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調べものなどの参考になるかもしれませんが、絶対的に内容が不足しています。 |
この記事は、プロ野球選手の異名・愛称などを一覧化している記事です。
| 異名・愛称 | 人物 | 由来・備考 |
|---|---|---|
| ア行 | ||
| アイアン・ホーク | 下柳剛 | ホークス時代に連日登板するタフネスっぷりから。 |
| ID野球 | 野村克也 | 当時としては画期的であったデータを用いた戦術・理論を確立させたことから。 |
| ID野球の申し子 | 古田敦也 | 野村克也の愛弟子として、類まれなるリードと打撃・守備力の高さで球界を代表する捕手となったため。 |
| 青い稲妻 | 松本匡史 | 「赤い手袋」で親しまれた柴田勲の後を継ぎ「青い手袋」を使用しリードオフマンとして活躍したため。 |
| 青えんぴつ | 青山久人 | プロ野球選手とは思えないほどの細身であり、かつ眼鏡を掛けた姿から。 |
| 青バット | 大下弘 | 青く塗装したバットで球史に残る活躍をしたため。ただ、塗装されたバットは規制されたことから実際に青バットを使用していた期間は短い。 |
| 赤鬼 | チャーリー・マニエル | 並外れたパワーと興奮すると顔が真っ赤になることから。 |
| ハル・ブリーデン | 打席での険しい表情が由来。 | |
| ボブ・ホーナー | 同球団で活躍したチャーリー・マニエルに倣って命名された。「黒船」とも呼ばれた。 | |
| 赤い彗星 | 赤星憲広 | 球界屈指の俊足・走塁技術を、通常の3倍のスピードでモビルスーツを操ると恐れられた機動戦士ガンダムの「赤い彗星」ことシャア・アズナブルの異名に名字(赤星)が似ているここからなぞらえてつけられた。応援歌のフレーズとしても使用された。 |
| 赤いハンカチ王子 | 齊藤悠葵 | プロ入り1年目、同年の夏の甲子園大会で「ハンカチ王子」の愛称で呼ばれていた斎藤佑樹と名前の読みが同じだったことから、マスコミには「赤いハンカチ王子」と名づけられた。ヒーローインタビューの際に赤いハンカチを使用して汗を拭くパフォーマンスをしたこともある。 |
| 赤ゴジラ | 嶋重宣 | 広島時代、背番号55を背負い安打・本塁打を量産したことから。 |
| 赤手袋 | 柴田勲 | 赤い手袋を着用し、巨人のリードオフマンとして活躍しブレイクしたことから。 |
| 赤い疾風 | 高橋慶彦 | 同時期に活躍した青い稲妻事こと松本匡史に対抗して名付けられた。走塁面だけでなく打撃・守備の面でも活躍した。 |
| 赤ヘルの若大将 | 小早川毅彦 | 勝負強い打撃で活躍し、同時期に活躍した「若大将」こと巨人の原辰徳に対抗する形で呼ばれた。 |
| 悪太郎 | 堀内恒夫 | 素行が悪くふてぶてしく見える態度からこう呼ばれた。ちなみに悪太郎には「いたずらで勇猛な男児」という意味がある。 |
| 浅尾きゅん | 浅尾拓也 | 童顔系のイケメンであり、女性ファンが多かったことから黄色い声援がよく飛び、浅尾くんが転じて浅尾きゅんとなった。リアルよりはネットで使われることのほうが多い。 |
| アジア人初のメジャーリーガー | 村上雅則 | アジア人で初めてメジャーリーグの試合に出場し活躍したため。 |
| アジャ | 井上晴哉 | アジャコングにそっくりな外見が由来。 |
| アジアの大砲 | 呂明賜 | 豪快な打撃でデビューから約1ヶ月で10HRを放ったことから。 |
| 李承燁 | 本塁打のアジア記録を更新する活躍を見せたことから。 | |
| あしながおじさん | ジョージ・アルトマン | 190cmの長身であり、チャリティ活動に積極的であったため。 |
| 熱男 | 松田宣浩 | 元々ホークスのスローガンであり、本塁打を放った後に「熱男!」と叫ぶパフォーマンスをしていた事が由来。 |
| アップルパンチ | 外崎修汰 | パンチ力のある打撃が持ち味であり、実家がリンゴ園を経営していることから。 |
| アニキ | 金本知憲 | 頼れるチームの兄貴分として、裏方や若手選手にも気遣いを見せたことから。 |
| アニマル | アニマル・レスリー | マウンド上で雄叫びを上げたり、勝利後スキンシップで味方の捕手をボコボコに殴るなど暴れたことから。ちなみにアニマル・レスリーは登録名であり、本名はブラッドリー・ジェイ・レスリー。 |
| 兄やん | 松沼博久 | 弟の松沼雅之とともに同じ年にドラフト外で入団し、兄弟揃ってローテーションで活躍したことから。雅之は「弟やん(おとやん)」「オトマツ」と呼ばれた。 |
| 暴れ馬 | 中田賢一 | 抜群の球威だがコントロールが悪く、好調時は適度な荒れ球である一方、不調時は投球の組み立てもままならない荒々しい投球スタイルから。 |
| 雨柳 | 青柳晃洋 | 登板日に雨が降ったり、雨天中止になることが多いため。 |
| 荒川道場 | 荒川博 | 王貞治を始め、巨人の第三次黄金時代の選手たちを指導したことから。 |
| 荒法師 | 豊田泰光 | 荒々しい言動や生活スタイルながら、野武士軍団の中心選手として活躍したことから。 |
| アルバース先生 | アンドリュー・アルバース | 野球で食べていけなくなったときのために、大学時代に教員免許を取得していたため。 |
| 阿波の金太郎 | 水野雄仁 | 風貌と、大胆な投球フォーム、そしてパワフルな投球から。 |
| 安打製造機 | 榎本喜八 | 毎年首位打者・最多安打争いに名を連ねるような多くの安打を積み重ねた選手に付けられる異名。この他にも該当者多数。 |
| 張本勲 | ||
| イチロー | ||
| 青木宣親 | ||
| 秋山翔吾 | ||
| 意外性の男 | 山倉和博 | 思いもよらぬ場面で打つ意外性のある打撃が持ち味であったため。 |
| 育成の星 | 山田大樹 | 山田大樹が育成出身の選手として初めて勝利投手となり、その後ローテーションを守るなど活躍したことから。以降は育成出身で活躍した選手に付けられるものとなり、山口・松本はともに2007年に巨人でブレイクし、松本は新人王を、山口は3年連続最優秀中継ぎ投手を獲得するなど活躍した。 |
| 山口鉄也 | ||
| 松本哲也 | ||
| 石直球 | 呉昇桓 | 石に例えられるほど威力のある直球を武器に高い奪三振率を誇ったため。 |
| 伊勢大明神 | 伊勢孝夫 | 現役時代勝負強い打撃で頼りにされたことから。 |
| 伊勢大夢 | リリーフ投手としてチームのピンチを救う投球姿から。 | |
| 韋駄天 | 田部武雄 | 巨人軍のアメリカ遠征時に109試合で105盗塁を記録し、相手を驚かせたことから。田部以降も足の速さを武器とする選手に付けられ、木塚は4年連続で盗塁王に輝くなど俊足が持ち味だったことから、福本は当時の世界記録となる通算1065盗塁を記録するなど歴史に残る活躍を見せた。以降も多くの俊足の選手に付けられている。 |
| 木塚忠助 | ||
| 福本豊 | ||
| いてまえ大将 | 金村義明 | 近鉄いてまえ打線の中心選手として長らく活躍し、豪快で明るい性格であったことから。 |
| 伊予の怪腕 | 藤井秀悟 | 出身地と高校時代の活躍から。 |
| 伊予の古狸 | 藤本定義 | 出身地が松山市であり、監督として知略や人心掌握術に長けていたことから。 |
| イラブクラゲ | 伊良部秀輝 | 日ハム戦で相手を完璧に抑え込み、当時監督であった大沢氏に「幕張の海にもクラゲがいた、バットがビリビリした」とコメントした事から。 |
| Wizard(ウィザード) | イチロー | メジャー時代、杖(バット)を振って魔法をかけるように、安打を量産する姿から。 |
| 牛若丸 | 吉田義男 | 「蝶が舞い蜂が刺す」と形容されるほど、華麗で俊敏な身のこなしから。「今牛若丸」とも。 |
| 宇宙人 | 新庄剛志 | 誰も予測できない突飛な発言や言動から「人間離れ」しているという意味で新庄剛志に対し野村克也監督が命名したもの。糸井や井納などは天然で不思議な言動をしたことから。以降のこの名を付けられる選手は後者の理由のほうが中心。 |
| 糸井嘉男 | ||
| 井納翔一 | ||
| 梅ちゃんバズーカ | 梅野隆太郎 | 持ち前の強肩と正確な送球技術から。甲斐キャノンに対抗する形でつけられた。 |
| ウルフ | 高橋由伸 | 狼の「頭が良く、身内に優しいが敵には牙をむく」という習性が由来。ルーキー時代に長嶋監督が命名したもの。ただあまり浸透しなかった。 |
| エースのジョー | 城之内邦雄 | V9時代初期のエースであり、当時人気だった「宍戸錠」のニックネーム「ジョー」にあやかったもの。 |
| エイトマン | 江藤慎一 | 背番号8を背負い活躍したため。 |
| 江戸っ子投法 | 土橋正幸 | 東京の下町育ちであり、駆け引きをしない力勝負を挑む投球スタイルでパ・リーグを代表する選手として活躍したため。 |
| 衣紋掛け | 高橋一三 | 極端な怒り肩であったことからついたあだ名。「ハンガー」とも呼ばれた。 |
| エリア51 | イチロー | イチローの背番号51とエリア51にちなみ、イチローの守るポジションに打球が飛ぶと打球が消える(アウトになる)と賞されたことから。 |
| エリア66 | 岡田幸文 | 背番号66を背負い鉄壁の外野守備でチームを支えた。 |
| エル・タンケ | ダヤン・ビシエド | スペイン語の「戦車」という意味であり、戦車に例えられるほどのパワフルな打撃から。 |
| 円月打法 | 杉山光平 | 眠狂四郎のようにバットをゆらゆらと揺らす独特な打撃フォームから。 |
| 遠心力投法 | 堀内庄 | 体全体を大きく前に投げ出すようなダイナミックな投球フォームから。 |
| 煙幕投法 | 佐々岡真司 | ロジンバックをしっかりと指につけて投球し、投球時に露人の粉が煙幕のように舞うことから。 |
| 伊藤大海 | ||
| オールスター男 | 山内一弘 | オールスターゲームで毎年のように活躍したことから。「賞金泥棒」と呼ばれることも。 |
| 黄金の左腕 | 金田正一 | 圧倒的な実力を持った左腕投手であったことから。 |
| 仰木マジック | 仰木彬 | 師匠であり、魔術師と呼ばれた三原脩同様に臨機応変でセオリーにとらわれない大胆な起用や勝負強い采配から。 |
| おかわり君 | 中村剛也 | 元々は食いしん坊で好きな言葉が「おかわり」だったことからつけられた愛称。連続でHRを打つときや打点をあげた際に「HR(打点)をおかわりする」といった形で使われる。 |
| 教え魔 | 山内一弘 | 打撃指導が好きで、一度話し始めると止まらなかったことから。「かっぱえびせん(やめられない止まらない)」とも。 |
| 遅咲きの大打者 | 和田一浩 | レギュラーに定着したのが29歳と遅咲きで、以降は毎年打撃タイトルを争い2000本安打を達成したことから。 |
| オタクト | 野川拓斗 | アニメ好きを公言し、自身の登場曲に「俺、ツインテールになります。」のOP曲を使用していたことから。 |
| おちょくり投法 | 有働克也 | 時折サイドスローで投げたり、打者のタイミングを外したりと打者から見るとおちょくられてる(からかわれている)ような投球スタイルだったため。 |
| 男気 | 黒田博樹 | ヤンキースからの超高額の残留オファーを断り、古巣の広島に復帰した「男気」から。「漢気」と表記することも。 |
| 踊る守護神 | 郭源治 | 打者を打ち取った際に見せるド派手なガッツポーズから。「郭ダンス」とも呼ばれた。 |
| 踊るホームラン王 | マット・ウインタース | ファンサービスやパフォーマンスを重要視し、ときにチアダンサーと一緒に踊るなど陽気な性格で知られた事から。 |
| 鬼軍曹 | 別所毅彦 | 兼任コーチ時代に厳しく後輩たちを指導し、チームの日本シリーズ制覇に貢献したため。 |
| 大下剛史 | 「胃から汗が出る」と形容されるほどの厳しい指導で若手を育成したことから。 | |
| 鬼の砂押 | 砂押邦信 | MLB式のトレーニングで超スパルタ方針の猛練習で選手たちから恐れられたことから。大学時代の長嶋茂雄にも大きな影響を与えた。 |
| オバQ | 田代富雄 | 若手時代「オバQ」のような間の抜けた返答が多かったことが由来とされているが、正しい由来かどうかは田代本人もわからないとのこと。 |
| お化けフォーク | 野田浩司 | フォークを武器に奪三振の山を築き、阪神からオリックスへ移籍する際、ヤクルトの監督であった野村克也氏に「フォークのお化けが消えた」と称された。後に日本記録の1試合19奪三振を記録。 |
| 千賀滉大 | 驚異的な落差のフォークボールであり、打者の視界からお化けのように突然消えることから。 | |
| 親分 | 大沢啓二 | 親分肌の性格とべらんめぇ口調、貫禄のある容貌などが由来。 |
| オリエンタルエクスプレス | 郭泰源 | 台湾出身の選手であり、最速156km/hの速球を武器に活躍したことが由来。 |
| オレ流 | 落合博満 | 独特な野球観を持ち、時折相手の意表を突く采配を見せることから。 |
| カ行 | ||
| 甲斐キャノン | 甲斐拓也 | 由来は自身の名字と強肩を機動戦士ガンダムのカイ・シデンの搭乗機であるガンキャノンをかけたもの。18年の日本シリーズでは新記録となる6連続盗塁阻止を達成し日本シリーズMVPを獲得した。 |
| カイザー | 田中義雄 | チームの日本一に貢献し名実ともに日本一の捕手となり、キングと呼ばれる代わりに「カイザー(皇帝)」と名乗ったため。そもそもの由来は、彼がハワイ出身でありハワイ大学在学中にドイツ贔屓の演説をしたから付けられた愛称だという。 |
