形意拳単語

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形意拳とは、中国武術の門(流)である。

三拳太極拳八卦掌・形意拳)のひとつといわれている。

*本記事は武術の専門用は極使わず、使用するときは、なるべくわかりやすく、その詳しい解説を試みるてはいるが、どちからというと形意拳や中国武術を学ぶ者向けの、極めて専門性に特化した記事となっており、門外には敷居の高いものとなっているが、どうかご了承願いたい。

概要

東洋哲学の思想、陰陽五行説に合致した体系をもった武術である。

の操法を徒手の技としたといわれている。

・地・人の三才(人合一思想)を体現する、三体式 : 別名を「三才式・子午式・四式・六合式・式・三節式・開勢・捉勢」等など)という、人の身体にあてはめると、の陽の気を受ける、頭部を上盤として陰の気を吸い上げる下肢を下盤として地、その陰陽ふたつの気が、一気となると考えられる、胸部を人とする架式(姿勢)を基本の立ち方とし、陰陽五行説における、木・火・土・を体現した、行劈拳行鑽拳木行崩拳火行炮拳土行横拳の5つの単式拳を(基本技)とする。

三体式

三体式において、とは、心の本体である意であり、地とは、確りと立つことである、人とは、これらによって発揮される技のことである。

形意拳の基本姿勢である、三体式の要点を誤解なく、文章で書き表すのは難しく、ここではなるべく簡素に述べることとする。正確な架式については、必ず実伝を受けて欲しい。なぜならば、独習者の主観的感覚というのは、極めて疑わしいものであるからである。

なにせ、実伝を受け、何年と修行を積んだ者でさえ、師から姿勢を直されるものであるからである。中国武術には、黙念師容といって、師の姿を思い浮かべ、稽古に活かす教えがあるが、そこに師からの口伝が伴っていなければ、とても大きな躓きの元となりかねない。

一見似たような動作や姿勢をとったつもりでも、内実は大きく異なっているのかもしれないのである。

三体式は、正しく立つことが出来たならば、前方、後方、横からの圧、上下にもがあり、引かれるに対しても堅固な姿勢である。横からの圧については、構造上ある程度のものになる。斜めからの圧にも弱いが、紹法(実戦で有効な技)において、姿勢の変化、向きを変えて応ずるので問題とはしない。

打ち打たれた際、さながら避雷針かのように、作用・反作用で起こる衝撃を緩和し、その反発をさらに打ち返すことも出来る架式である。

三体式を敵との攻防間を作り出す応敵勢(構え)として用いるかは、伝承者によって見解が異なる。構えであるという説と、構えではないという説がよく対立するが、編集者は構えではないという見解をとる。

論、手を前に差し向けることで間合いを測る、これにより敵に距離をとらせ攻防間を作り出す、姿勢の変化、つまり誘敵勢によって技を誘うという、着法戦闘法)は、伝を得た者にとっては常識である。

形意拳の構えは、極勢即ち構えである。ここから全てが始まる。

形意拳の開門式(門を表す最初の動作)は、極勢(はじまりの虚無であり混沌とした状態)→太極勢(太極は極から生まれ陰陽のである)→含一気勢(陰陽は本質的に異なるものではなく一気の二相の姿である)→両儀勢(太極の中に陰陽両儀がある)→三才勢天地人の三才が生じた)という流れで行われる(太極勢から即に三才勢、あるいは太極勢を省略し、含一気勢→両義勢→三才勢というもある)。

この三才から万物を生む五行が生じるのである。

開門式の動作からも、実はいくつもの用法が導き出され、けっしてオープニングセレモニーの類ではない。また、この動作自体がひとつの練功法となっている。丹念に行われるのであれば形意拳の流である、戴氏心意拳の丹田功と、同様の感覚と効果が得られるといわれている。丹田功は実際の運動であり、形意拳の発勁の基本原理を表すものであるが、気功としては、会陰から背中側、頭頂部、胸部、下丹田へと気をまわし、溜めて発することをやっている。

具体的な立ち方であるが、下記の「站樁(たんとう:意味はのように立つことをす)」の項解説している、極式から、前足を斜め前に半歩踏み出す。あるいは極式から軸となる足を45度の度で開き、そこから前足を半歩前に踏み出す。

または空手でいう自然立ち)から、左、右へと向きを変え転身して作ってもよい。基本は、後ろの踵と前足の先が、一直線上にうように立つが、武術では、しばしば一本のレールに乗るような立ち方と、二本のレールに乗るかのような立ち方もあり、三体式においてもによって両方あり、べつに後者が間違えというわけではない。の一点集中を重視するか、応敵時の安定性を重視するかで、悩みどころなのであろうか。

歩幅は高い姿勢であれば半歩、肩幅程度であり、低くなれば、一歩からそれ以上をとる。脛から足先までの長さ、あるいはそれに、拳一つ分という、歩幅の測り方もある。

三体式で立つ際に一番重要なことは、前足に荷重を掛けすぎない範囲で、後ろ足を軸足にして立つことである。理想は、後ろ足に7割から9割程度の荷重をかけ、実とし、前足には、3割りからそれ以下のをかけ、虚とする。

下半身は、抱胯といい、ビキニラインの辺りの股関節の前部を緩ませて折り、中腰となり、その上にスッと上半身を乗せているような、まない姿勢を作る。それには「站樁」の項で述べる、渾元椿のときと同じく、提肛という肛門を体内に引き上げるようにして、高い椅子掛けるようにする教えも重要である。こうして形作られる三体式の背部の姿勢を、虎背という。

上体については、肩垂というが、余計なを抜いて肩を落とし、を引いて首をっ直ぐとし、身体は重力によって、下へと自然に沈んでいくが、頭頂部ののあたりから、紐でり下げられているようなを感じ、また、重力に逆らい立つことにより生じる、上へと押し上げていく、頭で物を支えるかのような相反するを感じる。

というが、両膝両足の間には、必ず挟み込むがあること。膝は正面を向き股関節を内旋させて立つこと。これによって下肢に螺旋のが生じる。したがって頭頂部から地面までを軸に垂直に、一本の重心線をとると、その直下に落ちて示される重心点の位置は、自然と後ろ足のやや手前となる。

この重心点は胯を折り、上体を前傾させることに例して、前方に移動し、自己の重心位置も上へあがっていく。

上体の前傾を強め、重心点を前方に置くと、前方向への踏み込みが容易になるが、大腿四頭筋への相反性神経支配のが出やすく、踏み出した際にも、大腿四頭筋に膝をロックするがより掛かるため、歩法の霊活さはやや低下する。

脚を挟み込むように立てと説く、夾字と、三体式で形作られる頭頂部、背中から背部の作りは重心沈下の要である。

これに反し、後ろに仰け反るような立ち方をしてしまっては、虎が獲物に襲いかかるかのような体勢を説く、虎背の要を満たせず、結果、重心のまとまりは弱いものとなり、前からの圧を受けると、容易に体勢を崩されてしまい、また、バランスが適正ではないため、動きも浮いたように、拙いものになってしまうので、厳に注意して、これは絶対に避けて欲しい。

前足側と同じ方の手を、人差しを軸に、他の4ボールを掴むかのように、わずかにを曲げた開手の撲面八卦掌でいうところの、は正確には、撲面の要領で小を前方に向ける)とし、肘を適度に落とし前方に伸ばしすぎず、曲げすぎず、緩やかな円を保つように腕を伸ばし、胸の高さから首の高さに心を置き、間と手の虎口との間に、弾のある糸がってあるかのように思い、視線は前方を見る。後ろ足側の手も開手(陰)とし、下方からの圧を抑えるかのように置く。

や練法の違いにより、撲面を作る要領は異なる。大別すると、心の向きにより、挺腕式坐腕式にわけられる。挺腕では、橈手根関節を屈曲させず、心は下向きとなる。坐腕では、心を前方に向ける形となる。

膝と肘、胯がい、手先、足先、顔の向きをわせる。これは後述する、外三合の一例で、中国武術では、鼻先、手先(武器尖端)、足先の三点を一直線上にえることを、あるいは相照と形容する。

上半身は、さながらを持って構えるかのように、上体をやや斜めにして、三照の要を守り前方正面を向く。これが形意拳における正身である。斜めとする度は概ね45度であるが、によって正身が正面構えに近いものから、空手の半身の構えに近いもの(斜身)まで幅がある。これはおそらく、得意とする戦闘法や用勁の違いによるものであろう。

つまり三体式という姿勢は、順歩劈拳の落勢(打ち終わりの姿勢)のかたちである。

三体式正面から

これが基本となる単重の三体式と称される立ち方である。これに対し脚に体重を五分五分にかける立ち方を、双重の三体式という。

双重は、単重にも増して非常に堅固な架式となる。特に前からの圧に対しては、後ろ足に体重がかかる、典的な後屈姿勢である、単重の三体式よりもかに強い。

単重の三体式は、ゼロモーメントポイントが、より後ろ足の踵の方に位置するため、双重よりも歩行の際のトルクを効率的に得られるので動きやすく、短勁(後述にある「三層理」の項解説している)を放ちやすいが、敵の猛な突進に対しては、双重の架式より耐えにくい。

双重は「将を敵とする(強い敵を相手に戦える)」強な姿勢だともいわれている(重心については、下記にある「站樁」の項、発勁については、「発勁」及び「三層理」に詳しく解説しているので、そちらも参照のことを)。

先ず三体式では双重であってはならず、単重であることが要されるが、三体式の理が体得できたならば、単重であるか双重であるかという形式は、そのどちらでもよいとされている。

『形意拳術には芸、武芸の分があり、三体式には単重、双重の別がある。武芸を練りしは双重である。このとき重心は両腿の間にある。全身でを用い清濁をわけず、先と後のちがいを弁じない。』世栄『拳意述』述世英先生言 三則より

《下の写真は左から、形意門の代表的な達人の1人である、の壮年時代に撮した、正身単重の三体式(挺腕)と、晩年の正身双重の三体式(坐碗)》

なお、形意拳の伝人、尚済は開門式で行う劈は、本来、劈拳ではなく、(劈)であったと述べている。捉とは、がその鋭いで襲いかかり、獲物を把握するかのように攻撃する、十二形形拳のうちの一技である。

用法の一例としては、敵の腕や身体を掴み、あるいは敵に掴ませたのを拿法(逆技)で、手首に関節技をかけ、敵の体勢を引き落としつつ、鑚拳(鑚)で突き上げ、つづいて劈で劈打(上から叩き打つこと)し、敵を地面に叩きつけるという例があげられる。これとは別に、打で前方に突く推であるという説もあるが、このように伝承に諸説があり由来にはがある。

参考までに、開門式においての意念と気の操作としては、下丹田(極勢)→中丹田(太極勢)→下丹田(含一気勢)→上丹田(両儀勢)とめぐらせながら、呼吸と共に体内の古い濁気を吐き、かわりに新鮮な気をとり入れる。その気を引き上げ、引きちぎるかのように三才勢となり、虎口視線を注ぐことで気の移動が成され、焔のような覇気をった佇まいとなる。このように気は意識によって導かれるものである。

東洋で、物事の根であるとされる『気』と称されるエネルギーについては、たとえ、その存在が、どのようなものであるか理解せずとも、物理的に有ろうがかろうが、運用側には全く関係のないのものである。先人たちの教えに全に一体化された概念であり、武術を学ぶ上で便利な標である。その体感は上達において重要な感覚であるといってよいだろう。

上の解説でも紹介しているが、姿勢について古典的な教えに、形意拳四像というものがあり、「」「」「」「虎抱頭」(他にもに「猴相」「虎背」「」「」が追加されていわれることもある)と表現するのも、形意拳を含めた心意拳系の門では、一般的である(戴氏心意拳では「虎背」ではなく「」)。

六合(身体の)という教えでも、「」「」「」「虎抱頭」「」「」の六つが挙げられている。他に八字の「三円」など、夥しい数の教えもあるが、武術のコツを説いた教え。口頭で伝えられる、歌で表したなどもある)は多数あり、詳しくは、本記事の関連リンク紹介している、いにしえの達人たちが書いた古拳譜の資料、関連商品紹介している書籍などを調べて欲しい。

ただし、武術教科書的に教えるという発想は、近代のものであるので、情報量だけであれば、より新しい本ほど詳しく解説がなされているかもしれないが、外部にはフェイクを教えるという行為は、武術ではよくあることであるので、師との確りとした信頼関係を結んで得た知識以外は、参考にする程度にしておいた方が難である。

論、本記事についても編集者は、師から教わったことと、自身の体験、得た知識を元に極わかりやすく、包括的に記述しているつもりだが、これが万人に向いた絶対に正しい教えだとは思っていない。実伝で得たものに優るものはないのである。

姿勢の教えについては、形意拳のものよりも具体的で分かりやすい、太極拳の要を利用して理解するのも有用である。立身中正円襠など、やや誤解されやすいものもあるが、実伝を得たならば形意拳の要とも矛盾することはない。

補足として中国武術には、三幹九節という、身体を区分する考え方がある。

一幹を根幹とし外が、内が。中幹を脊髄とし外が脊髄、内は心。頭を末節とし外が頭で内は

二幹:肩が根節、肘が中節、手が末節。

三幹が根節、膝が中節、足が末節となる。

これら各部位を周身一体とさせ、気血を滞りなく運行させることによって、適正な勁が発揮されると考えられている。

三幹九節は、覚えておくと、生徒への教授や自身の学修の際に便利であろう。

また、形意拳では、東洋医学由来のという概念も古来は重視した。筋(肝)の、血(腎肝脾)の髪の毛(脾)のは舌、(腎)のである。四を驚起させ、これら身体の内部を協調させることで、整った勁が生まれるとも説いた。

三体式と同様な意図の姿勢は、他門でも採用されており、詠春拳なら、側身備勢)、八極拳なら、半式、太極拳なら、後座式などがあり、空手の後屈立ち、太気拳の半、意拳の丁八歩なども、三体式と同じ意味を持つ立ち方といってよい。

初心者の場合、厳密に三体式で立とうとすると、普段、他のスポーツなどで鍛えていても、慣れるまで非常に苦しく、30、1分と保たない、架式自体をとることが出来ない、などということはよくあるが、まずは高架(高い姿勢)でも良いので、師の教えを守り、いい加減な立ち方をしないことである。

高架であっても、三体式の姿勢の要が守られていれば、重心は沈下し安定させることが出来る。

後に詳しく解説しているが、体重と重心は異なるものである。よく言われる木やのように立てという教えが、しっくり来ないなら、さながら道路工事で置かれるカラーコンのように立つことである。自分はバランスが最適な状態で地面に置かれた物体であると定義してよい。ただ人体はカラーコーンとは違いバネがあり自ら動くことが出来る。

三体式站樁の際、ただ長時間立ったようにみせるだけなら、荷重を時おり前脚にかけて、休み休み行い、楽をすれば良いだけだが、これでは重心を保つための強さを得る鍛錬としては、ど意味がいものである。あまりにも苦しくなったら、素直に軸足をかえ、片脚を左右交互に休めて続けるのである。

形意拳の分の意拳の話しになるが、昔は日々の労働が終わると、娯楽も少なく、とくにやることもなかったので、自然と錬拳の時間は長くなったのだが、皆、時折休みながらだらだらと稽古し、站樁の際にの方を向いて真剣にやりながらも、時々、稽古仲間たちと站樁で立ちながら雑談をして行っていたそうだ。

ムエタイにおいても、選手たちは日々、長時間の練習となるが、厳しく鍛えられるときもあれば、リラックスして流すときもあり、敢えて、だらだらとすることで気力を保ち、集中するときは集中し、スタミナを養成するようである。

武術は根を詰めすぎても稽古は続かず、上達はあまり捗らないものである。

初版編集者の見解だが、得てして達人は練習嫌いかのように見える者も多いが、これは思うに、自転車に乗ったことのい者に、僅かな練習で乗れる者も居れば、苦労してやっと乗れる者が居るかのようである。自転車に乗るコツさえ得られたら、自転車を自在に漕いで的地に到達することが出来るので、自転車に乗れるような練習は、もう不要となることと通じるかと思う。

武術の場合、要される身体操作は、自転車に乗ることよりも難しく、そのコツを身につけることが人によっては困難で、コツである拳理を得られなければ、いつしか漫然とした、に嵌った考え方に囚われ、しだいに套路を上手に行うために、套路の練習をするなどと、的と手段は混同し、結果、武術を使えるようにするという的がいっそうげなものとなり、やがて上達が頭打ちになると、武術を学ぶ意義を見いだせず、面みがなくなり、エンジョイすることに飽きたら、別の面そうなものに興味が移り、もう武術自体を止めてしまうという残念な例がよくありうる。

話を戻すが、あと、武術は動くものであるから、站樁功など1分程度で良いと述べるような、極端なをする者に実く、理解も浅い例が立つ。そして、そのようなは形意門の伝統的な教えではない。例えば、形意拳の代表的な達人であった、深の最後の子の王向斉は、3年間、ただただ、站樁ばかりを稽古させられたという。

高に楽をして上達出来るとする、未熟者の動きには安定感がなく、重心が浮いて見え、動作に協調性がないのがみてとれる例が、とても多い。大成への躓きのもとであり、絶対に惑わされないように。

古人いわく、静の中に動があり、動の中に静があるという。動静はにわかれているようでも、内に絶えない流転を含み、その流転によって動静は一体となり、武術の技の原理となっている。剛柔、虚実も同じくそうである。五行を、陰陽一体動静一体攻防一体起発一体虚実一体の五種と説く教えもある。陰と陽は、西洋のプラスマイナスのように、全に対立する概念とは異なる。

中国武術の界)では、古の教えを腐しながら、まるで自分が新たに発見したことかのように、武術の原理をり、独自の用を造ったりしては、先人の教えを理やり否定しようとする、愚か者が時おり見られるのだが、彼らの先人の教えに対する理解は、甚だ浅はかなものである。

誤解しているどころか、実は先人が説く教えと結局同じ、変わらないことを新しいものであると、難しげにしながら、それに全く気づかない者たちすらいるほどである。

彼らのような者たちは、師との信頼関係が全く作れなかった半端者が、どであると断言出来る。

後進のため、あえてキツイ言い方をするが、愚劣な人間性ゆえ、習ってすぐ場を破門されたような未熟者や、人間関係が上手く行かず、老師中国武術でいう先生のこと)から余されて、君は自分で場を出したら良いよ(^^)と放っておかれたが、武歴だけはあるような未熟な者が、メディアに露出し、書籍やビデオを出してしまい、最悪、高名な師匠筋の名を掲げて場を運営し、果ては営利的で、武術の知識のい者相手に、義務教育レベル物理学などの知識を以って、しかも全に間違った理屈をり、詐欺同然の出な内容の動画を作成して販売したり、広告収入を稼いでは、気で武術全体へのヘイトを撒き散らして恥じないのである。

彼らが言葉を変えて手を変えて、武術を利用し、あまつさえ、古伝の教えを詐欺とまで言って罵るが、相手にするものではない。

優秀な導者は、先師たちや、その教える武術があり、子にはその魅を余すことり、明快かつわかりやすく、武術のコツを教え、上達に導いていくものある。

反面、できない生徒バカにしたり、嗤うのは明師とはかけ離れた半端者がよくすることである。

以上が三体式の要領の解説である。

金行 劈拳

五行拳の拳中の最も基本となる打法)が劈拳である。

劈拳へきけんピー・チュエンカタカナ中国語の発音に似せた表記)は、や鉞をもってり下ろすような打法劈打)をいうが、伝えられるによって動作には差異がみられる。

握った拳で打ち下ろす(劈捶もあれば、開手をもって振り下ろし、全体や根の最も硬い部分である(豆状のあたり)で手刀のように打ちつけるもある。これで敵の顔面、胸部を打つ。

劈拳の勁は、正経十二経の始まりである、手太陰肺経を伝い放たれるようになっている。肺経のは中府から延び、中府の根は体内に潜り、肺へと至り、 肺からは、手陽明大腸経中脘(十二正経の流注経路の始まりと終わりにあたる循環点であり、五行の気の交差点である経武術では「気の弾薬」といわれている)→足厥陰肝経へと、五行の流注経路は循環している。肺で練られた肺気は、五行の気の流注経路を伝って、全経絡を循環し、太陰経に属する脾(脾)の食物から得られる穀気と共に、各五行に区分される、内臓を動かしていくとなる。

即ち肺気を充実させることは、身体を強健とすることの最初の要であり、これが形意拳が最初に、劈拳から練る理論的な根拠となっている。

劈拳を構成する動作に、鑽拳が含まれるが、これを起鑽鑽)という。拳のなかのさらなる拳であることから、の横(先の鑚拳)とも称される。陰陽五行説では、土はを生むからである。五行説のなかでも、特に有な説だといわれる土王説では、土こそが万物の王であり、土から万物が生じると考えられている。さらに土王説の一種である、陰陽運説でも、土は陰陽を共に兼ね備え、は陰に属し木火は陽に属するとされる。またとは、方位においては中央のことである。

この先の横を発射台として、後の横が打ち出され、劈拳へと変化する。これが劈拳の起落(動作の最初と最後)である。

陰陽五行説によれば、を生みは木を生み木は火を生み火は土を生み土はを生むというように木火土の5つの属性は、相生の関係にあり、また同時に、は木に打ち勝ちは火に打ち勝ち木は土に打ち勝ち火はに打ち勝ち土はに打ち勝つというように、の関係であると説くが、これは形意拳術においても同じである。

例えば互いに五行拳を打ち合って稽古する対打約束組手)を、五行というが、この別名を「五行相生相対拳」といい、相手の崩拳に対して劈拳を返し、劈拳に対しては拳を返すというように、相手の攻撃に対して打ち勝つ技を、次々と連環させて打ち合う練習法がある。

この五行の套路の運行線と、攻防の軌跡で、五芒と六芒を描いて、形意五行法図の五行相生相を表すすらある。この対打で用いられるを下に向けた手刀方向にり払うように打つこと)で、崩拳をり払いながら封手(敵の攻撃を封じ効にしてしまうこと)し、退歩しながら防御する動作は、劈拳の変化とされ、横劈ともいい、木の理合である。

拳術の攻防の中では、五行は必ずしも、相生相の関係を保つわけではないが、これは相侮といって五行の関係が逆転し、本来、のものにされてしまうという現や、相乗といって、相関係が行き過ぎてしまう現があるからだと説明される。だが、五行説では、五行の関係を相互制約する、勝復という作用が必ず働くと説くので、拳術も相生と相の原則からは離れることはないとされる。

劈拳で肺の気、鑽拳で腎の気、崩拳で肝の気、拳で心の気、横拳で脾気の運気を行ない東洋医学でいう五臓の気を養うとされる。五行拳の打法の中にも、経脈、経筋と経、下半身と上半身、正面と背中側というような対で陰陽を表し、五行の相生相が体現されている。

たとえば動作の中で、手脚や身体の経・経絡を擦り合わせ開勁(勁をひき出すこと)することを、摩経摩脛 :その一例の摩脛歩とは、膝を上げ足で、脛の内側を擦り合わせるように歩くことをす)といい、の中に、左右非対称の動作がある場合は、それは利き腕利き足を考慮したものなどではなく、身体における陰陽から導き出された自然な方向性や、身体操作が反映されている。経絡・経を基準に動作することで最適な姿勢が導き出される。

これらはけっして迷信宗教オカルト雑誌に書かれているようなものではない。長い歴史と伝統に育まれた老荘思想、儒学等の東洋哲学東洋医学を論拠とした理合である。

東洋の考え方は、古義(古の教えを守ろうとする)は重視し、(古の教えよりも体育的な考えを重視する)は軽んじ、まるでいかのようにるものだが、形意拳を理解する上において、非常に便利なものであるので、知っておくと先人が説いた教えとの断絶が防がれ、に迷わないことであろう。

東洋思想とはいうが、現代人の思う思想や政治信条とは異なり、さながら現代の科学のように、理路整然と論理展開され、これが東洋においての物事の考え方の基本であった。

水行 鑚拳

鑽拳攢拳 さんけん:ズワァン・チュエン)は、正確な表現ではないが、よくボクシングでいうところのアッパーカット的な打法だといわれ、下方から陽拳(拳心上)を突き上げる打法抄拳の一種である。

空手道でいう「裏拳顔面打ち」の要素も兼ね備えている。の如き速さで鑽出され、のように柔らかで、敵の防御を掻い潜らせて挿手する打法であるが、用法においては、束身(身体を束ねると表現するが整った形)し、身体ごと強い姿勢であたり、敵の防御や技をカウンター的に叩き潰して抑え(截勁)、あるいは、鑚拳を受けさせ、次の技に移行する用法示例(用法の一例。分解)も多くみられる。突き出す方と反対側の拳を截拳という。

つまり、鑚拳は形意拳の招法の起点となる、攻防一体の技である。

『拳く、手を伸ばすに拳見えざるは、必ず鑽拳でさえぎる』 『意拳学』より。

形意拳で握拳を作る際(開手から拳を作ることをという)は、前腕を捻じり、手はまるでを掴んで割らないかのように、螺旋状に小側から柔らかく握り、強くは握りこまないことが基本である。

こうして捻じりあげて作られる手形螺絲拳exitらしけん)という。拳の形状は、人差しの第二関節が突出し、小側より人差し側が高くなっていないとならない。これは武術でいう、いわゆる芯拳の一種である。

インパクト間、強く握り込み、通臂背中から手先にが通ること)させた威を、貫通させるという説もあれば、自然手形が潰れて拳となることで、人体の内部に対してさながら、ホローポイント弾のような重く、波状的な威を与える説があるがどちらも正解である。

ちなみに握拳を作る際、人差しの第二関節を突出させて強く握り込む手形は、眼拳といい、空手道でいう、中の第二関節を突出させる、中高一本拳のような手形を、心臓の形状に見立てて、心拳という。これらの手形は、人中、期門などへの点(経絡・経に対する点打法)に用いるため、必然的に強く握り込むことになる。

人体の硬い部分を突く場合は硬く、柔らかい部分を打つ場合は、柔らかいように打てばよいのである。これは打においてもそうである。

形意拳などの内拳は、人体をさながら液体で満たされた、皮袋のようなものであると考え、人体の内部を受傷させるために、その打法には、流体力学的な作用を働かせる工夫がされている。

木行 崩拳

崩拳(蹦拳/ 弸拳 ほうけん:ボン・チュエン)は縦拳による直突きである。

日本拳法の打拳にも似ている。まるで箭で矢をいるような打法である。肝の気である肝火を用いる。崩拳によって肝臓を緩ませ、伸縮させることで、肝火を炎上させるとされる。

古来は肝臓の位置が人体の右よりであることから、左足が虚で右足が実となる、右拗歩(右逆突き:左脚を前での右拳打)と、左順歩(左順突き:左脚を前での左拳打)で打つ形でのみ行われ、左拗歩、右順歩で行われることはなかった。拗歩崩拳を放つ際、通常の三体式よりも歩幅を詰めて、足を引きつけて打つ打法があるが、このときの歩幅の狭められた高い姿勢の架式を、小三体式ともいう。

崩拳の招法の一例としては、敵の打突に合わせて、踏み込みながら起鑽の要領で挿すように握拳を突き出し、敵の腕をしゅうしけい:形意拳における、の一種。に肘から上の前腕を捻じることで作られ、下肢からのを導くものである)によって、下方に巻き落とし、封手(摩擦と柔らかさを生かしたで捉える)し、その動作を崩拳の蓄勁(ちくけい:発勁の前段階。蓄がければ発することは出来ない)とし、そこから崩拳を打つ、半歩崩拳(単臂崩拳)という、突きの途中の動作を受けとして用い、防御と攻撃を両立させた崩拳の代表的な技法や、安身対打の中で暗示されている、敵の右の突きを、こちらは右手で内から外へと巻き込んで抑え(という)、さらに左腕で、敵の肘関節を下から打ちつけるように挟みとりながら、サブミッション拿法の一種で分筋搓骨法)という)で捕らえつつ、敵の体勢を引き崩し、左脚で膝蹴りを行い、最後にトドメとして、拗歩右崩拳を打ち込む、穿崩拳などがある。

火行 炮拳

炮拳礮拳/拳 ほうけん:パオ・チュエン)は縦拳による打拳と、これも正確な例えではないが、突き出す方とは反対側の手で、空手道でいうところの、上段揚げ受けのように、前腕を回内させて、内から外に片方の手を払い上げるような動作を伴う打法である。

拗歩炮拳を特に大砲にたとえて、炮式ともいう。心の気である心火を用る。心火は肝火と同じく陽気に属し上へ上へと炎上する性質を持ち、打法の性質からか、敵の上段、を打ち貫くことに適している。突き出す方と反対側の拳も防御だけではなく、抑えつけてからの打撃や、肩関節への関節技に活用出来る。拳は鑚拳と崩拳の変化技であり、身体を開き、そして閉じるで打ち出される。

これを開合といっている。さながら古代に攻兵器として使われたでもって、弾丸の巨石を放つかのように打つ。ちなみに奇門八字功の頂字拳には、翅のあと換歩し、素く軸足をスイッチして変え炮拳を放つが、この技の名を反身という。

翅は、両に広がり展開した軍隊が敵を囲み、一気に撃滅させる様に喩えた技である。このあとの炮拳はさながら、ドドメを刺すために側面から敵部隊を強襲する撃部隊であろう。

具体的な用法の一例だが、例えば敵が、右上し蹴りを放ったとすると、は右斜めに右足を編歩斜め前方へのサイドステップのこと)して踏み込み、蹴りのインパクトゾーンを避けつつ、自分の右で蹴りの脛を拍打(手のひらでくこと)し、その補助に左腕で起鑚のように(空手の内受けの要領に近い)敵の顔面に向けて挿して、蹴りをの両の手で以って受ける(こう両手で受けると、もしサイドステップせずにまともに蹴られたとしても打たれ負けず防御できる)。続いて、敵の双足間に向け、の左足を踏み込み、三歩(歩法については下記の項を参照のこと)を行いつつ、挿し込んだ左起鑚を翻して、空手の上揚げ受けのような形とし、敵の蹴り足を払い落とし、右を握り、拳と変え、縦拳を敵の顔面に放ち、跟歩震脚して突き貫くなどがある。

土行 横拳

横拳(おうけん:ファンチェン)は、鑽拳を、内から外へ半円をえがいて弾くように、一気に打ち払う打法である。この表現も適切とはいえないが、詳細は実伝をもって確かめてもらいたい。

空手道でいうところの内受けのように、相手の打拳を内から外へ弾いて受けるように用いたり、相手の側面に打ち付けたり、あるいは手のひら側を下に向けた陰拳の状態で、っ直ぐ錐で刺すかのように突き、インパクト間、これを回外させ捻りこみながら陽拳とし、空手道の中段下突きのように打ち貫く。

技の示例としては、三才歩、反三才歩で斜めから入り、一方の腕で相手の腕を抑え、肝臓、脾臓、顔面などを打ち貫く。

なぜか形意拳のなかに、横拳を軽視する者がよく見られるのは余談であるが、打法の単純さから単なる受け技のように思われるのかもしれない。だが「十二横捶」という、横拳の変化を学ぶを持つさえあり、古来も重要であったことが伺える。横拳は五行において土行であり、形意拳の技の起点となるものの一つと位置づけられている。

これら五行拳を握拳で行うものを、五拳といい、開手の螺で行うものを、という。五は後述する暗勁の練習時に行われることが多い。八卦掌穿のような使われ方や打として用いられる。

