美しく、たくましく。
真ん中よりちょっと左上くらいにあります!
え、知らない?
福井県 | |
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県旗 | |
人口 | 743,386人(令和6年1月、推計人口) |
県庁所在地 | 福井市 |
県知事 | 杉本達治 |
県最高峰 | 二ノ峰(1,692m) |
県の花 | 水仙 |
県の木 | 松 |
県の鳥 | つぐみ |
県の魚 | 越前がに |
ふるさとの日 | 2月7日 |
公式サイト | http://www.pref.fukui.lg.jp/ |
目次 |
概要
福井県は大自然、豊かな海と山の幸、由緒ある歴史・伝統・文化、そして世界に羽ばたく地場産業と農林水産業に恵まれた今後に期待できるすばらしい県(公式サイト要約)。
嶺南地方(旧若狭国+敦賀市)と嶺北地方(敦賀市を除く旧越前国)は仲が悪いというか、関わりが非常に薄い。そのため、二つの地方は地方自治法上は同一の県とされているものの、地域間交流や文化、経済の上では全く別の県とも言えるような状況にある。歴史上においても、二つの県を旧若狭国の住民の反対を押し切って合併させている。
山陰や北関東勢とともに都道府県知名度最下位グループで福井県出身だと言うと東北や九州出身と間違えられることがしばしば。コシヒカリ発祥の地だとか眼鏡フレーム生産日本一などの「知る人ぞ知る」という地場産業ネタなら他県並にあるが、隣県に比べて決定打に値するもの(観光に耐えうる派手なもの)がほとんど無いから知名度が低い・・・らしい。県知事も地味さは自認していて地方活性化のためにふるさと納税を発案したのは西川一誠福井県知事である。
歴史的には貿易港や穀倉地帯としてそれなりに重視された地域なのだが、それゆえに中央の有力者に与えられる土地という位置づけになってしまい土着の有力者があまり育たず地味な印象を受ける。戦国時代には朝倉氏が越前を地盤に勢力を持ったが最終的に織田信長に滅ぼされているし、朝倉氏の発祥地は但馬(兵庫県)である。(発祥地を言うなら織田氏が越前発祥ではある)
嶺北と嶺南
福井県内の地域区分に嶺北と嶺南と言う区分がある。全国向けに福井県北部・福井県南部と表現されることもあるが形状的に福井県北東部・福井県南西部と言った方がより分かりやすいだろう。越前と若狭と言えばまだわかりやすいかと思うが敦賀市は嶺南地方だが越前国なので正確には同一ではない。と言うか旧若狭国+敦賀郡を指す名称として明治に定着したのが嶺南・嶺北と言う区分である。明治以前に越前と若狭が統一的な統治を受けたことが無かったのだ。
嶺北は石川、嶺南は滋賀や京都方面との結びつきがかなり強く、各々の地域の人間が県外へ遊びに行くとなれば、嶺北人は石川へ、嶺南人は滋賀、京都へ、という具合になる。また、在福マスコミで嶺南地方を取り上げることが少ないほか、県全域でケーブルテレビが広く普及していて(特に嶺南)、嶺北では北陸放送・北陸朝日放送など石川のテレビ局の電波が、嶺南ではびわ湖放送を中心とした関西圏のテレビ局の電波が再送信されており、二つの地方では見るテレビ局まで差異が生じている。また電力会社の区分も敦賀から東(旧越前国の範囲)は北陸電力で美浜町から西(旧若狭国の範囲)は関西電力の営業エリアとなっていた。若狭湾に多数立地する原子力発電所も美浜町以西は関西電力、敦賀原発は日本原電の所有となっているので実は北陸電力の原発は福井県内には無く、むしろ関西の電力供給を支えているという自負がある。これらのせいもあって嶺南の人々は北陸・福井市域への帰属意識および交流が皆無に近く、もっぱら「近畿」「関西」への帰属意識が高い。
そのため、道州制が施行されて福井県が北陸(中部)に組み込まれようものなら、嶺南は分離して近畿とくっつくとまで言われている。このこともあって福井県知事は道州制に反対している。嶺北人は関西弁の影響を強く受けた嶺南人の言葉を「なまっている」ととらえ、逆に嶺南人はまるで東北弁のような崩壊アクセントの嶺北人の言葉を「なまっている」ととらえる人が多く、県民レベルで隔絶性を感じているんだから仕方ないね。
木ノ芽峠
嶺北・嶺南の「嶺」とは境界にある「木嶺」とも呼ばれた「木ノ芽峠」のことで昔ながらの交通の難所である。木ノ芽峠は標高が高いわけではないが一帯は平地がほとんど無い山塊であるため峠を迂回するルートもそれなりに険しく、海路を使っても九頭竜川河口の三国(現坂井市)まで海岸沿いに山地が続くためやはり往来の困難が伴った。特に冬には峠は雪が積もり海は時化るのでより一層往来の困難が増した。この往来の障害から人や物の交流が阻まれ文化的断層が生まれた。
例えば木ノ芽峠を境に方言が大きく変わる。敦賀を中心としたエリアが近江弁、嶺南の西が京都や山陰の方言の影響を受けた関西弁を基礎とした方言であるのに対し、嶺北は東北弁のように聞こえる無アクセント型の方言である。
近代以降は鉄道や自動車道路が整備されていくが国道8号線や旧北陸本線は木ノ芽峠を避けて海沿いに大きく迂回している。この旧北陸本線は迂回したとはいえ、いくつもスイッチバックやトンネルが存在する難所だった。現在では自動車道路に転用されていて今も残るレンガ造りのトンネル群が登録有形文化財に登録されている。
この往来の問題は木ノ芽峠の直下を通過する1962年の北陸本線の北陸トンネル開通によってようやく解消される。この北陸トンネルは在来線の陸地トンネルとしては現在も最長ということからもかつての往来の困難さがうかがえる。
自動車道路も明治に入った早期から整備がなされ、敦賀湾東岸-武生間に数多のトンネルを穿ち、明治19年に全長44kmの車道を開削。その後時代に合わせていくつかの経路付け替え等はあったものの、100年以上経過した今もこのルートは国道8号線として利用されている。しかしながら実用に耐え、なおかつ最短距離で嶺北に抜ける道路は長らくこのルートしかなく、北陸自動車道の敦賀トンネルが1977年に供用されるまでこの状況が続いた。そのせいで、平成に入ってから発生した豪雪で北陸自動車道・国道8号線が機能不全に陥ったさいは南北の物流が文字通りストップし、新聞でさえも岐阜経由で大回りして1日遅れで嶺南へ運ばれるありさまであった。2004年に木の芽峠トンネルが開通したことで、ようやく迂回ルートが確保されたのだった。
福井県のここが凄い!
- メガネのフレーム生産量日本一 - メガネを掛けてる人も凄く多いとか多くないとか。
- 業務用漆器生産量日本一 ‐ 伝統工芸品に指定されている越前漆器は伝統だけでなく時代のニーズに合わせて近代的素材を用いた安価で丈夫な漆器も作っている。
- 塗り箸生産量日本一 ‐ 伝統的な漆塗だけでなくキャラクター箸など木製の色がついてる箸はだいたい小浜製。
- 世帯あたりの車の保有台数日本一 - 公共交通機関が糞すぎて車がないと通勤も出来ない。
- 日本で唯一ハープを生産している - 世界で4つしかないハープ生産メーカーが福井にあるらしい。
- 豊かさ指標で高評価 - 環境も良いし住居も豊富。医療サービスも整っていてお年寄りにも優しい。
- 純貯蓄残高日本一 - かなりの金額を貯めてる人が多い。決して遊ぶ場所がないからではない。・・・と思う。
- 恐竜の化石の発掘量日本一 - 主に勝山市で多く取れ日本で発掘される8割の恐竜化石が福井県で発掘されている。恐竜王国福井の項も参照。
- 社長の多さ日本一 - 中小零細企業が沢山あるというだけだが、事務所の数も多いらしい。
- 関西の消費電力の約4割を福井の原子力発電所が支えていた - もんじゅはもう許してやれよ→絶対に許さない
- パチンコ人口比率全国4位 - 県外に出るとパチンコ屋のテレビCMの少なさに驚かされる人がいるとかいないとか。みんな娯楽が少ないのが悪いんや!
- 県外資本のショッピングセンターに地元の商業組合が絡んで共同運営したがる - このやり方は一部で「福井方式」とまで呼ばれているほど。この方式はイオンの出店の際に始まったものだったがこのイオンは経営悪化で撤退し店舗が廃墟のように残されたため福井県民のイオンに対する印象が悪くなったといわれる。そのせいか47都道府県で唯一イオンとその系列のショッピングセンターが存在しない上に、マックスバリュも全てウエルシアかみつわ併設でひっそりしている。イオンがないから田舎じゃないもん!
