ミンダナオのゲリラ戦 単語

ミンダナオノゲリラセン

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ミンダナオのゲリラ戦とは、フィリピン、ミンダナで行われたゲリラ戦である。本項では太平洋戦争中にミンダナオで行われたゲリラ戦を記述。

概要

ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)

ミンダナオのゲリラ戦、その後 

ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

41年12月ダバオ制圧

本間12月20日三浦俊雄中佐隊をパラオからダバオを確保した後、三浦は第56旅団をホロ印へ向けた。残りの大隊を地元の治安部隊で補強した。

42年4月、ミンダナ勘定

本間はミンダナを確保するために、ダバオとディゴから進駐する三浦隊、コタバトとパランから東と北に進駐する川口支隊(のちガダルカナル全滅、そしてマカジャラー湾から西に進駐する河村支隊の多方面からの攻撃を計画。428日に三浦の攻撃は、フィリピン101師団のリードグレイヴス中佐グレイブス部隊は持ちこたえた。翌日未明、4852名の川口支隊はダバオの西 90 ㍄のコタバトとパラン付近に上陸し東に進軍し、グレイブスを脅かしたので、ジョセフ・P・ヴァション准将52日の夕方に撤退を命じた。翌河村支隊はダバオの北西 125 ㍄にあるマカジャラー湾に上陸した。

5月、コレヒドール降伏、ミンダナオ島降伏

バターンの戦いコレヒドール交渉

ミンダナオの降伏

ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)

シャープ将軍の降は、予想よりもはるか困難であった。軍隊は多くのに散らばり、そのほとんどが訓練を受けていない人で、山の隠れで安全を確保し自由を手放す気はない。

日本軍、抑留者を解放

日本軍が収容所に入り、敵国人として抑留していた者たちを解放した。その中の一人がドイツ人のワルド・ネヴェリングであった。ネヴェリングは嬉しそうに微笑み、日本人は丁寧にお辞儀をして微笑み返した。枢軸国の楽しい会議だった。隠れている人を皇軍本部に来るよう、もし選択をしなければ皇軍は兵を送り殺すと全員に言ってくれないだろうか?。ネヴェリングは、これ以上喜ばしいことはないと言い、日本軍の特別パスをポケットに入れ出発した。

日本軍歩兵大隊は、ラナオの北にある旧米軍キャンプキースリーに駐留軍を設置した。南東に4㍄離れたダンサランには、憲兵隊、ダバオからの日本軍政連絡事務所、通信部隊が駐屯していた。後藤祐輔が連絡事務所を指、事務や事業を統括し、日本軍政の民間人である向後清二が特殊作戦やモ人有力者との連絡などを指揮た。後藤は、島の端にあるパランに駐屯大隊を配置した。後藤は、フィリピン大学で学んでいた頃、コタバトの有力政治家ウガンガン・ピアンとともに、ラナオの有力イスラム教徒ドモカオ・アロントの息子マディキ・アロントを呼び戻している。アロントは日本軍の手に落ちた息子を見て、消極的な協力者になり、ピアンも後藤の本部近くのモロ族に武器を捨てるよう説得するのに努めた。コタバトには1500人の中国人が住んでおり、その多くは国民党の忠者であった。左のコタバト華人共済会の正仁、は、その会員 70名とその家族をピラヤンの内陸部に案内した。

ホセアバド・サントス処刑

ケソンはアバド・サントス首席判事を一緒に去るよう誘ったが、残って仕事を続け家族と一緒にいることを希望し断った。1942年3月17日米国に向けて出発した日、ケソン大統領アバド・サントスを全権限を持つ大統領代行に任命した。
 1942年4月11、アバド・サント、息のホ・ジュニア、ベニート・ヴァレリアーノ大佐、下士官2名は、自動でセブのトレドへ向かう途中、セブのバリリにあるバランガイ・ トゥボッドで日本軍に捕らえられた。彼は自分をフィリピン最高裁判所の長官であると名乗った。その後、彼と息はセ市バサック・サン・ニコラスの強制収容所に連行された。日本軍に協力するよ求められたが、彼は断った。
 日官川口清武は、4月26日に彼と息をマニラに向かっていると思い込ん船に乗せた。彼らは4月28日にコタバト州パランに到着した。翌日、彼らはラナ島マラバンに連行され、4月30日に到着した。日本軍収容所で2日間監禁された後、アバド・サントは川口の前に呼び出され、処刑について知らされた。射殺される前に、彼は息子と話すことができた。息子へ別れの言葉「泣かないで、ペピート、この人たちに自分が勇敢であることを示しなさい。祖国のために死ぬのは名誉なことだ。にでもそのチャンスがあるわけではない」
 
アバド・サントス1942年5月1日午後2時近くの高いヤシの木の下で処刑された。

ヌエル・ロハス自首

一方、5サントス最高裁長官の処刑を知ったマヌエル・ロハスは、ダバオで自首した。ケソンの前財務長官、下院議長として、フィリピンでこれほど著名な人物はいない。金大佐は、ロハスマニラ急行させた。ロハスがケソンとマッカーサーの連絡役であることを知っていた憲兵隊長長浜大佐は、ゲリラ導の疑いでロハスの処刑を命じた。旧友ホセ・ラウレルは、ロハスを処刑するには惜しいと、釈放を要してきた。ラウレルは、第14軍参謀の和知大佐英語を話す川原神父に調を命じ、8に決断を押し進めた。川原神父「ロハス力は、々が当初想像していたよりもはるかに大きいことが判明した」と報告し、彼を「々の側」に引き入れるべきとした。

彼がミンダナマラバライで捕虜になったのは戦争当初であった。「現況を処分せよ」という大本営は当然彼の処刑を予測させた。本間官の名において殺命が出されていた。しかし、現地部隊生田少将は処刑の根拠がないと考えた。彼は神保副官をマニラ相を調べさせると同時に和知参謀長に事の次第を報告した。和知参謀長からロハスマニラに護送せよという命が出されたのはそれから間もなくであった。ケソンを継ぐものとしてのラウレル、アキノ、ロハスの三人は特にしい間柄であったが、中でもロハスは未曽有の成績で大学弁護士試験をパスし、ラウレル、アキノとともに弁護士業を開き、間もなくカピス州から国会議員選挙に打って出て着々と政治橋頭保を築いていった。思想的には多分に親米色彩が強くむしろ反日的であったが、一概に言い切れない見識がはっきりとにじみ出た男であった。彼はフィリピンの宿ともいえるもろもろの欠点を全に理解していた。しかし日関係をラウレル、アキノと同等の立場から眺めることには断固として反対であった。第一に彼は軍人であった。ゲリラの育成も彼にとって重要な任務であった。彼が「現況」であるゆえんはこのようなところにあったのである。(大東亜戦記編、フィリピン政府横顔 毎日編集部 中村康二)

ナオペンダトゥンのポロ(蛮大隊組織

81師団ガイOフォー准将は、ラナオで数千人のモロ人をボロ大隊に組織していた。しかし、日本軍ダバオに上陸すると、訓練を受けていない部隊は一蹴された。それでも、日本軍行動抵抗を促した。例えば、ピキットで人が2人の神父の手にキスをする習慣を撃した後、日本の歩神父銃剣で突き刺し、その死体を袋に詰めてに投げ捨て、略奪、強姦、殺戮を続けた。コタバト州のミッドサヤップやカバカンでの同様の暴挙-ナイフの裁き」-ボロ大隊の再結成に拍をかけた。コレヒドールが陥落する前、モロ弁護士USAFFE大学ペラルタの元クラスメートのサリパダ・ペンダトゥン少尉と彼の義ダトゥマタラム・ウドトグはコタバトの近くでボロ大隊を組織していた。ペンダトゥンは、フィリピン警察学校卒業した37歳のメスティーソ、エドウィンDアンドリュー少佐アメリカ南部の飛行場での訓練時代に受けた人種的侮辱をできていないと考えられていた)執行官兼参謀長に任命した。アンドリュースはペンダトゥンがキバウェ、マラマグ、バレンシアマイラグ、マレーバレー日本軍守備隊を倒すのを助けた。1942年末には、ブキドノン州に2,400人、周辺地域にはさらに多くの兵士を抱えることになる。アンドリュースは次のように自慢「私たちは、需品、医療、輸送、兵器、財務などの必要なサービスを備え、6人の医師と20人の看護師がいる病院もあり、この若いイスラム学者導の下、正規の部隊が機していたのだ」。印的な部隊であった。

ミンダナオの降従者

シャープの降に従わない男も多い。鉱山大富豪であるサミュエルJウィルソン海軍中尉は、日本軍が彼の妻と子供サントトーマスで抑留したことを知ったとき、ラナオにいた。彼は、レジスタンスに参加した。ジョーダンハムナー、チャールズMスミス、アソールY・「チック」・スミスは、マスバテで鉱山技師をしていた。彼らは、ヨットを手に入れて、パナイに脱出した。セブが陥落するとミンダナオに移った。シャープが降すると、彼らはモムンガン近くのダイシャー氏が所有するプランテーション・キャンプに向かうことになった。降した人の多くは、考え直した。ロバートボール兵曹とウィリアムA・ノルツ軍曹は、マレーベイで降したが、レジスタンスに加わるために逃亡した。日本軍ドイツ人のワルド・ネベリングダバ刑務所から釈放し、西洋人に降を促したが、彼はジャングルへ向かいゲリラに参加した。

Wendell W. Fertig

ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)

 ミンダナオの抵抗運動が成功したのは、に個人的なリーダーシップのおかげである。フェルティグは1930年代の鉱業ブームのさなかにフィリピンに来ていた。その土地の習を熟知し「人の扱い方を知っていた」。彼の民間での職業と問題への対処法はゲリラ導者としての困難にも役立った。
 1941年初め、コロラド鉱山学校に関係する多くの技術者と同様、フェルティグも陸軍技術者部隊の予備役任命を受けていた。陸は技術者を必要としていた。1941年6月1日少佐の階級で現役になった。彼の最初の仕事は、工兵助手であった。その後、北ルソン地域担当の技師となり、島全域の飛行場の準備と改良の監督に費やした。ヒュー・ケーシーは、ミンダにフェルティグを派遣し、飛行場建設の監督をさせるよう取り計らう。
 42年4月29日、彼はコレヒドー島から脱出する最後の飛行機で出発した。PSVは4月30日にラナオに上陸し、フェルティグはデルモンテのシャープ部で協議した後、ダンサランに戻った。日本軍はその日上陸し、ラナオに向かって突き進んでいた。その日、フェルティグは、久しぶりに会った友人エンジニアチャールズ・ヘッジスに会った。ヘッジスはフォー将軍の命を受けて、第81師団PA自動車輸送に配属されていた。5月1日、彼はチャールズスミス大尉と一緒になった。10日、フェルティグはシャープの降を知る。Schmidt, Larry. (1982). American Involvement in the Filipino Resistance on Mindanao During the Japanese Occupation,)

 ブキドノン県との県に近いラナオ県の丘陵地で、シャープ将軍の降の知らせがとどいた。ウェンデルは41歳の長身運動神経抜群の男で、陸軍工兵中佐制服を着ていた。彼の揮下にあったのは、仲間もいない米海軍の下士官スミスと、おそらくもう存在しないであろうモータープールを担当していた陸軍大尉ヘッジスだった。…中、三人の人は、小さな日本の旗を手にして田舎を通ってくる元兵士たちに出会った。戦争は終わったんだよ」人が言う。…ある全に廃墟と化したには、もいない校舎のから、日本人黒板フィリピン兵士、臆病な兵士と書いているのを見た。町は燃え、かが町を守ろうとした形跡はなく、遺体も弾もなかった。…シャープ少将が最後の抵抗をするはずだった山に向かって、やがて、アラニブを見下ろせる場所にたどり着いた。双眼鏡に映った中には、に沿って作業する人の列が、それぞれミニ旭日旗を持っていた。…「隠れる場所を探そう」とヘッジスは言った。フェルティグは、ウェイライトシャープも降を命ずる権限がないと考えていた。

チャーリー、降ほど悪いものはない

「何だよ」「殴られても仕方がない、でも降する必要はない」ヘッジス々は何をするつもりなのか?」「降以外は何でもいい」(They Fought Alone, John C. Keats

フェルティグはフォー将軍がまだ抵抗していることをにした。第81師団と合流するためミラヨン州へ向かったが、フォー将軍も降したことを知った。

フェルティグは5月から8月まで、ラナオ州の日本軍から10kmのアバガとフムガン周辺に滞在した。彼はカイギネロと呼ばれる庭師になり、モンゴ豆を育て、いあごひげを生やした。彼は中佐バターンで昇進した)を付けて、新鮮な制服で庭仕事をして、降しない奇妙な中佐イメージを育てた。ムンムンガンの日本軍大和大尉は彼の存在を知っており、降するなら安全を保するという私信を送っていた。が、7月4日フェルティグとヘッジスの隠れは、ダンサランからリリガンまでの国道沿いで捕虜のパレードを撃した。日本軍は、どが裸足で針金でつながれた捕虜の列の先頭に、フォー将軍トラックの荷台に乗せ立たせた。「独立記念日パレード」は、バターン死の行進のような卑劣な性格を帯びていた。フェルティグは、この日から日本軍と戦う決意を固め、7月から8月にかけてアバガとムヌガンに留まり、ミンダナオの混乱が収まるのを待ちながら、園芸を続けていた。Schmidt, Larry)

ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

日本軍の討伐とゲリラの発生

 ロリンは、17歳のほっそりとした裸足少女だった。6月下旬のある晴れた日、彼女家族と一緒にカガヤン近郊のバリオにある市場に出かけた。「なぜダメなの?軍隊が降したからといって、生活が止まるわけではありません。店は開いていたし、製粉工場ではトウモロコシを挽いていたし。」その日、市場には日本兵がいたが、ロリンにとってはまだ好奇心の対であった。ロリンのは、豊かなアジアを語る日本人と仲良くなれることを願っていた。市場の一番突然がして、みんなが走ってきた。ロリンも走り出したが、彼女の足を突きあたり倒れた。ロリンは、男たちに腕を掴まれてダンカーに連行された。ダンプには3人の女の子が乗っていて、ロリンの同級生だった。政学の授業を受けていた校舎に向かう途中、他の少女たちと一緒に、ココナッツ芝生の上で何度も敗北を喫した。ロリンはもがいているので5人がかりで4人が両腕足を固定、そして5人が作業をする。その後、男たちは入れ替わり立ち替わる。ロリンのは血と土で汚れショックで曇っていた。彼女は、見慣れた校庭で、笑いあう兵士達の列を見ていた。翌彼女は死んでいた。死因特定されなかった。日本軍慰安婦になったことは、のような速さ通信に伝えられた。ロリンに起こったことは、それまでのダバオ等の日本人町でとは全く逆のものであった。(WAR and RESISTANCE in the PHILIPPINES

ミンダナの人々は、このを征した日本軍が、もはやこのにはいないことを知らなかった。日本の第一線の部隊は、奇妙な思いやりを持って、その悲惨な仕事をこなし、怒ることなく征し、町の孤児を与え、捕虜には煙草を与え、そしてミンダナオを後にした。彼らはミンダナを、サディスティックな思想警察ケンペタイと、進駐軍に任せた。朝鮮人台湾人を中心とした進駐軍は、日本軍ゴミであり、危険なのは女性だけではない、と先住民の走狗が町から町へ情報を運ぶ「電信」)は警告している。

中国人商人の話を聞いたことがありますか?。ハポンの人々は、彼が箪に隠れているのを見つけると、笑って箪を針金できつく縛って運び出し、周りにブラシを積み上げた。多くの人がこれを見た。火をつけ中国語が聞こえてくるが、ハポンは大笑いしたが、これを見た人たちはよくないと感じた。の話は聞いたか? と電が聞いてきた。ハポンは広場にを埋めて記念碑を立てた。ハポンはその戦争英雄だと言い、ハポン族の死んだにはもが頭を下げなければならないという。ハポンは非常に愚かであると、電報は伝えている。彼らは愚かな少年に質問したが、彼は質問されていることを知らなかった。ハポンは彼を拘束し、彼が答えないので彼の足からを剥ぎ取り始めた。それでも少年は答えることができず、泣き叫びんだ。しかし、ハポンの人々は、少年の性質を理解できないまま、少年が死ぬまで切り続けた。

6月、ミンダナオの恐怖を前に、男たちはできることをした。富裕層のある者は日本が創設した市民政府の役職に就くことでできることをしようとする。また、傀儡の民兵組織である警務局の役職に就く者や、日本人ビジネスをする者もいた。しかし、どの人は、日本軍からできる限り離れたところにいた。

しかし、このにはもう一つの恐怖があった。それは、犯罪者の集団、カラバ泥棒の集団、平和が苦手で暴力・混沌にチャンスを見出す若者たちの集団である。ボロから盗んだライフルまで、さまざまな武器で武装し、略奪品や食料女性めてを襲い始めた。どちらかというと、日本軍よりも恐ろしい存在だった。モロ族も再び襲撃してきた。この時、多くの人が日本軍山賊を退治してくれ」「モロ族を止めてくれ」と懇願したが、征者は無表情に笑っていた。人々は大東亜共栄圏を「プロスペリティアカ」と呼んだ。その後「アカ」が方言で「あなただけに」という意味であることを知った日本人の報復は、実に陰惨なものだったのである。しかし、ジョークは続けられた。その中でも特に良かったのは、少年の話である。製の電信機先住民の走狗が町から町へ情報を運ぶ「電信」)が伝えるところによると、彼はを守っているハポンに話しかけるために立ち止まった。
 銃剣人を殺したことがあるの?」少年が尋ねると、歩「ある」と答えた。少年「どうやって殺したのか見せて」と聞くと、歩は唸りながら足を踏み鳴らし、銃剣空気を突き刺した。少年やってみたい、衛兵さん教えて」と言った。そこで、歩少年銃剣を渡し、少年の横に立った。少年が高いで唸りながら「こうかな」と聞くと、歩「いや、こうだよ」と言った。少年は少し離れたところで「こうか?」「そうだ、その方がいい」と言った。そして、少年は突いたり唸ったりしながら、中で多くの人を殺していったが、常に少しずつ離れていって「突撃!」と叫んでダッシュした。歩は大で叫んで盗んだ少年を追いかけ始めた。しかしその時、3匹のカラバオが道路を渡ってきた。歩は持ちの男を怒鳴りつけ、顔に何度もビンタをしたが、少年はいなくなった。そして、これこそがハポンの愚かさを明していると電は言った。カラバオが少年叔父のものだったのである。このように、先住民の走狗が町から町へ情報を運ぶ「電信」)1942年6月下旬のミンダナの出来事を伝え、丘やジャングルに隠れていた数人の人には、彼らにとって興味深いニュースを伝える一種の存在としていた。モロ族がラナオ州で一家を殺したとき、そのニュースはまもなく南のサンボアンガ州の人や北のスリガオ州の人に届いた。口からへと伝わった言葉によって、逃亡中の人はお互いの存在と大まかな居場所を知りっていた。(they fought alone

7日本14陸軍はミンダナ無法地帯が増加していることを察知した。丘陵地帯イスラム教モロ族と沿キリスト教徒間の長年の(山のイスラム教徒は低地のキリスト教徒を軟弱で恐ろしいと考え、低地の人々は山の人々を無知蛮族と考えていた)、何世紀にもわたって、彼らは食料、物資、女性のために襲撃を繰り返してきたが、この40年間はフィリピン軍が平和を維持してきた。しかし、日本軍により一種の空白が生じ、古くからの慣習や昔の仕返しが即座に行われた。日本軍は、人がこの騒動の背後にいると疑っていた。厄介原住民の多くは実際には親米で、タグリビ地区のダトゥ・タンブヨン酋長やルーク・タリパス地区のアロラス・トゥラウィ大尉などがその例である。モロ人に対する偏見は、日本人に限ったことではなかった。ゲリラヘッジズ「この丘陵地帯のモロ族は、文盲でノミに噛まれた導師が、曲がったハジから典に書かれていると思われることを聞いて解釈したコーランに従って生きているのだ。そこから得られるものは、一夫多妻制、奴隷制、残虐性に尽きる。」

ゲリラの発生と統合

 ミンダナオの抵抗運動ゲリラが拡大するにつれ、々民衆を助けることよりボスになるかに興味を持つ人たちが沢山出てきた」戦後ゲリラの成功者は職に就くことが当然であり、マクギー中佐ダツシンスアトに手紙を書き、シンスアトを裏切り者と非難し、戦後導的地位が欲しければ抗日レジスタンスに参加するように促した。119連隊の指揮官であったグンバイ・ピアン大尉は、政治的野心を排除し、日本軍との戦いの動機は純愛国心であると、感情的で高らかな宣言を書き残した。人が効果的に導できたのは、戦後フィリピン政府政治的野心を持たないと周知されていたからである。
 ミンダで日本軍の到着と盗賊の増加により比人たちは市民秩序を回復するために団結した。42年8月中旬までに、さまざまなグループが合法的なリーダーのもとに統合され、無法地帯の広がりは食い止められた。ゲリラが統合されるにつれ3つのカテゴリーが統合された。1つは伏したUSAFFE兵士を核にして形成され(おそらく50%がこれ)、第二は侵攻前の地元の導者・著名な市民導者・あるいは地元の警察導者に由来し、このカテゴリは当初は盗賊に対する警備を行うことであった。第3のカテゴリーは、侵攻前の社会的または政治グループの識別を持つもので、ミンダナのホボスとルソンのフクバラハップがこれに入る。これらのグループが自信満々で日本軍に行った攻撃は「惨敗」し、「ゲリラたちを引きずり下ろした。ゲリラ部隊を率いるには、正義、補給、兵站、戦術、外交、仲裁においてスキルが必要なことは明で、これらの技を十分に備えている導者はどいなかった。」Schmidt, Larry)

モロ人のゲリラ

「悪質なモロ人を一掃し」「有力な酋長の心をつかむ」、日本軍政は、前ミンダナオ・スールー総監テオフィスタ・グィンゴナとその助手キリスト教シリアコ・ラバルダバオに連れてきて州知事に任命した。ダンサラン日本軍大隊は征作戦を開始し、ラナオ畔のワトを攻撃し、24人の村人を殺し、8軒のを焼き、同様にコタバトでの住民を恐怖に陥れた。が、これは民衆をゲリラに転向させ、多くのボロ大隊が生まれた。ダトゥ・アリマンは、コタバト州キダパワンダバオ州アポ山の間で600人の兵士を集めた。ダトゥ・マンティル・ディランガランは、2人の兄弟と共に、ミッドサヤップ-デュラワン-ピキット地域で千人(その半数は武装していた)を育てた。ミッドサヤップからレバクまで米海軍の退役軍人であるフロイラン・マスカルド・マタス少佐は、500人のキリスト教徒を率いて「マタス民兵」部隊を結成した。彼は「ミッドサヤップの神」として知られるようになり、「勇敢な決意を持っていたが、謀で反抗的であったと報告されている」。

8ペンダトゥンはコタバトのピキットで日本軍を攻撃、成功は彼に新たな新兵をもたらした。彼は増加した軍でカバカンを攻撃し、9までにディゴス-カバカン間の道路を確保した。アリマン、ディランガランらは次第にブキドノンでペンダトゥンのもとに集結した。

ミンダナオ東部のマクリッシュ

ウェイライトが降した時、ペレス知事はアーネスト・マクリッシュ陸軍中佐に、連隊と一緒に法と秩序を守ってくれるよう懇願した。マクリッシュは「降して州を崩壊させるわけにはいかない」と述懐している。彼は、ミンダナオ東部のブキドノン州インバトゥグでゲリラを組織した。脱走した捕虜のロバートボールアントンハラティク、ウィリアム・ノルツが彼に加わった。彼らはメディナの近くでパトロールを待ちせした。マクリッシュとクライドチルドレスは、ブトゥアンで日本軍弾薬がなくなるまで戦い、その後、捕虜にした兵士日本軍に返還し、こう提案した。「あなたの兵士を私の領域から遠ざけておいてください」。彼らは停戦を交渉し、町を分割し、一つの商店を共有することにさえ同意した。自由政府は、学校裁判所、徴税、貿易、貨幣の印刷を運営した。マクリッシュは他のゲリラを探し、最終的にフェルティグを発見することになる。

フェルティグの潜伏

ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)

フェルティグ、オフレット、ヘッジスはダトゥ・スンが支配するモロ族のに辿り着いた。若者たちが人を殺しに出てきたが、ダトゥはかつてジョンJパーシング中佐アーサーマッカーサー少将から受け取った表状を見せた。

ターバンを巻いた年老いダツは、足を組んで座っていた。彼はフェルティグに対等の席に座るように示した。…ダツ筒の栓を外して、色あせたを取り出した。…最初のモロの初期の荒れた時代に、ローグンガンのダトゥが中立に保っていたことを称える軍の手紙を読んでいるのがわかった。その手紙には「ジョン・J・パーシング アメリカ合衆国陸軍中佐」と書かれていた。ダトゥ・スーンは納得してうなずいた。そして彼はもう一通手紙を取り出した。手紙の最後には「アーサーマッカーサー 合衆陸軍少将」。ダトゥ・スンは丁寧につぶやいた。「古巣の同志に哀悼の意を表していると伝えてくれ」フェーティグは老人が何を考えているのか知りたいと思った。マッカーサー元帥は友軍を忘れず、ミンダナに来たハポン人を皆殺しに帰ってくるだろう」。老人はこれを聞いて立ち上がると、自分が戦争の中でどのような人間になったかを語った。少年は立ち上がって、荘厳で誇らしげに、の話を、そして最後には、生き残ったモロ人がどのようにしてローグンガンのダトゥの導を受け入れローグンガン渓谷を去ったかを話した。
 「ディッシャーを知っているかどうか聞いてみてくれ」
、ディッシャーはこの地域にいくつかの金鉱を持っていて、歩いて2日の山のモムンガンの方にキャンプっていると言われている。「もし人が現在の場所から追い出された場合には ディッシャーの居場所を提供することになる」ダトゥは言った。
 ディッシャーはここから3日ほど先、ローガンガンの近くにキャンプをしていると噂され、マノボ族はそこには人が多いとという。「ジャップはこのディッシャーのことを知らないのか?」オフレットは尋ねた。「そうですね、その通りです」ドンサルドールは言った。「しかし、ディッシャーのキャンプへのは非常に難しく、日本人は行きたがらないでしょう」
 …ディッシャーのキャンプにいる30数人人兵水兵は、ただ放っておいてほしいだけだった。将校を恨み、令を受けようともせず、ただひたすらジャングルの中で朽ち果てようとしていたが、探鉱者でイノシシ狩りをしていたディッシャーがどうにか手に入れた軍用食料を食べていた。フェルティグは、食料がなくなったらどうするのだろうと思った米人の若者たちは、何も知らないし、何も気にしていないようだった。キャンは健康的ではなかった。(THEY FOUGHT ALONE

