動心臓都市メテオトル・テノチティトランがORTの前に立ちふさがる。
 
 
この、クッッッッソ侵略者!
それ以上、私のに踏み入るな――!
 
両腕で高速回転するORT円盤を食い止める。しかしそれは一時的なものだった。圧倒的なの差により円盤の回転は止められず、押さえつけた両手は爆発して元の石塊となってボロボロと落ちていく。オメテオトルはテノチティトランそのもの。受けたダメージはそのまま操縦者のテノチティトランに返ってくる。両腕を粉砕する痛にされ、あまりの痛さにも悲鳴も出るし、後悔の念も抱く。汎人類史でもこの異聞帯でも自分は何も守れない。必死になってORTを押さえつけても稼げた時間は1分も満たない。何も出来なかったと己のさを思い知り、無様に倒れようとした時、自分を守って戦っているオセロトルたちの姿が映った。彼らは逃げようともせず、汎人類史では守るための戦いさえ起きなかった必死に守ろうとORTに喰らいつく。こので生きたいと願う者がいる限り絶対に屈しない。折れかけた心が補強され、宿った戦意を武器に再びORTを押さえつける。


が名はテノチティトラン!
戦士たちを祭る壮麗なるの都!
死してなお甦る、アステカ世界心臓なり――!


本来1分すら持たないところを彼女は最後の意地で2分間持たせてみせた。この僅かな時間が奇跡に繋がった。テノチティトランの奮戦により太陽遍歴を持った官ヴクブがメヒコシティから脱出する事に成功。これに伴って人工太陽チチェン・イツァー方面へと移動を始め、それに釣られるようにORTが針路変更し、メヒコシティから離れていったのである。生き残ったオセロトルは僅か数人、致命傷を負った彼女も命が尽きかけていた。だが彼女は今度こそ自分のを守り切った。スペイン人よりかに強大なORTから。最後の大仕事をやり遂げた事で未練がくなり、テノチティトランは静かに息を引き取った。陽に照らされた殿並みに見送られながら――。

都市に芽生えたはここまで。
ハチドリは墜ちて、に、帰りましょう。

正体

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真名建造

テノチティトラン

トラロック/ウィツィロポチトリの正体は、1325年3月13日から1521年8月31日に滅亡するまでアステカ帝国首都だったテノチティトラン。当時の中南米欧州をも駕する治技術と建築技術を持っており、それらのノウハウを活かして生み出されたテノチティトランは設計・市場・規模・人口・農業社会的機、どれを取っても世界一水上都市であった。その美しさはスペイン人ですら感嘆したほど。元々彼女に住む名の精霊だったが、そこへやってきたアステカ人がテノチティトランを建設。本来精霊は人を避けるもの。しかし人々の営みに惹かれた精霊都市に留まり、いつしかテノチティトランと一体化。同地で深く長く信仰されていたトラロックとウィツィロポチトリの権を使えるようになった。つまり彼女都市擬人化である。20年間続くFateシリーズ都市英霊化した例は彼女史上初

であるはずのトラロックやウィツィロポチトリと性別が異なっていたのは、女性精霊が二柱の権を借り受けていたため。本人く「トラロックもウィツィロポチトリも偉大な方ですので、彼等らしく振る舞うのはが折れますが」との事。よって第一再臨での姿はを演じていたものと思われる。ちなみにはテノチティトランに、得られた栄は元の二柱へ還元しているので双方得をする関係にある。実は『ミクトラン』前編の時点でテスカトリポカから「都市」と呼ばれていたり、嫌いなものにスペイン人を挙げていたりするなど所々ヒントが散りばめられている。の姿であるテノチティトランが最もを発揮出来る形態であり、その実はカマソッソくカルデア軍団全員血祭りに上げられるほど。一歩間違えばカルデア軍団南米異聞帯で終わっていた可性すらあった。彼女台詞にある「マリンチェに死を」のマリンチェとは、征エルナン・コルテスアステカ人との間に入った通訳の女性で、後にコルテス結婚した人。メキシコの生まれでありなからスペイン人に手を貸したため憎悪している。現在メキシコでも評価が分かれており、「裏切りの具現」「邪悪な陰謀を企む悪女」「メキシコ人の徴的な」「メキシコの建者」など千差万別。

『ナウイ・ミクトラン』ではカルデア軍団が訪れる1年前、最第九層カラクムルにてテスカトリポカに召喚される。このためテスカトリポカマスターであるデイビットに対しては特に敬意を払っていないが、テスカトリポカを通じてデイビットに協する事になる。強なディノスの心臓げてORT復活させるべく種として誕生したばかりの類人オセロトルに味方し、モテクソ2世と土で作られたイスカリの教育係をこなす。第五層にメヒコシティアステカ――もといテノチティトランと同じ設計で作り上げ、そこに住むオセロトルたちを護下に置く。その威容と活気はU-オルガマリーから「この都市は悪くない!“生き抜こう” “良くなろう”というエネルギーに溢れている!」と評された。彼女にとっての住民を護る事が存在意義かつ歓びであり、汎人類史の存在でありながら人理と敵対するを選んだ。しかし人理を裏切る事に抵抗があったのか、異聞帯の存在であるオセロトルを全には信用しておらず、イスカリにすら真名を隠し続けるなど何処か冷めた見つめている。またテスカトリポカ(fate)とデイビットが成し遂げようとする的はメヒコシティもろとも世界を破滅させるという、彼女の存在意義を全に踏みにじるものだった。このため嫌々戦っておりその事をイスカリやニトクリス(fate)に見抜かれている。ニトクリスの言葉で心が揺らぐ中、カルデア軍団を倒そうと何度も立ちはだかるが、あろう事かテスカトリポカイスカリに「真名を隠していた事実」をバラしてしまう。この仕打ちに彼女昂、思わず様呼びを止めてしまう程だった。様々なの末、遂にテスカトリポカを裏切る覚悟を決め、溶岩へと落ちるマスターたちを身を呈して助けた。そしてこの時に抱いた未練がメヒコシティ防衛の原動となり、ORTの脅威からのみならず太陽遍歴を運ぶヴクブをも守り、カルデア軍団に勝機を残す超絶ファインプレーに繋がった。カルデアに召喚された後の彼女較すると『ナウイ・ミクトラン』時はかなり抑圧されていた事がえる。

都市擬人化なので基本的に人間が好き。人間という動物愛しているとも、都市の自分をる一要素として好んでいるとも言われる。テスカトリポカく「昔っから、オマエは人間のために戦う方が強かっただろう?」との事。ただしスペイン人とマリンチェにはしい憎悪を抱く。それもそのはず、彼らはテノチティトランを破壊してメキシコティを作り、彼女の生まれ故郷であるメストリアパンの生態系と環境を破壊し尽くした挙句、底的な排工事でそのものを干上がらせた鬼畜だからである(現在でもメキシコティ環境汚染しい都市として有名)。差し詰め彼女スペイン人に何度も殺されているようなもの。よくアヴェンジャークラスにならなかったなって…。都市は綺麗に…」「は綺麗に!常識でしょうが!マグマのシャワーで洗い流す!」「ごみ掃除」など綺麗好きな面が立つが、これはテノチティトランが環境に配慮した都市だった事、住民に定期的な清掃が義務付けられていた事に由来する。

世界最高の技術で生み出された都市にも関わらず飽くなき向上心を抱いており、他の都市を視察して良い所があれば積極的に取り込もうとする。に関連するサーヴァント興味を持っていたのも都市の自分を高める参考にするためだった。コンスタンティノープルを「彼女」と称した所を鑑みるに、テノチティトランと同様精霊と一体化した都市が他にも存在する可性がある。また気に入った相手には露なまでにテノチティトランへの移住を薦める。礼装ではマスターの住む実家リサーチした上で引っ越しを迫り、一軒プレゼントするというシュールもの。またモデルケースの名でしれっと同居しようとする。「アストラン・マイホーム」のアストラン(Aztlan)とはアステカ人が最初に住んだ神話上の場所をす。ウィツィロポチトリの託で彼らはアストランを出発し、何年に及ぶ流浪を経てメストリアパンにテノチティトランを築くという、言わばアステカ族の始まりの地である。今までマスター家族を名乗るサーヴァントは複数いたが、住居という盲点から攻めたのは彼女が初であり、正妻戦争の新たな挑戦者として界を賑わせた。地作成:EXを持っているため一軒を用意するのは造作もないようだ。実際『ナウイ・ミクトラン』でもメヒコシティの土台こそテスカトリポカ(fate)が作ったが、並みはテノチティトランが作った模様。第三再臨の姿は最高位の官にしか見せないなもので、イスカリやにも見せなかったの姿。その姿をマスターに見せるという事はつまり…。