五行拳の練拳は、劈拳から相生説の順番に、鑚拳→崩拳→炮拳→横拳と練られることが多いが、劈拳→崩拳→鑚拳→炮拳→横拳というやり方も、ベーシックである。後者は、行劈拳で肺気を補うことで弱まる、木行の肝火を崩拳で盛んとし、次に行鑚拳で腎陽の気を、という具合に気を補っていく。いずれも東洋思想的根拠に基づいたものである。


余談であるが、よく世間に流布された、門外の人間がる形意拳の達人の逸話に、見て真似しての自己流や不器用で愚鈍ゆえに、崩拳だけを繰り返して、功夫ゴンフー/カンフー武術的実のこと。中国武術の総称の意味もある)をつけて師に認められ、達人になったというストーリーられるが、これは面おかしく作話された単なる俗説に過ぎない。

だいいち劈拳も打てない者は、三体式すら作れないのである。漫画の某『拳児』でられているような荒唐稽の創り話を、そのままに受けないように。そのような説は、突き技が拳法義であるなどと思い込んだような、った者の願望や得手不得手、好みが反映されたものに過ぎない。このようなは、形意門の伝統的な教えからは乖離し中正を失っており、偏向した思想である。形意拳は中庸のを重んずる。

『でき得ないことを信じるということは、本当にでき得る恐るべきに対してわかってないということもいえる。これはマジックまがいの表演を見て信じる人は、本物の威を見て、マジックと思うのに似ている。

例えば、ある中国拳法名人が人を打った。ところが打たれた人はフッ飛ばされて木の枝にひっかかって死んだとか、人のを一撃したところ打たれた人は玉がとんで出て死んだとか、拳で筋肉をひきちぎった、というストーリーがあるが、グリズリーやコダックベアアメリカ大熊)でもあるまいし、人間でできることとできないことがあるのである。

秘術というものは、そうした動物の持つ大蛮限界にせまるものではなく、全く違った意味において人間の持つ限界えていくものであり、これが秘術なのである。

正しく功夫を学ぶ人は、あくまでその現実を重んじ、架の話やを聞いてまどわされることのない真剣な学習精から、常識では不可能と思われていたことも次第に習得して、できるようになるのであって、これはを見ないで現実を尊ぶ心から生まれてくるものなのである。』清剛 著『中国拳法 秘伝必殺 』より

十二形拳

十二形拳 概要

形意拳には五行拳の応用である、十二形拳という、動物の意念と形態を模した各種の形拳がある。

それらは、形拳虎形拳形拳猴形拳形拳形拳形拳鷂形拳、𩿡形拳、形拳形拳形拳の12種に分類される。

十二形拳は例えば、形ならば両拳で打つ双蹄手、片手で打つ蹄十字崩拳など、複数の異なった動作を含むが、それぞれの形拳に分類されている。単式で練るだけでなく、例えば形拳の套路というように、それぞれの十二形にカテゴライズされた様々な技を、繋げて打つ連環套路をもっているもある。

形でめた套路()である四把捶(形四把捶)、十二形拳のすべてを連環させた、雑式捶(形意十二形合一拳)、十二形拳を打ち合う対打の安身(形意十二形大用対拳)などもある。

五行拳の各単式套路、五行連環拳や八式拳のような套路のなかにも、十二形拳の動作は含まれている(倒上形回身式)、虎形回身式など)。

また順歩劈拳を、形式といい形であるとし、拗歩右崩拳を虎出洞と虎形とみなし、順歩左崩拳を、出現と形とみなすというように、五行拳そのものでさえ、十二形に分類することが出来る。これは形意拳の原であった心意拳が、手の形、歩法、あらゆる動作に十大形にあげられる動物をあてはめ、原則としたことの名残だと思われる。

十二形拳の套路は、八式拳や雑式捶などの套路から、個別に技を抜き出されて創られたという説もあるが、先師たちの教えから、古来から重要とされていたのは間違いはないであろう。

ひとつ特に注意がしたいが、虎形拳の虎撲手(両での劈打のこと。いわゆる敵の気血のめぐりにを与える打法である打血法の一種にあたる)で、相手の胸を強打することは、心臓震盪の危険があるため、用法対打でも絶対に行ってはならない。

劈拳・劈についても、対錬では肩口を打つこと。せいぜい太極拳の双のように推す程度か、寸止めに必ず留めて欲しい。軽く打ったつもりでもコントロールが効かず、思わず威が出てしまうことがある。

そして(経絡・経を狙って受傷させる打法。用いる手形、攻撃方法、度などのコツがある。摩擦を用いる場合もある)敵を仰け反らせた状態にさせて打つと、死であるに、より一層効かせられることになり、危険度はさらに高まる。

また推手などの対錬中に、無知な者が相手を遠慮に打っての事故がありがちであるので、導者は厳重に注意して欲しい。

武術を稽古するなかで、胸部への打撃による、数の心停止や不整脈などを経験した者も居るだろうが、甘くみてはならない。

医学的にも致命的な不整脈は、胸部への打撃のタイミング次第では、容易に起こり得るといわれ、慎重を期すべきである。1分程度、脈拍がとぶことは問題とはされないが、それが2分、3分ともなるとしだいに意識はなくなり、 やがて呼吸も全に停止する。こうなると、医師心臓マッサージ人工呼吸で救命にあたっても、生還率は7割にも満たなのである。

十二形拳 概要その2 技法内容

龍形拳

伝説上の動物を模した形拳である。の性質は火に属し、これを練ることで肝火と心火を盛んとし、形意拳で火焼身式と例えられる、強い心身を作り上げるといわれる。

形拳として練られる技法は二つあり、先ずは蹴りが伴わないもので、軸足を蓋し順歩で起鑚を放ち、後ろ足もつま先を外に向けた形で踏み込み、同時に拗歩捉(劈)を放ち、そこから身を沈め低い架式の坐盤式となり、定式は脚をクロスさせて、捉を低く打ち込んだ形となる。この姿勢を形式という。この要領でジャンプしてその場で交互に打つものがあるが、編集者では行われていないため、その解説はできない。

二つは崩拳や連環拳の套路にある、倒上形回身式)と、ほぼ同じ要領のものである。三体式から踏み込み、あるいは換歩して軸足を変えながら、順歩で起鑚を放ち、続けて順歩踩脚で敵の部や膝を蹴り貫く、そのまま敵を掴んで引き崩し、敵の後頭部や背中の死である霊台捉で叩き打ちつつ、地面に敵の身体を打ち付けて倒す。この形を、ムササビが木から落ちて死んだ姿に喩え、倒上と称している。

虎形拳

トラが獲物を打ち倒す様を模した形拳である。技法には両を打ちつける虎撲。上方に両を打ち上げる虎。鑚で打つ虎攔。両の手を下方に向け、根部を向き合わせて下部などを打つ、虎抱。拳心を上に向けて敵の拳を挟みとりながら突く、虎截。拗歩右崩拳で突く、虎撑などがある。奇門八字功の字拳にある、握拳を用いず全て開で虎撲を用いる虎撲把や、同じく字拳にある、洪拳の胡のように、両部を向き合わせ、手を外側に分開させて打つ、頭拳も虎形拳の一種である。

虎形の代表的な技法である虎手は、先ず三体式から、左の上に右を重ねクロスさせ、左方斜め45度に編歩(歩法については下記の項解説している)して進むと同時に、両手を翻して、両の拳心を上とする陽拳として握り込み、下部の前に合わせるように両陽拳を引きつけ、右足も左足の踵側に引きつけ、つま先を立てるように地に足を付ける、(縮歩)となる。

この形を、歩握拳収式といい、別名を虎形勢と称する。ちなみに劈拳の套路で使われる虎形回身式は、握拳収式を経て向きを変えるため、その名で呼ばれている。次はこの虎形勢から右に編歩しつつ両陽拳を起鑚の要領で突き上げ、その拳を翻して開とし、跟歩震脚しつつ、両打を打ち下ろす。これが虎撲である。左右ジグザグに進みながら虎撲を数回繰り返したら、擺荷葉回身式という、歩から後ろ足を軸に、くるり180度後方に向き直る動作を行い、そのまま虎撲を続けるか、静かに封して収式を行い套路を終える。

猴形拳

サルの霊活な姿を模した形拳である。

馬刑拳

ウマ柵を飛び越える勢いを模した形拳である。

空手の正拳突きのようなかたちのインパクトで突く、蹄十字崩拳と、両拳で突く、両手突きである双蹄手が代表的な技である。

用法は、片手、いは両手で相手の攻撃を上から抑えてさえぎり、片拳ないし両拳で敵を打つ。敵の腕に自分の腕をぶつけ、敵の腕を封じつつ、腕をぶつけた反動を用いて、敵に間入れず突きを放つなどの応用も効く。套路では踩脚と組み合わされる技法もある。

拳の軌は、手首を効かせて上から下へと、スナッピーに突くやりかたもあれば、ボクシングストレートように直線的に、あるいはフックのように曲打もする。意拳・太気拳においてもよく使われるポピュラー打法でもある。相手の両こめかみを挟み打つものを牛角捶という。

鼈形拳

ヨウスコウアリゲーターの形態を模した形拳である。

ワニ水中強く泳ぐかのように、あるいはアメンボが、面を滑らかに移動するかのように、ジグザグに軽快に進んで技を繰り出す。別名を抜)という。

名が示すとおり、用法も太極拳手の要領に似ている。敵の攻撃を両で、円を描くように次々とし受け、捌きつつ、体勢の崩れた敵に、両側を打ち込む。この時、人を伸ばし、他の3の第二間接で折り曲げた、八字とすると、捌く際に敵の袖口に曲げたを引っ掛け易く、また勁まり易い。腎気を盛んとする。鮀形拳と表記するもある。

鶏形拳

の脚の強さと闘争心を模した形拳である。総合套路は形四把捶という。

敵の攻撃を拍打して逸らし、縦拳で期門から胸元を擦りつけながらを突き上げ、体勢がのけぞって重心が浮いた敵に、再び崩拳を打ち込んで倒す独立式となりながら穿を放つ独立。肘打ちや靠撃となる上架、暁などがある。

燕形拳

ツバメの飛び交う速さ、変幻自在な飛行を模した形拳である。

面に向かって急降下し、急上昇する様に倣ったのが、形の子抄である。

𩿡形拳

チョウゲンボウが、獲物を捉える様を模した形拳である。

鷹形拳

タカが鋭いを以って攻撃する様を模した形拳である。捉手という。

定式は河北形意拳の第一路、五行拳の劈拳とほぼ変わらない。によっては翅が伴い手形や姿勢に変化がある場合がある。劈拳とべると、より掴んで攻撃する意味があるという。

鷂形拳

ハイタカの中を巧みに飛行する様を模した形拳である。

蛇形拳

ヘビが素原を進み、時に鎌首をもたげ攻撃する様を模した形拳である。

熊形拳

クマ強い肩の使い方を模した形拳である。

弾肘頭など横に打ち付ける肘打ちや、形拳の要領とほぼ変わらない動作で、深く前傾して押さえつける技がある。

套路

套路については、多くの套路を持つことで知られる蔡拳ほどではないが、各で多数のが伝えられている。最古の套路は四把捶である、いや八字功だ、老三拳と呼ばれる、劈、劈拳(劈捶)、崩拳 (別説 1:劈、鑚、崩 / 別説 2 : 劈、崩、)だなどといわれているが不明である。

で共通するのは、五行拳と十二形拳だけである。同じ名の套路でも、技法内容は歴代の伝人ごとに異なっている。下に紹介したものは、あくまでも参考であり、この他も形意拳の発展と共に、いくつもの套路が新たに創られていったので、自分のところと技法構成が異なる、この套路が伝わっていないから、他は全伝がないなどと、浅はかに思わないように。形意拳の套路は原初は三つしかかったとも伝えられている。

また形意拳には、套路にい招法も口伝的に伝わっており、全ての技法が套路の中にコンプリートされているわけではない。

八字功については原初から存在したのか、深が創ったものかは不明だが、から伝えられた存義が整備したものといわれる。先に奇門八字功があり、のちに正門八字功が創られ、正奇の2種に別けられた。八字功は、火焼身式という、まるでが身が燃え盛る炎であるかのように、全身に気が滾った地を得るための練功であると同時に、より心意拳の形態を残した技を残す、実戦的な技法群でもある。大劈である劈手など、他の套路ではみられない技が多数ある。具体的な技法については、関連サイトを参照のこと。

単練套路
五行拳、連環拳、十二形拳(形四把捶を含む)、意形八式拳、雑式捶、出洞入洞、八字功(正門・奇門)、出入洞など。

対練套路約束組手)
対打、五行対打(相生相対拳)、安身対打、双手対打など。

法(蹴り)

蹴り技については、練功法として旋脚など、様々な蹴り技がみられるが、クラッシックな套路の中に、蹴り上げるようなものや、圏脚し蹴り)のような蹴り技はない(山西の一部で、蹴り技を得意とする武術との交流により、「形意」という套路をもつも存在する)。

に半円を描いて膝を上げ、踵で相手の部、膝関節を正面から踏みつける、踩腿サイタイ)と呼称する、翻子拳の低踩腿、八極拳脚と同様な蹴り方である。

形意拳では「踼(踼脚:蹴り上げ)を忌み(嫌い)、踩(踏みつけ)は宜しい」という。この蹴りは非常に見たが何気なく、地味でありながら威が大きく避けられ難い。

かしこのような関節蹴りは、競技格闘技においても、選手を簡単に壊してしまう、忌むべき悪質な技だと認識され、ルール上禁止されているのが通常である。許可されている、一部のプロMMAの試合においても、やりすぎるとでみられ、禁止にするべきだという議論が、たびたび起こって収まらないほどである。脛を鍛え上げる必要もなく使いやすく、威カーフキックどころではない。

なので軽めの組手でも、絶対に用いてはならない。練習では、太腿を軽く踏むストッピングくらいで止める方が良い。膝の正面に対しては、軽く蹴ったつもりでも、相手に傷を残す結果になりやすい。前の膝を内側に入れることで、関節蹴りに対して、強い架式を作るのだというもあるが、動きの中で蹴られては、到底事では済まないことになる。

安身などの対練の例では、相手が蹴ってきたら、前足を引いて軸足を入れ替え、もし蹴られたとしても、インパクトの際の衝撃を逃がせるような対処をしている。前足が虚で後ろ足が実であれば、このようにして、虚実転換して逃がれることが出来る。つまり逆にいうと、前屈で立つときを狙って繰り出すと、敵は対処が困難となる。

八卦掌の用となるが、歩を進める動作自体にも、暗腿といって、蹴りが暗示されている。接近しながらさり気なく敵の脛などを下段を蹴って、ガリガリと踏んでやるのだが、靴を履いた足でこれをやられると、被害落にならないものがある。

形意拳に高い蹴り技がみられないのは、理があってそうするというが、寒い地方で発展した武術なので、一般的に皮の厚いブーツを履いており、それで下段を蹴れば、たちまち勝負はついたからだという説すらある。

独立式など)といって、片足立ちになって、膝を抱え上げる姿勢は、膝蹴りを暗示している。套路の中で下勢(腿式)から、独立勢に移行するような動作には、身を沈め敵を地に引き倒し、あるいは掬い上げ、これを逃れようとする敵に跳躍し、膝蹴りを叩きつける用法が一例としてあげられる。形意拳の達人、孫堂はサルのように身が軽く、このような技を得意とし「活猴(かつこう:活きザル)」と渾名されていた。

七拳

形意拳は全身が拳であると考える。七拳といって拳足だけでなく手、肘、足、膝、、肩、頭といった体のすべて、(手足の末端(肘膝)、根節(肩背臀部)を技撃に用いる。一例としては靠撃震靠法)といって、肩や背中を敵に叩きつける打法もある。

武術の打撃は、攻撃に用いる部位が手→肘→肩と、体幹部に近くなるにつれて、その威は飛躍的に増大していく。拳とべて当てる面積が広くなるので、威は低下し効かせることが出来ないなどという、愚かなは、の靠撃を一度でも喰らってみると、たちまち散する、妄想であったことが即わかるであろう。ちなみに編集者は師から組手中に靠撃を受けてを3本も折られている。

世間でよく誤解されるが、靠撃は助走を用いて勢いをつけたタックル、体当たりの類の技ではない。

それと、古流武術好者が、競技格闘技好者にやたらといいたがる、金的への攻撃であるが、実際には彼らがいうほど簡単なことではない。

金的への打法であるが、戦闘中に敵の股間を蹴りにいったところで、確実にダメージを与えることは非常に難しい。敵は木偶ではないのだから、論動き、防御もされてしまうが、万全な体勢をとった敵、伝統的な空手の組手構えや、中国武術の三体式のような、架式をとった敵の股間を、離れた間合いから踼脚で蹴り上げたところで、敵の脚との作りによって阻まれ、的確に睾丸に命中させることは容易くはない。

それよりも敵と極めて近接した際に、形拳や形拳の腕を振り上げる動作を以て、敵の股間に腕を挿し込み、搬打(ばんだ:前腕を打ちつけること)や、空手でいう、背側や握拳の拳眼側を用いて、睾丸を下方から打ち上げ(崩捶:心意拳系では、挑領(挑)という名称でよばれる叩き潰す、あるいは手で把握して握り潰す方が確実性が高い。たとえば形拳の一技である、挑領()は、肩で叩きつける靠撃と崩捶を連環させる強な技である。

次に眼窩への攻撃であるが、は離れた間合いからの顔面への突きの際、狙わずとも自然と当ててしまうことも多いが、狙う場合は空手の一本拳にあたる眼拳や心拳で突く、形拳の独立で打つ要領で裸眼手を抜いて五を適度に開いて打つ穿(貫手)。ジークンドー突き、ビルジーでも用いられる手形)や、手刀に切り払う打法)で、軽く打ち点打攻撃を行う。

眼窩は打たれると、容易に網膜剥離や眼底折を起こしやすいが、眼球自体は硬く潰して失明させてしまうことは難しい。だが、招法を以て、敵の頭部を据物のように固定して押さえつけ、片方の眼窩に鑚を上に向け開手した手形穿。螺それ自体は、五行で用いられる、螺旋をともなった開手の総称である。穿としてや、暗勁による内臓を受傷させる打気・打血法に使われる)の人と中とで強く挿し込み、それでスプーンで抉り出すように、眼球を飛び出させ加する方法もある。

を下に向けた貫手の状態では、眼窩を抉ろうとして強く挿しても、眼窩の圧や眼球の硬さに負けて、の間接が曲がってしまい、容易ではないが、逆向きの貫手であれば、などを押して実験してもらえたらお分かりになるだろうが構造的に強く、眼窩の深くまでをめり込ませることが可であり、この手形を用いての攻撃は、八卦掌でもよくみられるものでもある。また、倒した敵の後頭部を踏みつければ、眼球は飛び出すともいう。

多少エグい描写となってしまったが、武術とは最悪、敵を殺する技術となるゆえ、仕方ないものと思って欲しい。

しかし、これらの技法も攻防技術あってのことであり、盲目的に急所攻撃を高らかに謳うことは、武術でよくある誇大宣伝の一種である。しかも実戦では相手もまた急所攻撃をやってくるのである。

兵器(武器術)

武器術についてだが、形意拳は槍術から創始されたとされ、を最重要視する。大から穂先を外した大杆子という、長さ3メートル以上の蝋棍ハクロウコン)は、練功器具としてよく用いられる。

の他にも、春秋大刀exitexitexitexit三節棍exit九節鞭exit暗器exit(隠し武器)などの各種兵器の操法が伝えられている。

五行など、武器においての五行拳のような套路を制定したもあるが、しかし孫堂の書いた形意門の重要な資料である『拳意述』によると、原初は形意門では、武器練習ど行われておらず、門独自の器械套路(武器)はかったようだ。

武器は、形意門の発展とともに、各の先人たちが独自に整備していったものである。だが、形意門の先人には、存義など、術の達人と誉れ高い者たちもいるが、それは中国では「兵器は手の延長」といい、拳法武器術の基礎訓練となるという、伝統的な考えがあり、拳法武器術に優れているのは、いたって当然のことであるからである。少拳で有名な嵩山少林寺も、拳術よりも棍法が讃えられていた。

それと中国武術ではよく、武器尖端からでも発勁ができるというが、それは武術が教える姿勢と諸動作が、適切なを手先にだけではなく、手に持った武器の先にも、下肢から作られた構造的に強いを伝えることが出来るようになっているからである。

形意拳の伝説的な達人の一人である尚祥には、構えた相手のに、自らのの穂先をぶつけただけで、相手は強い衝撃を受け、たまらずを落としてしまったという逸話がある。

たまに現代において、の稽古など意味だと、素人考えな物言いをする者がみられるが、武器術を稽古することによって、勁など拳理への理解がより深まる練功法となり、拳法の方にも良いフィールドバックがあるから稽古するのである。

余談だが、日本の古流剣術において、は秘伝とはしないが、槍術を一子相伝の秘伝とする流があるが、かつての戦場でのメインウェポンであったは、単純であるようで、技法には以上に深いものがあり、ぐ殺傷が得られるものである。現代に剣術は数多く残っているが、槍術はその多くが失われているのは、そのような理由からかもしれない。

暗器について余談だが、投擲する物が非常に有効性が高い。例えばダーティーなものだが、トリカブトのを塗った、物の破片を蝋で固めた「飛蝗石」は、投げつければ敵の身体にを突き刺さして殺傷させることができるが、一度使用すれば砕けてしまうので、敵に投げ返されることはい。

筒などの円筒状の筒に、砂、砂利、唐辛子粉を仕込んで筒先をで封をした、「迷砂」は、敵の顔面に向けて振り放つことで、その場で即、敵のを潰すことが出来るが、砂が敵の膜に突き刺ささって錆びることで、長期的に視を損なわせることが出来る。またその筒は投石具としても使え、小石を高い威で投げ放つことが出来る。パチンコ玉をで弾いて敵の眼を狙う「如意珠」は、戦闘中手の中に珠を隠しておけば気付かれにくい。

ちなみに翻子拳には、套路の中に地面の土石を掬って相手の眼に投げつける動作があるのだが、投石も非常に有効である。戦国期の日本においても、甲斐武田には投石が得意な武将が何人もいたほどである。この時代の童は、から投石で人を殺す方法を学んだという。宮本武蔵でさえ投石で怪を負っている。

現代の日本においては、石の代わりに缶コーヒー携帯しやすい。これが護身具だとはも気付かないであろう。

武林よもやま話

この項は多分に余談的な記事となるが、中国武術界の豆知識と現状を解説する。不要に思う者には、一読したら読み飛ばすことを勧めるが、しかし読んで不快に思う者が居るならば、自身の行いをまず反省され、めていただきたい。

武術では歴代の伝人たちが、各々工夫していくうちに外形が変わり、それが原因でうちが本家拳だ、元祖拳である、裏本家拳、いや伝拳だ!などというな、不毛なが発生し、他を認めないというケースがあまりにも多い。同じ名のでも技法内容が異なっていたりするのは、極めて普通のことなのである。

の違い」というのだが、老師が昔ながらの各人の個性を活かす教授法をされると、たとえ同じ門下であろうとも、拳が異なるということもしくはない。人間の身体の作りや気性は、各々違ってあたり前であるからである。

例えば、身体の作りの違いについて、下盤を例に、解剖学的に人の身体の違いを述べてみよう。

大腿頸部の長さ、盤の臼蓋(受け皿の部分)の向きと深さ、大腿頸部の度、腿のねじれ度、仙と腸を繋ぐ仙腸関節の可動範囲(仙腸関節を繋ぐ靭帯は、人の身体の中で最も頑丈な靭帯であり、柔整鍼灸学校解剖学の授業では、その可動範囲は0度と教えられるが、実際は動いている)などは、人それぞれ違っており、股関節周りの運動は、解剖学的形状の違いで、大きなを受けている。武術の動きの中で強いを導き出すことに拘りがあるならば、解剖学的にわからないとしたとしても、明師は経験上これらは考慮するものである。

人体には200以上の関節があり、これらも先に盤を例にあげたように、人それぞれである。すなわち絶対に正しい姿勢であるとか、動作などはあり得ないわけで、武術では先ず、概ね正しいとされるものが、基本として導されるが、これを各々に合った、実戦で使える形に最適化させるのが、導者と各人の工夫、あるいは才である。

大成のためには、各人が自分の体質と優れた部分、弱点を把握し、それを活かし補うために招法や発勁、練功法を研究修行していく必要があるのだ。つまり自分の武術は自分が作っていくものである。

伝統武術は、同じ師に学んだの同門、同だとしても、違いを較していくと、外形や技法内容どころか、果ては伝わっている拳譜の文章の内容、用漢字まで異なっているほどである。であるので、もしも自他の会の先生が、自分のとこは伝、あそこは偽伝だ、伝が伝わっていないなどと、やたらと高にしているなら、

そうですか(^^)そうですね(^^)と聞き流しておくのが健全である。

武術は、自分の流や伝系を尊ぶあまり、その流に伝えられた「正しい」や動きに固執して、ものを述べることがありがちだが、正しいといわれる動きも、人間の普遍的な動きの中の極一部を、各伝承者たちが、体質やその思想に合わせて、取捨選択したものに過ぎない。

上手い下手も基準が変われば、どうとでもいいようは変わるものである。本当に正しいものは自然法則のみである。論、重心の安定を顧みない動きは、実用にはならず法則どころの話ではない。

また、流をめたところで、その姿が過去から変化しているものでないとは、も保することは出来ないのである。

こんなことは、本当は恥ずかしくて書きたくないものだが、あえて苦言するが、「あそこインチキだよ」と言ったところで、人の家族関係や拝師、伝承などエスパーでもあるまいし、その本人と、を立てた者にしか分からないことである。そしてどんなに師伝がはっきりしていると誇ったところで、そんなものは他の伝系からしたら、あそこは亜流(^^)伝を得ていない(^^)で済まされてしまうのである。

それでも他を貶め、愚弄した物言いを吹聴する者は、自分の贔屓にしているものが価値を下げられると恐れ、憎んでいるか、利関係があるか、んで嫉妬している、あるいはコンプレックスの裏返しで、人を蔑むことで優越感を得て、溜飲が下り愉快だという、心の動きが健康的な者とは、異なる者である場合でしかない。

武術を離れた一般世間から、たちまちで見られてしまうような、言動の者がイキリ出しては、悪立ちするのも中国武術の界)では、よく見られるである。このような者たちとは、同じステージに降りて相手をしないことである。相手が弱い場合、それは義的に正しくても、世間からは弱い者虐めだと受け取られかねない。

ちなみに、上から目線で他のところの武術をやたらと批評し、でも、うちの先生は違って凄い、自分のとこの流には、一見殺しの秘密の技がある、それにべて、あの先生それに負けたのだ、あの先生は某先生に怯えて、挨拶もせずに帰っちゃった情けないよね、あの先生で段位を買ったのだ!というような、くだらない与太話を、ペラペラと喜んで喋るのだが、肝心の本人には、全く実が欠けている、という有様を皮り「口功夫」という。

そして自分は門人だ、嫡伝だ、正と誇り、大言を述べるが、実際は表演(演武)専門で、ばかり多少見栄えが良いばかりで、いざとなると負けることを恐れ、戦えない見かけだけの者のことを「死功夫(カタ屋)」などともいう。

また、短期間のうちに、様々な会セミナーを渡り歩いては、ひとつの武術を据えて学ぶ気が全く見られない者のことを、「カンフールンペン武術ルンペン)」と業界では呼んでいる。

古来、「良師は三年かけて探せ」などというが、彼らが探しめるものは、自己を肯定してくれて、楽をして簡単に実が付くという便利な技術や、身を飾るブランド秘的な拳法を探しめて、彷徨っているかのようで、真剣武術の稽古に打ち込んでいる者からすると、不純で邪なものを感じさせるものがある。

中には自分から、他人や他を酷く愚弄しておいて怒りを買い、報復の気配を察すると、実は自分は病気で身体が弱い、私は方に脅されている被害者なのだと開き直り、情けない姿をみせて恥じない者たちすら見かける。

こういった悪質な気性の者は、驚くことに、次々とトラブルを起した結果、責任追求され収集がつかなくなると、SNSアカウントを消して逃走したり、書き込みを全て消して息を潜めたり、自分の会のホームページや、有志たちから銭を集めて、サーバーを借りて作った掲示板すらも消して、身を隠すのだが、ほとぼりが冷めると、愚かにも、また同じ様にイキリ出しては、同じようなことを延々と繰り返すのである。

だが、こんなことにも限度があるので、この様なやからは、稽古場所やセミナーの会場をせるなどしないとならない破となっている。

悲惨なことに、このような者たちの一人が、義憤に駆られた武術に、身をもって制裁を受けた例が電子掲示板SNS上で幾度か話題となったこともある。

つまり虚勢をっただけの半端者で、本当は意気地なしの気弱な臆病者と、法螺吹き、詐欺師の類が、自己の実とはべつのところで、ピーチクパーチクと非常に騒がしいことが、武ではよくありがちである。

まあ、べつに本人たちは殺されたいとやっているのではなく、の関係で、易刺性や易怒性が高いゆえ、抑えられず、後先考えない衝動的な物言いをして、トラブルを起こすのが大半なのであろうので、本気になったり責め過ぎるのも良くないのかもしれない。

とはいえ、狭い武では、武術友人を一人またぐと皆知人ばかりで、本来は、武兄弟家族ともいえるしい付き合いも可なのである。

人格を養い、教養を身につけ、他人に対して尊重し優しく、慎みを忘れない丁寧な態度で接することができれば、兄弟(世の中の人は、みんな兄弟のようなもの)なのであり、これが本当の武徳とされるものの基礎となるのだ。

他者が築いた人間関係、価値観を尊重せずに、わずかな見識の中で、自らが思い込んだ「正しさ」を強弁し、全否定から侮辱、見下して嗤うという振る舞いは、そもそもの考え方自体が醜く、間違っているとしかいえない。

このような愚行をやたらと人様に見せてしまうと、社会常識からも嫌悪され、引かれてしまうのである。性格が悪い者のところには、自然コンプレックスを抱えたみ屋たちが集い、腐臭を放つものである。

自分に甘い者たちが集い、かに実の高い者を下げて述べ、自分たちを高く上げてり増長する。

ただし武術では、自流が貶められた際、自らがリスクを負い、相手側が集っている場に、直接足を運んで反論し、戦えるほどの覚悟がある言葉や、直接本人に会ったとしても、堂々と言える反論、提言、苦言であれば、これは卑怯さや陰湿さからはほど遠く、武術として筋の通った立な態度であり、相互理解と和解のためには必ずしも悪くはないことである。

武術に対して誇りのある先生は、他からの中傷や疑問に対しては、どうぞうちにいらしてください(^^)という態度をとるものであり、実戦武術を標榜しているくせに、推手をお願いしたり、話を聞きに行く程度のことで怯えて逆上し、すぐに、決闘法律に反する!だとか、場破りは警察に即通報します!だとか、弁護士を介してなら会います、あなたからのメッセージ読みませんから、電話にも出ませんなどの、なさけないインチ武術たちのような、滑稽な言葉は、けっして吐かないものである。