なお、2023年7月に福井市内にイオンスタイルが出店することが報道され、2024年秋にようやくイオンが福井県進出を果たすことになる。 - 北陸で唯一深夜アニメが入る - 福 井 放 送 と 福 井 テ レ ビ は 神 ※ただし年一回ペース
よく使う福井弁
- 逆チャン - 福井放送・福井テレビのいずれかの視聴時、今見ている放送局ではない方を指す。主に嶺北地方。
- つるつるいっぱい - 液体がこぼれそうでこぼれない状態。
- じゃみじゃみ - テレビの砂嵐のこと(福井以外でも使う地域はごく一部にある)。決して某ホラーギャグ漫画の妖怪ではない。
- おちょきん - 遊ぶ場所が無いため、お金の使い道が貯金ぐらいしかないという意味。 ・・・嘘です。正座のこと。
- はよしねま - 早くしろという意味。その語感から小中学生は好んで使いたがるが、高校生以上は特に使わない。県外人とのトラブルの元。というか県内でもトラブルになることがある。
なお、一般的な「福井弁」とは福井市周辺で使われているアクセントのものであり、嶺南では一部のおじいちゃん・おばあちゃんを除きほとんど使われていない。
福井の名産品
全般
- 水仙 - 福井の県花にもなってる花。越前海岸で水仙祭りもやってるよ。
- コシヒカリ - 新潟が名産だと思ってる人多いけどコシヒカリは福井で生まれたんだぞ!コシヒカリのふるさと福井の項も参照
- 越前ソバ - 江戸時代に越前松平家家老本多富正が広めたと伝わるおろしそば。このそばを昭和天皇が来福した際に口にされたところ気に入り折に触れて「あの越前のそば―」と口にしたことから「越前そば」と命名されたという。あの中尾彬が絶賛したほど美味。福井駅の駅そばは至高。
- へしこ - 鯖に塩を振って糠漬けにした食べ物。とても辛いけどお茶付けにして食べるとめちゃウマ!西川貴教の好物。
- 鯖寿司 - 昔は若狭湾で水揚げされたサバを京都まで運んでいた。ちなみにそのサバが運ばれた道を鯖街道と呼ぶ。バッテラ(押し寿司)とは違う。近年では焼いた鯖を使用した「焼き鯖寿司」も有名。
- 水羊羹 - 福井の水羊羹は日本一いいいいいいいい!黒砂糖をふんだんに使った優しい甘さが特徴。「冬場に食べる」ため、夏場は一切存在しない。
- ソースカツ丼 - ヨーロッパ軒発祥(諸説あり)のカツ丼。福井の本家と、のれん分けして創業した敦賀の分家が存在する。しかし、同じくソースカツ丼で有名な会津若松市、駒ヶ根市としばし衝突することも。(フジテレビ系列番組「ほこ×たて」で福井のソースカツ丼と、会津若松のソースカツ丼でどっちが一番うまいか対決し、その時は見事福井のソースカツ丼が勝利した。)
- 油揚げ‐実は福井県は全国で最も油揚げ消費する県であり、豆腐を丸ごと揚げた「谷口屋の油揚げ」が有名。油揚げを軽く焼いて大根おろしをのせ、しょうゆをかけて食べると絶品。
- 越前茶 - 棒ほうじ茶と炒った大豆をブレンドしたお茶。コンビニなどへ行くと、地域限定で330mlペットボトルで売ってるぞ。地域のお茶として、ほうじ茶以外にも番茶と大豆をブレンドした「豆入り番茶」もある。
- 羽二重餅 - きめ細やかな羽二重織のような質感の餅菓子。端的に言えば求肥。土産店には必ず置かれていて様々なメーカーが作っているのでお土産にオススメ。何故かCMが和服の外国人女性。「メイカオリフク ハブタエフロシキ マエダセイカデス」
- 五月ヶ瀬 煎餅 - 硬い! うまい! ちょっと甘い! 落花生! お土産店に必ず(ry 石でも食ってんのかってぐらい硬い。でも一度噛み砕けばやめられない止まらない。落花生入り南部煎餅
伝統工芸品
- 越前漆器(鯖江市) - 継体天皇の時代まで遡る歴史を持つ。伝統だけでなく近代的素材を使って業務用分野へ販路を開拓している。
- 若狭塗(小浜市) - 漆と一緒に貝殻や卵の殻を塗り重ね研ぎ出す模様が特徴。江戸時代に小浜藩に保護されて発展したことから日用品よりも富裕層向けの調度品が作られた。現在では塗り箸が多く作られている。小浜市が舞台の朝ドラ「ちりとてちん」ではヒロインの実家が塗り箸屋だった。小浜市の特産品ということでオバマ大統領にも若狭塗り箸が贈られている。
- 越前焼(越前町) - 日用雑器の飾り気の無い素朴さが特徴。信楽焼や備前焼と並ぶ日本六古窯に数えられている。常滑焼の流れを汲み中世には日本海側最大の窯場として栄えた。しかし江戸時代以降茶器や美術品を作らず水甕や日用雑器ばかり作っていたので他窯にシェアを奪われ衰退し昭和の初めには風前の灯の状態だった。日本六大古窯に数えられるようになったのは戦後のことでこれにより越前焼は息を吹き返し現代では再び活気を取り戻している。
- 越前和紙(越前市) - 1500年の歴史を誇り古くから最高級和紙として朝廷・幕府の御用紙となっていた。そのため歴史的な公文書や文学・絵画作品には越前和紙が使われていることが多い。海外にも輸出されレンブラントが越前和紙を使っていたという説もある。2006年の悠仁親王命名の儀にも使われた。また日本最初の紙幣は福井藩札で明治以降も紙幣や有価証券に越前和紙が用いられている。これは越前和紙が古くから偽造防止の高い製紙技術を持っていたことを示す。にもかかわらず2014年の和紙のユネスコの無形文化遺産登録に越前和紙が含まれなかった。技術を継承するための団体が組織として国の重要無形文化財に指定されていないことが理由で今後保存会などを設立し追加登録を目指す。
- 越前打刃物(越前市) - 越前打刃物の包丁は一流料理人にも愛用されていて話題の切れすぎるステーキナイフも越前打刃物の技術。起源は南北朝時代に京都の刀匠千代鶴国安が伝えた刀鍛冶の技術といわれている。江戸時代には越前漆器の漆掻き職人が漆を求めて全国を行脚する際に越前打刃物の鎌を使うと同時に各地で刃物類を売り歩いたことで全国に流通した。
地理的表示(GI)保護制度登録産品
- 吉川ナス(鯖江市) - 鯖江市の旧吉川村一帯を中心に作られてきた肉質が緻密な丸ナス。煮崩れしにくく料亭などでも使用される。鯖江市内の道の駅西山公園では収穫時期限定で販売される吉川ナスバーガーは人気商品。
- 谷田部ねぎ(小浜市) - 小浜市谷田部(やたべ)集落を中心に栽培されている九条系のネギ。肉質が柔らかく直立して栽培できないので途中で斜めに植え替え根元が曲がっているのが特徴。
- 山内かぶら(若狭町) - 若狭町山内地区のみで栽培されているかぶら。肉質が硬く煮崩れせず葉もカブ菜として利用できるのでみそ汁や漬物に利用される。種子が厳格に管理されているので系統が守られている。
- 上庄さといも(大野市) - 大野市上庄(かみしょう)地区を中心に栽培されているサトイモ。サトイモ栽培に適した風土の大野盆地で古くから栽培されていたサトイモを昭和40年代に優秀な系統を選抜し品質を高め現在ではブランド化を達成している。肉質は緻密で煮崩れしにくく、もちもちとした食感が特徴。
- 越前がに(福井県) - ズワイガニ?いいや越前がにだね!ズワイガニを名物とする地域は他にもあるが他所に先駆けてカニへのタグ付けを始めブランド化に成功している。2015年からより品質の高いカニを選抜した最上級ブランド「極」も売り出した。
コシヒカリのふるさと福井
現在日本で最もポピュラーな米の銘柄といえばコシヒカリである。日本で最も有名なブランド米と言えば「魚沼産コシヒカリ」であり生産量も日本一なことからコシヒカリは新潟県のお米というイメージが強い。しかし福井県民は声を大にして言いたい。
コシヒカリの起源となる交配が行われたのは新潟県だが育種が行われたのは福井県である。品種改良は一回の交配で終わるものではなく育種によって性質が固定されて初めて品種の誕生となるため、コシヒカリという品種が生まれたのは福井県と言える。最終的に真価を見出したのは新潟県ではあるが…
福井県とコシヒカリにまつわるあれこれ
- 福井県で育種が始まって早々福井地震が起こり圃場や多くの稲が壊滅的打撃を受ける中コシヒカリの系統は奇跡的に難を逃れた。
- 同じ年、九頭竜川の氾濫による浸水被害を受けるが空梅雨で水不足であったため、むしろ恵みとなった。
- 育種当時は食糧増産の時代でコシヒカリのイモチ病に弱く倒れやすいという性質は致命的な欠点であり味も評価の対象外であったため廃棄されてもおかしくなかったが熟色(品質)の良さが捨てがたく何とか品種登録にこぎつけた。
- 命名にあたっては福井県と新潟県に縁が深いことから北陸地方の古代の呼称である越(こし)の国に光り輝く品種になるよう願いを込めて「コシヒカリ」と命名された。
- 福井県はコシヒカリの姉妹品種である「ホウネンワセ」を奨励品種に採用していたためコシヒカリの普及は遅れた。
- コシヒカリを育種した石墨慶一郎はコシヒカリを福井県の奨励品種に採用することに反対した。栽培に手間がかかり農家が苦労すると考えたからである。
- コシヒカリ発祥地としてポストコシヒカリ品種の開発を進め2017年に品種登録、名前は一般公募の中から「日本一(いち)おいしい、誉れ(ほまれ)高きお米」の思いを込めて「いちほまれ」と命名され、2018年から本格販売を開始した。
恐竜王国福井
1982年に勝山で恐竜と同時代のワニ化石が発見されたことや石川県での恐竜化石の発見(奇しくも福井県の女子中学生が発見者だった)により1989年から福井県での本格的な恐竜発掘が始まった。以後次々と恐竜化石が発見され2020年4月現在、国産恐竜化石の8割以上が福井県で産出し、国内で有効な学名が付けられた恐竜9種のうち6種が福井県で発見されている。
このことから数少ない名物として福井県が「恐竜王国」を熱心にPRしている。ご当地マスコットもジュラチック(福井県公式恐竜ブランド)・はぴりゅう(福井国体マスコット)・リューピー君(福井県警マスコット)など恐竜のモチーフが多い。2000年には福井県立恐竜博物館が開館し福井県屈指の観光施設であると同時に国内随一の恐竜研究施設にもなっている。
2015年には北陸新幹線金沢開業に合わせて新幹線はまだ来ないのに福井駅前に学術的に正確に再現された実物大の福井県産恐竜3体の動くモニュメントが登場した他、県内の駅のホームに恐竜博士が座るダイノベンチも出現している。これにはTwitterなどで反響があったが「恐竜より福井駅にこんなに人がいることに驚きだよ」と恐竜出現より人だかりの方が珍しい恐竜王国福井であった。北陸新幹線敦賀開業時も同じ様な反響があっただろう・・・。
そして2020年の新型コロナ禍でもソーシャルディスタンスの例えがフクイラプトル(全長4m)の恐竜王国福井である。
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福井の恐竜
- フクイサウルス・テトリエンシス(Fukuisaurus tetoriensis)
1989年から始まった第一次発掘調査で発見された、イグアノドン類に属する草食恐竜。発見当初は「フクイリュウ」の愛称が付けられていたが2003年に新種の恐竜として正式に学名が付けられた。福井県産の恐竜として最初に愛称が付けられ全身骨格が復元された恐竜であることから長らく福井県産恐竜の顔として親しまれている。第四次発掘調査では二個体目の化石が発見された。 - フクイラプトル・キタダニエンシス(Fukuiraptor kitadaniensis)
第一次発掘調査で発見された当初アロサウルス類とされた「カツヤマリュウ」の化石とドロマエオサウルス類とされた「キタダニリュウ」の化石がその後の研究の結果アロサウルス類の同一個体の化石と判明し2000年に全身骨格が復元されフクイラプトルの学名が付けられた。通常「ラプトル」は小型獣脚類(ドロマエオサウルス等)につけられる名だが前述の経緯から大型獣脚類にもかかわらずこの名がついた。折しも学名が付けられた2000年は福井県立恐竜博物館の開館年で、フクイサウルス(フクイリュウ)とともに福井県産恐竜の二枚看板として様々な場に登場している。肉食恐竜で迫力があるせいかフクイサウルスよりも目にする機会が多い。2016年には日本地質学会により福井県の石(化石)に選定された。また福井県のご当地ナンバープレートのデザインにも採用された。
- フクイティタン・ニッポネンシス(Fukuititan nipponensis)
2007年第三次発掘調査の準備作業中に発見され2010年6月、日本で最初に学名がつけられた竜脚類(カミナリ竜)となった。福井県産恐竜の中では新顔で全身骨格は復元されていないがフクイサウルス(鳥脚類)・フクイラプトル(獣脚類)と並ぶとバランスがいいので復元イラストではよく登場する。 - コシサウルス・カツヤマ(Koshisaurus katsuyama)
2008年第三次発掘調査で発見され、フクイサウルスとは別種のイグアノドン類と知られていたが研究を進めた結果、新種と判明し2015年に正式に学名が付けられた。学名の「コシ」はコシヒカリと同様北陸一帯の古い呼称である「越の国」に由来する。フクイサウルスと比べて進化的なイグアノドンのグループで上顎骨の歯の舌側が角ばっていることが特徴。1か所で2種のイグアノドン類が発見されたのは日本初で福井県勝山の当時の恐竜の多様性や化石発掘現場の地層に含まれる恐竜化石の豊富さを示す。 - フクイベナートル・パラドクサス(Fukuivenator paradoxus)
2007年第三次発掘調査で全身骨格の約64%が発見され2009年に全身骨格が復元された。福井県産化石の中でもまとまった良好な状態で発見されていて福井県産恐竜では3体目となる全身骨格が復元された恐竜。当初は頭骨などからドロマエオサウルス類とされていたがその後の研究で大腿骨などの特徴からやや原始的なマニラプトル形類ということが判明し2016年に正式に学名が付けられた。学名のパラドクサスはラテン語で逆説を意味し、これは原始的特徴と進化的特徴が混在することに由来する。これまで復元イラストなどで登場していたものの学名が付けられた恐竜達に隠れて影は薄めだったが今後は注目を集めることが期待される。 - フクイプテリクス・プリマ(Fukuipteryx prima)New!