実は彼女の胸中には一度滅んだ都市としての積がある。自分を築いたアステカはスペイン人に征されて滅び、テノチティトランも破壊された。もう一度都市として存在出来るのなら、それがどんなに小さな世界であっても、今度こそ都市に住む生命を守りたい。そこには強い願いが込められていた。第一再臨(トラロック形態)時に好きな物として「黄金、織物、沢山の羽飾り、工芸職人の作る黒曜石。大通りに並んでいた物は、みーんな好きです…よ」とっているが、これらはテノチティトランの市場に並んでいた品物。首都には帝国全土から貢納された希少品が全て集積されて世界一市場が築かれていたのである。またアステカ帝国に献上された金銀財宝も保有しており、マスター誕生日に勤勉さを労って特別に宝物庫を開放してくれる。アステカの忘れ形見、の跡とも言える財宝は彼女にとって大切なもので、テスカトリポカにすら明かしていない秘密の宝物。それをマスターにのみ好きなだけ分けてくれる。

何気にクラススキル7つも持つ。これはディオスクロイ(fate)に並ぶ最多記録であり、またディオスロイと違ってマイナス効果が一つもいため、純に多くのスキルの恩恵を享受可。プリテンダーらしくトラロック、ウィツィロポチトリ、テノチティトランの権を全て持っている訳である。自分自身が都市擬人化なので地作成スキルは規格外のEX、二柱のを宿しているためはA+に達する。他にも辺のある戦場価を発揮する辺版単独行動こと辺の営み:A+、実質カリスマ上位互換戦争:A、フィールドにいる間は自身を除く味方全体のArtsカードを強化する都市国家同盟:A(フィールドにいる間のみ効果が出る系統は現状6種類しか存在しないレアスキル)、自身にNP付与と毎ターンNP獲得状態を与えてフィールド辺にする第三の太陽:A、Arts、Quick、クリティカルを一挙に上げるとともに味方全体にダメージカット:EXと独特なスキルを持っている。見ての通りいずれもA~EXと非常に高ランク。これをえるのはアルジュナ・オルタのような異次元の存在くらいなので、如何にテノチティトランが破格なのかを雄弁に物語っている。アステカ神話の有名な二柱と最高級の水上都市加護を受けた強霊級サーヴァントと言えるだろう。一方で本体は精霊に過ぎないためか自身のパラメータはD~Bと低め。

通常、サーヴァント真名看破されると弱体化したり不利になる。しかしテノチティトランは正体を明かすと逆に強くなるという数少ない例外。そもそも彼女英雄ではなく都市擬人化のため正体が割れても弱点となるような逸話がく(実際対トラロック用権を搭載した霊子魚雷すら致命傷にならなかった)、対策のしようがない反則的存在。この事も防御の高さに寄与しているものと思われる。

型月世界でのは人類の安息と繁栄をもたらす人理の収束点(パワースポット)、地上にありながら内海と同じ霊脈を持つという、しれっとトンデモない設定が明かされた。その場所に生まれたテノチティトランの精霊は実質楽園妖精と同格と言える。

ステータス

アステカ帝国興亡記

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ここからアステカ帝国亡と首都テノチティトランの歴史を見ていこう。

物語舞台となるテスココ(メストリアパン)は、メキシコ中部メキシコ高原に位置する自然。北部のシャルカン南部ソチミルコとも接続していて広大であった。底に多くの塩分を含んでいるテスココシャルカンズンパンゴは、南東部のソチミルコチャルコは湧があったため淡といわゆる汽であり、かろうじて農業には使用出来たものの飲用には適さない。mētz-tliで「」を、apanで「」を意味する事から言葉的にはメストリ/アパンとなる。決してパン名前ではない。

その成り立ちは約7万~1万年前の最終氷期まで遡る。シャルカンからは60頭のマンモス化石が発掘されており歴史雄大さを静かに物語る。プロイセンの博学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが「空気が最も清浄な領域」と評するほど自然豊かで綺麗なだったとされ、メキシコ渓谷から追いやられた生物にとって最後の楽園であった。このため固有種のアホロートル(サンショウウオ)、サギ両生類、藻などが群生し、外部からは多くの渡り鳥がテスココして飛来していた。

実際に人が住みだして農業を始めたのは7000年前頃とされる。紀元前1700~1250年の間にの北東部にて幾つかの集落が誕生。テスココで野生動物を狩って生計を立てていた。西暦1世紀頃に古代メソアメリカ都市テオティワカンが誕生し、当時のアメリカ大陸で最も人口が多い栄えた都市となったが、7~8世紀頃に侵略者から攻撃・放火された事で壊滅。しかし以降もショロク、アスカポツァルコ、コヨワカン、クルワカン、チマルパ、チマワカンなどテスココの周囲には都市が築かれ続けた。当初は関係が拮抗していて平和な時が流れていたものの、次第にを付けたアスカポツァルコのテパネカ族が1300年頃までに周囲一帯を支配。その支配を揺るがす事になるのが、メキシコと呼ばれる鬱蒼としたから100年の流浪を経てやってきたアステカ族、テノチティトランを築く彼らである。

清潔なる先進都市テノチティトランでの暮らし

に定住するにあたって最初に直面したのがの供給問題である。先述の通りメストリアパンは淡が入り混じる汽のため飲用農業が確保出来ず、当初は近くのチャプルテペックのから清水を輸送しなければならなかった。の上に生活基盤を築くのは地上より難しかったが、ウィツィロポチトリが定めた永住の地という事でアステカ人は知恵を絞り、少しずつを作り上げてゆく。

優れた治技術を持つアステカ人たちは防となる土手を南北に建設。こうする事でを遮断して東部を淡化させる。防はダムの役割も担っており、網状の濾過装置で不純物が入らないようにし、また位が上昇すると洪水を防ぐため閉じる仕様になっていた。続いて西側にあるチャプルテペックの丘から石造りのを引き、わざわざカヌーで輸送しなくてもが手に入るように工夫している。

の端ではチナンパと呼ばれるイカダの上にを作る農法を以ってトウモロコシカボチャトマトインゲンマメ、エパゾート、タバコ、綿等を栽培。ミネラルが豊富な底の土と淡を使っているため肥料や農を使わずとも大きく育つ特徴があり、年間を通して耕作が可、収穫量も多い(トウモロコシであれば従来1ヘクタールあたり3トンだがチナンパでは5トン)と現在ソチミルコでも使用される程の先進的なものだった。1年間に3~4種類の作物を育て、収穫が終わると事前に用意しておいた苗を植えるという効率的なサイクル食料を生産し、肥大化する人口を食べさせ続けた。農業に関してもアステカ人はヨーロッパ人より優れていたのである。

メストリアパン天然が豊富だったため動物狩猟してチナンパの肥料にしている他、他都市との物々交換に必要な物も十二分に確保。中でもアステカ人はエビ類やリュウゼツランから醸造されるプルケというを好んでいたらしい。テノチティトランでは食を生産する術も用意され、野菜魚類を全て摂取出来る実に健康的な食料供給体制を獲得。膨れ上がる人口を養えるだけの生産量を常にキープし、余剰分はアステカの戦士たちに与えられて版図の拡大に一役買ったんだとか。1449年に大規模洪水が起きた事で更なる防が建設され、位を調整する効率的な汽分離システムが作られた。

テノチティトランと陸地を結ぶ土手は全幅15mの石造りで出来ており、1449年の洪水以降に作られた土手に対する耐久性を上げる的で粘土や土も使用されている。当初は南北の土手だけだったがアステカ帝国の拡に伴って土手が増設されて交通の便が向上。敵に攻められた時に備えて土手を切り離す機も用意されており、都市防衛も視野に入れられていた事がえる。水上都市だけあって徒歩以外にもカヌーが移動兼輸送手段に活用されていた。多い時は1日に約6万隻が往来していたという。テノチティトランに住む居住者は全て貴族商人奴隷等で農民は一人もいなかった。年代記によると彼らには定期的な清掃と土手の点検が課され、内で出たゴミ焚き火できっちり焼却処分されるなど環境に悪が出ない清潔な都市であった。住民たちは入浴を好み、人口のどが1日2回、初代モテクソマ王に至っては1日4回も入浴するほどの綺麗好きだったらしい。も住民も綺麗だったと言えよう。アステカ族がメキシコ周辺の部族を支配して繁栄していくごとにテノチティトランも拡充工事が行われ、遠く離れたイン帝国メキシコ湾、太平洋から輸入品を運ぶ商業ルートを新設。通貨にはカカオ豆と豆を使用していた。経済自給自足の基盤を手にしたテノチティトランは世界一と呼べる巨大市場に発展。宮殿に鎮座するモテクソマ王はメキシコ中部から南部にかけて500万人に及ぶ帝国民を支配していたと伝わる。