フェーティグ一行は、ジョーダンハムナー、チャールズスミスも加わり、西戦争の帰還兵の妻でモロ老女、マクマイケル夫人のに移った。彼女の開放的で日当たりの良いは、ヘッジスのマラリア不思議と効くようだった。74日、フェルティグはダンサラン近くの高い丘の上に座り、国道を見下ろした。眼下には日本軍が、マラリアに感染した捕虜の長い行列を、ミンダナの人々の前でパレードしていた。列の先頭のオープントラックには、フォー准将が乗っていた。捕虜は電話線で足と手を縛られ、よたよたと前進した。遅れると、日本兵は彼らを殴り、銃剣で突き刺した。彼らが倒れると、刺された。上から見ていて、フェルティグは決して降しないと決めた。彼は戦うことにした。

フェーティグの潜継続

 7月4日のパレード以来、ヘッジスはフェーティグに何かをしろと激怒していた。せめて見りを殺したり、電話線を切ったりして。しかしフェーティグは

待て。人がゲリラを起こすことはできない、もついてこない、ゲリラを起こすきっかけはフィリピン人から来るべきだ

 8月になり、中に数多くのゲリラが出現した。自製の武器を持ち、中尉を名乗る元フィリピン軍の軍曹や、少佐大佐将軍に昇進した中尉の周りに男たちが集まった。ゲリラたちは自らを愛国者と呼びゲリラしたが、日本軍と戦った者はほとんどなく、むしろ近所の盗賊団やお互いに戦ったりしていた。日本軍は彼らにはど注意を払っていなかった。

モーガンとフェルティグ

ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)

 人のメスチソであるルイスモーガンは、コランブガンのフィリピン警察官中尉であった。シャープが降する直前、モーガン部隊をラナオに連れて行くよう命を受けた。その代わり噂によると、彼はコランブガンの製材所を焼き払い、遠く離れたバロイに向かい、途中で約400人の兵士を拾った。大尉に昇進したモーガンは、バロイキリスト教徒の農民をモロの襲撃から守るという。モーガンはまず、バロイ隣人キリスト教徒と平和に暮らしていたモロ族の男女子供30人を倉庫に集め、機関銃虐殺したと伝えられている。このような保護には対価が必要だった。彼は、部下に金と食料を要し、毎晩新しい女をベッドに寝かせるようになった。そして、モロ復讐に備えて防衛線をった。

 神舞は降後、ラナオ州、ミサミス州、オクシデンタル州の小を歩き、小さな自治体ごとに演説を行った。神舞は英語「すべての人は日本帝国政府に協力しなければならない」と叫び、そして有名な日本の「十七条の詔勅」を読み上げ「民政は通常の方法で行う。すべての者は家族を連れて帰宅し、幸せ生活を送れ」と締めくくる。そしてウィリアム・テイトは砕けたビサヤ語で叫んだ「この馬鹿を信じてはいけない。彼には何の権限もない。妻やは山に置いておけ」村人たちから賛同のが上がり、神舞は誇らしげだったという。イリガンに戻った神舞はアフリカ人とモロ族の女性の間に生まれた警護官でカラバ泥棒だったテイトを評価しモムンガンの警察署長に任命した。テイトは、モロの襲撃に対抗するためライフル100丁要した。日本軍はすぐ小銃を送ったが、やがて日本側は、小銃ゲリラに渡っていることを突き止めた。テイトは懲罰的な巡視が来る前に逃げ出した。テイトの警察署長としての最後の仕事は、日本軍に売られた情報提供者を全員射殺することだった。彼は北海に逃れ、モーガン中尉となってバロイに向かった。フェルティグは電から、すでにルイスモーガンのことをよく聞いていた。

モーガン、テイトを派遣

8モーガンフェルティグが自分の地域にいることを知り、テイトにある提案を届けに行かせた。
 テイトはフェーティグに、モーガンは十分な武装と律ある部隊を維持したまま伏を免れた恐れ知らずの愛国者であると語った。「しかし、困ったことに、大佐、戦わずに逃げ人将校たちが、今では降りてきて揮を取ろうと考えています。全員モーガン大尉よりも階級が高い。まるで政治のようですよ」。テイトは期待を込めて立ち止まったが、フェーティグは黙ったままだった。テイトは戸惑いながら言った。陸軍大佐以上の階級の人間は一人もいません。あなたが来て揮を執れば、も文句は言いません。モーガンは、参謀になるだろう」

言いたいことはわかる、中尉

 モーガンとテイトは、彼をフロントマンとして使い、その一方で山賊たちを慎重にコントロールしていくのだ。テイトはモーガン隊長はこうおっしゃっています。豪州マッカーサー元帥から、ミンダナの全ゲリラ部隊揮を執るために、アメリカ将軍がやってきたという噂を流します。マ元帥が覚えていて々に将軍を送ってくれたことにもが好感を持ちます」

そして私がその将軍になるのだな

「そうです、あなたがその将軍です」テイトは真剣に言った。しかし、可性は素晴らしいものがある。アメリカが面を失っても、マ元帥が失ったものは少ない。人にとって彼は伝説であった。

困ったことに、モーガン日本人殺しというよりも、モロ人の駆除で評判が高かった。もしモーガンの誘いに乗るとしたら、まず最初にモロ人との間で何らかの合意を取り付ける必要がある。しかし、問題はそれだけではない。それは、モーガンアイデアではなく、テイトのアイデアであり、テイトはモーガンに次のように伝えていた。マ元帥は、レジスタンス揮するために将軍派遣した。彼は潜水艦で来た。彼は今、モムンガンにいる。もし々が先に彼のところに行けば、方が全ゲリラ官になるのです。噂によると、彼は今、視察だけをしているらしい。」モーガンは何も疑ってなかったので、すぐに承諾した。ばれたらテイトは、自分も人の将軍がいるというデマに惑わされたと言うだろう。
 急に立ち上がり、テイトに手を差し出して別れを告げたフェルティグはモーガンに私の決断を通告する」と冷たく言い放ち、モーガンが会いに来るのは大歓迎だと言い、テイトをドアへと案内した。
 テイトと彼のゴロツキ軍団が見えなくなるとヘッジズは聞いた「まさか彼らに手を貸すつもりではないだろうな、ウェンデル?」「そうだな」フェルティグは言った。「テイトもモーガンも信用できない」フェルティグは々は彼らに命するつもりだ、指揮官というのは特殊な立場にあるんだ。揮を執りたければ、揮を執ればいいのだ」。

モーガンフェーティグに出会い、フェーティグ立ち上がる

2週間が経過した。地元市民モーガンに対する憤りを募らせ、かつてのライバルたちは彼の揮をっていた。モーガンが面を保ちたいなら、ある程度の面を失わなければならない。910日、モーガンはついにフェルティグのもとを訪れた。
 不機嫌な顔でやってきたモーガンの左隣に白々しく笑うビル・テイトがいて、兵士たちが続いていた。モーガンはポーチの階段を上っていった。フェルティグはこのゲリラを目見て、かつて人々が「勇気があり銃を持っている者はモーガの仲間になる」と言った理由がすぐに分かった。ハンサムで酒に強く、絶対的に恐れを知らない若い戦士であるモーガンはどの民族でもリーダーになれただろう。
 モーガが敬礼して言った「サー、ウィリアムモーガン大尉フェーティグと話しに来ました」
フェルティグは敬礼を返した。モーガンはその後の会見で、事態が自分の手に負えなくなってきていること、イルトラード息子である元フィリピン陸軍将校が自分のゲリラを支配しようと画策していることを認め「あなたはこの米軍上級将校ですから、あなたに揮をとっていただきたい」と言った。

キャプテンモーガンフォー将軍は、コランブガンからラナオの防衛のために、あなたの隊員部隊を連れて行くように命じた。

「はい、そうです」

なぜそうしなかったのですか?

「負けることがわかっていたからです」
この逃亡者のような白人がこのように話しかけてくるとは。豪州から来た将軍ではなく、ただの中佐それも本物の中佐でなく、鉱山技師として任命されただけの人だ。モーガンは、最近フェーティグの真実を知ったが、テイトに同意してデマを流し利用していた。
「愚かな命に従った者は、降してを失った」モーガンは言った。しかし、彼は自由で武装していた。モーガンを硬く600人のライフル隊員、6万発の弾薬、重機関銃、自動小銃のことを語った。フェルティグはそれを受け入れた。「編成表を見せろ」フェーティグは迫る。「表を作っている暇はない。ほとんどの者がモロに備えている」と気性が荒くなってきた。キャプテンモーガン、あなたの後方支援の状況を知りたいのです。兵站状況を知りたい。あなたはバロイ周辺に地を構えていますね。それは相互に連携した射場を持っていますか?。私が揮を執るためには、あなた方の組織を正確に把握する必要があります」モーガンなんとかなるでしょう」と言いながら振り払うような怒りのジェスチャーをした。モーガンは、フェルティグが使っているいくつかの用語を聞いたことがなかったし、その意味を知りたいとも思わなかったが、もしかしたら重要なことかもしれないという気持ちはあった。フェルティ「もし私が揮を執ることに同意し、あなたが私の条件を受け入れるならば、々は軍事組織として機し始めます。強盗団としてではなく、米軍部隊として機します。3日後にここに戻ってきてください」。モーガンはは立ち上がり「大変光栄です」とつぶやいた。

フェーティ准将詐称 

 フェルティグはモーガンゲリラ揮を引き受けることを決めたが、図に乗ってはいけない。彼は部隊を第106連隊と改名し、ミンダナオの全ゲリラを自分の揮下に置くことをした。

 3日後、謙虚なモーガンが要されたすべての情報を持って戻ってくると、フェルティグは現地のモロ細工師が硬貨から作った准将を身につけていた。モーガンはそれを風刺するように敬礼した。フェーティグはポーチの階段を降りてきて、モーガンに自分の部下を紹介させた。フェルティグは一人一人と握手を交わした。

私はこの組織の揮を引き受けた。以後、々の呼称は在フィリピン米軍とする。この日をもって、君たちは米軍の現役将校となった...

彼は自分たちの特権と責任を説明し、フィリピン全土に統一されたゲリラ抵抗組織を作ると言った。そして、何の計画もないことを隠すために、フェーティグは質問をした。答えたのはテイトだった。将軍、ミサミス・オクシデンタルに何人か人を送って、見て回った方がいいと思います。あそこにいる人たちは、州全体でジャップは1小隊もいないと言っています。マッカーサー将軍が来ていると言えば、人々が何と言うかを知ることができます」。

偶然にも、ミサミスオクシデンタル州の近くにいたホアキン・ディスマル大尉が、日本軍守備隊を攻撃するために助けをめてきた。フェルティグはモーガンとテイトを派遣し、彼らはミサミスとザンボアンガ北を見事に開拓した。

ミサミス・オクシデンタル

ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)

ミサミス・オクシデンタル州は、バロイにあるモーガン部からパンギル湾を挟んで向かいに位置していた。「中隊を組んですぐに行ってくれ」フェーティグは言った。テイトはその場を離れた。
 その後、ヘッジスが「ウェンデル、近いうちにあの野郎とトラブルになるだろうから、今のうちに止めておいた方がいい。」と言った。

モーガンたちを見て笑っていたじゃないか。うまくいっただろう?。モーガン々を必要としているし、々も彼を必要としている。

 9月13日、テイトは37人の部下を連れて2隻の小さな漁でミサミスに向けて出航した。彼が送り返してきた報告は素らしかった。これまでに日本軍に会ったことはなく、海岸には何の問題もない。ミサミス・オクシデンタル州には125人の日本人しかいなかったようだが、その全員が死んでしまったのだ。ミサミスでは、テイトとモーガンの接近を知って、町の人たちが町にいた一人の日本人(下級官僚を捕らえ、人間とは思えないほど石を投げられ、死んだ後はに食べられてしまった。他の報告では、ミンダナで最も古いスペイン入植地の一つであり、それゆえ最も文明的な土地の一つで、農場や整備された。どうやら戦争を受けていないようだった。南部ダバオ、中部のラナオ、北部のカガヤン・イリガン・コランブガンに集中している日本軍がこの州を侵略しなかったのは、この州が戦略的に全く重要でなかったからである。彼らは、形だけの部隊を残したまま、忘れていたのだ。
 フェルティグにとって無傷で被害を受けていない州は、本格的なゲリラのための強固な基盤を築くのに最適な場所だった。運が良ければ、日本人がこの地で起こったことを知るのは数週間後、そして何かをするのはさらに数週間後になるだろう。モーガンとテイトが行っている間に、フェルティグはモロ人のダトゥ・ウンパDatu Umpa)と休戦協定を結んだ。ウンパが提案したのは、もしフェルティグがモーガンモロ意味な戦いを終わらせるなら、モロはバロイ周辺への攻撃をやめるというものだった。ダトゥ・ウンパは、将来の日本軍に対する協力を漠然と約束してくれたが、フェーティグはそれを重視しなかった。モロ族が中立の立場になるだけでも収穫はあった。

フェーティグ、ミサミス・オクシデンタルに移動

 バロイでは、自由フィリピン海軍に乗り込み、ミサミス・オクシデンタル州でモーガンとテイトと合流し、同州の自由を宣言する予定だった。ヘッズとフェーティグがバロイに到着したときは暗くなっていた。パレードが通過すると、々のに頭が現れ、人の将軍に向かって「マブハイ!」と呼ぶが聞こえてきた。将軍だ! ... フェルティグは、自らに与えられた権限により、米国政府およびフィリピン連邦の上級代表としてミンダナ揮を執り、国家非常事態の期間中、の状態を正式に宣言したと述べた。彼はそれに署名した。
 200人のゲリ浜辺で彼を待っていた。先住のアウトリガーの巨大な丸船体に乗り込んだ。…タングブ船着き場が近づいてくると、小さな漁師町タングブの全住民が、フェスタの装いでそこで待っていた。3本のギター、1台のアコーディオン、1台のバイオリが演奏し、タングブの町中が彼に向かって歌っていた。自分たちを救うためにやってきた豪の将、解放者に向かって歌っていたのだ令官が陸に上がると、フェーティグ涙が流れた。

 タングブに着陸した後、ヘッジズの元運転手がヘッズのモータープール傷であるという驚くべき情報を持っていた。トラック自動車は、遠くないところに隠してあった。しかし、ミサミス・オクシデンタル州の奇跡はこれだけではなかった。老朽化していたが、電話機があった。ヒメネスココナッツオイル工場閉鎖されていたが傷だった。オロキエタの州都の建物は、職員が戻ってくることだけを望んでいた。彼の部下は、州の電話システムを稼動させた。エンジンに詳しいオフレットは、多くの地元市民を雇用していたヒメネスココナツ工場の再開を監督した。フェルティグは、まず州内を視察して、州の内容をざっと把握すること、そして何よりも多くの人に見てもらうことを決めた。
 後部座席ではヘッジスとフェルティグが、その後ろには、軍用トラックの荷台に乗ったぼろぼろの兵士たちが笑いながら通り過ぎる。村人たち目を丸くした。米国旗とフィリピン連邦国旗の2つの旗が垂れ下がっている下に、スマートな制服と装備を身につけ人部隊が立っているのだ。フェルティグがスタッフカーから出てくると、広場に群がっていた人々は、豪州から来た将軍の姿を見て喜びに沸いた。訪れたすべての町で、当然のようにフェスタが行われた。それは素晴らしい4日間だった。

フェルティグ、USAFIP宛ての野心的な布告

51歳のシリアコ・モルテラ中佐は、ミサミスから残党の警官隊を率いて到着し、フェルティグに合流した。918日、フェルティグは「在フィリピン米軍USAFIP」宛ての野心的な布告を出した。彼は、ミサミスオクシデンタルと北部ザンボアンガに米国旗と国旗を掲揚し、解放された地域にフィリピン連邦政府を軍当局の下に再確立したことを発表した。市民法が軍法と矛盾するところでは、軍法が優先されることを宣言した。フェルティグは、宣言文に"W. W. Fertig, Brigadier General, USA, Commanding Mindanao and Sulu Force "と署名している。

フェルティグは、モーガンをミンダナオ東部に派遣してゲリラを見つけリクルートさせることにした。その間に、フェルティグは部隊を整備し民政を組織するのである。
 フェルティグは多くの地元ゲリラを吸収した。タラカグとスミラオの間の北のバンドを率いて米空軍の下士官は、豪州へ道を探すために出発していった米陸軍中佐ロバート・V・ボウラーは彼らの部下をフェルティグ第109師団の第111連隊と第112連隊に採用した。マヌエル・ジャルドン少佐はミサミスオリエタルアルビジッド周辺のゲリラを第109連隊に編入した。最終的にフェルティグはこの地域に第117連隊を追加することになる。
 ボウラーは、この地域の地形、人々の協力、敵軍の少なさなどをゲリラの理想的な環境と考えた。できるだけ身を隠し、やむを得ない場合に戦うことにしていた。「私な資産は、匿名性道のなさ、そして友好的な隣人です」と彼はフェルティグに言った。「地域社我々に避難所、情、食を提供してくれるが我々は彼らを作戦に関与させない。ジャップが友好的なバリオを一掃すると、私の部下は丘陵地帯に消えていき、必要なら武器を埋めて農民になった」とボウラーは述べている。スティー・メルニクは後に、「ボウラーの個人的資質はゲリの結束を促すのに大いに役立ったが、ボウラーが組織を拡大できたのは西戦争後にミンダナオに定住し米人という地元指導者のおかげであった」と述べている。

ミンダナオ島、ミサミスに米国フィリピンの旗

ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)

 どの町でも、どのバリオでも、「あの人」"に話しかけるために群がっていた。先生イナゴを食べています。どうすればいいのでしょうか?」「先生、この女性父親レイプされたと言っていますが、いつも父親に従っているので抵抗しませんでした。これはレイプだったのでしょうか。」「旦那様、人々はハポン族が明日攻撃すると言っています。」「先生お金だけはお借りします。」「宣伝文句は何枚にしますか?」「チャベス中尉線機の埋設場所を聞きましたが」「その男は嘘つきです」「先生屋がを売ってくれないので、奪ってきました」兵士民間人も、男も女も、見知らぬ新任の将軍の周りに群がってきて、それぞれがニュースや噂を伝えようとしていた。当然果てしない嘆願者たちにそれぞれ答えることはできない。フェルティグがトリビア洪水に溺れてしまうのを逃れるためには、権限を委譲し非軍事的な問題を処理するための市民政府を設立しなければならない。フェルティグはこの考えを検討したが、不可能だと考えて捨てた。ヘッジス「彼らとばかり話していると、自分が困るだけだ。…この人たちは、あなたがすぐに何かをしてくれるとは思っていませんよ。…ただ自分の言うことを聞いてほしいだけなんだ」。しかし、こうしてヘッジスと話をする機会は次第に少なくなっていった。ヘッジスはあらゆる物資の棚卸しに頭し、フェルティグは、人物や動機の棚卸しに奔走し、2人の友人は疎遠になっていった。その間にも、軍の徴兵を命じたり、希望的観測から事実誤認まで様々な緊急報告を受けて判断を試みたりした。

星条旗を掲げ日本を追い払う

 106日、々を結ぶ蒸気トゥラー号に乗っていた日本軍はミサミスティ港に停泊しようとしたが、星条旗を掲げたスペインの旧砦から発したゲリラの奇襲を受けて追い払われた。

 そんな中、不思議なことにまだ通じている電信線に、こんなものが届いた。
MISAMIS 6 OCTOBER XXX ENEMY SHIP ATTEMPTED LAND MISAMIS BUT HAS BEEN DRIVEN OFF BY OUR TROOPS XXX
 フェーティグはメッセーを読、心臓が止まるのを感じた。「どんな敵なんだ??追い払われた、とはどういう意味だろう」。彼はミサミスに向かってを走らせた。
 …ミサミスでは大勝のニュースがあった。小さ島間船「トゥラー」が、港に直接入ってきてどうやら停泊するつもりらしい。ゲリラ部隊が待機していた。どこかのバカが砲した。そして、全ての兵銃を撃った。星条旗が要塞の旗台に掲げられた。驚いたトゥラーは全速力で反転、最後船尾に取り付けられた軽機関銃から乱射を吐き出した。
 フェルティグが入ってくると、テイトが出てきてニヤリと笑った。「テイト大尉モーガン少佐と一緒に私の本部に来てほしい」フェーティグは言った。続いて行われた会議で、フェーティグは、トゥーラが到着したとき担当していたゲリラの若い中尉に質問した。中尉は明るい顔をして誇りを持ち、ハポンの旗を出さなかったので、敵かどうかを確かめるために、一人に一発だけ撃つように命じました。…最初の一発の後、全員が何度も発した」と言った。「見事だ」フェルティグは言った…が

次はそんなことをしてはいけない、知らないに向かって撃ってはいけない。々のであれば、『ハポンが来た』と思って去っていくかもしれない。ハポンであれば、『ここにはゲリラがいる』と思って離れていくかもしれない。もしが来たら、あなたはそのを停泊させなければならない。が荷物を陸に置いたら、荷物と乗組員を全部捕まえるんだよ。次は覚えておくんだぞ

は硬く、しかし優しかった。困った中尉は、言われたことを思い出して将軍の前を去った。すぐに対のイリガンに人を送って、がどんな損を受け日本軍はどうするつもりなのかを聞き出せ。
 民衆に向けて檄を飛ば「ミンダナオ・スールー軍、USFIPは最初の州を獲得し、日本軍の最初の奪還の試みを決定的に打ち破った...」。もちろん、それは真実ではないが、ミサミスの人々はそれを信じた。

 「あれを見ろ!」森本中将が叫んだ。西部ミンダナ日本軍総司令官である田中屋敷成大佐・民政官の小郷治は、に貼られた戦況図を見つめていた。その地図には「賊軍地域」を表す70色以上の旗、小災害を表す200本以上のピンがある。「これは正確な数字か?」森本が尋ねた。沈黙が続いた。大佐「そうです」と答えた。も「そのようですね」とつぶやいた。
バカヤロー!。トゥラー今日イリガンに戻ってきた。乗組員160人のうち死者42人負傷14人だ。感動したよ。私が感心したのは、トゥラーがミサミスに停泊さえしなかったという事実だ。港に入ってきたところで、砦が撃してきたのだ!。屋敷成大佐、君の兵はどこにいる?砦にいなかったのか?」彼は束を引き寄せて中から一つを選んだ。「その時、お前の部下の兵はに食われていた!」
「政次さん、方の文官もそうでしたよ。」。二人の将校は何も言わなかった。
「あの砦には星条旗が掲げられていた」森本大将が言った。
「諸君、ミサミス・オクシデンタルからの最後の報告はいつ受けたのかね?」二人は何も言わなかった。「ミサミスにはもう電気技師を派遣する必要はない。信じられないことだが、になると明るく照らされ、トラック普通に動き、砦には星条旗が掲げられ、自由フィリピン政府と呼ばれるものが存在したのだ。」
森本は自分を抑え、の上から別のを選んだ。「ウェンデル・W・フェーティ少将」とあった。

ミサミスティ港での待ちせに対して、日本軍は第10独立守備隊の5個大隊をミンダナオ方面に、第11独立守備隊の4個大隊をビサヤ方面に派遣した。第16師団は南ルソンの守備隊に留まり、第65旅団第2連隊と第4大隊は北ルソンを占領していた。

モロ日本軍も襲う

マナロ・ミンダラノ率いるイスラム教部隊がガナシの日本軍守備隊を攻撃した後、吉岡中尉912日、ラナオ畔のタンパラン付近と思われるゲリラを襲撃したが、ボロを持ったモロ族の待ちせに遭い、ほぼ壊滅状態となった。その後、ガナシの日本軍は駐屯地に留まり、モロ族との敵対を避けることが最善と判断した。

 ここはダバサンタ・クルスとの中間地区、ブンガンというちいさい部落。時は昭和17年10月日本軍フィリピン勘定作戦を終わった、哀れな一時的勝利の時期である。る日、マンゴを買おうとしていた一人の将校がモロ人から短刀刺殺された。 刺客はその場でとらえられた。硬警備隊長は見せしめのために、その青年を群集の面前で殺した。
 11月に入ったある日、一本の矢が警備隊本部の屋根に突き刺さった。矢じり紙片が結びつけてある。佐々木はそれを呼んだ「次の金曜日正午タルメンゴの北側にあるナガボイの丘に来たれ。決戦をせん。も全軍を繰り出すゆえ、方においても全軍を持ってたたかえ」矢文はイロク酋長からの果たし状であった。「こざかしいだ。全滅させてやる」大槻大尉はせせら笑って、佐々木に承諾の胸の返事を書かせた。矢文をモロ人の市場付近の幹にい込んだ佐々木はその日から行方不明になった。
 約束の日が来た。機関も大も飛行機も持たぬモロ族がどうして戦おうというのか。やがて、前方から低いつぶやきが聞こえてきたモロ族の集団が攻めてきたのであった。「撃て」中隊長の令が発せられた。六丁の機関、120の小銃から飛び出した弾丸は先頭のモロ族をなぎ倒した。しかし前進してくるモロ族の大集団はあとからあとから湧いてくる。いくら売っても効果もない。異民族と戦って死ね天国へ行けるモロ族は屍を乗り越え、次には自分が屍となることを少しもいとわない。兵長は敵の集団が異様な臭気をと共に送ってくるのにむせた。モロ族の波は眼前に来た。日本軍はやたらに打ちまくった。しかし制止しようがなかった。兵長はこのことをに話さねばならぬと感じた。そうして逃げ一人が助かった。ついに中隊全員された。(火野 バタアン死の行進)

日本軍は、ブスラン・カラウ准将のようなモロ人の集団は反米であると考えていたが、彼らはに対しても反抗的であった。ミンダナ全域で新しいグループが立ち上がった。マスガドのマカリオディアス、スリガオ中部ガルシア少佐、そしてリャンガのトマニング大尉SWPAによれば 「これらの小集団は緩やかに統制され、それぞれの地域で山賊のように振る舞った。彼らは財産に損を与え、互いに従することを拒み、ゲリラの悪評を一般に広めた」。南部ブキドノンの弱い集団は、ペンダトゥンがキバウェ、マラマグ、バレンシアマイラグから日本軍を追い出すために2,400名を率いて作戦に参加したとき、これに合流した。

 第14爆撃隊のクライド・アボット一等兵とフィリピン憲兵隊のペドロ・コラード中尉は、バリンガサグに傀儡政権を立しようとする日本軍トロール隊を追い払うゲリラを率いていた。しかし、クラリアジェームズ・マッキンタイ軍曹マリトボグのアルフレッドフェルナンデス軍曹のようなベテラン陸軍航空隊員が率いるグループは、互いに協力を拒否したため多くのチャンスを逃すことになった。

フェルティグのゲリラの発展

ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)

