形意拳単語

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形意拳とは、中国武術の門(流)である。

概要

三拳(太極拳八卦掌・形意拳)のひとつといわれている。

東洋哲学の思想、陰陽五行説に合致した体系をもった武術である。

の操法を徒手の技としたといわれている。

・地・人の三才(人合一思想)を体現する三体式(別名を「三才式・子午式・四式・六合式・式・開勢・捉勢など」ともいう)の陽の気を受ける頭部を上盤として陰の気を吸い上げる下肢を下盤として地、その陰陽ふたつの気が一気となると考えられる胸部を人とする架式(姿勢)と、陰陽五行説における木火土を体現した、劈拳鑽拳、木行崩拳、火行、土行横拳の5つの単式拳を拳(基本技)とする。

金行 劈拳

五行拳の拳中の拳(最も基本となる打法)が劈拳である。

劈拳(へきけん:ピー・チュエンカタカナ中国語の発音に似せた表記)はや鉞をもってり下ろすような打法をいうが、伝えられるによって動作には差異がみられる。握った拳で打ち下ろすもあれば、開手をもって全体や根の最も硬い部分であるで打ちつけるもある。劈拳の勁は正経十二系の始まりである、手太陰肺経を伝い放たれるようになっている。肺経のは中府から延び、中府の根は体内に潜り肺へと至り、 肺からは手陽明大腸経中脘(五行の気の交差点であり気の貯蔵庫)→足厥陰肝経へと五行の流注経路は循環している。肺で練られた肺気は五行の気の流注経路を伝って全経絡を循環し、太陰経に属する脾(脾)の食物から得られる穀気と共に、各五行に区分される内臓を動かしていくとなる。即ち肺気を充実させることは、身体を強健とすることの最初の要であり、形意拳が最初に劈拳を練る理論的な理由となっている。

劈拳を構成する動作に鑽拳が含まれるが、これを起鑽鑽)という。拳のなかのさらなる拳であることから、の横(先の鑚拳)とも称される。土はを生むからである(土王説では土が万物の王であり、土から万物が生じると考える。さらに陰陽運説でも土は陰陽を共に兼ね備え、は陰に属し木火は陽に属するとされる。また横とは中央のことでもある)。先の横を発射台として後の横が打ち出され劈拳へと変化する。起落である。この劈拳(劈捉)の打ち終わりの姿勢が三体式である。

三体式は正しく立つことが出来たならば前方、後方、横からの圧、上下、引かれるに対しても堅固な姿勢である。横からの圧については構造上ある程度のものになる。斜めからの圧にも弱いが、紹法(実戦でに有効な技)において姿勢の変化、向きを変えて応ずるので問題とはしない。打ち打たれた際、さながら避雷針のように反作用で起こる衝撃を飲み込むように緩和し、その反発をさらに打ち返すことも出来る。

三体式を敵との攻防間を作り出す構えとして用いるかは、伝承者によって見解が異なる。構えであるという説と構えではいという説がよく対立するが、編集者は応敵姿勢としての構えではいという見解をとる。論、手を前に差し向けることで間合いを測る、これにより攻防間を作り出す、姿勢の変化によって技を誘うという着法戦闘法)は常識である。

形意拳の構えは極勢、即ち構えである。ここから全てが始まる。

形意拳の開門式(門を表す最初の動作)は、極勢→太極勢→含一気勢→両儀勢→三才勢という流れで行われる(太極勢から即に三才勢、あるいは太極勢を省略し、含一気勢→両義勢→三才勢というもある)。この三才から五行が生じるのである。開門式の動作からも実はいくつもの用法が導き出され、けっしてオープニングセレモニーの類ではない。またこの動作自体がひとつの練功法となっている。丹念に行われるのであれば形意拳の流である戴氏心意拳の丹田功と同様の感覚と効果が得られる。

陰陽五行説によればを生み、は木を生み、木は火を生み、火は土を生み、土はを生むというように木火土の5つの属性相生の関係にあり、また同時に、は木に打ち勝ち、は火に打ち勝ち、木は土に打ち勝ち、火はに打ち勝ち、土はに打ち勝つというようにの関係であると説くが、これは形意拳においても同じである。

例えば互いに五行拳を打ち合って稽古する対打(約束組手)を五行というが、この別名を「五行相生相対拳」といい、相手の崩拳に対して劈拳を返し、劈拳に対しては拳を返すというように相手の攻撃に対して打ち勝つ技を次々と連環させて打ち合う練習法がある。この五行の軌跡で五芒と六芒を描いて五行を表すすらある。この対打で用いられる切で崩拳をり払いながら封手し退歩して防御する動作は、劈拳の一種とされ横劈といい木の理合である。

拳術の攻防の中では五行は必ずしも相生相の関係を保つわけではないが、これは相侮といって五行の関係が逆転し、本来のものにされてしまうという現相乗といって相関係が行き過ぎてしまう現があるからだと説明される。だが五行説では五行の関係を相互制約する勝復という作用が必ず働くと説くので拳術も相生と相の原則からは離れることはないとされる。

劈拳で肺の気、鑽拳で腎の気、崩拳で肝の気、拳で心の気、横拳で脾気の運気を行ない東洋医学でいう五臓の気を養うとされる。五行拳の打法の中にも経脈と経、下半身と上半身、正面と背中側というような対で陰陽を表し、五行の相生相が体現されている。

たとえば動作の中で手脚の経絡を互いに擦り合わせ開勁することを摩経(摩脛、摩脛歩とは膝を上げ足で脛の内側を擦り合わせるように歩くことをす)といい、の中に左右非対称の動作がある場合は、それは利き腕利き足を考慮したものなどではなく、身体における陰陽から導き出された自然な身体操作が反映されている。これらはけっして迷信宗教オカルト雑誌に書かれているようなものではない。長い歴史と伝統に育まれた老荘思想、儒教等の東洋哲学東洋医学を論拠とした理合である。

東洋の考え方は古義(伝統武術)は重視し、(古を否定し体育的な考えをとる武術の新しい流れ)は軽んじ、まるでいかのようにるものだが、形意拳を理解する上において非常に便利なものであるので、これを頭においておくと先人が説いた教えとの断絶が防がれに迷わないことであろう。

水行 鑚拳

鑽拳攢拳 さんけん:ズワァン・チュエン)は正確な表現ではないが、よくボクシングでいうところのアッパーカット的な打法だといわれ、下方から握拳を突き上げる動作である。

空手道でいう「裏拳顔面打ち」の要素も兼ね備えている。敵の防御を掻い潜ってのように柔らかでやかにの如き速さで鑽出される打法であるが、用法においては束身し強い姿勢であたり敵の防御ごと、この鑽拳で叩き潰したり、封手して抑え次の技に移行する用法示例(用法の一例)も多い。

起落翻鑽(起鑽翻落)という要もある。戦法としては「落起」「翻讃」だといわれている。虚手(一種のフェイント、仕掛け技)である落で相手を迎撃し敵に反応をさせる。これが即ち起である。その反応を利用して、こちらは手を翻し、讃して実打するのである。理想は落起の段階で敵を打倒していることが望ましいとされる。落は落命であり、起は去である。古来「起は矢の如く落はの如くあれ。」というが敵を打ち倒す威のない虚手など、敵にとっては脅威とはならず端から視され、何の意味もなく正面から顔面を打ち抜かれ撃退されるのがオチである。虚手にも必倒の威速さめられるということである。

形意拳で握拳を作る際は前腕を捻じり、手はまるでを掴んで割らないかのように螺旋状に小側から柔らかく握り、強くは握りこまないことが基本である。これを(らしけん)という。インパクト間、強く握り込み通臂させた威を貫通させるという説もあれば、自然手形が潰れて拳となることで、人体の内部に対してさながらホローポイント弾のような重く波状的な威を与える説があるがどちらも正解である。

握拳を作る際、空手道でいう中高一本拳のような手形を、心臓の形状に見立てて心拳といいい、人差しを突出させて握り込む手形眼拳というが、これらの手形は人中、期門などへの点(経絡・経に対する点打法)に用いるため、必然的に強く握り込むことになる。人体の硬い部分を突く場合は硬く、柔らかい部分を打つ場合は柔らかいように打てばよいのである。これは打においてもそうである。

木行 崩拳

崩拳(蹦拳/ 弸拳 ほうけん:ボン・チュエン)は縦拳による直突きである。

日本拳法の打拳にも似ている。まるで箭で矢をいるような打法である。肝の気である肝火を用いる。肝臓を伸縮させることで肝火を炎上させるとされる。古来は肝臓の位置が人体の右よりであることから、左足が虚で右足が実となる右拗歩と左順歩で打つ形のみ行われ左拗歩、右順歩で行われることはなかった。

崩拳に限らないが五行拳を定められた単式套路で練習する際は必ず前進、後退(崩拳の場合は退歩崩拳。この技は敵の反撃に合わせて崩拳を放ち、敵の突進をも破壊に転化する。これを借勁という)といった移動を伴って行われる。この際、進歩に用いられる代表的な歩法が跟歩(こんぽ)である。技を発する際に同時に前足を半歩前方に踏み込んで進み、その後、後ろ足を前足の進んだぶん引き付けて技を終える。この際、明勁では震脚(踏歩)を伴う。震脚を踏み込むときに前足で行うもあれば、引き付けるときに後ろ足で行う、踏み込み引きつけの両方で行うもあり、それぞれである。跟歩、それ自体は同様な歩法はあらゆる格闘技にみられるが、形意拳はとにかく前進するで打つと説く会ではこれを特に強調していう傾向もある。

跟歩によってリーチを伸ばすのだとか、地にを打つような強い震脚を行うことで急停止し、重心間的に固定することで、慣性とその反作用を利用して敵の身体に打突を突き刺し、突き飛ばすことの効果が喧伝される場合も多いが、形意拳の発勁についてはこの後の文章で解説する。

崩拳の招法の一例としては、敵の打突に対して踏み込み、起鑽の要領で握拳を突き出して挿すように抑え(ちゅうしけい:形意拳における勁の一種。に肘から上の前腕を捻じる)によって敵の攻撃を逸し(摩擦と柔らかさを生かしたで捉える)、その動作をも蓄勁(ちくけい:発勁の前段階。蓄がければ発することは出来ない)とする。そしてその起鑽を捻じり下ろし、敵の打拳を下方に逸した上でそのまま崩拳に変化させて打つ半歩崩拳(単臂崩拳)という、突きの途中の動作を受けとして用い、防御と攻撃を両立させた崩拳の代表的な技法や、敵の打拳を巻き込んで抑え(という)、もう片方の腕で敵の肘関節を下から挟みとりながらサブミッション拿法の一種でという)をしつつ敵を引き下ろしながら膝蹴りを行い、最後にトドメとして拗歩右崩拳を打ち込む穿崩拳などがある。

形意拳は前進して打つことが強調されるが、引き手をとってただっ直ぐ敵に突き進んで打つなどという理解では、たちまち顔面を殴られ撃退されて終わりである。

ジグザグに踏み込み斜めから入ることで敵の攻撃を未発に抑えながら迎撃を行うという教えもある。前進して硬打硬進するにしても自らの都合だけを考慮するのでは妄想の類である。

(片方の手と手をかけ合わせて相手と相対して構えた状態)から相手の腕を抑えて打つなども実戦用法としては論外である。手からでは実際の交戦において発生する、敵との攻防間の奪い合い、俗にいう間合いの攻防が省略されており、敵がこちらの行動に対して対抗処置を行うということに留意する必要が大幅に減じており、実際の戦いの様相からはかけ離れている。相対稽古が手から始まるのはあくまでも便宜上のことである。

相手と接触してからの攻防練習だけでは、たとえ何十年稽古を積もうとも、まともに戦うことなど不可能である。排打功といって手脚、身体の打たれ強さを養う練功を行い、単撃(用法を練習する約束組手)、対練套路(形式の約束組手)、散手(定まった技の応酬から離れた自由組手)、博撃(より真剣勝負に近い形式の自由組手)と進み組手慣れをして経験を積み自信をつけておくことは必須である。現代は便利な防具もあり組手を行わない理由はない。

それと組手は擂台中国武術での試合の場)で争われるような勝ち負けを決めるものではない。あくまでも稽古の一環であり、互いの配慮と忖度があって成立するものである。ガチスパーだといってもやたらと危険な真似をする者は嫌われ排除される。理想はまるでがじゃれ合って遊ぶように、あるいは子供たちが公園で遊ぶ仮面ライダーごっこのように、相手をしてくれる者と遊ぶかのようにやるのである。

その中で技を試し、良い技を放てたのなら自分の中だけで喜び、相手に良い技をもらったと感じたなら、心の中で自己の未熟を反省し、次に活かすと心得、相手の見事な技巧に敬意の念を持つことである。負けた体勢に追い込まれても、そこで理をして勝とうと足掻かないことである。そして追い込んだ方も相手を危険な体勢に追い詰めないことである。こうすると事故が防がれ大きな怪もなく組手稽古が出来るようになる。どれほど強かろうが自己の強さばかり誇り、自分より弱い者に対してリスペクトい者は嫌われ、結果孤立し、自然と上達は阻まれ去っていくものである。