帝国政治形態は君主制に似ていた。素晴らしいスピーカーを意味するヒューイトラトアニという名の王が頂点に立ち、その下にテノチティトランの各地区を治める首長(カプレック)が存在。首長は毎日殿へ出向いて王の意向を聞き取り、自身が議長を務める討議会政府の方針や人選を決める。裁判官、役人、祭など国家運営に関わる重要な役職の任命は王が直々に行う。特に裁判官は最高幹部だろうと逮捕出来る強大な権限を持っていたため前科持ちは決してなれなかった。王が死去した場合、討議会を開いて後任者を選出する。

アステカ帝国はその広大な版図とは対照的に常備軍を有しておらず職業軍人の概念が存在しなかった。したがって時は商人や農民として過ごし、戦時のみ徴兵されて武器を握る。ただ一部の上級戦士地帯に建てられた要塞に駐留する戦士は終日働き続けた。戦士教育は男に生まれた時から施される。出産時、左手右手に矢を握らされ、短い儀式を行った後へその緒は有名な戦士によって埋葬女の子だった場合はへその緒を暖炉の下に埋められる。戦士は下層階級だが、士官クラスになれば年齢問わず貴族と同じ扱いを受けられるため、戦士職は一般人が成り上がれるでもあった。また上級の戦士警察的役割をも担った。常備軍を持っていないとはいえ男子全員訓練を受けているため戦争に即応可な体制が築かれていると言える。戦士として一人前と認められるには敵国戦士を捕虜にする必要があり、捕まえた戦士が多ければ多いほどランクが上がって装飾も手なものになっていく。西洋の軍隊のように「下士官」「将軍」といった階級も定められていたようだ。貴族出身の若者戦場へ行く場合、両が有名な戦士賄賂を贈って捕縛のサポートをさせる事もあったとか。戦士だけでなく商人もまた帝国にとって重要な戦だった。ポクテカと呼ばれる商人たちは勢圏外々とも交易するのだが、その際に王の命に従って情報収集するスパイ活動も行い、彼らからもたらされる情報は今後の軍事作戦をも左右する重な情報となりえた。勢圏が拡大するにつれて遠方からの情報が入りづらくなるため商人の重要性はより増大。このため仮に商人が殺された場合はそれを口実に戦争を仕掛け、危険な地域へ向かう時は戦士を護衛に付ける事もある。商人以外にも帝国キミヒチンというスパイへ送り込んで情報収集させた。商人が移動しながら情報を集めるのに対しキミヒチンは一つのに留まって活動。地形の調、敵軍の詳細、要塞の位置、戦士の動員状況、反体制を握らせて情報を得るなど現代に通じるスパイ活動を行った。キミヒチンは怪しまれないよう間のみ移動し、その地域に沿った衣装と言を巧みに使用して情報を引き出す。もし捕まれば死は避けられないため帝国から手厚い補償が受けられたという。このようにアステカ帝国戦士による押しだけでなく情報戦にも注しており、これが連勝の要因となった。

テノチティトランは性別、身分、地位に関係なくほぼ全ての子供義務教育提供した世界都市であった。10歳になると庭での教育が始まり、15歳から20歳まで学校に通う。学校は大別して2種類に分けられ、軍事技術や戦法を学んで戦士を育てる兵学校。もう一つは天文学、執筆、学等を学んで専門職を育てる学校が存在。一般的な庭は前者の兵学校入学し、の冷浴やハードワークに代表されるスパルタ式の厳しい訓練を受けて戦士体と心構えを得る。20歳になった時に希望すれば戦場へ行く事も出来るが、大体の生徒卒業とともにへと帰っていく。後者貴族子供祭、導者、芸術家、ヒーラー(薬剤師医者のようなもの)になるために入学した。女性のヒーラーは助産婦にもなれるとか。どの学び舎でもアステカ人としての礼節はしっかり教え込まれる。

アステカ族は多くの罪人に対して処刑という態度で臨んだ。殺人中傷、偽強姦強盗、他人の財産の破壊等は処刑に値する重罪として扱われる。処刑される罪人も生け贄の儀式げられたが、通常の生け贄と違って名誉も何も無い、ただただ殺すためだけに行われる。一方で処刑する程のものではない軽犯罪犯人の破壊や散、盗んだ商品の支払いで済んだ。10歳未満の子供は罪を犯せないと考えられていて仮に法を犯しても打ち程度の刑に留まる。ただし両に危を加えたり殺した場合は処刑される。

レジライコロンブス時代においてテノチティトランは中南米どころかアメリカ大陸最大の都市であり、メストリアパン(テスココ)の水上に築かれた先進的かつ美しい最高級の都市だったと言われている。その技術は征に訪れたスペイン人すら驚かせた。ベルナル・デイアス・デル・カスティージョは「から立ち上がる大きな建物はまるで魔法のようだ」「にも思わなかったの当たりにし、どのように説明すれば良いのか分からない」と記録に残している。当時の人口は20万~40万人と見積もられた。これはヨーロッパ都市でいうパリコンスタンティノープルに匹敵する規模で、土地の面積ロンドンの5倍に相当する。スペインで最も人口が密集している都市ですら1万5000名なので如何にテノチティトランの人口が膨大だったかが分かる。

アステカ族の始まり

アステカ族は定住の地を持たない流浪の民であった。神話上では当初チコモストックと呼ばれる地球の内部に住んでいたが、7つの洞窟を通って地表に進出し、鬱蒼とした木々が生い茂るアズトラン(き場所という意味)に住み着く。そこへ部族ウィツィロポチトリがアズトランを出て永住の地を探すよう命じた事で南下を開始。一説によると890~1111年の間に漁師と戦士グループがアズトランを出発したとされる。1163年にトゥーラ近郊のコアテペックに一度を下ろすが、を続けたいと終わりたいに分裂して内部抗争が勃発。着のすえは続行される事になった。

彼らが歴史の表舞台に登場したのは、1168年にアナワクバレーで確認された時だった。メキシコ北部から、もしくはアメリカ西部から流れ着いたとされる。彼らは安住の地を見つけたとしても長くは留まれなかった。というのもアステカ族は最後にメキシコへ到達した北の部族であり、土地の大部分はいずれかの都市国家の勢圏になっていて、そこを支配するとの対決が避けられなかったのである。支配者にを付けられて武闘争が起きれば逃げるようにを再開した。放浪している間にアステカ族は各部族の文化を吸収して着々と成長。しかしアステカ族には女性が極端に少なかったため、他部族から女性を誘拐しまくった結果、アナワクバレーの全部族に敵視されるようになり、一部は捕まって奴隷にされたという。10005000名程度しかいない弱小のアステカ族には応戦する事すら出来なかった。それでも彼らは部族間で行われた戦争に参加し、そこで勇猛を示した事で諸部族からの信頼を勝ち取る。褒美に何が欲しいかと問われた時、アステカ族は尊敬される一族に成長するためにリーダーを要し、美しい少女が与えられたが、アステカ族はその少女を生け贄にして自然女神に見立ててしまった。この時には既にウィツィロポチトリ信仰による終末思想が根付いていたと推測される。何も知らない父親結婚式に出席するかのように訪れると、そこには変わり果てたの姿が。当然父親激怒。部下の戦士をけしかけて報復の大虐殺を行いアステカ族は逃げ出した。