| 怪童 | 尾崎行雄 | 160キロ近い速球を武器に甲子園優勝を達成したことから。 |
| 中西太 | 高校時代HRを量産したことからこう呼ばれた。プロ入り後もHRを量産し活躍。 | |
| 怪物 | 江川卓 | 高校・大学・プロで数々の記録を作り怪物として恐れられたことから。「昭和の怪物」とも。 |
| ガソリンタンク | 米田哲也 | 抜群のスタミナを持ち、登板数の多さと黙々と投げ込む姿、そして酒豪であったことからこう呼ばれた。「人間機関車」「タフマン」とも。 |
| カツオ | 石川雅規 | 小柄で童顔であり、「サザエさんのカツオ」のような見た目から。 |
| 褐色の弾丸 | ルー・ジャクソン | 黒人の選手であり、小柄ながら長打力もあり走・攻・守いずれの面でも活躍。サンケイアトムズ在籍時に不摂生が原因で病死している。 |
| ガッツ | 小笠原道大 | 指を骨折した後、完治する前に一軍昇格し代打で本塁打を放ったことから「ガッツがあるやつ」ということで命名された。 |
| かっぱえびせん | 山内一弘 | 一度指導が始まると徹底的に指導する(やめられないとまらない)ことから。 |
| 加藤バズーカ | 加藤匠馬 | 強肩が売りの捕手であることから、甲斐キャノンに対抗して名付けられた。 |
| 鹿取大明神 | 鹿取義隆 | チームがピンチになると登板し、毎日のように登板してはピンチを救っていた姿から。 |
| 神奈川の牧 | 牧秀悟 | 神奈川県の大学出身であり、スラムダンクの登場人物の牧紳一の異名「神奈川No.1プレイヤー」にかけてつけられた。牧本人もスラムダンクを愛読しており、登場曲をスラムダンクの曲にしたり、ファンフェスタで海南大附属高校のユニフォームを着て登場するなど気に入っている様子。 |
| ガニマタ打法 | 種田仁 | 極端なくらいガニ股に足を開く打法から。 |
| 画伯 | 木田優夫 | イラストが得意で、メディアに出演する際度々披露していたことから。 |
| 歌舞伎投げ | 吉村裕基 | HRを確信したときにド派手なバット投げを披露することから。 |
| 壁際の魔術師 | 高田繁 | クッションボールの処理が抜群に上手かったため。「塀際の魔術師」とも呼ばれた。 |
| カミソリシュート | 秋山登 | 打者の胸元の切れ込むようなシュートを武器に活躍したことから。元祖は秋山であり、入れ替わるように入団した平松が継承した形。平松は「カミソリ平松」とも呼ばれる。 |
| 平松政次 | ||
| 神様、仏様、稲尾様 | 稲尾和久 | 1958年の日本シリーズで6試合47イニングを投げ4勝を挙げる大車輪の活躍をしたことから。 |
| 神の足 | 鈴木尚広 | 代走の切り札として活躍し、晩年にはほぼ代走での起用しかなかったのにも関わらずオールスターにも出場した。 |
| 神の子 | 田中将大 | 監督であった野村克也氏が「マー君神の子不思議の子」とコメントしたことから。 |
| カメ | 河埜和正 | 若手時代、出塁してリードを取った際、自信なさげに首だけ伸ばした姿が亀に似ていたということで当時の首脳陣に命名された。 |
| ガラスのエース | 伊藤智仁 | 怪我で選手としては短命に終わってしまったが、その間に絶大なインパクトを残す活躍を見せたことから。 |
| 平松政次 | 故障などで離脱が多いが、万全な状態の時はチームのエースとして活躍することから。 | |
| 岩隈久志 | ||
| 館山昌平 | ||
| 金子千尋 | ||
| カリブの怪物 | オレステス・デストラーデ | カリブ海の出身で、本塁打を量産し活躍したことから。 |
| アレックス・カブレラ | ||
| ガンギマリ | 松山晋也 | 登板時にゾーンに入り、バキバキにガンギマった顔つきで剛球を連投することから。 |
| 眼光ビーム | 祖父江大輔 | 登板時、相手打者を鋭い眼光で睨みつけているように見えたことから。 |
| 韓国の至宝 | 宣銅烈 | 韓国野球界で数々の記録を打ち立て、「宝」と呼ばれるだけの選手であったことから。 |
| 李承燁 | ||
| 金泰均 | ||
| ガンジー | 藤田元司 | 日本シリーズに幾度も登板するもののなかなか勝てず、細身の体型と味方の貧打に耐え忍ぶ姿を、名前を音読みしてこう呼ばれた。 |
| 元祖沖縄の星 | 安仁屋宗八 | 沖縄出身の初のプロ野球選手であり、広島・阪神のエースとして活躍したことから。 |
| 看板男 | シャーマン・オバンドー | 本拠地である東京ドームで看板直撃の本塁打を何度か放ったことから。 |
| 神主打法 | 岩本義行 | バットを体の正面でゆったりと構える姿が神主が大幣を振る動作に似ていたことから。 |
| 落合博満 | ||
| 管理野球 | 広岡達朗 | プレーや練習メニューだけでなく休養や食事すら徹底的に管理し、チームの礎を築く指導スタイルから。 |
| 危険な遊具 | トニ・ブランコ | ネット中心の愛称。どこまでも飛ばす破壊力抜群の打撃と、公園の「ブランコ」をかけて。横浜時代には実際に横浜スタジアムにブランコが設置されたこともあった。 |
| 奇跡のリリーバー | 盛田幸妃 | 現役時代に脳腫瘍を克服し、リリーフ投手として復活したことから。 |
| 北の侍 | 小笠原道大 | 寡黙でストイックな面や髭を蓄えた姿が侍のようであり、チームが北海道に移転したことからこう呼ばれるようになった。 |
| ギャオス | 内藤尚行 | よく大きな声を出し騒がしいということから怪獣「ギャオス」の名前をニックネームとして付けられた。メディア出演時は「ギャオス内藤」の名前で活動することも多い。 |
| 逆シングルの白石 | 白石勝巳 | 当時としては異色とも言える逆シングルでの守備を持ち味としていたことに由来。 |
| 逆転のマツ | 松浦宏明 | ビハインドの状況で登板し、その後逆転することが多かったため。 |
| 9回の男 | 後藤孝志 | 試合の最終盤に代打で登場し逆転打や同点打を放つことが多かったため。 |
| 球界のキムタク | 木村拓也 | SMAPの木村拓哉と一文字違いで読みも同じだったことから。「カープ(または巨人)のキムタク」とも。 |
| 球界の紳士 | 別当薫 | マスコミやメディアに対するスマートな応対する姿や知性的な見た目・物腰から。 |
| 藤田元司 | ||
| 球界の頭脳 | 古田敦也 | 球界屈指のリード力と戦術眼をもち、日本プロ野球会を代表する捕手として長く活躍したことから。 |
| 球界の寝業師 | 根本陸夫 | 監督やフロントとしてドラフト戦略やトレードなどで、巧みな手腕を発揮しチームの土台を築いたことから。 |
| 驚異の核弾頭 | 真弓明信 | 当時としては異例の1番打者として34本塁打を放ち、一番打者の概念を大きく覆したことから。「史上最強の一番」とも。 |
| 強肩病 | 田口壮 | 強肩を武器としていたが内野手時代に送球エラーが多くイップスにも陥ってしまったことから。後に外野手に転向しその肩の強さを遺憾なく発揮した。 |
| 教授 | 北山亘基 | 高校時代から体の構造や使い方を勉強し投球に活かしていることから。 |
| 恐怖の9番打者 | 金子誠 | 勝負強くしぶとい打撃や進塁打でファイターズのラストバッターとして活躍したことから。 |
| 巨人キラー | 安仁屋宗八 | 巨人相手に好投することの多い選手のこと。特に星野・小林・西本は巨人に対し並々ならぬ感情を抱いていた。巨人以外チームに相性の良い選手の場合は「〇〇(チーム名)キラー」と呼ばれる。 |
| 星野仙一 | ||
| 平松政次 | ||
| 小林繁 | ||
| 西本聖 | ||
| 切り込み隊長 | 高倉照幸 | 元々は軍事用語であったが、当時の一番打者らしくない長打力と初級から積極的にスイングしていく姿から。「キャップ」と呼ばれることも。現在では一番打者の代名詞となっている。 |
| キング・オブ・クローザー | デニス・サファテ | 歴代最多のシーズン54セーブを記録するなど、ホークスの絶対的クローザーとして君臨したため。 |
| 銀行員 | 御園生崇男 | 荒々しい性格の選手が大半を占めていた当時のタイガースにおいて、ロイド眼鏡を掛けた知的な見た目と、真面目で落ち着いた性格で異彩を放っていたことから。 |
| 近鉄特急 | 藤瀬史朗 | 近鉄に所属し、代走の切り札として活躍したことから。 |
| くせ者 | 元木大介 | 隠し玉に代表される状況判断の良さや、大砲揃いの打線の中繋ぎや勝負強い打撃で存在感を示したため。 |
| 口から生まれたサウスポー | 大野雄大 | トーク力が高く、インタビューやメディア出演時にオチをつける事が多かったことから。 |
| クネ様 | 鈴木義広 | 体をくねくねとくねらせる投球フォームから。 |
| くのいち打法 | 小川亨 | 体を極端にくの字に曲げて打つ独特の打法から。 |
| グラウンドの指揮官 | 土井淳 | 打撃力こそ低かったものの、強肩やインサイドワークの上手さからこう呼ばれた。 |
| グラウンドの諸葛孔明 | 佐藤友亮 | 慶応大学時代、卒業必要単位を3年終了時に取得し終えた頭脳と、名前に諸葛亮の「亮」が使われていることから。 |
| クレージー・ライト | クライド・ライト | 普段はいい人なのに試合中になると気性が荒くなり、乱闘や審判との口論、自らのユニフォームを破く、カメラマンのカメラを壊すなどなど…手がつけられなくなったことから。 |
| 黒い稲妻 | ラリー・レインズ | 黒人の選手であり、年間61盗塁を記録するなど俊足自慢であったため。「黒いハヤブサ」とも。 |
| 黒バットの南村 | 南村侑広 | 黒いバットを愛用し、巨人の主力として活躍。日本シリーズで打率.563と打ちまくり、日本シリーズMVPに選ばれたことから。 |
| 黒豹 | ウィリー・デービス | 黒人の選手であり、快速を武器に活躍したことが由来。 |
| 黒船 | ボブ・ホーナー | 現役バリバリのMLB選手だったが所属球団が決まらず腰掛け的にヤクルトに入団。規定打席に届かなかったもののレベルの違いを見せつけるような活躍で球界に衝撃与え大活躍で「ホーナー旋風」を巻き起こしたことから。 |
| 軍師 | 三森大貴 | 捕手がボールを見失った際に打席からランナーを静止するつもりが間違えて二塁を指差してしまい、これが捕手の送球エラーを誘ったことから、三森が指示をすると何かが起こるとファンの間で話題になったため。 |
| 恵体豪打 | 畠山和洋 | 恵まれた大柄な体格から力強い打球を飛ばす様から。応援団の横断幕にこの文言が使用されていた。 |
| ケンカ四郎 | 武上四郎 | プロ入り前に所謂ガキ大将として有名であり、闘志あふれるプレースタイルで活躍したため。 |
| ケンカ投法 | 東尾修 | 死球を恐れず内角の厳しいコースをどんどん攻める投球スタイルから。 |
| ケンカ八郎 | 山本八郎 | 喧嘩っ早い性格で、塁審を殴打したり相手捕手を突き飛ばし出場停止を繰り返したことから。その後寺での精神修行やファンの署名運動もあり出場停止処分が解除され復帰後二桁本塁打を放つなど活躍した。 |
| 源田たまらん | 源田壮亮 | 鉄壁の守備を売りとし、SNSや掲示板などで源田が試合で見せた好プレーに言及するような場合に用いられたもの。 |
| ゲンちゃん | 河野博文 | 北京原人に似ている風貌から。登録名として申請したがセ・リーグから却下された。 |
| 剛球投手 | 与田剛 | 新人時代に当時のプロ野球記録の157キロを計測し、チームの守護神として活躍したため。 |
| 光速王子 | 和田康士朗 | 爽やかな見た目であり、規格外の総力を武器としていることから。21年には代走での起用がメインながらも盗塁王のタイトルを獲得した。 |
| 甲府の小天狗 | 堀内恒夫 | 甲府出身で、喧嘩に自身があったことから。ちなみに小天狗は「武芸に秀でた若者」という意味がある。 |
| ゴエモン | 加賀繁 | 入団当初、太くてキリッとした眉毛がゲーム「がんばれゴエモンのゴエモン」に似ていたことから。 |
| 国宝級投手 | 宣銅烈 | 韓国史上最高の投手として数々の記録を打ち立てたため。 |
| 国民的打者 | 李承燁 | 韓国国内リーグで、長らくアジア記録であった王貞治のシーズン55HRを更新したことから。 |
| こけしバット | 山崎賢一 | 「こけし」と形容されるほど太いグリップエンドのバットを使用していたため。 |
| 孤高の天才 | 前田智徳 | 天才的な野球センスと、求道者として黙々と練習・プレーする姿、(野球に対して)自分にも他人にも厳しい姿勢などからから。「侍」「剣豪」とも。 |
| 小坂ゾーン | 小坂誠 | 広い守備範囲と無駄やミスの全く無い鉄壁の守備能力から。「平成の牛若丸」と呼ばれることも。 |
| ゴジラ | 松井秀喜 | 元々は高校時代に取材に来た女性記者が「大きな下半身と犬歯が特徴的」ということで名付けたことがきっかけ。最初は嫌がっていたものの現在では気に入っている模様。 |
| 困ったときのボブ | 川井貴志 | ローテーションに定着することはあまりなかったが、けが人や離脱者が出た際に先発し、好投することが多かったため。「ボブ」は川井の愛称。 |
| ゴメス | 後藤武敏 | 元々は「ごめーんっす」を「ゴメス」と聞き間違えたことから。本人がそれを気に入ったため。晩年は毎年のように登録名を変え、登録名のどこかに必ず「ゴメス」を絡めたものにしていた。 |
| ゴリ | 国貞泰汎 | ともに容姿が「ゴリラ」っぽかったことから。 |
| 今江敏晃 | ||
| コロコロちゃん | ブライアン・トラックスラー | 小柄だが100kgを超える肥満体型であったことから。 |