編集者の経験上のことだが、本当に強い先生は恐ろしく見えても皆、根は優しいものである。反面、武術格闘技で優しさに欠け他人の感情を神経に軽視して不快させる言動が立つ者や、周囲の献身的な優しさによって先生と御立てられている反社会性を見せる者たちは、中国の師の権威や門下での序列を頼りとする疑似達人、大した実の持ちではない者たちばかりであった。彼らのような者たちは自己だけを愛し自らの中で思い込んだ正しさを振りかざす、他者への共感性に欠けた病人であるのかもしれない。このようなタイプは外面を取り繕うことは巧みだが肥大したプライドの持ちで、弱みを見せかねない検証の場に出ることや組手交流を異様に嫌がるのですぐに分かるであろう。

日本武術の界では、実戦はオワコンなどという寝言のようながまかり通りつつあるが、2021年現在中国前の格闘技ブーム中で、武術好者の数は著しく増加し、伝統武術が盛んに武を行い、戦えないものは淘汰されている現状であるのは皮的である。

効果的なボディーワークがしたいなら、「あへあほ体操exit」のようなものや、スポーツクラブスタジオレッスンにある、各種トレーニングヨガ健康太極拳で済み、わざわざ戦う術である古武道中国武術を学ぶ意味は薄いであろう。

長くなったが自分が所属する会で組手練習が行われていない、安全に稽古できないという場合は「掛け試し稽古会exit」のような武術格闘技の流えて交流する集いがあり、個人からでも参加できる。

排打功について補足するが、気功をやって内功を積めば外功と同様な効果が得られるので不要だとする説があるが、内拳も古来は外功を非常に重んじた。下の写真は王の排打功のデモンストレーションである。

それでも疑問なら試しに、お互いの腕と腕とを勢いをつけてぶつけ合ってみてはいかがであろうか?かなり痛くそれだけで腕を動かすのも辛くなることだろう。

武術では攻撃標として敵の構える腕を狙うことは常套手段でもある。打撃するように腕をいて入り、さらに反対側の手に換えてもう一度敵の腕を打ち、防御する方の手と攻撃する方の手を素く入れ換えて敵の腕を封手する換手という技法もある。中国武術に限らずこのように両手を連環させて攻撃、防御する技法に沖縄空手でいう夫婦手などがあり、武術の技法としては常識的なものである。それどころか、か弱い腕では重心が落ちた者に剛的に受けられただけでもダメージを喰らいたちま戦闘不能となるのだ。

部の排打であるが、これはただ身体を固めて耐えると誤解されがちだが、衝撃を逃がす工夫が絶対に必要になる。先ず第一に姿勢が要となる。 三体式のような架式自体に打撃背中側、下肢に逃し内内臓を守る防御が備わっているのだが、さらに工夫として肛縮腎があげられる。

下手にをくの字に曲げて耐えると打撃の衝撃内臓を収めている盤の作る椀状のスペースにこもり、かえって余計に内部に効く破となる。身体は緩めるが上体の重さが載りに圧がある姿勢を心がける。適正な姿勢で立ち胸をとすることで自然と実となり、態々をこめなくても衝撃を吸収して反発させる、クッションのような働きが得られるが、これを利用するのである。さらにこの補助として打たれた際にを発して横隔膜の働きを利用し勁が内部に突きるのを防ぐ。

また横に入ってしまうが戦法についても少し述べてみよう。形意拳に限らず武術では引手をとる動作のある分解は、突きの蓄勁や予備動作などではなく、掴んで敵の体勢を引き崩して重心を浮かせ据物にして打つ、あるいは敵の攻撃を迎え敵と自分との間に、自分の腕をもってをかけて打つ(これをという。半歩崩拳などで用いられている)ことなどを暗示している。打つために態々引き手をとって構えるなどという理解ではテレフォンパンチどころの話しではない。攻防の中で自然と引き手が取られるのが理想である。

上の排打功のところで言及しているが、万全な体勢をとっている相手をただ打っても十分に効かせることは出来ない。重心を浮かせ崩す必要がある。これを敵の中門をとると表現する。ただ敵のん中に打ち込むという理解だけでは浅い。武術の攻防はバランスの奪い合いといっても過言ではないのだ。その際、最も有効なのはカウンターである。形意拳ではこれを円錐交叉という。まるで錐やの穂先をもって突き刺すかのように相手の攻撃の圧を逸し、自分の攻撃は命中させる相打ちに形意拳の頂がある。

さらにいうと形意拳の打法は露に引手を取らずとも打てるようになっている。寸勁は形意拳を学んだのなら出来てあたりまえであり、いきなり遠方から飛び込んで単発で打つというよりは、敵の攻撃を迎撃し極めて近接した間合いに入り寸勁でもって戦うような招法である。一旦打ちこんだなら敵が身を引くのに乗じ、たたみ込むように連攻し、打打打というに連撃(打法)をもって敵の反撃を許さず一気に粉砕してしまうのも倒すためには重要である。戦う理由があり敵を打倒すると決めたのなら恐れる心を知らぬものとし、人間だと思って情けをかけてはいけない。これをという(残という意味)、敵に対しては冷酷にすることなく、人ではなく、さながら雑草でも薙ぎ払うかのように仕留めるまで攻撃の手を休めないことである。なぜなら戦意を喪失したようにみせて敵は敗勢を装い反撃を試みているかもしれない。情けやは油断に繋がり、その報いは必ず自分やする者たちに襲い返って来るからである。

形意拳の打突は他べるとモーションが小さく、素人には一見手打ちで繰り出されているかのようにも思われるが、実際はまるで精密機械が動作するかのように全身を協調一致させて発した勁まり、通臂背中から手先にが通ること)され十分な威がある。むしろ体幹からの勁の伝達が露に分かりやすく見てとれるような打法は勁めることが難しく、伝を得た先人たちが誇った形意拳本来の重い一撃の威など発揮出来ないであろう。熟達するうちに形意拳の打法コンパクトなものとなるがそういうことである。

形意拳の発勁は整勁という姿勢から生み出されるである。それに前進する、震脚による補強や脊髄、丹田を中心とする縦回転と表現され翻浪勁などと称される、袖を巻き込むような螺旋的な蓄勁・発勁である袖勁などのが働き、そしてそこに意念が加わる。

六合という要がある。心と意(意とは意思も含まれるが東洋医学では心の本体をいい日本語でいう「本」に近い概念である。日本武道ではしばしばこれを「気」「気の働き」と表現される)が合い、意と気が合い、気とが合うを内三合という。肩と(クワ、股関節、ビキニラインのあたりをさす。収胯することで椎の前彎を弱め脊柱起立筋を起させることを「命門を開く」という。肩と胯を合わすことで重心点に対し適正に立つことになる。その際上半身の多少の前傾は問わない。むしろ命門を開き歩行する際は直立するよりも、適度に上体が前傾することで、片脚にが乗った強いかたちで歩を進めることが出来る)が合い、肘と膝が合い、手と足が合うを外三合という。内外を合一させることが極めて重要であると説いている。形意拳は六合をもって法となし五行十二形をもって拳となすといわれる。つまり敵を打ち倒すという強い意思と技とが一体となるのである。こうしてはじめて人を打ち倒すことが出来るのである。

形意拳の打撃は鉄球にも喩えられ、数ある中国武術のなかでも随一の威だと評されている。非常にシンプルにして合理的な体系をもっており、ゆえに「太極十年不出門、形意一年打死人太極拳は10年は練習しないと使えないが、形意拳は習って1年で人を打ち殺してしまう)」ということわざさえある。

形意拳術のは極めて易しいが、極めて難しいともいえる。易しいというのはこの拳術の形式がいたって易しく、いたって簡素で繁雑ではないからである』孫堂 『拳意述』より

火行 砲拳

礮拳/炮拳 ほうけん:パオ・チュエン)は縦拳による打拳と、これも正確な例えではないが突き出す方とは反対側の手で、空手道でいうところの上段揚げ受けのように、前腕を回内させて内から外に片方の手を払い上げるような動作を伴う打法である。

拗歩拳を大砲にたとえて炮式ともいう。心の気である心火を用る。心火は肝火と同じく陽気に属し上へ上へと炎上する性質を持ち、打法の性質からか敵の上段、を打ち貫くことに適している。突き出す方と反対側の拳も抑えつけてからの打撃や肩関節への関節技に応用出来る。拳は鑚拳と崩拳の変化技であり身体を開き、そして閉じるで打ち出される。これを開合といっている。さながら古代に攻兵器として使われたでもって弾丸の巨石を放つかのように打つ。

形意拳では危険な招法も口伝的に伝わってはいるが、この動作は必ず受け技である、これは中段突きであるというような単純に固定化されたの解釈は定めてはいない。防御の中に攻撃があり、攻撃の中に防御があるのである。太極拳でいう連随(「連黏随」ともいう)の「」とは敵の体につくように接触することをいい、「」もまた敵と離れない性のことをいい、どちらも摩擦のことである。

摩擦とは固体表面に作用するに対するブレーキの事を示し、先人はこれを活用せよといっている。「」と「」は攻防において敵の動きに対し臨機応変に対応することをいっている。ただ敵のに逆らわないとやっているだけならば、自分がコントロールされるだけである。太極拳でいう「黏連、黏随して離れることがない」は形意拳の戦闘法のなかにも含まれるものである。その摩擦ヤスリのごとく強く、腕と腕が擦り合い、あるいは打ったところが強に擦られ火傷のような擦過傷にすらなってしまうことすらある。

形意拳が接近戦を得意とするのは特に以上の理合からである。

土行 横拳

横拳(おうけん:ファンチェン)は鑽拳を内から外へ半円をえがいて弾くように一気に打ち払う打法である。この表現も適切とはいえないが詳細は実伝をもって確かめてもらいたい。

空手道でいうところの内受けのように相手の打拳を内から外へ弾いて受けるように用いたり、相手の側面に打ち付けたり、あるいは手のひら側を下に向けた状態でっ直ぐ錐で刺すように突き、インパクト間これを回外させ捻りこみながら空手道の中段下突きのように打ち貫く。

技の示例としては斜めから入り一方の腕で相手の腕を抑え、肝臓、脾臓、顔面などを打ち貫く。なぜか形意拳のなかに横拳を軽視する者がよく見られるのは余談であるが、打法の単純さから単なる受け技のように思われるのかもしれない。だが「十二洪捶」という横拳の変化を学ぶ套路を持つさえあり古来も重要であったことが伺える。

拳や横拳で斜めから入るためによく用いられる歩法が編歩斜め前方45度に踏み出すこと)してジグザグに進む歩法の践歩であるが、存義が稽古する必要性を説いたように、すべての五行拳においても寸歩(半歩踏み込むことをいう)だけではなく、別の言い方ではこの三才歩あるいは反三才歩から翻って(翻三才歩という)、斜めから入る歩法(一連の歩法を一般的にともいう)、退歩などでも練習すべきである。

踏み込む際に膝を上げて踵から着地させることを虎歩といい、そこからつま先をパタンと着地させて歩を進めることを鶏歩という。これら一連の歩法を摩脛歩とも称している。編集者のところでは拳や虎撲手を練るときに践歩と併用して行うことが多い。歩法中に蹴りが暗示されている。

その他、形意拳には展歩換歩ともいう)という、後ろ足から(がいほ:足の内側から踏み込み踵、土踏まずを正面に向けること)して踏み込み、軸足をスイッチして踏み変えることで玉環式(剪子股式)となり、然るのち前方に進む(打と蹴りを伴う場合はそのまま形の倒上となる)、あるいはそのとき八卦掌扣歩擺歩のように踵を軸にさらに方向転換を行い、素く小さな動作で敵のサイドに回り込む歩法や、疾歩といって尺取りが進むかのように身を沈みこませ前方へ大きく踏み込む歩法もある。このときマンガでよくあるように極端に浮いて跳ぶようにしてはならない。極重心を下に落とし安定させたまま移動することを心がける。虎形回身式など回身式で方向転換する際は、単なる振り返り動作では終わらせず、扣歩、擺歩により下肢から起こる螺旋のを途切れさせず手に伝えられるよう工夫せよ。これは発勁、招法にも応用出来るの使い方である。

古来、手で打つこと三分、脚で打つこと七分というが、形意拳の打撃は手は脚のように用い、脚は手のように用いる。打拳は腕で打つのではない。敵を打つのは脚で移動し敵に当たる身体である。手はそれを補してまるで脚で地面に立つかのように敵と自分とを支えるのだ。それが重いある打拳となる。思い込みを捨て、稚拙なを抜き姿勢が作り出す構造的なを信じて打つべし。

これら五行拳を握拳で行うものを五拳といい、開手で行うものをという。五は後述する暗勁の練習時に行われることが多い。

五行拳の練拳は劈拳から相生説の順番に鑚拳→崩拳→拳→横拳と練られることが多いが、劈拳→崩拳→鑚拳→拳→横拳というやり方もベーシックである。いずれも東洋思想的根拠に基づいたものである。