かつて、清剛(故人。京都在住の武隠者。陳氏太極拳の中の祖ともいえる、陳発科の高、王義兄弟であった。生前、台湾の「中華武壇術推中心」の創始者、ともしかった)が、武用格闘技)と喩えたような武闘では、自の名誉を傷つけられたなら、他の場に乗り込んで武を行うことなどしいことではなかった。

しかし今では、内の中国武術は、(健身芸術が大数をしめ、まるで生体操教室同然となり、日本の在来武道や各種格闘技べ軟弱で、とても武技を練っているとは思えない現状となっており、それを憂いた導者自らが、半ば自嘲して中拳などと中国武術と界を、その情けなさを表した、侮蔑的なイントネーションをはらむ言葉で呼ぶことすらある。

日本中国武術の界は、残念ながら、その普及初期から、スピリチュアル志向に傾き過ぎた言動をする権威とされた紹介者たちや、そのシンパで利関係から偏向した情報紹介した、雑誌、マンガなどので、さながらカルト化の様相がみられ、大きな病根となっていた。

そこに古くから日本に在住していた、華僑の武隠者たち、台湾香港が由来の実用志向が色濃く残された怖さを感じさせるような実戦的な武術と、同様な有様が本質である、中国本土由来の民間武術、あるいは全にスポーツ化された、表演武術などが混沌的に入り混じり、しかし互いに反発しあって、大きな結束はみられないのが、内の中国武術の現状である。

しかも玉石混交なのである。優秀な武術の選別は、メディアは全くあてになっていない。

中国武術には、拝師)という、日本武道における、内子制度のようなものがあるが、かつて古人は武術伝は人を選んで伝え、伝えるに値する者がいないのであれば失伝させよという、厳しい姿勢で継承させてきたが、現代では昔日ではあり得ないような大を積み、拝師することが然とられ噂されていたり、商売として外国人を含めた多くの者に拝師を行わせる、中国人老師もおり、またこれは、実なのか不実なのか、さっぱりわからないのだが、拝師は出来るが、外国人に教えられることはこれ以上ないと、わざわざ断りを入れてくる老師までいるという。

海外で有名老師や様々な門先生に会うと、「あんたでも子でもよいから、自分の武術を受け継いでくれ」と頼まれるという噂をお聞きする、某先生にお聞きすると、てはこのような拝師制度を悪用するかのような、高額の謝礼が要されるようなことは、中国武術の伝統にはかったといわれた。

謝礼は、拝師式の際の必要品を賄ったり、祝の席の宴会で、飲食の足しになる数万円程度であったり、せいぜい謝に毛が生えた程度が本来であったといわれている。それどころか謝礼を受けとらず、子の生活の面倒さえみて拝師門徒をとる先生も居るほどである。

現代の拝師ビジネスの悪例だが、高額な拝師料のおかげで、同門に、まるでで段位を買ったかのように思われて反感を買い、門内での序列をめぐった嫉妬、陰湿な嫌がらせが起こることを避けるため、拝師を勧められても、断る学生さえも居るのである。また商売に賢しい先生は、導者資格更新費などの名で、拝師門徒から銭を徴収し続けるケースも見られる。

また、拝師門徒というものも、それが即ち免許皆伝というわけではなく、学生(一般生徒)、外門(他の場に所属している者)から正式に、その老師の元に入門し、これから研鑽を積んでいく者をあらわす言葉である。古くはこの拝師門徒にも、門生示範徒生把式などといった序列があった。

示範が教練(導員、師範代)と言った程度の意味で、把式は、その老師の門下の把式場場)で最も優れた実を持つ者をいう。この別名を、得意門徒得意)ともいう。また拝師門徒を、入門と、入室(特に優秀な子)に区別するところもある。

拝師を受けると、一応伝人を名乗ることは出来るのだが、大陸台湾に、1年や2年にも満たない、短期間の渡航を繰り返しては、老師に学んだとか、拝師をしたなどという者に、腕前も疑問だが、果たして、この先生、自分の師との信頼関係、人間関係を構築出来たのか?と疑うような、人格の者が見られるのは、上記のような理由からである。

10年15年と異で錬拳する者は、5年程度の留学では、お客さんだと評しているようだ。外国人、異民族というを乗り越え、信用を得るには、通常長い年と実の確かさが必要なのだ。

そんな僅かな期間の留学にも関わらず、帰ればすぐに先生と呼ばれ、20年、30年と修行を重ねた自分よりもかに日本で長く導されている、先達たちがに入らぬかのように、本場で習わなければ、この武術は理解出来ず身につかないと、高に述べる悪例もみられる。

そして中国香港台湾、陳氏太極拳の陳や陳正、南の王波などの老師たちのように、伝統的な気を尊ぶ老師には、拝師に際し、自の系譜に、外国人名前が、そのまま記されることを嫌い、あるいは、もうその子は、民族の伝統を受け継ぐに足る者となったというとして、中国人名前を授ける慣習があるが(同じ中国人に対しても姓名を与える老師も多くいる)、これを拝師名(武芸名・芸名)という。いわゆる中国名、カンフーネームというものは大体これであるが、中には真実はわからないが、拝師名とは関係のない、中国風の芸名を自分で名乗る者も見られるともいわれている。

拝師に際し子は、開祖以来の伝系、門人としての誓句が記され、老師及び立会人、自分の署名等が記帳された、拝師帳に署名する。これをそのまま子に与えるところもあれば、二部作り片方を拝師門徒に与えるところもあるが、拝師帳を記録として師に預けるものとするだけのところもある。

そのようなところでは、やがて子の意と実が師から認められると、師よりあらためて、拝師帳とは別に、自分の門徒であるということをする、回帳言書)が与えられるのだが、師の信用を得られず、必ずしも与えられない者さえもいるという。

拝師帳は、拝師式の際の祝賀で展示されるが、その後は一切、余人に見せるものではないため、勝手に拝師門徒だと名乗ることも、恥知らずであれば可であろう。中には子でもないのに、有名老師がセミナーの際に、記念品として参加者に渡した色を、老師の死後に開して、それを利用して教室の宣伝に使ったという悪辣な例もみられる。

それと門によっては、拝師に際し、という、その門の流祖から何代にあたるのかを示す、漢字をひとつ与えられるが、武術は、これを上記の拝師名や、号に組み込むこともあった。この字輩の上下関係をめぐって、実とは別のくだらない争いが起こることがあり、現代では面倒なので、拝師名や字輩は表では大っぴらに明かさない者もいる。

伝系が上の方になると、たとえ年上で先輩にあたる者に対しても、師として対応することになるのだが、もはや開祖から数年を過ぎ、ヤクザ子関係でもあるまいし、現代には合わない慣習ではなかろうか。

ちなみに、形意門の字輩はあるところと、いところがあるようだ。山西や尚にはあるが、一説によると、少なくともの時代からあったものではなく、二代以降のかが、独自に始めたものといわれている。のように、八卦掌のものをそのまま当てはめて使用しているもある。

本来、字輩は一門の内外に子の序列を知らしめるために、学生を含めて周知されるべきものであって、秘密とされるものではない。であるので、これを知っていれば不正に使用することも可である。

拝師をしていても、後に師との人間関係が悪化し、破門や放逐、それに近い絶縁関係になっているという例もよく聞くのだが、面子の問題となり、門の恥となるので、外には周知されていないケースもあり、この場合、そういった者の師兄弟たちは、論承知しているが、ただでみて放置しているのである。

その場合、書籍やHP開されている伝人系譜から、静かに名が消され、暫くすると別の者に同じ拝師名が与えられていたり、破門された者のところで、門の秘伝であると称して、団体にが続々開されるなどの、おかしな兆が現れることがあるので察せられはする。このような者たちとべたら、自分の師匠の名を教えられないと、暗に師に破門されたことを打ち明ける者の方がかに潔いであろう。

更に酷い場合、老師の生前仲違えしていたことが周知であったのに、その死後ちゃっかり、自分は一番子だったとか、入室門徒だとか言い出す、恥知らずも居るのである。事情を知る者は呆れ果てしまうが、死人に口なしである。俗に拝師門徒と師は、家族と同然とられるが現実は厳しいものである。

拝師に際し、子は、けっして師を脅かさないことを重く誓うが、師も子も人間であるのだから、利己的な行動に走ったり、互いに好き嫌いは出るのである。このような例を知ると、々に拝師しましたという看文句も、けっしてみには出来ないのがお分かりであろう。

この他にも中国武術でよくある、しょうもない対立としては、「表演拳」VS「伝統拳」、「外拳」VS「内拳」、「元は満族が学んだエリート武術VS田舎民間武術」、「台湾香港東南アジアに流布した中国武術VS中国本土の中国武術」、「前身が中央術館系という、体育学校VS「新中国で設立された、新の体育学校」、「健身的推手」VS「競技推手」、「北VS「南」、近間での流祖、先生の偉さべなど、各種正統をめぐったイキリ争いが多数観測されがちである。

他流を下げても、自や自己のステータスが微も上がるわけでもなく、傍から見られるとかえって大きく下がる一方なのである。今の時代、こんなことは共感性を得られず、最悪な行為と思われよう。

本当に自己の武術に対して誇りがあり、こので受け入れてもらいたいのなら、他武道格闘技があたりまえにやっているように、ストイックに真剣に、そして明るく、稽古に取り組む姿を見せていただきたい。義憤からの怒りはっ当であろうが、他へのみから誹謗中傷など良くない。他にあれこれ重箱の隅を突いたように述べる者の言葉は、傲慢さの反映であり、同時に劣等感の裏返しである。

では多くの人間関係が、事情を聞いてもわけがわからない、くだらない傲慢さから起こった軽挙妄動ゆえの、不毛なイキリ合いの果に崩壊しているのである。

なかには、自身の場経営のビジネスに利用しようと、双方の対立を煽っては仕掛け、漁夫の利を得ようと動く邪な者も見られる。

こういった者は策が失敗すると、多くの者を利用し傷つけた、加害者であるのに被害者を装い、かつての子や恩人などをスケープ・ゴートにしてり、弁舌巧みにをあげて恥じることがなく、自身は実際の脅威に立ち向かうことを恥も外聞もなく避け、奇妙な精勝利法に頼っては、虚しく、仲間内に勝ち誇るものである。またそのような者は他人を煽ってけしかけるような振る舞いもよくみせる。

武術女子中学生のやるような、女の子同士の陰口や教祖を奉る新興宗教ではない。

どうか、ほどほどで止めていただきたいものである。あまり性格が悪く、ブザマで格好悪いところをみせ過ぎると、中国武術など、まともな感性の者は、もやりたくなくなってしまいかねない。

口が非常に悪くなり申し訳ないが、いかにも戦えるような感じではない、パッとしない陰キャな人々が、どんよりと集まり、武術って、このままの自分で良いんだなあ…(^^)とかと、向上心を自から捨てるような、大きな誤解をされて、ついには格闘技として、到底実用にはならない、手品のような旦那芸やヲタ芸のようなものを披露するばかりの、文化系サブカルまがいの、わけのわからないものに変質しきってしまうであろう。

これを防ぐには、中国武術好する1人、1人が武術カッコいい!、強いぞ、と思われような姿をみせ、社会に対して健全な姿を魅せることが大事であろう。

武術文化的側面はあるが、武術とは、闘争において必要とされ生み出された技術であり、それを研鑽する場が場であるということも忘れてはならない。

近年、イスラエルクラヴマガやロシアシステマのような軍事格闘技インドネシアのシラットが実戦的かつ武術的で、日本人気を博しているが、ところが日本中国武術は、その全盛時代であった、1980年代のような人気を取り戻すことはなく、年々、その好者は減少していく一方である。

動する際的状況から、1970年代1980年代日本人が、中国中国文化に抱いていた好感と憧れは、すっかり薄れてしまい、今後も日本の対中感情は悪化する一方だと思われる。そのせいで、いつか浅はかな者たちから、中国武術好する者が攻撃される時があるかもしれない。

中国武術好者たちが、その武術と発祥地での政治運動を切り離し、その発祥地で、倫理に反するを覆う、義憤に駆られるような行いがあれば、気兼ねなくを上げることは、中国武術中国という国家マイナスイメージと紐付けされて、善からぬレッテルを貼られてしまうことへの、大きな抵抗になると考えられる。これが立場上、どうしても出来ない者は、日本中国武術の今後のため、政治的な発言については、どうか一切沈黙してほしい。

そして中国武術は、既に日本に根づいており、もう本場だとか、国家伝説的な伝人による権威やブランドだとかに依らないものに移行し、在来武道のように、実勝負で自立するべきだと、編集者は個人的に強く思っている。

とはいえ過去編集者に「中国武術は、財団法人日本武道館に登録も出来ない如何わしいもので、私はそんなものに関わるつもりはない(笑)」という旨を放言した古流の人間が居たが、在来武道にもこのように権威に依って、他を下げ、心の安を得る者はごまんと居るが。

スポーツとしての中国武術も、世界大会を開催できるほどののある団体は、世界的に見ても数少なく、また残念ながら、イデオロギーを理由に分断もみられる。

例えば世界的な団体としては、米国政府導で、中国共産党による政治的なを排除するかたちで設立され、台湾政府運営を行う「台湾術総会」などが加盟して関係が深い、華僑武術の最大組織といわれる「世界術総会The World Kuo Shu Federationexit)」、中華人民共和国導で設立された経緯をもち、中国運営する「中国武術協会」や日本最大の武術協会である「日本武術太極拳連盟」などが提携している「武術連盟IWUFexit)」という二大組織があるが、これらと提携していない小規模の団体が開催した大会に、むこうから招待されて出場してみると、資格制で審判として育成されちない者が、不審な身内贔屓の審判を行い、酷い場合は大会のあとで、入賞が取り消されるなどされて、嫌な思いをしたという選手たちの話も昔から聞き飽きるほどである。

表演、散打にしても、小さな閥の中だけで行こなわれる、独自のマイナールールで行っていては、世界レベルに到底ついていけなくなってしまうだろう。

台湾においては、太極拳の推手が国家によって競技化され、学校教育のなかにも取り入れられている。スポーツの一つとしても、中国武術中華民国における総称)の評価は高く、そのに進む若者は多い。中国においても、空手テコンドーMMA人気が高まってはいるが、体育学校民間武術学校ウーシュー中国においての武術の総称であり、武術という名のスポーツをもす)は盛んで、その競技人口は他ぐものである。

それと元々、中国武術には日本武道のような段位制度はかったのだが、現代では際的な大組織から、日本武術太極拳連盟、全日太極拳連盟、様々な協会、教室まで独自に段位を認定することが多く行われている。これらは、一定の基準や審を経て、授与されるものであるが、組織の権威を背景とした格付け、スポーツ化をあらわしている面は否めなず、このせいで、昔日の中国武術の姿であった、武縁とも思える、人から人への素な伝承とは、良くも悪くも変質が見られている。

中国武術が置かれている上記の現状は、理解して錬拳に励むべきである。

発勁概論

中国でいう「」「」とはやたらと、むことで発せられる不合理的で稚拙なではなく、武術において有用な、もっとスマートなをそう、ふんわりと言い表したものである。

あまりにも便利な言葉であるので、拡大解釈され、あたかも秘的なものであるかのように喧伝されるが、近代に入ると西洋からの新しい考え方を取り入れ、そのような曖昧模糊な表現を嫌い、発と言い表す王向斉のような武術も現れた。

また広東省、福建省のような中国南部で発展した、南拳の中にも合理的なを確信的に「」だと言い表し、勁というような、ふんわりとした表現をしない門もみられる。これら拳などに代表される門では脚から起こるを地根、震えるように発するを、震身などと言い表す。

昔の北拳法、内拳の人間は、南拳を愚弄して述べることが非常に多かったのだが、その言動は概ねプライドの問題であったり、彼らの実戦的な強さに対してのコンプレックスや、北や内中国武術を学んだ日本人の一部が、自分の武術空手べて、高級なものだとして、空手を見下したゆえに、空手に近い姿の南拳を同じようなものと評し、臭したい意図が過分に反映されたものであった。

南拳も内功をとても重視しており、高度で実戦性の高い武術である。その流れは形意拳から生した、意拳や、空手道に大きなを与えている。

形意拳の発勁は、整勁という、身体の各個重心が整った、構造的に強い姿勢から生み出されるである。それに前進する、震脚による補強や脊髄、下丹田を中心とする縦回転と表現され、翻浪勁などと呼び称される衣服の袖を巻き込むかのような、螺旋的な蓄勁・発勁である袖勁などのが働き、そしてそこに意念が加わる。

中国武術には六合という概念がある。心と意が合い意と気が合い気とが合う内三合という。

」とは、意思をも含まれるが、東洋医学では、心の本体をいい、日本語でいう「」に近い概念である。日本武道では、しばしばこれを「」「気の働き」と説明している。

肩と胯が合い肘と膝が合い手と足が合う外三合という。

(クワ)とは、股関節のビキニラインのあたりのことをさす。収胯(胯を折るともいう)することで、椎の前彎を弱め、脊柱起立筋を起させることを、「命門を開く」という。

肩と胯を合わすことで、重心点に対し適正に立つことになる。その際上半身の多少の前傾は問わない。むしろ命門を開き歩行する際は、直立するよりも、適度に上体が前傾することで、片脚にが乗り、が途切れない強いかたちで歩を進めることが出来る

つまり六合とは、内外を合一させることが、極めて重要であると、説いている教えである。

形意拳は「六合をもって法となし、五行十二形をもって拳となす」といわれる。つまり敵を打ち倒すという強い意思と、技とが一体となり、こうしてはじめて、人を打ち倒すことが出来るのである。

六合は、なにやらオカルチックな難しいことを述べているようだが、要は、技には心が伴っていなければ、実戦では使い物にならないとめている教えである。

日本武術において、いざ実戦となると、生命の危機恐怖して、実が発揮できない者を、法だとか、の上の練者などいって嘲るが、このように強い精、覚悟のあり方を得るというのは、武術において最重要の課題である。

古来形意拳は、実戦の究極といわれると同時に、その打撃は、鉄球にも喩えられ、数ある中国武術のなかでも、随一の威だと評されている。

非常にシンプルにして、合理的な体系をもっており、ゆえに『太極十年不出門、形意一年打死人太極拳は10年は練習しないと使えないが、形意拳は習って1年で人を打ち殺してしまう)』ということわざさえある。

『形意拳術のは極めて易しいが、極めて難しいともいえる。易しいというのはこの拳術の形式がいたって易しく、いたって簡素で繁雑ではないからである堂 『拳意述』より。

形意拳の打突は、他べるとモーションが小さく、素人には、一見手打ちで繰り出されているかのようにも思われるが、実際は、まるで精密機械が動作するかのように、全身を周身一体させて発した、勁まっており通臂され、十分な威がある。

むしろ体幹からの勁の伝達が露に、はたから分かりやすく見てとれるような打法は、勁めることが難しく、伝を得た先人たちが誇った、形意拳本来の重い一撃の威など、到底発揮出来ることはあり得ない。熟達するうちに、形意拳の打法コンパクトなものとなるは、このような理由からである。

虎形回身式など、回身式で方向転換する際は、単なる振り返り動作では終わらせず、扣歩、擺歩により下肢から反作用的に起こる、螺旋のを途切れさせず、手にまで伝えられるようにも工夫して欲しい。これは発勁、招法にも活用出来る、効果的な勁の使い方である。圏帯法(投げ技)にも用いることが出来る。

古来、「手で打つこと三分、脚で打つこと七分」というが、形意拳の打撃は、手は脚のように用い、脚は手のように用いる。打拳は腕で打つのではない。

内勁を体現出来ていない者に、やや誤解をまねく表現となるかもしれないが、敵を打つのは脚で移動し、敵に当たる身体である。手はそれを補し、まるで脚で地面に立つかのように、敵と自分とを支えるのだ。それが重いある打拳となる。突きは脚が至れば手が至るのだ。上下相随である。思い込みを捨て、稚拙なを抜き、姿勢が作り出す構造的なを信じて、あまり気らず打つべし。

中国武術でよくいわれる内勁とは、内功と称される身体の内部に形作られるとされる、功(地)をベースに、身体の中から発揮される効率的なを、そうふんわりと形容したものである。

ある者は、それを気の働きによるものだと表現し、ある者は丹田の、ある者は呼吸であると述べるが、そのどれもが正しいともいえる。

また、武術に熟達する者からは、総じてそれは、筋肉ではいとられるが、胸椎から椎、腸、大腿筋膜筋へと繋がり、股関節の伸展をインナーマッスルである、大筋、腸筋、呼吸をる横隔膜などの運動と、それらによって刺される、内臓を包む腔、膜、直筋などに部や脚、背中に感じる感覚を、丹田の働きとし、筋肉ではいと形容しているものと理解しても構わない。

論、東洋思想的な理合でも、それによって導き出されるが、に有効であるならば、内勁の解説としては正しい。また精の働きがければ、いかなる勁も発揮出来ないのであるから、意念などの心の働きを重視することも正しいといえる。たとえ気功的な説明をされることはあっても、それは武侠小説で描写されるような荒唐稽なものではない。

他者の動きのなかに、内勁があるのかいのかは、経験者は、ある程度みてとれるが、それを批評し、強くそうだとする者の根拠は、過分に雰囲気的なものに過ぎない。

とくに自とは異なる身体操作をする者の内勁をみとり、ましてや実を正確に判断することなど不可能である。武術の熟達者の動きは、一見素人めいたシンプルなものとなる場合も多いのであるので、内勁も気の働きのように、自らが体現することで以てる、体感上のことであるともいえる。

内勁、功などは、その優劣を明らかとするなら、(果し合い)を以てしかありえない傾向の話題であるので、もしもの内勁を話題とするならば、内和で止め、外にいうものではけっしてない。

論外だが、重心の沈下を用いた発勁を、ただの落下運動であると誤解している者すらいるが、この程度の者たちと武術の技術論を、まともにり合っても話が通じることはない。

中国武術では、「高手(達人)の応敵勢に低架(低い構え)なし」といって、たとえの高い姿勢で動いていたとしても、その重心はしっかりと落ちていて、常に安定しているものである。

静止した状態において、自己が体感するは、重力によって感じる重さであり、この重さは、敵と接触したときに活かせるものであるが、位置エネルギーを用いて、打撃であるかのようにるのは、全く理がある。

たとえば、人間の総質量をMとすると、腕の質量は0.15M。その位置エネルギーが全て腕が持つ運動エネルギーに変換されたとするならば、9.8×Mh=0.5×0.15M×V×V。変形すると、V=130h。仮に1メートル分の位置エネルギーが、全部腕の運動エネルギーに変換されたとしても、拳速は時速41キロ理論的には、ここまでやってやっと、プロボクサーパンチほどの威となる。

だが、実際には、たとえば身長180センチの者の重心位置は、大体、足下から1メートルなので、落差1メートルを作りだすには、身長2メートルの者が突っ立った状態から、床にうつ伏せに倒れて、やっと重心が1メートル落ちた状態となるという有様で、位置エネルギーを直接、打撃に変換するという説が、いかに現実的ではないかというのは、これでお分かりであろう。

また、落下を大いにる者は、浮いて不安定になってしまうことのデメリット、初動の遅さや敵に乗ぜられる、きとなる部分をることがなく、技撃を前提とした身体操作とは思えない。ただ、非接触時での連続的な推進を意図し、歩法に活用している可性はあるので、武術的技法として軽浮からの落下の多用も、全には否定出来ないが、形意拳の伝統的な身法とは異なるものである。

闇にコンセプトの異なるものを混ぜると、武術として使い物にならないものとなる恐れがあるだろう。

くれぐれも注意しておくが、発勁はあくまでも手段であり、武術であれば、その的は、身を守ること、有り体に言うと、敵を倒すことにある。強い威の発揮は、この的のための一要素にしか過ぎない。

て、ことさらに発勁をセンセーショナルにとりあげて、武術の秘伝や義であるかのように言われたものだが、程度にもよるが発勁は、どちらかというと武術の基礎であり、学ぶための前提にあるものである。

発勁論については、以下にある「三層理」でも補足しているので参照のこと。

三層道理

形意拳では三層理(三段功夫・三種錬法)といい、の三段階に分けて拳を練ることを説く。

明勁

第一層の明勁(換功夫)では、拳足を素く動作させ「堅きこと鋼の如し」というように剛的に形を厳密に鍛る。

動作と呼吸を一致させ、発)、震脚などの発音が伴ってもよい。これが錬丹の三易における練精化気である。

ここで震脚について補足するが、震脚は打撃の質を変えることが出来る技法でもあるが、自己の重心沈下を確認する際の、分かりやすい安ともなっている。重心が浮いた状態では、その音は軽いが、各個重心まって重心が沈下した状態では、意図的に強く踏まなくとも、その音は自然と大きく鋭くく。

震脚は意図的に大きな音を鳴らそうとして、強く踏歩するものではない。重ねて言うが、重心が落ちているがゆえに、自然と大きな音が鳴るものである。

このような重心が落ちて安定している体勢が作れているのであれば、素速く軸足を踏み変えることも、前進後退することも自由自在である。

これはあらゆる門のものでもいえることだが、表演などで魅せるために、理やり大げさに強く踏んで打ち鳴らすようなものは、ちゃんとした震脚とはどなっておらず、単に居着いているものとなっている。それと架式と動作が適正であれば、震脚で踵を痛めることも、その衝撃で、身体を痛めるようなことはない。自己の理解の浅さと未熟を震脚のせいにしないように。

なにやら世間では、震脚を誤解している者も多くみられるのでさらに追記する。

震脚によって確かに、威の質は変わるが、震脚はに打撃の向上のために行われるというよりは、敵に踏み込んで打突した際、自分が敵にあたり負けしないように、インパクト間に、地にを打つように、その場に重心を固定化させることによって、その反作用を打ち返すことで、敵の位を奪い、突き飛ばす(刺し貫く)というのが第一の意味である。

このとき打拳は、慣性や身体の伸展のも加わり、敵の身体に突き刺さるようにのめり込み、相当の威が生じるのだが、これは半分オマケともいえる追加効果である。

納得出来ないのであれば、槍術銃剣道の試合でもやっていただけると、即座に理解出来ることであろう。たとえば、相手と突進し合い、同時に打突となったような場合、より強く震脚のように踏み込み、その場にしっかりと、重心を固定化させた方は、木の先端(タンポ)を胸当て(裏布団)に命中させたとしてもブレることなく突き貫き、打突をキメることが出来るが、これが疎かであると、相手の突進に負けてしまい、木は肩の防具や胸当てから簡単に逸らされて、一本となることはけっしてない。

もしこのような事態が、甲冑をまとったで突き合うような戦闘で起こったとすれば、致命的なことになるであろう。論徒手の攻防においても結局そうである。形意拳や八極拳など震脚を多様する拳術は、槍術が元となって生まれた門である。先ず震脚は、の操法(術、大でも震脚が用いられる)が反映された技法であることを考慮されて欲しい。

次に踏歩する際、後方斜め下方向に蹴り込むことで、下肢で生じた反作用を前方への威や突進に変えるという説を見かけたが、ど徒労であろう。編集者が学習した形意拳、八極拳、陳氏太極拳、太気拳、その他の武術でも、震脚は行われるが、それらは全て下に踏歩するものであって、前進、後退しない場合でも震脚が行われるのだが、問題なく打撃は前方にも発揮され、対に威を与えることが出来ている。

下肢からの勁を伝えるものは、何も露な前方への体重移動だけではないのである。それは、螺旋運動を用いて下肢からのを導き出す、陳氏太極拳勁であったり、台湾の武檀八極拳られる、身体を開くことで発せられる、十字勁のようなものであったり、太極拳全般でいう、全方向にである掤勁、あるいは太気拳でいう上下の、前後の、意拳でいう六面である。

これを「丹田と手が繋がる」、「重心を敵に送りこむ」と表現した達人もいたが、発勁とは、自己の重心をまとめ安定させることで、適正なバランスが保たれた強い姿勢を作ることが、最も重要な基礎となるのであるから、言葉足らず気味ではあるが、発勁を体現できる者にとっては感覚的に頷くものがある。

下手に地を蹴り出すように威を出そうとしても、それは武術の動きとして遅く非力で、摩擦を十分に活かすことが出来ておらず、結果、が途切れることになる。

それ以前に、人間格筋は、螺旋状にが働くようなスパイラル構造となっており、下肢からの自然と、効率的に上肢へと伝えられるように作られているのだ。

陸上競技においても、日本で長く保守的なコーチが教えていたような、地面を強く蹴って走れと導された選手は、世界的なレベルべてタイムが伸びなかったが、脚を回転を速くしろと説く、欧導法に則ると、途端に記録が向上したという例がある。

武術は状況により、地面を蹴る場合も蹴らない場合もあるが、前方に身体を移動させることが、強な発勁の条件ではない。下で紹介している、清武館の森本師範の分勁の動画のように、足を止めた定歩の状態でも、大きなを発揮させ、物体を打ち貫くことが可である。

それとよく混同されているが、軽浮の状態から、強制的に一気に身を沈めさせ発勁に利用する沈身と、重心を沈下させ安定させた体勢を保ち、これを発勁に利用する沈墜は、同じようでいて全く別なものである。

形意拳や八極拳の熟練した使い手が、前進して技を発する際にも大きく身を沈み込まず、の高さや頭の高さが変わらないのは、後者の沈墜を用いているからからである。

これがわからず高手の動きを見てが高く、沈墜勁がないと誤解する者がいるが、彼らはまだ浅い理解に留まった者である。

とはいえ、たとえば意拳・太気拳は、沈身が発の重要な基礎となっており、身体を大きく沈み込ませ伸展運動させる、の要領は、推手や組手などでよく用いられ、身体の沈み込みが悪いというわけではないのは注意しておく。沈墜と沈身では発勁の方法が全く異なるということである。

ちなみに武術業界で俗に、「疑似発勁」と呼ばれる、ブルース・リーワンインチパンチを表面的に模したような、宴会芸的な打ち方を披露する者もよくみられるが、このような打ち方には、の寸勁のような威はなく、重心の浮いた状態を作るため実用とはならない。

疑似発勁のよくあるやり方は、先ず手を開いてを伸ばし、拳を加速させるための距離をかせいでおき、次に身体を沈めると同時に腕を伸ばし、拳で打つ対擦り下ろすようにプッシュする。その際、後ろ足から前足に体重を移動させるなどである。中には後ろ足で蹴って、前方にスライド移動して打つことで、それを寸勁だと強弁する者も観られるが、そんなものは疑似発勁以下の代物である。

震脚をるのであるならば、生身の身体を打って、震脚がある場合とい場合を較すれば、その効果はるまでもなく明らかに体感出来る。

震脚を用いると威は炸裂するように効き、震脚を用いないと威は重く残るように効く、どちらも武術的に打たれると、ダメージがあるもので危険で、普段から単撃、排打功などで打たれ慣れていないと、試し難いであろうが、納得が出来ないのであれば、他の箇所を打つより較的安全であるので、相手の肩口でも互いに打って試してみたらよいであろう。

サンドバッグだけ打っていても、はっきり言って何もわからないのである。

ただ物体を推すだけならば、自己の質量と突進さえあれば、それらしくみせることは出来るが、修行者の誤解を増長させ、躓きの元となっている場合が多い。武術の打撃は単なる体当たりとは異なり、格技として使える工夫がある。