 フェルティグは、戦術や兵士の技術、スタッフの管理手続きに特化した訓練プログラムを制定し、「いつの日か部下が裏金を回収できるよう、勤務情報記録に気を配った」市民ボランティアは粗末なを使ってカーテンロッドを成形し、30口径の弾丸を製造した。ディポログの小屋では、ソルサモンテ中尉温度計の流紋岩を他の化学物質と混ぜ、雷管用の水銀を製造していた。ヒメネス兵器工場では、古いバネをエンフィールドの新しいエジェクタに変えていた。オロキエタ近くの精所では、選りすぐりスタッフが広葉の版を彫り、戦後額面での償還を約束した自由フィリピン政府紙幣を印刷していた。ボニファシオ郊外では、ジェラルドアルメンドレスラジオや映写機から拾い集めた部品で小屋の床を埋め尽くし、長距離送受信機を作ろうとした。さらに、燃料となる砂糖をネグロスで取引するために需要の多い石鹸を作らせた。

何事も簡単にはいかない。モーガン収すると、漁民は反対し、地元の経済食生活は苦しくなった。フェルティグは、このような問題のために文民政府が必要だと考え、高名な裁判官フロレンティーノ・サギンを務長官に採用した。フェルティグは、地元のカトリック教会との提携を模索したが、アイルランドのイエズス会士カラナン神父は、表向きは中立した。しかし、非公式には、多くの祭や尼がゲリラの重要な諜報員となった。フェーティグは協力を促すために、本部の職員に毎週ミサに参加するよう命じた。彼はまた、ドニャ・カルメン・オザミスとその家族支援を積極的にめた。その家族は、スペイン系高メスティーソのネットワークで、長い間この地方を支配していた。

フェルティグ、第10軍独立地区

マッカーサー戦前の呼称を復活させ、フェルティグは自分の部を第10独立地区と改名した。彼の状況は良かった。カガヤン・デ・ミサミス近くのデルモンテ農園のパイナップルタラカグやクラリス近くのブキドノン丘陵のジャガイモ野菜パンギル湾周辺やスリガオ東コーヒーなど、食料豊富だった。彼は、ミサミスオリエタルとバリンガサグからブキドノンへカラバオのを開拓し、マラリア対策に必要なキナノキの皮を輸送し始めた。タラカグからのは、食料の輸送に使われることになる。

フェルティグはモーガンと共にヴァタリに行き、ゲリラグループの勧誘を行った。その後、モーガンはザンボアンガに向かい、ジョロ出身のモロ人であるアブドゥルラヒム・イマオ中尉スールー派遣してゲリラを組織させた。イマオウルスラシンペック軍曹を連れ、12シアシに移動して少数の武装ゲリラを組織し、弱体化した日本軍守備隊を攻撃した。クリスマスには30丁のライフル弾薬を獲得し、日本軍の攻撃的な反撃にも持ちこたえた。

人材のリクリー

ミンダナでは、男がくしゃくしゃになったを広げて、メッセージを読んでいた。

すべてのゲリラに告ぐ、諸の上級合衆国士官として、Wendell W. Fertig中佐CE, AUS)は、USFIPのミンダナオ-ビサヤ部隊揮をとり、准将の階級に就く。々の共通の敵に抵抗するすべての組織された部隊は、この揮下に入るよう招かれる。統一された抵抗が成功へのである。W・W・フェルティ准将指揮官

ネベリング「全く同感だ」。一人の指揮官のもとで統一されたレジスタンス、その通りだ。すべては組織化されなければならない。また「々の共通の敵」と言ったのが巧かった。ゲリラが皆友達ではないことを知っているのだ。ネベリングは、このフェルティグのことを、鉱業関係で聞いたことがあった。

ミンダナオ東部のマクリッシュ大尉メッセージコピー読み中の噂に思いを巡らせていた。かミサミス派遣して、その取引を確認した方がいいと思う」。クリッシュはチルドレス派遣した。

 ゴン高原を越え、を抜け、ミンダナのすべての小を通って、将軍メッセージと噂が広まった。電信の設備は十分に充実していたので、逃亡者たちは少なくとも互いの身元や評判、推定される居場所について薄々知ることができた。サムウィルソンのように、直接、個人的なメッセージを伝えるケースもあった。エルウッドオフレット曹長へのメッセージ「さあ乗りよ、エンジンがあるんだ」オフレットはミサミスへと出発した。しかし、降していない人のすべてが、これほど熱心に助けてくれたわけではない。丘の上に隠れている多くの人々は、人の農民の同情と慈善によって生きることで満足していた。さらに多くのゲリラの酋長は、フェルティグの使者を然と軽蔑して迎えた。
 「フェルティグとは誰だ
 「弾薬はいくつくれるんだ?ゴンを送ってくれるのか?マッカーサーから来たとどうしてわかる?ここでは、私が "ザ・ワン "になろう」。
 多くの酋長がフェルティグに加わることを拒否した。人の導力は必ずしも必要ではない、多くの人は慇懃礼な将校にうんざりしており、人が物質的な援助に専念すれば、あとは人で何とかする。
 ペンダトゥンは、コタバトのモロ族の若者で、がっしりしてハンサムだった。ペンダトゥンは自らを准将に仕立て上げ、大規模で十分に武装したモロ族のゲリラの先頭に立つことになった。敵の強襲地点に溶断された爆薬を積んだカラバオを日本軍の方向へ向け、導火線に点火し、カラバオの性に灯油松明を当て、敵に向かって希望に満ちた走りを見せた。この戦士の右腕は、戦のフィリピン空のチーフであったメスティソのアンドリュス大佐であった。しかし、ペンダトゥンの反主義は、アンドリュースのそれ比べると表面的なものであった。おそらく、このメスティーソは、アメリカ南部の飛行場での訓練時代に受けた人種的侮辱服していないのだろう。しかし、その憎しみは本物で、自分米人の血が流れているのが嫌で夜も眠れないと言うのだ。だから、ペンダトゥン本部にフェルティグの伝言が届くと、若いモとアンドリュス大佐は、ただ笑っていた。
 ラナ湖周辺の荒れた丘陵地帯では、モロ族のブスラン・カラウが、ペンダトゥン以上にフェルティグ指揮下に入ることを望まなかった。カラウもまた、自らを准将とし、マラナオモロ族の剣士の一団指揮し、彼はファイティング・ボロ大隊と呼んでいた。しかし、ペンダトゥンとは違って、カラウは反主義者ではなかった。

日本軍の対応、遅れる

 森本将軍は、何年も前に中国で学んだゲリラの対処法をよく知っていた。地図と報告書を研究し、日本軍較的少数の兵士で保持できる駐屯地に移して、その駐屯地を最小限の兵力まで削り、余剰人員から特別機動戦闘隊を編成することにした。戦闘隊は攻撃し、ゲリラ民間人も追いやり十分に狭い場所に押し込め消滅させる。そして、戦闘チームは次の地域に移動し、ミンダナの70の抵抗拠点がすべて踏みつぶされるまで、それを繰り返す。最初の標は、ミサミスだ。
 一つ難点があった。特殊部隊の編成は事上不可能だった。ブトゥアン駐留軍はマクリッシュとい米人にやられ消すわけにはいかない。ペンダトゥンというモロ人がマレーバレイという町を襲い、コランブガンからカガヤンへ向か車列は、ジャルドン、リメナとい比人とウォルターとい米人のゲリラに襲われ、輸送護衛隊を配置しなければならない。部隊がアグサ川を下るたびにゲリラに襲われる。さらに、ラナ湖周辺では、カラウという野蛮人がいる。どの攻撃も特害はなかったが、全体として見れば迷惑であった。もちろん、マニの本間将軍に援軍を要請するのが筋であるが、と平和を宣言した今、こ島がも平和もされていないと認めることは、森の面子を失わせることになる。
 森本は少しずつ、あちこちで倹約し、危険を冒して現令官の反対を押し切り、対抗できるだけの規模の戦闘部隊を編成しはじめた。しかし、時間がかかる。森本は辛抱強く仕事を続け、徐々に増えていく機動部水陸両用作戦の訓練をしている間、日の飛行機が朝8時きっかりにパンギル湾を渡ってミサミを爆撃し、写真を持って森の事務所に駆けつけてくる。(they fought alone

ジョーダンハムナーとチャールズスミス豪州

ミンダナで、ジョーダンハムナーとチャールズスミスは、モーガンの下で働いているチックスミスと再会した。3人は豪州に渡る計画をフェルティグに持ちかけた。謀な計画だと思いながらも、フェルティグは結局OKを出した。最初の試みは2日間の航で失敗し、彼らはより良い準備をするために戻ってきた。ハムナーとスミス夫妻は、モーガンがナガで手に入れた21㌳の帆船を補強し、地元の人々が風が弱ったときのために8力の灯油エンジンを供給してくれた。モロ人のラキブルナスイルキリスト教徒のエウジェニオ・Sカタリナである。124日、彼らは「オルエス」と名付けたで、ラバンガンを出航した。出航する前に、フェルティグはチャーリースミスに、二人だけが知っている線呼出符号をささやいた。もしスミス豪州に到着したら、"Mindanao-Smith-Fertig "頭文字を取った "MSF "というコールサインを使って線で返信することになっていた。

あらゆる困難を乗り越えオルエス1231日に豪州に到着した。乗組員は日本軍脱水、飢餓、敵対原住民から一歩先んじた。めて上陸後、西に向かい、ドン灯台まで来たところで、元旦3時に沿監視員と接触した。豪州巡視船3日後に彼らをダーウィンに送り届けた。112日、ハムナーとスミスSWPAフェルティグのミンダナゲリラの存在を報告した。マッカーサーG-2は次のように報告している。「この進展は今後の諜報活動の計画における重要な連鎖となった」。

人将校をリクルート

 フィリピン人の隊長は、隊長人に中隊を任せてください」と述べた。フェルティグは驚いた。

なぜ?、あなたはよりも訓練され、経験も豊富だ。人らは確かに中尉ですが、揮をとったことはなく、どは機械工だ

船長は驕ることなく言った。「その通り。しかし、優秀な人材は必要ない。中尉でもいいんだ。アメリカーノが責任者だと思えば、彼らはもっと自信を持つだろう」フェルティグは自分にできることをやってみると約束し、船長は帰っていった。

 1942-43年の白人の面丸つぶれにもかかわらず、ほとんどの人は、人は優れた知恵と力を持っているとまだ信じていたのだ。人が、最も優秀な人以外の部下として働いているのを見るのは、どの人が不快に感じていた。この感情はミンダナの素タオ族の間に根強く、フェルティグは白人依頼する必要があった。
 エルウッ・オフレットは、組織の初期にミサミスに来た一人で、フェルティグは手を握り

よく来てくれた

と言った。海軍時代にココナツオイル工場を経営したことがありますか?」「ココナッツ工場?」「曹長、もし君が私から陸軍士官を引き受けたら、その士官としての地位は揺るぎないものになる。フィリピン人が期待しているのだから」海軍機械工が陸軍中尉になって椰子工場を経営するというのは奇妙な話だが、フェルティグは工場の動力エンジンだと説明し、オフレット工場エンジンがあれば、それを解明して動かすことができるだろうと言った。
 サ・ウィルソンは別格だった。マニの大富豪だったサムがミサミスに着いた時、ゲリラとは関わりたくないという。

しかし、サム、君は々が必要としている男だ。君は印刷のことも、金融のことも知っている。だから、君は "The One "なんだ。印刷と会計を担当してほしい

「ウェンデル、ジャップにはスージー子供たちがいるんだ」サムは首を振った。同情を抑え、冷淡に言った。結局、ウィルソンは「絶対秘密」というフェルティグの誓いを受け入れた。彼は、絶望勇気をもって仕事に取り組み、しかし、きめ細かい仕事をした。
 ミサミスに着き始めた若い米軍人の多くは、勤続2年未満であった。若い航空部隊の専家のほとんどは、将校クラスを嫌っていた。2年前までテキサス州プレーンビューの近くの農場に住んでいた18歳のケネス・ベイリーのように、田の少年たちは、自分の面倒は自分で見られると田に逃げ込んだ。彼らは、フェルティグやヘッジスのように地形や習慣、危険、言語に関する知識は皆無だった。若いベイリがフェルティグに語ったエピソードはこうだ。

 日本軍が野戦病院に近づいてきたとき、マラリアにかかっているベイリーは他の13人とともに丘陵地帯に逃げ込んだ。ベイリーはその後7ヵ間、ジャングルの中を歩き、裸の原始人たちと暮らしたが、彼らは切で礼儀正しい人たちだと尊敬するようになった。しかし、ベイリー友で、一緒に病院から逃げてきたジョングラントという若者が、野蛮なマガハット族にで刺されて死んでしまった。13人のうち7人が死んだ。ベイリー食べ物めて流浪の旅を続け、最初に見つけたゲリラ-モロ・サリパダ・ペンダトゥンのゲリラに参加した。
 ペンダトゥンは教養はあるが、自己中で猛エネルギーを持っ令官だった米人指揮下に入ることを喜んでいるようで、ベイリーのためにわざわや食を提供してくれた。ベイリは航空隊の整備士だったので、モータープールで働くことになった。しかし、ペンダトゥンたち貴重とガソリンを、趣のドライブに使っていること、また戦争は単なる遊びのようで数人のゲリラが、日本陣取るマイバライの町に時無差別に砲する程度である。一方、ペンダトゥン米人に対する態度は変化し、ベイリーは、参謀のメスティソであるアンドリュス大佐が求したためだ感じていた。フラン・マギー大佐だけが唯一まともな将校だった。ペダトンの幕僚たちはマギーやもう1人米人、レナー・マーチャントを侮蔑的に扱った。「酔っ払ったアメリカが」アンドリュースはピストルを取ろうとした。他の人と人のとりなしで助かったが、ペンダトゥンはマーチャントをモータープールからはずし、人が担当することになった。ベイリーは出発し、ある噂を頼りにミンダナ西海に向かっていた。
 ベイリーのよう米人は、一人で或いは数人で、噂の方へと進んでいった。そ誰もが、ミサミスで驚かされた。始まりは、武装した警備員から「旅令書を見せてくれ」と言われたことだった。フェルティグ将軍は、税金の代わりに人が月に何日分かの働を国に捧げることを義務づけるというスペインの制度を復活させた--軍隊に属さない各人が負うべき労働は、道と小道の警備だった。トラックがあれば、新りの米人はフェルティグの本まで車で連れて行かれた。手入れの行き届いた農場や、開戦前以来見たことのないようなかな村々を通り過ぎ、兵が公開練習をしていたり、婦人補導隊に入隊した女性が弾丸や軍服、包帯をせっせと作っているのを見かけた。ここでは組が機能してり、米人としてその価値を理解することができた。ミサミス市では、フィリピン連邦と米国の国旗が同じ高さではためき、制服を着た戦士たが、司令官の建物の入り口を守っていた。
 …どんなにジャングルから来た人でも、戦争に負けたと思っていても、フェルティグの存在によって、男は突然軍影の中に引き戻されるのだった。ベイリーは、ペンダトゥンのスタッフとして有なウェストポインターでWW1の退役軍人であるマギー大佐が働いていることをフェルティグに知らせた。

ボールフェルティグをひと見て、こうつぶやいた。
やれやれ、ついに本物の士官が来たか」
 ボーはゲリラの頭領であるマクリッシュ少佐を嫌っていたわけではなかった。彼はマクリッシュの勇敢さを尊敬していた。だがブキドノンが飢餓だった。フェルティグがボールに能性のある大きな視野を与えてくれた。

 フェルティグは、人の話から抽出していた。フェルティグはペンダトゥンのゲリラを支配し、マクリッシュを実際に利用する方法を見つけなければならない。ブキドノンの飢餓を解決しなければならない。ミサミス・オクシデンタル州の余剰トウモロコシを荷運び人が小に詰めれば、ブキドノン・ゲリラの忠心を買うことができる。

これは純ボランティア組織だ。入会する必要はない。希望しないなら、豪州と連絡が取れないのでいつになるかはわからないが一番交通手段でミンダナを脱出させる。もし参加するならば、君たちはとんでもない責任を負うことになる。人たちがあなた方に抱いているイメージに応えなければならない

フェルティグは、なぜ白人依頼する必要があるのかを説明した。フェルティグは危険を冒していることを自覚していた。ほとんどの人が期待していることを、別の人が憤慨している。消極的な者、容姿が気に入らない者は、ミサミス・オクシデンタルの別の場所に送って本送還を待つようにした。航空部隊軍曹の一人は、精神病嘘つき虚偽の噂を広めることが判明し、フェルティグは刑務所に入れた。
 フェルティグは、何よりも豪州と連絡を取る必要があった。42年12月下旬、ボール中尉の報告によると、アルメンドレの自作送信機に寿命の兆しが見えはじめた。ボールによると、それはハミングしていた。(they fought alone

外部との連絡

 ロイベルは、食料と金をめてネグロスから突然やってきた。フェルティグは、食料、軍需品、ミンダナの緊急通貨をネグロスに送ることに同意した。その見返りとして、アウセホの第75連隊はフェルティグに忠を誓った。ベルアルメンドレスボール線機完成を手助けした。
 ボーはフェルティグが持っていた暗号筒を使って、"WE HAVE THE HOT DOPE ON THE HOT YANKS IN THE HOT PHILIPPINES "というメッセージ世界に発信した。彼らは、水晶振動子がないと、送信機が広い周波数帯域で滑ってしまうことを理解していなかった。しかし、フェルティグのメッセージサンフランシスコラジオ KFSに届いた。KFSオペレーターは、この古い暗号を使った俗語だらけのメッセージを、連合軍の線通信を妨するための日本側の努力と見なした。

ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

フェルティグの勢力拡大

 クライドCチルドレスはスリガオからの燃料とをカダバラン道路で運ぶか、バンカで輸送するという、フェルティグの補給作戦の大部分を開発した。フェルティグはチルドレを中佐に昇進させ第110師団の参謀長に任命した。フェルティグはまた、ヴィンセンテ・ザパンタVincente Zapanta大尉率いる大の二本マストモーターバンカ「アテナ」を旗艦とする海軍を創設し、後に20㍉砲置き換えられた自家滑腔砲50口径機関銃を装備した(日本軍との数回の遭遇戦に成功した後、乗組員は1944年半ばにアテナの拿捕を防ぐため焼却する)フェルティグの海軍は、高い上部構造と75力のディーゼルエンジンを備えた間旅客トレジャーアイランド、50力のエンジンを備えた軽タグロザリアモーターバンカソワット、ナラ、CAPTノルツ、ナルホルなどへと発展していった。

フランク・マッカーシージュニア少佐は、ミンダナ南部マラガス地区でゲリラを組織し、すぐにゴム農園の多いカバサラン地区まで揮を伸ばした。マッカーシーの部下は、貿易に使用するラテックスを積極的に収集した。1944年までにフェルティグは、アンヘルメディ少佐の下で第115連隊として編入することになる。

コタバト州では、ペンダトゥンは依然としてフェルティグの揮下にはなかった。彼は、元々いたモロ人のボロ大隊を、コタバトとブキドノン南部を支配するブキドノン・コタバト軍として知られる多様なイスラム教徒とキリスト教徒のゲリラ運動へと拡大したのだ。1中旬、ペンダトゥンは南からマレーバレー日本軍守備隊を攻撃したが、ボウラー約束した北からの援軍は来ず、攻撃は失敗に終わった。

4316フェルティグはフィリピン全土からの報告をまとめta。日本軍17隻の輸送マニラ湾で修理待ちの状態で休んでいた。日本軍日本に送るために金属をかき集めた。マッキンリー基地で原因不明の大爆発が起こり、「トラック7台分のジャップ」が死んだと伝えられた。人はあらゆるものに35の贅沢税を支払った。マニラの大通りは空っぽだった。

モーガンをヴィサヤに、ヘッジスをモロ派遣

モーガンがミンダナオでの勧誘を終えてミサミスに戻ると、フェルティグは112日に総部遠征軍の80人を率いてレイテとネグロスでの勧誘に再び送り出した。彼はモーガンに、フェルティグのUSAFIPを持つゲリラ導者のみが「認」官に名されるという情報を広めるよう命じた。

フェルティグは、増え続ける武装モロに対処するため、チャールズ・ヘッジスを派遣した。48歳のヘッジスは、コランブガン製材所で長年働き、「モロ族の好意と支持を維持する」力を発揮していた。教育エドワードM・クダーは、マナラオ・ミンダラノのボロ大隊とマラノ民兵部隊8,000人の第108師団にするためにヘッジスを手伝うことを志願したしかし、多くのモロ族はヘッジスに加わることをした。モムンガンのブスラン・カラウ、ガナシのダトゥ・ラギンダブムマイとマダクスのジョセフ・サンギラ、そしてマシウのダトゥ・ブンタリスは、自分たちの独立を大切にしていたのである。

豪州との連絡、ペラルタとフェルティグの争い

ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)

豪州からの通信の努力

豪州に戻ったハムナーとスミス夫妻は、フィリピンから絶え間なくかかってくる「ホットヤンクス」の線にKFSが応答できるようにSWPA陸軍情報部を説得していた。あるフェルティグの線担当者が「KFSMSF電話している」と間に受信したメッセージを知らせてきた。フェルティグはそれがチャーリースミスだとすぐにわかった。彼がかけ直すと、KFSは「キーとして第二近者のファーストネームと第二近者の居住地を使用せよ」と答えた。フェーティグは長女のパトリシア名前と出身地のゴールデンを使って暗号を解き、ペラルタと同じようにSWPAと話ができるようになった。フェルティグは急いでマッカーサーにこう報告した。全な民間支援を得て、強力な部隊を編成中。敵の自動車は大量に破壊された。多くの電柱が切り倒され、食糧庫が焼かれ、かなりの敵の武器弾薬が捕獲された。何千人もの若い人が、武器が手に入れば参加することを熱望している。あなたの命で敵と交戦する用意と意欲があります」KFSフェルティグにじっと慢するように示した。

日本軍ゲリラ本部を爆撃フェルティグを殺して彼の軍を内陸部に追いやったというニュースが放送された。ワシントン情報当局は、ミンダナオからの線連絡を再び疑い、連邦官をコロラドにいるフェーティグの妻とたちを訪ねさせ、連絡相手の身元を確認するための情報を収集させた。しかし、それ以後はSWPAから何の連絡もない。
 マッカーサはゲリラの勢力争いにうんざりしていた。そして「全ゲリ指導者」に対し、敵との接触を制限し、情報網の構築に専念し、「上官の氏名、その他軍事情報」を速やかに報告するよう新たな令を発した。また、ペラルとフェルティグには、貨幣の印刷を禁止すること、ゲリを現の指揮官の下に置くこと、ペラルタを「一時的に占領した敵地の軍事ゲリラ長」指定すること、の三つ令を出した。

2月6日フェルティグ宛てのロイベルからのメッセージがあった。ベルはパナイにあるゲリラ拠点を突き止めたといい、フェルティグがその状況を知っているかどうかを尋ねていた。
 フェルティグは知っているはずだった。数月前、野心的な若いフィリピ人弁護士マカリ・ペラルタが、もしフェルティグが自分をパナ唯一の正当なゲリ令官として認めてくれるなら、自分の部をフェルティグ指揮下に置くことを提案した。フェルティグはこれを承諾した。それ以上の具体的な話はなかった。それぞれが自分のことで精一杯だったからだ。フェルティグは、ペラルタは自分陣営にいるのだ、と思っていた。しかし、ベル氏の知らせがそれを一変させた。
 ペラルタは最近、ジャングルに隠された陸無線通信機を発見したのだ。彼はマッカーサ令部に線で知らせた。ウェンデル・フェルティグを含むある将校が自分の揮権を奪おうとしていると。そこでペラルタは、マッカーサーに対して、フィリピンゲリラ一の指揮官は自分、ペラルタであると認めるよう要した。そして、マッカーサーからペラルタへの3つのが、ベル駐在員から提出された結果であった。最初のは、軍票の印刷を禁止するものであった。2つは、ゲリラ部隊揮を、すでにゲリラ部隊を支配している者に限定したものである。第3のは、ペラルタを「一時的に占領された敵地の軍事ゲリラ長官」に定した。フェルティグは、この3つのの不条理さに愕然とした。

「あのオーストラリアバカ野郎どもは、何も知らないでよくもまあ、を出してくれたな」

 冷静に怒りを抑えて、フェルティグはもう一度書を読み直した。1つは、フェルティグの非常用持ち出し金の印刷を最高部に対する不従の行為とするものだった。さらに悪いことに、このは、フェルティグが民に対して嘘つきであることを明らかにした。なぜなら、彼は緊急貨幣米国によって額面通りに償還されると約束したからだ。まあ、いいやということになった。私は軍票を印刷しているんじゃない。本物のお金を刷っているのだ。2つは、ちんぷんかんぷんだった。は常に自分がコントロールするものに限定されていた。そして私は、命できるものはすべて命する、とフェルティグは考えていた。そしてそれは、これからも変わらない。第3の意味だった。このが意味するところは、ペラルタ日本東アジアで征したすべてのものの導者に任命されるということではなかったからだ。さらに、フェルティグは、このはミンダナには適用されないと推論した。マッカーサーからペラルタへの示は、ここまでだ。John Keats, They fought alone

ペラルタフェルティグの勢力争いとマッカーサーのうんざり

43年12月頃のゲリラ勢力

 混乱と怒りを覚えたフェルティグは、KFSにメッセージを送り、陸軍省に伝えるように示した。フィリピンの上級人将校として、私はミンダナオとビサヤの揮を准将の階級で執ることにしたxxx ゲリラ部隊リーダーとして、[A]FIPを再活性化し、正式に選ばれた連邦議員の手に民政を確立したxxx 金は彼らが印刷して[A]FIP xxx Fertigに貸与されている". 」マッカーサーに楯突くのは賢明でなかった。2月11日KFSはフェルティグのコールサインMSF ではなくWYZBとし、ブリベンにあるマッカーサーKAZに配属することを通知した。フェルティグは長いメッセージKAZに送った。SWPAは"KEEP YOUR SHIRT ON YOU ARE NOT FORGOTTEN "と返信してきた。

2月14日ペラルタマッカーサー部に「ウェンデル・フェルティグを含むある将校が揮権を奪おうとしている」。彼はフェルティグのもとに参謀まで派遣したが、人はこれをなぜかペラルタ軍団揮を受けるようにとの申し出と解釈した。ネグロスでヴィラモールは考えた「彼らは、まるで近所のギャングのリーダー争いをする子供のようだった。」

ゲリラ揮系統については、決定的な何かがなされなければならなかった。SWPA「全体的な状況に適した指揮官を見つけることは困難であり、時間と労力を要する。個々の現地官の承認が最も満足のいく解決策と思われ、G-2は戦前の軍管区を基礎とした部の設立をなく推奨した」 一つだけ確かなことがあった。マッカーサーフィリピンの全軍を揮するのは自分以外にはいない、ということだ。