2013年第四次発掘調査でまとまった骨格が発見され、2019年に学名が付けられた原始的な鳥類。(※分類上鳥類も恐竜である。)学名が付けられる前は「北谷化石鳥」とも呼ばれていた。発見された地層は化石が期待できない地層であったがフクイティタンが発見されている地層と同じということで化石らしきものが見えている岩石を採集してクリーニングしたところ密集した骨化石が発見された。偶然と継続的に調査を続けていたことによってできた発見である。 - オルニトミモサウルス類
いわゆるダチョウ恐竜類。最初に見つかったのは断片的な標本のみだが国内では3例目の貴重な発見で、2018年にはまとまった化石が見つかった。 - ヨロイ竜
足跡化石が2015年に見つかっていたが2017年には歯の化石が発見された。
これらの恐竜は福井県立恐竜博物館で実物化石が常設展示されている。そして2016年には発掘現場と学名が付けられた5種の恐竜化石が国の天然記念物に指定された。また恐竜の足跡や卵殻化石、同時代の哺乳類や鳥類化石も見つかっていて今後も新発見や新種発見が予想される。
福井出身の有名人
歴史上の人物
- 朝倉景鏡 - 戦国武将。朝倉氏一族。越前国。
- 朝倉景紀 - 戦国武将。朝倉氏一族。越前国。
- 朝倉景健 - 戦国武将。朝倉氏一族。越前国。
- 河合吉統 - 戦国武将。朝倉氏家臣。
- 魚住景固 - 戦国武将。朝倉氏家臣。
- 真柄直隆 - 戦国武将。朝倉氏家臣。越前国真柄荘(武生市真柄町)出身。
- 真柄直澄 - 戦国武将。朝倉氏家臣。越前国真柄荘出身。直隆の弟?同一人物?
- 前波吉継 - 戦国武将。朝倉氏家臣。越前国足波郡前波村(福井市前波町)出身。
- 細川ガラシャ(明智玉) - 戦国武将・明智光秀の朝倉氏家臣時代に生まれた娘。越前国出身。
芸能人など
- 高橋愛 - アイドル。坂井市出身。モーニング娘の元メンバー(6代目リーダー)。
- ケンドーコバヤシ - タレント、芸人。福井市生まれ。ただし育ったのは大阪(実際は「事実無根のネタ(本人談)」という話も)。
- 川本真琴 - ミュージシャン。福井市出身。「るろうに剣心」の2代目OP『1/2』を歌った人。
- 大槻真希 - 歌手。越前市(旧武生市)出身。「ONE PIECE」エンディングテーマ『memories』を歌った人。
- 池田貴史 - キーボーディスト。鯖江市出身。Laughin'に所属、「レキシ」としてもソロ活動を展開する。
- 日野陽仁 - 俳優。「八丁堀の七人」同心・吉岡源吾役の人。
- 林明寛 - 俳優。越前町出身。「ミュージカル・テニスの王子様」海堂薫役の人。
- 根谷美智子 - 声優。越前市(旧武生市)出身。「地獄先生ぬ~べ~」律子先生の声の人。
- 石塚運昇 - 声優。勝山市出身。オーキド博士の声の人。
- 寺島幹夫 - 声優。県立藤島高校卒。「科学忍者隊ガッチャマン」ベルク・カッツェの声の人。
- 木村亜希子 - 声優。永平寺町出身。「ロックマンエグゼ」ロックマンの声の人。
- 安済知佳 - 声優。「響け!ユーフォニアム」高坂麗奈の声の人。「ちはやふる」にレギュラー出演した際には福井弁指導も担当。
- 蒼井翔太 - 声優。「ポプテピピック」蒼井翔太の人「うたの☆プリンスさまっ♪」美風藍の声の人。
スポーツ選手
- 天龍源一郎 - 元力士、プロレスラー。勝山市出身。
- 大徹忠晃 - 元力士、湊川親方。大野市出身。
- 東出輝裕 - 元プロ野球選手(内野手)。現打撃コーチ。鯖江市出身。
- 齊藤悠葵 - 元プロ野球選手(投手)。永平寺町出身。
- 横山竜士 - 元プロ野球選手(投手)。勝山市出身。
- 天谷宗一郎 - 元プロ野球選手(外野手)。鯖江市出身。
- 牧田明久 - 元プロ野球選手(外野手)。越前市出身。
- 高橋聡文 -元 プロ野球選手(投手)。高浜町出身。
- 川藤幸三 - 元プロ野球選手(外野手)。美浜町出身。
- 中村悠平 - プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ、捕手)。大野市出身。
- 吉田正尚 - プロ野球選手(オリックス・バファローズ、外野手)。福井市出身。
- 栗原陵矢 - プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス、捕手)。福井市出身。
- 山田修義 - プロ野球選手(オリックス・バファローズ、投手)。福井市出身。
- 平沼翔太 - プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ、内野手)。福井市出身。
著作家・クリエイターなど
- 舞城王太郎 - 作家。南越前町(旧今庄町)出身。「阿修羅ガール」で第16回三島由紀夫賞受賞。「ID:INVADED イド:インヴェイデッド」シリーズ構成・脚本。
- 殊能将之 - ミステリー作家。県立藤島高校卒。「ハサミ男」など。
- きゆづきさとこ - 漫画家。「GA 芸術科アートデザインクラス」など。
- 石黒正和 - 漫画家。「それでも町は廻っている」など。
- 桂正和 - 漫画家。「ZETMAN」など。
- 高村和宏 - アニメーター。ガイナックス所属。股間督。
- loundraw - イラストレーター。福井市出身。「君の膵臓をたべたい」の表紙イラスト(足羽川堤防の桜並木がモデル)など。
その他
- 稲田朋美 - 政治家。越前市(旧今立町)出身。衆議院議員。小泉チルドレンの一人。元防衛大臣。
- 竹中直純 - プログラマ。敦賀市出身。未来検索ブラジル創業者、タワーレコード元CTO、ニワンゴ取締役など。
ニコニコの有名人
- ななひら - 歌い手。妹系萌え系ボイスの持ち主。
- recog - 歌い手、実況プレイヤー。
- 福井の鉄道の人-主に鉄道系動画製作者。
- ボンテリP - アイドルマスターのプロデューサー。作中に福井ネタ多し。
- けいえむ(K.M) - MIDIの耳コピ打ち込み・オーケストラアレンジが得意な動画制作者。
- ヨモ - ニコニコマイリストランキング予想スレwiki管理人、雑談生主。
- luz(ルス) - 歌い手、生放送主。
架空の人物
- 安斎都 - アイドルマスターシンデレラガールズの登場人物。探偵娘。
- 大原みちる - アイドルマスターシンデレラガールズの登場人物。パン大好き娘。
- 桐生つかさ - アイドルマスターシンデレラガールズの登場人物。社長アイドル。福井エリアボス。
- 堀裕子 - アイドルマスターシンデレラガールズの登場人物。サイキックアイドル。
- 仁藤攻介 - 仮面ライダーウィザードの登場人物。仮面ライダービーストに変身する。
※ ニコニコ大百科に記事のある方のみ記載して下さい。
福井が舞台の作品
- AIR(八百比丘尼伝説は小浜市に伝わる伝説。アニメでもゆかりの寺を基にした風景が登場する)
- 電脳コイル(舞台の大黒市のモデルの一つが鯖江市とされる)
- GA 芸術科アートデザインクラス(作者が福井出身で福井の風景を基にした場面がしばしば登場する)
- 蔵の宿(坂井市の久保田酒造がモデル)
- 鉄人ガンマ10巻
- ゴジラvsビオランテ(ゴジラが高浜原発に向かって進撃し、その前にビオランテが立ちはだかる)
- 釣りバカ日誌7
- ガンバ!Fly high(体操の全国大会が福井県で行われる)
- ちりとてちん(ヒロインが小浜市出身でその他県内各地の観光地が登場する)
- 中二病でも恋がしたい!(ヒロインの祖父母宅周辺のモデルが美浜町)
- メガネブ!(鯖江市が舞台のモデル)
- グラスリップ(坂井市三国町が舞台のモデル)
- THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!(合宿所の民宿わかさとその周辺のモデルが高浜町)
- アイドルマスターシンデレラガールズ(アニメ)(同上)
- アイドルマスターSideM(アニメ)(同上)
- 天皇の料理番(越前市出身で宮内省大膳職司厨長を務めた秋山徳蔵が主人公のモデル。)
- 下町ロケット(福井市の福井経編をモデルにした企業が登場しドラマでもロケ地となった)
- チア☆ダン(福井商業高校チアリーダー部「JETS」が全米選手権を制覇した実話を基にした映画)
福井県の誕生
近代以前
奈良時代以降現在の福井県にあたる地域には越前国と若狭国が設置されていた。この時点で福井県の輪郭が見えるが廃藩置県以前に越前・若狭両国が統合された地方行政区分になったことは無い。
戦国時代には越前では守護代から下克上を果たした朝倉氏が一乗谷を拠点に栄華を築いた。若狭では守護の(若狭)武田氏が戦国大名化した。若狭武田氏はしばしば幕府の戦いに駆り出されたため領国支配が安定しなかったが、反面歴代当主が文芸に秀で京の文化が若狭に流入した。若狭武田氏は最終的に朝倉氏に屈服することになるが朝倉氏は若狭を掌握しきれず若狭国人討伐の名目で織田信長の朝倉氏討伐を招くことになる。
江戸時代には初め越前一国に徳川家康の次男である結城(松平)秀康が、若狭一国に京極高次がそれぞれ封ぜられた。その後越前では秀康の長男の素行不良により藩領が縮小されると以後越前には小藩が分立し藩領・天領・飛び地が錯綜するようになった。一方若狭では越前敦賀郡が加えられた後京極氏が移封され代わりに幕府老中の酒井忠勝が入り以後幕末まで若狭一国+敦賀郡の酒井氏統治が続いた。