| 殺し屋のリュウ | 柳田利夫 | 日活映画の「抜き打ちの竜」に登場する殺し屋に似ていたことから。「リュウ」は「柳」を音読みしたもの。 |
| コンコルド打法 | 淡口憲治 | 王貞治を上回るスイングスピードから球界最速ともいわれる打球を放ったことから、超音速旅客機「コンコルド」になぞらえて命名された。 |
| 権藤・権藤・雨・権藤 | 権藤博 | 連投に連投を重ね、まるで雨と移動日以外は権藤が登板しているようだと例えられたため。 |
| こんにゃく打法 | 梨田昌孝 | 打撃の際、手首をまるでこんにゃくが揺れているようにぐにゃぐにゃと動かしてタイミングを取る独特の打撃スタイルから。 |
| サ行 | ||
| 最後の近鉄戦士 | 坂口智隆 | 消滅した各球団に在籍経験のある選手の中で最後まで現役でプレーした選手のこと。坂口はヤクルトで2022年に引退。大道は巨人で2010年に引退。中嶋はその後、西武、横浜、日ハムと渡り歩き、2015年に引退。 |
| 最後の南海戦士 | 大道典良 | |
| 最後の阪急戦士 | 中嶋聡 | |
| 最後の30勝投手 | 皆川睦雄 | NPB史上最後のシーズン30勝達成投手であることから。 |
| 最後のPL戦士 | 中川圭太 | 名門PL学園の野球部休部前、最後の世代の選手としてプロ入りしたことから。 |
| 催眠術師 | 岩隈久志 | まるで催眠術にかかったかのように相手打線が沈黙したことから。 |
| サイレントK | 石井裕也 | 先天性難聴であり、マウンドに上がる際に補聴器のスイッチをOFFにし静寂の中で三振を奪っていく様子から。 |
| サイン盗みの名人 | 本堂保次 | 相手選手の癖やサインを徹底的に分析し見破った事から。 |
| 坂崎大明神 | 坂崎一彦 | 高校時代甲子園大会で打ちまくり、相手チームから恐れられたことから。 |
| 詐欺師 | 達川光男 | ともに同年代に相手や審判を欺くプレーを得意とした捕手であり、「西の達川、東の市川」と呼ばれた。「ペテン師」とも。 |
| 市川和正 | ||
| ささやき戦術 | 野村克也 | 打席に立つ相手打者に対して話しかけ打ち気を反らさせたり、混乱させたことから。 |
| サッシー | 酒井圭一 | 高校時代県大会で2度のノーヒットノーランの活躍をみせ、怪物という意味合いで当時話題だった「ネッシー」にかけて名付けられた |
| 雑草魂 | 上原浩治 | 座右の銘として掲げていた言葉であり、流行語大賞に輝き、彼を象徴する言葉として定着したことから。 |
| ザトペック投法 | 村山実 | 常に全力で投球し体力の限界まで目一杯投げる姿を、当時の陸上長距離ランナーであり常に苦しそうな姿で走る「エミール・ザトペック」に例えて命名された。 |
| サブマリン | 山田久志 | 潜水艦のように深く沈み込むような投球フォームから。アンダースローの投手の代名詞となっている。 |
| サモアの怪人 | トニー・ソレイタ | サモア出身で、強打を武器に活躍したことから。 |
| サヨナラ男 | ジャック・ハウエル | シーズン記録となる5本のサヨナラ本塁打を記録するなど、サヨナラの場面にめっぽう強かったことから。 |
| サラリーマンの鑑 | 鹿取義隆 | 来る日も来る日も登板する姿が、当時の働きすぎなサラリーマンの姿にダブったことから。 |
| 三振しない男 | 宮﨑敏郎 | 三振することが極端に少ないことから。 |
| 吉田正尚 | ||
| サンデー〇〇 | 村田兆治 | 日曜日のみに登板するような先発ローテーションで活躍したことから。〇〇には名前が入る。 |
| 小野晋吾 | ||
| シーソー投法 | 池谷公二郎 | シーソーのように体を大きく上下に動かす投球フォームから。「ぎっこんばったん投法」とも。 |
| 自衛隊 | 米田慶三郎 | 守備は一流だったものの打撃に難があり、自ら攻撃することのない(専守防衛)という意味から名付けられた。 |
| ジェームズ | 野村佑希 | アメリカ生まれであり、ミドルネームがジェームズであることから。 |
| 死球王 | 竹之内雅史 | 内角の厳しい球にも逃げずに向かっていき、結果として死球が多く、清原和博に抜かれるまで通算最多与死球166を記録したことから。「特攻隊」とも。 |
| 史上最強の5番打者 | 末次利光 | 王貞治・長嶋茂雄の後ろを打ち、勝負強い打撃でV9に貢献。ONコンビが苦手にしている投手からも打点を重ねた。末次引退後、柳田がその異名と役割を継いだ。 |
| 柳田真宏 | ||
| 史上最強の助っ人 | ランディ・バース | NPB史上に残る通算成績やシーズン成績を残した外国人選手のこと。候補選手は多数。 |
| ブーマー・ウェルズ | ||
| ウォーレン・クロマティ | ||
| ロバート・ローズ | ||
| タフィー・ローズ | ||
| 下町のエース | 成田文男 | 東京の下町出身であり、同じく下町に本拠地があったオリオンズのエースとして活躍したことから。 |
| 下町の太陽 | アルト・ロペス | 笑顔を絶やさない陽気な性格と当時のオリオンズの本拠地が東京の下町であったことから、当時の流行歌の曲名からとってこう呼ばれた。 |
| 6ツールズプレイヤー | 多村仁志 | 5ツール(打撃技術、パワー、足、守備、肩)の良さに加え、ファッションセンスも良かったため。 |
| 死神 | 岩瀬仁紀 | 「死神の鎌」に形容されるほどの鋭いスライダー、登場した際の相手チームの絶望感などから。 |
| シバタオー | 柴田博之 | 父が元騎手、親戚に柴田政人・柴田善臣がいる競馬一家に生まれ、俊足を武器に活躍したことから競走馬のような愛称がついた。 |
| ジプシー後藤 | 後藤修 | プロ野球歴代最多の8球団を渡り歩いたことから。引退後はゴルフの指導者として活躍。 |
| じゃじゃ馬 | 青田昇 | 喧嘩で負け知らずで大先輩たちに対しても物怖じせず噛みつくなど、荒々しくも豪快な性格ながら勝負強い打撃で活躍した事から。 |
| シャーパー | 中島俊哉 | 小学生時代チームで使用していた「シャープにコンパクトに」という掛け声が由来であり、若手時代に二軍の打撃練習時にこの掛け声を発したが理解されず、そのまま愛称として定着したもの。 |
| ジャンボ | 仲根正広 | 高校時代から190cmを超える長身で有名であったため。 |
| シュート打ちの名人 | 山内一弘 | 当時苦手とする打者の多かったシュートを打つことを得意としたことから。「変化球打ちの名人」とも。 |
| シュール便 | エリック・シュールストロム | 引退後、スカウトとして数々の名助っ人を発掘してきたため。 |
| 十字架投法 | 石田光彦 | 上手や横手から投げたり、クリスチャンでもキリスト教徒でもないのに十字を切ってから投げたりと、人を食ったようなマウンド捌きを得意としたことから。 |
| 10人目のスターター | 田口壮 | MLB時代、レギュラーの選手の穴を埋めたり、代打・代走・守備固めなどユーティリティプレイヤーとして活躍し、ワールドシリーズ制覇に貢献したため。 |
| 10年目の新人 | 矢野清 | プロ10年目にして突如覚醒し打ちまくったことから。 |
| 執念先輩 | 今川優馬 | チームをオブする際に「執念」というワードを多用することから。 |
| 18歳の4番打者 | 土井正博 | 高卒1年目の18歳時、素質を見込まれ育成目的でオープン戦の4番として起用されたことから。なお、1年目の公式戦では4番として出場していない。 |
| 清原和博 | 高卒1年目から4番打者として活躍したため。 | |
| 酒仙投手 | 西村幸生 | お酒が好きで給料や賞金を酒に使うことが多く、阪神の「主戦投手」であったことにもじって名付けられた。 |
| 石戸四六 | 宿舎で常に日本酒を飲んでいたことから。 | |
| 今井雄太郎 | 無類の酒好きとして知られ、もともと弱気な部分が弱点であったが、飲酒した状態で登板したところ見違える投球をしたため。 | |
| ジョーカー | 牧原大成 | エース級の投手やチャンスに強いことから監督である藤本博史が切り札として活躍してほしいと命名した。 |
| 生涯一捕手 | 野村克也 | 野村の座右の銘。45歳まで捕手として現役を続け3000試合に出場。現役引退後も古田敦也、矢野輝弘、嶋基宏ら名捕手たちを育てた。 |
| 将軍 | スペンサー・パットン | アメリカの軍人「ジョージ・パットン」にちなんで名付けられた。 |
| SHO TIME(ショウタイム) | 大谷翔平 | 「ショータイム(SHOW TIME)」と翔平の「翔(SHO)」をかけたもの。 |
| 少年速球王 | 古沢憲司 | 快速球を武器とし、プロ野球最年少記録となる17歳2か月で完封勝利を挙げたことから。 |
| ジョニー | 黒木知宏 | 山本譲二のような髪型であったことから当初は「ジョージ」と呼ばれていたが、目鼻立ちが整っていたため後輩から外国人風の名前にしようと「ジョージじゃなくて、ジョニーにしましょう」と提案されたことに由来している。 |
| 白熊くん | 欠端光則 | 北国育ちで色白な風貌から。重い直球と切れのあるフォークで手薄だった大洋投手陣を先発中継ぎ問わず支えた。 |
| スーパーマリオ | カルロス・ポンセ | 口ひげを蓄えた姿が当時人気であった「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに似ていたため。 |
| 吹田の主婦 | 山崎颯一郎 | ファンフェスタのイベントで「吹田の主婦」という設定で三角巾に裸エプロンという出で立ちで登場したことが由来。ちなみに同イベントでは杉本裕太郎が「神戸のパティシエ」、近藤大亮が「京都の和菓子職人」、宇田川優希が「芦屋のマダム」という設定で登場している。 |
| スクールボーイ | 沢村栄治 | 17歳のときに全米選抜打線をルー・ゲーリックのソロ本塁打の1失点のみに抑え、この活躍が米国でも「スクールボーイ」の文言とともに報じられたことから。 |
| スコーピオン打法 | フリオ・フランコ | グリップを頭上に上げ、バットの先端で相手投手を威嚇するようなその独特過ぎる構えから。 |
| スシボーイ | ブランドン・レアード | HRを打ったあとに大好物の寿司を握って食べるパフォーマンスをすることから。 |
| スター | 新庄剛志 | メジャー挑戦後にファイターズに入団し、そのスター性で長らく人気の低迷するパ・リーグを盛り上げ、パ・リーグの人気再興に大きく貢献したことから。 |
| ストリップ打法 | 千葉茂 | 厳しい球をファールで粘り続け、相手投手を丸裸にしてしまうことから。 |
| スパイダー投法 | 工藤幹夫 | 基本はサイドスローであったが、時折腕の出どころを変えて投じる姿から。 |
| スピードガンの申し子 | 小松辰雄 | 150キロ超えの速球を武器に打者をねじ伏せていたことから。 |
| スピードスター | 西岡剛 | 俊足を武器にマリーンズのリードオフマンとして活躍したことから。 |
| スペードのエース | 桐敷拓馬 | チームのピンチを救う切り札として、岡田彰布監督が命名した。 |
| スネーク投法 | ジーン・バッキー | 長い腕をくねらすように投げる独特の投法から。 |
| スレッジハンマー | ターメル・スレッジ | 勝負強くパンチ力のある打撃を自身の名前(スレッジ)と「大型ハンマー(スレッジハンマー)」をかけて名付けれれた。 |
| 精密機械 | 小山正明 | 正確無比なコントロールを誇った投手や巧みな投球術で打ち取る投手につけられる。「針の穴をも通すコントロール」とも呼ばれたりする。 |
| 北別府学 | ||
| 小宮山悟 | ||
| 世界のコバヤシ | 小林誠司 | 打撃を不得意としているが、国際舞台になると打撃面で好成績を残すことから。国際舞台以外にオールスターや日本シリーズなど大舞台で活躍することが多い。 |
| 世界一低いアンダースロー | 渡辺俊介 | 地面スレスレの位置から投球することから。 |
| 世界一の代打男 | 高井保弘 | 世界最多の通算27本の代打本塁打を記録したことから。 |
| 世界の盗塁王 | 福本豊 | 後に更新されたが、世界記録の通算盗塁数を記録していたため。 |
| 世界のホームラン王 | 王貞治 | 通算本塁打数が世界一であるため。また、WBC初代優勝監督でもある。 |
| 赤兎馬 | 李炳圭 | 韓国時代俊足巧打の選手として有名だったため。ただし、日本時代は故障の影響からか走力は今ひとつであった。 |
| 関取 | 小谷正勝 | 「太陽が出ない日があっても小谷の投げない日はない」と称されるくらいのスタミナとタフネスっぷりから。 |
| 絶好調男 | 中畑清 | 記者からの質問に対し「絶好調」というフレーズを多用したことから。 |
| ゼロ戦のマツ | 松浦宏明 | 背番号「0」の投手として先発や抑えで活躍。 |
| 零代ミスタータイガース | 景浦將 | 初代は藤村富美男だが、藤村の活躍以前に沢村栄治のライバルとして称され、タイガースの中心として活躍したことから。 |
| 草魂 | 鈴木啓示 | 本人の座右の銘が由来。 |
| ゾノアイ | 下園辰哉 | 選球眼が良く、シーズンによっては打率と出塁率が1割程度違うシーズンもあったため。 |
| タ行 | ||
| 大王 | 王柏融 | 台湾時代、シーズン打率4割を二度記録するなど台湾球界の顔として活躍したことから。 |
| 大将 | 中田翔 | 打線の中軸として長く活躍し、親分肌な性格と相まって自然と定着した。 |
| Dise-K | 松坂大輔 | 名前のダイスケと奪三振を意味するKをかけたもの。 |
| 代走のスペシャリスト | 鈴木尚広 | NPBにおける代走の最多盗塁記録保持者であることから。 |