テパネク帝国の従属として

1325年、100年の流浪の末にメストリアパンへ辿り着いたアステカ人はの西に近くに小島を発見。ここはどのにも属していないメキシコ最後のフロンティアであった。そこを中心にして大きな人工を作り上げた。これがテノチティトランの始まりである。現在では1325年3月13日に建設された事になっているが、実のところ起明らかになっておらず、600周年記念の節となる1925年に便宜上制定したものを使っている。テノチティトランは「ウチワサボテンの中で成長する岩の間」という意味(諸説あり)。こうして永住の地テノチティトランを築いたアステカ族であったが、この時はまだ信仰の統一化がなされておらず、ウィツィロポチトリを信仰するに反発した閥が現れて内部抗争が勃発。最初の敵は身内だった。建設から12年後の1337年、反対トラテロルカ族がテノチティトランから離反し、北部のに新たな国家トラテロルコをしてテノチティトランと敵対する。トラテロルコとは「丸みを帯びた地球の丘」という意味。彼らは作りを要な産業にしていた。

太陽ウィツィロポチトリを信仰するアステカ族は血をげるための生け贄を常に欲しており、生け贄確保の的で版図の拡大を企図するようになるのは当然と言えた。しかしメストリアパン周辺には既に数々の都市国家が存在し、中でも一帯を束ねるテパネク帝国は強大過ぎて下手に動けば滅ぼされかねない。そこでテノチティトランは最も強大な勢であるテパネク帝国首都アスカポツァルコ貢して属となり、戦士を供給するといった支援を行う見返りにテパネク帝国が征した土地の一部を分けてもらう事に。トラテロルコも存続のためアスカポツァルコ下に入った。1375年、20歳のアカピチトリが最初の王に就任。各地区を治める20人の首長から次々にがあてがわれて多くの子を残した。1376年、アステカ族とチャルコ族との間で戦争が生起。8年間続いたこの戦争では両営とも戦士を生け捕りにしては解放するという奇妙な行動を取った。1414年にチャルコ族と二度の戦端を開くが、この時はもう捕虜が解放される事はかった。テパネク帝国ライバルであるアコルワを滅ぼすため戦争を仕掛け、テノチティトランもテパネクの側に立って参戦。時の王フイツィリウィットルは戦士でもあり、テパネク帝国作戦を効率的に支援した他、政略結婚による同盟強化の成果も挙げるなど大変優秀であった。その甲斐あってテパネクは1418年に見事アコルワを下して勝利。褒美としてアコルワの首都テスココを与えられた。

しかし両国の関係は長くは続かなかった。テパネクのアコルナワカトル王と次代の王テゾゾモクはアステカの支援により躍進したが、彼らの死後に国王となったマクストラアステカとの同盟関係を維持出来ないまま暗殺され、そのまま泥沼の内部抗争が勃発してテノチティトランのトラトアニ(統治者)チマポポカも暗殺される。自の王を暗殺されたテノチティトランはテパネクに対する下上を決意。1427年、新たな統治者となったイツコアトルは敵の敵は味方理論で、帝国と対峙するトラパンや属テスココと同盟を締結し、テノチティトランが中心となってアステカ帝国が誕生。翌年三同盟はテパネク帝国戦争114日間に及ぶ攻防戦を制してアスカポツァルコを攻め落とした。残ったテパネク領もテノチティトランに征され、三同盟に分配。テノチティトランはの南北を、トラパンアスカポツァルコを含む西部を、テスココは東部を手に入れた。こうして下上は成功。覇を歩むための土台を確保するとともにメキシコ渓谷導権はアステカ帝国に移った。アスカポツァルコには経験豊富な細工師のグループが置かれ、絶え間なく届く原材料を加工して帝国に納める事がめられた。1430年までに先進的な文化を吸収して軍事を向上。

アステカ帝国の大いなる飛躍

続いて権基盤を確たるものにすべくテスココ南方都市国家群を征する事にし、クルアカンソチミルコ、クイトラワク、ミズクイック等を次々に撃破。肥沃な大地や生産性の高い経済地を獲得して食糧事情は大きく善され、トラパンやテスココに対する絶対的優位性をも確保。南方を勢圏に収めるとテノチティトランと南を結ぶ土手の建設工事に着手。これにより南部への交通の便が劇的に向上した。1433年、アステカ帝国はモレロ渓谷のクアウナワクを征して一気にを高めた。1440年にイツコアトルが退位すると初代モテクソマ王が即位。彼は征したの忠心を試すため大神殿の拡充工事という名で各都市から労働を徴発。どのは素直に従ったが、チャコル族の都市国家アウィリサパンが反発。言う事を聞かないチャコル族を殴りつけるためアステカ族はベラクルス中部と北部とで攻勢作戦に転じ、アウィリサパンごとコサマロパンクエトラトランを征。あらゆる製品や原材料の供給体制を築き上げた。

1450年、十の(マトラクトリ・トチトリ)と呼ばれる年に帝国全土が異常レベルの降に見舞われた。燥地帯のメキシコ地にが降る事自体が極稀だというのに背丈の1.5倍にも及ぶが積もり、多くの々が損壊もしくは倒壊し、植物は全て枯れ、過酷な冷え込みに伴って酷い風邪が流行。とりわけ高齢者の病死率が高くなった。この異常により向こう3年間は農作物が壊滅状態に陥り、人生き残れないと思えるほど大勢の人間が亡くなった。生き残った人々は自分の子供を代にして災害を受けなかった地域からトウモロコシを購入。初代モテクソマ王も支配域からの貢納を6年間停止するとともに穀物庫に保管していた10~12年分のトウモロコシ放出して領民を守ろうと最善を尽くした。しかし災害による被害は留まる所を知らず、あらゆる原で若い男女が死に絶え、チャルコでは飢えたジャガーコヨーテが人を襲う事態まで発生。未曾有の災害アステカ帝国軍事行動さえも止めてしまった。飢饉から逃れられたのは幸運にもが降った地域のみだった。テノチティトランの官たちはこの異常を「々の怒り」と考え、怒りを鎮めるために多くの生け贄が必要だと判断するが、テスココの王ネサワルコヨツィンは自民を犠牲にする事に強く反対。戦争捕虜で十分との見解を示した。ちょうどアステカ帝国の拡大に反発するトラスカナン、チョルラ、フエキソツィンコの都市国家群がおり、捕虜の調達先には困らなかった。初代モテクソマ王は1454年より戦争と呼ばれる生け贄確保のための戦争をこの三都市に仕掛けた。戦争では矢や投石といった遠距離武器を封じて近接武器のみで敵兵を倒す、交易を遮断する(いわゆる通商破壊)など普段の戦争では見られない変わった戦い方をした。言うなれば生殺しである。輸送用の大畜を持っていないアステカ帝国は遠征が大きな負担になるため、テノチティトランに近い場所で定期的に生け贄を供給出来るようわざと敵対を生かした。戦争により生け贄の供給を手にした訳だが同時にトラスカナン人の深い憎悪も買う事になる。未曾有の災害1455年にが降って豊作を迎えた事で終息したが、1464年に「火のが降った」と形容される程の日照りと干ばつが発生。更に強による倒木被害が相次ぐなど災害から立ち直ったばかりの帝国を苦しめた。

1469年、初代モテクソマ王の死に伴って孫息子アシャヤカトル王位に就く。彼のトラテロルコの統治者モキウィクスのもとにいでいたのだが、彼から虐待を受けていた事が発覚し、1473年にアステカ帝国トラテロルコに攻め込んで「トラテロルコの戦い」が生起。戦闘は人口で優位に立っていた帝国勝利アステカ族は復讐としてトラテロルコの本堂を破壊したのちゴミを投棄して礼拝出来ないようにした。敗れたトラテロルコはそのままテノチティトランの支配下に置かれ、取り扱っていた貿易を全て引き継いだ事で帝国内でも重要な市場へと発展していった。意外な事にアステカ族とトラテロルカ族との間に決定的な裂は起こらず友好関係を結んでいた模様。136年の時を経て元のに収まった訳である。その後、アシャヤカトル西方へ出兵して中央ゲレロとプエブラバレーを征1481年にアシャヤカトル折したためティゾクが王になるも、外敵との戦いに敗れて無様な姿を見せたせいで前任者に征されたが一挙に造反。彼の在位期間の大半は反乱勢の鎮圧に使われた挙句、1486年に暗殺されて終わった。次の王になったのはティゾクのアウィツォトル。彼の軍事的手腕によりアステカ帝国の勢圏は遂に太平洋側にまで達し、カカオの一大産地ソコヌスコを征したが、それ以上は兵站の問題で進撃出来なくなる。1488年、ポポカテペトル山から降りてきたの如きイナゴの群れがチャル地方に襲来。トウモロコシ被害を受ける。