言っておくが、編集者は震脚が用法に全く使えないだとか、勁を生み出すために役立たないと述べてはいないので、誤解しないで欲しい。

ただ、やたら震脚、震脚と言い出して、その効果を喧伝することは、やたらと丹田、丹田、気のだと言い出す者たちに通じる、如何わしさを感じ避けたく思う。

なんにせよ、初心者思い込みから余計な工夫をせず、ただ自分の師と先人の教えに素直にしたがうべし。師の言った通りのことを地に学ぶことが上達のである。

あと編集者の師は、台湾大師の側近や、通備門の八極拳の達人に手解きを受けているが、彼らの八極拳には震脚が見られなかったという。

まるで次に後述する、暗勁のようであって興味深い。ちなみに形意拳の兄弟である心意六合拳においても、練習では震脚を伴った動作を重んじるが、実戦で用いるものではないと断言する陽心意六合拳)が存在する。

このように震脚には、意と気と身体を合わせる、練功法としての意味合いもあるのである。

暗勁

二層の暗勁(易筋功夫)では、意念を重視し、柔らかく綿の如き動作を練り慢練ゆっくりと動く稽古のこと。その反対を、快練という)となる。緩みの中で出せる勁を純化させ、明勁で得た短勁を、体のどこからでも発せられる長勁にしていく。

短勁とは、勁上の性質で区分された発勁の種類で、間的に爆発的な威を発する勁をいう。これを爆炸勁ともいう(驚炸勁とも称されている)。身体を震わせて打つ、弾震勁などもこの短勁の一種である。

それに対し長勁は、短勁とべてかなり持続的な威を発揮し、波状的な衝撃を体内に与えて損傷させるものである。柔勁とも称される。これらを打拳における間合いの長短の区分というような意味で、述べられることもあるが、編集者はそうは教えられていない。

形意拳でいう柔とは、ふぬけのようなものではなく、軟らかさのなかにも勁さがあるものが柔であり、剛も硬さのなかにも柔軟さ、やかさがあるものが剛である。この点は特に注意して欲しい。

暗勁では、呼吸は自然で発、発音は伴わない。練気化である。形意拳の歩法は滑らかな重心の移動を心がけ、後ろ足で、やたらと地を蹴り出して進むことをとても嫌うが、暗勁の場合、特にそのように意識して歩く

ちなみに物体が移動するとき体重も論、重心も必ず移動し、腕を僅かに上げ下げした程度のことでも、人体の重心の位置も変化するのだ。よって、発勁の際に重心移動は行わないという説は、物理法則から離れた、過分に雰囲気的な物言いである。

屋外で稽古して、跟歩で後ろ足を引きずる際や、摩擦を利用した螺旋の動きが入る回身動作など以外で、足を擦る音が大きく聞こえたり、体育館で稽古して、どんな動作においても、靴底と床が触れて常にやたらと大きな音を立てる者は、たしかにで見えるの動作手順は、正しいのかもしれないが、稚は用いないという古伝の理合による勁は、ほとんど体現されておらず、実はそれ相応であろう。

を自らロスするかたちで動き、果てはそれを、スムーズな動きで良いとも誤解している。理想は、たとえ滑りやすい氷上で動いたとしても、を発揮し滑ってバランスを崩してしまわないような歩法である。

この見方で八卦掌太極拳における練度や理解をも察することが、ある程度は可である。他のことではあるが、編集者が交流させていただいた太極武藝館exitの円山洋玄館長は、普段も床を蹴っては歩かれないことを底されているので、他の者とべてサンダルの底が摩耗し難いという。

太極拳シューズやスニーカーなどではなく、靴底がフェルト製の布靴で屋内で練習をしてみたり、靴底がプラスチック製の功夫シューズを履いて、屋外で練習していると、自然と蹴って歩を進ませるような動作がめられて良いものである。このようなグリップ性の少ない靴を履いてなお、スムーズに動ける者は、発勁を体現出来ている者である。

武術の使い方において、適正に地に立ち、身体を支えることで導き出される重力からのを、余すことなく活用することは最も重要なことである。

化勁

三層の化勁(洗髄功夫)では、剛柔を相済させて鍛える。緩急を伴った動作となり、練還虚である。ちなみに武術の緩急のコツに、網式というものがあり、緩慢に動く際は重いの投網を投込むように、 そして、網一杯の重量物を引き込むが如くの意を用いよとの教えがある。 編集者は、師から回身式を行う際に、特に注意されたことである。

このような意念を持って動けば 「緩」の際に、まるで下手な踊り同然の、勁の欠けたものとはならない。化勁は緩急の妙をとくに稽古する。「緩急」の「緩」とは、「のろのろ」、「ぐずぐず」、「がたがた」としたぎこちなくて、ただ遅いというだけの動きとは異なる。

また「急」も「発勁は箭を放つが如し」とはいうが、 みのようなの溜めが、やたらと外見に表されてしまったり、 ただ打ちっぱなしにしてしまい、 意思によって打拳がコントロールを失ってしまうようなもの、 つまり、速さで粗雑さを誤魔化したような動きをいうのではない。

武術の緩急には、動作の何処にも滞りのないものが要される。技の終わりは、次の技のはじまりなのである。つまり、定式(技の最後の姿勢)から、次の技の定式に至る軌跡である、過渡式が技の本体であり、定式とは、そのフォロースルーであり、フィニッシュの形に過ぎないといえる。

それとし脚からのパワーと、体重を拳に乗せたストレートパンチのような突きに憧れるなら、若いうちは存分に稽古したら良い。ボクシングを習うのは良い経験となる。

ただ、そのような突きは、敵を打ち倒すことが出来る、有効な打突ではあるが、形意拳など内拳が理想としている技とは、威の出し方が異なり、門コンセプトには沿ってはいない。

これを「突きとパンチは違うもの」などと述べる者も居るが、上手く言ったものである。

また、下肢、体幹から生み出したを、うねるように手に伝えて放つ、野球ピッチングのようなの使い方も、似ているようで実は武術からはかなり遠い。武術の技として用いるには、あまりにもモーションが大きすぎる。野球投手が投球する間、その手の先は時速100キロにも加速されるが、現実的な突き技として、このようなうねるようなを用いるとすると、全格闘技中最速といわれる、ボクシングのジャブですら、時速40キロ程度のものと過ぎなくなってしまうのだ。

また武術では、自らのバランスを保つことが出来ないフォロースルーは、そのフィニッシュが居着きに繋がり、敵に乗じられることになるので、避けられている。

古伝の武術の突きにおいて、キメ動作が嫌らわれるのは、同様の理由からである。敵を強く推したとして、敵に避けられたり退歩されると、たちまち前のめりバランスを崩してしまうような突進やプッシュも、実戦では悲惨な結果となるだろう。

大きなを発生させることが即、武術の発勁には繋がらないのである。戦闘技術の中で活かせ、敵を殺傷できうることに繋がるでなければ、武術の発勁とはいえない。

『功夫の勁は、正直にいえば制敵そして殺敵にある。つまりその殺傷を論ずるものであって、破壊を論ずるものではない』清剛 著 『中国拳法 秘伝必殺 』より。

化勁での動きは、定式があってないかのようで、それでいてさりげなく、見識が浅い者には自己流にも思われ、出にも見えて、整勁などいかのようにも思えるものだが、内勁によって技が発動されるため、威は外形に縛られはしない。

較的、さりげない外連味のい動きを見せて、化勁だと謳う者もいれば、がうねり、がとぐろを巻くかのような、奔放な動きを、化勁だと見せる者の両方がいるのだが、編集者には、そのどちらが正否であるかは、断言出来かねる。

編集者の師の形意拳は、間違いなく化勁に達しており、その真似事は出来るが、これだけが絶対の化勁だとは断言出来ない。

化勁は剛柔が相済しており、音を発しないという基準があるが、その内実を見極めることは難しい。

化勁にべると明勁、暗勁を修得することは較的容易だが、化勁は10人が10年、修練したとしても満足なものに達する者は、僅か2人程度のものとも言われている。

さらに後記する化勁の先にある、レベル4といえるような形の地と、化勁の区別がつくほどの見識や実編集者にはない。

編集者の個人的な説だが、意拳や太気拳は、形意拳の化勁、そしてその達した地を模したものだと思っている。剛柔が相済され、かたちのない姿は後で述べる、勁の姿を思わせるのだ。

話を戻すが、台湾に、強大な発勁で、物理的に人を引っこ抜くように浮かして、数メートルも飛ばしてしまう演武を行う、『易宗内研究』の創始者で、という、太極拳八卦掌、形意拳の伝承者で、発勁を修得したい者の駆け込み寺的に、非常に人気の達人がいる。

氏が述べることを要約すると、「というものは人は皆、先的に持っており、武術運動、特に站樁功によってそのを増強することが出来き、発勁が出来ない者ほど丹田、丹田というが、勁は脚から生ずるのだ」と説いている。

この認識は意拳や太気拳に近いものだと個人的に編集者は感じる。

というものは、対に対して働くとしては補助的なものであり、姿勢によって地面からの反を適正に導き出すことが正しいという説である。

これを「手を地面と直結させる」と表現する達人もいる。とはいえ、編集者の太気拳の師、松井は、この岳や、同様の見解をとる達人たちの手解きを受けたので、子である編集者も、その考え方に傾倒した理解であると思って欲しい。

とにかく、どのような説をとなえ、どのような原理であっても、結果として敵を打倒出来る発勁を、物理的に体現出来るならよいのである。

ちなみに岳は、もが利用出来る公園教授しており、組手を好まれる先生である。この先生に殴られると途端に切に教えてくださるそうなので、組手の導はぜひ受けるべきである。

神勁(無勁)

これら明・暗・化を「三回九転これ一式」というように、繰り返し、修練することによって「拳は拳、意は意、意の中にこそ意あり」という、と呼べる地に至ると形意拳は説く。

これは錬丹における、錬虚合(還虚合)と相合する。このように、形意拳における三段功夫とは、具体的なものであり、段階的な練習法を述べたものである。論拳の習熟具合、それぞれの地を表す意味でも用いられている。

『形意拳のは内丹術の学びに似たところがある。 三易というものがあり、それは練精化気、錬気化、錬還虚である。拳術にもまた三易があり、易、易筋、洗髄である。 すなわち明勁、暗勁、化勁である』『拳意述』第四章 深論形意拳 第四則から意訳。

とはいえ、現代では三層理で説くように順繰りに勁を練るシステムは、あまり一般的な稽古法ではないと思われる。

動作と呼吸を一致させ、発を伴わせることも、現代ではどみられない。極々稀に、を用いた表演を行う者もいないわけではないが、おそらく形意拳では、その流となった、戴氏心意拳ほどの多種多様な発法はないと思われる。

論、表には隠しているというのもあるだろうし、最初から達人の達した無音の姿を理想としているというのもあるだろう。

とは、気合のようなものとは異なり、横隔膜で腔を圧縮させるように発し、動作と意念を一致させ、発勁の補助とする技法である。

圧によって自然と吐き出される吐気を抑えたり、それに音を乗せるのである。陳氏太極拳における、意と同様の的のものである。編集者の形意拳では、五種類のものが伝わっている。これらの用法は打突を放つ方向や距離、用途によって変わってくる。

注意としては、形意拳でいう明勁、暗勁、化勁とは、太極拳八卦掌八極拳でいうところのものとは概念が全く異なるということも留意して欲しい。

これらは混同されやすく、中国武術修行者同士でも話がさっぱり通じなくなることがある。

形意拳以外では、暗勁は、外部から勁が見てとりにくい発勁や、接触状態から発せられる、寸勁、分勁、勁の類をす。

太極拳で化勁とは、における分法や運動、つまり、慣性モーメントに加算される、速度等を利用して、相手の攻撃を逸し、化するような技法をいうが、形意拳のものは、上記の通りである。

一説によれば太極拳でいう化勁は、形意拳のものの誤用であったとも言われている。

達人の地であるとして、浸透勁だ、なんとか勁だと暗勁の類の威を、ことさら秘の技のように喧伝する者がいるが、たしかに外(人体の外側)を打ち貫き、内背中にまで威を通す打法武術にはある。しかし人体でも固定されたものであっても、運動の第三法則に則り、打てば自分に反作用が返ってくる。

その緩和、緩衝のために半ば架式があり、自らの打突で、自分が突き飛ばされるような事態を防いでいるのだが、大木のようなものをチョンと触れて、全く反作用が返って来ず、あとから木がバッサバッサと揺れだして、葉が落ちるなどというは、マンガの中だけと、武術子に喜んでもらうために好んでいう、冗談の中にだけ存在する白髪三千丈のお伽噺である。

昔は技術書でさえも、読み物として面くするために、ゴーストライター編集者が提案して、面おかしく大げさに書いては、読者を楽しませ、ロマンを掻き立てたものであるが、それはそういう時代ゆえの罪のないサービスである。そこは察して読むように。

武術の達人の非現実的な逸話の多くは、砕けた表現になるが、とてもこの人、どうみてもヤクザとなんて戦えないなというオジサン武術に多い)が、の席で酔っては、先輩、知人から聞いたことを、ふくらませてる、法螺話しの武勇伝とさほど変わらないものである。

達人がいう「私が打てば人は死ぬよ」という類の言葉は、概ね嬌のある戯言である。いちいちに受けて真剣に聞いていると、師を喜ばせるかもしれないが、冗談を理解できない武術を学ぶ躓きの元となりかねない。

発勁で特に注意するが、武術では僅かに触れられた者が、簡単に跳んで行ってしまったり、それどころか触れられていないにも関わらず、操られているがよくみられるが、あれは一種の自己催眠、感応のようなものである。

稽古の中で、自然と師の技を察して忖度し、跳んでしまいたい気持ちになるのである。面いもので、物理的な発勁や技として成立していない触れ方では、武術の稽古を積んだ者が感応することはまずない。

編集者の形意拳の師も、編集者から威のある分勁(ほぼ接触状態から放たれるワンインチパンチの一種)で打たれると、威が突きる前に、を上げて自ら後ろに大きく飛び退んでしまう。それで怪しみ、今度はいい加減な打ち方をすると、師は全く反応せず、ちゃんと打ちなさいと注意されるということがあった。

太極拳ではこれを、(もっと高度で秘的なものであるというもある)などという。その他にも自分より上級者に技を掛けられると、自然と余計に忖度してしまい、触れられずとも技にかかりたい気持ちになったり、それが癖になっていたり、腕を掴ませるなどの限定した条件を定めた上で、例えば、相手から崩されやすい方向や度で、上手くかれたり、崩し技の際に、ある方向に圧をかけ、それに対して相手は抵抗し、をかけてバランスをとろうとする生理的な反応を利用するなどで、要領よく技をかけると、とくに回避を試みず(技から逃れる方法を知らない例もある)に、簡単に技に掛ってしまう、あるいは、このまま技を掛けられ続けると、関節を傷めるので、たまらず自ら転がって投げられるようなこともよくある。

門外には奇妙に思われるかもしれないが、あくまでも練習の一環であり、本来は怪を与えず技を稽古し、その練度を確かめるのに、都合の良いものであるので行われるだけである。

これらの稽古を意味のない、旦那芸であると断じ、嫌う向きもあるが、組手や実戦に活かせる技法となっている。実際の使用においては、必ずしもそのままの形で使用されるものではない。ちゃんとした崩し技や立ち関節技は強なもので、掛けられると一重心を浮かされたり、関節を破壊されるものである。

ちなみに、稽古の際に発勁で身体を打ってもらうことを、食勁という。師や仲間子から打たれ、技を掛けられることで、技を掛けるコツや技から逃れる破法が身につけられるのである。

論外だが練習によって、それなものを演出して見せる、詐欺まがいの演武もある。それらには構造的に強いを作っているようでもなく、バランスを崩すような動きも全く見られず、技に掛けるタイミングを見計らっていたり、視線で合図をしていたりするので、玄人ならすぐに察することが出来るが、しかし多くの武術未経験者は、それが武術の原理を以て魅せた技なのか、アトラクション的な見せ物なのかの見極めすら付かないのである。

さらには子が全に洗脳されたようになっており、信仰の高さを示すような演武をみせられると、武術未経験者すら困惑してしまう。果ては、このような演武をみて合気や立ち関節技は抵抗する敵には通じないと、勘違いする者さえ出てしまう。

最低だが、空気が読めず技が掛からない者に、場を辞めてもらうように圧をかける先生すらいるという。

強い架式を作る練習として、非常に有効であるが、歩などの架式を使って、複数人で推しても大丈夫という演武も、各人があまりにもバラバラに、本気で好き勝手に押し出すとまず成立しない。

そして、真剣白刃取りのような、武器素手の演武においても、を振る方の熟練、加減の具合がより肝要であるという。

ちなみに、特殊部隊の隊員同士でナイフで模擬戦闘を行うと、互いが刺されてしまう例が多いという。

これはある稽古会で確かめられたことだが、武術同士が集まり、検証のために、引きの日本刀などを使って、徒手で本気で物を自由ふるう者を、相手取る稽古を行ったが、結果は、実の高い武術導者、武道の高段者たちでも、何度となく容易にられ刺されてしまい、徒手で武器への対抗など、ほぼナンセンスなことであり、現実には非常に難しいことが判明した。

疑問なら、500ミリペットボトルナイフに見立てて、ナイフ取りの稽古をしてみたら良い。これだと怪をせず安全だが、間合いの中で自由に突かれると防ぐことが困難であることが分かるであろう。やがてタイミングを察してが慣れて、ペットボトルを奪えそうになると、今度は相手は奪われる前に反対の手に持ちかえて突いてくるのだが、これでまた振り出しに戻るわけだ。

この稽古ではナイフ取りは何十回とやってやっと成功するものであることが実感出来るであろう。

しかし現実には命は一回しかなく、失敗は絶対に許されないのである。失敗したのなら、稽古と違い次はやり直すことなど出来ないのである。

武器術への過信は非常に危うい。たとえば、昭和ヤクザ映画の中でよくあったように、白木のドスを抜いてを逆さにしたヤクザ素手で戦って勝ったよというようなことを、ペラペラとして述べるような者の与太話に惑わされないように。

白木は、実戦での使用や試に用いるものではけっしてく、錆びさせないように長期保管するために用いる容器にすぎない。その柄にも実戦で用いることを想定した強度や、クッション性などはない。

おまけに鍔がないために、手を滑らせると簡単に自分のをも切断しかねない危険な代物である。このように前提として絵事なのである。

プライバシー上、とはいわないが、本当にの中の実戦、多くの喧嘩の中をくぐり抜けた武闘は、文人タイプではなく、抑えられはしない恐ろしいまでの相応の気迫があり、一で敵に交戦を避けさせる怖さがある。

喧嘩十段

また、その武術に対する言動にはがあり、軽薄さとは縁で重厚である。物はか弱い女性子供さえも侮れない敵と変える恐るべき器である。当然の話しではあるが編集者が交流した、名のある強い武術たちでお聞きした限り、喧嘩であえて素手でやると述べた者はただの一人もいなかった。

だというのに、身内の間でのことで増長して、技に掛かる気がい外部の者に対して、勁や取りのようなものが掛けられると思い込み、悲惨な結果になる例も、枚挙にいとまがない。

驚くことに、長い武歴のある武術導者すら、こうした勘違いをするのである。

自らの技に絶大な自信があり、その技を信じられるということは、ある意味ピュアであるともいえるが、人が驚くようなパフォーマンスを得意げに魅せる者が、あっさり惨敗してしまえば、仮に優れたところがあったとしても、世間から、ただインチキの一言で後ろさされることとなるのだ。

勝敗は武術の常であるので、試合に負けるときもあろうが、そのような様をやたらと披露することは止めていただきたい。

錬功法 :静功・動功・排打功

站樁功(静功)

形意拳の基本功(基礎となる稽古)は先ず、内功を鍛える站樁(たんとう)、日本にいうと「」という。木の真似だとされ、地に打ち込まれたであるかのように立つ稽古からはじめる。

ちなみにすぐ下に貼って紹介している書籍と、この項紹介している、意拳・太気拳の大関智洋師範と、松井欧時朗師範、島村尚武師範の教習ビデオは、站樁を学ぶ上において、最適の資料となるものと思い推薦している。

意拳・太気拳は形意拳から生じた分で、形意拳と共通した教えを色濃く残した実戦的な武術である。

人は日常自然に直立し、歩行することが出来るが、実験では人間の身体の質量配分と、姿勢を再現した物体を立たせても、直立させることは出来ないという。

この結果は、立つという行為自体が、勁の働きの上のものであるのだから、至極当然のことであろう。つまり站樁も、身体の各個重心最適化させるバランス制御と、そのための筋肉必要不可欠な、運動であるとういうことを述べておく。

先ず最も基本となる「極勢(預備式)」は、肩を下げ腕を自然とおろし、足をえてっ直ぐ立った姿勢、並歩である。要領は(強ばったような不器用)を抜き、気(意識)を下丹田に沈める。上虚下実ともいう。この姿勢を立正式ともいう。ここから「渾元椿 :こんげんとう(別名を「定勁樁」、「三円式站樁」など)」や「三体式站樁(別名を「子午樁」など)」に移行する。

なお下丹田とされる場所は、東洋の武術にとって重心の要であり、形意拳では下丹田が人体における極とされる。っ直ぐ立った場合、人間重心の位置も、だいたいこの場所にあたる、盤内の仙のやや前方にある。重心位置を足底から計測する方法があるが、均的には成人男性身長の約56女子では約55の位置に重心はあり、重心線は後頭起から内くるぶしの間(重心点)となるが、重心は姿勢の変化によって胸の方にあったり、身体の外にさえ移動するものである。つまり混同されやすいが体重と重心は異なるものである。

渾元椿は、極式の足をえて立った状態から、左脚を自分の肩幅の広さの位置に移動させ、両脚を肩幅の間隔に広げて立つ。先の向きは行か、やや外側に向けてもよい。膝は軽く曲げる。高い椅子掛けるように立ち、といって肛門を引き上げるようにする。

股関節、胯をゆるめ上体は後ろに仰け反ってはならない。体重は先より湧のあたりにかかり、足ので地面をつかむように、踵は一枚分浮かすように立つ。踵にが居て、そのを逃してしまわないように踵で抑え、だが、を踏み潰して殺してしまわないようにともいう。両脚の間で球体を挟んでいるようなイメージを持つ。

注意としては脛の内側、内の拇球、土踏まずにがかかるように立ち、足の小側にを逃さないこと。これがである。ここからさらに胯を折りを落とすととなる。歩站樁は通常、肩幅より広い歩幅で行う。ちなみに太極拳などは一般的に踵重心を説くが、つま先重心も踵重心もどちらも正解である。ただ「双重の病」と呼ばれる、きのある居着いた状態を嫌っているのであって、臨機応変に動ける体勢であるのなら問題とはしない。日本においても、剣豪宮本武蔵は、居着くことは死ぬことであると説いている。

站樁中は最小限の姿勢を維持できる緊めて、余計なみをくすこと。下に沈み込む重力と、それに対抗する上に押し上げる(上下の)、物体を推すときに生じる前に倒れようとする、このに対してバランスをとろうと、後ろにもたれるかかる(前後の)という相反するを感じ、それらが理想的につりあった姿勢と、自己の重心をときおり内観すること。

次に両腕をゆっくりと上げ、を肩の高さから胸の高さにもっていき、両手の先を互いに向き合わせ、腕全体で大きな球体を、抱きかかえるような姿勢をとる。両手のの間隔は、拳2つ分~3つ分程度開け5を開く。でも柔らかく温かいボールを掴むように思いませ、開いたの間にも、綿のクッションが入っているように思い適度な間隔を開ける。

これを大を抱きこむようになどともいう。初心では仮想の球体は、強く抱きしめると壊れてしまう脆いものであるが、保持をしていないと、落としてしまうものと思い、適度な圧をめる。

ただ静かに立つだけではなく、大を抱き込むときは、そのを強く引き抜く、埋め込む、まわしてみるなど強く思い、動くようで動かない、動いていないようで、動いているという運動を試したり、そのボールが暖かなものであると思ってみること、ボールの弾や質量の増減を思ってみる。

ボールが膨らむ縮む、ボールは右に回っていくが掛かるのを、自分は左に回していくなど、相反するを素速くきりかえる、あるいは、全ての方向にがかかるなど、様々なイメージングを行うこともある。この際、自然と身体が震え、微動してしまうことがあるが、これはあえて意図的に行うものではない。

しかし、武術的な効果をよりく得ようと、これら意念を用いた練功などをやりすぎ、ストレスが過剰にかかると、気功偏差という、精や身体への病態をまねくことがある。その場合は意念を強く用いる稽古は絶対に止めるべきである。

站樁でありがちな間違いだが、気の迷走を防ぐため、視線は遠くを視てはけっして瞑らない。過剰な上気を防ぐため顔のを抜き、間にシワをよせたり絶対にしてはいけない。

を引き口は軽く閉じ、舌先は上の齦交の裏側につけておく。喉、首はまず、緩ませる。こうすると、さながら美味しいを飲んでいるような気分になることがあり、口のなかに唾液自然と出るが、気功では、これは身体に良い反応とされ、わきあがる唾液は飲んでおく。

これら身体のを抜いて緊を解くという教えは、別の言い方をすれば、最小限の緊を心がけよということである。

気功偏差では恐るべきことに、最悪、統合失調症のような症状となり、正常には戻らなくなることがある。

初期の症状としては、躁状態となり妄想、妄執が強化され、根拠のない万感に囚われる。怒りっぽくなり他人に対して尊大、傲慢に振る舞うが、本人はその異常に気づかない。

偏差で人が変わってしまったようになる者はかなり見られるのだ。これを防ぐため理はせず、気を下に落とすように心がけ、稽古中に何かを視たり、思いが起こったとしても、それはただの現であるとして、起こることについては、一切何も思わない、連想しない、追いめないことである。

宗では、気功偏差と同様な症例を、という。

もしも坐禅中に仏陀や観音がみえたとしても、それは悟りからは程遠く、で突き殺せとまでいう教えがあるほどである。

「気」や「丹田」の感覚というものは、自分の精、即ちが作り出している、動作や姿勢の標のひとつと考えるのがとても健全である。

統合失調症を患うと、体感幻覚幻聴など、物理的に実際には存在はしないものを感じ、非現実的なあり得ないことを信じ込んでしまうが、人はのようなメソッドを用いて都合よく秘をめると、統合失調症患者が普段見ているようなを見て感じることが出来ることも可で、やがて、その世界に染まり戻れなくなるかもしれないということである。

とはいえ、古伝の中国武術には、宗教呪いと結びついた門や功法が多数あるのだが、その部分に特に価値を置く者と、武技に価値を置く者とが、見識の異なりからしく対立するケースもよくあるのは余談である。

心の底から忠告するが、たとえば、私が気を与えたから成長があった、遠隔で丹田を調整したので、試合に勝てたというようなことを然と述べるような先生たちからは、物理的に有意義な技法が学べるとは到底期待出来ないので、即座に離れるべし。

それどころか狂気に狂わされてしまうことであろう。そんな馬鹿なと思って冷やかし半分で近づいた者が「ミイラ取りがミイラになる」のの如く、とりこまれてしまう悪例もみられる。

困ったことだが、武術や気功が自己啓発ニューエイジ思想、スピリチュアル趣味などと結びついて、まるでを操ることで、現実をも変えることが可だと説く、メキシカン・トルテックの魔術か、エドガー・ケイシー超能力まがいの様相をみせ、新興宗教めいたカルト集団化をしているケースが割とあるのである。

日本武道でも、これがある場合があり、初印でその場に新興宗教めいた雰囲気を感じたならば、そのことを忘れず、その信心業には深入りしないほうが良い。

もし自武術の到達点が霊ありきで、見術や霊を憑依させることなど言い出しているなら、それはもう呪いや信心行の世界であって、武術の範疇から極めて逸脱したものである。

かつて同様な見術などを行っていた、オウム真理教の例をみれば、いずれ外に対してをなし、先の危うさを感じさせるだが、こういった非常識に危険性を感じさせないように誘導し、安心させ、依存させるのが、カルト占い師の得意とするところである。

霊を降ろすことが出来るという者が、降ろす霊は、大抵のところの類であるという。低級な霊ほど、自分を偉大なであると称するものである。

ちなみに神道では降ろしを行った者に対して、知恵者2人が質問攻めすることで、偽をはかるという。悪魔憑きほどり、のことをよく知っているが、や利己的な物言いは隠せないものだと言われる。憑いた者を増長させを誤らさえる点にいては、詐欺師と変わらない。

詐欺師傲慢で、は騙されないぞと思っている、半端な知を誇る者を狙う。俗に学校教頭先生だとか、ワンマン社長らがその犠牲になると言われている。

邪な者は、とくにターゲット生活に行き詰まったのを見て、切にしげに懐に入るものである。善い人アピールをしながら、自分に心させ、較例として実際に善行を行う者を出汁として貶めては、自分は何かやったかのように振る舞うが、実際は善行をやったふりをするだけで何もしないのである。

手口は占い師と同じで、自分の養分となる者の気持ちを察しながら、その望む答えを優しげに与えているだけの話しである。

性善説の観点から考えると、彼らは想像を絶するほどの悪辣ぶりである。武術詐欺師でも同じである。重ねて注意喚起をする。編集者は、宗教オカルト自体を否定するものではないが、伝統宗教の本物の宗教者や者の姿は、スピリアル系のような、ライトなものではないことを知っている。

話を戻すが站樁の際、上からり上げられることと、下に落ちていく重さの上下のを同時に感じ、また前後、左右からのも感じてほしい。内部が充実した弾をもつ太極拳にいうと、掤勁ぽんけい)のある状態をめる。

ただふぬけたように、がぬけ柔らかいだけで眠くなるようでは、その站樁にはリラックス効果以外のものはいと思われる。気は昇り滞ると精は破壊され、降りて留まるままならば心は呆け、精弱体化する。

意識を全身に巡らせること。それでいて気を高ぶらせず、意識が落ち着いてくつろいでいる状態で立ちその感覚をめる。

注意しておくが1990年代以降、日本の古武道研究らがよくいうようになった「脱」という、日本語の表現から導き出される姿勢や動作は、必ずしも古伝の武術の要とは合致しない場合も多い。日本語で「」というと、盤と、回りのベルトを巻く部分の椎のことをすのだが、中国では盤から背部にかけて、椎から胸椎の下部までの広範囲をすものとなる。

中国武術は外武術であるので、その理解には中国語や、専門用は覚えておいたほうが懸命である。

中国武術で基本となる稚を抜いた状態、放鬆ファンソン)と表現されるものとは、が抜けきったものでも、気が抜けたものでもなく、柔らかさのなかにも、りのある状態を、そう表現したものである。の柔とは剛を含み、の剛とは柔を含むものである。

古人は柔を極めれば剛となり、剛を極めれば柔となるとたとえた。理想のの柔とは太極拳でいう綿中蔵針が近いのかもしれない。この放鬆の状態を得るために、を発する練功法まで行う門さえあるのである。

站樁をどれくらいの時間、どの程度の強度で行えばよいかであるが、自然める渾元椿は特にだが、前提として理に長く立ち続けることはめない。站樁は苦練を課す、空気椅子のようなトレーニングではない。

10分立てるのであれば、立てばそれで良いし、2時間立つ気分ならそのように自然と立てば良い。編集者の会ではいわないのだが、参考として形意門のあるでは、40分程度を薦めている。ちなみに太極武芸館では5時間は立てるくらいでないと、本物ではないといわれていた。