よく門外の人間がる形意拳の達人の逸話に、見て真似しての自己流や不器用で愚鈍ゆえに崩拳だけを繰り返して功夫をつけて師に認められ、達人になったというストーリーられるが、面おかしく作話された単なる俗説に過ぎない。だいいち劈拳も打てない者は三体式すら作れないのである。マンガのような荒唐稽の夢物語に受けないように。突き技が拳法義であるなどと思い込んだ、った者の願望が反映されたものに過ぎない。そのようなは形意門の伝統的な教えからは中正を失っており偏向したものである。

でき得ないことを信じるということは、本当にでき得る恐るべきに対してわかってないということもいえる。これはマジックまがいの表演を見て信じる人は、本物の威を見て、マジックと思うのに似ている例えば、ある中国拳法名人が人を打った。ところが打たれた人はフッ飛ばされて木の枝にひっかかって死んだとか、人のを一撃したところ打たれた人は玉がとんで出て死んだとか、拳で筋肉をひきちぎった、というストーリーがあるが、グリズリーやコダックベアアメリカ大熊)でもあるまいし、人間でできることとできないことがあるのである。秘術というものは、そうした動物の持つ大蛮限界にせまるものではなく、全く違った意味において人間の持つ限界えていくものであり、これが秘術なのである。正しく功夫を学ぶ人は、あくまでその現実を重んじ、架の話やを聞いてまどわされることのない真剣な学習精から、常識では不可能と思われていたことも次第に習得して、できるようになるのであって、これはを見ないで現実を尊ぶ心から生まれてくるものなのである。清剛 著『中国拳法 秘伝必殺 』より

十二形拳

さらに上級技法として五行拳の応用である十二形拳という動物の形体、意念を模した形拳がある。

それらは形拳虎形拳形拳猴形拳形拳形拳形拳鷂形拳、𩿡形拳、形拳形拳形拳の12種に分類される。

十二形拳は例えば形ならば両拳で打つ双蹄手、片手で打つ蹄十字崩拳など、複数の異なった動作を含むがそれぞれの形拳に分類されている。単式で練るだけでなく、例えば形拳の套路というように、それぞれの十二形にカテゴライズされた様々な技を、繋げて打つ連環套路をもっているもある。

形でめた套路()である四把捶(形四把捶)、十二形拳のすべてを連環させた雑式捶(形意十二形合一拳)、十二形拳を打ち合う対打の安身(形意十二形大用対拳)などもある。

五行拳の各単式套路、五行連環拳や八式拳のような套路のなかにも十二形拳の動作は含まれている(倒上形回身式など)。また順歩劈拳を形式といい形であるとし、順歩左崩拳を虎出洞と虎形とみなし、拗歩右崩拳を出現と形とみなすというように五行拳そのものでさえ、十二形に分類することが出来る。これは形意拳の原であった心意拳が手の形、歩法、あらゆる動作に十大形にあげられる動物をあてはめ、原則としたことの名残だと思われる。

ひとつ特に注意がしたいが虎形拳の虎撲手(両での劈打)で相手の胸を強打することは心臓震盪の危険があるため、用法対打でも絶対に行ってはならない。劈拳・劈についても対錬では肩口を打つこと。せいぜい太極拳の双のように推す程度か寸止めに必ず留めて欲しい。軽く打ったつもりでもコントロールが効かず思わず威が出てしまうことがある。また推手中に相手を遠慮に打っての事故がありがちであるので導者は厳重に注意して欲しい。

武術を稽古するなかで胸部への打撃による数の心停止や不整脈などを経験した者も居るだろうが、甘くみてはならない。1分程度脈拍がとぶことは問題とはされないが、それが2分、3分ともなるとしだいに意識はなくなり、 やがて呼吸も全に停止する。こうなると医師心臓マッサージ人工呼吸で救命にあたっても生還率は7割にも満たない。

活法について少し述べる。顔面で気絶して倒れた場合は、呼吸が止まっていないのであるならその場に安静が基本である。部への膝蹴りなどで呼吸が苦しく呻いているようなら、相手を仰向けに寝かせ、その上体を背中からしゃがんで抱えあげて起こし、自分の両膝で胸椎の突起を挟むように圧し、抱え上げて軽く垂直牽引する方法が活法として有用である。同じように両肩甲骨の間にある霊台に方膝を軽く当てて牽引しながら圧して刺する方法や、霊台を強くで拍打する方法もある。部や胸部を打たれて気分が悪い場合も、霊台を軽くポンポンで数回拍打すると楽にする効果がある。こめかみにある太陽を強めに揉法で圧するなどもある。睾丸を蹴られて呻いているなら、を後ろからで数回軽く拍打し、続いて仰向けに寝かせ下部を揉法で両で圧しながら回し撫でると楽になる。

全に気絶している相手には人中に鍼を刺す、もう脈が止まって戻らない場合は蘇生法として会陰をつま先で蹴ってみるというのが伝えられているが、こうなってはもはや手遅れ感がある。重大な事故があった際はすぐに医療機関に連れていくことである。

胸部への打撃による炎症、気血のめぐりが悪くなる症状に対しては、方の血(おけつ)核承気湯など)が効果があるといわれている。余談だが排打功の効果を上げるものとして生のクコの葉や枸杞、枸杞の実、補中益気湯などがある。

形意拳の套路

套路については蔡拳ほどではないが、各で多数のものが作られ伝えられている。最古の套路は四把捶である、いや八字功だ、老三拳と呼ばれる劈、劈拳、崩拳 (別説1:劈、鑚、崩 / 別説2 : 劈、崩、)だなどといわれているが分からない。各で共通するのは五行拳、十二形拳の単式套路だけである。余談だが戴氏心意拳では雑式捶は山東省の螳螂拳との交流に由来するという説がある。

■単練套路
五行拳、十二形拳、五行連環拳、四把捶、八式拳、雑式捶、正門八字功、奇門八字功、出入洞など。

■対練套路
、五行、安身、双手など。

蹴り技については練功法として様々な蹴り技がみられるが、套路の中に蹴り上げるようなものや、圏脚(し蹴り)のような蹴り技はない。

に半円を描いて足を上げ、踵で相手の部、膝関節を正面から踏み抜く採腿(サイタイ、本来のサイの字は𧾷)と呼称する、八極拳脚と同様な蹴り方である。踼(蹴り上げ)を嫌い採を好むという。この蹴りは非常に地味でありながら威が大きく避けられ難い。

かしこのような関節蹴りは、競技格闘技においても忌むべき悪質な技だと認識され、ルール上禁止されているのが通常である。許可されている一部のMMAの競技でもやりすぎるとでみられ、禁止にするべきだという議論がたびたび起こっている。

軽めの組手でも絶対に用いてはならない。練習では太腿を軽く踏むくらいで止める方が良い。膝の正面に対しては軽く蹴ったつもりでも相手に傷を残す結果になりやすい。前の膝を内側に入れることで関節蹴りに対して強い架式を作るのだというもあるが、動きの中で蹴られては到底事では済まないことになる。

安身などの対練では相手が蹴ってきたら、前足を引いて軸足を入れ替え、もし蹴られたとしてもインパクトの際の衝撃を逃がせるように対処している。前足が虚で後ろ足が実であればこのようにして逃れることが出来る。つまり相手が前屈で立つときを狙って繰り出すと対処は困難となる。敵の攻撃を察知するコツは視線を一点に集中させるのではなく、相手の全体を周辺視野を使いぼんやりみることである。これを中国武術ではという。様のような、どこを視ているか分からないような表情となる。形意拳ではさらに「猴相」といい、心を残とすることで口元には自然と笑みが浮かぶ冷静な狂気と称せられる心理状態を尊んだ。

八卦掌の用となるが歩を進める動作自体にも暗腿といって蹴りが暗示されている。接近しながらさり気なく敵の脛などを下段を蹴ってガリガリと踏んでやるのだが、靴を履いた足でこれをやられると被害落にならないものがある。形意拳に高い蹴り技がみられないのは寒い地方で発展した武術なので、一般的に皮の厚いブーツを履いており、それで下段を蹴ればたちまち勝負はついたという説すらある。

独立勢(式など)といって片足立ちになって膝を抱え上げる姿勢は膝蹴りを暗示している。套路の中で下勢から独立勢に移行する動作からは、身を沈め敵を地に引き倒し、あるいは掬い上げし、これを逃れようとする敵に跳躍し膝蹴りを叩きつける用法が一例としてあげられる。形意拳の達人、孫堂はのように身が軽くこのような技を得意とし「活猴」と渾名されていた。

形意拳は全身が拳であると考える。七拳といって拳足だけでなく手、肘、足、膝、、肩、頭といった体のすべて、(手足の末端(肘膝)、根節(肩背臀部)を技撃に用いる。一例としては靠撃震靠法)といって肩や背中を敵に叩きつける打法もある。

補足としては形意拳には三幹九節という考え方がある。一幹:を根幹とし外が、内が。中幹を脊髄とし外が脊髄、内は心。頭を末節とし外が頭で内は。二幹:肩が根節、肘が中節、手が末節。三幹:が根節、膝が中節、足が末節となる。また東洋医学由来のという概念も古来は重視した。筋の、血の髪の毛は舌、である。摩経によって四を驚起させ、これら身体の各部位を協調させることで整った勁が生まれる。

武器術については形意拳は槍術から創始されたとされ最重要視する。

の他にも棍、剣、、三節棍、九節暗器(隠し武器)などの兵器の操法が伝えられている。五行など武器においての五行拳のような套路を制定したもあるが、しかし孫堂の書いた形意門の重要な資料である『拳意述真(笠尾恭二著 きみはもう拳意述真を読んだか-内家拳の達人・孫禄堂が遺した究極の極意。exitによると、原初は形意門では武器練習ど行われておらず、独自の器械套路(武器)はかったようだ。武器は形意門の発展とともに各の先人が独自に作っていったものである。だが形意門の先人には存義など術の達人と誉れ高い者たちも居る。中国では兵器は手の延長といい、拳法武器術の基礎訓練となるという伝統的な考えがあり、拳法武器術に優れているのは当然のことである。

余談だが武術では歴代の伝人たちが各々工夫していくうちに外形が変わりそれが原因で、うちが本家拳だ、元祖拳である、裏本家拳、いや伝拳だというが発生し、他を認めないというケースがあまりにも多い。同じ名のでも技法内容が異なっていたりするのは極めて普通のことなのである。

「味の違い」というのだが、老師が昔ながらの各人の個性を活かす教授法をされると、たとえ同じ門下であろうとも拳が異なるということもしくはない。人間の身体の作りや気性は各々違ってあたり前であるからである。例えば身体の違いについて下盤を例に解剖学的に人の身体の違いを述べてみよう。大腿頸部の長さ、盤の臼蓋(受け皿の部分)の向きと深さ、大腿頸部の度、腿のねじれ度、仙と腸を繋ぐ仙腸関節の可動域(仙腸関節を繋ぐ靭帯は人の身体の中で最も頑丈な靭帯群であり、柔整鍼灸学校解剖学の授業ではその可動域は0度と教えられるが、実際は動いている)などは人それぞれ違っており、股関節周りの運動解剖学的形状の違いで大きな影を受けている。武術の動きの中で強いを導き出すことに拘りがあるならば当然考慮するものである。

果ては各で伝わる拳譜の文章の細かい内容、用漢字まで異なっているほどである。であるので、もしも自他の会の先生が自分のとこは伝、あそこは偽伝だ、伝が伝わっていないなどとやたらと高にしているなら、そうですか(^^)、そうですね(^^)と聞き流しておくのが健全である。

あいつはインチキだよと言ったところで、人の家族関係や拝師、伝承などエスパーでもあるまいし、その本人とを立てた者にしか分からないことである。そしてどんなに師伝がはっきりしていると誇ったところで、そんなものは他の伝系からしたら「あそこは亜流」、「伝を得ていない」の一言で済まされてしまうのである。それでも他を貶め愚弄した物言いを盛んに吹聴する者は憎んでいるか、利関係があるか、嫉妬している、あるいは人を蔑むことが愉快だという、心の動きが健康的な者とは異なる者である場合でしかない。武術を離れた一般世間からたちまちで見られてしまうような者がイキリ出しては悪立ちするのも中国武術の界)ではよく見られるである。

他のところの武術をやたらと批評し、うちの先生は凄く強くてうちの流には一見殺しの秘密の技がある、それにべてあの先生それに負けたのだ、あの先生は某先生に怯えて挨拶もせずに帰っちゃった情けないよね、というようなことをペラペラと喜んで喋るのだが、肝心の本人には全く実が欠けているという例を皮り「口功夫」といい、そして自分は強い、門人だ、嫡伝だ、正と誇り大言を述べるが、実際はばかり多少見栄えが良いばかりで、いざとなると負けることを恐れ戦えない見かけだけの者のことを「死功夫」などともいう。また短期間のうちに様々な会セミナーを渡り歩いては、ひとつの武術を据えて学ぶ気が全く見られない者のことを「カンフールンペン」と業界では呼んでいる。