1502年、初代モテクソマ王の甥だったモテクソ2世王位に就く。彼はテノチティトランの特権だった殿の建設などの公共事業を支配域でも推進して宗教の統一化を図り、また太平洋沿を南下してトラネコ族を従させる。

テノチティトラン、テスココトラテロルコの都市国家同盟からなるアステカ帝国盛を極め、メキシコから太平洋に至る広大な土地を支配域に収めた。その面積イタリア本土に匹敵する。テノチティトランは政治トラテロルコは市場、テスココ文化の中心とそれぞれが中核を担った。アステカ帝国は強大な軍事を駐留させて支配域を維持する欧州式の領土帝国ではなく、征した領土に友好的な統治者を配置し、友好関係を結ぶ形で支配。支配域は属州戦略州、支流州の三つに大別され、戦略州は「双方合意のもと」で帝国に物資を納め、属州定期的に物資を納入、最下位の支流州の納入は合意ではなく「義務」とされた。例えばチアパス州からは農作物と産物、琥珀コンゴウインコカラフルな羽を、優れた金属加工技術を持っていたオアハカからは金属の加工品を、プエブラからは戦闘糧食戦士を、モレロスからはカカオ帝国に献上。食糧、織物、重品、生け贄、数の賛辞は全て最大権を有するテノチティトランに集積。一説によると1年間に数万トンの食糧、10万着以上の衣服、3万個以上の羽毛の包み等がテノチティトランへ運び込まれて住民の生活と戦費を支えていた。当時の人口からテノチティトランは世界最大規模の市場だったとされ、アステカの商人たちは他の都市イン帝国から高級品をテノチティトランに仕入れていた。まさにテノチティトランは帝国の中心として絶頂期を迎えていたのである。

スペイン人の来襲

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アステカには、ウィツィロポチトリに追い出されたケツァル・コアトルが1519年に々の住む東のから帰還するという伝説があった。1517年頃から中南米東海に姿を現し始めたスペイン人を見て、「彼らこそがケツァルコアトルなのではないか?」という見方がアステカ帝国と支配域内で広まった。また大彗星の接近、ウィツィロポチトリの殿で起きた原因不明の出火、シウテクトリ殿への落など不吉な出来事が次々に発生し、アステカ人が漠然とした不安を抱いたため、モテクソ2世はナウトラ、トズトラン、ミトランクワクトラ海岸に見り台と警備員を設置して警態勢を敷く。

1519年4月21日スペインの征エルナン・コルテス率いる第三次遠征隊がメキシコのサン・フアン・デ・ウルア港に到着し、508名の兵士100名の兵、14基の小大砲を揚陸。まず彼は港から7マイル先に橋頭保のベラクルスのを建設する。コルテスたちが最初に向かったのはアステカ帝国の支流州トトナックの町センポアラとキアウイトランであった。スペイン軍はアステカ帝国からの解放約束する代わりにトトナックとの軍事同盟を締結。テノチティトランから徴税に訪れた5人の役人をコルテスの入れ知恵で逮捕した。納税を止めたセンポアラを誅するためティパンシンゴのアステカ人がトトナックの鎮圧部隊を編制するが、スペイン軍の騎隊によって速に撃破され、センポアラとキアウイトランはスペイン勝利を確信。8月16日スペイン軍はテノチティトランへ向けて進軍を開始。トトナックスペイン軍と一緒に行動して大砲を輸送したり、1300人の戦士を供与するなど積極的な支援を惜しまなかった。

帝国に征された諸部族は神話上でメキシコに戻ると予言されていたケツァル・コアトルの要素をコルテスに見出し、帝国の圧政から解放してくれると信じた上、コルテスもまたその事を喧伝したため多くの部族が従った。中で通りがかったハラパの人々はコルテスの一団を歓迎し、休憩で立ち寄ったザウトラでもアステカの戦士が駐留していたため明言は避けつつもスペイン人への協約束。モテクソ2世もまたコルテスケツァル・コアトル、それどころかウィツィロポチトリかもしれないと考え、臣のイスタカマクティトランを送って敵対中のトラスカランの領土を避けるよう助言したが、と疑ったトトナック人の反対を受けてコルテスは予定通りの進軍路で進む事を決めた。

トラスカランはアステカ帝国との戦争状態にある都市国家連合体であり、戦争により帝国に捕まった者は生け贄にされ続けていた。トラスカラン人はコルテスたちを半神半人の不可思議な存在として迎え入れたが、シコテカトルという戦士が彼らの通過を頑なに拒んだため、トラスカランは彼を打倒出来れば軍事同盟を結ぶと条件を提示した。9月2日、シコテカトル率いる軍団スペイン軍の戦闘が始まる。しかしスペイン人容認マキシカチンの謀略で多くのシコテカトルの兵が脱走して戦不足に陥ったため、夜襲体にした戦法に転換。継続的な攻撃でスペイン軍とセンポアラの戦士を極度に疲弊させた。ところが戦場に近かった事からトラスカナン上層部は和を提示し、勝敗が決まらないうちにシコテカトル戦闘中止を命じられ、9月17日軍事同盟が締結された。9月23日首都ティトランへ入したコルテスたちは歓待と貢ぎ物を受け取って同盟を強化。テノチティトランへの進軍にトラスカナン戦士も加わる。シコテカトルスペイン軍に加わったが途中で脱走して処刑された。スペイン軍の前にモテクソ2世から送られた使者がの贈り物を携えながら現れ、帝国の支流州チョルラへの移動を促した。これはスペイン人とトラスカナンの同盟締結を阻止するための試みだったが時既に遅し。それでもコルテスはチョルラへの移動を決めてトラスカナンを出発し、に到着するとコルテスは余計な刺を与えぬようトラスカナン人に外での待機を命じた。

チョルラで歓迎されるコルテスたちであったが、通訳として同行していた女性マリンチェが「チョルラアステカ軍が襲撃を計画している」と密告。加えてトラスカナン人が対策用に掘られた落とし穴を発見し、子供を生け贄にした儀式(戦争を始めるための前準備)を撃した事で襲撃計画が露呈し、スペイン軍は対策を練り始める。10月18日に向けて合図となる散弾銃を撃ち、クロスボウで武装したスペイン兵がチョルラの人々に襲い掛かった。同時に外で待機していたトトナック人とトラスカナン3000名も内へ突入。3、4日間の戦闘で住民4000~6000名が虐殺され、その間に略奪や捕虜の確保まで行われた。コルテス生存者への拷問で襲撃計画を自させた後、逃げ出した女子供をチョルラへ戻して何事もかったかのように生活するよう強要。チョルルテカ族から品を押収したのち軍事同盟を締結した。この一件はチョルラ虐殺と言われる。ただしこの虐殺劇は創作とする見方もあり、仮に事実だったとしてもドミニコ会の修バルトロメ・デ・ラス・カサスとフレイ・トリビオ・デ・ベナベンデから「不必要で不当なもの」と後年非難されている。モテクソ2世スペイン人の前進を思い留まらせるべく、テノチティトランから使者を送り続けて重品を献上し続けたが、滞在14日スペイン軍は進軍を再開した。ポポカテペトル火山イスタシワトル火山の間を通過した時、スペイン人たちは初めてテスココ首都テノチティトランを撃する。

スペイン人との接触、そして決裂

11月8日、遂にスペイン軍400名とトラスカナン人4000名、16頭がテノチティトラン近隣に到着。モテクソ2世はウィツィロポチトリ像の前で戦士を踊らせて彼らをスペイン大使として歓迎し、コルテスも返礼代わりにガラスビーズネックレスを贈った。何ら抵抗を受ける事スペイン軍はテノチティトランへ入し、彼らの住居にはアシャヤカトルの宮殿があてがわれた。都市観光したコルテスたちは「まるでを見ているようだ」と畏敬の念を抱き、の工芸品や奇妙な食べ物も彼らの興味を誘った。しかし平和な時は長く続かなかった。帝国への納税を拒み続けるトトナックを懲罰するためアステカの戦士たちが襲撃を仕掛け、同地のスペイン軍守備隊と交戦。戦闘の結果、スペイン軍は敗走した上、指揮官フアン・デ・エスカランテを含む7名が戦死。斬首されたスペイン兵の首がテノチティトランに届いたがスペイン人との関係悪化を防ぎたいアステカ側は報告を揉み消す。しかしこ情報トトナック人の密告でコルテスにバレてしまい、11月14日トトナックでの戦闘を理由に15名の首長を処刑するとともにモテクソ2世を自宅の宮殿へと軟禁して人質とする。スペイン軍はウィツィロポチトリへの信仰を捨てて人身御供の儀式を止めるよう祭たちに命じ、の像を破壊。代わりにキリスト教の像を押し付けて大神殿の頂上でミサを執り行った。モテクソ2世コルテスから出ていくよう頼んだが、「ボートが破壊された」「ボートい」等の適当な理由を付けて内に居座り続ける。更にコルテスは数日前に本へ「テノチティトランを制圧した」と虚偽の報告を行い、後詰めの部隊派遣させるなど着々と戦争の準備を進めていた。