廃藩置県
廃藩置県直後は幕末の藩がそのまま県となったため若狭国は旧敦賀藩と合わせて小浜県となったが越前国は9つの県に分かれて飛び地など境界が複雑に入り乱れていた。参考
明治4年(1871年)
越前国の坂井・吉田・足羽・大野・丹生郡と幕府直轄地であった加賀国の白山麓地域が合わさって福井県が、若狭国と越前国の今立・南条・敦賀郡が合わさって敦賀県が誕生した。この福井県はその年の内に足羽県に改称される。これは旧藩名から県庁所在地の郡名にしたものだが、福井藩が親藩であったため明治政府がその名を嫌ったとも県側が政府を憚ったとも言われている。 また敦賀県に今立・南条郡が含まれたのは人口の調整の為、県庁を敦賀に置いたのは明治政府が国際貿易港として敦賀港を重視したほかに戊辰戦争の際に幕府側についた小浜藩の解体を意図したとも言われる。明治5年(1872年)には白山麓地域が石川県へ編入され現在の県域の原型ができた。
明治6年 (1873年)
敦賀県が足羽県を編入し現在の福井県とほぼ同じ県域になったが県庁所在地は敦賀のままであったので往来の難所である木ノ芽峠(木嶺)以北の越前七郡の不満が高まり県庁移転運動がおこる。「木嶺以南」を「嶺南」、「木嶺以北」を「嶺北」とする区分が生まれたのはこのときである。
明治9年 (1876年)
県庁問題と全国的な県統合の動きから現在の嶺北地方は石川県、嶺南地方は滋賀県に編入され敦賀県は消滅した。 滋賀県に編入された嶺南地方では元々交流が深かったことから特に大きな混乱は無かったが嶺北地方が編入された現在の富山県も含んでいた当時の石川県(通称大石川県)では金沢が主導権を握っていたため地域対立が激しかった。
明治14年 (1881年)
石川県から嶺北地方が分離、合わせて滋賀県に編入されていた嶺南地方を分離合併しここに現在に至る福井県が誕生した。この時嶺南地方住民の意向は考慮されず滋賀県に比べて福井県の税金が高かったこともあり滋賀県復帰を求める分県運動がおこる。結局滋賀県復帰は実現することは無かったが現在でも対立感情は残り道州制では分県してでも関西入りを目指すと嶺南首長が公言するほどである。
明治14年で現在の福井県は誕生した。しかし実はこれ以降にも県域は変化している。
それは1958年(昭和33年)大野郡石徹白村の岐阜県側への越県合併である。 昭和の大合併の際に石徹白村は冬季の往来の困難さと岐阜県側との交流の深さ、福井県の対応の不信感から越県合併を主張した。福井県は阻止しようとしたものの最終的には自治庁の裁定により石徹白村の2集落を福井県和泉村に編入し残りの大部分は岐阜県側へ越県合併をした。これにより福井県は九頭竜川の最長源流を失った。
このことは忘れられているのか用意するのが面倒なのか昭和以前の福井県の図でもしばしば石徹白地域を含まない図が使われる。
石徹白村越県合併前 | 石徹白村越県合併後 |
市町村の位置
各市町村のニコニコテレビ君の旗をマウスオーバーすると市町村名が表示され、クリックするとその項目までジャンプします。色分けに意味はありません。隣接関係は正確ですが面積比は正確ではありません。
福井県内の地名
県内の難読地名・珍地名・歴史的な地名を紹介する。荘園由来地名(名田庄など)は多いので割愛。
- 福井(ふくい/県名・市名) - 元の地名は北ノ庄だったが越前松平家3代松平忠昌が敗北に通じるということから(実際に柴田勝家が自刃し先代忠直が隠居に追い込まれている)福が居る「福居」と改められた。しかし幕府からの文書で「福井」と間違えられ藩側も訂正できず「福井」を用いるようになったという残念な経緯を持つ。
- 越前(えちぜん/旧国名・市町名) - 古代に現在の敦賀から新潟県にかけての一帯は越(高志)国と呼ばれていた。それが三分割され都に近い順に越前・越中・越後となった。
- 足羽(あすわ/福井市) - 旧郡名や福井市中心部に位置する足羽山や足羽川で県民にはなじみ深い地名だが実は難読。「あしばね」や「あしかが(足利)」ではない。
- 遠敷(おにゅう/小浜市) - 全国的に見ても屈指の難読地名だが平成の大合併以前は郡名として使われていたので嶺南住民は何の疑問もなく読める。元は「小丹生」で美しき(小)水銀(丹)の産地(生)くらいの意。好字令によって「遠敷」に改められた。読ませ方はオンフ→オニウ→オニュウでこの変化はシンノ→シナノ(信濃)、ナンハ(゛)→ナニワ(難波)と同様。
- 無悪(さかなし/若狭町) - 県内一の難読地名。「無悪善」(さがなくばよし)の逸話で知られる小野篁逗留伝説が残る。元は「坂足」か。
- 下タ中(したなか/若狭町) - 2文字目はカタカナ。漢字仮名交じりで、助詞でも外来語でもないカタカナが含まれる珍しい地名。読みのための補助的なカタカナがいつの間にか大きく書かれるようになった。
- 敦賀(つるが/敦賀市) - 福井県の主要都市で県民は何の疑問もなく読んでいるが「敦」に「ツル」の読みはないため初見では絶対に読めない難読地名。初見では「アツガ」や「カクガ」と読まれる。元は「角鹿」で読みは「ツヌガ」だった。「敦」の古代の発音からトゥンガ→ツヌガと読ませ「敦賀」の字があてられたあと読みが訛り「ツルガ」となった。
- 新田塚(にったづか/福井市) - 江戸時代に地中から立派な兜が見つかり、これが南北朝時代にこの地で討ち死にした新田義貞のものとされたことが地名の由来。しかし近年の調査によると兜は一向一揆のものだっらしい。
- 三方上中(みかたかみなか/郡名) - 平成の大合併で三方郡三方町と遠敷郡上中町が合併する際に新設された郡。旧町名をつなげたもので愛知県西春日井郡と並んで日本最長の郡名。「三方」は元は「三潟」で由来は未詳だが三方五湖のことだろうか。「上中」は元々北川流域を中郡と呼びその上流部を上中と呼んだ。
福井県の自治体
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平成の大合併前 | 平成の大合併後 |
平成の大合併前から自治体が最も少ない県だったが平成の大合併でさらに自治体が減り17になった。ただし現在自治体数が最も少ない県は富山県の15。郡単位の合併と越郡合併により大飯郡以外は一郡一町となり村は無くなった。まとまりすぎて旧市町村名を使ったほうが分かりやすいことも。
嶺北地方
木ノ芽峠を境にして県の北東地域。敦賀と旧石徹白村を除く旧越前国。律令制で四等級中最上級の大国で歴史的に有力者が支配してきた。
文化も気候も北陸圏で、福井県でイメージされることはだいたい嶺北のこと。ただし大野市と勝山市は奥越地方に分けられることもあり、こちらは飛騨文化の影響も見られる。平野部でも雪が積もり山間部は豪雪地帯でスキー場がある。ただし沿岸部は暖流の影響で積雪は少ない。
地形は若狭湾のリアス式(沈降)海岸に対して越前海岸は隆起海岸で北部の福井平野以外は海岸沿いに平地が少ない。そのため沿岸部の道路は海岸線を走っており景色はいいががけ崩れや高波でしばしば通行止めになる。河川は沿岸部以外ほぼ全域が九頭竜川水系(九頭竜川・日野川・足羽川)でまさに母なる川。そのため基本的に人口密集地は内陸の川沿いに有る。
平成の大合併では合併が進み鯖江市、勝山市、池田町以外は合併に参加した。郡単位で合併が進んだため一郡一町となり地図がかなりすっきりした。しかし「越前」のつく自治体が3つ誕生してさらに全て隣接しているのでややこしくもなった。
福井市
自然・活気・誇りにみちた 人が輝く かえりたくなるまち ふくい
- 人口 254,502人
- 戦災、大地震、大水害の三重苦から復活を遂げたことから、自ら不死鳥の都市と呼んでいる。
- 日本で最初に市制が施行された市の一つで当初は福井城下程度の市域だったが周辺自治体と編入合併を繰り返し現在は日本海から越美山地まで広がる当初の120倍の面積になっている。ただし50%は山林。
- 海に面してはいるが市街地は内陸にあるため積雪量は金沢市や新潟市よりも多い。
- 東部山間部には一乗谷朝倉氏遺跡と佐々木小次郎が燕返しを編み出したとかいう伝説が残る一乗滝がある。
- 柴田勝家は脳筋武将とイメージされがちだが福井での治世は現在までつながる福井の城下町の整備や産業振興など内政の手腕を発揮し福井市の基礎を築いている。
- 繊維業が盛んで、セーレンなど福井市に本社がある企業もある。
- ソースカツ丼のヨーロッパ軒総本店がある。
- 駅前はシャッター通りとまでは行かないが、完全にモータリゼーションに押されて過疎地帯と化しつつあった。事実国道8号線バイパス沿いには大規模なロードサイドショップが多数出現しており、そっちのほうが活気があったりもする。
- しかし最近では、東京から北陸新幹線が2024年3月16日にやってきたとあって駅近辺の再開発が盛んになっており、AOSSA・ハピリンといった派手な商業ビルが既にオープンしている。
- AOSSAであおっs・・・いや、なんでもない。
越前市
国府の文化と匠の技、日野の山川に育まれ ひとづくり、ものづくり、まちづくりの活力みなぎる「元気な自立都市 越前」
- 人口 78,267人
- 2005年10月1日に武生(たけふ)市と今立町が合併してできた市である。
- 武生中心部には越前国府が置かれ平安時代に藤原為時が越前守として赴任した際に娘の紫式部も一緒に住んでいたらしい。