古来、良師は三年かけて探せなどというが、彼らが探しめるものは自己を肯定してくれて、楽をして実が付くという便利なものや、秘的な拳法を探しめて彷徨っているかのようで、真剣武術の稽古に打ち込んでいる者からすると、不純で邪なものを感じさせるのである。自分から酷く愚弄しておいて、報復の気配を察すると実は自分は病気で身体が弱い、私は方に脅されている被害者なのだと開き直り、情けない姿をみせて恥じない者たちすら見かける。こういった者はほとぼりが冷めるとまたイキリ出して同じようなことを繰り返す。

つまり半端物で意気地なしの臆病者と、法螺吹き、詐欺師の類が自己の実とはべつのところでピーチクパーチクと非常に騒がしいことが武ではありがちである。

武術に対して誇りのある先生は他からの中傷や疑問に対してはどうぞうちにいらしてください(^^)という堂々とした態度をとるものであり、推手をお願いしたり話を聞きに行く程度のことで、すぐに決闘法律に反するだとか、場破りは警察に即通報しますだとか、弁護士を介してなら会うなどのなさけないインチ武術テンプレのような滑稽な言葉はけっして吐かないものである。

かつては清剛が武用格闘技)と喩えたような武闘では、他の場に乗り込んで武を行うことなどべつにしいことではかったが、しかし今では内の中国武術(健身芸術が大数をしめ、とても武技を練っているとは思えない現状となっており、それを憂いた導者が半ば自嘲して中拳などと中国武術と界をその情けなさを表した、侮蔑的なイントネーションをはらむ言葉で呼ぶことすらある。

日本中国武術の界は残念ながらその普及初期から、スピリチュアル志向に傾き過ぎた紹介者たちや、そのシンパで利関係から偏向した情報を紹介した雑誌、マンガなどの影でさながらカルト化の様相がみられ大きな病根となっていた。

そこに古くから日本に在住していた華僑由来の武術台湾香港由来の実用志向が残された武術と、中国本土由来の伝統武術、あるいはスポーツとしての表演武術などが混沌的に入り混じり、しかし互いに反発しあって大きな結束はみられないのが内の中国武術の現状である。しかも玉石混交なのである。

中国武術には拝師という日本武道における内子制度のようなものがあるが、かつて古人は武術伝は人を選んで伝え、伝えないのであれば失伝させよという厳しい姿勢で継承させてきたが、現代では大を積み拝師したことが然とられ噂されていたり、商売として外国人を含めた多くの者に拝師を行わせる中国人老師もおり、またこれは実なのか不実なのかさっぱりわからないのだが、拝師は出来るが外国人に教えられることはこれ以上ないと、わざわざ断りを入れてくる老師までいるという。

中国武術でいう拝師門徒入室門徒というものは、それが即ち免許皆伝というわけではなく、学生外門から正式にその老師の元に入門し、これから研鑽を積んでいく者をあらわす言葉である。古くはこの拝師門徒にも門生示範把式といった序列があった。示範が教練(導員、師範代)と言った程度の意味で、把式はその老師の門下の把式場場)で最も優れた実を持つ者をいう。大陸台湾に一年や二年にも満たない短期間の渡航を繰り返しては、老師に学んだとか拝師をしたなどという者に、果たしてこの先生、自分の師との信頼関係、人間関係を構築出来たのかと疑うような人格の者が見られるのは上記のような理由からである。

また、香港や陳溝の老師たちなど、保守的な気を尊ぶ老師には拝師に際し、自の系譜に外国人の名前が記されることを嫌い、あるいはもうその子は々の民族の伝統を受け継ぐに足る者となったというとして、中国人の名前を授ける慣習があるがこれを拝師名という。いわゆるカンフーネームというものは大体これである。それと門によってはという、その門の流祖から何代にあたるのかを示す漢字をひとつ与えられるが、武術はこれを号や通り名、拝師名に組み込む場合もあった。この拝師名や字輩の上下関係をめぐって、くだらない争いが起こることがあり、現代ではあまり表では大っぴらに明かさない者もいる。

スポーツ競技としての中国武術世界大会を開催できるほどののある団体は数少なく、イデオロギーを理由に分裂もみられ、例えば米国政府導で、中国共産党による政治的な影を排除するかたちで設立され、台湾政府運営を行っている台湾術総会などが加盟している、華僑武術の最大組織とされている世界術総会、中華人民共和国導で設立された経緯をもち、日本武術太極拳連盟などが提携している武術連盟という団体があるが、うっかりこれらと提携していない小規模の団体が開催した大会に招待されて出場すると、資格制で審判を育成したわけでもない者が不審な審判を行い、酷い場合はあとで入賞が取り消されるなど嫌な思いをしたという選手の話も聞き飽きるほどある。

日本中国武術が置かれている上記の厳しい現状は理解して錬拳に励むべきである。

三層道理

形意拳では三層理(三段功夫)といい、の三段階に分けて拳を練ることを説く。一層の明勁(換功夫)では拳足を素く動作させ堅きこと鋼の如しというように剛的に形を厳密に鍛る。動作と呼吸を一致させ発)、震脚などの発音が伴ってもよい。これが錬丹の三易における練精化気である。

震脚について補足するが、震脚は打撃の質を変えることが出来る技法でもあるが、自己の重心沈下を確認する際の分かりやすい安ともなっている。重心が浮いた状態では音は軽いが、沈下した状態では音は大きく鋭くく。震脚は意図的に大きな音を鳴らそうとして強く踏歩するものではない。重心が落ちているがゆえに自然と大きな音が鳴るものである。重心が落ちて安定しているのであれば素速く軸足を踏み変えることも、前進後退することも自在である。これはあらゆる門のものでもいえることだが、表演などで魅せるために大げさに強く踏んで打ち鳴らすようなものは、ちゃんとした震脚となっておらず居着いている。架式が適正であればその衝撃で足を痛めることも、身体に悪影を受けることもない。自己の未熟を震脚のせいにしないように。

二層の暗勁(易筋功夫)では意念を重視し柔らかく綿の如き動作を練り慢練となる。緩みの中で出せる勁を純化させ、明勁で得た短勁を体のどこからでも発せられる長勁にしていく。短勁とは勁上の性質で区分された発勁の種類で、間的に爆発的な威を発する勁をいう。これを爆炸勁ともいう(驚炸勁とも称されている)。身体を震わせて打つ弾震勁などもこの短勁の一種である。それに対し長勁は単勁とべて持続的な威を発揮し、波状的な衝撃を体内に与えて損傷させるものである。柔勁とも称される。これらを打拳における間合いの長短の区分というような意味で述べられることもあるが、編集者はそうは教えられていない。形意拳でいう「剛」とは「硬」ではなく「柔」も「軟」ではない。軟らかさのなかにも勁さがあるものが柔、硬さのなかにもやかさがあるものが剛である。この点は特に注意して欲しい。

暗勁では呼吸は自然で発、発音は伴わない。練気化である。形意拳の歩法は滑らかな重心の移動を心がけ、後ろ足でやたらと地を蹴り出して進むことをとても嫌うが、暗勁の場合、特にそのように意識して歩く、屋外で稽古し跟歩で後ろ足を引きずる際や摩擦を利用した螺旋の動きが入る回身式以外で擦る音が大きく聞こえたり、体育館で稽古してどんな動作でも、靴と床が触れて常にキュッキュッと大きな音を立てる者は、たしかにで見えるの動作手順は正しいのかもしれないが、稚は用いないという古伝の理合による勁をほとんど理解しておらず、功はそれ相応であろう。勁を自らロスするかたちで動き、果てはそれをスムーズな動きで良いとも誤解している。この見方で八卦掌太極拳における練度や理解をも察することがある程度可である。他のことであるが編集者が交流した太極武藝館exitの円山洋玄館長は普段も床を蹴っては歩かれないことを底されているので、他の者とべてサンダルの底が摩耗し難いという。武術の使い方において足で地を支えることで導き出されるを余すことなく活用することは最も重要である。

三層の化勁(洗髄功夫)では剛柔を相済させて鍛える。緩急を伴った動作となり練還虚である。ちなみに武術の緩急のコツに投網式というものがあり、緩慢に動く際は重いの投網を投込むように、 そして網一杯の重量物を引き込むが如くの意を用いよとの教えがある。 編集者は師から回身式を行う際に特に注意されたことである。このような意念を持って動けば 「緩」の際にまるで下手な踊り同然の勁の欠けたものとはならない。化勁は緩急の妙をとくに稽古する。「緩急」の「緩」とは「のろのろ」、「ぐずぐず」、「がたがた」としたぎこちなくて、ただ遅いというだけの動きとは異なる。 また「急」も「発勁は箭を放つが如し」とはいうが、 みのようなの溜めが、容易に外見に表されてしまったり、 ただ任せに打ちっぱなしにしてしまい、 意思によって打拳がコントロールを失ってしまうようなもの、 つまり速さで粗雑さを誤魔化したような動きをいうのではない。武術の緩急には、動作の何処にも滞りのいものが要される。

を切って脚から拳に勢いと体重を乗せたストレートパンチのようなものがやりたいのなら、その練習を存分にしたら良い。敵を打ち倒すことが出来る強な威を発揮する有効な打突だが、形意拳など内拳が理想としている技とはあまり関係がない。下肢、体幹から生み出したをうねるように手に伝えて放つ野球ピッチングのようなの使い方も武術からは遠い。

化勁での動きは、定式があってないかのようで見識が浅い者には自己流にも思われ一見適当、出にも見えて整勁がいかのようにも思えるものだが、内勁によって技が発動されるため威は外形に縛られない。較的外連味のい動きを見せて化勁だと謳う者も居れば、がうねり、がとぐろを巻くかのような、外連味あふれる動きを化勁だと見せる者もいるのだが、編集者にはそのどちらが正否であるかは決めかねる。

内勁とは身体の中から導きだされる効率的なを、そうふんわりと形容したものである。ある者はそれを気の働きによるものだと表現し、ある者は丹田の、ある者は呼吸であると述べるが、そのどれもが正しいともいえる。

また武術に熟達する者からは総じてそれは筋肉ではいとられるが、胸椎から椎、腸、大腿筋膜筋へと繋がり股関節の伸展をインナーマッスルである大筋、腸筋、呼吸をる横隔膜などの運動と、それらによって刺される内臓を包む腔、膜、直筋などに部や脚、背中に感じる感覚を筋肉ではいと形容しているものと理解しても構わない。

論、東洋思想的な理合でも、それによって導き出されるに有効であるならば、内勁の解説としては正しい。また精の働きがければいかなる勁も発揮出来ないのであるから、意念などの心の働きを重視することも正しいといえる。たとえ気功的な説明をされることはあっても、それは武侠小説で描写されるような荒唐稽なものではない。

他者の動きのなかに内勁があるのかいのかは経験者はある程度みてとれるが、それを批評し強くする者の根拠は過分に雰囲気的なものに過ぎない。とくに自とは異なる身体操作をする者の内勁をみとり、ましてや実を正確に判断することなど不可能である。武術の熟達者の動きは一見素人めいたシンプルなものとなる場合も多いのであるので、内勁も気の働きのように自らが体現することで以てる体感上のことであるともいえる。

論外だが重心の沈下を落下運動であると誤解している者すらいるが、この程度の者たちと武術の技術論をり合っても話が通じることはない。内勁、功などはその優劣を明らかとするなら武を以てしかありえない傾向の話題であるので、もしもの内勁を話題とするならば内和で止め慎重に行って欲しい。

中国でいう「勁」「勁」とはやたらとむことで発せられる不合理的で稚拙なではく、もっとスマートなをそう、ふんわりと言い表したものである。あまりにも便利な言葉であるので、拡大解釈され、あたかも秘的なものであるかのように喧伝されるが、近代に入ると西洋からの新しい考え方を取り入れ、そのような曖昧模糊な表現を嫌い発と言い表す王向斉のような武術も現れた。

また広東省、福建省のような中国南部で発展した南拳の中にも合理的なを確信的に「」だと言い表し、勁というようなふんわりとした表現をしない門もみられる。これら拳などに代表される門では脚から起こるを地根、震えるように発するを震身などと言い表す。昔の北拳法、内拳の人間は南拳を愚弄して述べることが非常に多かったのだが、その言動は概ね彼らの実戦的な強さに対してのコンプレックスや、北や内中国武術を学んだ日本人の一部が、自分の武術空手道べて高級なものだとして、空手道を見下したゆえに、空手道に近い姿の南拳を同じようなものと評し、臭したい意図が過分に反映されたものであった。南拳も非常に内功を重視しており非常に強い武術である。その流れは形意拳から生した意拳や空手道に大きな影を与えている。

台湾に強大な発勁物理的に数メートルも人を浮かして飛ばしてしまう演武を行う「岳」という、形意拳と八卦掌の伝承者で人気の達人がいるが、氏が述べることを要約すると、勁というものは人は皆、先的に持っており、武術運動、特に站樁功をとおしてそれを増強することが出来る。発勁が出来ない者ほど丹田、丹田というが勁は脚から生ずるのだと説いている。この認識は意拳や太気拳に近いものだと個人的に編集者は感じる。

というものは対に対して働くとしては補助的なものであり、姿勢によって地面からのを導き出すことが正しいという説である。これを手を地面と直結させると表現する達人もいる。とはいえ編集者の師はこの岳や同様の見解をとる達人たちの手解きを受けたので、その考え方に傾倒した理解であると思って欲しい。とにかくどのような説をとなえ、どのような原理であっても最終的に敵を打倒出来る威ある発勁を体現出来るならよいのである。