| 代打の神様 | 八木裕 | 代打率4割超えなど非常に高い代打成功率を記録し、ファンや首脳陣から絶大な信用を得たため。 |
| ダイナマイト | 山本大斗 | 豪快なスイングとパンチ力あふれる打撃から。 |
| ダイナマイト・シンゴ | 石川慎吾 | 積極的な姿勢と一発長打のあるパンチ力のある打撃スタイルから。 |
| 鷹の爪 | 広瀬叔功 | ホークスの先頭打者として活躍したため。 |
| 鷹のプリンス | 川崎宗則 | ホークスの主力として活躍し、端正なルックスと明るい性格で人気を集めたことから。 |
| 打撃の神様 | 川上哲治 | プロ野球史上初の2000本安打達成者であることから。その後指導者としても実績を重ね、「野球の神様」と呼ばれることも。 |
| タコ踊り | 佐藤政夫 | タコのようにくねくねと独特な動きをする投球フォームから。「こんにゃく投法」とも。 |
| タコ足の超人 | 中河美芳 | 非常に体が柔らかく、送球を受ける際に脚を開脚した「股割り」の状態で捕球することから。 |
| 谷間の宮ちゃん | 宮本和知 | 先発ローテの谷間やロングリリーフなどで優勝に貢献したことから。 |
| 魂のエース | 黒木知宏 | 闘志を前面に剥き出しにした投球スタイルで活躍したことから。 |
| 弾丸ライナー | 川上哲治 | 外野の間を抜ける鋭い打球を左右に打ち分け安打を量産したことから。 |
| ダンディ | 近藤貞雄 | 現役引退後、先進的な理論とユーモアあふれる言動やパフォーマンスから名付けられた。 |
| ダンプ | 辻恭彦 | 運送会社出身であり、ずんぐりした体系、毎日ブルペンで400~500球を受けるタフネスぶりや、怪我が少なく丈夫で長く現役を続けたことから。名字が同じだった「辻佳紀」が同時期に在籍していた事から二人を区別するために愛称で呼ばれることが多かった。 |
| 小さな大エース | 長谷川良平 | 167cmと小柄ながら、当時弱小チームであった広島のエースとして活躍し、1955年には30勝をあげる活躍を見せたことから。 |
| 小さな大投手 | 石川雅規 | 小柄な体型ながらヤクルトのエース格として11度の二桁勝利を記録したため。 |
| 小さな大打者 | 若松勉 | 170cmに満たない小柄な体格ながら数々の記録を打ち立てたことから。 |
| 小さな大魔神 | 山崎康晃 | 同球団のレジェンド佐々木主浩の「ハマの大魔神」にちなみ、佐々木より小柄であったためこう名付けられた。 |
| 小さな鉄腕 | 武田久 | 小柄な体格ながらセットアッパー・クローザーとして長らく活躍したことから。 |
| 遅球王 | 星野伸之 | 速球の最速が130キロに満たなかったにもかかわらず、落差の大きくブレーキの効いたスローカーブと投球術でエース格として長く活躍した。命名したのは水島新司の「ドカベン」であるとされている。 |
| チャーリー | 廣瀬純 | もみあげの長さが特徴的であったことから、広島弁でもみあげを意味する「チャリ」をもじって付けられた。 |
| チャイ | 藤原満 | プロボクサーの「チャチャイ・チオノイ」に似ていたことから。ツチノコ型のバットを使用し長年に渡り活躍した。 |
| チャップリン投法 | 石田光彦 | わざと無駄な動作をして投球間隔を長くとったり、様々な変速投法を使い分け、まるで相手打者をおちょくっているように見えたことから、喜劇王と呼ばれた「チャップリン」の名をとって呼ばれた。 |
| 中年の星 | 山本和範 | 成績低迷や高齢を理由に解雇された後、テスト入団した近鉄で復活、オールスターゲームでMVPを活躍するなど輝いたことから。 |
| 大野豊 | 30代後半~40代前半にかけてもチームの中心投手として活躍し続けたことから。 | |
| 工藤公康 | 40代で放出されながらもその後数年活躍し、当時のセ・リーグ最年長勝利記録を更新したため。 | |
| 山本昌 | 球界最年長記録を次々と更新していく姿から。 | |
| 超人 | 糸井嘉男 | 身体能力の高さと天然な発言や行動から。 |
| 鳥人 | 北村照文 | 華麗なダイビングキャッチなど外野守備で観客を魅了したことから。 |
| ちょうちん打法 | 中利夫 | カウントを有利にするため、ちょうちんのように球が低めに来ると体をちょっと伸ばし、高めに来たら体を縮ませるとったように体を伸び縮みさせる打法であったことから。 |
| 直球破壊王子 | 渡邉諒 | 160km/h近い直球でも安打にしてしまうなど、ストレートに対して抜群の強さを見せることから。 |
| チョロ | 広瀬叔功 | 練習を熱心に取り組み、監督の鶴岡一人から広島弁で「ようやっちょる」と褒められ、この発言からチームメイトが「チョル」と呼び始めたところ鶴岡が聞き間違え「チョロ」と呼んだことから。 |
| ツイスト打法 | 阿部慎之助 | 打つ瞬間に腰をあえて逆方向に回転させ体の開きを抑えるという技術から。 |
| 月見草 | 野村克也 | 本人が華のある長嶋茂雄と人気が下火だったパ・リーグで活躍する自身を比較し「長嶋はひまわり、俺は月見草」とぼやいたことが由来。 |
| ツチノコバット | 藤原満 | グリップが非常に太く重たいすりこぎ型のバットを愛用し活躍したことから。 |
| 繋ぎの4番 | サブロー | 4番として起用されることが多かったが、本塁打を狙わず繋ぎのバッティングでチームの日本一に貢献したことから。 |
| デーブ | 大久保博元 | 太っている体型から。阪神大震災後に行われた復興支援のチャリティーゲームでは外国人選抜チームにこの登録名で捕手として参加した。 |
| デカちゃん | 杉山悟 | 当時としては長身の選手で、パワフルな打撃で活躍し親しまれたことから。 |
| テキサスの哲 | 川上哲治 | 全盛期のように鋭い打球は打てなくなったものの、内野と外野の間にポテンと落ちるテキサスヒットで安打を量産したことから。 |
| デゴ | 福良淳一 | 鉄道会社出身であり、背番号51を背負っていたことから「D-51(デゴイチ)」になぞらえて。ちなみに、イチローの先代背番号51でもある。 |
| 鉄仮面 | 藤井栄治 | 打席で常に無表情であり、マスコミにも塩対応であったことから。 |
| 加藤初 | どんな場面でも表情を変えず黙々と投げ込んだことから。 | |
| 鉄人 | 衣笠祥雄 | 当時の世界記録となる連続試合出場記録を記録したため。名称の元々の由来は「鉄人28号」からと言われている。 |
| 金本知憲 | ||
| 鉄人54号 | 倉田誠 | 「ロボット」と形容されるぎこちない投球フォームから、当時人気だった「鉄人28号」をもじって呼ばれたもの。54は当時の背番号。 |
| 哲のカーテン | 川上哲治 | 厳しい報道規制を張ったことから「鉄のカーテン」になぞらえて命名された。 |
| 鉄砲肩 | 羽生田忠克 | 肩の強さに定評があり、捕殺やタッチアップ抑止など守備で貢献したことから。 |
| 英智 | ||
| 鉄砲肩の殺し屋 | 大矢明彦 | 球界屈指の強肩を武器に高い盗塁阻止率を誇ったため。 |
| 鉄腕 | 野口二郎 | 通算259完投、NPB記録のシーズン19完封に代表されるように、タフネスっぷりで名を馳せたため。 |
| 稲尾和久 | 連投・多投でプロ野球史に残る成績を残したことから。 | |
| 天皇 | 金田正一 | 他のピッチャーを追随を許さず、圧倒的な能力で試合を支配する様子に尊敬の念を込めてつけられた。 |
| 天秤打法 | 近藤和彦 | バットを天秤のように担ぐ独特の打法で活躍。 |
| 闘将 | 土井垣武 | 気が強く相手投手を睨みつけるなど常に闘志を全面に出しプレーしてたことから。 |
| 江藤慎一 | 常に全力を尽くす闘志あふれるプレースタイルから | |
| 星野仙一 | 監督として闘志を剥き出しで指導・采配し、自チームの選手が傷つくような場面では抗議や乱闘もいとわず真っ先に飛び出す姿から。 | |
| 東海の龍 | 大宮龍男 | 中日時代監督であった星野仙一相手に一歩も引かず言い争うなど気の強さが有名だったため。「大宮親分」とも呼ばれた。 |
| 東都の不沈艦 | 高市俊 | 大学時代3季連続MVPを獲得し、負けない投手として有名だったため。 |
| ドカベン | 香川伸行 | 漫画ドカベンの山田太郎のような見た目で強打の捕手として活躍したことから。 |
| 得点圏の鬼 | 大和 | 非常に勝負強く、得点圏にランナーが居る際に際立った活躍することから。 |
| ドクターK | 野茂英雄 | プロ・アマ問わず、奪三振の多い投手に付けられることの多い愛称。元々は奪三振率の高かったメジャーリーガー「ドワイト・グッデンの愛称」が由来。Kは三振を意味している。 |
| ドサキング | 伊藤勲 | 地方球場での試合など遠征試合での活躍が目立ったことから「ドサ回り」にかけて。 |
| どすこい | 山口俊 | 父が元力士であったことが由来。 |
| 突貫小僧 | 武上四郎 | 荒々しく体当たりなプレーで活躍した事から。 |
| 弘田澄男 | 思い切りのいい打撃と積極的な走塁でチームを引っ張ったことから。 | |
| 高沢秀昭 | 高速チャージからの三塁・本塁での捕殺を得意とし、タッチアップを許さなかったため。 | |
| 波留敏夫 | 1・2番打者として、常に闘志を剥き出しにした全力プレーで活躍したため。「ハマの核弾頭」「ガッツマン」とも呼ばれる。 | |
| 桑原将志 | ||
| トニー・プラッシュ | ナイジャー・モーガン | プレー中はトニー・プラッシュという「別人格」としてプレイしていたため。 |
| ドラキュラ | 山本和範 | 梨田昌孝から「ドラキュラに顔が似ているから」ということで名付けられた。 |
| トルネード | 野茂英雄 | 体を捻るような投球フォームを竜巻に例えたことが由来。ちなみに元々は球団の公募で決まったものである。 |
| ドロップの真田 | 真田重蔵 | 縦に大きく曲がるドロップを決め球としたことから。彼のドロップは「懸河のドロップ」とも呼ばれた。 |
| ドン鶴岡 | 鶴岡一人 | 人情に厚い監督であったことから。 |
| トンビ | 東尾修 | 東尾を「東=トン 尾=ビ」と呼び替えたもの。 |
| ナ行 | ||
| ナカジマイリュージョン | 中嶋聡 | 奇襲や若手を大事な場面で起用するなど大胆な起用法で前年度最下位のチームをリーグ制覇に導いたこと、そして師である仰木彬氏の「仰木マジック」から着想を得て名付けられた。「ナカジマジック」とも。 |
| 投げる科学者 | トレバー・バウアー | UCLA卒の頭脳を持ち、科学的な見地から練習に取り組み、試合でも活かしている様子から。 |
| 投げる金剛力士像 | 石井貴 | 気迫あふれる投球スタイルや、捕手のサインを見るときに睨みつけるような鋭い眼光であったため。 |
| 投げる哲学者 | 今永昇太 | 新人時代のルーキーらしからぬ投球術と達観した発言が由来。ユーモアを交えた哲学的なコメントを残すことが多い。 |
| 投げる同人作家 | 佐々木貴賀 | イラストを書くことが趣味で、球団の二軍情報誌にもイラストが数回掲載されたことから。 |
| 名古屋の太陽 | 宣銅烈 | 中日時代抑えの切り札としてチームのリーグ制覇にこうけんしたことから。 |
| 七色の変化球 | 若林忠志 | 多彩な変化球を武器に打者を打ち取るスタイルから。 |
| 大野豊 | ||
| ナニワの轟砲 | T-岡田 | 大阪府出身であり、豪快な打球を飛ばすことから。「浪速のゴジラ」とも。 |
| 浪速の春団治 | 川藤幸三 | 阪神への球団愛や浪花節な生き方を落語家の「桂春団治」に例えて呼ばれるようになった。 |
| ナニワの名参謀 | 一枝修平 | 阪神のヘッドコーチとして日本一に貢献したことが由来。 |
| ナベQ | 渡辺久信 | チーム内で渡辺が二人になり、「渡辺久」と表記される機会が増えたことから、「久」の字の音読みをアルファベットにしたもの。 |
| 仁王様 | 木樽正明 | 鋭い眼光で相手打者を睨みつけ強気な投球で相手の打者を打ち取る様子から。 |
| 虹のアーチ | 大下弘 | HR時に打球が高く舞い上がり、ゆっくりとスタンドインする様子から。大学時代にはポンポンとスタンドに放り込む様子から「ポンちゃん」とも呼ばれていた。 |
| 20世紀最後の大型内野手 | 井口資仁 | 97年ドラフト時に三拍子全ててハイレベルだという前評判から。その名に恥じぬ活躍を見せた。 |
| ニセこうじ | 山本功児 | 広島の山本浩二と同じ読みであり、近い世代に活躍したことから。同じ大学出身であり「偽者と野次られるのも、同姓同名の偉大な先輩がいてこそ」と語っている。 |
| 二刀流 | 関根潤三 | 投手と野手両面で活躍したことから。 |
| 永淵洋三 | ||
| 大谷翔平 | ||
| 日本一の三塁ベースコーチ | 高代延博 | 打球判断能力の高さから、数々のチームの3塁コーチャーとして貢献したため。 |
| ニャロメ投法 | 柳田豊 | 漫画「もーれつア太郎」の「ニャロメ」のような愛嬌のある顔立ちと投球後にぴょんと跳ねる独特な投法から。 |
| ニャンコ | 藤本修二 | キャンプ中、宿舎近くにいた野良猫に餌をあげようとしたところ噛みつかれ、一週間投球禁止になったことが由来。 |
| 人間機関車 | 呉昌征 | 小柄ながら俊足を武器にエネルギッシュなプレーで攻守で活躍したことから。 |
| 忍者 | 菊池涼介 | ヒットゾーンに飛んだ打球にあっさりと追いつきアウトにする等、思いもよらぬ守備範囲の広さやテクニックから。 |
| 田中幹也 | ||
| 矢野雅哉 | ||