長く立つことを俗に、站樁マラソン(立マラソン)ともいうのだが、たまには気軽にチャレンジすると面いものである。

渾元椿を行うと肩の高さ、胸の高さで抱球姿勢を維持するのが難しいと感じるなら、手の位置を下部のあたりに下ろしても構わない。しかしどういうわけか、すぐに肩が痛くなって姿勢が保てず困ると感じるなら、自己の筋的虚弱さを疑うか、腕の上げ方に理があることを疑うと良い。

肩を落とし肘は適度に下げ、肘の下からも弾を感じ、背中に意識があり肩甲骨を開き、背中から腕を上げるかのようにすると、外部からの圧に強い抱球姿勢が作れ、疲れにくくもなる。これを、球気背抜という。試しに練習相手に自分の正面に立ってもらい、抱球した両腕を左右から手で推してもらうと、簡単にパタンと潰れてしまったり、逆に両腕を開かれると、容易く抱球を保てないというなら、この球気背抜が全く出来ていないということである。

また脚についても、重心が適正に落ちているのならば、歩で立った脚は重くなっており、練習相手に片足を掴んでもらい、脚を外側方向に開くように引っってもらったとしても、そう簡単には架式を崩されない強いが働いていることが、自分と練習相手の双方に実感出来るはずだ。

あと渾元椿で立った際、練習相手に前から推してもらうと、容易に抱球姿勢が潰される場合、それは腕が負けているのではなく、適正なバランスがとれておらず前後のが弱いため、推されて後ろに倒れてしまうことを、抱球姿勢を潰すことで自ら回避しているのである。

日々、站樁功を継続していけば20分、30分と自然と楽に立てるようになっていく。先ず5分を標に気楽に立つことを勧める。

正しく站樁を行っていると、気感といって、手や全身の各所、あるいは意識に何らかの感覚がわき起こることがあるが、前記の気功偏差を予防する意味で、これを追いめることは絶対にしてはいけない。

例えば屋外の薄暗い場所で站樁を行っていると、突如周囲が明るく見えてきたり、自分がなんでも出来るかのような万感がわき起こるようなことさえあるが、特に気にしないことである。

武術の強さというものは、敵とする相手との相対的な実差が基準であり、たとえ、このような秘体験紛いのようなものがあったからとしても、実用に足る強さが得られたわけでは全くないことは、特に留意すべきである。

呼吸は自然に行うが、落ち着かないのであれば自分の吸って吐く呼吸を観察する。周囲の物音は意識せずだが自然と聴いておく。その時、たとえ突然床に針が落ちたなら、その物音にさえ、いつでも敏速に反応出来るほど意識がめぐっている状態が作れるのであるなら尚良い。

あるいはリラックスめ、自分が風景の良い山頂に立って見下ろしているかのような雄大な気分、染みのお店で寛いでいるような、気らない気持ちを思い出す。シャワーを浴びているかのような、心地よい気分で站樁に臨むことである。

站樁は鍛錬することと、休息することがひとつになった気功である。

心であることが望まれるが、心になろうとして心を作り出そうとしても、最初は難しいのである。站樁の要を意識し、ひたすら没頭することで心になれるのである。

最初は脚が痛いとか、腕が辛い、周りが煩い今日の晩飯は何を食べようか、ラーメンにはチャーハンを付けるべきだなどと、とりとめのない雑念が起こって自然であるが、気を丹田に落とし、自己の姿勢を正して寛ぎ、ひたすら站樁という行為に没頭し、観たものは観たまま、に入る音は聴いたまま、あるがままを感じることで、やがて心となっていくことが可になるのである。

站樁功は、養生のための気功、心地よい健康法であると同時に、重心の感覚、整勁を知り鍛錬するための最重要の練功法である。

站樁が理解出来なければ、敵を打ち倒すことが出来る強な発勁の修得には、時間が掛かるであろう。これはけっして大げさに述べているのではない。

とはいえ、あまり気らず、木に囲まれた公園などの落ち着いた場所で気軽にを感じながら、のんびりやってみたら良いだろう。

ネット上には、『武術としての立』をまことしやかにっている胡散臭い輩が多い。
あまりにも多いので、いちいちくじらを立てることさえアホらしい。
しかし、そいつらが本物か偽物かを見抜くのは簡単だ。
素手素面、何でもありの屋外での組手・・・とまではいかなくとも、
最低でも、他のプロ武術プロ格闘と、
いつでもなく『ライトスパリング』くらいはできるかということ。
そういう場に誘ってみれば、すぐに化けの皮は剝がれる。
武術を標榜しながら、ぐちゃぐちゃ言い訳をして逃げるようなら論外。
「私は、スイッチが入ると、もはや自分をコントロールすることができない。私が、本気になったら、相手を怪させ、場合によっては殺してしまいかねない。危険だから私は立ち会いはやらない」・・・などといている輩は、紛れもない『正正銘の偽物』だ。
幼稚園児と戦って、本気で殴り殺す大人などいないように・・・自分のコントロールできなくて、どこが武術だ?本当にそういう制御不能状態ならば、の機を疑ったほうがよい。
今すぐに、病院に駆け込むべきであろう。
賢明な諸氏は、くれぐれも、そういう輩の戯れ言にを傾けてはならない。三保俊敬exit 太気拳創始者 澤井健一の直

動功

站樁で得られたような整ったを壊さず、円滑に動かし、勁の運用にフォーカスした練功を行うのが、動功での錬功法ある。これから本格的に套路を学ぶ際の基礎的な勁、身体の強さを養う意味もある。

極初歩の錬功でとても有用なものに、甩手スワイショウ)という、手を前後に振ったり、身をよじって勢いをつけながら両腕をでんでん太鼓のように振るなどのものなどがあるが、これらの説明は形意拳に限らず、中国武術や気功では極一般的なもののため、ここでは解説省略する。

本記事では、動功の中で特に効果の優れたものの一例として、捉把功を紹介するが、この他にも、定歩、歩での五行拳など、様々な練功法がある。

武術では、や用法はいくらでも明打文打)といって、一般開用に動作の要点を省いたり、殺傷効果の高い技法を隠して見せることがいくらでも可だが、練功法は要点が隠せないため、有用なものが外部に開されることは稀である。

それと、たとえ功夫を積んだとしても、明打はけっして暗打武打:明打よりも技撃として優れた用法・套路)にはならない。最初から理にわないものはものは、たとえ1万回繰り返したところで、合理にはならず迷走するだけである。

たとえば生徒に用法を教えるが、それが敵の反撃を前提とするものではなく、ちょっと身を捩られると外されるような、明打以下の使い物にならないものを教えておいて、「技が決まらないのは、お前の功夫が足りないからだ」などというような導者は、技をかけるコツも、暗打的用法も知ってはいないし、おそらく眼中の外である。「に技を聞くな」という導者も論外である。

本当に実のある導者は、有効的な用法をその場で様々に、即的にやってみせることさえ出来るものである。

本当の技とは心から生まれるものであり、招法とは柔らかくふれることにより自然と敵の体勢が崩れるものであるとる者も多いが、その理屈にも大いに頷く体験もあり、思い当たるふしもあるのだが、必死の戦いの中でそのように発揮されたところを、編集者は知らず納得はできていない。

鷹捉把(定歩双劈掌)

先ず三体式で立つ。三体式の手の構えから両手でさながら、で獲物を捉えるかのように、手で瓶の口を掴んで引き上げるように、自分の顔の高さまで手を上げたら、そこから緩やかに前方へ手を打ち下ろしていく。

引き上げる際は、後ろ脚に加重がかかり、身体は若干沈み開いていく。打ち下ろす際に身体を合わし前脚の方に重さが加わっていくが、前脚を地に釘のように刺すように固定し、背中から伝わる勁を、ロスく送り出す。これを何回となく繰り返して練る。

呼吸は引き上げるとき吸っていき、打ち下ろすとき吐いていく。この時の呼吸法は自然式呼吸のようになっていると望ましい。言い換えると、吸うときにも吐くときにもがあると言っていい状態である。

ゆっくりと緩慢に手を振っていくのも良いし、速く振り下ろしても良い。そのときは腕が洞で中に水銀の塊があり振るときに、手にその水銀の塊が移動するかのように、間的に鋭く発する。

この際、唸りのような念音と呼ばれる、の初歩的発自然と生じることがある。これが身体の内部で湧き起こるを、勁として具体的に外に発する練習となる。こので起こる横膈膜の運動が、丹田、背中からの勁を円滑に、抹消へと伝える補助となっていると思われる。

つまりこの錬功法は、丹田・脊髄を中心に縦回転で打つ勁(翻浪勁)を、これで増強させるものである。同様な錬功法に、やや弊があるかもしれないが、意拳の扶球試合気道漕ぎ運動がある。捉把は動作としては前者とほぼ同じものである。

排打功(対打撃免疫力)

気功をやって内功を積めば外功(硬功)と同様な効果が得られるので、不要だとする説があるが、内拳も古来は外功を非常に重んじたものである。外功も高度なものになり、極めれば内功となるともいえる。いわゆる硬気功である。

下の写真は形意拳、八卦掌太極拳の達人、王の排打功のデモンストレーションである。CIAエージェント、ロバートスミスに全で突かせている。ボクシング世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーは王のを突き手首を痛め、驚嘆したデンプシーは、多数の練習生を王の元で学ばせた。ヘビー級王者のジョージルイスも、王との試合を希望したが王を殴っても微動だしないことに驚き、試合をとりやめたという。

王樹金

武術では攻撃標として、敵の構える腕を狙うことは常套手段でもある。たとえば、腕をいて入り、さらに反対側の手に換えて、もう一度敵の腕を打ち、防御する方の手と攻撃する方の手を、素く入れ換えて、敵の腕を封手する、換手法という技法がある。

換手は、螳螂拳や詠春拳ジークンドートラッピングなどがよく知られているが、中国武術に限らず、このように両手を連環させて攻撃、防御する技法に、沖縄空手でいう夫婦手などがあり、武術の技法としては、いたって常識的なものである。

換手は受け技のようでいて、攻撃技でもあって、上級者のものは、まるで寸勁のような威が伴うのである。か弱い腕では、重心が落ちた功のある者に、ただ剛的に受けられただけでもダメージを喰らい、たちまち戦闘不能となるのである。

腕など打たれても気だろうと疑問なら、試しに、お互いの腕と腕とを勢いをつけてぶつけ合ってみてはいかがであろうか。かなり痛くて、それだけで腕を動かすのも辛くなることだろう。ちなみに編集者友人で若い頃、覚せい剤の密売人のボディーガードをしていた者は、喧嘩では敵の構えた腕を撲るという戦法を好んでいた。

部の排打であるが、これはただ身体を固めて耐えると誤解されがちだが、衝撃を逃がす工夫が絶対に必要になる。先ず第一に姿勢が要となる。 三体式のような架式自体に打撃背中側、下肢に逃し内内臓を守る防御が備わっているのだが、さらに工夫として肛縮腎があげられる。

下手にをくの字に曲げて耐えると、打撃の衝撃内臓を収めている盤の作る椀状のスペースにこもり、かえって余計に内部に効く破となる。身体は緩めるが上体の重さが載り、に圧がある姿勢を心がける。

適正な姿勢で立ち胸をとすることで、自然と実となり、態々をこめなくても、衝撃を吸収して反発させる、クッションのような働きが得られるが、これを利用するのである。さらにこの補助として打たれた際に(念音)を発して横隔膜の働きを利用し勁が内部に突きるのを防ぐ。

に頭を打ちつけて鍛える、少七十二芸のうちの頭功も、一般には、頭突きの威を高めるものだと誤解されやすいが、本来は、打たれたり投げられた際の衝撃に耐えるための、対打撃免疫を得る的で行われる排打功の一種である。

初歩的な練功法として有用なものに、中国武術では極めて一般的な、スワイショウと併用して行う方法がある。勢いをつけて手を振り回す際に、腎臓や肩をで拍打するように行うのである。

本格的なものとしては、自分のや顔を自分の拳で打つ。で軽く全身を拍打する。木に腕や身体を打ちつける。立った状態から極受け身をとらないようにして地面に倒れる。練習相手と互いに前腕や背中を打ちつけ合う。を突き合う。顔を当て止めのような要領で軽く突き合う。大腿部を軽く蹴り合うなど様々な方法があるが、けっして理はしないように行って欲しい。

排打功は、古来から先人が伝えてきた有用な練功法で、内功があれば外功は要らないなどと誤解せぬように。

むしろ排打功は外功というよりは、内功を表に現すものである。排打功の強さは発勁の強さにも正例するといわれているほどである。

練功法 補足 1:鉄砂掌功

功は、日本で流布された俗説では、敵討ちをする時に練られるなどとられるが、実戦であるなら南北、内、外に限らず、あらゆる門で行われ、多くの者が経験するメジャーな練功法であり、李書文子の系統の長八極拳でも、日常的に行われているものである。

ちなみに、台湾の長拳螳螂門の達人であった、故、高生師は晩年も毎日功を欠かさず、習慣とされていたという。功が完成すると内功のような効果があり、毎日袋を打袋せずとも、その功はながく失われることはいとされる。

はけっして、敵の生命を狙うために行うものでも、手をのように硬くするものでもない。

は、人を打った際に手を怪しないように鍛えるのが本義であり、この練功に通じると手を柔らかいが弾のある丈夫なものに仕上げることが出来る。また、さながらブラックジャック(革袋に砂が詰まった柔らかい棍棒の一種)のように、手を武器のように用いることが出来るようになる。

修練を積み功で完成された手は、皮膚がぶ厚くなって大きなとなることもあるが、しっかりとケアしていれば、外見上は鍛えていると悟られない、違和感のない手のままである。

あとに述べるケアを怠ると、ガサガサとした皮膚のな手となるが、これだと失敗だといわれている。中国武術では空手巻藁突きや砂袋を打つ稽古で作られる、拳ダコがあるような、一で鍛えていると分かるような手は、敵に警されるため避けられる。

は経絡、神経が集まる場所であるので、手荒く鍛えていると、途端にが冴えて、寝られなくなったり、視の低下、体調不良など、身体に良くない諸症状がよく起こると経験的にいわれている。

その為、砂袋を強くは打ちすぎず、回数もむやみに多くかないことである。練功の後はよく念入りに手マッサージし、漢方薬を調合したである洗で、手の炎症を抑えることがとても重要である。

用する補気としては、一般的に入手出来る「補中益気湯」や、「杞菊地丸(ちなみにこの、ボディービルダーがステロイドを使用する際、睾丸縮小を防ぐ的で用される漢方薬でもある)」で、代用可である。洗の調合も様々なものがあるが、現代では外用消炎鎮痛剤の「タイガーバーム」を塗ることで、代用されることが多くなっている。インドメタシンなどの、非ステロイド性消炎鎮痛剤は、筋肉が痩せてしまうことが知られており、この代用にはならないと思われる。

あと地面や立木などに、手や前腕を打ち付けても、同様な効果がある。編集者の学んだものは、打ち付ける回数に制限があり、片腕で40回ほどを越えてはいけないとされている。練功の開始時は、二ヶ射精を控えること。

性行為を行った場合、三日間は練功を止めることである。理由を医学知識の方から類推すると、射精の際、人間同士の信頼関係を高める効果があるという、オキシトシンというホルモンが分泌され、様々なメリットがあるといわれるが、反面、プロラクチンというホルモンも分泌され、これが筋肉など身体の蛋白質アミノ酸分解してしまう、別名、ストレスホルモンともいわれる、コルチゾールというホルモンの働きを強めてしまう作用があるからと思われる。

もしも練功で鍛えられていない拳やで、喧嘩となれば、すぐにご理解出来ることであろうが、素手で敵を強く打てば、手が腫れ上がったり、内出血はよくあることであり、翌日、手がどすく腫れて箸も握れないなどということはザラである。これではすぐに敵討ちに来られると窮地に陥ってしまうだろう。

ちなみに、龍清剛師の鉄砂掌の本exitは、バイオレンス中国武術の名著で、非常に裸々に武術られており、面いものだが、著者は日本中国武術の軽薄な現状をとても憂いており、読んでプライドを傷つけられて怒り、全く面くない中国武術ライト層も居るであろう。

師の双会の本部場は、京都北区の閑静な住宅街にあった、高い塀に囲まれた屋敷にあり(取り壊し済み)、その門は頑丈なで守られ、監視カメラも備わっているという、どこからどうみても、ヤクハウスにしか見えない建物であった。

それでの本で、興味を持った若者が見学に訪れると、応対には、またしても、どこからどうみても、ヤ◯ザにしか見えない厳つい者が現れ、「紹介状は?」と問うてきて、紹介状がいと知れると、凄い幕で怒鳴られて、たちまち恐怖で追い払われる有様であったという。

現在でもこの清剛師に直接的・間接的にを受けていたり、縁があった場は、実は関西を中心にいくつも存在する。しかしこの現代では、上記のような超絶塩対応はあり得ず、どの会も一般に教えられ、女性子供たちも和気あいあいと、武術を楽しんでいる。

記事の初稿を書いた編集者も、編集者の師たちも、清剛師に縁があった協会の会員である。

かつて双会で怪人が続出して、救急車で運ばれるような、ほぼノールールしい組手に明け暮れ、暴走族狩りを連日行っていたような方々も、現在は心優しい穏やかな姿だが、武術についてるときとなると、たちまち猛禽のような鋭い眼を放たれ、者ではないことを伺わせる。

練功法 補足 2:武術と筋力について

ところで、多少が出来るようになり、中国武術の理屈が、おぼろげなくわかった者たちが、大した根拠もなく侮りがちなものに筋があるが、実者同士が、武術の技法を尽くして争う攻防において、不利な体勢に追い込まれたとき、そこから切り返す役は、もっぱらの出番となる。しかしこれは、蛮といった不合理的なでは話しにならない。

められるものは地面とのバランスの均衡をとった上で発揮される全身一致のパワーである。

重心を効果的に用いられる、バランスが整った体勢、身体構造を維持するためには絶対に必要なもののためいと、簡単にいうと弱いわけである。

たとえば強い整勁と、それより弱い整勁が単純に正面から突すると、弱い方は負けて、たちまち崩されるわけだが、この勝負で勝ちがないときに、化勁(太極拳的な受け流し)が出番となるが、ところが、化勁もまた根重心であるため、筋から全く離れられるものではない。

技にを用いないと特にいう太極拳でさえ、数キロから2、30キロもある太極球という練功器具を持ち上げて、腕で転がしたり、実用での使用は、到底考えられないような高重量の兵器を操り、鍛えているのである。武術において、外部にを与えるは、重力根本を発する勁であるが、筋は、この勁に方向性を与える装置のようなものである。

東洋では筋肉は、五臓六腑を発する経脈に属する、経筋であると捉えられており、その運動には、方向性があると考えられている。勁は筋から発するという言葉も古来いわれている。

よって、筋肉を養うことを軽視という考えは、伝統的にも非常におかしな話である。

しかし筋ばかりに頼ると、たしかに武術として片手落ちであるが、若いうちは必死に稽古に打ち込み、全身のを鍛えるべきである。それが後々、歳をとったあとも、円熟した枯れた技を支える、確かな功として残るのである。筋トレのような強いを発揮させるトレーニングは、筋肉の動きを支配する神経を発達させる意味があるからである。その他にも筋トレを止めて、たとえ筋肉が痩せたとしても、筋肉の核細胞は残されており、年老いた際に筋の低下を防ぐ機が、人間の身体には備わっていることもわかっている。つまり、は鍛えれば鍛えるだけ貯が出来るのである。これを俗にマッスルメモリーといっている。

また、武術の先人たちは日々の練拳はもとより、現代人とは較にならない日常生活の不便さや農作業などの過酷な重労働の中で過ごしており、そもそも武術を稽古するにあたる前提とする基礎体が現代人とは異なっていたことを忘れてはいけない。

(下の写真子を導する吉万山(左)1903年生-1978没。形意拳、錦拳の達人。ボクシングレスリングにも通じ、1932年ロシアレスラーとの試合に勝利し有名となった。哈爾武術連合主任などを歴任

さらに練功法として筋が養成される、様々な効果的なレジスタンストレーニングも盛んに行っており、耕地腕立て伏せのようなもの。に体幹部と肩、上腕三頭筋を鍛える)、孩観音脚(片足立ちで行う足上げスクワットピストルスクワットのこと。下肢の底強化および全身を協調させたバランスを養成し、これで重心の移動を内観する。多くの者がこの錬功法を筋がないからできないと、錯覚・誤解しやすいが、実際は身体がその感覚に慣れていないケースが多く、最初はバランスをとるためにや棒などを両手に持って支えて行うことを勧める。ただ、運動強度が強く、膝に故障があるなら絶対に行わない方がよい)のような、自重トレーニングや、石鎖という、石で造られたケトルベルと同様な練功器具を振り、反動を用いて全身を協調、連動させることによって、運動に活かせる神経パワーを鍛える、現代の格闘たちも取り入れているような、けっして古めかしくは思えないような、フリーウェイト・トレーニングさえも行っていたのである。

ちなみに八卦掌伝説的な達人のひとりであったは、小柄な体格にも関わらず70キロもの石鎖を軽々と扱ったという。現代は太極拳ふるさとの陳溝においても近代的なウェイト・トレーニングが行われている。

ケトルベルは、先進的で研究熱心だったブルース・リーが、いちく取り寄せてトレーニングに取り入れていたが、西側諸国で脚を浴びるようになったのは、ソビエト連邦が崩壊した1990年代以降のことである。また筋トレなどろくにしたことのない者は、筋肉を簡単につけられるものと思いがちだか、逞しい身体を作っていくには、効果的なトレーニングと、筋の向上に合わせた、相応の負荷の増強、苦錬に耐える気力、栄養の摂取が必要で、そう簡単に筋肉など付いてはくれないものである。

よくわかっていない者は、筋肉が付きすぎたら々と絵事をいうが、に見えて筋肉を肥大させるなど大変なことで、筋アスリートのような見事な鍛え抜かれた身体は、半年、1年や2年やそこらの半端なトレーニングでは作ることはできない。

そして現代では、人類で最も速く動くことが出来る陸上の短距離走の選手も、驚異的な身体操作を行う体操競技の選手たちも、ウェイト・トレーニングで逞しい身体を作り運動を向上させているのである。

余談だが、米国の某専門が述べた説で、トレーニングジムで、ベンチプレス100キロを挙上出来る者は、成人男性のトレーニーのうち僅か500人に1人程度ということがよくいわれている。

たまに体格のよくない者が、自分は100何10キロは挙げられるよ、というので驚いて聞いてみると、チェスト・プレスマシンの話であったり、それも盛りがキロではなく、運動強度を表す数字であったりして拍子抜けするのだが、フリーウェイトとマシンでは挙上を成功させるフォームの難しさと、要される筋が大きく異なる。ベンチプレスの成人男性均的な挙上重量は40キロ程度だといわれている。

ちなみにフィギュアスケート浅田真央選手は、現役時代ベンチプレスを45キロトレーニングしていたという。プロレスラー棚橋弘至選手は入門から数年の時点で、ベンチのマックス140キロであったという。

成人のトレーニーが、ベンチで100キロを挙上出来るようになるまでは、編集者の経験上、真剣に挑戦し続けても1年から1年半、またはそれ以上かかるものである。しかしだというのに100キロを挙上出来る程度では傍から見て、まださほどに見えて筋肉が付いたようには見えないのである。

ちなみに日本人は体質的にたしかに欧人とべ、筋肉をつけ難い傾向もあるのだが、その民気質にも一因があるといわれている。日本社会ではさが特に、美徳として尊ばれるので、つい成果の出ないトレーニングだったとしても、に打ち込んでしまうことがあるのだが、これがマラソンのような持久系の競技であれば、努がそのまま成果となる場合もあるが、筋トレの場合は全く異なるのである。

かえって日本人よりも根気が続かず、飽きっぽい気質の外国人の方が、鍛えて成果が出ないのであれば々にそのやり方は止めて、別の合理的なアプローチで工夫するので、筋肉に新しい刺が得られて日本人べて短期間のうちに、逞しい身体を作くってしまう例が多いと、フィットネス業界ではいわれている。

それと日本世界べて、筋トレダイエット常識ガラパゴス化しやすく、下手をすると何十年と遅れている。たとえばアーノルド・シュワルツェネッガーボディビルの師であった、ジョー・ウィダーが創刊し、世界で多言版が発行されている、米国最大手のフィットネス誌といわれる『マッスル・アンド・フィットネス』に、15年以上昔に書いているような、コレステロールの話しや低炭水化物ダイエットなどの健康情報が、何年も何年もと遅れてやっと日本で一般的に話されるようなありさまであった。

あと日本人は、昔ながらの腹筋運動はやると辛く、鍛えたような気になれる種のせいなのか、いまだ筋トレの基本であるかのように好まれるのだが、海外では、とっくの昔から軍隊である米国陸軍海兵隊フランス外人部隊においても、シットアップは効果的ではなく、を痛めるものとして忌避され行われなくなっている。

編集者の知人のベンチプレス世界大会で2位になった者は、腹筋が見事に割れているが、シットアップなど、一度としてトレーニングメニューに組み込んでいなかった。何事も昔ながらの方法が、良いとは限らないのである。「昔は俺らもやっていたから若いのもやれ」という考えは伝統などではなく、老害となった愚か者の特有の思考停止であり大害悪である。

また合気道の開祖、植芝盛など、など不要だと説いた達人が、実は人並み外れた大変な持ちであった例もある。がある者が説く「はいらない、を抜きなさい」というのと、全く貧弱な者が妄想的に全否定することは、と地ほども違うのである。

開祖の技には「碗を持つくらいので良い」という言葉を聞いて、碗より重い物を持たないなどやっては愚かである。

中国武術においても、南中央術館の少門長であった王子も、「大千斤王」と讃えられたほどの怪力の持ちで、石鎖功など様々な練功法を導したが、外見上は達人然とした好々爺といった姿であった。

王子平

達人に筋肉質な者はいないとする説があるが、を着ていると、一見痩せ細ってひ弱のようにみえても、実は鋼のように鍛えられた身体、という武術しくはないのである。極端な撫で肩をしていて、肩が落ちている者は、そのようなタイプであることが多く、武術の熟練者の明的な体のひとつなので侮れず注意を要する。

武術には、沈肩墜肘という、肩甲骨を下に落とすという教えがあるが、これには打突のインパクトの際のブレを少なくし、勁を効果的に対に打ち込む効果がある。肩が上がり、が不適切に開いて肘が上がっていると、関節の遊びが大きく、威を逃してしまうのである。論、肘関節、肩関節に適度な度を作り、インパクトの際に、効果的に対を貫くように曲打する、圏捶(フック)や、栽拳(下方に打ちおろすフック)のような技法もあるのだが、それは深闇にが開いているとか、肩が上がっているようなものとは異なる。

注意しておくが、武術では下盤(下半身)と、下で紹介している、双会の寺岡氏(故人)の写真で現されているように、体幹を重視して鍛える。足の強さはあればあるほど良いのである。

武術では「拳を練って、腿を練らねば、老いては悔いのみが残る。拳を練って、功を練らねば、老いては何も残らない」とも言われるほどである。

敵の身体に打突を当てた際、当たり負けせず勁を突きすには、腕を突き上げる上腕三頭筋や大胸筋よりも、後背部の筋が強であることがめられる

ちなみに武術では、立てせやの枝を強く掴んでぶら下がったり、懸垂を行う功があるが、この際の握力背中から掴めと導される。

そして脚を上げることと、股関節の運動に最も重要な大筋などのインナーマッスルも、強であることがめられるが、反して四肢の末端は、やたらと太くなればそれが重りとなり、せっかく体幹で発生させた速さを損なうことになる。

武術では脚の動きから遅れて、手が動くようでは遅いのである。鍛えるにしても、アームカールのような、に上腕二頭筋を鍛えるだけのような筋トレは、運動パフォーマンスの向上には繋がらず、駄で特にである。

そんなことをやるくらいなら、勁の養成のために、手のひらに皿を置き(置いたつもりでも良い)落とさないように腕を色々と動かし、手とスジを捻る練功(螺旋功八卦掌の練功法)を行うことを勧める。

ちなみにダンベルカールでも、較的軽い重量を持ち、反動を用い捻じり挙げて鍛える、スクリューカールは、運動パフォーマンスの向上に役立つといわれているのは、武術で行われる手首を捻る錬功法と共通点があるのかもしれない。逆説的となるが鍛錬で反動を用いて鍛えることで、反動を使わない身法が身につくのだ。

山西の形意拳では三体式站樁の際に、老師がバケツんで、それを子の前手の手首にバケツの取っ手を掛けてやらせるということもあるが、これと似たような稽古をするなら、軽めのケトルベルでも代用出来るであろう。

西洋的な筋トレをするにも、ボディーメイク系のチャラいものや、ボディービルダーのやるような、個別の筋肉に効かせ、効果的に筋肥大を狙う鍛え方では、武術格闘技において、使える筋肉にはけっしてならないと断言する。かえって運動が下手になるケース立ち、これがスポーツ界において、長く筋トレが忌避された理由でもある。

なので筋トレ全般を忌避するのは前時代的な迷信でもある。

だが、パワーリフティングが基本とする、ビッグ3と呼ばれる種の、ベンチプレス、デッドリフトスクワットは、全身をまんべんなく合理的に鍛え、全身を一致させて発揮させる大きなパワーを、身につけるのにとても有用であるので勧める。

それと、ウェイリフティングの基本である、ジャークを繰り返すことも勧める。クリーンジャークは、下肢から発生させたを、反動を用いて上体へと伝え、重いものを軽く扱うことを練習するが、これは武術の技にも通じ、スタミナも養成される。これらで鍛えられない場合は上で紹介した、ケトルベルやブルガリアン・サンドバックは役に立つだろう。重心でなるべく立ち、反動を用い、筋肉にあまり効いていないのでは?と疑問でも、疲れるまでやって欲しい。

ちなみに先に荷重をかけたトレーニングを勧めるわけは、脚のハムストリングスを鍛えることで、武術スポーツに活かすことの出来る筋と身体の使い方を得るためである。脚を鍛えるにしても、昔の日本で盛んにいわれていたように、踵重心で鍛えていくと、大腿四頭筋の発達とべてハムストリングスが不十分となり、適正なバランスが取れない、スポーツに活かせない身体で、しかもボディーメイク的にカッコいい身体にならないという、とんでもないが知られているからだ。

ちなみにミスター・オリンピアに出る怪物的なビルダーたちのような、自然では絶対にあり得ない筋肥大を望むなら、日本においてもアナボリックステロイドでもプロホルモンでも、なんでも海外から安く取り寄せられるので、飲んで鍛えまくってハゲでも、内蔵肥大でも、なんでもなればよい。

下肢を鍛える練功としては、上記で紹介した片足立スクワットの他にも、九宮穿といって、片脚に全体重をかけ深くを落とし、片脚に座り込むような低い縮歩に近い歩幅の虚歩(南拳でいうで、前足をやや引き寄せた立ち方)で立つ、站樁功もある。これはアイメトリックス的に脚を鍛える方法であると同時に、重心沈下の感覚を掴むためのものである。

戦う段となってから、筋肉パワー恐怖しては遅い。武人が武人らしく鍛えられた身体をしているのは当然のことである。脆弱過ぎるひ弱な功夫であることなかれ。まだ若く鍛えられる時期に鍛えずして老人のような身体をしても、将来鍛えた同年代に嫉妬するのがオチで愚かしい。