これら明・暗・化を「三回九転これ一式」というように繰り返し修練することによって「拳は拳、意は意、意の中にこそ意あり」の地に至ると形意拳は説く。これは錬丹における錬虚合(還虚合)と相合する。

形意拳のは内丹術の学びに似たところがある。 三易というものがあり、それは練精化気、錬気化、錬還虚である。拳術にもまた三易があり、易、易筋、洗髄である。 すなわち明勁、暗勁、化勁である』『拳意述』第四章 深論形意拳 第四則から意訳

とはいえ現代では三層理で説くように順繰りに勁を練ることはあまり一般的な稽古ではないと思われる。

動作と呼吸を一致させ発を伴わせることもどみられない。極々稀にを用いた表演を行う者もいないわけではないが、形意拳ではその流となった戴氏心意拳ほどの多な発法はないと思われる。によっては表には隠しているというのもあるだろうし、最初から達人の達した姿を理想としているというのもあるだろう。

とは気合のようなものとは異なり、横隔膜で腔を圧縮させるように発し動作と意念を一致させ発勁の補助とする技法である。陳氏太極拳における意と同様の的のものである。

注意としては形意拳でいう明勁、暗勁、化勁とは、太極拳八卦掌八極拳でいうところのものとは概念が全く異なることも留意して欲しい。これらは混同されやすく中国武術修行者同士でも話が皆通じなくなることがある。

形意拳以外では暗勁は外部から勁が見てとりにくい発勁や、接触状態から発せられる、寸勁、分勁、勁の類をす。太極拳で化勁とは相手の攻撃を化するような技法をいうが、形意拳のものは上記の通りである。

浸透勁だ、なんとか勁だと暗勁の類の威をことさら秘の技のように喧伝する者がいるが、たしかに外(人体の外側)を打ち貫き内背中にまで威を通す打法武術にはある。しかし人体でも固定されたものであっても、打てば自分に反作用が返ってくる。その緩和、緩衝のために半ば架式があり自らの打突で自分が突き飛ばされるような事態を防いでいるのだが、大木のようなものをちょんと打って、全く反作用が返って来ず、あとから木が揺れだして葉が落ちるなどというマンガの中だけと、武術子に喜んでもらうために好んでいう冗談の中にだけ存在する白髪三千丈のお伽噺である。

砕けた表現になるが、とてもこの人、どうみてもヤクザとなんて戦えないなというオジサン武術に多い)がの席で酔ってふくらませてる法螺の武勇伝とさほど変わらない。達人がいう私が打てば人は死ぬよという類の言葉は概ね戯言である。

発勁について最後に特に注意するが、武術では僅かに触れられた者が簡単に跳んで行ってしまったり、それどころか触れられていないにも関わらず、操られているがよくみられるが、あれは一種の自己催眠、感応のようなものである。稽古の中で自然と師の技を察して跳んで行きたいような気持ちになるのである。面いもので、物理的な発勁として成立していない触れ方では、武術の稽古を積んだ者が感応することはまずない。

編集者の形意拳の師も私から威のある分勁(ほぼ接触状態から放たれるワンインチパンチの一種)で打たれると、威が突きる前に、を上げて自ら後ろに大きく飛び退んでしまう。それで怪しみ今度はいい加減な打ち方をすると、師は全く反応せず、ちゃんと打ちなさいと注意されるということがあった。

太極拳ではこれを(もっと高度で秘的なものであるというもある)などという。自分より上級者に技を掛けられると触れられずとも技にかかりたい気持ちになったり、限定した条件を定めた上で、相手から崩されやすい上手い度、要領で技をかけられて技に掛かる、このまま技を掛けられると関節を傷めるので自ら転がって投げられるようなこともよくある。

門外には奇妙に思われるかもしれないが、あくまでも練習の一環であり、本来は怪を与えず練度を確かめるのに都合の良いものであるので行われるだけである。ちなみに発勁で打ってもらうことを食勁という。

論外だが練習によってそれを演出して見せる詐欺まがいの演武もある。それらは技に掛けるタイミングを見計らっていたり、視線で合図をしていたりするので、玄人ならすぐに察することが出来るが、しかし多くの武術未経験者はそれが武術の原理を以て魅せた技なのか、アトラクション的な魅せ物なのかの見極めすら付かない。空気が読めず技が掛からない者に場を辞めてもらうように圧をかける先生すらいるという。強い架式を作る練習として非常に有効であるが、歩などの架式を使って複数人で推しても大丈夫という演武も各人がバラバラに本気で押し出すとまず成立しない。

そして真剣白刃取りのような武器対素手の演武でも、を振る方の熟練、加減がより肝要である。ちなみに特殊部隊の隊員同士でナイフで模擬戦闘を行うと互いが刺されてしまう例が多いという。武術同士が集まり、検証のために引きの日本刀などを使って、徒手で本気で物をふるう者を相手取る稽古を行うと、結果は武術導者、武道の高段者たちでも何度となく容易にられ刺されてしまい、徒手で武器への対抗などナンセンスであり現実は非常に難しいことが判明する。命は一回しかなく失敗は絶対に許されないのである。対武器術への過信は非常に危うい。当然の話しではあるが編集者が交流した名のある強い武術で喧を素手でやると述べた者はただの一人もいなかった。

だというのに技に掛かる気がい外部の者に対して、勁のようなものが掛けられると思い込んで、悲惨な結果になる例も枚挙にいとまがない。長い武歴のある武術導者すら勘違いするのである。

功夫の勁は、正直にいえば制敵そして殺敵にある。つまりその殺傷を論ずるものであって、破壊を論ずるものではない清剛 著 中国拳法 秘伝必殺 』より

 ところでが出来るようになり、中国武術の理屈がおぼろげなくわかった者たちが大した根拠もなく侮りがちなものに筋があるが、武術の攻防にいて不利な体勢に追い込まれたとき、そこから切り返す役は、もっぱらの出番となる。武術の先人たちは日々の練拳はもとより、現代人とは較にならない日常生活の不便さや農作業などの過酷な重労働の中で過ごしており、そもそも武術を稽古するにあたる前提とする基礎体が現代人とは異なっていた。

を鍛えるための様々な効果的なレジスタンストレーニングも盛んに行っており、腕立て伏せのような自重トレーニングから、石鎖という石で造られたケトルベルのようなものを振り、反動を用いて全身を連動させて運動に活かせるパワーを鍛える、現代の格闘たちも取り入れているような、けっして古めかしくは思えないような練功も行っていた。

ケトルベルはブルース・リーがいちく取り寄せてトレーニングに取り入れていたというが、西側諸で脚を浴びるようになったのはソビエト連邦が崩壊した1990年代以降のことである。また筋トレなどろくにしたことのない者は筋肉を簡単につけられるものと思いがちだか、逞しい身体を作っていくには効果的なトレーニングと筋の向上に合わせた相応の負荷の増強、苦錬に耐える気力が必要で、そう簡単に筋肉など付いてはくれないものである。

また合気道の開祖、植芝盛など、など不要だと説いた達人が実は大変な持ちであった例もある。がある者が説くはいらない、を抜きなさいというのと、全く貧弱な者が全否定することは、と地ほども違うのである。それとを着ていると一見痩せ細くみえても、実は鋼のように鍛えられた身体という武術しくはない。極端な撫で肩をして肩が落ちている者はこういうタイプであることが多く、武術の熟練者の明的な体のひとつなので注意を要する。

戦う段となってから筋肉パワー恐怖しては遅い。武人が武人らしく鍛えられた身体をしているのは当然のことである。脆弱過ぎるか弱な功夫であることなかれ。

練功法

站樁功

形意拳の基礎は先ず内功を鍛える站樁功(たんとうこう:日本にいうと「」)からはじまる。

先ず最も基本となる「極勢(預備式)」は、肩を下げ腕を自然とおろし足をえてっ直ぐ立った姿勢、並歩である。拙を抜き気を丹田に沈める。上虚下実である。立正式ともいう。ここから「渾元椿(こんげんとう)」や「三体式站樁(子午樁)」に移行する。

渾元椿極式の足をえて立った状態から、左脚を自分の肩幅の広さの位置に移動させ、両脚を肩幅の間隔に広げて立つ。先の向きは行か、やや外側に向けてもよい。膝は軽く曲げる。高い椅子掛けるように立ち、といって肛門を引き上げるようにする。股関節、胯をゆるめ上体は後ろに仰け反ってはならない。体重は先より湧のあたりにかかり、足ので地面をつかむように、踵は一枚分浮かすように立つ。踵にが居て、そのを逃してしまわないように踵で抑え、だがを踏み潰して殺してしまわないようにともいう。両脚の間で球体を挟んでいるようなイメージを持つ。注意としては脛の内側、内の拇球、土踏まずにがかかるように立ち、足の小側にを逃さないこと。これがである。ここからさらに胯を折りを落とすととなる(歩站樁は通常、肩幅より広い歩幅で行う。ちなみに太極拳などは踵重心を説く)。

次に両腕をゆっくりと上げを肩の高さから胸の高さにもっていき、両手の先を互いに向き合わせ、腕全体で大きな球体を抱きかかえるような姿勢をとる。両手のの間隔は拳2つ分~3つ分程度開け5を開く。でも柔らかく温かいボールを掴むように思いませ、開いたの間にも綿のクッションが入っているように思い適度な間隔を開ける。

これを大を抱きこむようになどともいう。初心では仮想の球体は強く抱きしめると壊れてしまう脆いものであるが保持をしていないと落としてしまうものと思い適度な圧をめる。ただ静かに立つだけではなく、大を抱き込むときはそのを強く引き抜く、埋め込む、まわしてみるなど強く思い、動くようで動かない、動いていないようで動いているという運動を試したり、そのボールが暖かなものであると思ってみること、ボールの弾や質量の増減を思ってみる。ボールが膨らむ縮む、ボールは右に回っていくが掛かるのを、自分は左に回していくなど相反するを素速くきりかえる、あるいは全ての方向にがかかるなど様々なイメージングを行うこともある。この際、自然と身体が微動してしまうことがあるが意図的に行うものではない。

しかし武術的な効果をよりく得ようと、これら意念を用いた站樁などをやりすぎ、ストレスが過剰にかかると気功偏差という精や身体への病態をまねくことがある。その場合は意念を強く用いる稽古は絶対に止めるべきである。気の迷走を防ぐため視線は遠くを視てはけっして瞑らない。を引き口は軽く閉じ、舌先は上の齦交の裏側につけておく。過剰な上気を防ぐため顔のを抜き、間にシワをよせたり絶対にしてはいけない。気功偏差では最悪、統合失調症のような症状となり正常には戻らなくなることがある。妄想、妄執が強化され、根拠のない万感に囚われる。怒りっぽくなり他人に対して尊大、傲慢に振る舞うが本人は気づかない。これを防ぐため理はせず、練習後収式動作などで気を下に落とすように心がけ、稽古中に何かを視たり思いが起こったとしても、それはただの現として、それについては見ても何も思わない、連想しない、追いめないことである。宗では気功偏差と同様な現という。もしも坐禅中に仏陀や観音がみえたとしても、それは悟りからは程遠くで突き殺せとまでいう教えがあるほどである。「気」や「丹田」の感覚というものは自分の頭が作り出している、動作や姿勢の標のひとつと考えるのがとても健全である。

とはいえ古伝の中国武術には宗教呪いと結びついた門や功法が多数あるのだが、その部分に特に価値を置く者と武技に価値を置く者とが見識の異なりから対立するケースもよくあるのは余談である。

忠告するが、私が気を与えたから成長があった、丹田を調整したので試合に勝てたというようなことを然と述べるような先生たちからは、物理的な技法が学べるとは到底期待出来ないので即座に離れるべし。

恐ろしいことだが武術自己啓発ニューエイジ思想、スピリチュアル趣味などと結びついて、まるでを操ることで現実をも変えることが可だと謳うメキシカントルテックの魔術か、エドガー・ケイシー超能力まがいの様相をみせてカルト化する場合が割とあるのである。

見術や霊を憑依させることなど言い出すなら、それはもう呪い世界であって、オウム真理教の例をみれば先の危うさを感じさせるだが、こういった非常識に危うさを感じさせないように誘導し安心させ依存させるのがカルト詐欺師の得意とするところである。詐欺師傲慢は騙されないぞと半端な知を誇る者を狙う。邪な者はターゲットが生活に行き詰まったのを見て懐に入るものである。武術でも同じである。重ねて注意喚起をする。

站樁の際、上からり上げられることと下に落ちていく重さの上下のを同時に感じ、また前後、左右からのも感じてほしい。内部が充実した弾をもつ太極拳にいうと掤勁ぽんけい)のある状態をめる。

ただふぬけたようにがぬけ柔らかいだけで眠くなるようでは、その站樁にはリラックス効果以外のものはいと思われる。気は昇り滞ると精は破壊され降りて留まるままならば心は呆け精弱体化する。意識を全身に巡らせること。それでいて気を高ぶらせず意識が落ち着いてくつろいでいる状態で立ちその感覚をめる。