USAFFE再編

213日、SWPA戦前USAFFE軍管区を再活性化させた。マッカーサーはミンダナと当面の間スールーを含む第10軍管区MD官としてフェーティグを承認した。そしてフェルティグに、サマーとレイテの第9軍管区を揮する適任者が現れるまで、情報網を整備するよう命じた。またペラルタをパナイ6官に任命し、ネグロス7軍とセブ島、ボホール8軍を諜報活動の任に当たらせることにした。また、SWPAは両ゲリラ中佐とし、いかなるゲリラ将軍の地位に就いてはならないことを念押しした。

 フェルティグは自分の地域の上級士官を恐れていた。その筆頭がアレハンドロスアレス大佐で、47歳のスペインモロ人であり、1914年からコタバトとスルー治安維持隊に所属し、スールー州知事にまで上り詰めた。フォー将軍に従って降した後、日本軍スアレスにコタバト州の治安当局の揮をとらせた。1に彼はタウタウィに逃げスールー州のバトバトにたどり着いた。彼はフェルティ中佐よりも階級は上だった。
 スアレスはバトバトでアレハンド・トレペセス少尉の下、30名の警護官をタウタウィのゲリラと統合し、モーガン派遣したアブドゥルラヒム・イマオ少尉の下、20名を組み入れた。その後の勧誘で、シアシの第一大隊は200人、ジョロの第二大隊は250人、タウィ・タウィの第三大隊は350人になった。フェルティグはスアレスに連絡し、彼の組織をバトバト近くに本部を置く第10MDの第125連隊とすることに同意した。結局、SWPAスアレス官とする独立軍管区をスールーに命名することになる。

2月14日KFSはフェルティグに線で追加の手続きを示し、次に聞く局はKAZであり、以後はこの局を相手にするようにと告げた。KAZは南西太平洋軍のネットコントロール局であった。ついにKAZから連絡がきた。すぐにフェルティグは、陸軍省に送った線通信を繰り返すと、ゲリラ地域の揮状況を直ちに明らかにするよう要した。KAZの返答は速やかだった。

シャツを着ろ......お前は忘れ去られていないぞ

一週間後、KAZマッカーサーからのメッセージを送った。

部は既存の軍管区に基づき順次設立される。軍管区の官は本(南西太平洋の管理下で活動し、任務は実績に基づいて再検討される。フェーティ中佐はミンダナと当面の間スールーを含む第10軍管区MD官としてを承認し、サマーとレイテの第9軍管区を揮する適任者が現れるまで、情報網を整備する。ペラルタ中佐は第6軍管区(パナイ揮し、第7・8軍管区をカバーする情報網の編成に責任を負う。

これを読んで、フェルティグはモロ細工師のの重みを襟に感じた。工兵隊のフェルティ中佐は、今や合衆歩兵隊のフェルティ中佐なのだ。

潜水艦到着、パーソンズ派遣

ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)

ミンダナフェーティグは、地理的条件と豪州との較的い接触を利用して、フィリピン最大のゲリラ組織を作り上げた。ミンダナ面積が広く道路網が限られ集中的な揮は困難であったが、これらの要因は懲罰的な作戦の妨げにもなった。リーダーシップも不可欠であり、フェルティグには、生き残り、成長するために必要な人望、政治スキル、柔軟性を備えたチーフがいた。フェルティグは、指揮官になると、運動に対する支配力を強化・拡大する本を発揮した。モーガンを近隣のゲリラ官との連絡役にした後、モルガンモスリムライバルであるラナオ猛者モロ族や、カトリック教会との同盟を交渉した。フェルティグは、人に好印を与えるために准将の地位に就き、工兵隊やコマンドースクールにわか仕立ての海軍を含む軍隊を編成し、訓練した。文民政府立し、労働者徴兵し、通信網を整備した。自分の組織を強化する一方で、ミンダナや近隣の々にいる他のゲリラリーダーと連絡を取り、説得と自分の地位を利用して、多くの人を自分の権威の下に置いた。しかし、1943年2月に南西太平洋戦域との線通信が確立され、マッカーサーが彼をミンダナの軍官として認めたことで、フェーティグの力は大きく強化された。物資を受け取り、分配することで彼の権限は拡大し、ミンダナ地理的に分割し、それぞれに人の責任者を置くようになった。5月になると、フェルティグの軍と政府然と活動するようになり、ミサミスの通りやパンギル湾の上に全に制服を着たゲリラがいることを除けば、州内の生活戦前の正常な状態に戻っていた。(U.S. Army Special Operations in World War II)

ヴィラモールとハムナーの報告に基づき、SWPAは次の潜水艦フェルティグに派遣することを決定した。チックパーソンズフィリピンへの任務計画を携えて、118日にブリベンに到着した。マッカーサーの承認を得て、パーソンズは物資の優先順位を決めた。線機、医療品、武器弾薬食料衣類、そしてタバコチョコレートガム雑誌、「餐式ウエハー用」の小麦粉50㍀缶の「士気高揚剤」であった医薬品は最も重要で特にマラリア予防のためのアタブリンが大量に必要だったパーソンズは、赤痢に効く瀉下や、肺炎ブドウ球菌の感染症を治療するスルファチアゾールも持参していた。

SWPA G-2は「このときまで、マッカーサー総司令官人の潜入任務への参加を許可していなかったが、パーソンズは最後の最後で特別な許可を得て、最初の潜入任務への参加を許可され、ミンダナへの最初の補給に行くこと、そしてミンダナゲリラ組織の監視役として留まることを許可された」。パーソンズは昇格したばかりのチャールズスミス少佐を、ミンダナオとその人々についての知識を持つ2人のモロ人とともにオルエスの旅から連れ出した。

潜水艦上陸

35深夜SH・アームブラスター中佐率いる潜水艦 SS-198 Tamborは、パーソンの「作戦 50チームをミンダナザンボアンガTukuran 近くのLagananに上陸させた。パーソンズは変装もせず上陸し、原住民の集団に遭遇したが、その中に偶然にも元洗濯婦がいた。現地のゲリラリーダーは、日本軍から奪った60㌳のディーゼルエンジン付きライターを彼に渡した。星条旗を掲げて、物資を陸に運んだ。6隻の潜水艦が数人を上陸させるという大げさな噂を聞いて日本軍のパトロール隊が到着する頃には、ゲリラチームとその荷物をオロキエタ北部のジャングルに運んでいた。パーソンズフェルティグにメッセージを送った。「緊急に4㌧の物資を下界から持ってきた。パーソンズ中佐とミスの署名入りだ」

「マブハイ!」叫びながら、フェルティグの兵士たちは彼を校庭に案内した。に濡れた荷運び人たちが、重いカラバオの荷に積み込んでいく。奇妙なことに、彼らは知っていたのだ。々で噂が広まる独特の方法で、潜水艦フェルティ将軍のところに、カービン弾薬医薬品ラジオを運んできたと報告されていたのである。日本軍森本将軍でさえ、フェルティグがミサミスからパガディアンまでの30(わずか2日)を移動する前に、このことを知っていたのだ。実際、森本はすでに、フェルティ死亡の前宣伝をあっさりと無視した告を発表していた。
日本人漁師のようなものだ。々は、あなた方をから守るために、フィリピンの周りに網をりました。しかし、網は大きすぎ、小を止めることはできない。その小さなから、アメリカ潜水艦がやってきたが、わずかな物資しか持っていなかった。この物資はオーストラリアから来たことが分かっている、新しいカービン弾薬だからだ。ミサミスフェルティグでは作れないものである。しかし、それらは非常に少量であり、日本軍を傷つけることはないだろう。」

しかし、パガディアンに来た人々は、もっと良いことを知っていた。あまりの多さにトラック2台が泥の中に沈み動かすことができなかった。でも大丈夫カラバオの荷がたくさんあるから。
そして、校庭にたどり着いたフェルティグは立ち止まった。あれか?あれ?あれで全部なのか?。メッセージには、4㌧の物資があると書かれていた。何も持っていない人間にとって、4㌧の物資はとても大きなものに思えた…が、4㌧は160人頭部にかかる荷重だ。せいぜいカラバオの荷車20台分の負である。フェルティグの半人前の兵力で割ると、まさに一人当たり1.3ポンドの援助物資である。しかし、この形だけの援助がフィリピン人に与える影響は、明らかきい

パーソンズスミスと再会

 その時フェルティグは、トラックの荷下ろしと荷の積み込みを監視していた二人の男を見つけた。

チック

こんにちは、ウェンデル」男は手を差し出した。
そういえば、靴が必要だったね。
3足持ってきたよずんぐりした人は言った。
3人が最後に会ったのは戦前マニラでのパーティーだった。彼らは民間人だったが中で握手を交わした。
チャーリー、また会えてうれしいよ」
フェルティグが言った。陸軍大尉の新しいカーキ色のを着たずんぐりした人は、かつてゲリラに関わりたくない、ただ一心に豪州の安全な場所にたどり着きたいと願ったチャールズスミスだった。…

チック線で連絡を取ってから、本部がここに助けをめてくることを期待したが、まさかお前チャーリーが来るとは幸運だった

パーソンズは唸った。
「私たちから得るものは少ないぞ、持ってくるものはすべて、マッカーサーの個人的な関心によるものだ。陸軍省からではない。アンクルサムはマッカーサーよりもブラジルに物資を送っている。マッカーサーに関する限り(そして本当に関心があるのは彼だけだが)、君はあまりにも小さく、遠すぎるんだ」。
 フェルティグは、友人たちが外の世界の様子を語るのを恍惚とした表情で聞いていた。ヨーロッパ奴隷にされ、ロシア軍が壊滅し、日本軍インドに、ドイツ軍スエズに迫っているのに、ミンダナ裸足フィリピン人に何の役に立つというのだろう?マッカーサー一の任務は、できることなら豪州を救うことだった。…カラバオの荷はいっぱいになり、ジャングルの濡れた軒下に隠れるようにコゴンの中のを移動し始めた。フェルティグはの中で静かに立っていた。彼は最後にこう言った。お前たちはが減っていようだな」

…「ウェンデル、お前も知っての通りだ。々は君が指揮官として有能かどうかを調べることになっている」チャールズスミスは言った。
有能?。なんでだよ、官だと思ってるんだ?豪州お偉いさん方は、私が無能でもこの組織を動かせると思っているのか?」
パーソンズ「落ち着けよ。もあなたが良い仕事をしていないとは言っていませんよ。ただ、ここで何が起こっているのか、下のほうでは誰も知らないんだ。南では、君とペラルタが捕まったと聞いたよ」

遅く、ミサミスティフェルティグ本部で、3人は一緒に座っていた。スミスパーソンズも、到着してからずっと、いろいろなものを見ては質問していた。
「ウェンデル、君が准将になったのは、本部にとっていいことではなかったよ。そのことでが怒ったか想像がつくだろう」
「どういう意味だ?」
フェルティグが聞いた。
パット・ケーシーが賛成していたが、ウィロビーがそれを聞こうとしなかった」
スミスが口を挟んだ。
フェーティグは、今度は慎重に話した。
現実問題として必要なんだ。この盗賊たちは皆、自分を少佐大佐大将と昇進させている。…米軍の将校がここにいなければならない。フィリピン人がも疑問を抱かないような、非常に高い階級の人物が。そして、もし正規軍将校が全員したら(彼らは確実に降した)、神に誓って、他のかが将官にならなければならない」
…自分のしたことが最高部の承認を得られなかったら、士官が派遣されてくる。一方、スミスパーソンズフェルティグの揮が順調であると報告すれば、元鉱山技師が扱うにはこの仕事は大きすぎる、という理由で、交代要員の任命に圧力をかけてくるはずだ。

チックマッカーサーが私の上官であることは知っている。だから、君とチャーリーには、々が直面している問題をよく理解しておいてほしい。々の最大の問題はジャップではない。ジャップの隊を待ちせし、自分の軍事帝国を築こうと大それた事を言い出す、小さなヒトラーたちだ。彼らをコントロールする方法は彼らより階級が上であることだ。そして食料と物資の供給を管理することだ。どんな援助でもいいから、ゲリラを一つ屋根の下に引き入れるのを手伝ってくれ。何でもいいんだ。今の日付の入った雑誌。そのI Shall Returnのマッチ類。弾丸の、火、…一人じゃないと感じさせてくれる。私がマッカーサーと連絡を取っていることを明する。そして『援助を受けたい人は、フェルティ将軍のところに行ってください』と言う。

日本軍を刺して、民衆を味方につけるような報復をさせる

彼は、パーソンズに地元の支持を得るための戦略明らかにした。「さて、ジャップに関する限り、戦略標は非常に単純だ。それは「あいつらを殺せ」ということだ」
民は自分たちを信じるために、どんなに小さくてもいいからすぐに勝利を得なければならない。犠牲者の負担をするのは市民であるからだ。日本軍虐殺したのは民間人であり、そして、抵抗がある限り、日本人のような存在であり続けるだろう、レジスタンスへの民衆の支持は確実であった。…彼はスミスパーソンズに言った。

この場合、々は自ら恐怖を行使しなければならない。…々はその地域で破壊工作日本人の暗殺を行い、日本軍を刺して、わざと民を私たちの味方につけるような報復をさせるのです

 これは残酷だが効果的な政策で、多くのゲリラが採用していた。実際に日本軍により討伐されたのは大半が民間人で、ゲリラの損は少なかった。
 
フェルティグは、ゲリラ軍が民衆の支持を得られるかどうかが、自分の重要な役割だと考えていた。軍隊は人民であった。そうすることで兵站の問題が単純化される。各地域は常に食糧を調達しており、余剰が生じることはめったにない。兵力を増やせば地域の資に耐えられないほどの負担をかけることになるし、外の地域から物資を運ばなければならなくなる。そのため、ゲリラ部はそれぞれ農地を持ち、部はバリオから離れた場所に設置された。しかしすべての地域が自給自足できるわけではなかった。そのため、フェルティグはミサミスから何㌧もの米ウモロコシ、糖を運んでいた。これらの物資と、フェルティグが考案した余分の武器弾薬が、地元の司たちの不安定な忠誠を一時的に釘付けにした。…

軍とそのすべての物資を移動させることは、たとえ私が望んだとしてもできません。ジャップは道路路、海岸をすべて押さえている。ジャップがどこにいても、常に圧力をかけ続ける。そのためには、2つのことが必要だ。すべての組織をコントロールすることと、正確な情報だ。一般的に言って、々の情報は良い。中のバーテンダーがジャップの情報を教えてくれる。…電信でも十分速いのだが、秘密メッセージは安全な手渡しで送らなければならない。歩いてね。メッセージを50km送るのに、何週間もかかることもあるんです。だから、あのラジオは君が持ってきたものの中で最も重要なものだ

彼はさらに続けようとしたが、パーソンズは言った。
マッカーサーが欲しいのは情報であって、ジャップが20人も死ぬことではないんだ。々が持ってきた線機は情報用だ。あなた方は海岸沿いに監視局を設置し、ジャップのの動きを私たちに伝えてください。潜水艦を待機させる。魚雷1本でジャップの1年分以上の弾薬を吹き飛ばすことができる」

ここはアメリカじゃないんだ。ジャップは男の顔を叩き椅子縛り付け、女が犯されるのを見せつける。そして食べ物を盗んで去っていく。その男はジャップが死ぬのを見たいんだよ。ゲリラは常にどこでもジャップを殺し、圧力をかけ続けなければならない。そうでなければ、民の支持は得られない。民はジャップの死体を見たいのです。大衆の支持なしには、ゲリラは成立しない
ルシアル・リチャウコの日記は、フェルティグのを裏付けている。占領初期、彼は年老いたコチェロに対して、自動車が急に少なくなって商売が増えたことを喜んでいるかと尋ねた。人がこのに来てから42年間、私はずっと商売を続けてきましたが、スペイン人も人も、私を侮辱したり罵倒したりしたことは一度もありませんよ。しかし、日本人がここに来てまだ3ヶですが、これまでに2回手打ちされ、3回蹴られました」

パーソンズは言った。「私は、あなた方の任務は海岸監視網を構築し、ジャップとの戦いに巻き込まれないことだと言おうとしている。もしそうすれば、本部は可な限りの援助をするだろう」
スミスは言った。「いいか、ウェンデル。ゲリラ活動については、彼らなりの見解があるんだ。君やチック人にを送りさえすれば戦争に勝てる、と思っているかもしれない。しかし本部はそう考えていない。官らが多くのジャップを殺して、そしてジャップが官らを一掃することを恐れている。そうなれば、ここから情報を得ることは不可能になる。マッカーサーゲリラが戦いたがっていることを知っている。彼の計画は帰還後ゲリラを武装させジャップの背後を狙い陸軍は正面から攻撃することだ」
フェルティグは注意深くを選びながら言った。

それは教科書的には良いゲリラ作戦論かもしれないが、ここの事実とは一致していない。私は監視網を設置するつもりだ。しかし、各線に部隊を配置し、ジャップが接近してきたときに警告を発しなければならない。ジャップは線機を狙ってくるからだ。…数十万発の弾薬が必要になる

「もちろん、これらを攻撃的に使うことはないんでしょうね?」パーソンズはつぶやいた。
フェルティグはあっけらかんと言った。

もちろん。私の頭から最も遠いところにあるものです

パーソンズは、まるでかが言ったかのように言った。「顔といえば、マッカーサーがケソン大統領を連れてきたことは知っているよね。公式にはフィリピン政府亡命中で、復帰を待っている。しかし、ここでは自由フィリピン政府を設立している」
自由フィリピン政府は、亡命中の連邦政府に忠実であり、従順である」フェルティグは言った。
パーソンズは言った。「そうですね。しかし、少し心配な人もいます。戦後民は『逃げた方に投票しようか、それとも残った方に投票しようか』と言うのではないか、と」
スミスは言った。「今は争いに勝つつもりはない。君たち二人は私と同じように疲れているようだ、だからみんな寝よう」。

パーソンズは、フェルティグに線網の整備、海岸監視員の設置、秘密飛行場の建設を行うようSWPA示を伝えた。もし彼がもっとSWPA支援を望むなら、フェルティグはその線に従わなければならないだろう。フェルティグは今や、SWPA揮系統の一を占めていたのだ。フェルティグは、「いつ自分の組織が崩壊してもおかしくない」と不安を口にする。実際、アンヘレス・リメナ第109連隊は、隣のマヌエル・ジャルドン少佐部を襲撃したばかりだった。「ついに反乱が起こり、この狂った組織全体が脅かされている」とフェルティグは回想している。リメナの攻撃は4間続くことになる。

パーソンズスミスの調

 パーソンズスミスは、1週間以上もフェルティグの領地に滞在し、公式報告の基礎となるメモを取り続けた。フェルティグは彼らの邪魔をしないように、質問に正確に答えるだけにとどめた。チャーリースミスが最初の暫定的な評決を下した時、彼はその場にいなかった。…

 
ヘッジスはセシルウォルターと一緒に、戦前からの知り合いであるスミスパーソンズに会い、ゲリラ導者たちの会合に出席するために来ていた。4人はカサ・オザミスに宿泊していた。
パーソンズがつぶやいた。「ウィロビーが何と言ったか知っているか。このには抵抗勢力はいないし、抵抗勢力が生まれる可性もない。」
「ウィロビーはマッカーサー情報将校に過ぎない」とヘッジスは言った。
スミスが言った。「ホイットニーとウィロビーは仲が悪い。ウィロビーが諜報活動、ホイットニーフィリピン事務を担当するという構図になっている。ウィロビーの考えでは、情報報告書を入手したら、にも見せないようにをかけておきたい。ホイットニーの考えは、自分がフィリピン問題を担当しているので、ここから出る情報はまず彼に行き、評価と行動を起こすべきだというものだ。潜水艦弾薬を積んだのはホイットニーです」
パーソンズは付け加えた。「二つの理由がある。第一に、あなたが使えることを知っているから、第二に、ウィロビーを困らせるため」
あそこにいるのはすごい小物みたいだな」
とヘッジスは言った。
パーソンズが言った。「あまり大げさに考えないでください。々は噂を話しているだけです。ウィロビーとホイットニーは本当に賢い男です」
スミスは言った。「ウィロビーやマッカーサーたちが撤退したとき、抵抗運動が起こるとは思えなかった。フィリピン人は一晩で連隊が消滅するほど脱走していたのを覚えているだろ。だから、ウェンデルが一体どうやってこの作戦を成功させたのかわからないんだ。しかし、彼はあらゆるフィリピン人を協力させている。なんと、彼はマニラ日本軍部にまで諜報員を送り込んでいる」
ヘッジスは言った。本間将軍愛人もその一人だ。中のアイルランド神父もその一人だ。ハガティ神父に会うまで待てよ、チック。彼はアメリカのイエズス会士だ。神父はジャップの戦線やあらゆる場所を行き来し、ミサを行い、秘跡を伝え、しかし…神父々の諜報員から情報を集め、ウェンデルの示と命を伝える」
ウォルターは2人の訪問者に語った。「ウェンデルは、鉱山労働者、伐採労働者、建設労働者と同じように、常識的な判断で行動しているのだ。使えるものは何でも使い、使いを探そうとする。女性カールさせたがるし、軍隊はお金が必要だ。だから私たちは美容業を営んでいる。さて、チック、君はネグリトをゲリラに使うことをどう思うかね?」
パーソンズは言った。「わからない。率直に言って、彼らを連れてくるのはかなり難しいでしょう」
…突然ジャップがやってきて、ネグリト族からカモテを奪ってしまったんだ。…ジャップが食べ始めてから2分後にはすべてが終わった。ネグリト人はジャップに、カモテング・カホイは食用カモテングとほとんど同じに見えるが、皮をむき切り速流の中で3日間バスケットに入れて青酸カリを溶出させないと食べられないと警告していた。しかし、ジャップはただネグリト人を殴り、食料を盗み、座って食べて死んだ」
「ウェンデルはこの話を聞いて、彼は友好的なマノボ族を通じてネグリト族長に知らせた。彼はさらに、カモテング・カホイをありったけ掘り起こし、それを他のカモテングに混ぜて、市場でジャップに売る。その結果、数人のジャップにを盛るだけでなく、市場食べ物を買ったり盗んだりするのを恐れさせることができるんだ」。
ヘッジスは言った。「ウェンデルは使えるものは何でも使う。彼は天才ではない。ウェンデルは事務的な仕事はすべて彼らに任せている。憲兵隊、法務官、補給、訓練、情報作戦などのスタッフっている。なんだかんだで、軍隊らしくなってきている。それは民政でも同じことだった。ウェンデルはフィリピン人たちに全部任せている。ウェンデルは、優秀な人材を確保することだけを考えている。そして、かが失敗するまで放っておくのだ。例えば、価格統制だ。闇コントロールするために、規制をかけなければなりません。フィリピン人は他の官僚と同じように、針はこれだけ、糸はこれだけ、あれもこれも何センタボというように、長い価格表を考え出した。当然ながら、それはうまくいかなかった。そこでウェンデルは、食であるトウモロコシの価格を固定し、それ以外のことは忘れてしまえと言った。すると案の定、の値段が固定されると、他の値段はすべて下がっていった」
スミスは言った。「私が去ったとき、闇はかなりひどかった」
ウォルターは言った。「今は違う。大きな悪党は連れ出され、撃たれる。小さな悪党はハッピーバレーに行くんだ」。
ハッピーバレーとは、フェルティグが作った日本人捕虜、協力者、犯罪者の収容所である。ヘッジスは語った。「ある晩、ジャップ1人と協力者7人がそこから脱走した。翌、残りの囚人たちは、8人の生首が金網の外の柱に突き立てられて、彼らを見ているのを見た。ちょっと下品だが、効果てきめんだった。それ以来、囚人たちに問題はない」

その後数日間、スミスパーソンズは、フェルティグの将校たちが、ウィロビーはこれ以上ないほど間違っている、日本人がいるところならどこでも抵抗がある、と話すのを聞いた。一方、ウィロビーの言う通り、従来の軍事的な意味での抵抗の可性はないことも分かった。さらにゲリラが試みた抵抗は哀れで時に破滅的であった。マニラ抵抗するのは勇気がいる。日本兵に頭を下げなかっただけで殴られ、性倒錯的な拷問を受けることもある。…このでは「ハンター」と呼ばれる集団が活動していたという。サンチャゴ要塞は中世スペインの要塞で、その多くは拷問室で死んだ。日本軍サントトーマス大学に作った収容所に閉じこめられた人のために、プロパガンダを作ったり配布したり、救援物資を送ったりした。
 しかし、スミとパーソンズは、日本と条約を結んだゲリラがいることも知った。彼らは、日本人が攻撃しないと約束すれば、丘の上に平和的に留まり誰にも害を加えないというのである。ただ、日本人が時間を見つけては破棄する休戦協定があるだけだった。また、日本軍に雇われた非正規軍であるゲリラがいた。さらに悪いことに、敵対するゲリの情を日本軍に売るゲリラがいた誰も自分の隣完全に見抜くことはできない、抵抗軍に入りたがっていた泥臭いタオのような男が、日のスパイでない誰が言い切れるだろうか。このような不確実性と対立のために、部隊間の連絡は理想的とは言い難いものであった。さらにスミ、パーソンズは、多くのレジスタンス部隊が知指導力の欠如に悩んでいることを知った。レジスタンス部隊の多くは無教育の農民で構成され、命以外に失うものはなく、その場しのぎの計画しか持っていなかった。裕福で教養のある人々は、日本軍が自分たちから奪わないようにと、積極的な抵抗を控えることがあまりに多かった。

フェルティグは公式訪問者に語った。

この中には、民を犠牲にして自分の身分を守ろうとする裏切り者もいる。中にはジャップもいる。しかし、日本人のために働いていると本部に報告する前に、注意しなければならないことがある。中には、ジャップと協力して、強姦拷問をしないように説得すれば、苦しみを減らすのに役立つと考える善人もいます。彼らは善意であり、勇敢なのだ

イグナシオ・クルス中尉は、大学卒業したばかりの若い人で、日本軍が降していない兵士に降するよう説得するのを手伝うために志願してきたとフェルティグは言う。白人を憎み、日本を賞賛するこの青年の言葉に感銘を受けた日本軍は、クルスに短い教育を施し、任務に就かせた。日本軍の戦線を離脱したクルスは、未帰還の兵士を見つけ、自分の揮下で3つのゲリラ中隊を組織し、日本軍がいつ、どこを巡回するかを伝える手段を見出した。しかし、日本人に怪しまれないように、クルスは日本軍軍服に同行することになった。「自分の部下が発してくるのがわかると、恐怖心を隠すのが大変なんです」告白している。フェルティグはスミスパーソンズに語った。

クルスの話の意は、ロハスが彼にそうさせたということだ

「ロハス?」パーソンズは聞いた。「彼はジャップのために働いていると聞いています」。AIBは、ロハスがケソンの豪州への同行の誘いを断ったことから、ロハスの忠心を疑っていたのである。