ちなみに反射神経や持久は、青年期を過ぎると共に自然と低下し、そのピークは20歳代前半にあるが、筋のピークは、それよりも遅く、30歳代前半から40歳代前半がピークだといわれている。筋系競技のアスリートたちが長く現役で居られるのはそのような理由からである。

つまり中年からでも鍛えるには遅くないのである。鍛えるのは今である。

尚、虚弱すぎる者が理をして過な練功法をすると年寄りの冷のようなこととなるので、練功の強度の設定は功の向上に合わせたものとして欲しい。

交手法(応敵理論)攻防原理・眼法・歩法・応敵勢

攻防原理

形意拳では危険な招法も、口伝的に伝わってはいるが、この動作は必ず受け技である、これは中段突きであるというような単純に固定化されたの解釈は定めてはいない。

防御の中に攻撃があり、攻撃の中に防御があるのである。

形意拳は前進して打つことが強調されるが、引き手をとってただっ直ぐ敵に突き進んで打つなどという理解では、たちまち顔面を殴られ撃退されて終わりである。

ちなみに形意拳に限らず武術では、引手をとる動作のある分解は、突きの蓄勁や予備動作などではなく、掴んで敵の体勢を引き崩して重心を浮かせ、据物にして打つ、あるいは引き手をとる際に、敵の攻撃を抑え、敵と自分との間にをかけて打つことなどを暗示している。これをという。半歩崩拳などでも用いられている、形意拳で特徴的なの操法を徒手に応用した技術の一端である。

打つために態々引き手をとって、いちいち構えるなどという理解では、テレフォンパンチどころの話しではない。攻防の中で自然と引き手が取られるのが理想である。

さらにいうと、形意拳の打法は、露に引手を取らずとも打てるようになっている。寸勁・分勁などは、形意拳を学んだのなら、出来てあたりまえであり、いきなり遠方から、投機的に飛び込んで、単発で打つというよりは、敵の攻撃を迎撃し、極めて近接した間合いに入って、寸勁でもって戦うような招法である。一旦打ちこんだなら敵が身を引くのに乗じ、たたみ込むように連攻し、打打打というに連撃(打法)をもって敵の反撃を許さず、一気に粉砕してしまうのも倒すためには重要である。

ジグザグに踏み込み、斜めから入ることで度を利用し、敵の攻撃を未発に抑えながら、迎撃を行うという教えもある。形意拳の戦闘法は敵の技の威が、十分に発揮される以前に潰してしまう迎撃、相打ちが基本コンセプトであるが、硬打硬進するにしても自らの都合だけを考慮するのでは妄想の類である。

万全な体勢をとっている敵を、ただ打っても、十分に効かせることは出来ない。敵の重心を浮かせ、崩す必要がある。これを「起はヤスリのごとく落は鈎竿古代兵器の一種。穂先に鈎のように、内側に湾曲したが付いている)のごとくあれ。」という。これは必倒の打撃の大原則である。

この重要性を鑑み、武術ではよく敵の中門をとれと教えるが、ただ敵のん中に打ち込むという理解だけでは浅い。懐深く踏み込み敵の体勢を崩し、その位を奪うのである。

武術の攻防はバランスの奪い合いといっても過言ではないのだ。これを崩勢法ともいう。その際、最も有効なのはカウンターである。まるで錐やの穂先をもって突き刺すかのように、相手の攻撃の圧を逸し、自分の攻撃は命中させる相打ちに、形意拳の頂がある。形意拳ではこれを、円錐交叉法という。これは攻撃的な防御ともいえる。

形意拳でいうは、太極拳にも同様の概念があり、連随連黏随ともいう)と言い表している。「」とは、敵の体につくように接触することをいい、「」もまた、敵と離れない性のことをいい、どちらも摩擦のことである。

摩擦とは、固体表面に作用するに対するブレーキの事を示し、先人はこれを活用せよといっている。「」と「」は攻防において、敵の動きに対し、臨機応変に対応することをいっている。

単に敵のに逆らわないとやっているだけならば、自分が敵にコントロールされるだけである。太極拳でいう「黏連、黏随して離れることがない」は、形意拳の戦闘法のなかにも含まれるものである。その摩擦は、柔らかなだけではなくヤスリのごとく強く、腕と腕が擦り合い、あるいは打ったところが擦られ、火傷のような擦過傷にすらなってしまうことすらあるほど強である。

形意拳が接近戦を得意とするのは、特に以上の理合からである。

起鑽翻落起落翻鑽)という要がある。

形意拳の動作要領、勁面をすもののみと誤解されることが多いが、戦法をし示す教えである。

「起」とは起動すること、技のスタートす。敵に踏み込み身を沈ませ、次の「鑚」で突き上げ束身し、敵の反撃を潰し避けつつ、手を翻して封じ「翻」、最後は敵に一気にトドメをさし、終わらせることを「落」という。技の終わりである落勢で、この要で述べることは完結する。

また別の教えでは「落起」「翻讃」だといわれている。虚手(一種のフェイントとなる仕掛け技)である落で相手を迎撃し、敵に反応をさせる。これが即ち起である。その反応を利用して、こちらは手を翻し、讃して実打するのである。理想は落起の段階で、敵を打倒していることが望ましいとされる。

落は落命に通じ、起は去である。古来「起は矢の如く落はの如くあれ。」というが、敵を打ち倒す威のない虚手など、敵にとっては脅威とはならず、端から無視され、何の意味もなく正面から顔面を打ち抜かれて撃退されるのがオチである。虚手にも必倒の威速さめられるという教えでもある。

形意拳の攻防における教えは、迎撃の速さを特に説くが、こうして発せられる威冷勁と称する。

特に注意しておくが、戦う正当な理由があり、敵を打倒すると決めたのなら、恐れる心を知らぬものとし、人間だと思って情けをかけてはいけない。これを(残という意味)という。

冷酷にすることなく、人ではなく、さながら雑草でも薙ぎ払うかのように、仕留めるまで、けっして攻撃の手を休めないことである。

なぜなら、戦意を喪失したようにみせて、敵は敗勢を装い、反撃を試みているかもしれない。情けやは油断に繋がり、その報いは必ず自分やする者たちに、襲い返って来るからである。

実戦は組手ではない。敵に命運をまかせ、こちらに容赦をしてくれることを期待してはならない。

仮に敵に打倒されたとしても、気を抜いてはならない。編集者の学んだ場では、倒れていると、殴られたり踏まれたり、蹴られたりと追撃がされ、果ては実際には外されるが、側転で跳び上がって踏み潰されることとなるため、その場で防備に起き上がるようなことは出来ず、必ず身を捩って転がって距離を置き、絞柱スターフィッシュキックアップ)などを使って、素く起き上がる、構えて防御をした状態で起き上がるなど、必ずしなければならない掟であった。

現代の中国においては、武の際、暗黙の了解的に転ばされることが負けたことと捉えられ、双方の生命とメンツを守る方便的なマナーとなっているが、本来であれば倒したならば踏み潰し、いは、まるで柔術のようにグラップリングを仕掛けトドメを刺す。着法のなかには寝技に対する回避法まであるのである。

実戦は突発的に起こり、短時間のうちに生命に関わる重大な判断を強いられ、極度の緊奮状態の中に置かれる。

そこでは組手の時以上に、「こう突いて来たらこう返す」というような固定的な用法を、いちいち頭で考えていてから使おうとしても難しい。

怯えの心があり、動揺していては、必ず敵に打ち倒されることとなる。闘争心を鼓舞させることである。

そのためには普段の稽古から、実戦の場に居るかのようなづもりで、稽古に打ち込むべきである。戦える心理状態、臨戦態勢を作ることを学ばなければ、武術の技はどんなに巧妙であろうが舞踊と同然で、実戦ではけっして使用可とはならない。

たとえば口が悪くなるが、ゆるい武術オタクたちの練習風景でありがちなのだが、普段から師に技を掛けられて飛ばされては、ヘラヘラと笑っているような、山戯た態度で稽古していては絶対に駄である。

真剣な闘争時に生じる奮は、普通なら痛みで唸り倒れてしまうような、強いダメージですらも無視させ、戦いを続行可とさせるものであるが、フルコンタクト空手など、直接打撃制の格闘技を学んでいると、このことを自らの身体に感じる痛みとして実感し、経験するので、真剣に稽古に臨む重要さが自然と分かるものだが、排打功も組手も行わず、身体に打撃を当てないような稽古を続けていると、実戦における心理状態の重要さは全く軽視されてしまうのである。

など上手になり、発勁など小利口に分かったとしても、実戦で使えないものであるならばそれは武術ではなく、武術詐称し侮辱する、噴飯もののお遊戯にもなりかねない。

恐れの心があるのなら、そもそも、まともな稽古にもならない。相手がたとえ自分の師であろうが、先輩であろうが、いくら強かろうが相手も自分と同じ人間である。過剰に格化して怯れる必要はない。

人が動くとき必ず攻め入る機会がある。その時、相手に怯え、痛みを恐れていては機を逃し、かえって怪をすることになる。

実戦においての理想の心理状態とは、恐怖と怒りの憤りを圧し殺し、迷わずただただ、戦いに没頭することである。意識を極度の緊状態におき、戦いのブレーキとなる余計な感情を途切れさせ心とする。

俗にいう冷静狂気の状態」を作り出すのである。ふと気づくと技が発動していて、敵が倒れていたというであれば非常に宜しい。

雑念があって、敵の動きに動揺していては武術の技は使えない。恐怖いものとし勇気を奮い立たせ、攻撃も防御も技は、その時の自分の手に任せるのだ。

倒れるかどうかは相手の勝手だ。自分ができるのは、ただ打つだけのことである松井欧時朗 重力を使う!立パワーより。

眼法(目付け)

敵の攻撃を察知するコツは、視線を一点に集中させるのではなく、相手の全体を周辺視野を使い、ぼんやりみることである様のような落ち着いた、どこを視ているか分からないような表情となる。このとき付けは地面を基準にをとり、視線をむやみに動かしてはならない。中国武術ではこれを、という。

形意拳ではさらに猴相といい、心を残とすることで、口元には自然と微笑みが浮かぶような、戦闘を効率的に行える、ある意味狂気的な心理状態を尊んだ。このようにすれば敵に惑わされず、手は自然と効き、防御も攻撃も円滑に行うことができるのである。

ちなみに二視は、バランス感覚の補助ともなり、その有効性は照明が少ない薄暗い場所で、練習してみるとすぐに分かるであろう。普段人間は、バランス制御に視覚情報をかなりの助けとしているのだが、ところが、暗闇では、基準となる周囲の風景把握困難となるため、バランスをとって動くことが間よりも困難となっている。たとえば、暗い場所では、独立式や方向転換がある套路の動作が特に難しくなるが、それはこのような理由からである。

八卦掌の開祖、董目隠しをして藪の中を全疾走しても転ばず、怪もしなかったという逸話があるが、これは二視とも関連性があることである。の薄暗い屋外での稽古を重ねると、自然バランスの安定する付を身につけることが出来るのである。その結果、聴勁(敵の僅かな兆しを読む)も磨かれることになる。他にも互いに目隠しをしての対打練習も効果的である。

歩法

形意拳は歩法を重要視している。進歩に用いられる代表的な歩法に跟歩(こんぽ:ゲンプー)がある。技を発する際に同時に前足を半歩前方に踏み込んで進み、その後、後ろ足を前足の進んだぶん引き付けて技を終える。この際、明勁では震脚を伴う。

震脚は、踏み込むときに前足で行うのがもあれば、引き付けるときに後ろ足で行うのが、踏み込み引きつけの両方で行うもあり、それぞれである。この違いは得意とする戦法や用勁の違いで生じたものと思われる。

跟歩、それ自体は同様な後ろ足を引きつけて継ぎ足を用いる歩法は、あらゆる格闘技にみられるが、形意拳は、とにかく前進するで打つと説く会では、これを特に強調していう傾向もある。

実は跟歩には打突の威を高めるコツも内包されている。敵の内内臓)に効かせる打法に、二度打ちがあるが、例えば崩拳を放つとき、踏み込むと同時に拳を当てるが、この威はこのままでは人体の外(皮膚・筋肉格)のもつ弾性に散らされ、内部には十分に効かせられないのだが、一旦この反発を架式と腕の螺旋、脚の螺旋、即ち袖勁(螺旋勁)で飲み込み、続いて跟歩して後ろ足を引きつけると同時に、袖勁を開放させ第二撃を打ち込むことで、敵の内を外ごと打ち抜くという打法に活かされる。

後方に退く歩法の退歩であるが、形意拳は退く際も攻撃の意を欠かさず、退歩崩拳などの技を伴わせることが多い。退歩しながら発する技には、借勁といって、敵の突進が自らの攻撃に転化されるため、前進して打つ技に劣らない威が生じている。

敵に対して斜めから攻め込むために用いる歩法が、編歩墊歩ともいう。斜め前方45度に踏み出すこと)してジグザグに進む歩法の践歩であるが、存義がそのように稽古する必要性を説いたように、すべての五行拳の移動稽古においても、寸歩(半歩踏み込むことをいう。前方に進むことを上歩という)だけではなく、別の言い方ではこの三才歩あるいは反三才歩から翻って(これを翻三才歩という)、敵の懐に斜めから入る歩法(中国武術では一般的に、ともいう)、退歩などでも練習すべきである。

敵の打突に対し、度をつけて入ることで、そのインパクトゾーンを外し、威をまともに受けずに済ませ、敵の弱いサイド側に攻撃を行うことが出来る。また敵に狙いをつけさせず、被弾する確率を下げる意味もある。注意としては斜めに踏み込むことを、敵に悟らせぬように行わうことである。ジグザグに攻め込むことで翻弄し、敵に有利な体勢をとらせず、際などに追い詰めていく戦法も常套手段である。

膝を抱え上げ、踵から踏み込んで着地させることを虎歩といい、そこから、つま先をパタンと着地させて歩を進める一連の動作を鶏歩という。この歩法で膝を抱えあげて進むことを強調するものを、摩脛歩)と称している。編集者のところでは、炮拳や虎撲手を練るときに、践歩と併用して行うことが多い。歩法中に蹴りが暗示されている。足で脛の内側を擦るように進むことから、この名で呼ばれる。

その他にも、踏み込む歩法には、換歩という、後ろ足からがいほ:足の内側から踏み込み踵、土踏まずを正面に向けること)して踏み込み、軸足をスイッチして踏み変えることで、玉環式(別名を剪子股式。高架の半座式坐盤式)である、脚をクロスさせて、踏み込んだ架式のこと。その際、劈打と踩腿を伴う場合は、そのまま形拳の倒上となる)となり、そこから前方に進む、あるいはそのとき、八卦掌扣歩擺歩のように、踵を軸にさらに方向転換を行い、素く小さな動作で敵のサイドに回り込み、脚を引っ掛けて転ばせるような技に変化させることもできる。

疾歩(槐歩)といって、尺取りが進むかのように身を沈みこませ、前方へ大きく踏み込み跟歩して進む歩法もある。このときマンガの描写などでよくあるように、極端に浮いて跳ぶようにしてはならない。軽浮の状態を避け、極重心を下に落とし、安定させたまま移動することを心がけること。

大きく踏み込む際、古武術のいう縮地などと誤解して、やたらと遠くに跳ぶことを考えてはならない。疾歩は、敵の不意をついて遠くから跳びこむことよりも、攻防の中で敵の攻め気が止んだとき、その後退するに乗じて用いる場合に、より価を発揮する。

敵の見ているところから跳び込んだところで、し蹴りでも合わせられて、悲惨な結果になるのであろう。

疾歩にめられるものはあくまでも速さである。進退の速さは、敵に勝つための絶対の条件である。

応敵勢(構え)

三体式を構えとして用いるとするは、割とよくあり、これは較的伝統寄りな教えでもあるのだが、片手を伸ばし、前方に突出させることで距離をとり、攻防間を拡大し、のように用いることには、メリットと同時に大きなリスクがあることには留意する必要がある。

腕や手を掴まれることが先ず一つ。次に差し出した自分の腕を、換手法などで攻撃されることである。

また自らの手が視界の邪魔にもなり、敵の攻撃を察知することが難しくなる。は特にを掴まれてしまうと容易に手を抑えられ、編集者が以前怪をして手術した時のように、簡単に靭帯を断裂させられてしまう。ちなみに小笠原礼法でを作る際、を開かず、人差しにつけるのは、をとられる危険性を回避するためだという。

ちなみに手を抑えられたり掴まれたら、自ら手首を捻って、掴みを外してしまうのが難である。ここでや技で勝負しようとすると怪の元である。総合格闘技などでも手を取ることは禁止であるが、このような理由からである。

では、どう敵と相対すべきかであろうか。敵の拳足の届かない位置では、いちいち腕を上げて防御の構えをとる必要はない。

敵にこちらを攻撃する意図があるのであれば、後で述べる着法の中の誘敵勢(待敵勢)を以ってあたるのだ。こちらに近づいて来る不審者や敵に対して防備であってはいけない。いつでも攻撃することが出来る体勢をとる必要がある。ちなみに不審者に対しては、必ずを上げて警告し機先を制すること。

手を構えるのは敵が間合いを詰めようとした頃合いで良い。注意しておくが、構えはボクシングの試合であるように、肘を引いて両拳をの前に置いてパンチの予備動作兼、ガードに用いようとしては、素手の攻防においては最悪である。

たとえば、機をみた敵に突進され、両手首を手で抑えられ、自分の手を自分の顔にぶつけられるなど、自らの攻防間を自らで狭めたゆえに、敵からあらゆる攻撃を自由にされかねないのだ。論、組技に対しても防備である。両拳を引いた構えは、グローブという敵の拳を遮蔽する防具と、手を突き出して防御してはならないという、ボクシングルールゆえに成立する構えである。

構えは先ず、敵との適切な間合いをとり、被弾する確率を少なくするように位置取りを心がけるのが前提である。危険な間合いに、いつまでも不用意に留まらないことである。

これは対多人数戦では特にである。また、敵が攻撃をして来ないのであれば、仮にお互いに攻め込む手段を見いだせず、お見合いとなったとしても、競技の場ではく、実戦、護身ならば、それはそれで大変結構なことである。

とはいえ、攻め手がい状態では、決着はつかないため、敵のきをつく必要が発生する。しかし戦いおいてきとは、見つけ出すものではく、作り出すものである。これを中国武術では、漏洞と呼ぶ。

攻める手段で有用なものは、虚手であるが、守ることに有用なものが誘敵勢である。

誘敵勢とは、姿勢を変化させることできがあるように見せ、敵の技を誘う対敵姿勢である。

例えば極基本的なものだが、太極拳極勢(空手自然立ちのような構え)で立つにしても、敵に正面を向けて立つ場合と、斜めに半身で立った場合とでは、敵の心理的に選択しやすい攻撃手段は変わるのである。

正面を向けて相対する場合、自分の側面に手を降ろしていると、敵は側面へのうかつな攻撃は実際そうなるのだが、受けられてしまうと感じ、の防御が開いている、正中線を狙いたくなる。

斜めに構えると、敵は的が小さくなったように感じ、同時にからの前側の手で攻撃、防御されるリスクを思わせ、攻める際は難に、側面への圏捶やし蹴りなどを選びやすくなる。

またこの時、姿勢を低くし手で下段、中段を守る気配をみせ、あえて上段の守りがおろそかであるように開けておくと、敵の上段への攻撃を誘うことになる。

とはいえ誘敵勢は、知識がある者に対して露に用いると、容易にこちらの意図を見破られることになるが、敵に攻撃を仕掛けさせることできを作り出し、迎撃を以って倒すためには有用な手段である。

ちなみに前蹴りが届く位置は、多少踏み込めば、互いの突きが届くか届かないかの間合いである。誘敵勢はあくまでもこの間合のうちで通じることであり、この距離よりも間合いを縮められたならば、敵の来たのを、こう受けてこう返すなど、のんびりとした戦法は一切通用しないと思ってよい。

これは日本の古流、新陰流でも同様の教えがあって興味深い。突きが確実に届く近接で見てから技を回避することなど、どんな達人でも理がある。

組手で難な構え方としては、意拳や太気拳の丁八歩のような、やや半身の構え、つまり、後ろ足にの貯めがあり、前足も自在に動かせることが出来る、三体式のような重量配分で立ち、腕はを抜いて両のを敵に向けて適度に前方に伸ばして向け、の高さに手を置く、組手構えが使いやすい。

この構えで立てば、喰らえば即一撃で倒され兼ねない、上段への攻撃の軌自然と手が邪魔し、容易に手で遮ることが出来、腕を伸ばしきって構えていないため、たとえ敵に前腕を打たれたとしても、まるで折れしといった感じで、こちらは腕を翻してやれば、楽に防御反撃が出来るため、敵にトラッピングのようなものを仕掛けられるリスクを極めて低下させることが出来る。

また中段、下段についても、攻撃は手で払ってしまえば防御は容易である。これは上段への攻撃についてもいえ、敵の攻撃はさながら自動車ワイパーで、についた滴を拭き落とすかのように払ってしまうのである。あと便宜上、「構え」とここでは書いているが、構えだとかガードだとかあまり思わない方が良いと思う。差し出す手はまるで昆虫の触のようなセンサーであると思うと、半ば反射的に敵の攻撃を遮ってくれるものである。

ちなみに形意拳における受け技のようなものは、1.鑚拳や横拳等で敵の攻撃を遮りながらカウンターを狙う(円錐交叉)、2.切や前腕で敵の拳足をり払う、3.法で敵の拳足を巻き取って反撃(架手)、4.敵の拳足を槌やで拍打、などで概ねこれらの応用である。空手道の基本技にあるように「何々受け」というような受け技があるわけではい。形意拳では受け技も攻撃技も区別はい。余談となるが古の空手もそうであったという。基本の突きや基本の受けは空手沖縄から内地に入ってから、を基にそう分解整理されたものである。

戦いにおいて防御を考えないファイティングスタイルなど自殺に等しいが、守るばかりで攻める気のは怖くはなく、敵に見抜かれ、容易く押しつぶされるものである。構える際は常にこちらからの攻撃の気配を醸し出すことである。

さらにいうと、矛盾するようだが、こちらの攻め気、待ちに入ったところを敵に読ませないことである。常に動くことは間合いの攻防において重要であるが、ここで攻めるな、ここなら攻められると、容易く敵に読まれるような動きを自らしてはならない。表情もそうである。戦う時は気高い顔をして、感情を表に出さないことである。苦しいときに辛い顔をしては、敵に乗じられる。

現代格闘技が生み出したフットワーク、ステップは効果的ではあるのだが、あまり上下前後への細かい動きを意味に行っていると、相手も同様なステップワークを用いているならば、問題は出にくいのだが、伝統武術のような、落下を用いない歩法を用いる相手に多用すると、こちらの後ろに重心移動するタイミングを読まれた際に、素く間合いを詰められてしまい窮地に陥ってしまう。

これを知り悟らないと、上級者相手の組手では、毎回のように100100中で技を抑えられては、相撲の突っりよろしくまで推し飛ばされ不思議がる破となる。たとえばヨーイドン!で戦闘体勢を整える癖がついている者相手に、体勢を整え終える前に攻め込めば、容易に不意をつけるが、これを短いスパンの中でやるような戦法のことである。

攻め気や守りに入ることを読まれ易い者は、得てして自らで読まれやすくしているのである。

単撃(用法対打)

ここでは順歩左劈拳の用法示例を紹介しよう。

初歩的な用法だが、三歩を用いて敵のサイドに入って打つことを練習出来るので、覚えるときっと様々に応用が効き役立つことであろう。

とはいえ、編集者が組手で、このような用法を仕掛けられた経験のない、初観の者に使用すると、フルコンタクト空手の師範クラスを含めて、多くの者が対応出来なかったことは言及しておく。

こうやって斜めからジグザグに入ることで、敵の注意の盲点を突く消える動きとなるのである。

【1】(甲)()は、お互いに向き合って三体式で立ち、(互いに片方の立と立をかけ合わせ相対して構えた状態。交叉法の入りの状態を暗示している。)にて、お互いの左をかけ合わせて相対し準備とする。

【2】(甲)は()に対し左立をかけ合わせたまま、 右足を右斜め前方45度に編歩して踏み出し(この際、上体はっ直ぐ相手に向けたままとし踏み込みを覚らせないように)、続けて、右手にて()の左腕をりつけて換手しつつ、左足を右足の位置に引き付けて縮歩(前足の先を虚歩のように立て、歩幅を詰めた上歩しやすい架式)となり、()の左斜め45度の位置に両足とも全に踏み込む。この際、換手を行った右手を鑚拳の形に変化させ(起鑚)、()の左腕を圧しつつ、続けて打ち出す劈拳の為の発射台を形成させる(実戦ではこの時点で右鑚が()の顔面を打ち貫くことになるが、 危険なのでこの場では暗示に止めている)。

【3】(甲)は縮歩の体勢より左足を()の双足間に向けて踏み出し、 同時に()の首筋の左側、肩口を左根の小をもって点撃にて打ちつける(実戦では顔面を打つ。注意としてはこの際、肩口の下を狙い過ぎて鎖骨を打ってはならない。これは打ち込む者が鎖骨を打って、手を痛打することを防ぐ意味もあるが、もしもこの劈拳で鎖骨を折ってしまった場合、丁度、この場所が欠に近く、折れた鎖骨鎖骨下動脈を傷つける怖れがあるからである)。(甲)は劈拳のインパクトと同時に右足を引き付けて震脚し、三体式の姿勢となる。()は打ち込まれる際、理に打突に耐えようとはせず、劈拳の威に身を任せ、後方に滑り飛ばされるようにして逃れること。下手な排打功で衝撃を飲み込むよりは、むしろこの方が受けるダメージは少ない。

【4】(甲)役と()役は役割を交代させながら、この単撃の練習を交互に繰り返す。

【破法】(いかなる招法も口伝によって、打ち破ることが可だといわれている)。(甲)がの左側にサイドインする際に、こちらは踵を軸に(甲)の移動する方向に旋回して、(甲)の正面に向き合ってやれば、(甲)は側面から劈を打つことは出来なくなり、(甲)は編歩の分だけより次の行動が遅くなるため靠撃()などで迎撃するのは容易い。

用法対打の練習は、最初は痛みに堪えられず、あざだらけとなるだろうが、これで実際に人を打突する際の要領が学べ排打功の基礎ともなるので、繰り返し稽古するべきである。若いうちは少々打たれたくらいで、社会生活に支障などなく、健康することもない。むしろ鍛えられ強健な身体を作ることが出来るのである。

五行などの対錬套路も慣れたのなら、顔面への打撃以外は、相手に打たせた上で、打拳に対して切で封手し、退歩することで、突きの威を軽減させる工夫や、相手の打拳に貼りつく練習をするべきである。絶対に打拳が当たることのない遠間で、スローペースの寸止めや、当て止めが前提の約束組手など、いくら繰り返しても、それはの動作を覚えたというだけで、に有効な対人練習となっているとは思われない。

ガラスのようなボディや豆腐のような顔面では、一発食らったらそれでおしまいである。達人でもないのに、自分が一方的に相手のパンチや蹴りを一発も受けないで勝とうと思うのは、相手をであると思っている思想に他ならないのである。

タイのムエンタイ・ボクサーと一度闘ってみるとよい。私のいっていることが全に立されるであろう。彼らは常になぐられ、蹴られて、その中を苦練して生き抜いてきたのであるから、その打たれ強さは想像を絶するものがある。これは、ムエンタイに限らずいかなる格闘技においても同様だ。ファイターと名がつく限り、バキバキ打たれても、簡単にはくたばらないように鍛錬されているものである。

高手でもない者が、ちょっと中国拳法のこむずかしいことがわかったという理由だけで、こうしたプロファイターを一発で倒せるというを見てはならない。 』清剛『中国拳法 秘伝必殺 』より

における実戦中国拳法の雄、拳法の総帥であった、清剛もこうっている。へぬるい功夫であるべからず。上の写真は、師と双会幹部の玉井兄弟が、今はなき香港の九砦の中で撮った記念写真である。地元の者にもうかつに中に入っては生きては帰れないなどと恐れられた、世界有数の犯罪多発地帯で、香港マフィアたちが蠢く巨大スラム街であった。

功夫高手(本当に強い達人)は、皆温和であるという。それは浅い交際の人に対する中国の礼法であり、客気なのである。しくなった者同士、武術を談ずるとき、そうした高手は何かにつけて、へぬるいのを嫌う。例えば、ヘヤースタイル装さえも、高手はへぬるいスタイルは好まない。私の知っている範囲の強い武術は皆そうなのである。もし、そんなことはないという人がいるならば、その人は今までに本当に強い高手に会ったことがないか、あるいは会ったことがあったとしても、それほどしくしてもらっていない拠である。(健身芸術)はあくまでであり、急に(武用格闘技)に転向することはできないのだ。清剛『中国拳法 秘伝必殺 』より

散手(組手)

上の単撃で紹介した、手から相手の腕を抑えて打つなどの例は、まだ実戦用法として、そのまま用いるのには理がある。手からでは実際の交戦において発生する、敵との攻防間の奪い合い、俗にいう間合いの攻防が省略されており、敵がこちらの行動に対して、対抗処置を行うということに留意する必要が、大幅に減じており、実際の戦いの様相からはかけ離れている。

相対稽古が手から始まるのは、あくまでも便宜上のことである。昔、日本で散打大会が盛んだったころ、中国武術の者が、日本拳法や大塾など他の格闘技の者と試合をして、よく投機的に特攻のような突撃をしてで突いては、難なくエスケープされ、距離をとられて小刻みに一方的に打たれたり、カウンターで、一撃で沈められるというが観られたが、これは間合いの攻防を知らず、くっついた状態からの技しか、ろくに稽古していないからであろう。

聴勁の練習とは成りうるが、相手と接触してからの攻防練習だけでは、たとえ何十年稽古を積もうとも、まともに戦うことなど不可能である。手脚、身体の打たれ強さを養う練功(排打功)を行い、単撃(用法を練習する約束組手)、対練套路(形式の約束組手)、散手(定まった技の応酬から離れた自由組手)、博撃(より真剣勝負に近い形式の自由組手)と進み、組手慣れをして経験を積み、自信をつけておくことは必須である。現代は便利な防具もあり、組手や試合を行わない理由はない。人を殴る練習をしないと、いざというときに心理的な抵抗もあり、容易く人は殴れないのである。

このような逸話もある。かつての中国では、武士階級が支配した時代が長かった日本とは異なり、武術武術ステータスは非常に低く、野蛮なものと忌避される傾向にあったが、日本武道や欧での格闘技盛をみて、中国武術技であるとする機運がしだいに高まっていった。中華民国年代に入ると、中国武術には正式に「」という総称が与えられ、術には民の健康を増進させ、その精を高め、近代国家を支える精強な兵を育成する役割が期待されるようになった。

1928年には国民党之江将軍プロジェクトリーダーとなり、術の研究機関として「研究館」が設立され、これがのちに、「中央術館」と名称があらためられ、術の全的統一機関としての役割が与えられることになる。中央術館には、内拳最高の達人であると認められた孫堂が、武当門長として招聘され、中国全土から英図など、約400人もの武術が集められ、孫堂らが大会審判長を担当し、「第一次術考試)」という、優秀な武術を選別する大会が開催された。