- 越前町と南越前町に挟まれ一番後出しの命名だったので物議を醸す。
- 鯖江との合併未遂でかなり荒れた。
- 日本三大菊人形に数えられるたけふ菊人形が毎年開催されている。
- ボルガライスという名前の由来や発祥もはっきりしないローカルフードがある。
- 歌人の俵万智(たわらまち)が少女時代を過ごし通学に田原町(たわらまち)駅を利用していたので名前を覚えられやすかったという。
- 天皇の料理番こと秋山徳蔵の出身地で昭和天皇が来福した際に徳蔵の手配で天皇の献立に「おろしそば」が加えられた。このそばを昭和天皇が気に入り折に触れて「あの越前のそば―」と口にしたことから「越前そば」と命名されたという。
- 「ねこ寺」という別名で有名な『御誕生寺』があるのもここ。寺の境内では30匹程の野良猫が住んでおり、猫のお世話も修行僧の修行の1つとなっている。一時期多くて80匹もいたそうだが、境内で譲渡会を行い、現在の数にまで減っているが今でも猫を捨てていく者が跡が絶たないらしい・・・。
- 北陸新幹線の駅「越前たけふ駅」が建設されたが武生駅から大分離れている上に周辺には何も無い。(現在西側に福井村田製作所の研究開発拠点「セラミックコンデンサ研究開発センター」が建設中)武生駅方面へのシャトルバスは500円と少々お高め。Yahooの乗換案内も京都方面からはは敦賀駅で、金沢方面は福井駅でハピラインふくいに乗り換えることをオススメされる。
鯖江市
めがねのまち さばえ
- 人口 67,287人
- 「さば」の漢字のつくりは青ではなく靑が正式。(青の下の部分が月ではなく円)
- 福井の中でもその地味さはトップクラス。電脳コイルのモデルになったとか。
- とはいえ西山公園のツツジは福井県の見どころの一つとしてなかなか良いものだと思われる。
- 面積は小さいが平地が多いので人口密度は県内一。
- コンパクトにまとまっているので割と攻めた政策をしている。
- 眼鏡と漆器のまち。ちょっとお高い国産眼鏡は鯖江産と思って良い。グニャラくんの眼鏡も鯖江産?
- 眼鏡以外にも伝統工芸の越前漆器は業務用漆器シェア8割を誇る。
- 鯖とか江とかいかにも海っぽい地名だが海に面していない。
- 一応、特急列車が停車していた。…が北陸新幹線が開通し特急列車が廃止、新幹線駅も設置されないという憂き目にあったので市は危機感を募らせている。(一応福井駅へはハピラインふくいで15分程で行けるので福井への通勤に良い場所ではあると思われる。)とはいえ敦賀駅or福井駅でハピラインふくいに乗り換えを推奨されるのは越前市武生駅も同じなのであまり変わらないか・・・。
- 北陸新幹線敦賀開業後の2024年のゴールデンウィークのさばえ街なか商店街の様子を見る限り閑散としておりオーバーツーリズムに悩まされることは無さそうな感じだった。
- データシティ鯖江を目指し行政情報のオープンデータ化に取り組み注目される。リアル電脳コイルも夢じゃない!?
- 女子高生もまちづくりに参加してもらおうと鯖江市役所JK課プロジェクトを発足させた。
- それに刺激されておばちゃんを中心とした鯖江市OC課も発足した。
- さばえ街なか商店街は月ごとに変わる片側の道路に駐車出来る謎システムがある。奇数月は東側に、偶数月は西側に駐車できる。
あわら市
- 人口 26,272人
- 県内唯一の温泉街『芦原温泉』があり、石川の加賀温泉郷とともに関西から多くの湯治、宿泊客が訪れる。福井県民にとってはそれだけらしいが、逆に関西からすると「芦原」以外行かな…。
- もっと言えば、遊園地?の「芝政ワールド」があるくらい…
- 2024年3月の北陸新幹線が開通で芦原温泉駅が停車駅になった。
- ちはやふるの登場人物、綿谷新の出身地でアニメや実写映画のロケ地にもなったことからアニメ出演声優や映画出演俳優のトークイベントが行われる。
大野市
- 人口 30,440人
- 九頭竜川の源流地域。
- 県内で最も面積が大きい自治体だが87%は山林で豪雪地帯。大野盆地以外は山とダム。
- とは言っても大野盆地は古くから越前・美濃を結ぶ交通の要衝で奥越の中心として栄えた。
- 戦国時代に織田信長配下の金森長近が城下町を整備し北陸の小京都とも呼ばれる。
- 現在の大野城は昭和に復元されたものだが朝霧に浮かぶ城の様子が天空の城と話題に。
- 大野市内に降った雨水が全て大野盆地に集まることから湧水が多く「水の郷百選」に選ばれている。
- 湧水池の一つ本願清水は平成の名水百選に選ばれている他「陸封型イトヨ生息地の南限」ということで、昭和9年に国の天然記念物に指定されている。
- 勝山市と地層がつながっているので大野市でも恐竜化石が出る。化石発掘体験の穴場スポット。
- 2017年には大野市化石発掘体験センター「HOROSSA!」(ホロッサ、福井弁で「掘ろうよ!」の意味。)がオープンした。
- 道の駅九頭竜には親子恐竜像が設置されていて冬に冬眠(撤収)し春に再登場するのが季節の風物詩。
- 日本最凶酷道として名高い、国道157号温見峠があるのは、ここ。
勝山市
- 人口 20,904人
- 恐竜の化石出土量が日本一。日本で化石が発見されたニュースが流れると、大抵は勝山である。
- 恐竜のまちということで市内に恐竜のモニュメントが設置されていてマンホールも恐竜化石柄。
- 県立恐竜博物館は「世界三大恐竜博物館」の一つらしい。
- 冬はスキー観光客で溢れかえる。そのスキージャム勝山は関西ではジャムカツと呼ばれ、それ以外は「なんだ、そのゲテモノみたいなカツは?」と誤解される。
- 人口が県内最少の市だが↑の2つにより市内には県外ナンバーの車が多い。
坂井市
- 人口 86,372人
- 人口が福井ナンバー2の市。福井市の衛星都市。
- 県内で平成の大合併で最後に合併した福井県で最も新しい市。
- 当初は春江町と坂井町が合併し春坂市になる予定だったが合併直前で白紙となった。
- その後三国町と丸岡町を加えた坂井郡4町で合併が協議され、突如春江町が合併協議を離脱、後に復帰するなどの混乱があったがなんとか坂井市が誕生した。
- 市の中部を福井平野が占めるため農業が盛んでコシヒカリの生産量は県内一。
- 西部の丘陵地帯は花らっきょやスイカが、東部の丸岡地区ではソバ作りが盛ん。
- 福井県ブランド牛である若狭牛も若狭と言いつつ飼育頭数は坂井市が最も多い。
- 三国競艇がある。
- 特急「加越」のトレインマークにもなっていた、柱状節理の東尋坊がある。自殺の名所という悪い噂を払拭しようと運動が行われているが、そもそもの名称の由来が殺された坊さんの名前…。
- 現存12天守のひとつである丸岡城(重要文化財)があるのはここ。
- 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」で有名な手紙のお仙とはのちに丸岡城主となる本多成重のことである。このことにちなみ日本一短い手紙 一筆啓上賞が募集される。
- 県内ではおなじみのゲンキーやPLANTや五月ヶ瀬の本社がある。
永平寺町
池田町
- 人口 2,176人
- 嶺北では数少ない平成の大合併で合併に参加しなかった町。
- 総面積の90%以上を山地が占め足羽川の源流地域である 田舎 自然豊かなのどかな町。
- ありふれた自治体名が地味さに拍車をかけるがそれを逆手に取って他道府県の池田町と「全国池田サミット」に参加し現在も交流を深めている。
- 水海の田楽・能舞が国の重要無形民俗文化財に指定され能面美術館がある伝統を受け継ぐ町。
- 住民の高齢化や過疎化で状況は厳しいが平成の大合併には静観の構えを示すなど独自の道を模索している。
- 元々林業で栄えた町で山しかない森林資源が豊富なことから「木望のまち プロジェクト」と銘打って木を薪や建材に利用する”木活”、町産材で作った小学校の机やつみきをプレゼントして子供たちが木に親しむ”木育”に取り組んでいる。
- 取り組みの中でも目玉は日本最大の冒険の森と銘打たれた「Tree Picnic Adventure IKEDA」でメインアトラクションのジップラインは日本最長(池田町調べ)、他にも森を利用したアスレチックなどがあり県外のメディアにも注目されている。アトラクションの利用料金はやや値が張る(3000円程度)がこれはスタッフを正社員で雇用するための料金設定。初年度の利用者数は好調だったが池田町内の他の観光や宿泊などへの波及効果が少なく今後の課題。
記事の人口を反映させていて気付いたが、2900人から2100人に減少していて驚く。
南越前町
- 人口 9,564人
- 南条郡の3町村が合併してできた町。
- しかし河野地区と南条・今庄地区を町内で直接つなぐ道路が無く飛び地状態である。2013年にホノケ山トンネルが開通して問題は解消された。
- 越前国の南端は敦賀だが現代では越前とみなされないことが多いため特に問題にならなかった。
- 嶺北地方でも南端に位置するので関西の電波が入る。
- 河野地区は敦賀原発の対岸にあたるので嶺北地方では唯一準原発立地地域に指定されている。
- 宿場町として栄えた今庄宿があり現在でも立派なうだつを持つ伝統的な建物が残されている。
- 宿場町としては明治に海沿いを通る国道8号線が開通すると衰退したが鉄道が開通すると今庄―敦賀間の急こう配を越えるため今庄駅で機関車の増結が行われ機関区も設けられたため国鉄の町としてにぎわった。