まさにその通りだ。ロハスは傀儡政権の一員ですが、々のため全力を尽くしてくれています

マッカーサーフィリピン亡命政府にとって、これは実に嬉しいニュースだった。マヌエル・ロハス准将は、どう考えても日本軍の手にある最も重要なフィリピン人であったからだ。マレーバレーの捕虜収容所で、ロハスはクルスのような若い将校に二重スパイになるように助言した。その後、マニラに連行されたロハスは、体調不良を訴え、数ヶ間傀儡政権から離脱することに成功した。それができなくなると、傀儡政権に加わって、命がけの勝負に出た。驚いたことに、スミスパーソンズは、フェルティグがロハスとつながっていることを知った。その仲介者は、オザミス一の男性で、ドニャ・カルメンとその姉妹であり、戦前のミンダナ上院議員だったホセ・オザミスであった。ドンホセは傀儡政権のスポーツ担当副総監になっていた。そのため、人はドンホセを悪徳総監と揶揄した。彼の仕事のひとつは、日本軍売春宿に入れる女の子を探すことだった。彼は速、売春宿に若い愛国者を配属した。少女たちの報告書は、部隊の構成、指揮官の交代、日本軍希望恐怖を正確に伝えていた。ドンホセは、若い戚のアントニオ・モンタルバン医師(ミンダナ担当の保健官として、日本旅行券でマニラ事務所と自分の事務所を行き来していた)を通じてフェルティグとつながりがあった。

マッカーサーの承認は物資の供給という形で現れ、フェルティグの勧誘をより容易にした。フェーティグはパーソンズに金が必要だと言った。彼は資金調達のため、部下にミサミス州内のすべてのヘアカラーを集めさせ、女性ヘアスタイルの独占販売を確立したパーソンズは、ゲリラの人員で構成されるミンダナ通貨委員会を承認し、緊急通貨を印刷する権限を与えることで、フェルティグの問題を軽減するようケソンに働きかけた。

ミンダナオゲリラの発展と連携

ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)

 マクリッシュ(Edward Ernest McClish)の最も野心的な軍事的努力は、43年3月3日から10日にかけてのブトゥアン包囲戦であった。

クリッシュとモーガン

 モーガンはブトゥアンの日本軍に対して、マクリッシュの第110師団の支援による10日間の攻撃を終えたばかりで、成功しなかったthey fought alone

 43年3月フェルティグのゲリラ設立の立役者モーガン少佐が第110団地域に到着した。モーガンはミンダナのラナオ地域出身の元警察官で、米軍後、イスラム盗賊団はラナオキリスト教徒の沿地域を襲撃し始めた。残な流血作戦で、モーガンはそれを止めた。
 マクリッシュとチルドレスは、ブトゥアンの日本軍守備隊を攻撃する計画を立てた。ゲリラ二千が日本軍部隊を包囲した。当初、町は占領されたが、日本軍守備隊はコンクリートの校舎に防陣地を築いた。ブトゥアン攻撃は、未訓練ゲリラ員の教訓であり殆どが最初の一で逃げた。攻撃膠着、3月10に日本軍の援軍が到着する前にゲリラは撤退した。ゲリラは多数の外洋航船を拿捕し、後にレイテゲリのリーダーとなるカグレオンをブトゥアン刑務所から解放し、町を占領することはできなかったが、日本軍守備隊はまもなく撤退した。ゲリラ20人と日本軍推定50人が殺された。
 包囲戦は失敗に終わったが、ゲリは戦闘員として地元住民の信頼を勝ち取ったようだ。また以後は日本軍が占領した町や都市の外に出ることはめったになくなり、ゲリラは地域の大部分で自由となった。これは、諜報活動や潜水艦物資の受け取りにとって重要になる。しかし、ファーティグは包囲戦で乏しい弾薬を費やしたことでマクリッシュを批判した。。(Papers of Colonel Clyde C. Childress, USAexit)

クリッシュはクラクベリア-マリトボグ地区に移動し、そこで独立ゲリラを説得して参加させた。彼はギンゴク湾付近でロサリオドンガロ率いる他のゲリラを勧誘し、彼らはマクリッシュ師団の第110連隊となった。

パーソンズ ミンダナオからレイテへ、カンレオン任命

フェーティグはパーソンズ提供した。パーソンズはマクリッシュのいるメディナに上陸し、マクリッシュは人員と50口径機関銃提供した。パーソンズはレイテして北上を続けた。一方、ゲリラ海岸監視員は、ダバが沈んでいるのを見たと報告している。海軍は、AIB潜水艦、沿監視員、ネットコントロールステーションに、パース海軍情報部に報告を転送するよう申し出た。
 3末までにパーソンズはレイテ西部のマアシンに到着し、元第16海軍軍人のゴードンラング大尉ゲリラ人鉱山技師チェスター "メジャーX "ピータースとその妻ジュリアマナパシ(別名「ジャンヌ・ダルク」)ゲリラの対立で互いの部下を45人殺したばかりであることを知った。パーソンズ2人を訪ねたが、相容れず信頼できない人物だった。そこで彼は、旧友クエンコ兄弟のところに行き、レイテの全ゲリラを束ねることができるのは、の南端サンロケのカンレオン大佐だけだと助言された。その時51歳だったカンレオンは、パーソンズ「もう戦争で役割を果たすには、年を取りすぎているし、疲れている」と言った。パーソンズからマッカーサーの承認と支援約束され、さらにクエンコ兄弟の信頼もあって、彼はついにパーソンズ官、あなたは私の任務を明確にしてくれました。私には選択の余地がない。マッカーサー元帥に、私は彼の処遇に従うと伝えてくださいと言った。満足したパーソンズは、ミンダナに戻る途中、レイテ南部マリトボグに向かった。
 パーソンズは、ブラ・ミランダなどのレイ島の中央から北の他のゲリラを見過ごしていた。ウィロビーは後に「ミランダは能性を持っていたかもしれないが、カグレオ-フェルティグ-パーソンズ線に決定された 」と認める。しかし、歴史エルマー・リアElmer Learカンレオンエリートに受け入れられやすい人選だったと示唆している。ミランダの西レイテ・ゲリラ部隊を「財産権に敵対する急進的な傾向」と非難する者もいたメヒアやタンといった西レイテのハシエンダは、以前から小作人の反乱を恐れており、ミランダによる市場からの収穫物の流用、滞納小作人の保護、共同農業用地の収の背後に悪意があると見ていたのである。「このような出発点からマルクス義的な意味での集団農場が生まれるかもしれない」とリアする。クエンコ兄弟はこの脅威を認識していたと思われる。

フェルティグの代理人は、Albert I. N. Kwok 率いる300人の中国人ゲリラの一団と接触し、北ボルネオのJesseltonの東で第10MD 中尉 José Valeraが資金と武器を調達していた。モロ族の商人がクオックにタウタウィにスアレスゲリラがいることを知らせた後、クオックは5に彼をそこに連れて行くよう説得している。彼は6にも資金と医薬品を携えてタウタウィに赴いた。その報酬として、フェルティグはクオックを三等陸尉に任命した。

モーガンのビサヤでの活動

的は、第9(レイテサマーカンレオンの下に統合することであった。そこで成功しなかったモーガンシキホールに移動し、ゲリラのベニート・クナナ少佐セブ島官として採用した。クナナンはSWPAの代理人としてのモーガンの権威を信頼したが、セブ島ゲリラは説得に応じなかった。

モーガンはネグロスに行き、第7軍を率いるガドルを採用した。また、ヴィラモールにフェーティグを将軍にしたことを自慢している。ヴィラモールは、モーガンフェルティグの意図に気付いていないと考えフェルティグが彼を押し上げた(昇格させた)だけでなく、事実上彼を部から放り出したことをモーガンが知っていたのかどうか疑問だった。フェルティグはモーガンを邪魔にならないようにしたかったのだ」。ヴィラモールは、フェルティグが常に人を優遇し、最高の宿泊施設、装備、任務を与えることをモーガンに警告した。モーガン植民地時代の搾取の残滓の犠牲者であり、彼に巡回を終了するよう勧めた。

ペンダトゥンを配下に、モロと協力

パーソンズフェルティグとペンダトゥンの間の紛争を解決するためにミンダナに到着し、カガヤン渓谷南部のデルモンテ地区で人を含む強固なスタッフ支援されたモロ族の大軍を揮すペンダトゥン将軍と出会った。畜や農場を持ち、強力なラジオ局を持つ自給自足の組織で、ペンダトゥンは、フェルティグの下で働く理由はないと考えていた。
 ペンダトゥンは、マレーベイの校舎に立てこもる皇軍に対して機関銃と製爆弾で敵を撃退し損ねた後、ダイナマイトの信管を改造し中爆弾を積んだ水牛を送り込み、仕事を終わらせようとした。パーソンズは、フェルティグに提供した迫撃とバズー砲があればとさりげなく述べる。この「援助」の言葉は効果的でペンダトゥン無線でフェルティグに連絡し、第10次中隊の少佐として勤務を受け入れた。しかし、53日、ボウラーペンダトゥンの幹部エド・アンドリュースが「しく反米的であり、ペンダトゥンの態度に大きなを与えている」と通告してきた。フェーティグは元ラナオ議会議員トマスカビリとアンドリュースを本部に呼び、カビリをラナオ州のゲリラに、アンドリュースをネグロスのヴィラモールに派遣した。

フェルティグは第109連隊の指揮官として、50代前半の退役米軍将校で長年モロ族に仕えたジェームズグリステッドJames Grinsteadを採用した。彼は「困難な地域での安定した、注意深い指揮官」であった。ナシピットブエナビスタカババラン、アグサン下流域にさらに多くのバンドが生まれ、「非常に知的で勇敢で力強いリーダー」であるシリア人鉱山技師ハリル・コドル率いる第113連隊となった。

パーソンズフェルティグの部に戻り、ゲリラの待ちせを観察しに行った。前戦では、日本軍が大トラック日常的に移動していることが報告されていた。ゲリラは山の中の狭い道路Lの待ちせをした。中尉パーソンズに、日本軍ゲリラが発したところから50㌳離れたところで必ず停車するら、その距離で停車する言った。ゲリラ達は待っていた。トラックは予定通り到着し、最初の交戦地点から50㌳のところで止まり、兵士たちは外に飛び出して落とし穴に入り、そこで処刑された。パーソンズ「間違いなくゲリラだ。戦って、殺して、逃げて、後でまた戦えばいいのだから、公開戦全滅危険を冒す意味がない」

オザミスフィリピン陸軍中佐に任命

パーソンズは、フェルティグのツテでフィリピン上院議員ホセ・オザミスに接触し、「マニラ情報網を設置する」ことを検討した。オザミス上院議員はミンダナの著名なスペイン系コプラ農民出身で、1929年にコロンビア大学で法学士号を取得し、ゲリラのための情報収集のために政府にとどまっていた。525日、オザミスホセマリアとペロンカンポスとともにパーソンズフェルティグに会うためにで到着した。フアンエリザードは、砂糖運、保険会社に投資しているマニラの裕福なポロプレーヤー息子であった。彼はのマヌエルとともに、地下組織「サンチャゴ要塞の28人」を組織し、社交界やビジネス界を回って日本の商・政界関係者から情報を集めていた。パーソンズは、実業政治家サルドール・アラネタ、婦人キリスト教奉仕会マニラ地区会長アサンション・ペレス夫人、マビニ・アカデミー創設者のホセ・カティバック博士、メンジ社創設者で最高経営責任者のハンス・メンジとも連絡を取っている。
 オザミスは、ルソンの一部の人々が日本軍を支持し、そのために十分な報酬を得たと報告している。しかし、ほとんどの人々は、ただ耐えるだけであった。食料と必需品の配給を得るため、彼らは隣をスパイする必要のある隣組に参加した。オザミス「人々に、家族より国に対してより義務があると説得するのは難しい」パーソンズは、オザミスフィリピン陸軍中佐に任命した。

不安定な情勢

フェルティグはモロ族を受け入れ、さらに人を任命したことで、モーガンを苛立たせた。ヴィラモールがささやくフェルティグへの疑惑に加え、モーガンの常連女性シナンは、フェルティグと彼の同胞が彼を捕まえようとしていると警告していた。ペンダトゥンがモーガンを差し置いて昇進したことは、ラクダ背中にもう一本藁を追加することになった。

モーガンはミンダナから北海まで、そしてを渡ってレイテまで往復する危険な任務を見事に遂行した。しかしモーガンの不在の間に、いろいろなことが変わっていた。ミサミスティの本部に新しい顔ぶれがいた。い顔だ。全員が将校だった。本部には新しい褐色の顔もあったーその中には、過去モーガンに加わることを拒否したものもあった。フェルティグは白人のヘッジス、豪州から来たパーソンズスミスといつも一緒にいるように見えたのも事実だった。人は人を押しのけるつもりなのだろうか。

モーガンの外見的な態度に変化はなかった。43年5月フェルティグは他に考えなければならないことがあり、緊して引きつっていた。スミスパーソンズも緊しそれぞれ相手に激怒、それぞれフェルティグの線で本部に報告書を送ったが、スミス陸軍秘密暗号で、パーソンズ海軍暗号で送った。パーソンズは、自分が侵入部隊指揮官であり、スミスは自分を通じて報告書を海軍情報局に送るべきだと思っていた。スミスは、自分は陸軍情報部の代表であり、パーソンズには陸軍からの情報を持ち出す権利も、ましてや命を下す権利もないと言い返した。二人は、フェーティグが相手に線を使わせたことを非難した。

不安の原因は、日本軍6月19日にミサミスを攻撃するという情報であった。この情報は、実際の命書を見た代理人からもたらされた。逃げる時間はあったが、フェルティグは人のには戦いに来た将軍のように映っていた。ゲリラについての自分の理論を試すために、攻撃を受けなければならない。失敗した場合の罰は死である。表向きは性的な全知全仮面をかぶり、内心はのように気難しいフェルティグは、丘に食料を送り、日本軍の攻撃時には電話・電信設備を撤去し隠すように命を出し、逃げ集合場所を定し、各現地官に特定示を出した。

フェルティグは、パーソンズスミス海岸監視局に場所に案内し、護衛のため信頼できる部下をど送った。また、線局は人将校がそれぞれ担当させたので、フェルティグが頼れる人数はさらに減ってしまった。

日本軍の襲撃迫る

612日にハムナーがラバンガン近くに上陸した時、フェルティグは腸の病気でリャンガンで寝たきりの状態であった。79人の日本軍がミサミス近くに駐留していたが、モーガンは彼らを放置し、後に身をひそめるようにとの命に従ったとした。また、フェルティグの命に反してミサミスゲリラ派遣したのは、逃亡した者たちから武器を奪うためだけであった。その上、フェルティグは「アンドリュースは反米的な会話を続けている」と聞いている。モーガンに対する厳しい非難として、第10MD官はロバート・ボウラーを参謀に任命し、人とモロ人をさらに組織に加えた。

フェルティグはクイゾンという諜報員を中心としたモロスパイ組織を発見し、「私の動きを報告し、期攻撃の可性を示している」ことを知った。疑心が強くなったフェルティグは、ウィリアム・ノルツ大尉をスリガオに、ガルシア少佐をスリガオ中心部に、そしてトマニング大尉をリャンガに送り込み、落ち着かないゲリラを排除するよう命じる。9、ノルツは大胆不敵な空軍伍長で、「反抗的なゲリラ集団を組織化する確固たる商人」だったが、アグサンへのが転覆して溺死することになる。ビルローリー自殺に続き、フェルティグにとってこれは二重の痛手となった。

一方、パーソンズは、イリガン湾のヒメネスにいるオザミズ一家と一緒にいたが、海岸の警備員が警報を鳴らした。他の人々が急いでジャングルへ向かう中、パーソンズは不可解にも寝の時間があると判断した。突然日本兵が玄関のドアを壊したのでが覚めたが、かろうじて書類を持って裏口から逃げ出すことができた。カラナン神父グループとしばらく旅をした後、餐式用の小麦粉缶詰を回収するためにヒメネスに戻る。パーソンズは、フェルティグと再会するために長い旅を始めた。

日本軍ミサミス攻撃 

ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)

1943年5月の最終週、日本軍はコタバト、アグサン、スリガオ、ミサミスオリエタル、ラナオの各州の辺で一連の攻撃を開始した。日本軍は、ミンダナを南のダバオから北のカガヤンまで二つに分ける中央道路を強力に前進し、ミンダナフィリピン労働者を連れてきて、立っているトウモロコシ、熟したバナナココナッツを収穫させていた。日本軍は征した土地で自活し、余剰分を日本に送ることが使命であった。しかし、ミンダナでは、日本軍は農場やを略奪し、屋を焼き払った。海岸沿いでは、日本軍の進によって漁民の漁獲物が収され、丸木舟が機掃射された。

 マクリッシュから最初の線が入った。ボールは、マクリッシュからの次のメッセージが届いたとき、しつこく尋ねた。二方向からしい攻撃を受け、後退しているマクリッシュは8㌜の30口径弾が必要だった。フェルティグは「ふざけるな!」と怒った。マクリッシュは車一台分ダイヤを要求したよなものだ…が、現地司令官に弾薬がないことを認めるのは致命的だ。マクリッシュに弾薬がないと嘘をつくも致命的だ。フェルティグは短気を起こした自分に腹を立てがら、ボールを無線小ら叩き出した。将軍は説明も謝罪もしないし、中尉はただ命令に従えいいのだ。
 フェルティグはヘッジスを探しに出かけた。彼は数日前に日本軍の捕虜収容所から脱走した若米人の一人と話しているのを見つけた。ヘッジズは言った。
「一体何のために豪州に行くんだ?。もし戦いたいのなら、ここに戦争がある。人は々の面倒を見てくれている。逃げ回っていても仕方がない」
「私が逃げたなんて言うなよ、この野郎」
お前を責めてはいない。靴が合うなら履けよ、下がれ、小僧
ヘッジスがピストルに構えた。フェルティグは二人の間に割って入った。

殺し合いをするのなら、よそでやれ。私の地では喧嘩はしない。そんなに喧嘩がしたいのなら、ジャップでも殺してこい

彼は元囚人に言った。

お前は次の潜水艦でここを出て行き、二度と戻って来るな

 フェルティグは執務室に戻った。皆の神経はピリピリしていた。問題を抱えているのはマクリッシュだけではない。ペンダトゥンはマレーバレーから何度も引き返させられ、メッセージの大送信者と化していた。最初は退却と言い、1時間後には保持、15分後彼は物資を必要として、午前中には攻撃を考え、午後には5㌔後退する緊急の理由が見つかった。ペンダトゥンは風雲児である。しかし、彼には問題があった。ラナオ州からの無報告によると、日本軍はリラのを中隊の司に至るまですべて急襲したとのことだった。これは日本軍の報活動の質の高さを物語っている。答えは簡単で、誰が教えたのである。
 フェルティグの事務所に寄せられた「報告書」はどれも芳しくなかった。

飢餓作戦

 今のところ、日本軍の攻撃は海岸道路路からも内陸部には侵入していない…が、日本軍の攻撃は略奪とを破壊して人々を飢えさせる的を持っていたようだ。裏山やジャングルでは食料が何も育たなかった。噂を事実か見分けるのは不可能で、ある噂では森本将軍がミンダナオのゲリラを一掃するためにマニラに2個師団を要請したという。また、2万人、15万人という説もあり、さらに別の噂では、日本軍フェルティグに特別軍を用意しているという。フェルティグの本部には緊感が漂っていた。
 フェルティグは現令官たちに詳細指示を送った。マクリッシュらには、民衆を脱出させ逃げるよ指示したが、毎晩数人の兵士を潜入させた。令官は夜明けと夕暮れ時に、ヒット・アンド・ランの襲撃を行う特別チームを編成することになった。特に、パレーの袋を積んだカラバオを捕獲した場合は、特別休暇と昇格が与えられることになっていた。一方、フェルティグは、日本が労働者を募集している地域に諜報員を送り込むよう命じた。諜報員は、日本人は騙している米が収穫されたらすぐに日本は労働者を殺す、日本がタオを殺さなかったとして米はすべ没収される、いずれにせ米を刈る者米はない、と人々に伝えることになっていた。そして諜報員は、「もし々のを盗んだら、お前たちを殺さなければならない。日本人を撃つ前に、まずお前たちを撃つぞ」と。

 このような対策が試され、日本軍の攻勢を鈍らせることに成功した。労働者の確保が難しくなったため、日本人は自分たちで稲刈りをせざるを得なくなった。夜襲を防ぐために、分隊で十分だったところを大隊で防衛を余儀なくされた。攻勢が弱まるにつれ、ゲリラ日本軍が現れる前に自分たちで田んぼを収穫する時間を得た。しかし、それでも日本軍は攻め続け、フェルティグの頭痛はますますしくなり、数カぶりに赤痢にかかった。二重スパイが苦労して、フェルティグの戦力は近代兵器を装備した米軍1個師団に匹敵すると吹聴していた。しかし、このハッタリが功を奏したのであれば、最終的には米軍1個師団では対処できないほど強力な日本軍の攻撃をミサミスに引き寄せることにしかならないだろう。
 ミサミスオクシデンタル州は、フェルティグが組織を構築するのに適した遠隔地ではあるが、軍事的には脆弱な場所でもある。パンギル湾とパガディアン湾の間の狭い陸路を集中的に攻撃すれば、ミンダ島の他の地域からザンボアンガ半島を切り離し、フェルティグの陸路脱出の手段を断つことができる。岸への同時上陸は、フェルティグを人を寄せ付けない山間部へと押しやるだろう。そうなれば、掃討作戦を除いてはすべてが終わる。丘陵地帯には食べるものがなく、丘陵地帯のゲリラは、まさに盗賊に過ぎないのだ。

 海軍情報将校のフリッツ・ウスターが、安全な退却を準備するよう彼に伝えようとしていた。ダバオ収容所から脱走した二人の正規将校、メルニックマッコイもそうだった。元野戦砲兵情報将校のメルニックと、アナポリス出身のマッコイ中佐は、ウスター以上に彼のゲリラに関わりたくはなかった。彼らは、将校に昇進した田舎者をどう思うか、率直にフェルティグに話し、彼にチャンスはないと忠告し、利用できる最初の手段で豪州に移送するよう要した。フェルティグは、彼らの然の振る舞いが本部の士気を損なうと考え、ついに正式な示書を書いて彼らを自宅軟禁にした。しかし、専門としての彼らの意見を軽々に否定することはできなかった。43年5月31日、彼は内心で彼らの意見に同意した。

 森本将軍は、必要な写真はすべて手に入れたので、ガソリンを浪費する必要はないとして、観測飛行を中止した。ビッグボイス作戦は単なる日和見的な略奪遠征ではなかった。その具体的な任務は、フェルティグの線機を探し出して沈黙させ、ゲリラ全に破壊し、フェルティグを殺することであった。作戦には、上からの撃と近接航空支援があり、兵力も圧倒的とは言えないまでも十分なものであった。ついにマニラから明確な日付、6月26日が伝えられた。それから3週間、森本達が上陸作戦リハーサルを行っている間、フェルティグは部下たちと心配そうに計画を練り直した。彼は将校に言った。

ゲリラは土地に敷かれたのようなものだ。日本軍が打てばむが、拳を引けば打った場所はもう見つからない。日本軍が攻めてきたら、地盤を固めよ。しかし、すり抜け、背後に潜り込み日本人が占めるのはサンダルの下だけである。一歩動くと、確かに新しい地面を得るが、持っていたものをすべて失うのだ

 フェルティグは部下に、日本軍がど考えようとする間、一発弾で少なくとも15分間は動けなくなることを覚えておくようにと言い、待ちせ地点の後ろと片側にある集合場所まで、それぞれ別のルートで走らせるように言った。決定的な勝利を得ることは考えず、日本軍が疲弊させることが的だった。フェルティグは命英語で口頭で伝え、それを将校が方言翻訳し、さらにブロック文字で明確な示を印刷した。彼は海岸の防御、待ちせ場所、集合場所を点検し、自分の戦術に欠陥がないかを検討した。彼の知り合いの人専門将校が皆、非現実的で不可能だと言っていることだけが問題だったようだ。

6月25日日本軍軍艦と輸送がミサミス方面に移動しているとの知らせを受けた。おそらく南太平洋に向かっているのだろう…とそのフェルティグが眠っている間に、日本軍パンギル湾、パガディアン湾、ミサミス北部の合に地を構えた。その中の一隻で、中年の日本陸軍大尉を覚ました。コロラド州ラ・ジュンタの高校同級生だった時以来の再会だ。ウェンデルのことはよく覚えている。フェーティグはクラスで一番偉くて、バスケチームフォワードだった。今、ウェンデルに会ったら、彼を殺さなければならない。この戦争日本にとって必要なものであり、日本は必ず勝つと信じていた。しかし、アメリカで育った彼は、いつ、どのようにして勝つのか、想像もつかなかった。
 しかし、人生は肉なもので夜が明けると、森もフェルティグも計画通りに行かなくなった。

日本軍のミサミス攻撃開始

イリガン湾の上を西に飛ぶ清中尉は、巡洋艦駆逐艦オレンジ色の照明弾が発射され、灰色に点滅するを見る。中尉は、木々が折り重なっている場所を横切る人に発した。地上からの撃はなく、敵の姿は見えない。椰子は、撃や爆撃を受け多少ぼろぼろになりながらも、ほぼ傷であった。清中尉は、中国々に爆弾が落ちが燃えて人々が飛び出し弾丸が当たって倒れるのを見た。しかし、木々が機掃射されても見るべきものはなく、任務を遂行したということだけであった。

バカリサスの揮所は、ミサミスヒメネスの中間にある町トゥデラの南2㌔の椰子林中にある。中尉は、目覚ますと、海岸を襲う2発目の赤爆風した。バカリサス尉は叫んだ。「戻って来い!。ハポンはそこじゃない、辺に来るんだ!」バカリサ中尉は、につく人たちを集めて、ぼろぼろの隊列をつくった。「突撃!」。振り返ると、3分の1ほどが後方についてきて、残りは消えていた。…地きと騒ぎの中、中尉は考える余裕を得た。日本軍が上陸してきたら、揮所から離れずランナーで連絡を取りながら揮をとるべきだったことを、遅まきながら思い出した。しかし、私が先導しなければ、彼らは来ないだろう。あの臆病者どもめ。大砲は本当に恐ろしい。しかし、人の言う通り、フォックスホールは、あの弾が落ちない限り傷つくことはない。爆弾が炸裂した。