そこでは徒手による格闘の試合も実施され、抽選によるトーナメント形式で選手の対戦が組まれ、防具、金的、喉への攻撃のみが禁止、反則3回で失格、ただし重大な反則行為が認められる場合、即座に失格という過ルールで試合が行われたのだが、それで判明した事実は、対戦はまるで素人の喧嘩のような殴り合いの様相を呈し、互いに相手を倒すことが出来ず、とにかく引き分けが多いという結果で、絶招(使用すれば敵を必ず倒すことが出来るとされる招法のこと)だとか、武術(実)のある者が打てば、一打で相手は必殺だというような、武術の誇大宣伝的な迷信意味さが白日のもとにされたことであった。

技撃の研鑽を真剣追求しないのであれば、武術は形骸化し、戦う技術としての有効性は保てないのだという事実が、明確となったのである。中央術館では、その後もこういった試合や組手が行われ、ボクシングさえも大会が行われ研究されていたのである。

どうか現代に武術を志す者も、この先人たちが実された前例を摯に受け取られ、熟考され、修行されて欲しいと願う。

それと組手は擂台(らいたい : レイタイ 中国武術での試合の場)で争われるような、勝ち負けを決めるものではない。あくまでも稽古の一環であり、互いの配慮と忖度があって成立するものである。

ガチスパーだといっても、やたらと危険な真似をする者は嫌われ、結果排除される。打撃技を全でぶつけ合うことは稽古では危険であり、普段から素手素面で殴り合う組手を行う、太気拳ですら通常は避けられるものである。

理想は、まるでがじゃれ合って遊ぶように、あるいは、子供たちが公園で遊ぶ仮面ライダーごっこのように、相手をしてくれる者と遊ぶかのようにやるのである。

その中で技を試し、良い技を放てたのなら自分の中だけで喜び、相手に良い技をもらったと感じたなら、心の中で自己の未熟を反省し、次に活かすと心得、相手の見事な技巧に敬意の念を持つことである。負けた体勢に追い込まれても、勝ち負けを決める場ではないので、そこで理をして勝とうと足掻かないことである。そして追い込んだ方も、察して相手を危険な体勢に追い詰めないことである。こうすると事故が防がれ大きな怪もなく、組手稽古が出来るようになる。

それと、このような稽古では俗にいう、組手ゾンビはとても嫌われる。まともにもらっていたならば、倒れるであろう技を、相手に気遣って止めてもらっているというのに、それを無視して気で突進してしまうような行為である。これでは兆しを察し、間合いを読む稽古に全くならない。本気の(腕くらべ、試合のこと)でも、そんなつもりだとしたら、たちまち殴られて、近づくことすら出来ずに倒されて終わりである。武術では相手の手脚を物だと思う認識も必要である。

どれほど強かろうが、自分勝手で自己の強さばかり誇り、自分より弱い者に対してリスペクトのない者は多くから嫌われ、結果孤立し、自然と上達は阻まれ、去っていくものである。

『君は人より強いよ。だから負けたら恥だ、後れをとったらプライドが、自分が許せないと考える前に、推手や組手は一稽古と考えなさい。それを良く考えたら後輩には、のある組手をしてあげなさい。』澤井健一

編集者の経験上のことだが、達人といわれる本当に強い先生は覇気があり、恐ろしく見えることはあっても皆、根は優しいものであり、その反面、武術格闘技で優しさに欠け、他人の感情を神経に軽視して不快させる言動が立つ者、周囲の献身的な優しさによって、先生と御立てられている、反社会性を見せる者たちは、師の権威だとか、門下での序列を頼りとする、増長した批評家自称達人、フォトジェニック旦那芸を魅せるだけの大した実の持ちではない者たちばかりであった。

キツイ言い方だが、彼らのような者たちは、自己だけを愛し、自らの中で思い込んだ正しさを振りかざす、他者への共感性に欠けた病人であるのかもしれない。

このようなタイプは虚勢をはり、外面を取り繕うことは巧みだが、肥大したプライドの持ちで、弱みを見せかねない同好の士が集うような検証の場に出ることや、他との交流を異様に嫌がるので、すぐに分かるであろう。

また組手をやっていたとしても、事故で相手から思わぬ痛打を受けると、当てられてしまった自己の未熟を顧みず大騒ぎして怒り、相手をなじったりする様で、武術らしくない、女の腐ったようなたちの悪い者がわかるときがある。上手い相手に手加減をしてもらって重な勉強が出来たというのに、実戦では自分が勝っていたつもりになっている痴れ者がわかったりと、組手は人間の本性がわかるものであったりもする。

武をして、万が一負けたとしたら、流が破れたことになるので駄だなどと、大げさに論点をずらして身内に述べるやからもいる。

日本武術の界では「実戦はオワコン」などという、寝言のようながまかり通りつつあるが、2021年現在中国前の格闘技ブーム中で、武術好者の数は著しく増加し、陳氏太極拳など伝統武術も盛んに武を行い、使えないもの、戦えないものは、淘汰されつつある現状にあるのは皮的である。世界的にも積極的に、MMAの試合に選手たちを送り出している門も存在する。

日本中国武術や古武術の界で、妄想的な者や、すでに強さを諦めたような者は、得てして武道競技の選手たちの試合や格闘技の試合を武術ではない、ルールがあり実戦ではないとくが、アスリートは名誉を賭けて、怪や死のリスクすらある、厳しい勝負の世界に身を置き、日々さらなる高みをして、研鑽を続けているが、これが実戦でないとするならば、実戦とは、一体どれほどの過酷な闘争をすのであろうか。戦場での戦闘ストリートファイトであろうか?

素人のプロ野球ファン野球中継を観て、あれこれ批評するように、傍から言うだけならなんでも述べられるものだが、武術は自身が実践するもので、実されなければ他人の信用は得られないものである。

自身のひ弱で覇気もなく、荒事などとても出来ない有様を客観的に鑑み、口を慎まれ、武術全体を愚弄するのは止めていただきたいものである。

武術は試合が全てではないが、程度の低い武術好者の実戦を持ち出した、雰囲気的な物言いの口功夫マウンティングは、在来武道や他の格闘技の実践者たちから、非常に悪印に思われ、中国武術が蔑まれて見られる大きな原因となっている。

適度な負荷で効果的なボディーワークがしたいなら、『あへあほ体操exit』のような、専門のボディーワークとして創られたワークアウトや、スポーツクラブスタジオレッスンにあるような、各種トレーニング、ボディー・コンバットヨガピラティス健康太極拳で済むであろう。

あえてわざわざ怪をするかも知れず、先人たちが摯に伝えた戦いの武技であり、突き詰めると必ず苦錬と技量の確かさが要され、他者と相対的に実較されることとなる、武道武術格闘技を学ぶ意味は薄いと思われる。

どうかライト感覚に伝統武術好するにしても、武術の持つ本来的な意味、武術とは脅威に抗うという切実な的によって生み出された戦闘技術だということを忘れず、自分のところがやっていないからと、組手や、体鍛錬ごときで批判して大騒ぎせずに、実用的な武術めて真剣に稽古を行っている、実戦への敬意は払って欲しいところである。

長くなったが、自分が所属する会で組手練習が行われていない、安全に稽古できないという場合は、『掛け試し稽古会exitのような武術格闘技の流・会えて組手で交流する集いがあり、個人からでも気軽に参加出来るのでお勧めである。

催者は極真空手の元世界王者であり、武隠者の達人として、長らく武術たちの間でしかその存在がられていなかった、達人たちを教える達人といわれる、刀禅exit小用茂夫exit師範について形意拳を学ばれており、この集いには、中国武術や古武術修行者たちも数多く参加している。

掛け試し稽古会の概要については、記事中リンクと下の動画を参照のこと。

活法・薬功

活法について少し述べる。顔面で気絶している場合は、呼吸が止まっていないのであるなら、その場に安静が基本である。部への膝蹴りなどで、横隔膜が痙攣し呼吸が苦しく呻いているようなら、相手を仰向けに寝かせ、その上体を、背中からしゃがんで抱えあげて起こし、自分の両膝で胸椎の突起を挟むように圧し、抱え上げて軽く脊椎を垂直牽引する方法が、活法として有用である。

同じように両肩甲骨の間にある霊台(第6胸椎突起下方陥部:呼吸に関連する重要な経であり死)に方膝を軽く当てて、牽引しながら圧して刺する方法や、霊台を強くで拍打する方法もある。

部や胸部を打たれて、気分が悪い場合も、霊台を軽くポンポンで数回拍打すると楽にする効果がある。こめかみにある太陽を、強めに揉法で圧するなどもある。睾丸を蹴られて呻いているなら、を後ろからや拳で数回軽く拍打し、続いて仰向け、あるいは横向けに寝かせ、下部を揉法で圧しながら回し撫でると楽になる。

鼻血を流してしまったり、が切れて出血がある場合は、首筋にある亜門を数強く、圧迫することを何度か繰り返すと止血に効果がある。

推拿中国の整体マッサージ法)や気功療法で施術する際、手に冷たさやれのような感覚を感じることがあるが、これは患者に清気を与えるかわりに、濁気を受けているからだといわれている。

上手い施術者はこれを理解しているので、自分の気が奪われることを最小限に抑え、患者の体内で滞った気を循環させるようにする。施術を終えたら、手で腕をよく擦り濁気を手先に集めて、滴を振り払うように濁気を手から、屋外や木などに向けて、身体の外へ振り払ってしまうのが良い。

全に気絶して動かない相手には人中に鍼を刺す、もう脈が止まって戻らない場合は蘇生法として会陰をつま先で蹴ってみる、というのが伝えられているが、こうなってはもはや手遅れ感がある。重大な事故があった際は一刻もく医療機関に連れていくことである。

胸部への打撃による炎症、気血のめぐりが悪くなる症状に対しては、漢方血(おけつ)核承気湯など)が効果があるといわれている。排打功の効果を上げるものとして枸杞、枸杞の実、「補中益気湯」などがある。

八卦掌の孫錫毎日、生の枸杞の葉を食していたそうである。ちなみに枸杞子には抜群の補気効果があり肝腎陰虚からくる眼精疲労、老眼などにも効きく。東洋医学においては「五臓六腑の精気はみなに注がれる」といい、その健康維持には五臓六腑全ての臓器が関わるが、特に肝と密接な関係があり『肝気はに通ず、肝和するとき即ち良く五色を弁ずる。』といわれる。また枸杞子の甘みは四肢の働きと密接な関係にある脾にも良く、足が弱った際にも用いられる。枸杞の実は、諸臓腑を滋養する、天然万能薬的な生ともいえる有用なものである。

昔日の中国武術において鍛錬に漢方薬を用いることはいたって常識的なことであった。これをという。

ただ、「補中益気湯」や「杞菊地丸」などのオーソドックスな漢方薬。身体全体を善させることで、
様々な治療効果が得られるようになされた処方の補気剤以外を用いる場合は、注意が特に必要となる。

本来、漢方薬の処方は「論治」といって「望診(体つきや、舌などを診る)」、「切診(の上から内臓を触って診たり、脈を診る)」、「聞診(話し方や調子の鳴りや咳などを聞く)」、 問診(患者に自分の症状を訴えてもらう)」など以上四つの診断法を経て「」という個人の体質と、 病の病状を細かく分析して用いられるもので、素人が安易に補気・補腎剤以外の専門のに手を出したりすることは、漢方にも副作用があり危険である。

必ずイスクラ産業exitと提携しているような、老舗の漢方薬専門店などで、知識のある者と相談し自分のを診て貰ってから用することを勧める。 またが合わず、そのが効果を発揮しない場合や、そのその物が手に入らない場合は、同様の効果をもつ処方が必ずあるので、煎じを入手すれば良い。良口に苦しとはいうがの合ったは、どこか美味しく感じ、合わないは非常に不味く感じ、が痛くなったりする。

古典的処方にある「飛竜奪命丹」のような、強すぎる功をもつは、一切用いる必要がない。極端な例では武術の伝える処方には、ネズミゴキブリトリカブト、ヒ素水銀などの劇薬が含まれたがあるが、これはこのまま放っておいて、死んでしまわれるよりマシであるから使われ、少量のである、という漢方古典的な考えから来たものであるが現代ではあり得ない処方である。

オカルトっぽい言い方となるが、現代の東洋医学は、表向きは西洋医学の臨床に寄せているが、そのコンセプトは身体ではなく、人間の霊を治療するもので、西洋医学とは理論体系が全く異なるものである。経絡・経解剖学的にはなく、三焦、心包も実質臓器などない。しかし不思議と西洋医学からの見地と一致し、治療効果があるものである。

武学: 護身と武術を学ぶ心がけ

実戦的な武術を学ぶうえでの心得を述べるが、古伝の武術は大成に至ると、その姿は各人それぞれあり、師と似ていると間違いである一人一門などともいわれ、本来、わずかな振り付けの違いのようなものに、伝承の本質はない。

現代はの表演に、過分に体育的、芸術的な要素がはらんでしまったためか、皆が皆、判で押したかのような動きをするが、武術における伝承の本質とは、にはめられることではなく、拳理に沿ってその拳の実用性をより高めていくことにある。

それが先師にむくい、伝統と流を守るということである。本来、武術が実用を考え強さを追求していくのは、純であたりまえのことであったのだが、この気治安善や社会不安の低減と共に、平和ボケした現代の日本では失われつつある現状である。

しかし、この日本においても、にふれないだけで、新聞テレビニュースにならないような暴力沙汰や傷事件が毎日のように頻発しているのである。

人の恨みを買えば、いつか堪袋の緒が切れた者が、報復にやってくるかもしれないのである。編集者の同門の刑務官いわく、刑務所の中はそうやって、やりすぎてしまった武道格闘技経験者でいっぱいだそうだ。ちなみに台湾では、現代においても武術同士でトラブルとなると簡単に血のが降るという。

基本的に警察は、事件が起り終わってから来るものである。弁護士も実際の暴力は抑えられない。

自分が暴行され、救急車で運ばれてから来られても然程の意味はない。事件の解決が火葬場で荼毘にふされたあとでは最悪であろう。

喧嘩のような傷事件は、法が特に面倒臭がるものであり、民事で慰謝料を要しようにも、双方が暴力で争ったとされると、非常に面倒なことになり、これは刑事事件でも同じである。

俗に言う「検事も喰わない事件」となる例が非常に多い。

それどころか被害届を相手からも出されると、双方が被害者、被告となり、裁判となれば刑事罰を受け収監される例もあるのである。また民事で勝訴したとしても、相手に財産いのならば、たとえ1億円請したところで、1円すら入ってくることはない。こうなると裁判の費用すらも、回収出来ないのである。

裁判慣れした者の中には、弁護士を立てず、自分で裁判にのぞみ、何年も判決を引き伸ばしては、相手を時間的、銭的に疲弊させる作戦を行う者も居る。

また、喧嘩をしておいて被害者だとし、自分に不都合な部分を、記憶いなどと答えて、供述に偽を疑われた場合、検察に追求を受け、非常に面倒なことになる。偽の陳述は非常に重い罪に問われる。

今は公園にさえも監視カメラが設置されており、事件となれば、事件現場の足跡ですら検証されるのである。がバレて、その時、強く頭を打たれて、忘れていましたなどと答えると、警察や検事からの信性は最低となる。

交番勤務の警官でも、刑事起訴が可な「微罪処分」も面倒である。

相手を訴えてやると強くされた場合、警察官はその手続きを行うことになるが、その場で前科こそ付かないが、煩雑な手続きに、双方が交番などで大きく時間を奪われ、被疑者は前歴と紋、顔写真警察署に登録されることになる。

かしこれも喧嘩の場合、相手にも同様に訴えるとされると、泥の掛け合いになるので、全然良い結果にはならない。事件化されたところで、裁判となれば、互いが罪に問われることとなるため、大抵、起訴猶予処分で終わるのである。

それどころか、殴り合いの喧嘩のような細な事件の多くは、警察被害届を受け付けるのを拒む。大阪では、でも刺されたら相手にしてあげるという感じだったという話を編集者は聞いた。受け付けなければ事件にさえならないのである。

よく情けない者たちが、武を避けるために、決闘罪だなんだかんだと騒ぐが、決闘罪日本歴史上で適用されることは極稀で、もし決闘罪逮捕されたら、ニュースなるほどである。決闘を仕掛けられて負けました、などと警察に駆け込めば、傷で双方が任意動行されて捕まりかねない。

弁護士が悪徳であった場合は商売であるため、全く勝ちのない訴訟であっても、いつまでも示談をさせず、起訴猶予却下処分などを薦め、養分から血を吸い続けることとなり、結果、顧客が「日本法はおかしい」と気がつくまで、収拾が図れないこともよくある。

その前にやられた側が、丸裸にされて写真を撮られる、「お子さん可愛いいね(^^)(訳:もし、後で何かあったら、お前本人だけではなく、家族ターゲットにするからな)」、などの、まるで心の殺人行為のような恫をされて、強制的に収められることもあるのだ。

ちなみに武術同士の喧嘩沙汰は警察法からは、試合であるとみなされトラブルがあっても、ど相手にされることはい。

武闘武術同士が揉めて、試合にまで発展した場合、これらの例をよく知っているので、敗北した側が訴えるなどいうことは通常稀である。

トラブルで起こった場破りは、行くと相手に身されて「先生お茶をどうぞ」となって卑屈に謝られる例も聞かれる。

ちなみに近年は、武闘とは縁のい者が、インターネット上の誹謗中傷に端を発して争う例が見られるが、無知ゆえに、かえって事を大きくする傾向がある。

ネットでの匿名誹謗中傷など、仮に銭的余裕がくとも、予め弁護士を自分で選び、法テラスを通すかたちで依頼すれば、格安で発信元を開示させることが出来るのである。

また、法務省人権擁護局でも、個人での企業相手の開示依頼の方法や書き込みの削除を申請する方法を教えてくれる。

海外サーバーがある、5chのような匿名掲示板においても、昔とべれば犯罪に関わると疑われる開示だけでなく、個人の誹謗中傷にも積極的に応じるようになったといわれている。

ちなみに、Twitter上での誹謗中傷自殺された、ある女子プロレスラーのご両は、開示警察ではなく、法務省の助言を貰って自でされたと、編集者警察官から直接伺った。

注意するが、喧嘩は相手がサラリーマンなどではなく、不良(極業界の用でいうヤ◯ザのこと)であったなら、も当てられない結果となる。

ヤカラたちとトラブルとなると、次々と増援が招集されるため、普段、数名しか待機していない小さな組に乗り込んだとしても袋叩きにされることとなる。もしヤクザ事務所に乗り込んで叩き潰したよという先生が居たならば、「ああ、っているんだな」と思った方が懸命ではないかと思う。

ちなみに右翼は、土建会社を経営する社長などが、趣味でやっている場合も多く、反社会的勢力とは関係ないこともある。そこの会社事務所に乗り込んだといっても別に自慢にはならない。

ただチンピラが繁喧嘩を売った末逆襲され、血塗れにされているところを通報されて、警官たちが現場に押し寄せると、双方、喧嘩をやっていないよ、として押し通し、二人共捕まることもなく、ただ運転免許書を控えられるだけで、解放されるという笑い話しもあったりするが。

喧嘩は事件化されなければ大丈夫だという、やや不謹慎真実もある。

とにかく有事に際し、戦えることが出来るような強さがあってこそ、武術が護身となってくれるのである。

何かあったときに、大きなで助けを呼べる強い、敵の追跡を振り切る脚とスタミナ、周囲を警できると慎重さ、胆武術が養成してくれるものである。あと、正当防衛というものは成立が難しく、過剰防衛として罪に問われるケースが多い。

こちらに非がないなら、チンピラ相手などの喧嘩など、三十六計逃げるに如かずである。弱者に非を行われていないなら、いちいち揉めるのも馬鹿らしいことである。

チンピラを殴り倒したところで、彼らは実に頑丈で、心配になって、おい大丈夫か聞くと「兄貴に殴られなれてますから(^^)」と気で答えたりする。喧嘩の途中で、これは逃げられず敵わないとみると、凄い勢いで許してくださいと土下座の体勢をとるので呆れ果てることになる。

もしアホに因縁をつけられたら、一応、相手に普通会社員土方かを問うて、そうだと言われたら「お前よくそんな真似ができるね!相手をみてやれよ!」と激おこ説教してやり、違うといわれたら、「あっ、そう…バーカ!」とでも答えて、脱の如く逃げるのである。

しつこく追ってくるのを、物に隠れて逆襲して脅かしてやり、さらに様子をみながら逃げまくっては疲れさせ、頃合いで一気に引き離し、視界からアホが消えたなら、タクシーを拾って、ああ面かった(^^)と愉しく帰るのである。ガタイの良い者にも、あえてチャレンジしてくるアホは盛り場には意外と多い。みな酔っ払って気が大きくなっているのである。

ちなみに編集者環境仕事柄みていたが、現代のヤクザは、可らしいお洒落スーツを好んだり、外見でヤクザとはみられない、極普通の格好をしているのが大半である。ギラギラした手な威圧的な格好をしているのは、概ね盃を貰っていないチンピラか、建設作業員、風俗店の店長、飲み屋グループの経営者などである。

彼らが首にかけているネックレスブランド品の品物、腕の高級時計は、もし生活が苦しくなったらば質に流すための財産でもある。普段、仕事に忙殺されているので、せめてファッションくらいは格好良くキメたいという思いもあるそうだ。

また、和彫を入れているからといって、ヤクザだと決めつけてはいけない。漁師町では、年配の漁師が全身に入れ墨を入れ、町の保養施設で湯に入っている姿もよくみる。和彫を入れている者が腕の良い美容師であったりもする。

テキヤとヤクザ界があいまいだが、露業の人間は、自分たちは農に従う者であるとして、人様を喜ばすためにに商売に励んでいるのである。

余談だが、現代の日本喧嘩に巻き込まれたり、武術同士が武で決着をつけるケースは少なくなったと思われるが、を越えた台湾はいまでも凄まじいもので、対応を間違えると、すぐに社会人間が出てくる有様である。

例えば近年あった事件だが、ある柔術が、始皇帝の子孫を名乗るある空手を愚弄して、試合をすることになったのだが、場に行ってみるとヤクザが30人も居て、柔術タコ殴りにされて、アキレス腱をられて半殺しにされるという出来事があった。中華系でも特に台湾人は気性がしく、暴力で物事を解決しようとする性質が強いという。中国香港社会人間からも台湾人とは交渉にならず、揉めると危険だと認識されているほどである。

特に言っておくが、武術には弱い者のための武術も、強い者がより強くなるための武術の区別などない。武術は一つである。武術める第一義は、ただ純な強さをめ、結果、用な争いを未然に防ぐことである。確かな実があると認識される者に、謀な戦いを仕掛ける者はいないのである。

それと武術の界では不思議なことに、根拠もく、あるいは、数々ある達人のお伽噺のようなものを拠り所とし、新しいものが古いものに劣ると思われがちなのだが、そこは熟考されて欲しい。

武術と言うものは形があるようでその実、定化されてはいない。故に変化が可で、極論を言えば常に流動的なものでなければならない性質のものなのである。これはひとえに時代によってそれぞれの戦闘形態が異なるためである。

いわば、各時代によって移り変わる戦闘形態に順応できなければ容赦くその門はその代で確実に滅び去る運命となる。(例えとしてはあまり良くないが)これは近代化と共にしくなる兵器の開発競争に似ている。

武術と言うものは何だかんだと騒いだところで、しょせんは技術にすぎない。戦闘における実用性が何よりもめられる中にいて、すでに旧態化してしまった技術にいったいをかけてくれるだろうか?これは考えるまでもなく当然の理と言える。さらに、武術(技術)は一個人の憶測や推論だけでは絶対に生まれるものではい。

敵(相手)が存在してこそ、初めて必要性により生み出されるものである。当然、各時代によって敵が変化すれば、それに応じる形で従来の技術を何らかの形に変えなければ、武術としての実用性はおろか存在価値すらもくなってしまうだろう。

よく誤解されるのが「開祖の代から完成されたまま今日まで伝わっている」とカン違いしている人が多いが、正しくは「開祖の代より、各時代々の戦闘形態の推移に適応する形で、本質を失う事なく変化し続けて今日に至っている」となる。』私学校龍珉楼館長館長 呉伯焔exit

武術の原初の姿とは、ゲームや舞踏、芸などではなく、武人の戦闘術であり、暴力の行使の方法とその対処法を学ぶものであることには大いに留意して欲しい。場もカルチャースクールではない。

外見はスポーツ体操にも似ているが本質的には禍々しいものである。打たれたら痛い、死ぬのは怖いという脅威に、あらがう必要性をもって生まれた技術である。

であるので、武術超能力めいた想的なを持ちすぎると中年、老に差し掛かった辺りで、結局それらがなにも得られなかったことに気づき失望し、武術を止めてしまう者も多いのである。

戦う技術もに秘められた用法さえ知らず、ただ漠然とをやればいつか功夫が付き、それで強くなれるというのならも苦労はしない。またや発勁は武術の一部であるが、その全てではない。安易な盲信や幻想をとり去り思考停止に陥ってはならない。

武術に挫折した者が、別の安易な疑似科学的身体操作法や、心霊術まがいのものにハマり、引き続きファンタジーを追う例もよくみられるが、そういう者たちには、言い聞かせても反感を抱かれるだけなので、そっとしておくと良いのかもしれない。人には自由意志があり、周囲にがなければ自身の修行の方が一番大事である。

『昔、武芸のに志したものは、情熱ゆたかで志は固く、技術の修練によく務め、挫けず、怠らず励んだものである。師匠が教えたことを信じて日心に研究を重ね、実技を試み、疑問があれば友に尋ねて、修業を積むことによって自らその理を身に付けた。したがってその理解は、とことんまで底したものである。

師匠は、最初は技法は伝えても、それに含まれている理をろうとはせず、自ら理解するのを待った。これを「近づけはするが明らかにはしない(引不発:引きて発せず)」という。

これは惜しんでらないのではない。この段階で心を働かせ、修行の実を挙げることを願うからこそのことである。これが古人の教育方法であった。これによって昔は、学術も芸術も、ともにしっかりしていて内容が豊であった。

今日では、武芸を学ぶ者も情熱が薄く、真剣な志を抱いていない。若いときからの折れることをいやがり、手軽なことを喜び、小手先のことで手く上達するのを望んでいる。このような者に対して昔のようなやり方で教えたのでは、修行をしようという者がいなくなってしまう。

そこで今日は、師匠の方から手ほどきをして、初心者にも極意を説明し、その実際を見せ、さらには手をとってこれを教えこむほかはない。このようにしてもなお、退屈して修行を止めてしまう者が多いのである。

次第に理屈のレベルが高くなって来ると、古人の説では足らないと言い出して、修行の量が少なくても、にも登るほどの技が出来る様に工夫をしようとする。これもまた時の勢い、しかたないというほかはない。』『天狗芸術論(口語訳)』から引用

それと魅せることを重視したような、見栄えのあるに套路を表演できないというなら、嘆く必要はなく初めから出来ないで結構なのである。

歳をとったら歳をとったなりに、それ相応な円熟した武術をやればよいのである。若い一時だけできる剛猛な動作に拘らないことである。武術新体操ではないのである。

『余は後に来る形意拳術を練するの人が、其の後氣血のを用い、先陽の氣を知らざるを恐れる』深 『拳意述

 


また武術を養生と考え、その中に一種の哲学を見出し学問として探することを、武学という。

武術は楽しいから続ける、それだけでも善いのである。武術道徳を説かないとする者もいるが、それは途轍もない間違いである。

先人の説いた教えと、その背景にある、自然との調和と人のった東洋思想を熟考されたし。

ただただ暴力を奮う術であると捉えると、を踏み外し、その末路は悲惨であった例は古今枚挙にいとまがない。

歴史

清朝末期、形意拳は山西省県で伝えられた戴氏心意拳戴氏六合心意拳、たいししんいけん)を元に、飛羽農然 1808年 - 1890年没)が技法内容を今の形に近いものに編し実質的な開祖となって創始された。は生涯無敵といわれ、人と技をべるときも「常に心の欲するまま動きつつ、手はおのずから至る」という入地にまでに達していた故に、人々はついに彼のことを「」と呼び賞賛を惜しまなかった。 その子たちにも達人が多く輩出され、その拳名を高めた。

戴氏心意拳のルーツである心意拳は明代末に際可( 1602年 - 1683年) によって創始された。の達人でと呼ばれていた。

形意拳譜の「際可自術」でられる伝承によると、先で立ち寄った古刹でのなかを抜きを追い払い悲しみにかられて歩いていると、土の中からが立ち昇っているのを見て、そこを調べてみると一振りの宝と木があり、木には南の武将、岳飛によって書かれた六合拳経(武穆王拳経)という秘伝書があったという。その後は十年の歳をこの拳譜の研究に費やし、失われた岳飛武術翻子拳も同じく岳飛を創始者としている)を復活させ、平和な時代にはよりも拳法が重要になると考え、「を変じて拳となし、理を一本となす」と の技を拳術とし、晩年はその技を科挙に首席で合格し、高級官僚となったほどの秀才、曹継武ただ一人だけに伝えたという。

曹は心意拳を学礼と戴邦の二人に伝え、前者が心意六合拳河南形意拳)、後者が戴氏心意拳として伝えられていった。岳飛からの伝承についてはおそらく伝説上のことであると思われる。心意拳のルーツ少林寺の心意把であるか、共通のルーツを持つ同種の拳術であったといわれる(際可が少林寺に伝えたという説もある)。研究者によって様々な見解がある。心意拳はその拳譜(三三[六]拳譜)によって陳氏太極拳にも多大なを与えた。

心意拳と形意拳は、その名称の中国語での読みXinYiQuan(心意拳)」と、「 XingYiQuan(形意拳)」は極めて似ており、発音からは両者は区別がど付かない(カタカナでは「シンイーチュエン」が近い)。

形意拳は河北地方に伝えられ、これを河北形意拳深など)と呼び、発祥地である山西省に残った系統(形意拳としては河北省から山西省への再伝来があったため、これを「山西を復した」と表現される場合があるが、本来の山西であった、戴氏心意拳は滅びてはおらず、伝として世間からは人知れず継承されており、失伝したわけではなかった。戴氏心意拳が広く知られるようになったのは、1990年代以降のことである)を、山西形意拳毅斉、世栄など)と大別するのが一般的である。そのなかでも伝人によって様々な系統に発展して門を形成している。

形意拳は、第二世以降で、独自の工夫が加味され、八卦掌太極拳も受けて発展したものと思われる。この三つの拳の伝人は、互いに密接な交流があり、三拳というカテゴリーで括られ、併修される会も存在する。八卦掌からは扣歩、擺歩などの動作が取り入れられている。