モテクソ2世を人質にしたのは実に効果的だった。アステカ人は攻撃や物資輸送の妨を封じられ、コルテスに対して何ら有効策を打てなくなってしまったのである。用心深いコルテス衆の面前でモテクソ2世演説を強要。自分がスペイン国王カルロス1世の臣であると宣言させ、市民従するようめた。これ以上ない屈辱だが、スペイン人に逆らえば多くの人々が虐殺されると思い、2世は泣きながら言葉を紡いだという。しかしモテクソ2世スペイン人の傀儡と化し、彼らに有利な布を出すようになると威信が低下し始め、市民から背を向けられるようになった。また自分たちの宗教を否定してキリスト教を押し付け、の物を要するスペイン人たちにも敵意を向けるようになり、両者の関係は急速に悪化。アステカ人との緊が高まる。一方、コルテスは先ほどの虚偽の報告がバレ、越権行為だとしてキューバ総督ディエゴ・ベラスケス・デ・クエヤルから送られた逮捕隊に拘束されるガバをやり、テノチティトランから姿を消す。後任には部下ペドロ・デ・アルバラード名されてスペイン兵80名の揮を引き継いだ。アルバラードアステカの有導者2名を投し、他数名を殺するなど強硬姿勢を取る。

から呼び寄せた後詰め部隊は1520年4月20日メキシコへ到着。5月22日、テノチティトランの大神殿では毎年恒例のトスカトル祭が行われたが、貴族拷問してアステカ人が反乱を起こそうとしていると知ったアルバラード祭りの日に門を封鎖し、犠牲者数千人に及ぶ大量虐殺を行った(テノチティトラン大神殿虐殺)。殺戮は底したもので、死体の山で死んだふりをしている者やの中に隠れた者まで見つけ出して片端から殺。その凄惨さたるや戦士から流れた血でく染まる程だった。とりわけ高等教育を受けた導者、退役戦士、写本通訳者等の被害が大きく、人的損失は計り知れない。生き残ったごく僅かなアステカ人はをよじ登って逃走し、他のアステカ族に残虐行為を伝えた。

この一件はアステカ人に徹底抗戦を決意させ、モテクソ2世の権全に失墜させた。拘束されていたコルテスがテノチティトランへ戻った時、アステカ人はスペイン人向けの食糧と物資輸送を停止していたため、お仕置きの名で彼らを虐殺。その中には罪のい人も含まれていた。怒ったアステカ人はスペイン兵に攻撃を仕掛け、負傷者数名を残して兵の一団を殲滅する。彼らを昂させるに至ったトスカトル祭の虐殺コルテス不在の間に起きたため、何故ここまでアステカ人が反抗的になったのかコルテスには理解出来なかった。今やテノチティトランは反乱寸前の状態で、暴徒と化したアステカ人たちが言いなりのモテクソ2世に「々はもうあなたの臣ではない」と言い放ち、20日間以上に渡って宮殿を包囲。コルテスは慌ててモテクソ2世を通じて彼らを宥めようとするも全に失敗し、次に戦いをやめるよう命じたが、アステカ人たちは拒否。対話に訪れたモテクソ2世に3個の石が投げつけられ、このうち1個が頭に命中。その後、2世は自責の念に駆られたのか食事も治療も拒絶し、3日後に死亡した(死因は頭部に石が当たった事による血腫と言われる)。ただし歴史フェルナンド・デ・アルバ・イクストリルショチトルはスペイン人に殺されたと断言している。

モテクソ2世の死はスペイン人の身の安全を保障する存在がいなくなった事を意味する。次の王に選ばれたクイトラワクは戦士を集め、周辺のに同盟をめる(全会一致で拒否されたが)など明確な敵意を見せ、テノチティトランは戦場と化す。コルテスはテノチティトランのシンボルであるウィツィロポチトリの殿を制圧してアステカ人の戦意を挫く作戦を考え、周囲の反対を押し切って114段の階段を攻め上がった。攻防戦は1週間に及んだが、地の利や優れた戦術を持つアステカ人の猛攻により頂上へ辿り着く頃には部隊が壊滅状態に陥っていた。もはや攻撃する事も兵舎まで後退する事も困難になり、やむなく闇に紛れての脱出作戦を練る。だがそこはスペイン人。コルテス兵士たちに出来るだけ財宝を奪い返し、好きなだけ懐に入れても良いと命じていた。

6月30日スペイン軍7000~8000名は最も危険が少ない西ルートを選択して都市の中心地から脱出を開始。のいななきに注意しながら静かに移動する。奪い取った財宝を輸送するトラスカナン人80名、騎兵20名、前衛のトラスカナン人400名、アステカ人捕虜や協者が闇に紛れて歩くアステカ側はスペイン軍の脱出を予見して運河と繋がるを解体していたが、コルテスの発案でアサイカカトル殿の梁を即席のにして問題をクリア。この日は暴風雨だったためアステカ人の警備も薄かった。が、偶然差しでを飲みに出かけていたアステカ人の老婆がスペイン人を発見し、戦士警報を出した事でウィツィロポチトリ殿から太鼓の音が鳴りく。スペイン人にとって死を意味する音を合図にあらゆる戦士貴族、庶民がから飛び出し、僅か数分で数千人に及ぶ戦士矢で武装した市民が何ものカヌーで路から急襲してくるのをの当たりにした。屋根に上がった戦士スペイン軍の隊列後方を攻撃し、その間に別動隊が本土とテノチティトランを繋ぐを切り離す。近代軍隊並みの手際の良さにスペイン軍はただひたすら翻弄された。クロスボウアーキバス(長身の小銃)で反撃しようにも視界が悪く、戦士の姿すらまともに見えない。でぬかるんだ土に足を滑らせたスペイン兵は次々にへ落し、や略奪品の重みで溺死。財宝を運んでいたトラスカナン人も多くがみ込まれた。対照的に品を自ら手放した者は溺死を免れたという。内に進駐していたスペイン兵のうち半数が討ち取られ、捕まった者も捕虜になるか生け贄にされる過酷な末路を辿った。幸運にもテノチティトランから生きて脱出出来た者も何かしらの傷を負い、アルバラードも重傷を負うなど敗北に等しい惨敗を喫する。人的被害以外にも46頭が犠牲になり、持ち出そうとした財宝を9割失い、スペイン軍が保有するどのクロスボウアーキバス大砲アステカ人に鹵獲されている。

1520年7月1日に起きた思いがけない敗北は「悲しい」と呼ばれ、コルテスは木の下で泣いたという。というのもコルテスは、これまでメキシコでの戦いに全勝してきた最強の征者だったのだ。その彼が培った自信や威容を誇る軍勢をテノチティトランに粉々にされ、大いに男泣きした訳である。外へ出た後もスペイン軍はアステカの戦士に襲われ続け、オトカンルコ山で何とか一息付くも、そこではテパネカ族に襲われた。アステカの戦士は遠くから雄叫びを上げてスペイン兵の心を恐怖で揺さぶる。スペイン軍はカラコアヤに逃げ込むも、住民がアステカ帝国の追っ手から守ってくれなかったのでいせにを破壊して脱出し、テスココ北方を通って東方トラスカナン逃げる事を決断する。7月6日、退却中のスペイン軍を戦士が襲撃して1頭が死亡。この後も度々小競り合いが起きた。