フェルティグは遠雷の最初の音でを覚ました。音波は5間に1㍄以上移動する。約10㍄北に何があったのだろう?「日本軍はトゥデラに上陸してる」フェルティグは、本部の建物に入ると、フィリピン人の補佐官レイエス中尉が電話にかって早口で話している「ジャップはどこにでもいる」とレイエスは言った。「彼らはトゥクラン、タングブ、アロランに上陸している。アロランは、彼らがオロキエタに向かって海岸を移動していると言っています」
「どうしたんだ、ウェンデル?。私はラナオに戻った方が良さそうだ」とヘッジスは言った。ヘッジスは、2隻潜水艦が運んできた4㌧の薬品、機、弾薬のうち、2週間前に到着した潜水艦の持ち分をラナオ州から引き取りに来た。
イエスは報告した。「彼らは海岸一帯に上陸しているようです。ヒメネスでは応答がありません。北の方では電話が通じないようです。トゥデラも出ません。回線は切れているようです」。おそらく爆弾弾で切断されたのだろう。フェルティグはレイエスに言った。日本軍がどこに上陸するのか、正確に知らなければ。どこに?何人?どこに行くのか?どんな武器を持っているのか?電話で彼らは何と言ったか?」閣下、あの人たちは、『手なジャップだ、多分、数千人』と言うんです。」「Fifty thousand ?」
「モランの連中に電報を打て」フェルティグが言った。「そしてモーガン大佐を呼んでくれ」
フェルティグは電話を取り、ボニファシオにある基地の線課を経由して南へ電話しようとした。回線は切れていた。日本軍フェルティグの本部とボニファシオの線課の間にあるタングブに上陸していたのだ。「さて、モーガン大佐はどこにいる?」「ああ、モーガン大佐はいなくなりました。将軍に、私はタングブで戦うために行ったと伝えてください」フェルティグは、モーガン速な行動を喜んでいた。ミンダナ内陸部への陸路は、パンギル湾とパガディアン湾の間でできるだけ長く開いておく必要があり、それを守ることができる者がいるとすれば、モーガンにしかできないだろう。もし日本軍半島の麓に集結すれば、フェルティグは窮地に陥る。
 なるほど、モーガは南方にいた。しかし、他の皆はどこにいて、何が起こっているのか?。戦いは始まる前に勝敗が決まる。ひとたび戦闘が始まれば、将軍たちは見守る以外にできることはほとんどない。いずれにせよ、正確な情迅速な伝達は、将が戦闘を支配するため鍵であり、フェルティグは電話、電信無線で、会うことも連絡もできな令官たちに走者を送ることに熱中する時間を費やした。

フェルティグ軍の崩壊

マッカーサー部との一の通信手段である基地の線部門を、彼は最も恐れていた。になって、フェルティグの若い人将校が線部を解体し、カラバオのソリに乗せて、丘の上に用意された避難場所に移動するよう命じたという報告が、一人のランナーから届いた。
ハポンはすぐ近くにいたのか?」「ハポンはまだ来ていない。でも、もうすぐ来るかもしれん。」
フェルティグは言で罵った。線セクションがパニックに陥り、許可も得ずに撤退したことが明らかだった。彼は送信機を組み立て、すぐに通信を開始するようにと命書を書いた。これがないと豪州に連絡できないし、ミンダナの他の州にいるゲリラ官との連絡もとれない。
 フェルティグが報陣の間を通り抜けるとき、人々も将軍にマブハイを呼びかけない。ミサミスは閑散としている人大がフェルティグに言った。
日本軍はトゥデラに上陸して、ここに向かっています。そして、日本軍はラボにもいます。」
ラボはミサミスから北西に数㌔離れた町である。フェルティグは包囲されたことになる。
「トゥデラからの移動速度は?。が軍は彼らを縛り付けているのか?」閣下、私は恥じています。兵士逃げているのです。」
全州で脱走が相次いだ。日本軍の最初の攻撃は、一人の負傷者も出さずにフェルティグ軍を減させた。

 フェルティグはミサミスに1時間ほど留まったが、南西にある本部へ戻ってきた。そこで彼は線隊が命通り停止したことを知ったが、送信機がショートし焼損してしまったという。
 電信線は、まだオーロラまでつながっている。しかし、オーロラからは何の知らせもない。タングブへの道は開いていたが、モーガンからの連絡はない。トゥデラへ砲撃で多くの民間人が死んだ、日本軍は北部で恐怖作戦を始めたようだ、町を爆空爆している、などと報告した。

ヒーリー神父の向こうには将校と兵士3人の計4人がいた。ヒーリー神父が校舎の屋根の陰から出ようとしたとき、日本軍の将校が部下に何か言って、一人で日当たりの良い通りを渡って神父の方に来た。
おはようございます神父様」日本軍隊長アメリカ訛りの英語で言った。
「神の祝福を、私の息子よ」ヒーリー神父はやや驚きながらも、この日本人はおそらく数少ない日本人カトリック信者の一人なのだろうと思った。「私の教区に戻る許可を得るために会うのはなのか、教えていただけませんか?」
「あなたの教区はどこですか?」
「タングブです」
「では、ここオロキエタで何をしているのですか?」
神父なる務めを果たす以外に、どこで何をすべきなのですか?」
日本人は微笑んだ。
「タングブに行けると言ったら、フェルティ将軍がどこにいるか教えてくれるかもしれませんね」
フェルティ将軍?」神父はつぶやいた。顔は困惑していて、邪気だった。
「ウェンデル・フェルティグ」日本人大尉は言った。ヒーリー神父
「まあ、確かに彼のことは聞いたことがありますよ。しかし、会ったことはない。どこにいるのか」
日本人はこのアイルランド人を面そうに見ていた。
「今度ウェンデルに会ったら『日本軍は、あなたが捕まればフィリピンでの戦闘が終わると思って日本軍はウェンデルの首に値段を付けているのだから、気をつけるように』と。神父殿、私はあなたに命を預けているのです。もし、私がこのようなことを言ったと憲兵隊が知ったら処刑されるでしょう。私はコロラドで育ち、ウェンデルと一緒に学校に行っていた。両米国籍を取得せず、私は両と一緒に日本に帰した。私は日本人です。でも、ウェンデルを見つけたくはない。気をつけるように言ってください」
「必ず自分で言うよ!つまり、その男に会ったら」ヒーリー神父は絶句した。日本人隊長は笑った。彼はメモ帳に何か書いて神父に渡した。
「幸運を祈る、神父。これが君のパスだ」
彼は立ち去った。ヒーリー神父は少し不安な気持ちで彼の行く末を見守った。彼はにはまったのだろうか?。神父は、その日の午後遠回りして出発し、にも尾行されていないことを確認すると、フェルティグの本部に長いのりを歩き始めた。

 午前中、小雨が降っていた。6人のが丘の上のに座り、雨音を聞いていた。
「私たちとパガディアン湾の間には何があるのでしょうか?」マッコイは知りたがった。
フェルティグが言った。「ジャップが巡回している。何人いるか分からない。あなた方はどうやって私を見つけることができたのですか?」
々はを聞いただけだ」とパーソンズは言った。
「それが怖いんだ。誰も知らないはずだったんだ」フェルティグが言った。
 日本軍の攻撃に先立って、フェルティグの5人の訪問者、メルニッ、スミ、マッコ、パーソン、ダイスは、潜水艦に乗って豪州へ出発することになっていた。この潜水艦は、パガディアン湾沖合で彼らを待ち受けている。フェルティグが地図を広げて言った。「山越えは大変だぞ。今日中に出発した方がいい。ここで、迎えに来るんだ」
彼は地図上で数㌔先の海の地点を示した。
あそこで?メルニックは信じられない思いで聞いた。
「そうなんだ。日本軍の上陸を見て、海軍パニックになり、これ以上近づかないことにしたのです。…私はあなたをフェルティ将軍で送り出すことにしました」
フェルティ将軍は60㌳の蒸気船で、つては製材会社の作業船だっが、今は自由フィリピン海軍の旗艦である。戦闘機から回収した機銃を装しているので、日本軍の攻撃にも耐えることができる。
「しかし、私たちと湾の間にどれだけのジャップがいるか知らないのか?」マッコイはしつこく尋ねた。。「何隻いるか知らないし、どこにいるかも知らない。それだけでなく、自分の部下がどこにいるのかも知らない…」
フェルティグは、ミサミスでの日本軍の動きについて知るのは、すべて走者が運んでくる報告書だけだと不機嫌そうに言った。ニュースは遅れてやってきて、しかもすべてが悪いものばかりだった。
 日本軍の攻撃から4、フェルティグは初日に起こったことを整理し始めた。日本軍が近づく前に海岸の守備は放棄されていた。脱走兵が続出し、政府も軍隊以上く逃げ出して散り散りになっていた。

彼らはとても簡単に逃げ出す。そのおかげで、ジャップは混乱したようです。漂う煙のようないものに当たってしまった。々の部下は彼らが到着する前に逃げている

 フェルティグは、メルニックマッコイが彼を不審に思っているように思えた。数日後、彼らは豪州でミンダナオのゲリラの話をする予定だった(実際に彼らが話したかったのは捕虜虐待バターン死の行進のことだった)マッカーサーに話しているのだということを意識しながら、フェーティグは言った。
「防衛線を維持することはできないでしょう。最悪なのは、あのモーガンが脱走したことだ。彼はタングブに行って戦うと言ったが、代わりに部下を連れて湾を渡ってバロイに行き、もし私が殺されたら、彼が総指揮官になると広言した…」
「北の方から何か聞いたか?」 パーソンズは尋ねた。
「何も。北の方から来た人を見たのは、あなた方が初めてです」
「それならマクリッシュがここに向かっていることは知らないのか?」
「知らない。 何のためにここに来る?」
海軍リチャードソンという男を連れて来る、彼はレイテでカンレオンと働いていた」
スミスは言った。「マクリッシュはそのっ最中に到着した。彼とリチャーズは、を捨てて沼地に飛び込み、大変なに遭いました」
パーソンズは言った。「ジャップはセブダバオ、コタバトの軍隊を使ってディポログを占領した。彼らはオロキエタとヒメネスにいる。オザミのたち、フリッツサムと一緒にヒメネスから脱出し、その後マクリッシュとリチャードソンにつながった。サムは造幣局は事だと言ってた。書類はすべてオロキエタから 移したそうだ」
6人は午前中話し込んで、トウモロコシの煮物、塩辛コーヒー食をとった。フェルティグが帰る時は、強いが降っていた。もし、彼らが殺されても、私に致命的なダメージはないだろう。本部のかが別の侵入部隊を送り込んでくるだろう。チックチャーリーのような優秀な人材は送れないだろうが、かを送ってくれるだろう。ただ、援助を受けるのがさらに遅れることになる。

フェルティグは、メルニックマッコイマッカーサーに何と言うだろうかと考えていた。フェルティグの理論は否定された。彼の部下は逃げ出し、脱走し、通信と制御を失った。おそらくメルニックマッコイの話を聞いて、本部はミンダナに援助隊を送らないだろう。の上では、日本航空機エンジンの音が聞こえ、その後はの音だけが聞こえていた。

ミンダナオのゲリラ戦1943年後半)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

日本軍6月に攻撃を開始し、ミサミス沿のいくつかの地点に部隊を上陸させ、パンギルからパガディアン湾に向かって前進し、ミサミス西州をミンダナの他の地域から切り離そうとした。フェルティグは、ヒットアンドアウェイ攻撃する計画を立てていたが、敵の猛攻を前にして、彼の軍はすぐに壊れて逃げてしまった。フェルティグ自身もラナオ州に逃れ、モロ族に身を寄せてゲリラ部隊の再建を始めた。日和見義のモロ族に支持されたのは、サウジアラビアイブン・サウード国王イスラム教アメリカを同盟しているという雑誌ライフ」の記事を配布したことも大きい。モロ族との戦いの中で、フェーティグはモーガン参謀長と最後の対決をした。フェーティグはモーガンオーストラリア派遣するという一見名誉ある任務に就かせて、モーガンの存在を消し去った。彼は本部の移動を繰り返した。ラナオから東のアグサン渓谷に移動して基地を作り、豪州からミンダナとその周辺の々のゲリラに物資を配給することを監督した。この物資の流れを断ち切るために、日本軍12月にアグサンを遡上する攻撃を開始した。フェルティグは部をさらに上流に移した。U.S. Army Special Operations in World War II)

連合国情報局の活動

 フィリピンにおけるゲリラ活動は元々のフィリピン小隊から結成され、半自治的な地位を与えられていたが、43年5月下旬にコートニー・ホイットニー大佐の下に組織され、急速な事態の進展と補給施設の利用可性の増大に伴う増大する問題に対処するために組織された。

 ゲリラ活動の支援と調整が拡大され、ビサヤのための追加部隊が準備され、ミンダナオとパナイに設置された拠点から北の々への進出が強化された。パーソンズ官の総揮の下で物資輸送のための施設は、米海軍からの貨物運搬潜水艦をより多く取得することによって増強された。
 マッカーサーは、一般的な励ましと慎重指導の方針に従うよ指示した。ゲリラグループは、民衆の秩序を維持することを支援するように助言された。彼らはまた、日本軍に対する開放的で攻撃的な戦争を控えるように注意された。有用な情報の収集、調整、伝達は、実際島々への侵攻が開始されるまで、ゲリが連国の大義に 貢献できる最も重要な即時の貢献として強調された 。

 パーソンズ中佐1943年の終わりにミンダナとその近隣々への実りある任務から戻っていた。持ち帰った情報フィリピン地方課の計画と活動との調整を行った後,パーソンズ10月に2度出張を控えた。パーソンズは再びミンダナに数ヶ間滞在した。1944年2月パーソンズ中佐はミンダナオ、タウィ・タウィ、ミンドロへの補給作戦を再度実施した。彼の名はフィリピンの南の々に広く知られ、彼の「生命線」補給は重要なゲリラ導者の間で有名になった。(Reports of General MacArthur)

Escape from davao

チックパーソンズは、ダバオを脱出した元捕虜3人とともに到着した。海軍中佐メルビンマッコイ陸軍情報将校ステファン・メルニック、そしてウィリアム・ エドウィンダイス陸軍中佐である。フェルティグは、パーソンズに義トミージュリ少佐紹介し、驚かせることになるのだが、彼もまた日本軍刑務所から脱走したばかりの人物だった。

フェルティグはメルニックマッコイダイスを「少し気が触れているようで、南下を続ける決意を固めているようだ」と見ている。マッコイは、「彼が私たちを倒してくれるとは思っていなかったが、明らかに敵対的だった!」と回想している。「自分の階級を否定されるのが怖いのだろうか」。618日、彼らはSWPAから回答を得た。715日から25日の間に潜水艦が到着し、パーソンズマッコイメルニックダイスを迎えに来るというのだ。 途中、日本軍のパトロールをかわしながらの苦しいハイキングの後、彼らはブリベンへの旅のため、オルタンガの南東でSS-202トラウトと合流した。

日本軍ミサミスを制圧、フェルティグはラナオへ移動

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

7日本軍はミサミス州とザンボアンガの北海を再占領し、フェルティグと彼の部は慌てふためいた「私の兵士はいとも簡単に逃げ出す」。ホセ・ナランホ大尉は、第10軍団の崩壊を防ぐために英雄的に敵を遅らせ、フェルティグはラナオに基地を再確立した。

フェルティグの反撃

 43年7月4日部は、山の熱帯に続く小の1軒の屋根と数人の傾奇者、19人の不安な人、そして官ウェンデル・W・フェルティ准将で構成されていた。マクリッシュ少佐は、日本軍の警備隊の所在を突き止めようとパトロール中だった。一方、3㌔も離れていないところにある校舎には、何人もの日本軍哨が集まっていた。
 ボディガーのクリサンにフェルティグは言った。プラシドに、々と一緒に来るように言ってくれ」プラシドを待つ間、フェルティグはブローニング自動小銃に弾倉を満タンに装填した。フェルティグは護衛と一緒に、に濡れたを歩いた。ゲリラ中隊に所属していた9人の男たちに出会った。彼らは校舎で生活していたが日本軍接近の知らせを受けたとき、全員逃げ出した。いや、9人は日本軍を見てない。みんなどんどん逃げていった。将校や仲間はどうなったのか、全く分からない。

々はハポンを見つける。君達が案内してくれ

 校舎は低い木造建築明かりに照らされていた。フェルティグは手短に作戦を説明した。9人の兵士建物の3方を囲む。彼とクリサントプラシドとは正面から接近する。学校を燃やす必要があるのは、ゲリラ記録が残されているからだ。もし日本人がこの記録をみたら後でその名前を持つ兵士家族を殺すだろう。ゲリラは攻撃することで、自分たちの家族を守っていた。
 校舎目の前に迫ってくる。校舎のドアが開き日本人が出てくる、ズボのボタンをはずし小便の跡月明かりに照らされた。日本人は再び校舎に入り、ドアを閉めた。
 フェルティグはブローニングを持ち上げてドアに照準を合わせた。

口のフラッシュハイダーの底に深いV字の切り欠きを入れておいたので横になって自動小銃を撃つ必要がない。二脚やストラップが不要になり、人が運ぶ重量が軽くなる一方で、命中精度は向上した。BARフラッシュハイダーに切り込みを入れるのは、高校物理で習った「狭い場所での気体の圧力」の法則を応用したものである。しかし、正規軍に言わせれば、これはアメリカ財産を汚す行為だ。

 エンフィールドが発射され、校舎のドアが開き日本人がとび出した。フェルティグは引き金を引いた。最初の日本人は倒れ校舎のポーチから落ち、もう一人はポーチの上にうずくまった。残った日本兵は、建物の中に戻ってしまった。校舎の裏からしいと歓く。
「黙れ!。黙れと言え」彼はクリサントに言った。クリサント方言でその命を叫んだ。静寂の中プラシド仲間のところへ行き、戻って何が起きたか言うんだ」フェルティグは言った。プラシドが戻って来て、4人の日本人が裏口から飛び出したが、ゲリラライフル射撃に倒されたと言った。フェルティグは、プラシドを校舎の方へ差し向けた。プラシドを撃たなかった。「サー、もいないよ

フェルティグが戻ると、マクリッシュが待っていた。「ジャップを探し回ったが、どこにもなかった」
フェルティグが言った。「結局のところ、8人のジャップだったんだ。々は70発撃ち、彼らは玄関から飛び出して火に飛び込み、引き返して裏口から飛び出しまた火を浴びて、それでおしまいだ」。フェルティグはを下ろし伸びをしてあくびをした。「ズボンを下ろして捕まえると、人や人よりもパニックになる。しかし、相手の準備が整ったところで手を出せば、神がかり的な力を発揮する」
 夜が明けて間もなく、フェルティグの側近のレイエスに揺り起こされた。日本軍の8人の遺体を発見したとのことだった。

フェルティグの逃走

 フェルティグはミサミスから全に撤退しなければならない。しかし、どこに行けばいいのだろう。マクリッシュは彼にアグサン州まで来てもらい、もし追い出されても未踏のミンダナ内陸部に撤退し、必要なら東海まで行けると説明した。フェルティグは遠回しに「この件は検討する」と言った。アグサン下流は河川平野ゲリラメリットがない。退却の余地もない。未開の内部には食料がなく、東海はまだにも忠を誓わない山賊の一団が混在していた。
 コタバトのペンダトゥンまで南下することは問題外だった。ペンダトゥンは野家で、このような行はフェルティグの顔を失うことになる。バロイに戻るのは自殺行為だ。そこにモーガンがいて、彼の演説から、フェルティグの死は当然の帰結と考えていることは疑いない。マクリッシュの提案が最も優れているようだが、ここを離れられないという思いがあった。ミサミスで9月も苦労して組織を作ったのだから。
 7月中旬になって、フェルティグはあるパターンが見えてきた。日本軍に捕らえられたゲリのリーダーは一人もいなかった。スミ、パーソン、ダイ、メルニッ、マッコイはパガディアン湾で潜水艦とのランデブーを成功した。フェルティグは、校舎での自らの体験に照らして、日本軍の兵力が噂よりもはるかに小さいことを推理していた。巡洋の艦砲射撃の届かない内陸に移動し、航空機が撤退した後ではなおさらだ。日本軍は地上海上、航空部隊の間の連絡を欠いていた。しかし、日本軍一つの部はフェルティグのどんなものよりもはるかに強力で日本の攻撃はフェルティグの組織を粉々に打ち砕いたのである。

日本軍の苦戦

 7月中旬、フェルティグは線セクションとランナーで連絡を取りながら、ゲリラ部隊を探した。一方、日本軍は内陸に進むとより小さな隊に分割し、油断した。ゲリラは2、3人の集団から徐々に5、10人の集団になり、20~30人の大所帯になり、7月中旬には100人以上の中隊になり、孤立した日本軍を待ちせする。フェルティグや他のからの示もなく、ゲリラ組織が再結成され、州内の日本軍待ちせし、死傷者を出すようになった。日本軍フェーティグの線を封じ、彼を捕らえる的どちらも達成することができなかったのに、ミサミスオクシデンタル州から撤退を始めた。撤退は日本側の計画であり、日本軍隊の規模を拡大させ偵察部隊は大隊の規模になったが、速度ステルス性は全く期待できなくなった。大隊はほとんど姿を隠すことができず、のように動く。
 ミサミスの人々も徐々に成熟していった。日本軍の大隊は好きなところに移動できるが、いったん移動すると、その跡地はすぐにゲリ国になることを、事実として学んだのだ。同時に、フェルティグの若い技師たちも成熟してきた。最初は噂を聞き逃げていたのが、だんだん逃げ足が遅くなり、ついには日本戒隊より数日前に移動できるほど大胆になった。機材を分解し、重いディーゼル発電機をカラバオのソリに載せて移動し、数時間のうちにセットを組み立て戻ることもできるようになった。フェルティグ無線手たちは、監視局、他県令官、豪州と、不規則ながらも毎日連絡を取り合うようになった。
 7月第3週の終わりには、日本は海沿いの町に守備隊を設置するために撤退した。フェルティグの通信は改善され、電話や電信の装置が再び登場し、ゲリラを再び束ねるようになった。確かに、裏山に逃げ遅れた多くの民間人は残酷目に遭っていたが、政府高官は一人も捕まっていなかった。海岸監視網は安全だった。ーしかし、フェルティグの人将校の一人が拳銃自殺した、孤独な単調作業に耐えられなかったからだーサムウィルソンの造幣局は稼働し、貨幣は流通し、政府は再び統治を開始した。貿易も復活し、荷役労働者の肩に担がれ敵を回するようになった。日本軍がいないところでは、フェルティグの組織は再び息を吹き返した。そのの終わりには、大惨事から1ヶも経たないうちに、フェルティグ軍は駐留都市を除く全州を握していた。
 しかし、食料の問題は明らかだった。日本海を支配比人にとっ魚は最大源であった。また、沿岸平野の豊かなトウモロコ米の収穫は、町から派遣される日本軍員との戦いを意味する。

ナオへ移動

 7月20日フェルティグは丘の中でよくも悪くもない生活をしていた。
「一体いつになったらここから出て行くんだ、バカヤロー
「ラナオからわざわざこの話をしに来たのか?」フェルティグは言った。
「その通りだ。一緒に戻ってくれ。海岸バンカが待っている。ラナオの全土が私の背後に......」
 ヘッジスはモロが後方を守ってくれると確信し威勢よく話した。ヘッジスは、マラリア性のジャングルから離れ、日光と外気のあ浜辺で生活するのが好きだったようだ。が、フェーティグはラナのモロ族が、フォト将の食、弾薬を盗んで、彼を伏させたことを思い出した。
フォー将軍は、自分がモロ族の友人だと思い込んでいた。モロ族の軍隊で、の届かないところで信用できるものは見たことがない」フェルティグが言った。
「信用する必要はない。らのケツを蹴っ飛ばせば、らはお前を好きになる。彼らははったりだ。かがそれを呼び出すと、彼らは引き下がる」
だがヘッジスのモロモーガンに対して絶対に頼りになるかもしれない。
「あのモーガンの野郎。どうするんだ?」
「首をらせる」
「どの位で?
「まだわからない。君のに行ったら話し合おう」
「そうか、それならいい。さあ、行こうか。出発の準備はできたか?」ヘッジズは言った。

 荷造りは一晩中かかった。彼は各州のゲリラをラナオから揮することを告げた。自分が捕まっても問題ではない。彼らはもうゲリラ戦術を熟知しており、日々の活動に関しては戦術と原則に従うだけでよいのだ。もし、フェルティグが捕らえられたら、ブキドノン州のゲリラ揮しているロバート・ボウラー大佐から命を受けることになる。彼は、表向きの参謀であるモーガン大佐のことは何も言わなかった。

 しかし、出発はいささか勢いに欠けるものだった。海岸に着くと、はもうない。漁師が頭を掻きながら言った。残念だが、バンカはもうない......。私はを持っていない。ハポンが...」
 他の帆船を見つけるには何時間もかかり、日が暮れてからでなければならなかった。…暗闇の中でライ瞬き瞬時船体を打つ弾丸の音、ポケットトーチでゲリラの識別信号を点滅させた。ヘッジズは部下に叫んだ「撃つな、あれはゲリラだ!。あの野郎、たちを待ってやがった」モーガンフェルティグのラナオへの移動の噂を聞いたに違いない。ブローニングやスプリングフィールドライフルの音は、ゲリラ武器であり、モーガン揮を執っていたのだ。ヘッジスが立ち上がって海岸に向かって叫び、フェルティグが再び認識信号を発した。数発の不確かな、そして静寂。
「帆をれ、上陸してくれ」フェルティグは守衛に言った。

バンカが来たときは撃ったが、合図を出すと「ハポンでもない、モロでもない、ゲリラだ!」と言い出した。と言うので、これはかもしれないと思い、また撃ちましたが、ヘッジス大佐の叫びが聞こえたので、そうではないと分かりました。」中尉は説明した。モーガンはうなずいたが、顔がしぼんでいるように見えた。フェルティグとヘッジスがバロイに到着するころには、中尉も去っていた。反逆罪ではなく、射撃の腕が悪いと非難されたことは、身につまされる経験だった。

ナオ

ヘッジスの本部は、一番大きなサワリのだった。人々は陸両用のモロ族でを飼い、内陸で農業を営み、干潟の高床式住居に住む人は漁師で網を編んでいた。女性スカーフを巻き、ぴったりした上着とボリュームのあるズボンを身に着けている。辺には焚き火があり、鼻笛、木琴、三弦バイオリンなどが四分音符で奏でられ、語り部が700年前にアラビアから伝わった物語を唱えている。しかし、最初の日本軍弾が入ってくると、その魅惑は突然に終わりを告げた。
 二人はココナ林の中砲弾が破裂するのを見た。ヘッジス家が燃え始めた。最初砲弾の音で全が逃げ出し誰も我はなかった村の1/3が破壊されただけ家はすぐに建てることができる。なぜフェルティグが、この魅力的な土地から離れようとするのか。
「落ち着け、ウェンデル。ここはミサミスの時と同じで、これ以上悪くなることはない」