形意拳の分としてはの有子で「半歩崩拳、あまね下を打つ」と讃えられた深は、晩年、王向斉を最後の子とし、王は意拳大成拳)を創始した。

王は日本人である澤井健一子とし、澤井は帰後、名称を太氣至拳法太気拳)とめ、内での王向斉の武術の普及をはかった。

意拳の分には他に、螺旋、心会などがある。

先師たち 著名な伝人

岳飛 - 1103年~1142年。字は鵬挙。河南省湯陰県の人。代の武将であり、中華民族にとって救の大英雄としても名高い。貧しい農民の出であったが、極貧の中勉学に勤め、若輩にして文武共に極めたという。異民族軍が北に侵入すると義勇軍に身を投じ、数々の武功をたて『精忠岳飛』の書を授けられる。その揮する軍は岳軍と呼ばれ精強を誇り、民衆に絶大な支持を得て、やがて岳飛北一帯を拠有する大軍閥の首領にのしあがるが、 との講和を画策する佞臣、檜により、の筆頭であった岳飛は疎んじられ、謀反の罪を着せられ中で念の死を迎えた。彼の死後は無罪明され、武穆と諡される。 中国モンゴルによって支配された元の頃、岳飛民族抵抗英雄として民衆に大いに祭り上げられた。 武術伝説として岳飛を開祖とする門は心意・形意拳の他にも、岳拳、翻子拳など多数に及ぶという。また古来からの養生功として名高い八段錦も岳軍で行われた訓練法を元にしているという。


際可 - 1602年~1683年。字は。明末・清初、山西省州の人。幼少より聡明にして文武に勤め、槍術に長じ「」と諡された。成長すると嵩山少林寺での修行を志し、10数年間の歳少林寺での修行と、僧侶たちの導についやす。嵩山少林寺下山した後、各地を遊訪しながら自身の武術を研くが、終南山のある古刹に訪れた際のある、辺りに木霊するの叫びに虚しさを感じた際可は、を取ってを追い、飛び込んだ内の地面に不思議を見る。そこを掘り起こしてみると、岳飛の銘のある美しいと木に収められた岳飛武術の精が記されている秘伝書、『六合拳経(武穆王拳譜)』を発見する。際可はこれに驚喜し、その地で自身のの操法と、六合拳経に書かれている武術を、一つとするための修行に没頭する。こうして10年の日が流れ、際可は大成した。法を拳法とかえ、その拳の中に十二種の動物形(十大形)とその意、地万物の陰陽五行の枢機を含有し、外形内意を一つとし、人体の外三合、内三合の六合の原則を余すことなく体現する形意拳(心意拳)が誕生したのである。


曹継武 - 1655年~没年不明。際可は心意拳を創始したが、伝えるべき者にこれを伝え、それがわぬ場合は、この拳を失伝させる覚悟で自分の有望な後継者をめ、再び各地を訪れたが、そこで出会った者たちはことごとく低俗で、拳を伝授するに足る人物を見つけ出すことは困難であったという。だがついに、において曹継武という逸材を見つけ出すことに成功し、心意拳は失伝を免れることとなった。曹継武は際可について拳を学ぶこと12年にして大成する。そして朝廷の文官採用試験である科挙に首席で合格し、陝西省の靖遠総鎮大都督にまで昇進し、退官後は陽において学礼、戴邦などに拳を授けた。

これが後に心意拳が、氏心意六合拳と戴氏六合心意拳にそれぞれ分する切欠となる。


飛羽 - 1788年~1876年。字は然。通称、。河北省深県の人。幼少より武を好み長拳に優れていたという。37歳の頃、商用で山西省を訪れたおり、心意拳のの高名を知り、その門下に入るが、だが最初の2年間のうち、然が戴邦から教わったことは、僅かに五行拳劈拳の一行と、連環拳の片側半路だけだったが、それでも飛羽はなんら不満も洩らさず、意練拳に努めた。やがて戴邦の母親の80歳の誕生日の宴に一人、ただ連環拳の半路のみを演武したことを、拳術好きのこの老になぜかと問われ、がこれしか学んでおりませんと答えると、戴の母親は戴邦にを教えよと命じたことを切っ掛けに戴の篤い導を受けることなり、苦練して学ぶこと10年、47歳にして大成する。飛羽は生涯無敵といわれ、人と技をべるときも、常に心の欲するまま動きつつ、手はおのずから至るという入地にまでに達し、人々は、ついに彼を「」と呼び賞賛を惜しまなかった。

然は、太和(子息)、、宗世栄、徳、西園深などの多数の門生を育てた後、年80余歳で椅子に端座したまま一笑して逝った。形意拳の基本姿勢である三体式及び形意拳の今に繋がる基本体系は、この然によって編み出されたものと考えられ、この然が、形意拳の実質的な創始者として知られている。


- 1839年~1919年頃。然の子。兄弟子のと共に河北形意拳の重要人物。深の練った理とは、つまるところは実を極め、心は虚を極めることにあった。また兵書を好んで熟読し、奇門遁甲にすぐれていた。 深の生涯は波と多くの伝説られ、 敵に半歩進んで崩拳の一打を発すると敵は皆倒された為、 人々は「半歩崩拳、あまね下を打つ」と賞賛を惜しまなかったという。

また彼の最も有名な俗説に、試合で相手を誤って打ち殺した故に殺人の罪により監に収監され、そこで手枷足枷を付けられたまま虎形拳を練り、虎撲子の一手を編み出したという逸話があるが、これは門内の人間からは全くの誤りであると摘されている。

深は確かに人を殺め3年間をで過ごしてはいるが、これは義憤に駆られた深が、ある土地で民衆を苦しめる匪賊の首領に意をもたれていることを承知で招かれ、彼にピストルで襲われた際に、用のをもってこれを討ったからであり、人々はこれを賞賛した。またでの深は彼に同情的な官警の者たちの配慮と、その義挙に感銘を受けた人々からの多額な献により、での3年間を何不自由なく過ごしたという。

深は超絶の技法を誇る奇才であったが、時運に恵まれず、 彼の多くの子たちとは異なり、世俗での立身出世はわず、北方数省で多数の門人教授したのみだったという。 後に故郷に隠棲し70余歳でその生涯を終えた。

異説として意拳の達人として著名であった言では、深はには入っておらず、警察署長が深を自宅に匿い息子硯堂に形意拳を導させたそうである。この硯堂は推拿の先生でもあり、その導を受けたのがである。王向斎が上海で意拳の導を始めたとき話題となり深を懐かしく思った硯堂が会いにいったのだが、硯堂に王向斉はどういう人か聞くと「いい人だ」と答えたということである。硯堂は王向斎の崩拳で吹っ飛ばされ大変喜んだという。


- 1819年~1889年頃。河北省深県の人。拳術を好み、然を拝して形意拳を学び大成した後は田野に隠棲して門徒に教授しつつ他とも交流を保ち、門偏見を持たなかった。初めてに会った者のなかには僅か数交わしただけで拝し、子になる者がいたほどである。一説によると、深に八卦掌の開祖紹介した者はだったともいわれている。は70余歳で終わり、その子は存義、耿、周明泰、などが有名である。子息の殿臣は『形意拳抉微』を著し、をさらに明らかとした。


- 1833年~1914年頃。字を毅斉、然の最も優れた子だったいわれている。のことを「二」と呼んでいた。23歳のとき、 まだその子息太和と共に、太県に留まっていた形意拳開祖の然は、 遠方の人々にまで、その武功を賞賛されていたことから、 当時、太県一の富であった某のに招かれて、 護院(ボディーガード)の仕事に従事していた。 然が形意拳に達しているとの人々の噂を聞き付け、 に憧れ、以前から然の顔見知りであった友人紹介で、 然の門を拝することとなった。

はそれから20数年の歳を、をとわず苦練を続け、 農閑期には護院の仕事に従事するかたわら、人に拳を教え、 その名をいよいよ高いものとした。 の晩年のころ、清朝は益々腐敗し、強の侵入を排除出来なくなった為、 はしだいに動乱の時代へとなっていった。 は必ずしも子に愛国的思想を起しなかったが、 天津に赴いた際、の武名を聞き付けたある日本人剣術に挑戦されるが、 はこの剣術を試合で敗り、後に彼は入門を願い出るが、 民族の秘宝を軽々しく外国人に教えることは出来ないと、 その剣術希望を退けたという。

をあたかも浮の如くみなし晩年田間に隠棲した。彼の育てた門人の内で著名な者は山西県の喬錦堂を第一として、布学寛、呂学、樊永慶など多数に上る。


世栄 - 1849年~1928年頃。然の二番子だったといわれている。河北省宛の人。 17歳の時に山西省太県に移住してこの地で時計店を生業とする。と共に然の最も期の門人の一人である。

幼少より武術を好み、義侠心に篤く、囲碁や戯曲を愛していた。太県にて時計店を開設したとき、この土地に然という優れた達人が居ることを知り、人の紹介を得て然の門を拝する。然の教えを受けてから、となくとなく練習を続け、間断することがなかった。から学び義に達しなかった技はなく、十二形拳においては特に神技とも呼べるような、高い練度を人に示すことが出来たという。

たとえば、が十二形形拳を練るときなど、の性質と性を極限まで生かし、体を左に転じたときは右手で右足の踵をつかむほどとなり、 右に転じたときは左手で左足の踵が掴めるほどであった。十二形形拳の一技「子抄」を行うと、身体が地に低く接地するほどに成ったときは、既にテーブルの下を一で潜り抜け、さらにそこから一丈も飛び越えるほどであった。「」を練る際も、身を躍らせてに貼りつくと、 そのまま数分手足をりつけていることが出来たという。

また、がある人と試合をした際は相手がに身を躍らせて飛びかかり、一手出し間には、その身は既に矢のような速さで二丈余りも投げた倒されていたという。しかもその時宗は身体を少しも動かさず、ただ両手を一振りさせただけのように見えたという。 当時、同門同、あるいは武術界以外の人々さえも神技を見た者は多かった。

『拳意述』を著した形意拳の近世三大名手に数えられる達人の孫堂は世栄を賞して、「先生は物事の性質をよく見極め、その特性を活かすことをされた故に妙なる技を伝えることが出来たのである。」と絶賛している。孫録堂がの元に出向いたとき(『拳意述』では80余歳のころと記されているが、享年は79歳である。)気力に溢れ、身の動きも柔軟でまるで若き日のままであったと記されている。そして後進の健者も自分に及ばないことを嘆かれたという。

最晩年はは五台山にのぼり僧侶となり、以後は武術についてることがかったという。 導は厳格で、また人を選んで拳を教えた為、 生涯で教えた子たちの数は僅かに20余名に過ぎなかったといわれている。


- 1861年~1932年。孫福全、字を堂、を涵斎、形意拳、八卦掌太極拳の代表的な達人。河北省県の人。 人々から形意拳の近世三大名手の一人と賞賛されている。また孫は単に形意拳の高手であるに留まらず、形意拳・八卦掌太極拳融合論を説いた、内三拳を代表する達人の一人でもある。体格は細身で動作は敏捷巧み、跳躍技にも秀でていた為、「活猴(かつこう・いきざる)」との異名でも知られていた。

幼少より深の得意門徒であった奎垣元)に形意拳を学び、後に奎垣が閉門するとその師の深を紹介され、の元で練拳に努める。孫は深に最も長期にわたり教授を受けた門として有名であり、の赴く所、乗の尾を掴んで一日里を付き従ったともいわれている。

また八卦掌の達人であった程延にも拝して、につき、夕べは程について、形意拳・八卦掌にそれぞれ熟達した。

この頃孫は就寝の際に、火を燈した線香を縛り付けて眠り、線香が燃え尽きた熱でを覚まして明け方くから練拳を行ったという。当時孫は他流試合において無敵を誇り、その為、・程の両師に「は師の名を辱めず。」と評価されたという。

清朝・民年代にかけて孫は軍人を職とし、この縁で存義、王向斉、尚祥など同門の多くの者を、 国民党軍部の武術教官(全陸軍部武技教習所など)として推薦した。50余歳の頃には北京において先で病にせっていた、 武式太極拳の郝為の看病をし、郝為回復すると返礼に孫に太極拳を教え、 晩年孫はこれに形意・八卦の術理を組み入れ独自の孫式太極拳を創始した。これにより孫は形意・八卦・太極の三門は意図するところ同じであるとの認識を得、内三拳の合一論を説くきっかけとなった。

1928年には内拳最高の達人であると、中国武術の全的統一組織である南中央術館に武当門(内拳班)門長として招聘される。だが間もなく中央術館内部の閥闘争を忌諱した為か、江術館に退き、そこで副館長兼教務長に就任した。 孫は『拳意述』、『太極拳学』、『八卦掌学』などの多くの著作を残し、内三拳の術理の理論的裏付けに貢献が大であった。孫の門で著名な者は、孫(長女)、孫存周(二男)、胡山などがいる。


存義 - 1847年~1921年。河北省深県の人。形意拳を代表する武闘であり、その気性は財を軽んじて義を重んじ、戦いにおいても生涯詐術を用いなかった。 形意門中最高の気義を誇った武人。幼少より長拳、通背拳など各種拳術を学び、後にを拝し形意拳を学ぶ。さらに深、八卦掌の董にもついて学び大成する。

1890年には清朝の武官抻一将軍兵士武術を教え匪賊を討つことでしばしば功績があり、やがて昇任されるもそれを辞退して天津におもむき、商隊の護衛をに行う万通票局(ばんつうひょうきょく)を設立。後に銭に全く拘らなかったは資繰りが困難となり、万通票局を閉鎖する。銭に困っている者が居ると理由を聞かずに施したともいう。

は各省を住来して保票の業に携わるが、 護送中に賊が襲いかかると、自ら単を揮って悉く撃退し、後に賊は、が商隊の護衛をしていると知ると、それだけで襲撃を諦めるほどとなり、また当時、義気人に勝るの名を聞いただけでを避ける者もいたほどであった。それゆえ人々は「」の通り名でを呼び、やがてその武名は中国全土にくようになった。

1900年、「扶清滅洋」(清朝を助け、西洋を滅ぼせ。)をスローガンに山東省で起こった宗教秘密結社「義和団」は、清朝の支持を得て暴動を全各地に拡大。やがて居留地民保護を名にして出動した、日本ドイツイギリスフランスロシアアメリカイタリアオーストリアの8ヶ国連合軍との戦闘状態となる。これを受けて、義気篤く愛国心に富んだ存義も義和団に既に参加しているの師兄弟に協して参戦。最も戦闘しかった天津の戦いにおいて、自身の経営する万通票局を率い銃火器で武装した日欧の軍隊を相手に血を揮い凄まじい戦いを展開する。一説によれば、これが「単」と呼ばれた本当の理由であるとも言われている。

革命直後の1912年には、袁世凱大総統衛隊の武術教官であった瑞東に招かれ、天津に全武術の友和を図って設立された「中華武士会」の教務主任となり、つづいて上海精武育会、南洋学院 ( 交通大学の前身 )などで教え、また1918年、北京世界第一力士自称するロシア人のボクサーが、万武大会という試合を企画して武術たちを挑発したことに憤り、これと試合して破り政府より一等質奨章に授賞される。の生涯教えた門徒は甚だ多く、尚祥、王俊臣、亭、陳俊峰などが著名である。存義は晩年においても少しも倦むことなく数多くの門を教え、形意拳の普及に尽し1921年、74歳でその生涯を終えた。


- 1859年~1938年の高八卦掌開祖、董の晩年の入室門徒。河北省河間県後鴻雁村の人。存義、薛らなどと共に、天津においての形意拳・八卦掌の普及に貢献が大であった。は若年より武術を好み、初学を少拳、後に秘宗拳を学ぶ。性格は大胆不敵、逞しい偉丈夫であった。大柄な体格から快に繰出される強な大業から人々に「」、「電手」などの異名で呼ばれたともいう。

尚済の著書『形意拳技撃術』によればの得意技は「連環劈」であったとされる。生農業を営んでいたが、河北地方一帯に発生した大魃により生活に困窮し、北北京)、天津などを遊歴し、後に天津に定着して果物販売業を営む。 20歳の時、存義、田静傑、耿などと知遇を得、その縁でを拝して形意拳を学ぶ。 後に1881年、存義の紹介により北京で程廷との友好を結び、八卦掌開祖、董の門下ともなる。この時存義劉鳳尹徳安尹福)らに呼びかけ、程廷田静傑などと共に兄弟の盟を結ぶ。程廷の死後、天津に帰り営務処頭領(捕盗官の長)の職など、警備関係の仕事に従事し、数多くの匪賊を捉えたという。

1911年には存義の呼びかけにより天津中華武士会にも参加し自身も天津に武館を設け数多くの門教授する。子は甚だ多く、一説によるとの教えた門の数はゆうに数千人ともいう。晩年僧籍となり門に入るが、1938年により逝去した。子で著名な者は姜容などがよく知られている。また日本に初めて形意拳・八卦掌太極拳の本格的な教授をはじめた王の最後の拝師門徒であった。


- 1864年1937年。字を霽亭、山東省楽陵の人。小柄な体格であったが、その性は武を好み義気に篤かった。 深・孫堂らと共に、形意拳の近世三大名手の一人に数えられる。人生の辛を繰り返し味わいながらも、凄まじい修練の末に大成した達人である。

1863年、尚祥は鐙職人の子として生まれる。尚3歳の頃、山東省一帯を襲った大地震により尚は母親を失い、残された家族生活基盤が破壊され為に北京に移り住むこととなった。だが移り住んだ先の北京でも一家生活苦にあえぎ、その為、尚の幼い頃の一家は極貧の中で暮らしていたという。困窮し尽くした尚の父親は、幼い子の為に一計を案じ、当時、山東で富として成功を収めていた友人承栄のに、尚を下として使わせることとした。

の気性は義に篤く、かってを拝して八極拳を学んだこともあり、武術一の趣味としていたという。その為には練拳所が設けられており、また常時多くの武術食客として世話していたともいう。幼い尚はこのの元で、日身を粉にするかの如く奉し、また雇いであるも、幼いながらも意尽くす尚を不憫に思い、やがて奉の合間を見ては、尚に武術の基本功などを導するようになったという。

こうして尚が12歳の時、晴れて今までの奉を認められ元に帰ることを許さるが、この時は、尚に帰郷の為の従者を使わせると共に、大枚二両を餞別として渡したともいう。元に帰った尚は業を手伝いながらも腕を磨くが、ところが元に帰ってからも、世はまだ太が続いていた為か、相変わらず仕事の注文の方はく、一家の日々の生活の為に、から送られたもたちまち底を尽いてしまう。

そこで尚は業の方を全に諦め、武術で身を立てることを志し、当時、北京で有名な武術であった大義について、功拳などを学び、次第に門内の中堅の内の一人として頭を表す様になったという。尚が形意拳を学ぶ切欠となった出来事とは、一説によれば尚24歳の頃、形意門の志和なる人物に、試合で負けたことからだといわれている。尚は志和に入門の願ったのだがは尚の身長160センチにも満たないをみて、これではとても形意門の名誉を守っていくことは難しいだろうと、尚の入門の申し出を拒否した説もある。しかるのち尚は当時形意拳で広く高名が知られていた存義に、立たない多くの学生の内の一人として入門するが、尚はここで人に勝る程の苦練を己にかし、を問わずしい荒稽古を行ったという、 厳寒のにも木綿の着衣一枚というなりで大をかく稽古を行い、尚は、-10度の寒さの中でも、上で裸足というなりで練拳したとも伝えられる。

やがて尚の両腕は最も繰り返し練習され、その後尚の得意技ともなった木行崩拳の練習の為に、まるでで出来たかの如く見事に鍛えられていったという。またある時、こういう地味練習をひたすら行う尚を、冷やかして笑い者にしようとした性質の悪い者たちに、尚は練習中に足元に大豆をばら撒かれるという悪戯をされるが、尚は足を滑らせて転ぶどころか、ばら撒かれた大豆は尚の強な踏み込みにより、ある物は粉々に破砕され、ある物は大地にめり込み、ばら撒かれた大豆は悉く消滅してしまったという。

また尚が庭先で拳を練っていると、足もとの石ち踏み割られていくので、このを見ていた人々は、「尚の足はまるで(で出来た)のようだ、だ!」とも驚嘆したという。日々苦練を繰り返した尚は、やがて自分の得意門徒であると、存義に認められるほどの驚異的な成長を遂げたのであった。

その後尚は北京の五兵営において匪賊の取り締まりなどを行う探偵(捕盗官)の仕事に従事し、尚は軍隊でも手を余す程の悪な犯罪者たちを相手に、著しい活躍を行った。一説によると尚は大を得意としていたが、匪賊たちとの乱闘の際が手元で折れてしまうがその短い棒を持って戦い続け、賊を全て征圧したこともあると伝えられている。

尚は、こうして命がけで得たの賞どを貧民たちに施し、己は貧であることを良しとしたという。また後にはその腕を見込まれ、宮廷に使える宦官の長であった管の邸宅の護院の職にもついている。こうして尚は実戦の場で腕を磨きつつ、やがて天津に出向いた際に・王向斉らとの知遇を得て、その縁により河北形意拳の大家深にも直接師事することがったともいう。について尚は益々己に修練をかし、への人々の賞賛であった「半歩崩拳遍く下を打つ」の代名詞は、尚へと引き継がれる程となった(一説によれば尚のへの師事した経緯で諍いが発生し、尚と存義の師関係は悪化したといもいわていれる) 。尚は生涯において中国南北で数多くの子たちを育てたが、 晩年は故郷の山東省に陰棲し、そこで極少数の子たちに、これまでの自己の工夫を加味した独自の形意拳を伝授しつつも、1937年、73歳でその生涯を終えた。 尚の門で著名な者に礼、桑丹啓、呂泰英、王永年、文彬、尚芝)などがいる。


- 1887年~1953年。形意拳随一の奇才。武痴渾名された達人。字を。河北省束鹿の人。薛の父親の薛振綱はの子息、太和の入室門徒であり、薛もまた、幼少からこの父親に形意拳を学ぶと共に、太和の子息、振邦を拝して形意拳を学ぶ。しかも振邦の婿でもあるという、形意拳の嫡系に等しい教えを受けた、サラブレッド的な毛並みの良さを誇った人物である(異説として先に存義の入室門徒であったという説がある)。

当時、門を問わず多くの達人たちが集った天津において、形意拳の重鎮の一人として著名を知られ、天津術館の副館長館長を歴任した。形意門きっての理論であり、王向斉、尚祥などに多大なを与えるが、その反面奇行がしく、一例をあげると、薛はある富の庭園で開かれた宴の席に招かれた際に、表演を希望され五行拳を演じたが、薛は表演して御見せするだけでは客人がたも退屈であろうと言い放ち、庭に敷き詰められていた石の全てを、強な震脚で悉く踏み割って見せ、皆はこれを見て然として驚き、以来薛は人々にと賞されるようになったという(後に同じ異名は尚祥にも冠せられた)。

また薛は若年の頃に南方した際に五台山に登り、そこで霊師、虚無上人などと名乗る齢130歳だという異人に遭遇し秘拳を教えられたとして、形拳なる独自の拳法を創始もした。 薛の没後「その技は非常に剛猛硬質で実用に優れていたが、内拳らしい柔らかさに欠けていた。」などと、かなり不名誉な中傷を、中国で再版された自身の著作の解説文に書かれたりもしたが、薛は十二形形拳の巧みさで知られていたともいう。薛には王向斉や傅長栄と武を行い破れた逸話などが流布されているが、それらは薛や関係者たちの死後に発表されたものである。

著作には『形拳詮』、『形意拳術講義』、『霊師點』などがある。薛道教秘密結社の一貫の信徒であったことから共内戦後中国共産党によって一貫が反革命邪教であると弾圧された最中に捕らえられ、開裁判でされた後一旦解放されるのだが、しかし間もなく再び嫌疑をかけられて捕らえられる際に抵抗したとされ、兵士たちに射殺されてしまった。薛の妻、門逃げ散り、薛武術は長く失伝されたものだと思われていた。


- 1905年~1981年。本名を王恒孫、字を。河北省天津出身の人。恵まれた体格の大兵肥満の堂々たる偉丈夫で真剣勝負を好んだといわれる達人。形意拳・八卦掌太極拳を統合した門「終南門」の開祖。この名の由来はその師のが、終南形意拳の士たちと交流があったためだと思われる。にその素質と才され最後の正式な入室門徒となり、存義の有子であった陳泮嶺や、のちに意拳を創始することになる王向斉からも学び、八卦掌の開祖、董子であった宝貞の高、蕭波かも手ほどきを受けたともいわれている。

秘密結社的な色彩が色濃い道教の一、一貫)の幹部信徒(第三位階)、菜食主義者であった。戦後において本格的に中国武術の普及にあたった、パイオニア的人物(合計21回来日)。 共内戦中の1949年、もはや中国共産党勝利が揺るがぬものと察し、自身の信仰する一貫が、国民党に協した邪教であると弾圧されるのをみて台湾に逃れる。台湾で一貫布教にあたりつつ武術を教え、「術館」を設立。 この頃の王は台湾武術を相手に積極的に武を行い連戦連勝して敗を誇る。晩年は右翼大物、頭山満の息子、頭山中国文化大使として中国武術で最高の達人を招きたいと蒋介石希望し、その推薦により日本に来日し、中国武術教授を行う。 王の教授した門は多数に及び、現代においても巨大なを残している。  

形意拳 - シンイーケン(ビデオゲーム)

2000年台湾IGSが発表した対戦格闘ゲームである。 『形意拳』は漢字圏でのタイトルで、英語圏では『Martial Masters』。

中華民族英雄武術の達人、黄飛鴻1847生-1924没)を主人公にした映画ワンス・アポン・ア・タイムインチャイナ』のを強く受けている作品である。

主人公の用いる拳法)であり、武術における形意拳は本記事にもあるように心意拳に連なるものであり、少拳ではなくそれとよく較されてられる、武当拳武当)とされている。また地域的区分からも拳法にも分類されており、どうもタイトルを名付けた開発者がこの辺りのことをよく分かっていなかったのかもしれない。おそらく洪拳にも形意拳と同じく動物を模した形拳のが存在するため混同があったのだろうか。

ゲームファンにはすまないが、武術の方の形意拳を好している者にとっては、タコ焼きを食べるつもりが、鯛焼きを出されたかのような感のタイトルにも思える。

ちなみに余談となるが洪拳は、某有名、中国武術漫画の『拳児では、まるで八極拳に強さで劣る拳であるかのように描写されていたが、その精強さは中国では広く知られ渡っており、その代表的達人の黄飛鴻民族の誇る英雄としてされている。作中では戦乱の中で伝えられた、じっくり修行する時間のない革命闘士たちが、すぐに戦えるようになるための武術であると紹介されたが、だが昔日の武術というものは、形意拳(「学んで1年で人を打ち殺す」)にしろ、詠春拳(詠に「学んで3ヶで使いたくなり、半年で喧嘩がしたくなり、1年で人を殺してみたくなる」というものがある)にしろ、武術はそのどが(学んで使えるまで10年かかるといわれる太極拳を除く)学んで短期間のうちに実用になるものでなければ、顧みもされないようなものであった。

武術では「小成三年」といわれている。三年やってようやく一端の拳士を名乗れるのである。しかし武術の深は底知れないものであることは洪拳も変わらない。むしろ形意拳や八極拳べて学習内容は膨大で、その門を収めたといえるほど習熟するには、大変な時間と、熱意と修練が必要であろう。そこはどうか誤解がなきように。

それと八極拳も本来は洪拳にも増して即成的なところがあったのである。八極拳は『拳意述』でも言及があったように歴史が古く、多くの実戦の名手たちを輩出してきた名門であった。

共内戦以前の中国武術の統一組織であった、南中央術館においても、少門と武当門で共通で学ぶ正課とされたメジャーな拳であり、中央術館ではその代表的な套路である大八極を元に、制定套路「八極小硬架」が作られ、これが府軍の兵士たちの練兵にも採用されていた。

そのため皮なことに八極拳漫画で描かれていたような秘拳どころか、かつては中国全土で広く普及しており、非常に学びやすい拳種だと見られる向きもあったのである。

論、八極拳の全伝を得てそれを習得し大成することはとても難しい。

ちなみに余談だが北京を中心に盛んであった、少門の名拳である三皇炮捶に「八極拳」という名の套路が含まれていたり、少八極拳という門や、形意八極拳という門があるが、おそらく中央術館のがあったものと思われる。

ゲーム漫画で、中国でも知られるようになったとか、いい加減な説から、どうのこうと述べる、くだらない説があるが、それはいいとこ、ゲーム漫画アニメなどが好きな、オタクサブカルチャー好する者に、それで知名度が上がった程度の話ではないだろうか。

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形意拳

297 ななしのよっしん
2022/08/11(木) 12:43:07 ID: PyLwMV01Bi
無視しますというなら無視すればいいのに
弁護士チラつかせて日を跨いでまで反論する分際で何言ってんだか



298 ななしのよっしん
2022/08/11(木) 12:46:55 ID: 1NsmOz0F/S
これでは「私は文章を要約するがありません」という自己紹介文でしかない
299 たいやき
2022/08/12(金) 11:47:31 ID: WLM7kFPvOs
元から膨大技術体系をコンバクトに要約してるだけなんですよね。人格の話しになると私は不動産業という仕事柄、半グレやヤクザ相手に1歩も引きませんので、大人しい性格ではありません。私の先生方も慈善世界中の被災地におもむかれる方ですが、素手の拳で人を殴りたいから武術やっているみたいな浮世離れしている人たちで、人格とか言われてもハァ?としか言えない面もありますね。
300 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 21:27:07 ID: PyLwMV01Bi
>>299
>元から膨大技術体系をコンバクトに要約してるだけなんですよね。

アホかな?
要約できてないからツッコまれてるんだろうが
要約したつもりで10万文字えの駄だらけの記事しか作成できない分際で何を一丁前に頼を気取ってるんだよ
301 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 21:43:22 ID: DDmIeL8fEd
好きものや、馬鹿じゃないとこの記事は書けない。
そこは察してやれよ。

話の通じない馬鹿だけど、武術には、向いてると思うよ。
302 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 21:58:50 ID: PyLwMV01Bi
>>301
武術の端くれとしてはその言葉には同意できかねるな
自分の未熟な文章を棚に上げて読み手を批判し、脅迫めいた発言をし、あまつさえ暴力を振るうことを肯定するかのようなはいかに情熱があろうとも批判の対になるべきだと私は思うけどね
というか武術関係なく普通に危ないだし
303 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 23:10:56 ID: yO+9gUIkfX
内容はともかく可読性というか読み手のことは考えた方がいいよね わざわざニコ百武術の鍛錬法を見に来る人なんていないわけで っていうか、そういうのは普通は自分の師匠に聞くでしょww
304 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 23:15:51 ID: yO+9gUIkfX
歩譲って文字数は減らさなくてもいいとして、構成をもう少し考えた方がいいと思う 概要とかはキレイにまとまってるんだから、概要拳→十二形拳→七拳→兵器→その他套路みたいに素人でも読みやすい順番を考えるべきでは?
305 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 23:19:51 ID: yO+9gUIkfX
それと三体式のところにもあるように、「文章で書き表すのは難しく、ここではなるべく簡素に述べることとする。正確な架式については、必ず実伝を受けて欲しい。」のだから技法について詳細に書きすぎるのは読者混乱させるリスクがあり、あって一利なしでは?
306 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 23:27:14 ID: yO+9gUIkfX
最後に一つ、twitterアカウントを見に行ったけど「武術関係者からは賞賛」ってあるけど、この記事はどの層に見せることを意図して作成してるの?武術関係者に見せるならニコ百じゃなくてもnote記事でも作成して知り合いにリンクを教えればいいわけで
わざわざニコ百に記事作成したってことは、素人~ちょっとした経験者ぐらいの人を読者として想定してるわけでしょ?それな長文を書くよりも、簡潔に文章をまとめたほうが興味を持たせやすいのは確実でしょ?
身内の武術関係者だけの意見で文章を作るのは明らかに悪手では