- ところが北陸トンネルが開通すると今庄駅で停留する必要がなくなり特急の通過駅となってしまって再び衰退していった。当たり前だが北陸新幹線敦賀開業でも駅が設定される事はなく衰退したまま現在に至る。
- 現在でも今庄駅には給水塔などが残り、観光資源化を目指している様子。
- 岐阜県境付近に日野川の源流であるほか、龍神伝説のある夜叉ヶ池があるが岐阜県と帰属をめぐってもめている。
越前町
「人と技 海土里(みどり) 織りなす 快適なまち」 -越前 E-town Brandの創造-
- 人口 21,538人
- 丹生郡の4町村が合併してできた町。
- 平成の大合併以前からの越前町が合併に参加したのはここ。
- 越前ガニ漁が盛んで越前がにミュージアムがある。
- 越前海岸で一番突き出ている越前岬がある。と言ってもあまり出っ張っていないのでわかりにくい。
- 越前岬には越前岬灯台や越前岬水仙ランドが整備されギリシャ神話で水仙になったナルキッソスにちなんでギリシャ神殿風な周囲から浮いた外観の建物がある。
- 織田地区は名前からも分かる通り織田信長を輩出した織田氏発祥の地。ただし読みは「おた」。
- 窯業も盛んで、宮崎地区には越前焼の窯がある。
嶺南地方
木ノ芽峠を境にして県の南西地域。旧若狭国+敦賀。平地は狭いものの都に近く豊かな海産物や製塩、交易により古くから重視されていた。若狭国は朝廷に海産物を献上する「御食国(みけつくに)」であったと考えられ若狭国から塩や海産物が運ばれていたことを示す木簡が大量に出土している。越前国であった敦賀も歴史的に結びつきは若狭の方が強く江戸時代には敦賀藩は小浜藩の支藩だった。
嶺北地方とは対照的に関西文化圏で北陸文化とはあまり縁がない。そのため嶺北よりも関西への帰属意識が強く嶺北のことを聞かれても分からず嶺北と一緒にされるのを嫌う。「福井弁しゃべらないの?」は禁句。気候は日本海側気候だが標高の高い山が無いため積雪は比較的少なくスキー場もない。むしろ滋賀県側にスキー場があり積雪も多かったりする。
地形は教科書にも載っている典型的なリアス式海岸(三陸海岸の扱いの方が大きいが)で山と海が迫り平地が少ない。河川は大河は無く短い河川の各河口周辺の限られた平野に市街地が形成されている。半島部はほとんど平地はなくわずかな平地に集落が形成されている。半島部の集落へは今では道路が整備されているがかつては船が主な移動手段だった。半島を一周する道路はなく土砂崩れで寸断されるとたちまち陸の孤島と化す。
かつては漁業や夏の海水浴を主とする観光業が主要な産業の地域だった。しかし敦賀原発が建設されたことを皮切りに4自治体に原発が建設され原発関連産業で地域経済がにぎわい原発立地自治体は原発関連の収入で潤っている。また非原発立地自治体でも原発関連企業や作業員の宿泊などで原発の経済的恩恵を受けているため嶺南地方では全体的に原発に肯定的である。そのため他の原発立地地域と比べてもやや特殊で原発再稼働の際の周辺地域の同意の問題というのは嶺南以外の地域のことである。
国道27号線を自動車で走っていると道路に門のようなものがいくつか設置されている。これは原発事故の際に封鎖するためという噂もあるが実際は大雨の際に危険個所に侵入させないためのもの。この設備が存在しない山間部を走る国道は存在しない(三桁国道にも普通に存在する)。
平成の大合併では嶺南一市構想も持ち上がったがほとんど話が進まなかった。原因の一つは原発立地自治体と非立地自治体の財政格差であったことから非原発立地自治体同士での合併が模索された。しかしその場合必然的に小浜市が合併後の主導権を握ることになるためそのことを嫌った遠敷郡の自治体は多少の利便性を欠いても越郡合併を選んだ。
敦賀市
- 人口 64,302人
- 関西・中京圏から一番近い日本海に面した町。
- 原発銀座である嶺南の中心都市のため、原発関係の施設が沢山あり、首都圏、関西圏からの転勤族が非常に多い。法人税やらで市はウハウハ。しかし活断層問題で敦賀原発の廃炉の可能性が出てきたため平成25年度予算から脱原発財政に舵を切った模様。
- ガソリン価格は隣町と比べても峠超えるのに燃料サーチャージついてるんじゃないかってくらい高い。ガソリンは市境またぐ前に入れた方が吉。
- 新快速がこの駅まで来ている他、2024年3月に北陸新幹線がやってきたが、市が原発景気にうかれてるせいか大した観光開発を行っておらず、駅前にはホントに何もない。「水曜どうでしょう」で出演者らが一瞬だけ訪れた際にも、大泉洋が「ミラクル何もない」と発したほど。長浜のように駅の至近に観光地が無いというのも大きいが・・・。金のある間に駅前再開発を行って欲しいものだ。(一応計画はあるらしい)
- 一応TSURUGA POLT SQUARE otta オッタが2022年秋に敦賀駅西側の駅前に建設された。また敦賀港線の廃線を敦賀市が買い取り、遊歩道にする計画がある。(なお線路は残っているが北陸新幹線建設で線路が分断された事〘一応北陸新幹線の橋脚は潜れる構造になっている〙、枕木は多くが劣化しておりそのままでは列車が通る際の重量に耐えられない可能性があり、多額の費用を掛けて交換する必要がある事、終点の敦賀港駅は線路は使っていないが貨物駅の施設自体はトラックのコンテナ搬入等で使用している事等から門司港のトロッコの様に線路を復活させて列車を走らせる計画は今のところ無いとの事)
- これでも嶺南最大の都市なのでほかの地域はお察しください。
- 北陸新幹線の延伸着工が敦賀まで決まって、歓喜。しかし、裏を返せば敦賀以西のルートはまだ決まらずだが、どの道敦賀には新幹線が通るので敦賀以西ルート議論には静観の構え。敦賀以西ルートも決定し今度は開業前倒しを狙う。…とか言ってたら2023年春開業予定が一年以上延期の見込みに。なんだかんだで2024年3月16に延伸開業、この駅まで東京へ1本でつながったが、京阪・滋賀地区へは敦賀関所で分断される事になった。(乗り換えは考慮されているが、さてはて)
- 首都圏・関西圏・中京圏で「福井」と言って通じなくても、「敦賀」といえば通じることがある。通じる人はだいたい原発関係者か釣り好き。2024年3月16日より「サンダーバード」「しらさぎ」が敦賀止まりになり、北陸新幹線も敦賀まで走るようになったので知っている人も増えることだろう。
- その反面、敦賀港が国際港に指定されており、ロシア・ウラジオストク、韓国・釜山行きの定期便貨物フェリーが発着する。そのため、国際都市の性格も持ち合わせている。
- 歴史的にもかなり古い都市であり、その年代は日本書紀が書かれた養老4年(720年)の奈良時代にまでさかのぼる。その日本書紀の一節には敦賀の古名、「角鹿」が記されている。角鹿は「つぬが」と読み、それが時代とともにだんだん「つるが」に変化し、現在の地名になったと言われている。ちなみに「敦」に「つる」という読みはないので初見では絶対に読めない。
- 古くから海運業が盛んで敦賀市出身の俳優大和田伸也・獏兄弟は海運業で財をなした大和田家の末裔である。
- 昆布は採れないのに昆布の加工品生産量日本一。これはかつて蝦夷から運ばれてきた昆布を敦賀で荷揚げし加工していたため。
- 鯖寿司が名物で、焼き鯖の寿司は大人気。
- 敦賀原子力発電所と高速増殖炉もんじゅがあったがもんじゅは2016年に廃炉が決定した。敦賀原子力発電所も1号は廃炉されている。他にも火力発電所と水力発電所もある。
オバマ氏 小浜市
- 人口 29,019人
- 原発が立地せず市町村合併も失敗し厳しい状況のせいか観光PRに必死。
- 人魚を食べて不老不死になった八百比丘尼伝説が残ることからAIRの舞台となった(主にゲーム)。
- 若狭国の国府が置かれるなど長らく地域の中心地かつ大きな戦火に見舞われず近代的開発の影響も少なかったため古代の製塩遺跡から近代の洋風建築まで幅広い時代の文化財が多数残る。
- 特に歴史ある寺社や仏像が多く「海のある奈良」と呼ばれ奈良市とは姉妹都市である。
- 御食国を推しているだけあって特産の水産加工品が多い。「鯛のささ漬」を初め、「若狭さば」「若狭ぐじ」「若狭ふぐ」など数え上げればきりがない。ふるさと納税の返礼品ではそれらが充実しているので寄付額が県内自治体で最も多い。
- 大統領はいません。
- オバマブームで敦賀を出し抜いて全国区の知名度になりつつある。(トランプになってからは以前と同じ様な感じになってるが。)
- ただしオバマ氏とはアクセントが違う。(「お」にアクセントをつけない。)
- おばまんじゅう買っていってね。
- 最近、舞鶴若狭道が全線開通し、交通の便が少なくともよくなった。と思ったら観光客に市街地をスルーされる。(北陸新幹線小浜ルートで新大阪延伸開業しても京阪神の人達はスルーし小浜地区の住人が京阪神に吸い取られて終わりそう)
- 室町時代に日本で初めて象が上陸した地で上陸地近くの小学校には象の像がある。ダジャレかよ
- 市内に原発は無いが市街地が大飯原発から10km圏内である。さらに県内の全原発から30km圏内に必ずどこか一部が入っているので原発事故の際の避難計画策定に苦労している。
美浜町
- 人口 8,672人
- 町名の由来は地域の呼称の弥美庄の「美」と地域の美しい浜から。
- その名に恥じず水晶浜は若狭湾随一の美しい浜といわれる。