注意しておくが1990年代以降、日本の古武道研究らがよくいうようになった「脱」という表現から導き出される姿勢や動作は必ずしも、古伝の武術の要とは合致しない場合も多い。

中国武術で基本となる稚を抜いた状態、放鬆ファンソン)と表現されるものとは、が抜けきったものでも気が抜けたものでもなく、りのある柔らかな状態をそう表現したものである。の柔とは剛を含み、の剛とは柔を含むものである。柔を極めれば剛となり、剛を極めれば柔となる。余談となるが形意拳で剛を極めると火燃身式と表現される気力の漲った状態になるが、これは站樁功とは微妙に別のこととなるので解説は控える。

また自然める渾元椿は特にだが、理に長く立ち続けることはめない。站樁は苦練を課す空気椅子のようなトレーニングではない。10分立てるのであれば立てばそれで良いし、2時間立つ気分ならそのように自然と立てば良い。肩の高さ、胸の高さで抱球姿勢を維持するのが難しいなら、手の位置を下部のあたりに下ろしても構わない。しかしすぐに肩が痛くなって姿勢が保てず困ると感じるなら、自己の筋的虚弱を疑うか、腕の上げ方に理があることを疑う。肩を落とし肘は適度に下げ肘の下からも弾を感じ、背中に意識があり肩甲骨を開き、背中から腕を上げるようにすると外部からの圧に強い抱球姿勢が作れ、疲れにくくもなる。これを球気背抜という。日々站樁功を継続していけば20分、30分と自然と楽に立てるようになっていく。

正しく站樁を行っていると「気感」といって、手や全身の各所、あるいは意識に何らかの感覚がわき起こることがあるが、前記の気功偏差を予防する意味でこれを追いめることはしない。例えば屋外の薄暗い場所で站樁を行っていると、突如周囲が明るく見えてきたり、自分がなんでも出来るかのような万感がわき起こるようなことがあるが特に気にしないことである。武術の強さというものは相対的なもので、このような体験があったからとして実用に足る強さが得られたわけではないことを特に留意すべきである。

呼吸は自然に行うが、落ち着かないのであれば自分の吸って吐く呼吸を観察する。周囲の物音は意識せずだが自然と聴いておく。たとえ突然床に針が落ちたなら、その物音にさえいつでも敏速に反応出来るほどであるなら尚良い。站樁功は養生のための気功、心地よい健康法であると同時に重心の感覚、整勁を知るための再重要の練功法である。站樁が理解出来なければ敵を打ち倒すの発勁の修得には時間が掛かるであろう。

動功

站樁で得られたような整ったを壊さずに円滑に動かし、勁の運用にフォーカスした練功を行うのが動功での錬功法ある。これから本格的に套路を学ぶ際の基礎的な勁、身体の強さを養う意味もある。極初歩の錬功でとても有用なものに甩手スワイショウ)という身をよじって勢いをつけながら両腕をでんでん太鼓のように振るなどのものなどがあるが、これらの説明は形意拳に限らず中国武術や気功では極一般的なもののためここでは省略する。本記事では動功で効果の優れたものの一例として捉把功を紹介するが、この他にも定歩、歩での五行拳など様々な練功法がある。武術ではや用法はいくらでも明打といって、動作の要点を省いたり、殺傷効果の高い技法を隠して見せることが可だが、練功法は隠せないため有用なものが外部に開されることは少ない。

  • 捉把(定歩双劈

先ず三体式で立つ。前提とする三体式の要点を誤解なく全て言い表すのは難しく、ここではなるべく簡素に述べるとする。正確な架式については必ず実伝を受けて欲しい。独習者の主観的感覚というのは疑わしいものであるからである。何年と修行を積んだ者でも師から姿勢を直されるのである。

極式から前足を斜め前に半歩踏み出す。あるいは極式から両足を45度の度で開き、そこから前足を半歩前に踏み出す。または歩から左、右へと転身して作ってもよい。どちらも後ろの踵と前足の先が一直線上となるように立つ。歩幅は高い姿勢であれば半歩、肩幅程度であり低くなれば一歩からそれ以上をとる。脛から足先までの長さ、あるいはそれに拳一つ分という歩幅の測り方もある。後ろ足を実(軸足)とし7割から9割の体重を乗せ、前足には3割りからそれ以下のを掛け虚とする。両脚両足の間には必ず挟み込むがあること。膝は正面を向き股関節を内旋させて立つ。したがって重心点は後ろ足のやや手前となる。これが単重と称される立ち方である。これに対し五分五分で立つ場合を双重という。双重の場合、単重の立ち方より歩幅を広くとり、より低架となる非常に堅固な架式である。

これらの体勢でやや中腰になり、下半身は胯を緩ませ、その上にスッと上半身を乗せているようなまない姿勢を作る。肩を落としを引き会からり上げらるようなを感じ、また頭で物を支えるようなを感じる。前足側と同じ方の手を人差しを軸に他の4ボールを掴むかのように、わずかにを曲げた開手の撲面八卦掌でいう)とし、前方正面に置き、間と虎口との間に弾のある糸がってあるように思う。後ろ足側の手も開手とし下方からの圧を抑えるかのようにの下の位置に置く。膝と肘、胯がい手さきさき顔の向きがう。を持って構えるかのように上体をやや斜めにして前方に向ける。つまりこの姿勢は順歩劈拳の落勢のかたちである。

参考までに開門式においての意念の操作としては中丹田(太極勢)→下丹田(含一気勢)→上丹田(両儀勢)と、呼吸と共にゆっくりと気を引き上げ三才勢となり、虎口視線を注ぐことで気の移動が成され、焔のような覇気をった佇まいとなる。

姿勢の要古典的に形意拳四像といい「」、「」、「」、「」(「猴相(眼要)」「虎背」「」「」)と表現するのも形意拳を含めた心意拳系の門では一般的である。三円などの教えもあるが従うと要が他の教えと矛盾する場合も多いのでここでは紹介しない。編集者が稽古し経験し噛み砕き納得したことしかこの記事には書かないように気にして編集にあたっている。

他門でも同様な姿勢は詠春拳なら側身備勢)、八極拳なら半式、太極拳なら後座式などがあり、空手の後屈立ち、太気拳の半、意拳の丁八歩などが同じ意味を持つ立ち方といって良い。以上が三体式の説明である。

初心者の場合、三体式の姿勢は普段他のスポーツなどで鍛えていても、慣れるまで苦しく、30、1分と保たない、架式自体をとることが出来ないなどということはよくあるが、まずは高架でも良いので師の教えを守り、いい加減な立ち方をしないことである。ただ長時間立つてみせるだけなら荷重を時おり前脚にかけて休み楽をすれば良いだけだが、これでは鍛錬としては意味がいものである。あまりにも苦しくなったら軸足をかえ片脚を左右交互に休めて続けるのである。

また站樁功など1分程度で良いと述べるような極端なをする者に功夫はく理解も浅い例が立つ。そしてそれは形意門の伝統的な教えではない。例えば深の子の王向斉は3年間、ただただ站樁ばかりを稽古させられたという。高に楽をして上達出来るとする未熟者の動きには安定感がなく、重心が浮いて見え、動作に協調性がないのがみてとれる例がとても多い。大成への躓きのもとであり絶対に惑わされないように。

古人いわく静の中に動があり、動の中に静があるという。動静はにわかれているようでも内に絶えない流転を含み、その流転によって動静は一体となり武術の技の原理となっている。剛柔もそうである。五行を陰陽一体、動静一体、攻防一体、起発一体、虚実一体の五種と説く教えもある。陰と陽はプラスマイナスのように全に正反対で対立するものちは異なる。

ではまるで自分が新たに発見したことかのように武術の原理をり、独自の用を造ったりしては先人の教えを否定しようとする者もよく見られるが、彼らの先人の教えに対する理解は甚だ浅はかなもので、実は先人が説く教えと結局同じ、変わらないことを難しげにしながら、それに全く気づかない者たちすらいる。彼らが言葉を変えて手を変えて武術を利用し、あまつさえ古伝の教えを詐欺とまで言って罵るが、相手にするものではない。良い師は明快かつわかりやすく子に教えるものである。

三体式の手の構えから両手でさながらで獲物を捉えるかのように、手で瓶の口を掴んで引き上げるように自分の顔の高さまで手を上げたら、そこから緩やかに前方へ手を打ち下ろしていく。

引き上げる際、後ろ脚に加重がかかり、身体は若干沈み開いていく。打ち下ろす際に身体を合わし前脚の方に重さが加わっていくが、前脚を地に釘のように固定し背中から伝わる勁をロスく送り出す。これを何回となく繰り返して練る。

呼吸は引き上げるとき吸っていき、打ち下ろすとき吐いていく。この時の呼吸法は自然式呼吸のようになっていると望ましい。言い換えると吸うときにも吐くときにもがあると言っていい状態である。

ゆっくりと緩慢に手を振っていくのも良いし、速く振り下ろしても良い。そのときは腕が洞で中に水銀の塊があり振るときに、手にその水銀の塊が移動するかのように、間的に鋭く発する。

この際、唸りのような念音と呼ばれる、の初歩的発自然と生じることがある。これが身体の内部で湧き起こるを勁として具体的に外に発する練習となる。こので起こる横膈膜の運動が丹田、背中からの勁を円滑に抹消へと伝える補助となっていると思われる。

つまりこの錬功法は丹田、脊髄を中心に縦回転で打つ勁をこれで養うものである。同様な錬功法に、やや弊があるかもしれないが、意拳の扶球試合気道の船漕ぎ運動がある。捉把は動作としては前者とほぼ同じものである。

単撃

ここでは順歩左劈拳の用法示例を紹介しよう。初歩的なもので実戦用法ではない。

【1】(甲)()は、お互いに向き合って三体式で立ち、
手(交叉の一番最初の状態を暗示している)にて、
お互いの左立を欠け合わせて相対し準備とする。

【2】(甲)は()に対し左立を欠け合わせたまま、
右足を右斜め前方45度に編歩して踏み出し
(この際、上体はっ直ぐ相手に向けたままとし踏み込みを覚らせないように)、
続けて、右手にて()の左腕をりつけて換手しつつ、
左足を右足の位置に引き付けて縮歩となり、
)の左斜め45度の位置に両足とも全に踏み込む。
この際、換手を行った右手を鑚拳の形に変化させ(起鑚)、
)の左腕を圧しつつ、続けて打ち出す劈拳の為の発射台を形成させる
(実戦ではこの時点で右鑚が()の顔面を打ち貫くことになるが、
危険なのでこの場では暗示に止めている)。

【3】(甲)は縮歩の体勢より左足を()の双足間に向けて踏み出し、
同時に()の首筋左側を左根の小をもって点撃にて打ちつける
(実戦では顔面を打つ。注意としてはこの際、首筋の下を狙い過ぎて鎖骨を打ってはならない。
これは打ち込む者が鎖骨を打って手を痛打することを防ぐ意味もあるが、
もしもこの劈拳で鎖骨を折ってしまった場合、丁度当り易い場所が欠に近く、
折れた鎖骨鎖骨下動脈を傷つける怖れがあるからである)。

(甲)は劈拳のインパクトと同時に右足を引き付けて震脚し、三体式の姿勢となる。

)は打ち込まれる際、理に打突に耐えようとはせず、

劈拳の威に身を任せ後方に滑り飛ばされるようにして逃れること。
下手な排打功で衝撃を飲み込むよりは、むしろこの方が受けるダメージは少ない。

【4】(甲)役と()役は役割を交代させながら単撃の練習を繰り返す。

【破法】

(甲)がの左側にサイドインする際に、こちらは踵を軸に(甲)の移動する方向に旋回して、
(甲)の正面に向き合ってやれば、(甲)は側面から劈を打つことは出来なくなり、
(甲)は編歩の分だけより次の行動が遅くなるため靠撃()などで迎撃するのは容易い。

用法対打の練習は最初は痛みに堪えられずあざだらけとなるだろうが、これで実際に人を打突する際の要領が学べ排打功の基礎ともなるので、繰り返し稽古するべきである。

五行などの対錬套路も慣れたのなら顔面への打撃以外は相手に打たせた上で、打拳に対して切で封手し、退歩することで突きの威を軽減させる工夫をするべきである。絶対に打拳が当たることのい遠間で寸止めの約束組手など繰り返しても、の動作を覚えるだけで有効な対人練習となるとは思えない。

ガラスのようなボディや豆腐のような顔面では、一発食らったらそれでおしまいである。達人でもないのに、自分が一方的に相手のパンチや蹴りを一発も受けないで勝とうと思うのは、相手をであると思っている思想に他ならないのである。タイのムエンタイ・ボクサーと一度闘ってみるとよい。私のいっていることが全に立されるであろう。彼らは常になぐられ、蹴られて、その中を苦練して生き抜いてきたのであるから、その打たれ強さは想像を絶するものがある。これは、ムエンタイに限らずいかなる格闘技においても同様だ。ファイターと名がつく限り、バキバキ打たれても、簡単にはくたばらないように鍛錬されているものである。高手でもない者が、ちょっと中国拳法のこむずかしいことがわかったという理由だけで、こうしたプロファイターを一発で倒せるというを見てはならない。清剛『中国拳法 秘伝必殺 』より