この少年は、文字通り何もしていなかった。アリ毛布の中のシロップをすべて飲み干すまで、彼がそこに座っていることはアッラーの意志に他ならない。このアジア的な光景を見つめながら、ヘッジスは熱心に辺本部の利点を語った。「この人たちは1000年前から海賊をやっているんだ。モロ族は日本軍に挑戦するのが大好きだ。その内、ジャップはから攻撃してくると聞いている、十字火を浴びせて、斜視の野郎を捕えるんだ」
「3機の戦闘爆撃機なら5分で片付くだろう」フェルティグが言った。ヘッジは何とも言えない様子で肩をすくめた。コーヒーパイナップルココナツニワトリキンマ、バナナがたくさんある。そして、ヘッジスに重要にも辺に住居を構えてから一度もマラリアにかかっていない。フェルティグはヘッジスがモロ人と長い間一緒に住んでいて、自分もモロ人になったようなものだと思った。キリスト教徒を嫌い、気軽な暴力で評判の高い海賊の巣の中で違和感なく生活している。

フェルティグの線技師たちは、若さゆえの無限の適応力によって留まることに興味を持つようになった。モロ族の少女たちは不謹慎なわけではなく、ただ切にしてくれただけだった。彼女たちは、男性定期的に性行為を楽しまないと病気になると信じ、人が病気になることを望んでいないようだ。たっぷりのココナッツチューバ豊富食事海風アラビアンナイトを思わせる雰囲気、それに金色の肌をしたマレー人の乙女たちの好意が、楽園を湿ったジャングルの丘と交換するのは意味に思えたのだ。彼らは、線は海岸に設置した方が良いとした。しかし、フェルティグは「軍人、将校なのだから、文句を言われる筋合いはない、ジャングルの中の新しい場所に移ればいいのだ」と説得した。8日後、その作業は終了し、フェルティグは日常的な狂気戦争へと戻っていった。ミサミスのコンコからのメッセージは、日本軍がミンダナの至る所でゲリラ軍との接触から撤退していることを伝えていた。

フェーティグとモーガン

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

日本の脅威は収まったかもしれないが、モーガンの問題は残った。7月29日モーガンフェルティグの指揮官を辞任した。フェーティグは7月30日付でモーガンの辞表を受理した。そして8月4日フェルティグはモーガンがミンダナスルー揮を執るという知らせを受け取ることになる。フェルティグは非常に慎重にモーガン手紙を書き、モーガンフィリピン合衆軍の参謀長を続けたいなら、ラナオの新部に出頭するように示した。

モーガンの布告と、モロ族のブスラン

 ラナオマラナオモロ族の領ダトゥ・ブスラン・カラウは、キャンプに入ってきた。護衛を配置しターバンを巻いた頭を皮お辞儀をしながら、フェルティグは自分のであり、であり、太陽と月であり、最大の保護者であり、諸の守護者であると抗議した......。
ヘッジス「いい加減にしろ、ブスラン。言いたいことがあるなら言え」ブスランは、モロ族の導者の例に漏れず、弁舌が命である。彼は王者の格を漂わせながら、本題に入った。サングリ大公に宛てた書状である。彼はそれをフェルティグに手渡した。
今日、参謀の辞表を出した。ブスラン少佐に進言せよ。モーガンファイティングゲリラ総帥」
ブスランはもう一枚のを持ち出した。それは7月4日付の布告で、第2軍管区の行政官になるために退いたフェルティ将軍に代わって、モーガンがミンダナスールー官に就任したことが記されていた。これには「モーガン ゲリラ指揮官」と署名されていた。

参考までに、モーガン大佐が辞職すれば、ゲリラに居場所はないだろう。いずれにせよ、彼は総司令官ではない。彼からの命は受けないことだ

 フェルティグは疑惑ので見ていた。ゲリラになる前のブスランの最後の武功は、フォー将軍から盗んだ武器弾薬を従者たちに再装備させたことであった。しかも、忠心が疑わしいモロゲリラは、ブスランだけでは決してない。別のダツは、一人の息子日本軍に、一人の息子ゲリラに入隊させ、自分が勝者の側につくと率直に言っていた。
モーガン大佐コランブガンでバイトヘラで会わないかと誘っている。彼は "ザ・ワン "になることを望み、モロの助けをめている」ブスランは言った。フェルティグは何も言わなかった。
「しかし、彼はモロの助けを得ることはないだろう。モーガンは多くの人々を殺した。そして、モロの妻を娶り、万事うまくいくようにと考えた。しかし、その後、彼は彼女を残して、彼女彼女父親のもとに戻ってしまった。サングリアと私はモーガン大佐に、フェルティ将軍の命があれば、フィリピンのどこにでも兵士を連れて行くことをいとわないと手紙を書くべきだと思います」
 ブスランは間を置いた。フェルティグはニュアンスを理解した。まず、ブスランはフェルティグがそうしろと言えばモーガンを攻撃すると暗に言っていることになる。一方、ブスランは、モーガンのあからさまな反抗行為については、公式には知らないことを言していることになる。フェルティグは、ブスランには何も告げず、会議を終えた。
 朝一の手紙を持った急使がやってきた。ゲリ官モーガンの署名入りで、8月10にコランブガンで開催される会議に出席するようフェルティグに告げたものであった。フェルティグは返事を書いた。
お前との会議は、私の命によってのみ行われる。フェルティグ」
ブスランは、今度はサングリアやウンパなどの現地官を率いて戻ってきた。ブスランは、モロ導者たちがモーガン会議に出席したら、フェルティグが反対するかどうか、一行を代表して尋ねた。

モーガンに会ったら、将軍は一人しかいないと言え。マッカーサー元帥は、私がザ・ワンになると言っている。モーガンが従わなければ罰せられる。もし彼が辞職すれば、私は別の参謀を任命する。いずれにせよ、彼はおしまいだ

モロは感心していないようだった。フェルティグは潜水艦が持ってきた古い『ライフ』誌を取り出した。「これを見てください」その雑誌の表には、サウジアラビアイブン・サウド国王の勇姿が描かれ、国王の「イスラムアメリカの同盟」という発言にモロ人の注意を引きつけた。は驚くべきものだった。信者たちは神写真を一見ようと押しかけてきた。モロ族の間では「ライフ」誌はマッカーサー100万㌦の束よりも大きな価値があるようだ。
 しかし、モロ族は明日も味方である証はない誰の味方でもなく、ご都合主義者なのだ。彼はただ待つしかなかった。モーガンに武力を行使するというヘッジスの提案に従うことは、自分の立場が不安定であることを認めることになる米人がフィリピン愛国者を攻撃した誰も忘れることはないだろう。一方比人を助け米人を攻撃し比人もも思い出したくはない。考えれば考えるほど、フェルティグ忍耐が適切であると確信する。東アジアでは忍耐は常に美徳であり、行動はしばしば滑稽とみなされる。

 さらに3日後、モーガンは問題点を列挙した手紙を送ってきた。「私も私の部下も、々の組織で起こったことに非常に失望している。昨年9月に軍隊を編成したとき、…自分が大物になろうなどとは思っていなかった。米国に忠を誓っている私は、仲間の反対を押し切って、米軍方に組織のトップをお願いし、私は参謀長になりました。そうすれば人と人が協力して、共通の敵に立ち向かうことができると考えたからだ。…私は、方を嫌う人たちからの高な批判に対して弁護した。私は、あなたに敵対するマイダー少佐やビラモア少佐に、なぜ方がが軍を率いるのか説明した。しかし、私の長期不在の間、あなたは縁故義とセクショナリズムを然と実践していたのです。…人将校の中には、人将校や部下に対して横柄な態度を取る者もいる。タイヤやその他の物資は、あなた方人の友人のために、私のから持ち出されました。あなたが第10軍管区の管区長に任命されたとき、私を横取りしロバート・ボウラー中佐を副官に任命した。豪州からトミーが届いたとき、民間人にが与えられたのに、私は全く無視された。…私は任務の推薦をしたが、多くの場合承認されなかった。しかし、あなたの人の友人推薦はより重要視される。私より階級の劣る人将校が立を持っているのに、あなたは私に腐ったをくれた。人の下士官には分け前があるのに、私には衣服や靴の分け前がない。参謀長を辞任する以外に、名誉あるはないのです。…方の人顧問は陸軍政治を持ち込んでいますし、方の人顧問は現地の事情に全く無知で、方に益というよりを及ぼしているのです。8月4日付の手紙にあるように、ここコランブガンで会議を行うことを期待しています。参謀長ルイスモーガン大佐」。
 フェルティグはその手紙を2回読み、それから一文ずつ読んだ。モーガンの記述の中には、まったくもって真実のものもあった。他にも部分的に真実であったり完全に虚偽であったりしたが、フェルティグは、この手紙の最も重要な事実は、それが書かれたことであると考えた。
その手紙サムウィルソンに手渡し「これはどういう意味だと思う?」ウィルソンは「宣戦布告だと思った」と言った。
フェルティグは言った。「モロに断られたということだろう。モロが手を挙げてくれれば、彼は手紙を書く必要がなかった。この『参謀長』というサインは、自分の職を返せということなのだろう」。フェルティグはその日記に書いた。
 彼からの手紙を受け取ったが、その内容は駄々っ子のような不満の内容だった。彼は他の人と同じ扱いを受けていない、などと書いてある手紙を受け取った。…彼は自惚れ屋で人殺しだから、会談してもろくなことがない。…野望はフィリピン人将校の呪いだ。

モーガンフェルティグの対談

ついに二人は8月11日、梁山で会談した。モーガンは、フェルティグが自分を野戦軍官として認めれば、第10次MDを任せろと申し出た。「私は彼の行動に対して私が考えていることを正確に伝えた」とフェルティグは書いている。モーガンは翌に出発した。フェルティグは慌ただしく組織変更を行ったが、モーガンはその中に含まれていなかった。
モーガンは、テイトを伴ってフェルティグの本拠地をした。人の元陸軍医療部隊軍曹ロバート・ジェントリー(現ゲリラ中尉は、降を拒否して、フェルティグよりずっと前の初期にモーガンに加わっていた。ジェントリーモーガンは、互いの死力を尽くした勇姿をよく知っていた。二人はうなずいた。モーガンは微笑んだ。ジェントリーは微笑まなかった。将軍オフィスではサイドアームは着用しない」モーガンはガンベルトを外した。
トミーガンを持ってるんだね。欲しいとは言ったが、見たことはない。見せてくれ」モーガンは言った。
ジェントリーは弾丸を取り出し、弾が抜けていることを仰々しく確認し、口を先にモーガンに渡した。
「それでお前を信用しないのか」モーガンは危険な口調で言った。
「そうだ。もし将軍がやれと言ったなら、弾丸をぶっ放してやるところだ」ジェントリー然と言った。
将軍モーガン大佐にお会いになります」事務員が割って入り、ジェントリーモーガンを通した。
「何か言いたいことがあるのか?」フェルティグは言った。モーガン部屋を見回し、片隅で自動小銃を構えているクリサントをやった。
「私はいつもあなたに忠実で、反乱を起こしたことは一度もありません」
「…モーガン、君は確かに忠心と支持を示したが、特にミサミス・オクシデンタルへの攻撃の時、とんでもなくおかしな方法で示した。あれは忠心の表現とは呼べないだろう」
閣下、噂では閣下パーソンズ官と豪州に行かれたそうですね。だから私はバロイに戻ったのです」
「バロイに来たとき、私は海岸で待ちせにった」
閣下、あれは馬鹿な下士官と兵隊の仕業です。彼らはあなたがそこにいることを知りませんでした」
「G -zの将校から聞いた話とは違う。あなたの部下は、あなたが『もし老人がここに上陸しようとしたら、ボスか見せてやる』と言ったと。もちろん、私の思い違いかもしれませんが、根拠はあります」
モーガンは何も言えなかった。
「一時的な気の迷いであったかもしれないことは忘れよう。私と一緒に仕事を続けたいのなら、できない理由は何もない
「私はあなたの下で働きたいのです。ただし、私個人の護衛部隊として、1個大隊を配属させること。また、バロイ周辺は、あなたが指揮官に招かれる前にモロ駆逐して私が所有しているのだから、私のものと考えるべきだ。」
フェルティグはの前のに拳を打ち付けた。

一度くらいははっきりさせたほうがいいんじゃないか、モーガン。与えられた命に従うか、それとももう私の揮下には入らないか、どちらかだ。......

フェルティグは言いよどんだ。モーガンにどこまで知っているのか不思議に思わせた方がいい。「私の答えはノーだ。望む限りそれを行う限り本部の参謀長を務めることになる。君がこの任務に失敗しそうなときはいつでも、私が君を辞めさせる。それはさておき。ちょっとだけ真剣に話したいことがあるんだ」フェルティグが言った。1942年9月、私たちはとても小さな組織から出発した。この11ヶ8000人にまで増え、ミンダナのかなりの部分を支配できるようになった。戦後、私は米国に帰るが、君はここに残る。あなたが適切に行動すれば、フィリピン共和国が設立されたときに、あなたが偉大な導者の一人にならない理由はありません。戦後のあなたのキャリアを邪魔するものは何もないはずです」モーガンは、クリサントの険しい姿を見送った。
「自分が死んだらボウラー大佐揮を執ると言ったのは、フィリピン人を侮辱したことになります。参謀長である私は、第二の指揮官であるべきです。それに、これは私の動きなのです」

侮辱はしていない。分別を持って見てください。米軍警察中尉に、陸軍中佐と同じ支援を与えるつもりはないのです。

モーガンは黙っていた。フェルティグは背もたれに寄りかかって待っていた。
「自分の大隊が私を支え、守ってくれないのなら、参謀を辞めた方がいいのかもしれません」モーガンは不機嫌そうに言った。フェルティグはため息をついた。
「よろしい、モーガン。…私はあなたの辞表を受理します。すぐに後任を決めねばならない…」
「ヘッジス大佐が参謀になるのですか?」
「君はバロイに戻り、真剣に考えて行動した方が良いと思う。さて、方の行動とそれに対する私の返答、と今日の話の内容を、部中に表する、方の地位についても疑わなくなるでしょう。方は官でない。私が総司令官だ…」フェルティグは言った。モーガン敬礼して立ち去った。

モーガン追い詰められる

 その翌フェルティグは、モーガンがバロイに戻らず、ブスラン・カラウを私的に訪問し、モロモーガンゲリラ官として認めれば、ブスランを参謀長に、そして将官に昇進させる機会を提供するとあった。しかし、テイトはそのままミサミスへ行き、日本軍との戦闘に参加した。テイトは注意深く、モーガンにもフェルティグにも接していなかった。
 この問題の解決に貢献した一人が、ダトゥ・ピDatu Pinoである。ピノは何年もの間、追われていたが、一度も捕まったことはない。彼は非常に狡猾で冷血な野蛮人であり、武装したターバン巻きの信奉者の大群と共に、フェルティグのキャンプに入って来た。ピノは通訳を介し言った。
大先生モーガンとその部下を全員殺すことが私の最大の願いです」
信じられないことに、モーガンピノ仲間にならないかと誘っていた。しかし42年初頭の戦闘で、モーガンの部下がピノ家族を殺している。
モーガン営にある弾薬、金、女、食料をすべて私と部下が手に入れることができれば、モーガンとその部下をすべて殺します」
「確かにあなたの申し出には感謝します。しかし、内戦によって私の揮下を崩壊させるのは本意ではない。まだ私の地であるものを略奪することは許可しない。しかし、君は勇敢で忠実な男だ。したがって、あなたが正な戦闘で捕獲した日本軍武器弾薬をすべて保管することを許可します。他の人のように再分配のために軍に引き渡す必要はありません」フェーティグは山賊の頭領に言った。ピノは傷ついた、フェルティグは何も与えてくれなかった。捕獲したものを手放す考えは、ピノにはなかったからだ。
「それに加えて、日本人を一人殺すごとに金を払う。日本人を一人殺すごとにプラトで20センタボ、弾丸は一発だ」
ダトゥ・ピノは顔をかせた。彼の指揮官日本軍将校を殺したのだ。ダンサラン日本軍官が、日本軍隊長を返還すればモロ族に金を払うと彼に知らせた。それ以来、ピノの部下たちは隊長と偽ってカラバオののかけらを日本人に売って収入を得ていた。フェルティグにも売れるかもしれない。ピノフェルティグに忠を誓い、モーガンには永遠の反感を抱き閉会したのだった。
 フェルティグは去っていく盗賊を見つめながら、モーガンはなんと愚かな楽園に住んでいるのだろう、と思った。敵対するモロ族完全に囲まれ、日本軍がいつでも簡単に横断できるパンギル湾を背にして、しかも殿革命を企んでいるなんて!。

 ピノの訪問後、出来事は急速に進展した。ジェントリーがバロイ派遣された。彼は、対決になった場合、そこの人将校の多くはモーガンを支持し、やや少ない数はフェルティグを支持し、残りの者は中立を保つだろうと知らせを持ってきた。一方、モーガン手紙を巻き起こし、警察署長、フィリピン警察署長、参謀長、副官、そして官として手紙や命に署名していった。日本軍や守備隊に対する行動示に興味を示さず、将校から忠の誓いをめ、日中はますます頻繁に彼のハーレムの慰めに出かけ、ますますにおぼれるようになった。その結果、彼の支持者は減少していった。モーガンの将校たちは次々と言い訳を見つけては、フェルティグの本部にやってきた。
 フェルティグは「私は、公式に彼を無視すること唯一のことだと信じ続けている」と日記に書いている。奇妙なことだ、ジャップの小休止の間に我々の組織のナンバー2がトラブルを起こしているのだから。日記の翌日、フェルティグはある有力者から具体的な支持を受けた。

20 August 43 To: Fertig From: マッカーサー112

42年5月8日から43年8月6日までの期間、地区官としての官の功績と行動における並外れた英雄的行為を称え、私はあなたに殊勲十字章を授与します。…私は、官のフィリピンの人々への卓越した奉仕が、このような評価を得るに至ったことを祝福し…さらなる奉仕へのインスピレーションを見出すことを望むものである。ケソン大統領も昇進を祝福しています

フェルティグにとって、この表状はすべてを意味するものだった。パーソンズスミス豪州に戻ったこと、そしてメルニックマッコイの報告書とともに、彼らの報告が好意的であったことを意味している。ケソン大統領マ元帥の直々のメッセージは、人の間で、昇進と同じくらい大きな威を放っていた。フェルティグは、この引用文と直筆のメッセージをすぐにゲリラ組織全体に表した。マッカーサーから送られる援助は、すべてフェルティグを経由することになる。フェルティグは「ザ・ワン」であり、モーガン価値だった。

モーガン追放

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

 モーガンは再びフェルティグの本部に姿を現した。「私は何時も方に忠実でしたし、これからも忠実であり続けるでしょう」「そう言ってもらえるとうれしい、方が不在の間に、ヘッジス大佐が参謀長に任命されたフェルティグが言った。
 モーガンは、自分自身と、フェルティグ指導に対する長期にわたる未宣言の反乱に参加したすべての人々のために、一般的な恩赦を求した。
大佐がこの組織に残りたがっていることをうれしく思います。君ほどゲリラのことを知っている者はいない。マ元帥豪州に将校を派遣するように言ってきた。ゲリラが何を必要としているかを伝え、他の々からもたらされる情報を評価する手助けをしてくれる人物だ」
「しかし、私の居場所はここだ」モーガンは言った。

あなたの役フィリピン人を助けることです。豪州には、ハワイアメリカで生まれた多くのフィリピン人がいて、フィリピン部隊があり、訓練をしています。あなたはその師団にジャングル戦を教え、解放を導くフィリピン軍将校としてに戻ってくるのです

フェルティグは、長い間この計画を考えていた、まるで本当にモーガン豪州に送るように命じられたかのように思えた。
閣下,考えてみます」モーガンは言った。
「もし君が忠を誓っているのなら、言われたことをやるんだ。戦後、あなたのために大いに役立つことでしょう。マ元帥スタッフになることは、昇進なのだ」
モーガンは、事務員が今日までのゲリラ活動の命記録コピー必死で作っているのを見た。全な記録を保管するために、それらをすべて豪州に送るのだ。戦後、この記録は報償請の決定や、米国財務省によるゲリラ通貨償還の基礎として使われることになるだろう。さらに、モーガンは、男たちが新鮮なライムバナナアボカドパイナップルジャングル果物を大量に持ってキャンプに入ってくるのを見た。これらは潜水艦員にタバコ、剃、焼きたてパン石鹸アメ細工などと引き換えられる、潜水艦の到着を示すものだ。ゲリラに参加せず、丘に避難していた人の家族もいた。潜水艦が来なければ彼らは隠れを出ることはなかっただろう。
 支持者が着実に減っていること。テイトの脱走。モロ族の笑い。フェルティグの昇進と。モーガンは自分罠にはまったことを知った。まさか失敗の罰が流刑になるとは思ってもみなかった。
閣下、おっしゃるとおり昇進ですから、断るわけにはいきません」
フェルティヒは「申し訳ない」と言いたかった。

ホイットニーの逡巡

コートニー・ホイットニー大佐は、通しメッセージ読み、NR309「フェルティグからマッカーサーへ」に辿り着いた。「送還者の一部リスト」とある。「ルイス・P・モーガン中佐、反乱時に発行された命全なファイルあり…。サム・グラシオ1等陸尉…バターンの第21部隊ベテラン、脱走者、マラリア。PT第三飛行隊のCMMエルウッドオフレット、USNSM一等兵ポール・A・オーエン 米国海軍 PT第三飛行隊所属 二人とも赤痢で倒れている……、ウィリアムボンキスト曹長 明らか捏造者であり 警備上の脅威である 軍曹 マシューヘンリーAC 資金の不正使用の罪で逮捕 1942年5月 日本軍の侵攻で釈放 その後 組織破壊未遂で逮捕 口が減らず、梅毒精神病の可性あり..."

ゲリラメッセージを評価し、それに対する行動を推奨するのがホイットニー大佐の任務の一つであった。

フェルティグは々の送還規定を、反抗的で好ましくない人物を自分の地域から追放するための手段に変えてしまったようだ。行動を勧告する。次のような返事をフェルティグに送ること。最近取り決めた送還方針では、あなたの選択と裁量に従って、敵の監禁から逃れた米軍人で、そのサービスをあなたに必要としない者、あるいはあなたの揮下で忠実に奉仕した人で、自分の不品行の結果ではない傷や怪病気のためにこれ以上の奉仕に適さない者の送還を許可しています。懲事件は、適切な拠が入手可なあなたの地域で、あなたが処理するのが最善でしょう。従って、モーガンボンキスト、ヘンリー309番)の今回の退去は承認されない。今後、避難させる場合は、前述の方針の範囲内で選択することが望まれる」数時間後、そのメッセージは届けられた。

 929日未明、フェーティグが海岸に到着すると、潜水艦に寄り添い、小さな人がかさばる荷物を潜水艦に渡しているのが見えた。ウォーリンガム海軍中佐ブリッジフェルティグを出迎え、清潔なリネン、ドリップコーヒーサンドイッチアイスクリームのある奇妙な新世界に彼を連れて行った。中佐メアリーへの手紙と、マッカーサー工兵隊長、旧官ケーシー将軍への手紙を渡した。
 送還される人達は、フェルティグの前を通り乗組員室に向かって歩いていった。オフレッ、グーバ、ナポリロ、オーウェン、グラシオ......武装農民の一団を兵士に育て上げ、自分指揮下で重要な存在となった男たちを失うことに、フェルティグは心を痛めた。しかし、フェーティグは彼らにとって正規軍への復帰がどれほどの意味を持つか分かっていた。つぶらな瞳のモーガンがやってきた。フェルティグはモーガンに何も言わず、モーガンも彼に何も言わなかった。モーガンが豪州で仕事がないことを知ったらどう思うだろう。モーガンが現れたら、本部は何と言うだろう?。フェルティグはランナーが持ってきたメッセージを読み返しヘッジスに手渡した。不承認のメッセージ。「いつこれを手に入れたんだ?」「もちろん、潜水艦が出発した後だ」ヘッジはニヤリと笑った「まさか、そんなことを信じるわけはないだろ」。それでも、処刑に代わる一の方法だったのだ。

ホイットニーは、マッカーサーに宛てたフェルティグのメッセージ読み上げた。「あなたの161のパート2は、28日のに受信され、解読され、トレイルを走るランナーによって、5時間かけて私に転送されました。メッセージは、が出港した後に海岸に届いた。メッセージの送信にかかる時間のロスはもっと考慮されるべきです。このような状況のため、モーガンは航行中である」
驚くべきことに、フェルティグはマッカーサー将軍に命していた。
モーガンはここに戻ってはならない。というのも、彼らは私に対する彼の行動を、7月8月モロ人を差別に殺した彼と彼の部下に対する起の口実として使うつもりだったからである。これは、ラナオ北海の全てのキリスト教徒の虐殺を意味するものであった。彼らが殺人を始めなければ、私はモロコントロールすることができるだろうが、一度始めたら、アラーだけが彼らを止めることができる......。今後の本送還は、この方針に忠実に行うつもりです」。
ホイットニーフェルティグのメッセージに賛同し、マッカーサーに提案を書き送った。
モーガンヘンリーボンキストの避難を認めないという々のメッセージの到着が遅すぎたのは残念だ。彼らの到着、特にモーガンの到着は問題ですが、あなたの負担をなくすような方法で解決します。少なくとも、この不良たちを連れてきたことで、フェルティグの肩の荷が下りるだろう......」。

フェルティグのゲリラの再編成

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

 コタバトのもう一つの問題は、ペンダトゥンの不安定な導力であった。ペンダトゥンはモーガンと同様、強情で、勇敢で、きらびやかで、女性快楽に過度に中になり、揮権の魅力にあまりにも困惑していた。フェルティグがアグサン州に移る準備をしていた頃、コタバトの有力者の代表団がフェルティグを訪れ、サリパダ・ペンダトゥンの代わりに第106師団の官になってほしいと頼んだ。
「それで、がいいんだ?」「マクギー大佐です」
 フェルティグはマクギー大佐のことをよく知っていた。大佐第一次世界大戦の勇戦で殊勲十字章を受章し、以来ずっとこので農園の人として暮らしていた。ペンダトゥンは降格を快諾し、フェルティグを驚かせた。マクギー大佐の副官となり、第106師団の2連隊のうちの1連隊を与えられることになった。モーガンよりも賢明なペンダトゥンは、米軍と対立するよりも共同作戦にこそ自分の大きなチャンスがあると考えたのである。ペンダトゥンの突然の降により、フェルティグは6個師団それぞれを人将校が揮することになった。第108師団のヘッジス、第110師団のマクリッシュ、第109師団のグリステッド、第107師団のチルドレス、第106師団のマクギー、そして105師団に派遣されるボウラーであった。これらの将校はそれぞれ2つ以上の連隊を持ち、通常フィリピン人将校が揮をとっていた。このとき、フェルティグはまだグリステッド、マクギー、ボウラーに会ったことがなかった。ミンダナオでは、人は、フェルティグやマクギーのように揮を依頼されるか、グリステッドチルドレス、マクリッシュのように自らゲリラを結成していた。この時ばかりは、フェルティグもモーガンのことが気になり、どこで失敗したのだろうかと考えた。