| 忍者投法 | 天保義夫 | ピンチの場面でも、時に人を食ったようなスローボールやナックルボールなどを投じ、打者を幻惑したことから。 |
| 眠狂四郎 | 土屋正孝 | 常に表情を変えずにプレーし、打席では剣豪のように大きくバットを構える姿から。水原茂監督が常にけだるげで眠そうに見えたことから名付けたとも言われている。 |
| ノールック投法 | 岡島秀樹 | リリースの瞬間、キャッチャーや打者ではなく地面に顔を向けながら投げる独特の投法で活躍したことから。 |
| のび太くん | 古田敦也 | ドラえもんの「のび太」のように大きい丸メガネをかけ、ひょろっとした体型であったことからつけられた愛称。彼の活躍により「眼鏡の捕手は大成しない」という概念が覆された。 |
| 野村再生工場 | 野村克也 | 故障やスランプなどで本来の実力を発揮できなくなった選手を獲得し、一軍の戦力として再生させたことから。 |
| ハ行 | ||
| 背面投げ | 小川健太郎 | 王貞治対策として「背面投げ」を披露したことから。 |
| ハエ取り紙 | 河野昭修 | どんな悪送球や難しいバウンドの打球でも吸い付くように華麗に捌いたことから。 |
| バカ肩 | 木塚忠助 | 並外れた肩の強さを持ち味としたことから。木塚はショート、羽生田は外野手として活躍。 |
| 羽生田忠克 | ||
| 爆笑生傷男 | 金森栄治 | 2年連続で死球王(当てられたほう)、当てられた際や体付近にボールが来た際に球場全体に聞こえるくらいの大きさで叫んだことから。 |
| 走り屋 | 今井譲二 | 実働8年で通算打席数よりも通算盗塁数のほうが多く、代走のスペシャリストとしてチームに貢献したことから。「代走屋」とも。 |
| 走る将軍 | 西村徳文 | 俊足を武器にしていた選手であり、現役時代放送されていた「水戸黄門」で水戸光圀を演じていた俳優の「西村晃」と同姓だったため。 |
| バターボール | 川端順 | パームボールを改良した独特の軌道を描く変化球を武器としていたことから。「川端だからバターボールじゃ」と達川光男が命名した。 |
| 8時半の男 | 宮田征典 | リリーフ投手の草分け的存在。心臓が弱く長いイニングを投げられなかったためリリーフに専念。8時半頃に登板することが多かったことから。 |
| バックスクリーン男 | 池山隆寛 | センター方向への豪快な本塁打が多かったことから。 |
| 破天荒 | 菊池涼介 | 広い守備範囲と常人離れした身のこなしで型破りなファインプレーを連発したことから。 |
| バトルフェイス京田 | 京田陽太 | 中日時代極度のスランプに陥り、立浪和義監督から「戦う顔をしていない」と二軍降格させられ、オフにDeNAに放出。その後移籍先のDeNAで活躍し、ファンから「戦う顔をしている」と言われるようになったことから。当初はネットだけであったが、チーム内でも浸透しているようである。 |
| ハマの牛若丸 | 藤田一也 | 華麗かつ堅実な守備を売りとしていたことから。その後楽天へ移籍し活躍したが、後に横浜に復帰し、この愛称が復活した。 |
| ハマのゴジラ | 筒香嘉智 | ベイスターズに在籍し、入団当初は背番号55番を付けていたことや、松井秀喜を彷彿とさせる豪快な打球で本塁打を量産したことから。 |
| ハマの大魔神 | 佐々木主浩 | 初期は相手チームからみて手も足も出ない相手だったことから「悪魔のような守護神」を略して「魔神」と呼ばれ、その後特撮の「大魔神」に似た風貌であったことから「ハマの大魔神」と呼ばれるようになった。(※諸説あり) |
| ハマの番長 | 三浦大輔 | トレードマークである「リーゼント」のヘアスタイルから。 |
| ハマのプーさん | 宮﨑敏郎 | やや太めな体格と口ひげ姿、愛嬌のある表情などがどこか熊っぽかったことから、くまのプーさんになぞらえてこう呼ばれるようになった(ネットでは「プニキ」のほうが浸透している)。 |
| ハマのモンチッチ | 吉村裕基 | 見た目が「モンチッチ」に似ていたことから。球団からモンチッチとのコラボグッズも販売された。 |
| ハマの龍神 | 金城龍彦 | 球団が人気を盛り上げようと言うことでファンから募集したもの。…が、あまり定着しなかった。 |
| 早投げのまっちゃん | 松本幸行 | ノーサインでテンポ良く投げ込む投球スタイルから。 |
| ハンカチ王子 | 斎藤佑樹 | 高校時代、端正なルックスとハンカチで汗を拭う仕草がメディアで度々ピックアップされた事が由来。 |
| パンチ | パンチ佐藤 | パンチパーマがトレードマークであり、持ち味もパンチ力のある打撃であったことから、「パンチ」を登録名にしたことから。 |
| パンチョ | 木下富雄 | 口ひげ姿が当時人気のあった音楽グループ「ロス・パンチョス」のメンバーに似ていたことが由来。 |
| 班長 | 中島治康 | 兵役の際に班長を務め、プレーの際にも大きな声で激や喝を飛ばす親分格の選手であっったことから。 |
| 番長 | 清原和博 | チーム内のボス的存在であり、どんどん厳つくなっていく様子をメディアが「番長」として扱い、どんどんキャラ付けしていったことから。「球界の番長」とも。 |
| バントの神様 | 川相昌弘 | 高い犠打成功率を誇り、世界記録の通算犠打数を記録したことから。 |
| バントをしない2番打者 | 清水隆行 | 2番打者は繋ぎの役割という概念を覆し、強打で活躍したことから。 |
| 小笠原道大 | ||
| アダム・リグス | ||
| バンビ | 佐藤孝夫 | 躍動感のあるプレースタイルで人気を博したことから。 |
| 備前喜夫 | ||
| 半袖魔神 | 小山伸一郎 | 寒い時期でも半袖で登板していたことから。 |
| 悲運のエース | 藤田元司 | エース投手として日本シリーズで大車輪の活躍を見せたものの日本一になれなかったことから。 |
| 悲運の名将 | 西本幸雄 | 指揮官としてリーグ制覇8回ながら、一度も日本一に輝くことがなかったため。 |
| ヒゲ辻 | 辻佳紀 | 髭をはやしたままプレーをした初のプロ野球選手であり、同時期に在籍し性だけでなくポジションも同じだった「ダンプ」こと辻恭彦と区別するためにこう呼ばれた。 |
| ヒゲの斉藤 | 斉藤明夫 | 髭を蓄えた強面な見た目から。 |
| ヒゲ魔神 | 五十嵐英樹 | 髭を生やした風貌で大魔神佐々木主浩に繋ぐ中継ぎ投手として活躍したことから。 |
| 左殺しの次郎 | 藤立次郎 | 左投手に対する代打の切り札として活躍したため。 |
| 左殺しの西岡 | 西岡良洋 | 西武黄金時代に対左投手中心に起用され、好成績を残したことから。 |
| BIGBOSS | 新庄剛志 | 監督就任時に「BIGBOSSと呼んで」といったことから。シーズン開始前に登録名として採用した。 |
| びっくり箱 | 古久保健二 | ともに近鉄の捕手であり、確実性に欠ける打撃だが印象的な場面で光る一打を放ったことから。 |
| 的山哲也 | ||
| 必殺仕事人 | 大田卓司 | 重要な場面で勝負強い打撃を見せチームを支えたことから。 |
| 火の玉投手 | 荒巻淳 | 内角低めに快速球を投げ込み打ち取る様子が、火の玉投手と呼ばれたメジャーリーガーボブ・フェラーに似ていたことから。「和製火の玉投手」とも呼ばれた。 |
| 火の玉ストレート | 藤川球児 | 抜群の球威と伸び上がるような直球から。「わかっていても打てない」と称された。 |
| 百万ドルの笑顔 | 宮本敏雄 | ハワイ出身で端正な顔立ちをしており、明るい性格で凡退しても白い歯を覗かせ爽やかに微笑む姿から。「百万ドルのエクボ」とも。愛称は「エンディ宮本」。 |
| ピラニア | 上川誠二 | 際どいボールに食らいつきコツコツと当てる相手バッテリーからすると嫌らしい打撃スタイルから。 |
| ピンキー | 井上一樹 | ピンク色のリストバンドやレガースなどを愛用し活躍したことから。 |
| V9の頭脳 | 森祇晶 | 頭脳的なリードを武器にV9時代の巨人の正捕手として活躍。 |
| 平成の怪物 | 松坂大輔 | 高校時代から目覚ましい活躍を見せ、江川卓の異名「怪物」になぞらえてこう呼ばれた。 |
| 平成のスライディング王 | 亀山努 | ヘッドスライディングやダイビングキャッチなどハッスルプレーを持ち味としたことから。 |
| フォークボールの神様 | 杉下茂 | フォークボールの元祖として活躍したことから。 |
| 富士山投手 | 渡辺秀武 | 静岡県の富士高校出身で、長身の投手であったことから。 |
| フラミンゴ打法 | 王貞治 | フラミンゴのように片足を上げて打つ打撃フォームから。「一本足打法」とも。 |
| プリンス | 新庄剛志 | ルックスの良さやプレーの華麗さ、目立つ場面で活躍するスター性などから。阪神でレギュラーに定着した辺りからこう呼ばれている。 |
| フルハウス | 小野和幸 | 球数をしっかり使いフルカウントで打ち取る投球スタイルから。 |
| プロ野球のスピード感を変えた男 | 広瀬叔功 | 広い守備範囲と高い走塁・盗塁能力で活躍。その走力は「盗塁王」創設の要因となった。 |
| 不惑の大砲 | 門田博光 | 40歳でNPB史上最高齢のMVP選手となったため。 |
| 文ちゃん | 西沢道夫 | 当時としては大柄な体格であったことから、「文ちゃん」の愛称で親しまれた力士「出羽ヶ嶽文治郎」の愛称がつけられた。 |
| ブンブン丸 | 池山隆寛 | 三振を恐れず常にブンブンとフルスイングで挑む豪快なスタイルから。 |
| 塀際の魔術師 | 平山菊二 | ホームラン性の打球をフェンスをよじ登り度々キャッチしたことから。 |
| 平成の牛若丸 | 小坂誠 | ミスが少なく広い守備範囲を誇ったことから。 |
| 平成の怪物 | 松坂大輔 | 平成の時代に飛び抜けた素質を持っていたため「怪物」江川卓の二つ名に倣いつけられた。プロ入り後もその実力を遺憾なく発揮した。 |
| 平成の大エース | 斎藤雅樹 | 最多勝5回、沢村賞3回と90年代半ばまで球界を代表するエースとして活躍したことから。 |
| ヘソ伝 | 山田伝 | 「カンガルーキャッチ」とも呼ばれるヘソの位置に両手を置いてボールをキャッチするという魅せるプレーでファンに喝采を浴びたことから。 |
| 蛇直球 | 林昌勇 | まるで打者に巻き付くかのように手元でシュートする直球を武器としてたことから。 |
| ヘラクレス | 栗橋茂 | 豪快な打撃と筋骨隆々な肉体が由来。朝まで酒を飲み、酔っ払った状態で試合に出場することも度々あった。 |
| ペンギン投法 | 安田猛 | 力の抜けた独特なフォームのサイドスローと、制球力の高さを活かした巧みな投球術から。 |
| 変態打ち | 角中勝也 | ワンバウンドのボールや大きくハズレたボール球を打ち返してヒットやホームランにすることから、変態的な打ち方が転じてこう呼ばれるようになった。一般的には「悪球打ち」と言われることが多いが、ネットではコチラも浸透している。 |
| 柳田悠岐 | ||
| ホームランアーチスト | 田淵幸一 | アーチを描くような美しい軌道の本塁打を放つことから。 |
| 秋山幸二 | ||
| 北海の荒熊 | 鈴木貴久 | 出身地の北海道とパワフルなバッティングと闘志あふれるプレーから。 |
| 星の王子様 | 星野伸之 | 端正なルックスと同名の書籍をもじって名付けられた。 |
| ボス | 大和田明 | 強面で気性が荒い面もあったが、気風がよくチームメイトから親しまれていたことから。 |
| 細腕エース | 小林繁 | プロ野球選手としては非常に細身な体格でエース投手として活躍したことから。 |
| ポテトヘッド | ゼラス・ウィーラー | 外見がトイ・ストーリーの「ポテトヘッド」に似ているため。「ハクション大魔王」にも似ており、コラボしたこともある。 |
| ほとけのゴローちゃん | 遠井吾郎 | 温厚な性格で面倒見も良かったことから。 |
| ホトケの徳さん | 飯田徳治 | 荒々しい性格の多かった選手が多かった当時の野球界において温厚な性格であったことから。 |
| 炎のキャッチャー | 吉原正喜 | フェンス激突をも恐れずに闘志あふれるプレーで活躍したことから。 |
| 炎のストッパー | 津田恒実 | 「弱気は最大の敵」を座右の銘とし、闘志むき出しで全力で抑える姿から。 |
| ポパイ | 長田幸雄 | ポパイのような外見や腕っぷし、愛嬌のある言動などが由来。 |
| 井上弘昭 | ポパイのようにガッチリした体格と、闘志を前面に出すプレースタイルから。 | |
| ボル神ガー | マイク・ボルシンガー | 外国人投手最多タイとなる11連勝を記録したことから。 |
| ボンバー | 古屋英夫 | 「ボンバー(爆撃機)」が由来。球団の企画で愛称を募集し、採用されたもの。 |
| マ行 | ||
| マー君 | 田中将大 | ハンカチ王子斎藤佑樹のライバルとしてこの愛称が多用されたことから。 |
| マイクを持った盗塁王 | 緒方耕一 | 盗塁王獲得経験があり、引退後は解説以外にもベンチ裏のリポートや取材などで精力的に活動していたため。 |
| マエケン | 前田健太 | 入団時チームメイトに「前田(前田智徳)」も「健太(栗原健太・佐竹健太・玉山健太)」も既に居たことに由来。 |
| マエケンダンス | 前田健太 | 登板前やイニング間に独特の動きでウォーミングアップをすることから。 |
| 幕張の安打製造機 | 福浦和也 | 首位打者を獲得するなど巧打者として活躍したため。「幕張」については千葉県出身で現役時代マリーンズ一筋であったため。 |
| 幕張の消防士 | 鈴木昭汰 | リリーフとして「火消し」の役割をこなし、地元の消防局のポスターに起用されたことから。 |