- 五木ひろしの出身地。
- 鯖のぬか漬けであるへしこが名物で観光PRキャラクターもへしこちゃん。
- 日本初の商用原子力発電所である美浜原子力発電所があるが、建設から40年を迎え老朽化した原子炉の廃炉が始まっており、財政的に恩恵を受けていた町は岐路に立たされている。3号機は運転再開しているのでなんとかなるだろう。
若狭町
輝きと優しさに出会えるまち
- 人口 13,568人
- 遠敷郡上中町と三方郡三方町が越郡合併してできた町。
- 嶺南一市を見据えて非原発立地自治体同士で合併したが嶺南一市の見通しは全く立っていない。
- 合併したものの基本的なつながりが薄く旧上中町と旧三方町で電話するのに市外局番が必要であったりごみの分別が別であるという事態が発生している。
おおい町
- 人口 7,913人
- 大飯郡大飯町と遠敷郡名田庄村が合併してできた町。
- 大島半島は付け根が高浜町で飛び地のようになっているが橋が架かっているので町内で行き来可能。
- 一方旧名田庄村と旧大飯町をつなぐ道路は山道なのでこちらの移動は小浜市を経由した方が便利。
- 小浜湾の奥の波が穏やかな地域なので真珠の養殖がおこなわれている。
- 東日本大震災後国内の原発で初めて再稼働した大飯原子力発電所があるため一躍脚光を浴びる。
高浜町
- 人口 9,657人
- 福井県最西端の町。
- 隣の京都府舞鶴市ともつながりが深い。
- 若狭富士こと青葉山や日本の夕陽百選に選ばれている若狭和田海水浴場など美しい自然あふれる町。
- 若狭和田海水浴場は水質や安全性など一定の基準を満たした海岸に与えられる国際環境認証のブルーフラッグをアジアで初めて取得した。
- 高浜原子力発電所があり2023年に新基準での再稼働が認められ運行中、2号機は2011年より定期点検中・・・らしい。
観光地
文化施設
福井県立恐竜博物館(勝山市)
- 独特な卵型の建物は黒川紀章の設計。日本国内はもとより世界有数の恐竜博物館。
- 恐竜化石はもちろん恐竜以外の古生物の化石や鉱石の展示も充実していて来場客の満足度は高い。
- しかし一般への知名度が低くアクセスが悪いのが難点(そもそも福井県自体の知名度が低くアクセスが悪かった。北陸新幹線延伸で多少マシになったが)。JR福井駅から車無しで向かおうとすると1時間以上かかる。
- 県のPR活動により年々認知度は上がっている模様。
- 2019年3月31日には延べ来館者数1000万人を達成した。
- 研究機関としては勝山の化石発掘研究の前線基地であり、博物館の
辺鄙な立地はそのせい。 - 福井県以外でも日本国内の研究機関による化石発掘には大抵関わっている。
- また日本国内にとどまらず中国やタイでも発掘を行い成果を上げている。海外で発掘された化石を運び込んで清掃・加工する作業も請け負っており、その現場も見ることが出来る。
めがねミュージアム(鯖江市)
- 日本一のめがね枠生産地である鯖江市のその名もめがね会館内にある、めがね作り体験やめがね作りの歴史が学べるミュージアム。
- 2010年3月9日にオープンし年々観光客が増加、2019年5月18日には来場者数100万人を達成した。
- めがねミュージアム内のめがね博物館では、めがね作りの歴史や有名人愛用のめがねが展示されている。無料。
- めがね博物館の他にも体験工房やめがねShopがあり体験工房ではめがね枠素材を使ったストラップ作り体験や本物の自分用めがね枠作り体験(要予約)もできる。
- めがねShopでは福井県眼鏡協会加盟メーカー約40社のめがねが販売されていてオーダーメイドも可。
名所旧跡
一乗谷朝倉氏遺跡(福井市/特別史跡・特別名勝)
- 戦国大名朝倉氏の城下町の様子が一部復原されていて復原街並みの賑わいと遺構の寂寥感が朝倉氏の栄枯盛衰を思わせる。
- ソフトバンクのCMで白戸家のお父さんの実家として紹介されたため観光客が急増した。
- 一乗谷は越前で栄華を誇った朝倉氏5代103年に渡っての城下町で都から貴族が集まり小京都と呼ばれるほど繁栄したが織田信長に攻められ城下町は灰燼に帰した。その後越前の中心は北ノ庄(福井)に移り一乗谷は完全に放棄され辺境となったため再開発されることもなく埋没していった。
- その結果、一乗谷朝倉氏遺跡は戦国時代の町並や生活の遺構が非常に良好な状態で保存された貴重な遺跡となった。
- 出土品は多岐にわたりベネチアングラスやトイレ遺構、国内初となる将棋の「酔象」の駒の実物も出土している。
- 一方で多くの貝殻も出土する中、アワビの貝殻はほとんど発見されていない。これは朝倉氏がアワビ食を禁忌とする日下部氏の末裔であったためと考えられる。
金ヶ崎城跡(敦賀市/史跡)
- 古くから要衝であった敦賀の城のためたびたび合戦の舞台となった。
- 山と海に囲まれ守りは固いのだが重要な城で攻城側が本気を出すためかたびたび落城している。
- 南北朝時代には新田義貞と後醍醐天皇の皇子恒良親王・尊良親王らが北陸の南朝方の拠点として入城するも北朝方に攻められ籠城戦となった。新田義貞は脱出し包囲軍の背面攻撃を試みるも失敗、最終的に金ヶ崎城は落城し尊良親王は自害、恒良親王は脱出を試みるも捕縛され翌年殺害された(病死説も有り)。
- 越前守護の斯波氏と守護代の甲斐氏が争った長禄合戦では籠城した甲斐氏が斯波氏を撃退し越前および幕府内における斯波氏の没落と甲斐氏に味方し活躍した朝倉氏の台頭の端緒となった。
- 戦国時代には織田信長が朝倉攻めの手始めとして攻め落とすも浅井長政離反の知らせを受け秀吉を殿軍として撤退した(金ヶ崎の退き口)。
- 皇太子時代の大正天皇や昭和天皇も行幸されたことがある敦賀湾を臨む情緒あふれる風光明美な観光地だった
- 現在、城跡からの眺めは北側は火力発電所、西側は港湾施設のために情緒が台無しであり現在も金ヶ崎周辺では港湾開発がすすめられ古来の風景が失われつつある。
金崎宮(敦賀市)
- 明治時代に建立された、南北朝時代に金ヶ崎城の戦いに敗れ命を落とした尊良親王と恒良親王を祭神として祀る神社。
- 桜の名所で桜の季節には桜の小枝を交換し合う「花換まつり」が行われている。この祭は男女の出会いの場として明治の終わり頃に自然発生したらしく金崎宮が縁結びや恋愛成就の宮とされるようになった。
- また金ヶ崎の退き口で織田信長が窮地を脱したことから難関突破のご利益もある。
丸岡城(坂井市/重要文化財)
- 別名霞が城。
- 現存12天守の1つで現存する最古の天守とも言われていた。
- 天正4年(1576)、柴田勝家の甥の柴田勝豊によって城が築かれ、この時に天守も建造されていれば間違いなく最古であるが、当時の記録には天守への言及がなく外観は初期天守の特徴を示すが詳しく見ると慶長期の特徴がみられることから本多成重が城主となった慶長17年(1612年)以降の築城とする説も有力。
- 築城年代を詳しく調べるため城内の部材を年代測定したところ梁などの中心的な部材で江戸時代初期の測定結果が出たため天守は天正年間の造営ではないことが確定し寛永年間(1624~44年)の造営が有力となった。さらに墨書から寛永5年(1628年)ごろの造営であることが判明した。。
- 最古の天守でないことが判明してしまったが江戸時代初期の建造にもかかわらず古い形式で建築されていることは城郭研究に一石を投じることになった。
- 昭和23年の福井地震で倒壊したものの昭和25年に天守が重要文化財に指定され、昭和30年に修復再建された。
- 屋根が一般的な粘土瓦ではなく石瓦で葺かれている。寒冷地仕様の模様。
- 周辺にソメイヨシノが400本植えられており「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選ばれている。
永平寺(永平寺町)
- 道元が開いた曹洞宗大本山で今でも常に200人余りの修行僧が日夜修行に励んでいる。
- 歴史はあるものの度重なる火災で現存する建造物は江戸~昭和のものであるため建造物の国からの文化財登録はなかったが、鎌倉時代の禅宗様式を受け継ぎ壮麗な意匠などが評価され2019年に主要19棟が国の重要文化財に指定された。
明通寺(小浜市)
- 坂上田村麻呂創建と伝わる真言宗御室派の寺院。
- 創建以来度重なる火災に見舞われたが鎌倉時代に再建されたものが現存する本堂と三重塔が国宝。
- 本尊は薬師如来坐像、脇侍に降三世明王立像と深沙大将立像でこの組み合わせは他に例がなく深沙大将も彫像では非常にまれ。いずれも平安時代後期の制作で不動明王立像と合わせて重要文化財。
平泉寺白山神社(勝山市/白山国立公園・史跡)
- 白山信仰の越前側の拠点として創建された神社と寺院が神仏習合により一体化し中世には延暦寺の末寺の平泉寺として勢力を広げた。
- 戦国時代には朝倉氏と肩を並べる勢力を誇ったが一向一揆に敗北し滅亡した。
- 江戸時代に再興され明治の神仏分離令により寺号を捨て白山神社となった。
- 後述の悪僧「東尋坊」は平泉寺の僧であり平泉寺の勢力が白山麓から九頭竜川河口まで及んでいたことがうかがえる。
- 最盛期には一帯に巨大な宗教都市を形成していたと考えられ大規模な石畳や石垣が残されている。
- 平泉寺旧境内は全体の1%程度しか発掘されていないが平成の発掘調査では遺構が良好に保存されていることが判明し今後の調査に期待される。