実戦中国拳法で恐れられた拳法の総帥、故 清剛も著書の中でこうっている。へぬるい功夫であるべからず。

歴史

清朝末期、形意拳は山西省県で伝えられた戴氏心意拳戴氏六合心意拳、たいししんいけん)を元に、飛羽農然 1808年 - 1890年没)が技法内容を今の形に近いものに編し実質的な開祖となって創始された。は生涯無敵といわれ、人と技をべるときも「常に心の欲するまま動きつつ、手はおのずから至る」という入地にまでに達していた故に、人々はついに彼のことを「」と呼び賞賛を惜しまなかった。 その子たちにも達人が多く輩出され、その拳名を高めた。

戴氏心意拳のルーツである心意拳は明代末に際可( 1602年 - 1683年) によって創始された。の達人でと呼ばれていた。

形意拳譜の「際可自術」でられる伝承によると、先で立ち寄った古刹でのなかを抜きを追い払い悲しみにかられて歩いていると、土の中からが立ち昇っているのを見て、そこを調べてみると一振りの宝と木があり、木には南の武将、岳飛によって書かれた六合拳経(武穆王拳経)という秘伝書があったという。その後は十年の歳をこの拳譜の研究に費やし、失われた岳飛武術翻子拳も同じく岳飛を創始者としている)を復活させ、平和な時代にはよりも拳法が重要になると考え「を変じて拳となし、理を一本となす」と の技を拳術とし、晩年はその技を科挙に首席で合格し高級官僚となった秀才、曹継武ただ一人だけに伝えたという。

曹は心意拳を学礼と戴邦の二人に伝え、前者が心意六合拳河南形意拳)、後者が戴氏心意拳として伝えられていった。岳飛からの伝承についてはおそらく伝説上のことであると思われる。心意拳のルーツ少林寺の心意把であるか共通のルーツを持つ同種の拳術であったといわれる(際可が少林寺に伝えたという説もある)。研究者によって様々な見解がある。心意拳はその拳譜(三三[六]拳譜)によって陳氏太極拳にも多大な影を与えた。

心意拳と形意拳はその名称の中国語での読みXinYiQuan(心意拳)」と「 XingYiQuan(形意拳)」は極めて似ており、発音からは両者は区別がど付かない(カタカナでは「シンイーチュエン」が近い)。

形意拳は河北地方に伝えられ、これを河北形意拳深など)と呼び、発祥地である山西省に残った系統(形意拳としては河北省から山西省への再伝来があったため、これを「山西を復した」と表現される場合があるが、本来の山西であった戴氏心意拳は滅びてはおらず、伝として世間からは人知れず継承されており失伝したわけではなかった。戴氏心意拳が広く知られるようになったのは1990年代以降のことである)を山西形意拳毅斉、世栄など)と大別するのが一般的である。そのなかでも伝人によって様々な系統に発展して門を形成している。

形意拳は第二世以降で独自の工夫が加味され、八卦掌太極拳の影も受けて発展したものと思われる。この三つの拳の伝人は互いに密接な交流があり、三拳というカテゴリーで括られ併修される会も存在する。八卦掌からは扣歩、擺歩などの動作が取り入れられている。

形意拳の分としてはの有子で「半歩崩拳、あまね下を打つ」と讃えられた深は晩年、王向斉を最後の子とし、王は意拳(大成拳)を創始した。

王は日本人である澤井健一子とし、澤井は帰後名称を太氣至拳法(太気拳)とめ、内での普及をはかった。

最後に古伝の武術は大成に至るとその姿は各人それぞれあり、師と似ていると間違いである一人一門などともいわれ、本来わずかな振り付けの差のようなものに伝承の本質はない。現代はの表演に過分に体育的、芸術的な要素がはらんでしまったためか、皆が皆判で押したかのような動きをするが、武術における伝承の本質とはにはめられることではなく、拳理に沿ってその拳の実用性をより高めることにある。それが先師にむくい伝統と門を守るということである。本来、武術が強さを追求するのはあたりまえで純なことであったが、だがこの気治安善や社会不安の低減と共に、現代では失われつつある現状である。それと武術の界では根拠もく、あるいは、達人のお伽噺のようなものを拠り所とし、新しいものが古いものに劣ると思われがちなのだがそこは熟考されて欲しい。

武術の原初の姿とはゲームや舞踏、芸などではなく、武人の戦闘術であり、暴力の行使の方法とその対処法を学ぶものであることには大いに留意して欲しい。

外見はスポーツ体操にも似ているが本質的には禍々しいものである。打たれたら痛い、死ぬのは怖いという脅威にあらがう必要性をもって生まれた技術である。

であるので武術超能力めいた想的なを持ちすぎると中年、老に差し掛かった辺りで、結局それらがなにも得られなかったことに気づき失望し、武術を止めてしまう者も多いのである。

魅せることを重視した表演的な套路が出来ないというなら初めから出来ないで結構なのである。歳をとったら歳をとったなりに、それ相応な円熟した武術をやればよいのである。若い一時だけできる剛猛な動作に拘らないことである。

余は後に来る形意拳術を練するの人が、其の後氣血のを用い、先陽の氣を知らざるを恐れる深 『拳意述

 


また武術を養生と考え、その中に一種の哲学を見出し学問として探することを武学という。武術は楽しいから続ける、それだけでも善いのである。武術道徳を説かないとする者もいるが、それは間違いである。先人の説いた教えとその背景にある、自然との調和と人のった東洋思想を熟考されたし。