| 幕張のファンタジスタ | 初芝清 | プロ野球選手らしからぬ風貌、数々の面白エピソード、勝負強い打撃やハラハラさせる守備等、ファンから愛されたことから。 |
| 幕張の防波堤 | 小林雅英 | 抑えのエースとして相手チームの反撃を食い止める姿にちなんで名づけられた。ただし、やや劇場型の投球である。 |
| 負けないエース | 斉藤和巳 | 2005年に16勝1敗、勝率.941、通算成績では79勝23敗、通算勝率.775と高い勝率を誇ったことから。 |
| マサカリ投法 | 村田兆治 | マサカリを振り下ろすように足を大きく上げてから振り下ろす投球フォームから。 |
| マサカリ打法 | 木俣達彦 | バットを大きく上下させるような独特の打法から。 |
| 魔術師 | 三原脩 | 選手の状態だけでなく運の良さまで考慮に入れた選手起用や戦術で相手の予想を上回り、数々の名勝負を演習したことから。仰木は三原の教え子であり、監督としてこの名を引き継いだ形である。 |
| 仰木彬 | ||
| 魔将 | アーロン・ガイエル | 名前の由来は「ラングリッサー」シリーズのキャラクター「魔将軍ガイエル」に名前が似ていたことが由来。低打率なのに高出塁率、ただの外野フライが走本に、と言った具合に色々と妙な歪み(歪)を生む選手としてネタ・実力両面で愛された。 |
| マシンガンの大崎 | 大崎三男 | 快速球と度胸の強さ武器に打者をテンポ良く打ち取る投球スタイルから。 |
| マスター | 阿部寿樹 | バーのマスターのような口ひげを蓄えた姿と着実に役割をこなす姿から。 |
| マッチョマン | 吉田正尚 | 小柄ながらトレーニングにより身につけた筋肉量を活かし、本塁打や安打を量産したことから。 |
| 松葉課長 | 松葉貴大 | スタミナに多少難があり、5回を投げて降板することが多かったことから、5回で役割を終えて降板=定時退社として生まれた名称。6回以降投げることを「残業」とも呼ばれた。後に弱点を克服し、5回以降も投げることが増えていった。 |
| 招き猫投法 | 成瀬善久 | 投球時のテイクバックが小さく、手首の曲げ具合が招き猫の上げた前脚に似ているため。 |
| マムシ | 柳田真宏 | タレントの毒蝮三太夫に似ていたことが由来。 |
| 山下和彦 | しつこいリードで、相手打者を苦しめたため。 | |
| 豆タンク | 黒江透修 | 小柄ながら泥臭く闘志あふれる攻守走で活躍し、クロスプレーで捕手を弾き飛ばしたことから。 |
| 宮﨑敏郎 | 小柄だが長打も打てるパワフルな打撃で活躍したため。 | |
| マルちゃん | ドミンゴ・マルティネス | 丸々とした体格であり愛嬌のある性格であったため。太い体型のため鈍足だったが強打で活躍した。 |
| 満塁男 | 駒田徳広 | 満塁時に無類の強さを誇っていたため。プロ初打席でも満塁本塁打を放っている。「恐怖の満塁男」とも。 |
| 見える魔球 | 小林誠二 | 鋭く高速に変化する消える変化球ではなく、遅く大きく変化するパームボールを武器としたことから。達川光男が命名。 |
| ミスター赤ヘル | 山本浩二 | 広島の中心選手として長らく活躍し、象徴と呼べる選手となったため。 |
| ミスター右中間 | 二岡智宏 | 逆方向への長打が多かったことから。 |
| ミスター完投 | 斎藤雅樹 | 30試合先発で21完投、20勝と先発完投型のエースとして活躍したことから。 |
| 黒田博樹 | 広島時代、シーズン完投数1位を6度経験するなど、完投能力の高い投手だったため。 | |
| ミスター・コンセントレーション | オレステス・デストラーデ | 大舞台になればなるほど集中力を発揮し勝負強い打撃で活躍したことから。 |
| ミスターコントロール | 小宮山悟 | 抜群の制球力で組み立てる投球スタイルから。 |
| ミスタースリーラン | 森野将彦 | ランナーが二人いる場面での本塁打が多かったため。 |
| ミスターゼロ | 高津臣吾 | メジャー時代、24試合連続無失点を記録し地元メディアに名付けられた。 |
| ミスタータイガース | 藤村富美男 | タイガースの象徴として活躍したことから。 |
| 村山実 | ||
| 田淵幸一 | ||
| 掛布雅之 | ||
| ミスターパーフェクト | 槙原寛己 | 平成唯一の完全試合達成者であるため。 |
| ミスターフルスイング | 中村紀洋 | 三振を恐れない豪快なフルスイングで長打を量産したことから。 |
| 小笠原道大 | ||
| 柳田悠岐 | ||
| ミスタープロ野球 | 長嶋茂雄 | 現役時代は「ミスタータイガース」に倣い「ミスタージャイアンツ」と呼ばれていたが、巨人ファンだけでなくプロ野球界を象徴する存在であることから次第にこう呼ばれるようになっていった。「ミスター」単体で呼ばれることも多い。 |
| ミスターメイ | 秋山幸二 | 5月にめっぽう強かったため。 |
| ミスターロッテ | 有藤通世 | プロ入りから引退、その後の監督生活までロッテ一筋であったため。 |
| 見出しのオカ | 岡本伊三美 | それまで地味な選手であったが、逆転打やサヨナラ打、チームを救う守備などで新聞の誌面で取り上げられることが増え、一躍有名になったことから。 |
| 魅惑のアンダースロー | 杉浦忠 | ダイナミックで美しい投球フォームから。 |
| ムース | 野村克也 | 日米野球で来日していたウィリー・メイズが野村のプレーや仕草を見て実力を認め、のっそりとしたいながらも敏感で賢い「ムース(ヘラジカ)」と呼んだことから。 |
| 無冠の帝王 | 松原誠 | リーグを代表する打者として長く活躍していたが、打撃主要三部門(首位打者・本塁打・打点)を獲得できなかったことから。 |
| 清原和博 | ||
| ムッシュ | 吉田義男 | フランス代表監督を務めていたことから。 |
| 無等山爆撃機 | 宣銅烈 | 韓国史上最高の投手であり、出身地近くの山「武等山(ムドゥンサン) 」にちなんで名付けられた。 |
| 村神様 | 村上宗隆 | 非常に勝負強く、2022年には王貞治を超えるシーズン56号本塁打を記録し三冠王を獲得、同年の新語流行語大賞も受賞した。 |
| 名人 | 苅田久徳 | 華麗で正確な守備で活躍したことに由来。「超名人」「忍者」「飛燕」とも。「投の沢村・打の景浦・守の苅田」と称された。 |
| メカゴジラ | 佐伯貴弘 | 同期指名の松井秀喜に対抗し、自ら名付けたもの。ただし本人は長距離砲というよりは中距離のクラッチヒッターであった。 |
| メジャー最強のクレイジー | ナイジャー・モーガン | MLB時代、血の気の多さや奇行の多さからこう呼ばれた。しかし、日本ではムードメーカーとしてチームを盛り上げ、サービス精神旺盛であったことから人気者であった。 |
| メジャーに一番近い男 | 秋山幸二 | 野手のメジャー挑戦者がまだいなかった時代、日米野球などで活躍し、滞日していたメジャーリーガーからメジャーでも通用すると太鼓判を押されたことから。 |
| 佐々木誠 | ||
| メヒア様 | エルネスト・メヒア | シーズン途中加入にも関わらず大活躍し、「救世主(メシア)」をもじってこう呼ばれるようになった。本人もヒーローインタビューなどで「メヒアさまさまや!」と叫んだことも。 |
| メモリアル男 | 広永益隆 | 通算本塁打は34本だが、開幕戦プロ初打席本塁打やNPB通算6万号本塁打など、史上初や珍記録、メモリアルアーチが多かったため。「記憶より記録に残る男」とも。 |
| メリーちゃん | 渡辺秀武 | 穏やかな性格であり、実力はありながらもマウンド上での気の弱さが出てしまうことから。「ウサギの心臓」「昭和の死球王」とも。一方で厳しく内角を攻める投球スタイルで与死球王になったことも。 |
| モーやん | 小川亨 | 南海でプレーしていた「堀込基明(愛称:もーやん)」に似ていたことから。 |
| 猛牛 | 千葉繁 | 一見鈍重な風貌ながら闘志あふれるプレーで人気を博したことから。ちなみに近鉄バファローズのチーム名の由来は彼の愛称が由来である。 |
| 猛将 | 景浦將 | 沢村栄治のライバルとして活躍し、闘志を剥き出しでプレーし、当時としては大柄な体格で重たいバットを使用していたこと等が由来。 |
| 燃える男 | 長島茂雄 | チャンスであるほど燃え上がり、勝負強い打撃を見せたことから。 |
| 星野仙一 | 闘志剥き出しの投球スタイルで戦い続けたことから。 | |
| 物干し竿 | 藤村富美男 | 通常のものよりかなり長尺のバットを使用し活躍したことから。 |
| モンジロー | ウィリー・カークランド | 時代劇の「木枯し紋次郎」のように爪楊枝をくわえながらプレーする様子から。 |
| 門鉄の赤鬼 | 木塚忠助 | 気性が激しく、赤バットを使用しノンプロの門司鉄道管理局で活躍したことから。 |
| ヤ行 | ||
| 野球博士 | ダリル・スペンサー | 緻密な理論や戦術で日本野球に革命をもたらしたことから。「ドクターベースボール」とも。 |
| 野生児 | 金城龍彦 | 身体能力が高く、一般的には避けられているボールに向かって打ちにいくような打撃フォームや、相手バッテリーの読めない独特な配球読みから。 |
| ヤッターマン | 中畑清 | 活躍した際のド派手なガッツポーズ姿から。 |
| ゆあビーム | 田宮裕涼 | ビームのような鋭い送球から。「ゆあ」はひらがなで表記されることがほとんどである。 |
| UFO投法 | 山内泰幸 | ピンクレディーの楽曲「UFO」の振り付けのような独特な投法から。 |
| 優勝請負人 | 江夏豊 | 広島・日本ハム時代に抑えのエースとして優勝に貢献したことに由来。 |
| 落合博満 | 中日・巨人時代に4番打者として優勝に貢献したことから。 | |
| 工藤公康 | 在籍した西武・ダイエー・巨人でエース格として活躍しチームを優勝に導いたことに由来。 | |
| ヨッシャー | 佐々木恭介 | 近鉄の監督時代、ドラフト会議で福留孝介を引き当てた際に「ヨッシャー!」と叫んだことから。福留は入団拒否したが後に佐々木が中日の打撃コーチに就任、師弟関係となる。 |
| 400勝投手 | 金田正一 | NPB史上唯一の400勝到達投手であるため。 |
| ラ行 | ||
| ライアン小川 | 小川泰弘 | ノーラン・ライアンのように大きく足を上げるフォームから。「和製ライアン」とも。 |
| ライオン・キング | 李承燁 | 所属していたサムスン・ライオンズの中心選手として活躍し本塁打王を獲得したことから、映画「ライオンキング」にちなんで名付けられた。 |
| ライオン丸 | ジョン・シピン | 気性が荒く、濃い髭と長いもみあげ姿から、「快傑ライオン丸」にちなんでつけられた。 |
| ライフルマン | 船田和英 | 当時人気のあった西部劇「ライフルマン」の主演、チャック・コナーズに外見がそっくりだったことから。 |
| ラオウ | 杉本裕太郎 | 漫画『北斗の拳』のラオウのファンであることから。座右の銘は「我が生涯に一片の悔いなし」であり、HR後のパフォーマンスもラオウの昇天ポーズである。 |
| リストラの星 | 宮地克彦 | 戦力外通告による移籍後、プロ入り16年目にして初の規定打席到達・ベストナイン選出と大活躍したため。 |
| リトルゴジラ | 松井稼頭央 | 「リトル松井」とも。メジャーリーグ挑戦時に、同じニューヨークのチームで名字が同じ「松井秀喜」が先に活躍していため、小柄な松井という意味でつけられた。 |
| 琉球トルネード | 島袋洋奨 | 沖縄出身で沖縄の興南高校へ進学し、トルネード投法で甲子園春夏連覇を達成したため。 |
| レーザービーム | イチロー | 外野から鋭く伸びのあるボールを正確に送球しランナーを捕殺する様子から。現在では強肩外野手の代名詞になっている。 |
| 新庄剛志 | ||
| 令和の怪物 | 佐々木朗希 | プロ入り前から160キロの速球を投げるなど注目度が高く、期待を込めて江川卓や松坂大輔ら時代を代表する投手につける「怪物」がつけられた。後にその異名に応えるように完全試合を達成した。 |
| レオの貴公子 | 高木大成 | 勝負強い打撃と爽やかなルックスから。 |
| レジェンド | 山本昌 | 40代を超えても活躍し続け、(現役アスリートとしては)高齢で活躍するアスリートの代表格として扱われたため。 |
| レッドスター | 赤星憲広 | 名字の直訳が愛称・異名になったケース。機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルの異名にかけて「赤い彗星」と称されることもある。 |
| ロカビリー投法 | 若生忠男 | 背中が見えるほど体をひねる様子をロカビリー歌手の動きに例えてこのように呼ばれた。 |
| ワ行 | ||
| 若大将 | 原辰徳 | 「若大将シリーズの加山雄三」のイメージに似ていたことが由来とされている。 |
| 和製カポネ | 永淵洋三 | 強面かつ酒豪であることから、密造酒の製造などで財を築いたギャング「アル・カポネ」になぞらえて名付けられた。 |
| 和製ディマジオ | 小鶴誠 | 美しいフォームでプロ野球史に残るシーズン記録を残し、風貌やフォームがメジャーリーグのレジェンドである「ジョー・ディマジオ」に似ていたことに由来。 |
| 和製トラボルタ | 中田良弘 | タイガースに所属し、ジョン・トラボルタ風の彫りの深い顔立ちから |
| 和製ベーブ・ルース | 山下実 | ベーブ・ルースを彷彿とさせる豪快なスイングで活躍したことから。 |
| 和製ヨギ・ベラ | 土井垣武 | 気性が激しく、強肩強打で活躍したことから、ヤンキースの名捕手ヨギ・ベラになぞらえて呼ばれた。 |