7月7日、テマルカティトラン平原アステカ、テパネカ、トラルネパントラ、クアウティトラン、テナユカ、オトゥンバ、クアウトルパンからなるアステカ帝国軍がスペイン軍を捕捉。もはや逃げられないと悟ったのか大部分の大砲を失っていたにも関わらずスペイン軍は交戦を選んだ。(オトゥンバの戦い)。帝国軍はスペイン人を生け捕りにしようとし、対するスペイン軍は円を組んで外側に兵を配置して応戦。数時間に及ぶ兵戦を経てクロスボウによる矢の交換が行われた。スペイン兵に何度も包囲網を破られながらも、数に勝る帝国軍は次々に人員を送って包囲網を形成し直して突撃。埒が明かないと悟ったコルテスは一か八か騎兵を突撃させ、その隙に手な装飾をしていたアステカの指揮官マトラツィンカチンを討ち取った。揮する者を失った帝国軍は統率を失って退却。オトゥンバの戦い以降アステカ帝国の追撃はくなり、スペイン軍は辛くもトラスカナン逃げ延びた。

しかしテノチティトラン脱出から5日間の逃避行で860名のスペイン兵と1000名以上のトラスカナン人や協者を失う大損をこうむる。当然スペイン兵の士気はガタ落ちとなり、帰を望むやベラクルスで増援を待つべきというが強まった。一方、テノチティトランでは死亡したモテクソ2世に代わりクイトラワクが国王に選出された。彼はトラスカナンに6名の使者を送ってスペイン人の引き渡しをめたが拒否され、逆にスペインとの新たな同盟を締結。コルテスもまた諦めなかった。トラスカナンを始めとする諸部族との結束を固め、軍内部で広まっていた厭戦気分を振り払い、武器と増援を得、体勢を立て直す。そこへ更なる協者が現れた。テノチティトランの傀儡に過ぎない現状に怒りを覚えたテスココ王子たちが独自にスペイン人へ使者キキスカツィンを送り、協を申し出たのである。しかし現在の王コナワコシュツィンはアステカ側に立っていたため、テスココに戻ってきたキキスカツィンを裏切り者として処刑し、自らはテノチティトランへ移動した。この事は王子たちを通じてコルテスも知る所になる。

最終決戦

1520年12月26日、準備を終えたスペイン軍1万名はトラスカナンを出撃。テノチティトランへの補給路を断つため東部のテクスメルカンに向かった。スペイン軍がテツクコに現れると住民たちはすぐさま何千ものボートでテノチティトランへ逃げ出し、コルテスはこれを取り逃がす。三都市国家同盟の一テスココは包囲に留め、要衝イスタパラパの南方へと進出。イスタパラパのアステカ人もボートでテノチティトランに撤退して血制圧するに至った。しかしになると帝国軍が反撃に転じ、工事での流れを変えてイスタパラパを攻めし、スペイン軍は食糧を失う。になるとイカダに乗ったアステカの戦士が奇襲をかけ、スペイン軍が突撃を開始すると速やかに退却。このゲリラ戦法は底的にスペイン軍を悩ませた。通り魔的な攻撃を防げず、食糧も失っていたためコルテスイスタパラパを手放し、テスココまで後退する。

1521年2月、高位貴族の中から投票で選ばれたクアウテモクが新たな王に就任。スペイン侵略に対抗するため彼の導のもと防御体勢が築かれる事になったが、スペイン人に寝返る属が続出して戦が低下。加えて天然痘の流行による人口の減や戦士弱体化が重なり、帝国軍は本領を発揮出来ないでいた。そしてテノチティトラン西部の要衝で三都市国家同盟の一トラテロルコにスペイン軍が襲来。アステカ帝国しく抵抗したが、戦闘の末にを奪われ、コルテスたちは悲しい復讐として火を放つ。トラテロルコが燼に帰した後も帝国軍はテノチティトランから戦士を出撃させて小競り合いが繰り返された。

アステカ帝国スペイン軍とトラスカナンの同盟に追い詰められている事は支配域にも伝わり、支流州を中心に一斉起が発生して次々にスペイン軍と合流。各部族から送られた2万の戦士を増援とし、遂に火と騎で武装した900名のスペイン兵がテノチティトランを包囲するに至った。クアウテモクは正面からスペイン軍に挑んでは勝てないと考え、南方チャルコとトラルマルコに駐留する帝国軍で敵の背後を突き刺し、同地を確保するとともに通信網と補給路を遮断。しかしスペイン軍の反撃はく、4月に2つのを奪取された挙句、1万7000名の戦士を投じた奪還作戦も失敗しての東と南がスペイン軍の勢圏となった。敵の攻勢は続き、今度はテノチティトランとソチルコを結ぶクアウナーワク攻略を企図して南進。トラヤカパンで迎撃に現れた帝国軍を打ち破ってテポストランとクアウトランを占領する。コルテスは返すソチルコ攻略すが、テノチティトランからの部隊ソチルコ守備隊の挟撃でスペイン軍に勝利。落したコルテスの捕縛に成功したが、すぐに救出された上、帝国軍も撃退されてテノチティトランへ退却する。その後もスペイン軍は各都市を制圧し続けてとうとうテノチティトランの包囲網完成させた。コルテスはテノチティトランに何度か降勧告を送るもアステカ人は全て拒否して徹底抗戦の構えを見せる。

まず最初にスペイン軍はチャプルテペックからテノチティトランへ繋がるの輸送路を破壊。アステカ人はと地上からの同時攻撃で作戦を妨しようとしたが失敗に終わった。そこから両軍は攻防作戦を展開。スペイン軍はを破壊して孤立させようとし、帝国軍はを架け直して抵抗。時にはスペイン軍の部を襲撃するための部隊が送られた。待ちせにより多くのトラスカナン人ともどもフアン・デ・ラ・ポルティーニャ船長ペドロ・バル船長を討ち取る活躍も見せる。6月24日、クアウナモクは三方向への同時攻撃を開始。謀な突撃をしてきたアルバラード率いる騎兵隊を撃破して5名を捕虜兼生け贄とし、これを知ったコルテスが報復攻撃に出るも再び捕縛される。助けに来たクリスバル・デ・グスマン大佐スペイン兵60名の犠牲と引き換えにかろうじて逃げ延びたが一連の敗北が原因で高級将校の数が減した。クアウテモクは心理戦にも長けており、毎晩最も立つ場所で捕虜を処刑して犠牲者の頭、手、足、皮をスペイン軍の地に投げつけた。この行為にスペイン兵たちは恐怖に駆られ、毎日戦いの終わりに捕虜にならなかった事を感謝する習慣が付いたという。通常アステカ人は間の戦闘をしないのだが今回はその慣習を取り払い、を問わず襲撃を繰り返した。その苛さたるやテスココ近隣に布していた諸部族に大損を与え、2万4000名中スペイン軍側に残ったのは僅か200名のみだった。残りは戦死するか負傷または戦意を挫かれて帰帝国軍の強さにコルテスは持久戦への方針転換を強いられた。

だがスペイン軍の兵糧攻めは綿で首を絞めるかのようにアステカ人を苦しめる。内での食糧生産の術がいテノチティトランにとって包囲戦は効果抜群の攻め方だったのだ。を得ようと釣りに出た者は射殺され、スペイン軍の策略で飲料が汚染されて痢患者が続出し、天然痘が猛威を振るう。やがて飢餓に陥ったアステカ人は、革、レンガなど食べられそうな物は何でも食べ、子供までげられたため大半の子供は裸だった。ディアス・デル・カスティーヨは「(アステカ人は)とても薄く、黄色く、汚れていて、臭いので、彼らを見るのは残念に思えた」と、ロペス・デ・ゴマラは「死者の中で眠り、絶え間ない悪臭の中においても彼らは平和を望んではいなかった」と年代記に書き記している。時間の経過とともに衰弱していくアステカ人だったが、帝国を築き上げた最後の意地かスペイン軍以上に戦略を頻繁に変更し、トラパンにあるアルバラードキャンプを攻撃するなど損を与え続けた。そんな中、帝国に従うソチミルコ、クィトラワク、ミスキク、コルワカン、メシカツィンゴ、イスタパラパからクアウナモクに使者が送られ、スペイン人との交戦と非戦闘員の退避に協する支援を取り付ける。しかしソチミルコ人が裏切って略奪行為に走ったため、アステカ帝国軍とその同盟の住民がソチミルコ人を捕縛し、ヤカコルコまで連行してクアウナモクとクィトラワクの王マイエワツィンの前で処刑された。