ただただ暴力を奮う術であると捉えるとを踏み外し、その末路は悲惨であった例は古今にいとまがない。

著名な伝人

  • - 1839年~1919年頃。然の子。兄弟子のと共に河北形意拳の重要人物。深の練った理とは、つまるところは実を極め、心は虚を極めることにあった。また兵書を好んで熟読し、奇門遁甲にすぐれていた。 深の生涯は波と多くの伝説られ、 敵に半歩進んで崩拳の一打を発すると敵は皆倒された為、 人々は「半歩崩拳、あまね下を打つ。」と賞賛を惜しまなかったという。また彼の最も有名な俗説に、試合で相手を誤って打ち殺した故に殺人の罪により監に収監され、そこで手枷足枷を付けられたまま虎形拳を練り、虎撲子の一手を編み出したという逸話があるが、これは門内の人間からは全くの誤りであると摘されている。深は確かに人を殺め3年間をで過ごしてはいるが、これは義憤に駆られた深が、ある土地で民衆を苦しめる匪賊の首領に意をもたれていることを承知で招かれ、彼にピストルで襲われた際に、用のをもってこれを討ったからであり人々はこれを賞賛した。またでの深は彼に同情的な官警の者たちの配慮と、その義挙に感銘を受けた人々からの多額な献により、での3年間を何不自由なく過ごしたという。 深は超絶の技法を誇る奇才であったが、時運に恵まれず、 彼の多くの子たちとは異なり、世俗での立身出世はわず、北方数省で多数の門人教授したのみだったという。 後に故郷に隠棲し70余歳でその生涯を終えた。  
  • - 河北省深県の人。拳術を好み、然を拝して形意拳を学び大成した後は田野に隠棲して門徒に教授しつつ他とも交流を保ち、門偏見を持たなかった。初めてに会った者のなかには僅か数交わしただけで拝し、子になる者がいたほどである。一説によると、深に八卦掌の開祖董を紹介した者はだったともいわれている。70余歳で終わり、その子は存義、耿、周明泰、などが有名である。子息の殿臣は『形意拳抉微』を著し、をさらに明らかとした。  
  • - 1833年~1914年頃。然の把式といわれている。23歳のとき、 まだその子息太和と共に、太県に留まっていた形意拳開祖の然は、 遠方の人々にまで、その武功を賞賛されていたことから、 当時、太県一の富であった某のに招かれて、 護院(ボディーガード)の仕事に従事していた。 然が形意拳に達しているとの人々の噂を聞き付け、 に憧れ、以前から然の顔見知りであった友人の紹介で、 然の門を拝することとなった。 はそれから20数年の歳を、をとわず苦練を続け、 農閑期には護院の仕事に従事するかたわら、人に拳を教え、 その名をいよいよ高いものとした。 の晩年のころ、清朝は益々腐敗し、強の侵入を排除出来なくなった為、 はしだいに動乱の時代へとなっていった。 は必ずしも子に愛国的思想を起しなかったが、 天津に赴いた際、の武名を聞き付けたある日本人剣術に挑戦されるが、 はこの剣術を試合で敗り、後に彼は入門を願い出るが、 民族の秘宝を軽々しく外国人に教えることは出来ないと、 その剣術希望を退けたという。 富をあたかも浮の如くみなし晩年田間に隠棲した。彼の育てた門人の内で著名な者は山西県の喬錦堂を第一として、布学寛、呂学、樊永慶など多数に上る。
  • 世栄 - 1849年~1928年頃。然の二番子だったといわれている。河北省宛の人。 17歳の時に山西省太県に移住してこの地で時計店を生業とする。と共に然の最も期の門人の一人である。幼少より武術を好み、義侠心に篤く、囲碁や戯曲を愛していた。太県にて時計店を開設したとき、この土地に然という優れた達人が居ることを知り、人の紹介を得て然の門を拝する。然の教えを受けてから、となくとなく練習を続け、間断することがなかった。から学び義に達しなかった技はなく、十二形拳においては特に神技とも呼べるような、高い練度を人に示すことが出来たという。たとえば、が十二形形拳を練るときなど、の性質と性を極限まで生かし、体を左に転じたときは右手で右足の踵をつかむほどとなり、 右に転じたときは左手で左足の踵が掴めるほどであった。十二形形拳の一技「子抄」を行うと、身体が地に低く接地するほどに成ったときは、既にテーブルの下を一で潜り抜け、さらにそこから一丈も飛び越えるほどであった。「」を練る際も、身を躍らせてに貼りつくと、 そのまま数分手足をりつけていることが出来たという。また、がある人と試合をした際は相手がに身を躍らせて飛びかかり、一手出し間には、その身は既に矢のような速さで二丈余りも投げた倒されていたという。しかもその時宗は身体を少しも動かさず、ただ両手を一振りさせただけのように見えたという。 当時、同門同、あるいは武術界以外の人々さえも神技を見た者は多かった。『拳意述』を著した形意拳の近世三大名手に数えられる達人の孫堂は世栄を賞して、「先生は物事の性質をよく見極め、その特性を活かすことをされた故に妙なる技を伝えることが出来たのである。」と絶賛している。孫録堂がの元に出向いたとき(『拳意述』では80余歳のころと記されているが、享年79歳である。)気力に溢れ、身の動きも柔軟でまるで若き日のままであったと記されている。そして後進の健者も自分に及ばないことを嘆かれたという。最晩年、は五台山にのぼり僧侶となり、以後は武術についてることがかったという。 導は厳格で、また人を選んで拳を教えた為、 生涯で教えた子たちの数は僅かに20余名に過ぎなかったといわれている。  
  • 太和 - 然の息子。形意拳の正宗を継いだ。
  • - 孫福全、字を堂、を涵斎、形意拳、八卦掌太極拳の代表的な達人。河北省県の人。 人々から形意拳の近世三大名手の一人と賞賛されている。また孫は単に形意拳の高手であるに留まらず、形意拳・八卦掌太極拳融合論を説いた、内三拳を代表する達人の一人でもある。体格は細身で動作は敏捷巧み、跳躍技にも秀でていた為、『活猴(かつこう・いきざる)』との異名でも知られていた。幼少より深の得意門徒であった奎垣(元)に形意拳を学び、後に奎垣が閉門するとその師の深を紹介され、の元で練拳に努める。孫は深に最も長期にわたり教授を受けた門として有名であり、の赴く所、乗の尾を掴んで一日里を付き従ったともいわれている。また八卦掌の達人であった程延にも拝して、につき、夕べは程について、形意拳・八卦掌にそれぞれ熟達した。この頃孫は就寝の際に、火を燈した線香を縛り付けて眠り、線香が燃え尽きた熱でを覚まして、未明くから練拳を行ったという。当時孫は他流試合において無敵を誇り、その為、・程の両師に「は師の名を辱めず。」と評価されたという。清朝・民年代にかけて孫は軍人を職とし、この縁で存義、王向斉、尚祥など同門の多くの者を、 国民党軍部の武術教官(全陸軍部武技教習所など)として推薦した。50余歳の頃には北京において先で病にせっていた、 武式太極拳の郝為の看病をし、郝為回復すると返礼に孫に太極拳を教え、 晩年孫はこれに形意・八卦の術理を組み入れ独自の孫式太極拳を創始した。これにより孫は形意・八卦・太極の三門は意図するところ同じであるとの認識を得、内三拳の合一論を説くきっかけとなった。1928年には内拳最高の達人であると、中国武術の全的統一組織である南中央術館に武当門(内拳班)門長として招聘される。だが間もなく中央術館内部の閥闘争を忌諱した為か、江術館に退き、そこで副館長兼教務長に就任した。 孫は『拳意述』、『太極拳学』、『八卦掌学』などの多くの著作を残し、内三拳の術理の理論的裏付けに貢献が大であった。孫の門で著名な者は、孫(長女)、孫存周(二男)、胡山などがいる。  
  • 存義 - 河北省深県の人。形意拳を代表する武闘であり、その気性は財を軽んじて義を重んじ、戦いにおいても生涯詐術を用いなかった。 近代において形意門中最高の気義を誇った武人。幼少より長拳、通背拳など各種拳術を学び、後にを拝し形意拳を学ぶ。さらに深、八卦掌の董にもついて学び大成する。1890年には清朝の武官抻一将軍兵士武術を教え匪賊を討つことでしばしば功績があり、やがて昇任されるもそれを辞退して天津におもむき、商隊の護衛をに行う万通票局(ばんつうひょうきょく)を設立。後に銭に全く拘らなかったは資繰りが困難となり、万通票局を閉鎖する。銭に困っている者が居ると理由を聞かずに施したともいう。 は各省を住来して保票の業に携わるが、 護送中に賊が襲いかかると、自ら単を揮って悉く撃退し、後に賊は、が商隊の護衛をしていると知ると、それだけで襲撃を諦めるほどとなり、また当時、義気人に勝るの名を聞いただけでを避ける者もいたほどであった。それゆえ人々は「単」の通り名でを呼び、やがてその武名は中国全土にくようになった。1900年、「扶清滅洋」(清朝を助け、西洋を滅ぼせ。)をスローガンに山東省で起こった宗教秘密結社「義和団」は、清朝の支持を得て暴動を全各地に拡大。やがて居留地民保護を名にして出動した、日本ドイツイギリスフランスロシアアメリカイタリアオーストリアの8ヶ国連合軍との戦闘状態となる。これを受けて、義気篤く愛国心に富んだ存義も義和団に既に参加しているの師兄弟に協して参戦。最も戦闘しかった天津の戦いにおいて、自身の経営する万通票局を率い銃火器で武装した日欧の軍隊を相手に血を揮い凄まじい戦いを展開する。一説によれば、これが「単」と呼ばれた本当の理由であるとも言われている。 辛革命直後の1912年には、袁世凱大総統の親衛隊の武術教官であった瑞東に招かれ、天津に全武術の友和を図って設立された「中華武士会」の教務主任となり、つづいて上海精武育会、南洋学院 ( 交通大学の前身 )などで教え、また1918年、北京世界第一力士自称するロシア人のボクサーが、万武大会という試合を企画して武術たちを挑発したことに憤り、これと試合して破り政府より一等質奨章に授賞される。の生涯教えた門徒は甚だ多く、尚祥、王俊臣、亭、陳俊峰などが著名である。
    存義は晩年においても少しも倦むことなく数多くの門を教え、形意拳の普及に尽し1921年、74歳でその生涯を終えた。  
  • - の高八卦掌開祖、董の晩年の入室門徒。河北省河間県後鴻雁村の人。存義、薛らなどと共に、天津においての形意拳・八卦掌の普及に貢献が大であった。は若年より武術を好み、初学を少拳、後に秘宗拳を学ぶ。性格は大胆不敵、逞しい偉丈夫であった。大柄な体格から快に繰出される強な大業から人々に「砕覇」、「電手」などの異名で呼ばれたともいう。尚済の著書『形意拳技撃術』によればの得意技は「連環劈」であったとされる。生農業を営んでいたが、河北地方一帯に発生した大魃により生活に困窮し、北北京)、天津などを遊歴し、後に天津に定着して果物販売業を営む。 20歳の時、存義、田静傑、耿などと知遇を得、その縁でを拝して形意拳を学ぶ。 後に1881年、存義の紹介により北京で程廷との友好を結び、八卦掌開祖、董の門下ともなる。この時存義、劉鳳、尹徳安(尹福)らに呼びかけ、程廷、田静傑、耿などと共に七兄弟の盟を結ぶ。程廷の死後、天津に帰り営務処頭領(捕盗官の長)の職など、警備関係の仕事に従事し、数多くの匪賊を捉えたという。 1911年には存義の呼びかけにより天津中華武士会にも参加し自身も天津に武館を設け数多くの門教授する。子は甚だ多く、一説によるとの教えた門の数はゆうに数千人ともいう。晩年僧籍となり門に入るが、1938年により逝去した。子で著名な者は姜容などがよく知られている。また日本に初めて形意拳・八卦掌太極拳の本格的な教授をはじめた王の最後の拝師門徒であった。
  • - 字を霽亭、山東省楽陵の人。その性は武を好み義気に篤かった。 深・孫堂らと共に、形意拳の近世三大名手の一人に数えられる。人生の辛を繰り返し味わいながらも、凄まじい修練の末に大成した達人である。 1863年、尚祥は鐙職人の子として生まれる。尚3歳の頃、山東省一帯を襲った大地震により尚は母親を失い、残された家族も生活基盤が破壊され為に北京に移り住むこととなった。
    だが移り住んだ先の北京でも一家は生活苦にあえぎ、その為、尚の幼い頃の一家は極貧の中で暮らしていたという。困窮し尽くした尚の父親は、幼い子の為に一計を案じ、当時、山東で富として成功を収めていた友人承栄のに、尚を下として使わせることとした。の気性は義に篤く、かってを拝して八極拳を学んだこともあり、武術一の趣味としていたという。その為には練拳所が設けられており、また常時多くの武術食客として世話していたともいう。幼い尚はこのの元で、日身を粉にするかの如く奉し、また雇いであるも、幼いながらも意尽くす尚を不憫に思い、やがて奉の合間を見ては、尚に武術の基本功などを導するようになったという。 こうして尚が12歳の時、晴れて今までの奉を認められ親元に帰ることを許さるが、この時は、尚に帰郷の為の従者を使わせると共に、大枚二両を餞別として渡したともいう。親元に帰った尚は業を手伝いながらも腕を磨くが、ところが親元に帰ってからも、世はまだ太が続いていた為か、相変わらず仕事の注文の方はく、一家の日々の生活の為に、から送られたもたちまち底を尽いてしまう。そこで尚は業の方を全に諦め、武術で身を立てることを志し、当時、北京で有名な武術であった大義について、功拳などを学び、次第に門内の中堅の内の一人として頭を表す様になったという。尚が形意拳を学ぶ切欠となった出来事とは、一説によれば尚24歳の頃、形意門の志和なる人物に、試合で負けたことからだと言われている。 尚は志和に入門の願ったが断られ、しかるのち尚は当時形意拳で広く高名が知られていた存義に、多くの学生の内の一人として入門するが、尚はここで人に勝る程の苦練を己にかし、を問わずしい荒稽古を行ったという、 厳寒のにも木綿の着衣一枚というなりで大をかく稽古を行い、尚は、-10度の寒さの中でも、上で裸足というなりで練拳したとも伝えられる。やがて尚の両腕は最も繰り返し練習され、その後尚の得意技ともなった木行崩拳の練習の為に、まるでで出来たかの如く見事に鍛えられていったという。またある時、こういう地味練習をひたすら行う尚を、冷やかして笑い者にしようとした性質の悪い者たちに、尚は練習中に足元に大豆をばら撒かれるという悪戯をされるが、尚は足を滑らせて転ぶどころか、ばら撒かれた大豆は尚の強な踏み込みにより、ある物は粉々に破砕され、ある物は大地にめり込み、ばら撒かれた大豆は悉く消滅してしまったという。また尚が庭先で拳を練っていると、足もとの石ち踏み割られていくので、このを見ていた人々は、「尚の足はまるで(で出来た)のようだ、だ!」とも驚嘆したという。日々苦練を繰り返した尚は、やがて自分の得意門徒であると、存義に認められるほどの驚異的な成長を遂げたのであった。その後尚は北京の五兵営において匪賊の取り締まりなどを行う探偵(捕盗官)の仕事に従事し、尚は軍隊でも手を余す程の悪な犯罪者たちを相手に、著しい活躍を行った。一説によると尚は大を得意としていたが、匪賊たちとの乱闘の際が手元で折れてしまうがその短い棒を持って戦い続け、賊を全て征圧したこともあると伝えられている。そして尚は、こうして命がけで得たの賞どを貧民たちに施し、己は貧であることを良しとしたという。また後にはその腕を見込まれ、宮廷に使える宦官の長であった管の邸宅の護院の職にもついている。こうして尚は実戦の場で腕を磨きつつ、やがて天津に出向いた際に・王向斉らとの知遇を得て、その縁により河北形意拳の大家深にも直接師事することがったともいう。について尚は益々己に修練をかし、への人々の賞賛であった『半歩崩拳遍く下を打つ。』の代名詞は、尚へと引き継がれる程となった(一説によれば尚のへの師事した経緯で諍いが発生し、尚と存義の師関係は悪化したといもいわていれる) 。尚は生涯において中国南北で数多くの子たちを育てたが、 晩年は故郷の山東省に陰棲し、そこで極少数の子たちに、これまでの自己の工夫を加味した独自の形意拳を伝授しつつも、1937年、73歳でその生涯を終えた。 尚の門で著名な者に礼、桑丹啓、呂泰英、王永年、文彬、尚芝)などがいる。  
  • - 形意拳随一の奇才。武痴と渾名された達人。字を。河北省束鹿の人。薛の父親の薛振綱はの子息、太和の入室門徒であり、薛もまた、幼少からこの父親に形意拳を学ぶと共に、太和の子息、振邦を拝して形意拳を学ぶ。しかも振邦の婿でもあるという、形意拳の嫡系に等しい教えを受けた、サラブレッド的な毛並みの良さを誇った人物である。当時、門を問わず多くの達人たちが集った天津において、形意拳の重鎮の一人として著名を知られ、天津術館の副館長館長を歴任した。形意門きっての理論であり、王向斉、尚祥などに多大な影を与えるが、その反面奇行がしく、一例をあげると、薛はある富の庭園で開かれた宴の席に招かれた際に、表演を希望され五行拳を演じたが、薛は表演して御見せするだけでは客人がたも退屈であろうと言い放ち、庭に敷き詰められていた石の全てを、強な震脚で悉く踏み割って見せ、皆はこれを見て然として驚き、以来薛は人々にと賞されるようになったという(後に同じの異名は尚祥にも冠せられた。)また薛は若年の頃に南方した際に、
    師、虚無上人などと名乗る齢130歳だという異人に遭遇し秘拳を教えられたとも称して、形拳なる独自の拳法創作もした。 薛の没後「その技は非常に剛猛硬質で実用に優れていたが、内拳らしい柔らかさに欠けていた。」などと、かなり不名誉な中傷を、中国で再版された自身の著作の解説文に書かれたりもしたが、生前の薛は十二形形拳の巧みさで人に知られていたともいう。 著作には『形拳詮』、『形意拳術講義』、『霊師點』などがある。薛は一貫の信徒であったことから共内戦後中国共産党によって一貫が反革命邪教であると弾圧された最中に捕らえられ、開裁判でされた後一旦解放されるのだが、しかし間もなく再び嫌疑をかけられて捕らえられる際に抵抗したとされ、兵士たちに射殺されてしまった。
  • - の最後の正式な入室門徒。王向斉からも学ぶ。に内三拳を紹介した達人。

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形意拳

7 ななしのよっしん
2021/02/06(土) 06:13:02 ID: bigwYLbj2E
初めて知ったのは藤田和日郎短編集の「
8 ななしのよっしん
2021/02/08(月) 00:23:57 ID: yll/sITL6q
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2021/02/09(火) 17:06:35 ID: GDLIxC4jqr
概要の項ですが、○○拳ごとに見出し3や見出し4で分けてみてはどうでしょうか
10 鯛焼き
2021/02/10(水) 12:15:59 ID: WLM7kFPvOs
見出しでわけてみました。
11 ななしのよっしん
2021/02/18(木) 01:18:17 ID: 5vYzejACQf
格闘ゲーム形意拳についても触れてくれ
12 鯛焼き
2021/02/20(土) 14:55:13 ID: WLM7kFPvOs
格闘ゲーム形意拳、2つあったような。
どっちも触っていませんが。
13 ななしのよっしん
2021/02/22(月) 04:58:40 ID: 5vYzejACQf
>>12
黄飛鴻役のIGS製の格闘ゲームは2つあるけど「形意拳」のタイトルがついてるのは一つだけ
黄飛鴻の使う洪拳は南拳の系列なのに何でタイトル形意拳なのかはわからない
14 ななしのよっしん
2021/02/22(月) 17:01:18 ID: IrZV0+eYtu
>>1氏が言われたように今週のオススメ記事にあげられました。おめでとうございます

を据えて何度でも読んだ方が良さそうな内容ですね。
15 鯛焼き
2021/02/24(水) 12:20:17 ID: WLM7kFPvOs
>>14
良かったです(^^)
言葉だけで武術の動作を説明するというのは難しいことで悪戦苦闘しました。
まだ最善とはいえませんが、引き続き写真を挿入するなどの工夫もしてみますね。
16 ななしのよっしん
2021/02/25(木) 04:51:03 ID: H3rC3JQrk7
これはすごいな。