| 愛称・ユニット名 | 人物 | 由来・備考 |
|---|---|---|
| アライバ | 荒木雅博 | 鉄壁であり、更に華麗な守備で中日黄金時代を支えた。グラブトスなど芸術的なコンビプレーはコンビ名そのまま「アライバプレー」と呼ばれている。 |
| 井端弘和 | ||
| ありなしコンビ | 有田修三 | 強気な有田と投手に寄り添う梨田の対極なリードスタイルの二人につけられた。「正捕手が二人いる」と称された。 |
| 梨田昌孝 | ||
| イケトラコンビ | 池山隆寛 | 80年代後半~90年代半ばまでヤクルトの中核を担ったコンビ。HRが多かった一方で三振も非常に多かった。 |
| 広沢克己 | ||
| AK砲 | 秋山幸二 | 1986年から1993年にかけて西武黄金時代の3、4番として活躍。この二人の後ろにバークレオを置くAKB砲や、オレステス・デストラーデを置くAKD砲と呼ぶこともあった。 |
| 清原和博 | ||
| SSコンビ | 芝草宇宙 | 同期入団の二人であり、頭文字が「S」であることからSSコンビと命名され売り出された。ともにブレイクまで時間を要したが、芝草は日本ハムの先発ローテーションの一角として、島田は移籍先の横浜で中継ぎエースとして活躍した。 |
| 島田直也 | ||
| SBM | 攝津正 | 2009年に新人の摂津、新外国人のファルケンボーグをセットアッパーに指名し抑えを馬原に任せた勝利の方程式。安定感抜群でチームを支えた。後に背番号48の甲藤啓介を加えた「SBM48」や、愛称『ちょめ』の森福允彦を加えた「SBM48ちょ」、金澤健人を加えた「火消しックス」など変化していった。2011年に摂津が先発転向したため解体となった。 |
| ブライアン・ファルケンボーグ | ||
| 馬原孝浩 | ||
| NHKトリオ | 中西清起 | 同期入団の3人であり、阪神黄金時代にともに活躍したことから。3人の頭文字から取っての命名である。 |
| 平田勝男 | ||
| 木戸克彦 | ||
| MK砲 | 松井秀喜 | チームの中心選手として成長した松井と1997年からFA移籍で加入した清原がコンビを組んだもの。1998年からは高橋由伸を加えたMKT砲と呼ばれることもあった。2002年シーズン後松井がメジャー挑戦したため消滅。 |
| 清原和博 | ||
| 松中信彦 | 1999、2000年にかけてダイエーが連覇を達成した際のクリーンナップコンビ。小久保が04年にトレードに出されコンビは消滅したが、06年にFAで古巣に復帰しコンビ復活。 | |
| 小久保裕紀 | ||
| ON砲 | 王貞治 | 1959年から1974年まで長らく巨人のクリーンナップを張り、巨人の象徴として活躍し続けたコンビ。 |
| 長島茂雄 | ||
| 男前三人衆 | 小林繁 | 2000年の近鉄首脳陣の三人。ルックスの良さから女性人気が高く、指導・采配以外にチームの広告塔的な役割もこなしていた。 |
| 梨田昌孝 | ||
| 真弓明信 | ||
| オリックス山脈 | 山岡泰輔 | オリックス・バファローズが誇る強力投手陣。球団公式からは「バファローズ山脈」と表記されることが多い。それぞれ名字に「山」が入っていることが由来。野球の実力だけでなく顔面偏差値の高さも特徴。2023年からは新たに山下舜平大が加わった。 |
| 山崎福也 | ||
| 山崎颯一郎 | ||
| 山下舜平大 | ||
| 山本由伸 | ||
| カピバラ3兄弟 | 一岡竜司 | 3名とも風貌がどことなくカピバラに似ていたことが由来。カープの3連覇に大きく貢献した。 |
| 今村猛 | ||
| 大瀬良大地 | ||
| 亀新コンビ | 亀山努 | 低迷期の阪神において、若手やベテラン、移籍加入の選手の活躍もあり2位と躍進。その象徴であった亀山と新庄は亀新コンビと呼ばれ、「亀新フィーバー」を巻き起こした。 |
| 新庄剛志 | ||
| カルガモ隊 | 中島卓也 | 中島卓也の練習前ルーティンを後輩の選手たちがどんどん真似しだしたことから、中島を親ガモとして真似する選手たちを子ガモとした呼び名。当初は奈良間と水野らのみが隊員であったが、後にどんどんと増えていった。 |
| 奈良間大己 | ||
| 水野達稀 | ||
| 伏見寅威 | ||
| 郡司裕也 | ||
| フランミル・レイエス | ||
| 石井一成 | ||
| 山縣秀 | ||
| 韓国三銃士 | サムソン・リー | 同時期に中日で活躍した韓国人助っ人トリオ。99年のリーグ制覇に大きく貢献した。 |
| 宣銅烈 | ||
| 李鍾範 | ||
| ギャートルズ | エイドリアン・ギャレット | 同時期に広島打線の中軸として活躍したことから、二人の名前と漫画「ギャートルズ」をもじって名付けられた。 |
| ジム・ライトル | ||
| クアトロK | 木塚敦志 | 「JFK」に対抗し4人共頭文字が「K」であることから名付けられた。リリーフとして活躍。 |
| 川村丈夫 | ||
| 加藤武治 | ||
| マーク・クルーン | ||
| KKO | 菊地原毅 | 「JFK」に対抗して命名。3人の頭文字をとって「KKO」。2005年シーズンは抜群の安定感を発揮した。 |
| 加藤大輔 | ||
| 大久保勝信 | ||
| KKコンビ | 清原和博 | ともに頭文字が「K」であり、高校時代コンビで旋風を起こしたことから。プロ入り後桑田が巨人、清原が西武に入団したため解消したが、後に清原がFAで巨人へ移籍し復活した。 |
| 桑田真澄 | ||
| 50番トリオ | 駒田徳広 | 当時若手の有望株で50番代の背番号を付けていた3人につけられた愛称。 |
| 槙原寛己 | ||
| 吉村禎章 | ||
| 左腕カルテット | 東克樹 | DeNAが誇る先発左腕4人衆。各々が高いポテンシャルを持つが、誰かしら故障やスランプなどで離脱することも多く、4人そろい踏みとなるシーズンはほとんど無かった。 |
| 石田健大 | ||
| 今永昇太 | ||
| 濱口遥大 | ||
| サンフレッチェ | 鹿取義隆 | 西武黄金時代晩年の強力リリーフトリオ。1993年、毛利元就の「三本の矢」と、同年に始まりブームとなったJリーグの「サンフレッチェ広島」になぞらえて命名された。 |
| 潮崎哲也 | ||
| 杉山賢人 | ||
| 史上最強の外野手トリオ | 松井秀喜 | 90年代後半~00年代前半の巨人の外野レギュラー陣。三名ともタイプは違うものの強打者として活躍しチームに貢献した。 |
| 清水隆行 | ||
| 高橋由伸 | ||
| JFK | ジェフ・ウィリアムス | 2000年代の阪神の必勝リレー。3人の頭文字をとって命名された。初期は久保田が抑えだったが、後に配置転換、ウィリアムス-久保田-藤川の順で登板することが多かった。 |
| 藤川球児 | ||
| 久保田智之 | ||
| 19歳トリオ | 加藤伸一 | それぞれ背番号「19」を背負い、高卒1年目の1984年から所属球団で活躍したことから。 |
| 津野浩 | ||
| 渡辺久信 | ||
| 少年隊 | 大野久 | 1988年、村山実新監督がチームを再建するために若手選手を積極起用。その中心となった若手3選手を当時人気であった少年隊にかけて命名し売り込んだもの。「少年隊トリオ」とも呼ばれた。 |
| 中野佐資 | ||
| 和田豊 | ||
| スーパーカートリオ | 屋鋪要 | 1980年代半ばの大洋の上位打線。「スーパーカーのように速いことから」命名。俊足巧打の3名を1~3番に並べ、シーズン148盗塁を記録するなど走りまくった。ちなみに元々は「スポーツカートリオ」だった。 |
| 高木豊 | ||
| 加藤博一 | ||
| スーパーマリオブラザーズ | カルロス・ポンセ | ともに口ひげを蓄えた姿でり、当時人気であった「スーパーマリオブラザーズ」にちなんでつけられた。「スーパーカートリオ」の後を打つ俊足の4、5番であったため5人で「フリーウェイクインテット」と呼ばれたこともある。ただ、ローマンが1年で退団したためやや認知度は低い。 |
| ダグ・ローマン | ||
| スコット鉄太郎 | スコット・マシソン | 2010年代前半の巨人勝利の方程式。ネットを中心にある程度浸透したが一般にはほとんど浸透しなかった。 |
| 山口鉄也 | ||
| 西村健太朗 | ||
| 3D | アンダーソン・エルナンデス | 同年に活躍した助っ人トリオ。3人ともドミニカ共和国出身だったことからドミニカ(Dominica)の頭文字の「D」をとって命名された。 |
| リカルド・ナニータ | ||
| エクトル・ルナ | ||
| スリーマウンテンズ | 青山浩二 | 2010年代序盤の楽天の勝ちパターンリリーフ陣3名の愛称、3名とも名前に「山」がついていることが由来。必勝パターンではあるもののやや安定感を欠く劇場型であった。 |
| 片山博視 | ||
| 小山伸一郎 | ||
| 大福マル | 祖父江大輔 | 三人の名前の一部からとって名付けられたもの。安定感抜群の投球で中日リリーフ陣を支えている。祖父江と福は2020年にともに最優秀中継ぎ投手を受賞した。 |
| 福敬登 | ||
| ライデル・マルティネス | ||
| タナキクマル | 田中広輔 | 2016~2019年にかけて広島の3連覇を支えた1~3番打者。丸が巨人へFA移籍したことにより消滅した。 |
| 菊池涼介 | ||
| 丸佳浩 | ||
| Wバヤシ | 上林誠知 | ともに名字に「林(バヤシ)」が入っていることから。中日の外野のレギュラーとして活躍。 |
| 岡林勇希 | ||
| ツインバズーカ | アレックス・カブレラ | 同年に入団した助っ人コンビ。長打力で他チームを圧倒した。 |
| スコット・マクレーン | ||
| 遠山・葛西スペシャル | 葛西稔 | 野村克也氏が阪神の監督時代に編み出したリレー。右打者には葛西を、左の遠山には遠山をぶつけ、登板していない方の投手を一塁に置き、打ち取った後に相手の打席に応じ投手と一塁スイッチする。投手陣の薄さゆえに生まれた苦肉の策であり、遠山・葛西ともに一塁の経験があったことから生まれた戦術。 |
| 遠山奬志 | ||
| トリオ・ザ・10代 | 加藤伸一 | 1984年に高校卒業直後に活躍した3人の若手投手につけられた呼び名。畠山と藤本は加藤より1学年上なので、実際は「ほぼ10代」。 |
| 畠山準 | ||
| 藤本修二 | ||
| トリオ・ザ・シンジ | 高信二 | 広島期待の若手であった三人の「シンジ」に付けられた愛称。応援歌も三人共通のものを使用。この応援歌は佐々岡真司が打席に立つ際にも時折演奏されていた。 |
| 西田真二 | ||
| 原伸次 | ||
| トレンディーエース | 阿波野秀幸 | 80年代後半~90年代前半にかけてパ・リーグ各球団でエース格として活躍した投手たち。それまでの強面が多いというイメージの強かったパ・リーグにおいてアイドルや人気俳優のようなルックスの良さで話題を集め、特に女性人気が高かった。 |
| 西崎幸広 | ||
| 星野伸之 | ||
| 渡辺久信 | ||
| トンタケコンビ | 竹之内雅史 | 同期入団の二人であり、長打力を武器に早くから4番打者争いを繰り広げたことから。東田の「東(トン)」と竹之内の「竹(タケ)」から取っての命名。 |
| 東田正義 | ||
| 南海の三悪人 | 江夏豊 | 飛び抜けた実力を持つが、監督である野村克也の指示や指導になかなか耳を貸さず、野村が手を焼いたことから。ただし、野村自身も鶴岡一人監督から杉浦忠、広瀬叔功とともに南海の三悪人と呼ばれていた。 |
| 江本孟紀 | ||
| 門田博光 | ||
| 西鉄三銃士 | ジョージ・ウイルソン | 1963年、西鉄ライオンズのパ・リーグ制覇に大きく貢献した助っ人外国人トリオ。 |
| ジム・バーマ | ||
| トニー・ロイ | ||
| 二郭一荘 | 郭泰源 | 1980年代後半、台湾出身の3選手がそれぞれのチームでエース格として活躍していたことに由来。 |
| 郭源治 | ||
| 荘勝雄 | ||
| HAMの方程式 | 武田久 | 「Hisashi And Micheal」の略を「日本ハム」に引っかけた名称。このコンビの活躍で弱点であったリリーフ陣問題が解決、チームは2006年の日本一に輝いた。 |
| MICHAEL | ||
| 花の13年組 | 川上哲治 | 昭和13年、この年入団した1919年生まれの学生野球のスターたちが大活躍。特に活躍者の多かった巨人軍の19年生まれの選手たちを中心にこう呼ばれた。「〇〇世代」のハシリとも言える。この他にも楠安夫、内海五十雄(内海哲也の祖父)らがおり、巨人軍以外にも、服部受弘(中日)、中河美芳(イーグルス)、白木義一郎(セネタース)等、層がぶ厚い世代。ただ、残念なことに戦争による戦死者も多い世代でもある。 |
| 千葉繁 | ||
| 吉原正喜 | ||
| 岩本章 | ||
| PP砲 | ジム・パチョレック | 1988年に大洋の中軸を担ったコンビ。パチョレックは安打を量産し、ポンセは本塁打と打点を稼いだ。 |
| カルロス・ポンセ | ||
| 100打点カルテット | 井口資仁 | 2003年ダイエーにおいて、中軸の3~6番で起用される4人が揃って3割100打点を記録したことから。ダイハード打線の中核であり、プロ野球歴代屈指の強力打線。 |
| 松中信彦 | ||
| 城島健司 | ||
| ペドロ・バルデス | ||
| 百万ドルの内野陣 | 飯田徳治 | 1950~半ば頃の南海ホークスの愛称。一塁・飯田徳治、二塁・岡本伊三美、三塁・鶴岡一人、遊撃手・木塚忠助ら、俊足で華麗な守備を見せる内野陣でファンを沸かせた。 |