とうとうコルテス揮するスペイン軍が都市内に侵入してきた。アステカ人たちはウィツィロポチトリの殿スペイン人捕虜70名の心臓を喰らって抵抗トラテロルカ族も最後までアステカ族を見捨てずに戦い続け、一部は包囲網からの脱出に成功して後方のスペイン軍やその協者を奇襲したほど。しかし勇戦むなしくウィツィロポチトリの殿スペインの旗が立てられ、4日間の戦闘アステカ帝国の組織的な抵抗は終了。生き残っている戦士やクアウテモクはまだ押さえている地区に移動してゲリラ戦を続けた。アステカ人のの脅威はスペイン軍ではなく一緒に進軍してきた1万5000名のトラスカナン人だった。トラスカナン人は100年間に渡ってアステカ帝国に支配され、生け贄としてげられてきた恨み辛みがあり、アステカ人にを覆いたくなるほどの報復行為を加えて逆にスペイン軍から制止される。だがスペイン人は900名しかいないため全ての報復を止めるには至らず、また警告や予防措置は何ら意味を成さず、一日だけで1万5000名以上のアステカ人が血祭りに上げられた。もはやこれまでとクアウテモクは和交渉を試みたが全て失敗。90日間の包囲の末、テスココで脱出しようとしたクアウテモクが捕縛され、コルテスの前に引き出された。クアウテモクは持っていたナイフを差し出して「これで私を切り殺せ」と言ったが、その申し出を断って「あなたは勇敢な戦士のように首都を守った。スペイン人は敵であっても勇気を尊重する」とコルテスは返したという。

時に1521年8月13日、3万の犠牲を経てアステカ帝国は降スペインは中南米に拠点を獲得し、太平洋を横断して極東アジアにまで進出している。2007年に刊行された『疫病と世界史』の著者マクニールは「テノチティトランで天然痘が流行した時、諸部族はスペイン人に逆らった罰だと受け取った。このためテスココ近辺の都市コルテスに味方する事を決意した」「スペイン軍だけではテノチティトランを孤立させる事は不可能だった。だから周辺の臣下たちに裏切られた時、アステカ人の運命はもう決まっていた。彼らの抵抗が如何に勇敢で自殺していたものだったとしてもである」「もし天然痘の流行がければコルテス勝利困難、いや不可能だったと言える」と評している。

滅亡後

支配権を得たスペイン軍はまず最初に、過酷な籠戦で汚れたテノチティトランの修復・清掃との輸送路を復活させる。修復作業は西洋のルネッサンス様式で行われた。再建中はテスココ南方にあるコヨアカンに臨時政府を設置。降した後もトラスカナン人がアステカ族数千人を虐殺し続けたため、生き残った戦士市民はテノチティトランを捨てて脱出。内からアステカの民はいなくなったが、奪われた首都や土地を奪還しようとの周辺では何度かアステカ人による反乱が発生し、スペイン兵はを問わない監視を強いられた。彼らが仕掛けたによりブリガンティン(帆船)の兵1名とスペイン兵5名が捕まっている。包囲下にあった三都市国家同盟最後の生き残りテスココはテノチティトラン陥落後に「スペイン軍と協してテノチティトランとトラテロルカを打ち破った」と後のイタリアみたいな手のひら返しをしてスペイン側に寝返り、彼らを内へ招く。スペイン軍は王の宮殿寺院といった帝国時代を想起させる施設を破壊して回った。

略奪された富は部下に分配されたが、1521年10月30日の報告書によると国王への献上やコルテスの取り分、遠征費、一部船長への支払いを考慮するとスペイン軍の取り分は僅か70ペソであった(参考までに1本の値段は50ペソ)。捕虜となったクアウテモクは名上テノチティトランの導者であり続けたが、取り分がスペイン人を満足させられるものではなかったため、に沈めたとされる宝のありかを吐かせようと熱した石炭で両足を焼く拷問を加えた(なおクアウテモクは最後まで喋らなかった)。やむなくコルテスは反乱を避けるためにすぐさま次の遠征隊を編制し、クアウテモクを伴ってグアテマラ方面へで移動を始める。しかし15252月28日に彼はスペイン人を殺そうとした反逆罪で上にて絞首刑となる。せめてもの慰めは現在メキシコにおいて彼は英雄視され、命日2月28日に弔意を示して半旗が掲げられている事だろう。

アステカ帝国を下したスペイン人だったが、まず最初に問題となったのが言の壁だった。ナワトル語の音的複雑さに全く対応出来なかったのである。頻出する「トル」の単を彼らは正しく発音出来ず、テノチティトランをテミスティタン、ウィツィロポチトリをウィチロボスと言い換えなければならなかった(後者は土着宗教文化的根絶を図るために言い換えた面もあるが)。征後にイベリア半島から移住してきたスペイン人にとって言の塗り替えは可及的速やかに成さねばならない問題だった。支配するにしても先住民との交流は避けられないからだ。野生のを意味するコヨトルはコヨーテに、トウモロコシの穂を意味するエロトルはエローテにするなど言改造を行い、時にはナワトル語との混成も作られた。次にスペイン人が破壊を試みたのは恐ろしい生け贄文化である。キリスト教を広めるにあたって土着の信仰は大変邪魔なので、血なまぐさい生け贄の文化悪魔によってもたらされたと繰り返し喧伝、官は悪魔の使いとして弾圧した。テノチティトランの官は組織化されていて常に厳格なものであったが、征者や記録者たちは興味を示さず十把一絡げにして弾圧し、おぞましいものとして扱った。官の特徴的かつ迫のある容姿も悪魔に結び付けられている。

1535年3月8日ニュースイン(新スペイン副王領)が誕生し、首都にテノチティトランが定される。コルテスはテノチティトランの破壊と遺跡の上に新たな首都メキシコティの建設を建築家アロンソガルシアブラボーに命。こうして栄を誇った優美な水上都市地球上より姿を消した。1538年、長年敵対関係にあったスペインフランスとの間で平和条約が締結され、メキシコティの中央広場で大規模な散財と言える祝宴が開かれた。1518年から1542年に至るまでの24年間で400万もの先住民スペイン軍の残虐行為で殺され、宣教師バルトロメ・デ・ラス・カサスはコンキスドールを「人類の最大の敵」としく非難している。1545年には国王カルロス1世からの王室命で正式にメキシコティが認められる。その後は北アメリカ、中央アメリカアジアオセアニアにおける植民地政治融・行政の中心地として機

スペイン人は治ノウハウを持っていなかったにも関わらずダムを破壊し、むやみに水上都市開発したため征直後の1604年に氾濫が、1607年には大洪水が発生。エンリコマルティネス導のもと位を調節する排路が建設されたが、1629年の大洪水であっさり粉砕され、5年間も都市の大部分がしていた。その甚大な被害スペイン都市を別の場所へ移動すべきかどうか検討に入るほどだった(結局移されなかった)。1707年、1714年、1806年にも大規模洪水に見舞われており、トラロック神の怒りが渦巻いているように見える。またスペイン人の乱開発と乱獲によっての生態系は破壊し尽くされ、固有種のアホロートルサギが姿を消し、山からは大哺乳類が全ていなくなった。1821年の独立戦争メキシコスペインから独り立ちしたが、独立法によって引き続きメキシコティ首都であり続けた。これに伴って治問題はメキシコ人に引き継がれる。試行錯誤により路とトンネルを使って付近のトゥーラへ排する方法に落ち着く…のだが、荒ぶるメストリアパンは20世紀に入っても制御し切れず、1900年3月17日にようやく基礎となる排システム完成1967年に深層排システム完成して遂に洪水の脅威から解放された。ところがその深層排システムは「の大部分を排する」という力業であり、その現在のテスココは当時より非常に小さくなってしまい、今度はメキシコティ全体が深刻な不足に悩まされる事に(現在南部ソチミルコが残るのみ)。またメキシコ地はその地形上、周囲の山から流れ込んだ雨水出口自然に排されないため、を干上がらせても期になれば道路の冠屋の浸日常的に起きる。不足を解消するため地下み上げようとした結果、地盤沈下や液状化現が発生し、1985年9月19日大地震で数建物が倒壊するなど今もなお新たな問題がメキシコティを悩ませている。あいつら治がへったくそ!

1936年にマヌエル・ガミオが大神殿の基底部を一部発掘。1978年2月、その付近で道路工事が行われた際に女神コヨルシャウキを彫刻した直径3.26mの石が発掘され、時の大統領大神殿の基礎部分を全面的に発掘するよう示を出した。これにより少しずつ姿を現している。またテスココ空港閉鎖した後、汚染された環境らせるべく政府導で一大プロジェクトを推進中。

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