- 「美しい日本の歴史的風土100選」「かおり風景100選」「日本の道百選」「歴史の道百選」に選ばれ、司馬遼太郎が境内の苔の美しさを絶賛するなど外界と隔絶された幽玄な世界が広がる知る人ぞ知る名所である。
氣比神宮(敦賀市/名勝)
- 敦賀の市街地に鎮座し市民からは「けいさん/けえさん」と親しまれている神社であり越前国一之宮・北陸道総鎮守とも称される格式ある神社。
- 便宜的に気比神宮と表記されることも多いが正式には氣比神宮。
- 主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)で記紀に応神天皇と名前を交換し御食津大神(みけつおおかみ)の名を与えられた逸話がある。これは史実とは思われないが敦賀の地方首長が朝廷に服属したことを表すと解釈される。
- 境内の摂社に都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)を祀る角鹿神社があり敦賀の地名の由来となったと言われている。また伊奢沙別命が降臨したとされる土公が、隣接する小学校の校庭(元は境内)にあり、まさに敦賀発祥の地である。
- 古代には北は佐渡から西は但馬(兵庫県)まで各地に神領を持ち越前国一之宮でありながら国府から独立的な勢力を持った。
- 南北朝時代に南朝方につき金ヶ崎城に新田義貞らを迎え入れ、戦国時代には朝倉氏の傘下となり織田信長に滅ぼされ衰退した。江戸時代に再興されたものの太平洋戦争の空襲で建物の大部分が焼失してしまった。
- 江戸時代初期に旧神領であった佐渡の榁樹(むろのき)を用いて建立された大鳥居は戦火を免れ現存しており重要文化財に指定されていて日本三大木造鳥居に数えられている。
- 鎌倉時代末期、時宗2代目遊行上人他阿真教が訪れ当時の西側参道が湿地帯で参拝者が難儀していたのを上人が自ら砂を持ち参道を整備したお砂持ちの故事がある。
- 江戸時代に氣比神宮に参拝した松尾芭蕉は参道に差す月光の清らかさをお砂持ちの故事を踏まえ 月清し遊行のもてる砂の上 と詠んだ。これにちなみ現在の境内には芭蕉像と句碑が置かれている。
- ちなみに氣比神宮参拝は中秋の名月の前夜であり翌日の名月を期待したが当日は雨になってしまい芭蕉(´・ω・`)。その心境を 名月や北国日和定めなき と詠んだ。
- 歴史ある神社であるものの大鳥居以外の古い建造物が残っていないため国からの文化財登録は無かったが2016年におくのほそ道の風景地として名勝に指定された。
劔神社(越前町)
- 織田信長を輩出した織田氏のルーツとして有名な神社。
- 劔神社の神官の子であった常昌が越前守護の斯波氏に取り立てられ尾張に派遣された際に故郷の地名から織田を苗字としてこれが織田氏の発祥となった。織田信長は朝倉氏を滅ぼし越前を支配すると氏神として手厚く保護した。
- ところがラスボス豊臣秀吉の時代となると検地の際に一悶着あり社領を減らされてしまう。まさに外道。江戸時代には越前松平家から保護を受けた。
- 梵鐘は国宝で神護景雲四年(770)の銘文があり、現存する銘のある梵鐘では日本で三番目に古い。これは早い時期から神仏習合が行われ神宮寺が置かれていたことを示す。現在は織田文化歴史館に寄託中。
自然景勝地
東尋坊(坂井市/越前加賀海岸国定公園・天然記念物)
- 「東尋坊」という悪僧がこの場所で投げ落されて殺されたためその名がつき自殺の名所にもなった。
- しかし東尋坊から飛び降りても死なないことを示すため、かつて1日に繰り返し東尋坊から叫び声を上げながら飛び降りていた通称「ドリャーおじさん」がおり、探偵ナイトスクープで取り上げられたことがある。
- 現在ドリャーおじさんは飛び込みを行っていないが今でもご健在なようである。但し泳げたとしても飛び込んだ先が浅くて岩に当たれば骨折したりして大変なことになるので飛び込まないように。
- 県や地元もネガティブなイメージを払拭するためにイベントを開催したり夕日の名所であることをPRしたりしている。
- ポケモンGOがリリースされるとポケモンの出現スポットとなったことで訪問者が増え自殺予防効果が生まれた。
- 周辺には昔ながらの土産店も多いがIWABA CAFEという大手チェーン店や鳥取にありそうなカフェができた。
- 学術的に言えば日本海の荒波の浸食により地上に現れたデイサイトの柱状節理。
- これほどの規模のものは世界に3か所のみで学術的に貴重なため天然記念物に指定されている。
- コロナ禍の行動制限解除前の2021年9月に執筆者が訪れたが、中学か高校の生徒達が修学旅行か校外学習で訪れていた模様。歴史の授業で重要な場所である事が伺える。
気比松原(敦賀市/若狭国定公園・名勝)
三方五湖(美浜町・若狭町/若狭湾国定公園・名勝・ラムサール条約湿地)
- 美浜町・若狭町にまたがって位置する五つの湖の総称。
- 五つの湖の名称と水質は三方湖(淡水)・水月湖(汽水)・菅湖(汽水)・久々子湖(汽水)・日向湖(海水)。
- 五湖の水質や水深がそれぞれ異なるため梅丈岳頂上(レインボーライン展望台)から見るとそれぞれ湖面の色が異なり「五色の湖」とも呼ばれる。
- 湖ごとに生息する魚類も異なりその多様性からラムサール条約湿地に登録され冬には多くの水鳥が越冬の為に飛来する。
日本遺産
「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~
江戸時代に若狭小浜で漁獲された鯖を京都まで運んだ道がいつしか「鯖街道」と呼ばれるようになった。しかしこの街道は古来より鯖以外にも若狭の産物を都に運んだ道であり、また都からの文化を伝えた道でもあった。
「鯖街道」をたどれば、古代から現在にかけて1500年続く往来の歴史と、伝統を守り伝える人々 の営みを肌で感じることができる。 日本遺産認定ストーリーより
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~
北前船とは江戸時代から明治にかけて蝦夷(北海道)と上方を往来した交易船で寄港地には多くの物資や文化が行き交い巨万の富を得るものもいた。
福井県からは敦賀市と南越前町が他の北前船寄港地とともに日本遺産に認定された。構成文化財は北前船主の建築物として右近家住宅 、旧右近家住宅 西洋館 、中村家住宅、旧大和田銀行初代本店が認定されたほか、蝦夷からもたらされた鰊・昆布を扱う鰊蔵、昆布の手すき加工技術等も認定された。また福井から北前船によって運ばれた物資もあり他県の寄港地で越前産の笏谷石や越前赤瓦が利用された建築物が構成文化財に認定されている。
きっと恋する六古窯 -日本生まれ日本育ちのやきもの産地-
他の古窯と共に越前焼も日本遺産に認定された。構成文化財は越前焼や製法、窯跡のほか、全国的に珍しい甕を墓標にした甕墓、陶工が氏子であった劔神社の本殿や文書などが認定された。
400年の歴史の扉を開ける旅~石から読み解く中世・近世のまちづくり 越前・福井~
平泉寺、一乗谷朝倉氏遺跡、福井城址、養浩館庭園など「石」をテーマにストーリーと構成文化財が認定された。
祭り
- [越前町] 越前陶芸まつり
- [大野市] おおの城まつり
- [小浜市] お水送り
- [勝山市] 勝山左義長まつり
- [鯖江市] さばえつつじまつり
- [越前市] たけふ菊人形
- [敦賀市] 敦賀まつり
- [福井市] ふくい春まつり「越前時代行列」
- [福井市] 福井フェニックスまつり
- [小浜市] 放生会
- [坂井市] 三国花火大会
- [坂井市] 三国祭
福井県の放送局
福井県の交通
道路
鉄道
北陸新幹線金沢-敦賀開業により並行する北陸本線の同区間はJR西日本から経営分離・第三セクター化されており、2020年までに福井県の並行在来線鉄道「ハピラインふくい」が設立された。
ちなみに福井県内の駅には自動改札が設置されていなかったが、2018年、福井国体の開催とICOCAエリア拡大を機に福井駅と敦賀駅に初めて設置された。なおこれは四国以外では最も遅い設置であった。
えちぜん鉄道と福井鉄道も新幹線開業に合わせて2025年春にICカード対応にする模様。一方で1日乗車券がスマホで買えたりする点は先進的と言えよう。
当たり前だが2024年3月開業の北陸新幹線には自動改札がある。
空港
- 福井空港
- 1976年まで定期便が就航していたが、現在は石川県の小松空港に一本化・北陸新幹線の整備化により全面廃止。空港だけ存在するのみとなっている。建物が信じられないぐらいボロい。(2025年以降建て替えを含めて具体化に向けて動く予定らしい)
- チャーター機、自家用プロペラ機、グライダーなどの発着が主流となっており、また、県警ヘリ、県防災ヘリ、県ドクターヘリの活動拠点でもある。国交省のまとめた2021年度の空港別着陸回数は全国の108空港中48位(2696回)と定期便のない空港としては上位である。
最近では国交省の出張所などもなくなり、管制業務もセントレアに委託され、いよいよただの滑走路と化している。そのため福井県は空港が存在しない県に含まれることがある。アッカリーン空港 - 北陸新幹線敦賀延伸開業で旅客定期路線便需要としてはますます存在価値が無くなってきている。
港湾
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