| 岡本伊三美 | ||
| 鶴岡一人 | ||
| 木塚忠助 | ||
| 風神・雷神 | 山口鉄也 | 巨人のセットアッパーコンビ。山口が「風神」で越智が「雷神」。越智のフォークは落差が鋭く「雷電フォーク」と名付けられていことから、相棒の山口は風神と名付けられた。 |
| 越智大祐 | ||
| 山内トリオ | 山内和宏 | 80年代前半の南海先発三本柱。山内新一が1983年に移籍したため、その後は残った二人で「両山内」と呼ばれた。三名ともあまり仲が良くなかったと言われている。 |
| 山内新一 | ||
| 山内孝徳 | ||
| ヨネカジコンビ | 米田哲也 | 阪急のダブルエースとして長らく活躍したコンビ。後に足立光宏や石井茂雄を追加した「阪急投手四天王」と呼ばれるようになり、阪急黄金時代を支えた。 |
| 梶本隆夫 | ||
| レフティーズ | 阿波野秀幸 | 96年にエース格の選手に故障が相次いだ際に活躍を見せたベテラン左腕投手4人組。長嶋茂雄監督命名。後に若手の岡島秀樹の台頭や阿波野の移籍で解散した。 |
| 川口和久 | ||
| 河野博文 | ||
| 宮本和知 | ||
| ロケットボーイズ | 五十嵐亮太 | 2000年代のヤクルトのリリーフ人を支えた二人のコンビ名。当時の最速である160キロに迫る速球を武器にリリーフとして活躍したことに由来。 |
| 石井弘寿 | ||
| YFK | 薮田安彦 | 第二次バレンタイン政権時のロッテの必勝パターン。同時期に阪神で活躍した「JFK」をもじって命名された。 |
| 藤田宗一 | ||
| 小林雅英 | ||
| YK砲 | 山本浩二 | 広島の第一次黄金時代の二枚看板として、長らくクリーンナップを張ったコンビ。ともに同い年であり、広島一筋であった。 |
| 衣笠祥雄 | ||
| ROB | オーランド・ロマン | それぞれの名前の頭文字をとり、勝利を「強奪する」という意味の「ROB」と命名され、2015年のリーグ優勝に貢献した。 |
| ローガン・オンドルセク | ||
| トニー・バーネット |
| 名称・愛称 | チーム | 由来・備考 |
|---|---|---|
| 赤ヘル打線 | 広島東洋カープ | 1970年代に山本浩二・衣笠祥雄らを中心とした強力打線を形成したことから呼ばれ始め、以降カープ打線んの愛称として浸透。以降80年代後半~90年代、2010年代後半などにも強力打線を形成した。「赤ヘル」は「赤いヘルメット」から。 |
| 歩いてまえ打線 | 阪神タイガース | 2017年のタイガース打線の愛称。打線の破壊力こそそれなりだったものの、粘りのある打撃をする選手や選球眼に優れた選手が多く、四球を選び高い出塁率で相手投手を苦しめたことから。 |
| いてまえ打線 | 近鉄バファローズ | 近鉄選手が相手投手を打ち込んだ際に近鉄ファンが「いてまえ」と掛け声をしていたことに由来。70年代後半から自然発生したもので、球団消滅まで愛称として使われた。 |
| F1セブン | 阪神タイガース | 2001年、チームに長打力のある選手がほぼ居なかったため機動力を重視し、その象徴として俊足の7人をこのように呼んだ。名称についてはスーパーカートリオを意識しており、野村克也監督が「スーパーカーはもう古い、これからはF1やろ」と語ったことでF1セブンとなった。 |
| オジンガン打線 | ヤクルトスワローズ | 2003年、岩村明憲が離脱し打線がほぼ30代の選手になったことで、「マシンガン打線」をもじってネットを中心に名付けられた。ベテラン中心の構成ながらもチーム打率セ・リーグ2位と衰えを感じさせない働きを見せた。 |
| ガラポン打線 | 北海道日本ハムファイターズ | キャンプでの練習試合にガラポンを使用してスタメンを決めるなど奇抜なアイデアで打線を決めたことから。シーズン開幕後も打順やメンバーを固定せず様々な選手や打順を試し工夫をこらしている。 |
| 強竜打線 | 中日ドラゴンズ | 狭いナゴヤ球場を本拠地としていたことから強打者を並べた打線になることが多かったことから。ナゴヤドーム移転後は守備や投手力を重視したチーム構成になり、鳴りを潜めている。 |
| 駒澤の暴れん坊 | 東映フライヤーズ | 駒澤球場を本拠地としていた時代、腕っぷしが強く喧嘩っ早い選手が多数在籍していたため |
| 山賊打線 | 太平洋クラブライオンズ 埼玉西武ライオンズ |
1975年、ベテランの選手たちを中心とした打線構成と豪放磊落な江藤慎一監督のイメージから命名。2018年には秋山翔吾、浅村栄斗、山川穂高ら強打の選手に加え、源田壮亮、外崎修汰ら足を生かした攻めも活用しシーズンチーム得点・安打数の球団記録を塗り替える破壊力で他球団投手陣を苦しめた。 |
| 史上最強打線 | 読売ジャイアンツ | 2003年オフに松井秀喜がメジャー移籍し、その穴埋めとしてタフィ・ローズ、小久保裕紀を獲得、シーズンチーム最多本塁打記録239本を記録。一方で機動力が大幅に低下しチーム盗塁はプロ野球史上最小の25盗塁、加えて投手陣も崩壊しリーグ制覇を逃した。 |
| 水爆打線 | 松竹ロビンス | ラビットボール導入で打者有利となった1950年、切れ目なく打ち続ける打線を「誘発が誘発を呼ぶ」というところから、当時アメリカで開発中であった水素爆弾になぞらえて命名された。小鶴誠、岩本義行ら強打者を中心に打ちまくり、シーズン98勝のセ・リーグ記録で優勝。また、チーム盗塁数223と機動力も持ち合わせていた。 |
| セ界の火薬庫 | 東京ヤクルトスワローズ | 2010年代半ば以降、強打者を並べた超強力打線で相手投手陣を打ち崩す一方で投手陣が炎上することも多く、両チームの投手陣が炎上するという試合展開が多かったことから。 |
| ゾンビ打線 | 横浜ベイスターズ 東北楽天ゴールデンイーグルス |
元々はマシンガン打線時代の横浜に命名されたものだが、2007年の楽天は相手守護神を打ち崩して逆転勝ちすることも多く、相手監督から「まるでゾンビのよう」とコメントされたことから楽天打線もこう呼ばれる時期があった。チーム名をもじった「逆転イーグルス」とも。 |
| 大ちゃんス打線 | 横浜ベイスターズ | 2003年に監督に就任した山下大輔氏の愛称である「大ちゃん」をもじって命名された。鈴木尚典・金城龍彦が復活し、多村仁・古木克明・村田修一ら若手が成長するものの、114失策と守備面が壊滅し最下位に沈んだ。 |
| ダイナマイト打線 | 大阪タイガース 阪神タイガース |
タイガース打線が特に強力だった年に使用される愛称。1946年を第一次、1985年を第二次、2003年を第三次、2010年を第四次とされる。1930年代を第零時と表現したりすることもある |
| ダイハード打線 | 福岡ダイエーホークス | 不死身という意味がある「ダイハード(Die Hard)」から「何点取られても決して諦めない」という意味と、ダイハードの英語綴りとダイエーホークスの綴り(Daiei Hawks)が似ていることから命名。2001~2003年のダイエー打線の愛称であり、特に2003年は「100打点カルテット」を中心に破壊力抜群の打線であった。 |
| 超変革打線 | 阪神タイガース | 2016年のチームスローガンが由来。金本知憲監督のもと、世代交代のために若手を積極的に起用し変革を促した。 |
| ニューダイナマイト打線 | 阪神タイガース | 1985年の愛称。バース掛布岡田のクリーンナップに代表されるように非常に破壊力のある打線であったことから「新たなダイナマイト打線」ということで命名。「3割30本打線」とも。 |
| No Limit打線 | 埼玉西武ライオンズ | 2008年のチームスローガンが由来。アレックス・カブレラ、和田一浩らの移籍で苦戦が予想されたものの、中村剛也や新加入のグレイグ・ブラゼル、ヒラム・ボカチカらの長打力、片岡易之の足を生かした攻撃でカバーし日本一に輝いた。 |
| 野武士軍団 | 西鉄ライオンズ | 飲み屋街からグラウンドへ直行し、二日酔いの状態でも活躍するような自由奔放な選手が多かったことが由来。プレーの面でも豪快で勝負強く、1956~58年にかけて3年連続日本一を達成。「夜の帝王」とも呼ばれていた。 |
| ピストル打線 | 近鉄バファローズ | 1963年、長打はないためミサイル打線や水爆打線ほど破壊力はないが、単打や二塁打を重ね確実に点を取るということから名付けられた。 |
| ビッグバン打線 | 日本ハムファイターズ | 1998年、ファイターズ打線が好調だったことから球団が愛称を公募し最も票を集めた「ビッグバン打線」に決定。99年からはバントをしない2番として小笠原道大がブレイクし、打線の中軸を担った。 |
| ビッグボーイズ打線 | オリックスバファローズ | 2008年、暗黒期に突入していたバファローズが打開のためにグレッグ・ラロッカ、タフィ・ローズ、アレックス・カブレラら実績のある助っ人長距離砲を獲得。当時監督であったテリー・コリンズ監督がこの3名をビッグボーイズと呼んだことが由来。翌年にはホセ・フェルナンデスを補強し更に破壊力を増したが、それぞれ故障が多く、全員揃い踏みとなることは殆ど無かった。 |
| ビッグレッドマシン | 広島東洋カープ | 1996年の広島打線の愛称。1970年代に圧倒的な強さを誇ったシンシナティ・レッズの愛称になぞらえたもの。緒方孝市、野村謙二郎、江藤智、前田智徳、金本知憲、ルイス・ロペスといった強打者がズラッと並ぶ強力打線であったが、中盤戦以降故障者やスランプに陥る選手が相次ぎ優勝を逃している。 |
| ファイナルフォーメーション | 中日ドラゴンズ | 試合終盤に敷いた鉄壁の守備を誇る野手陣のもので、主に2000年代半ばの中日のことを指すことが多い。守備範囲の狭いタイロン・ウッズや和田一浩を下げ、代わりに渡邉博幸、英智を投入しプロ野球史でも屈指の守備陣を築いた。「史上最強の守備陣」とも。 |
| ブルーサンダー打線 | オリックスブレーブス オリックスブルーウェーブ |
親会社が阪急からオリックスに代わった1989年からの愛称。特に89年はブーマー・ウェルズと門田博光が、96年にはイチロー・田口壮らを中心に形成。「青波打線」とも。 |
| マシンガン打線 | 横浜ベイスターズ | 本塁打こそ多くないが、徹底的に安打で繋ぐ切れ目の無い打線を「マシンガン」に例えて命名。1998年に38年ぶりに日本一に輝いた。 |
| マリンガン打線 | 千葉ロッテマリーンズ | 2005年、ボビー・バレンタイン監督のもと選手の調子や相手投手に合わせて毎試合打線を組み換え、日本一を達成。使い分けたオーダーは135種類にも及ぶ。元々は解説者であった石毛宏典がマシンガン打線になぞらえて1999年頃に命名していた。 |
| ミサイル打線 | 毎日オリオンズ 大毎オリオンズ ロッテオリオンズ |
1950年と60~80年のオリオンズ打線の愛称。50年は2リーグ分立初年度であり、タイガースダイナマイト打線の中心であった別当薫・土井垣武らを獲得しラビットボールということもあり強力打線で他球団を圧倒したことから当時の最新兵器であった「ミサイル」のような破壊力ということで命名。翌年ラビットボール廃止に加え4番の戸倉勝城もありこの一年のみ。以降もオリオンズ打線が強力な年に呼ばれていた。 |
| ミックスモダン打線 | オリックスバファローズ | 2006年のバファローズ打線の名称。清原和博、中村紀洋ら実績のある長距離砲と既存戦力の機動力を組み合わせ「ミックスモダン焼き」のような盛り沢山な打線になってほしいと命名された。しかし、清原、中村ともに故障のため力を発揮できず、盗塁数もベテランの村松有人の11盗塁が最多と機能したとは言い難い成績に終わった。 |
| ミレニアム打線 | 読売ジャイアンツ | 2000年のジャイアンツ打線の名称であり、この年は「ミレニアム(新千年紀)」と呼ばれていたことから命名。ドミンゴ・マルティネス、江藤智らを補強し、4年ぶりのリーグ制覇、6年ぶりの日本一を達成。 |
| メガトン打線 | 大洋ホエールズ | 1960年代半ば、桑田武を中心に長打を打てる選手を揃えた打線を構成し、その長打力・破壊力からこの愛称がついた。 |
| 猛虎打線 | 阪神タイガース | タイガース打線の一般的な愛称。特に強力な打線になると「ダイナマイト打線」と呼ばれる。 |
| 400フィート打線 | 南海ホークス | 1950年代半ば~60年代半ばにかけて、野村克也、杉山光平、穴吹義雄、長谷川繁雄ら強打者を擁した打線。400フィートは約122メートルであり、この飛距離飛ばせばスタンドインするという意味合いで付けられた。 |
| 流線型打線 | 西鉄ライオンズ | 1950年代後半の西鉄ライオンズ打線の愛称。1番に一発もある巧打者を据え、2番に強打者の豊田泰光を置き一気に得点し、3番には最強打者・中西太を、4~5番には確実性も備えた長距離打者(大下弘 等)を据えて大量得点を奪う、というそれまでの野球界の常識を覆した打線。 |
| レインボー打線 | 読売ジャイアンツ | 2002年、長島茂雄監督が「長打・単打・進塁打・犠打・ヒットエンドラン・盗塁・四死球」の7つの要素を重要視し、7色の虹になぞらえてと名付けられた。チームの打撃成績は打率、得点、安打、本塁打、打点の5部門で1位と強力打撃で他を圧倒した。 |
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最終更新:2025/12/07(日) 00:00
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