 アグサンに向けて出発する前に、フェルティグは第10軍管区の組織と任務を明確にする示を出した。第一の任務は、情報を収集しマッカーサー部に伝達することである。第二の使命は、ゲリラ戦によってミンダナ日本軍を撃退することである。これを試みることは、マッカーサーの命然と背くことになるが、ゲリラが常に攻め続けなければ、民の支持を得られなくなることは、フェルティグの心の中に疑いようもなかった。

フェルティグは人将校の下で新しい部隊を編成した。ビラリン中尉がアグザン渓谷とスリガオ南部に第112臨時大隊を創設すると、フェルティグは中尉アントンハラティクを指揮官に送り込んだ。アメリカ陸軍航空隊のオーウェン・ウィルソン中尉はカラガ近くのジャングルで迷い込み、フェルティグは彼をフランクマギーの新しい106師団の第111臨時大隊の指揮官に送り込んだ。ハビト・ペドラヤ一等軍曹は、前任のアシ大尉を降しようとしたために殺していたが、ウィルソンペドラヤを執行官として留任させた。

アグサンへ移動を決意

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

「本当に1隻の潜水艦に90㌧も積んでいるのか?」とヘッジスが聞いた。
メッセージを確認した、90㌧は大量だ。しかし、簡単ではないし、安全でもない」
潜水艦を河口まで持っていけば、荷に積んでを上り、地まで移動することができる」
「でも、ここに運んだ方が安全だと思うんだ。女性子供潜水艦に乗ることになるんだぞ。ジャップが攻撃してきたらどうするんだ?。マクリッシュの部隊では、私の部下ができるような保護はできない」
 二人はミンダを地図で調べてみた。ヘッジス第108師団の拠点であるラナオ州は、荒とした山々と、日本軍が駐屯するに囲まれた狭い海岸な地域であった。第105師団の管轄地域であるミサミスを含むザンボアンガ半島は、の他の地域から簡単に切り離せるため、物資配給の中心地として機することは不可能だった。コタバトは広大だが、日本軍が多数駐留し親日モロ人が多すぎるし、第106団長ペンダトゥンの立場は決して明確ではなかった。噂では、ペンダトゥンは日本軍と休戦協定を結ぼうとしていると言われていた。第107師団の将来の本拠地であるダバオは戦前から本以外では最大の日本人都市で論外であった。第109師団が置かれたブキドノン州は、港のカガヤンはミンダナで2番の敵基地であり、その上の高原にあるデルモンテ飛行場は日本陸軍航空隊が占拠していた。また、ミンダナ国道はブキドノンで分岐しており、この日本軍の手に落ちていた。
 残るはアグサン州、マクリッシュの第110師団である。この地域が行するアグサンと支流という路によって支配されていた。から物資を運べるところまで運び、上流へ、そして裏を通ってゲリラ部へ移動することができた。アグサンの海岸には、まだ日本軍の大規模な施設はなかった。
「ミサミスに副本部とラジオ局を設置しボウラーをその責任者にするつもりだ。私に何かあったら、彼が引き継いでくれるだろう」そして、傷ついたヘッジスの顔を見てフェルティグは言った。
「本来なら、君が副官になるべきだ。でも君がこのラナオに必要なんだ」
問題は、多くの人や人が、チャーリーのことを毛嫌いしていた。ヘッジスの短気は部を窮地に陥れるかもしれない。ボウラー中佐陸軍の訓練を受けた将校であり、ヘッジスはそうではない。

日本人捕虜

血糊のついた軍服を着た小男を連れたヘッジスが現れた。フェルティグは初めて、降した男に会ったのだ。フェルティグは、日本語を話す中国人商人を通じて、この囚人に質問をした。捕虜になった将校は、日本軍の兵力、位置、動き、意図について知っていることをすべてフェルティグに話した。日本軍が長い間ミサミスを攻撃できなかったのは、日本情報機関が、フェルティグ軍は十分に武装した2万人以上と考えたからだと説明した。森本将軍は、日本軍はまだフェルティグがミサミスにいると信じ、フェルティ死亡の報告は人を惑わすためのプロパガンダであったと言った。日本軍将校の希望がない。神を裏切ったということで日本には戻れない、もう望みはなかった。彼がどんな質問に答えようと関係ない。何も問題ない。何もかも
 そこで、フェルティグはゲリラの防諜活動を強化するよう命じた。モロの行商人は嘘が上手な人を選んで日本軍の駐屯地に送り込み、フェルティグが本部を移したという噂を流させた。行商人たちは、「彼はもうミサミ島にはいない、ブキドノン州にいる」と言う。フェルティグはまず、自分が本当にいるラナオから日本の注意をそらし、アグサンに移るという意図を隠そうとしたのである。数日後、ミサミスの圧力が緩和され、ブキドノンで日本軍の活動が活発化した。

アグサンへ

 リャンガの海岸の闇に浮かぶ々とした塊はアテナ号で、よくあるタイプの二本マストの帆船だった。ザパンタは「私はこの戦争女神にちなんで名付けました。には150人の兵士が乗っています」と説明した。リャンガからアグサン河口までは、1気筒ディーゼル最高速度で4日間を水上で過ごすことになる。しかし山越えには何週間もかかる。路、それも間航行で行くしかない。ルート日本軍の港として賑わいを見せていたマカハラー湾を直接横切る。
 アテナ号月明かりの中をトントンと進み、アルビジッド近くの入り江にそっと座礁した。ボウラーの軍隊は元気だったが、民政は存在しなかった。自信に満ち溢れ、寛容なボウラーが話すと、フェルティグはこの男を後継者指名したのは正しかったと思った。
 ザパンは海岸沿いを少しずつ戻り、アテナ号を走らせた。マカジャラー湾を横断して、翌日の午後遅く、湾の反対側にある美しい内陸の小さな錨地、サラに食料を取りに行った。サライには、在フィリピン米の配給部が待機していた。ボウラーが手配してくれたのだ。少牛を追いやり男牛の喉をボロで切り裂き、少年と一緒の死骸を崖の上に転がし、ザパンタの部下吊り上げる。コック牛を解体している間、皆はサメが錨を下ろしてい船の周りを高速で移動するのを眺めていた。

飢餓のアグサン

アグサンダバオ東の山中を発し、ミンダナオをほぼ北に流れている。タラコゴンのバリオの上にある数㍄に及ぶ広大な盆氾濫していた。この盆地沼地、雨5カ月間完全浸水し住民はここで筏の上に家をてた。高潮になると、筏も家もべてただ浮かんでいる。乾季間農地となる。これは地域の掟であり、誰も川のめたことに従った。とにかく生産性のない沼地で、雨がいと、トウモロコシも少なくなる。タラコゴン(Talacogon)の下には岩の多い狭間があり、大流域からの流出をせき止めるため、位が高い時期が5ヶ、極端に低い時期が3.5ヶありました。このように、1年の大半はが多すぎるか少なすぎるかのどちらかで、航行や輸送にさまざまな問題が生じた。狭部を過ぎると、行しながら森林に覆われた平原を横切り、へと続いている。このは急流で、濃い緑色をしており、岸辺にはランの香りのするジャングルが広がっていました。

戦争前は今日を太らせてできたんだ」ニエンテフェルティグに言った。「しかし、今はを太らせることができません。ヴィアンダがあれば、ハポンが来て、それを取ってしまうのです。どうしてハポンのために植物を植えなければならないのか?。農民はを上り、自分と家族のためだけに植えるようになったのです。ここでは、空っぽで、人々は種のトウモロコシを食べるか、飢えるしかない」
「では、ビアンダは何を持っているのですか?」フェルティグは尋ねた。
「ヴィアンダにはがいる。たくさんはいないけど、エビもいる。時々、がいる。泥鰌がいる。パパイヤ、ココナッツバナナカモテも。でも、民衆がハポンから救えたものだ。あまりないんだ」
「それじゃ、飢えることはないけれど、太ることはないんだね」フェルティグはそう結論づけた。
フェルティグはアグサンの他にない長所と短所に戸惑いを感じていた。日本人はいなかったが、それは食べるものがなかったからに他ならない。
 フェルティグ川を上って本部となる場所を探していた川沿いのフィリピン人であっても、生まれたバリオから5m以内で一生を終える。フェルティグが下流のブエナビス(内陸4㍄の河敷にある可愛らい小さな町)のマクリッシュの本部に戻る頃には、フェルティグの頭の中にはアグサンとその問題がしっかりと出来上がっていた。
 河口のナシピットの水港はかつては州の交易の中心地で母港であった。中には300㌧もの荷を積んだ船あった。ブトゥウンとナシピットは路で結ばれ、マクリッシュが日本軍を追い払ったのは勝利と思ったが、テニエンテが「ありったけのものを食べて、日本軍は去っていった」というのが相だと思った。

110師団マクリッシュ

 視察から帰ってきたフェルティグは、大量のメッセージを受け取っていた。ミサミスで新たな戦闘が発生し、日本軍の増援が上陸していた。レイテゲリラリーダーカンレオン大佐とボホールゲリラインギニエロ少佐が、ナルホルの物資を受け取るためにラナオに到着していた。マクリッシュの本部には、人の民間難民家族が到着し始め、潜水艦を待っていた。フェルティグは、カンレオンインギニェロにアグサンに来るように示し、ボウラーにはミサミスに行かずにラナオのヘッジスと一緒にいるように命じた。難民は問題で本部の食糧供給に深刻な負担をかけていた。フェルティグは、彼らを上流に送り、小さなバリオを隔離キャンプにした。彼は、なぜ第110師団マクリッシュがまだこれをやっていないのか不思議に思った。マクリッシュの揮には、やり残したことがあるような気がしたのだ。数ヶ前、フェルティグはマクリッシュに、自動車エンジンの燃料にするため、トゥバからアルコールを蒸留するように言った。しかし、アルコールはほとんど生産されず、マクリッシュのに遊休状態になっていた。怒ったフェルティグは、すぐに蒸留を開始するように命じた。しかし、マヨン号の燃料庫には、160㌧もの重油入っていることが分かった。フェルティグは、すぐに引き揚げを命じた。
 ウォルタはフェルティグに言った。「マクリッシュは、そろそろ兵隊ごっこをやめて大人になる時期だ」ウォルターの発言耳に入り、マクリッシュ米人たちは恨むようになった。彼らは皆、見知らぬ土地で2年間、死に直面し、苦難と病気に耐えながら国のため、自分のために伏せずに戦ってきた人たちだ。それを、年配の民間人が「兵士ごっこだ」と非難するのは、いかがなものだろうか。
 フェルティグは、ウォルターの言葉には真実味があると思った。マクリッシュは戦家としての象はないが、若い将校は人一倍勇敢で、戦闘意欲も旺盛だった。しかし、マクリッシュの本拠地はありえない場所だった平地にあり、重火器で武装した機動性のある敵に無防備である。ナルホルの到着まであと数日しかないのに、マクリッシュが不在なのは許しがた。潜水艦から貨物を内陸部に運ぶには、労働者集団、トラック、はしけ、船の出入りを細かく計画し、上流の保管場所とその警備を準備する必要があった。

110師団マクリッシュとその参謀長クライドチルドレス(Clyde C. Childress)は、ミンディナオゲリラ揮する自称准将ウェンデル・ファーティグと険悪な関係にあった(Papers of Colonel Clyde C. Childress, USAexit)。第110師団はミンダナ西部のミサミスオリエタル、アグサン、スリガオ、ダバオの広い地域を網羅していた。マクリッシュとチルドレスは、降していない人と人の戦闘員の助けを借りて、合法的なゲリラ支援し、盗賊を鎮圧することで、これらの地域に秩序をもたらし、43年3月までに、ミサミスオリエタルとアグサン地域のほとんどの部隊を配下に置いた。
 43年3月、ミンダ島でのゲリラ戦のすべてが変わったのは、豪州から最初の潜水艦がミンダの南岸に到着したときで、竹電信」の知らせが第110師団に届くのに時間はかからなかった。チルドレスヒメネスにあるフェルティグの部に向かい、パーソンズがミンダナを横断してレイテまで行く旅に同行した。
 米海軍は、パーソンとスミスが設置した沿岸監視所の恩恵を受けると、ゲリラ補給のためにより多くの潜水を提供することをいとわなかった。海軍の2隻の型潜水、USSイッカクUSSノーチラスは、フィリピンへの定期的な任務を開始し、1943年後半から1944年初頭にかけて、第110師団のアグサン地域でほとんどの任務を遂行した。そのため、マクリッシュとチルドレスはミンダナへの補給係となり、物資を受け取り、安全に保管し、の他のゲリラに確実にたどり着いた。
 1944年初頭までに、第110師団が支配する地域は大きくなりすぎたため、ダバオ周辺のミンダナ南部地域を監督する新しい部を創設することが決定された。新しい部は第107師団となり、中佐となったクライドチルドレス揮を執ることになった。彼の的は、ミンダナの内陸部の深く、アグサン沿いのワロエの町にあるフェルティグの新しい本部を守ることだった。クライドチルドレスが勇敢さを称えるシルバースターメダルを受賞したのは、この功績だった。
 問題の一部は、アグサ川流域にあるフェルティグ令部がマクリッシュの作戦地域に近かったことであった。1944年3、日本軍はミンダ島のアグサン地域に大攻勢を仕掛けた。アグサ川の西岸を遡上すると、第110師団の連隊長であるハリール・ホドル少佐部隊に遭遇した。3月17日チルドレス中佐が第107師団の部隊を率いて到着した。ヴィトスの丘の戦いでは、チルドレスは単独で37mmを配備し、彼とホドル部隊が丘を占領した日本軍を追い払った。チルドレスはこの功績で章を授与された。 ミンダナでのゲリラ戦の間中、ファーティ大佐チルドレスとマクリッシュの才に大きく依存していたが、戦争が進むにつれて彼らに対する深い不信感を募らせた。面と向かっては友好的だったが、背後では部や他のゲリラに「悪口」を言っていた。ファーティグの意見は、マクリッシュとチルドレスは「不実で無能」であり、ミンダナゲリラ運動にはほとんど何もしなかったというものだった。具体的には、マクリッシュは土壇場で計画を立て、日本軍と戦いたいというあまりに積極的で、部下を愚かに選んだと述べた。マクリッシュとチルドレスは、1944年10月20日のレイテ侵攻後にゲリラから正規のアメリカ陸軍部への異動が可になったが、それを要したファーティグの下で勤務する数人の米軍将校の一人であった。彼らの要請により、フェルティグは1944年12月29日チルドレスを、1945年1月23日にマクリッシュを解任した。
 1944年12、チルドレスとマクリッシュはPTボートでミンダナを出発し、レイテアメリカ軍部に向かった。二人はレイテに到着し、フェルティグが背中を刺したことを知った。彼は、彼らが不実で無能で、ミンダナオでの努力のためにほとんど何もしていないという報告を送っていた。ミンダナでのゲリラ活動のために、おそらく他のどの兵士よりも多くのことを成し遂げた二人の男にとって、それは飲み込むのに苦いだった。

防衛準備

 フェルティグは、防衛準備に着手した。準備に追われる一方で、フェルティグは線網を監督し、豪州に送信する情報報告書を評価し、ある兵が豪州での未払賃金家族に送るよう申請したのを伝え、サグイン判事の民政局にネグロスからカリを輸入する必要性を進言し、ゲリラの資金を盗んだと疑われる地方財務官の逮捕を命じ、ルソン南部の新しい情報網の運用のために暗号を手配して示を出し、「The One」に解決してほしい問題を抱えるフィリピン人からの限りないリクエストを傾けている。日常業務をこなす有能スタッフがいてくれれば、自分は大きな問題に集中できるのにと思う。しかし、フェルティグは純軍事的なことを部下に任せるのも好ましくないことがわかるようになった。電信の効果は絶大で、フェルティのさまざまな事情を知る者が少なければ少ないほど、拷問を受けても話すことができなくなる。またカンレオンインギニェロに、同じ官として注意を払う必要があった。ナルホルの到着まであと1日、失敗は許されない。彼は隔離キャンプに走者を派遣し、難民をランデブーに向けて移動させるようにした。中にを覚ますと、フェルティグは難民キャンプにいた女性たちを思い出し、彼女たちが尋ねた質問を再びにした。「ペソはどこで両替できるのですか?、オーストラリアか出迎えてくれるのか。私たちのお金は全部マニラにあるから、陸軍マニラ銀行小切手を発行してくれるのだろうか?オーストラリアではどこに住めばいいのだろう?アメリカに送り返されるのだろうか?」
 マクリッシュは一体どこにいて、輸送のことはどうしたのだろう?夜明け前、フェーティグはベッ激しい揺れで眠りから覚めた。フィリピンでは常に地震があり、神の手に委ねられていることの恐怖に打ち勝つしかなかった。

潜水艦ナルホル

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

 ブリベンの基地病院の物資担当で医学博士、気難しい若い将校エバンス大尉は、コレラ血清を諜報部員に渡すよう命じられたが、「全兵の数より多い血清を要している」という理由で拒否した。マッカーサーの直筆サイン入りの命書を携えて諜報部員が戻っても拒否し、エバンスは軍隊より住民に接種するためでは?と推理し情報員に尋ねたのである。さらに悪いことに、エバンスを配るのはもういやだ、戦争がしたい」と言い出した。ホイットニー大佐は言った「この部屋で話したことはすべて秘密と分かっているね?、私が話したことから知り得たこと、推測したことをにも話しはいけない」
 エバンスの顔は失望に打ちのめされていた。大尉は医療品倉庫の中で、通常の単調な生活を再開した。数週間が過ぎた。あ、エバンはテントで男たちに起こされ「黙れ」というジェスチャーをされ、海軍の作業着が渡された。…そこには、陸のジーと海のトラックが待っていた。数時間後、世界最大の潜水艦ナルホル号真北に潜航していた。

 …南洋諸島に、エヴァンスは喜びを感じ、戦場・野蛮な敵といった言葉にも奮した。ナルホルは浮上、ハッチが開き、エヴァンス金属製のはしごを上った。周りにカヌーが見え、ラッタ船長ひげ面の男が握手するのをエバンズは見た。エヴァンスかが "フェルティグ "と言うのを聞いた。チックパーソンズがよく話していたフェルティグのことだろうか。
 ナルホル水路をゆっくりと進み、コンクリートのドックに停泊した。7台のトラックが待機し川には軽量の船が待機していた興奮し比人が笑い、第110師団の軍楽隊が「アロハ」を歌いだした。指揮官はマクリッシュ大佐だった。巨大潜水艦から荷を下ろした。カービンライフル弾薬ケースロケットランチャー、Dレーションチョコレートバースパムチーズ雑誌、書籍、マッカーサー新聞自由フィリピン」、医薬品ジャングルブーツ日焼け止め制服ジャングル迷彩日本侵略用偽札数ペソ、抗マラリアアタブリ錠剤ケース、合法的なゲリラ通貨を作るための印刷版やジャングルハンモックタバコ懐中電灯、将校の記章、発電機やラジオのスペアパーツ、工具、スパークラグなどなど、から溢れ出る物資は数えきれないほどだった。
 フェルティグは食事をしながら、ラッタ大尉が話す外界のニュースに熱心耳を傾けていた船室では、他の二人の客人人将校)コーヒーを飲んでいてチックパーソンズに話しかけていた。

散弾銃の弾が必要だ。ジャングルは狭いので、散弾銃の弾が一番いい

カンレオンは言った。
パーソンズ「欲しければ送りますよ。しかし、弾1ケースカービンの弾丸1.2万発と同じ場所を取る。どちらか好きなほうをどうぞ」
「1万2千発?。しかし、その重量は大変なものです」カンレオンが身を乗り出して聞いた。
パーソンズは、潜水艦では重量は重要ではなく、間が重要と説明した。カンレオンは考え込んだ。
「私は、どちらを選んでも構いません。」もう一人の人、インギニエロ少佐は言った。

私もです。あなたが持ってくるものは何でも使います。でも、一番多いのを持ってきてください

 人達がに見えて感心している。すべてはうまくいった。マクリッシュは不在だったが、トラックバージは現れ、ヴァーニーとウォルター労働者ギャングをうまく操っていた。ラッタ艦長も感していた。4時間で90㌧の貨物がナルホル号から手運びされた。水が米リラと話すのを聞いた。水は、ジャップだらけの島1分も留まる勇気はないと率直に認め、ゲリラは陸でやるのを好み、水は海しているのを好んだ。ゲリラはが話すアメリカの様子や戦争の進行状況、マッカーサーの帰還時期、船の出身地などをすべて知りたがった。トラックがドックエプロンに停まった。エバンスはそのトラックから男女が降りてくるのを見た。エバンスは、彼らのぼろぼろの服、飢えと不安とを見て、ショックを受けた。ゲリラが、この民間人が元気で康でせそうに見えると思っていることを、彼は知らない。エバンスは医官として、栄養失調の症状と指した。その中には、夫をモロに殺され、自分も修道女に着せられて日本軍から逃れたスタンリー・リッグス夫人、ロバートソン米軍看護婦中尉と婚した英国人製材業者のG・E・C・ミアーズ、ドナルド夫妻、マッケイ夫妻、娘アリーなどが含まれていた。片手に医療バッグ、片手にカービンを持って陸に上がったエバンスは、二人の男が近づいてくるのを見た。「ウェンデル、ドク・エバンスだ」パーソンズが言った。「ドク、こちらはフェルティ大佐エバンスは男と握手をした。
チックから聞いたが、君は医官であると同時に線技師でもあるんだね」フェルティグが言った。
「はい、そうです」エバンスは連れて行かれた。

フェルティグはパーソンズと一緒にトラックの運転席に座った。
「なぜ、印刷用の版とを送ってきたんだ?、豪州お金を印刷して、ここに送れなかったんだ?」
マッカーサーは私にすべてを教えてくれないんだ、ウェンデル」
「そこで印刷すれば、帳簿の問題から解放される。会計士タイプライターを持った事務員が大勢いるとでも思っているのだろうか。サムウィルソン鉛筆だけですよ。もうひとつ、チック。あの20ミリのことだ。弾薬なしで大砲を撃とうと考えた天才誰だったんだ?」
「あれは海軍で、君は陸軍の徴発品だ。ラッタ海軍倉庫から弾を調達してくると言っていたな?。彼らは最善を尽くしている。心配なのは君だけじゃないんだ、ウェンデル」

音を立てながらアグサンを遡上するは、エスペランサで地雷ブービートラップ、20ミリ弾、成形弾、ロケット弾、小銃弾の入った木を降ろした。しかし、マッカーサーの直筆の手紙には、それを使うなという警告が書かれていた。

この出荷によって、私はフィリピン地域への補給活動を大幅に加速することになった…。重兵器の供給を含んでおり、…民への報復の強化を誘発するような不当な火力増強が行われないように注意し、できるだけく、現在作戦に必要のない物資を安全な分散場所に保管し、将来の需要に対応するようにすべきである。官の地域が最も安全な荷揚げ地となる可性があるため、他の地域に配給される予定の物資を届けることが恐らく必要になるだろう。その場合、他の関係官と十分に協力し、過度の危険や遅延なしに最終的地に到達できるようにすることを望みます。物資の移動が成功裏に行われたことは、周到な計画と移動の協調を示すものであり、私はこれを満足して見ており、あなたとこの任務に貢献した将兵の両名を賞賛します。…

 フェルティグはこの威厳ある文章をしみじみと考えた。現実離れしている。本部は一体何を期待していたのだろう。積荷は、Dレーショントロピカルチョコレートバーと、マッカーサーの「自由フィリピン」のを降ろしていた。マッカーサーは、プロパガンダのためにこれらを中に配布することを望んでいたが、同時に潜水艦の到着を秘密にしておくことを望んでいたのである。

エバンスは、飛行機への恐怖を露わにしていた。フェルティグが言った。「医療部隊から染料を買っているが、洗うとすぐに色あせてしまうので、あまり好きではないそうだ。君は医療班か。どうするんだ?」
「これはゲンチアナバイオレットだ!。すぐに調べてみるよ。もしかがそれを盗んでいたなら......」
「ちょっと待って。熱帯性潰瘍に使っているんだ」
「しかし、盗みはいかん」とエバンスは言った。
…エバンスは比人が素晴らしい人々であると考えるとう、米人にありがちな間違いを犯している。しかし理想主義者であろうと、エバンスが急いで医療班の敷地に向かって歩き出すのを見て、フェルティグは、エバンスは潜水艦がこれまでもたらしたものの中で最高のものだ、と思った。エバンスは、庄屋の奥さんの眼病を治した。この奇跡のニュスは川沿いの谷間を駆け巡り、人々は大挙してやってきてこの米人医師はすでに「ミンダナオの軟膏屋」というあだ名で呼ばれていた。エバンスは、数日の間に、アグサン住民のゲリラへの支持を得るため、フェルティグが行ったよりも多くのことを行ったのである。
 エバンスは、単なる医学的理主義者ではなかった。見たこともないような無線通信を行っていた。さらにありもしない材料からラジオを作る方法をラジオ課に教えてくれた。その結果、フェルティグ無線機ではなく部品を注文するようになった。部品は、完成品より潜水艦の中で場所をとらないし、その分他の必需品に充てることができる。

 フェルティグは、冷房の効いたオフィスで将校たちが「通常業務」についてのアドバイス手紙を書いている姿を思い浮かべ、怒りに燃えていた。マッカーサーが他ゲリラの補給将校を務め「将来の必要性に備えて安全な分散地域に新兵器を貯蔵せよ」と言ったことを考えていた。物資集積所の設置は、集積所を守るための防衛地の準備を意味する。しかし、防御区域を準備するには軍隊が必要であり、軍隊は食料を食べる。食糧がないのだ。ナシピットから上流へ物資を運ぶ人数分の食料を確保するのも大変なことだった。エスペランサに到着した200㌧以上の物資を、フェルティグの部下が1週間かけて整理し、フェルティグの6つの師団と他の島リラのために荷造りし直した。この作業を終えるには、あと1週間はかかるだろう。物資を受け取るだけで2週間も本部が動かなくなり、その場所の食糧が減る。
 本部に戻ったフェルティグは、新しい富の分配を急ごうとした。嫉妬も考えなければならない。すでに一部比人将校は、フェルティグ米人に全く新しい制服、靴、記章、拳銃を与えたが、彼らには何も与えなかったと言っていた。どの問題も、特に難しいというわけではなく、その解決に時間がかかるだけだった。「10㌧のービン銃薬をラカグに送る」という命令出すのは簡単なことだった。しかし、エスペランサからタラカグまで、道路はない。人手は島最も安価で富な資源が、1日2回食事をするとして、往復で1.2百を用意しなければならない。エスペランサでは、そんな量の食料は一度に手に入らない。2週間の行軍のために各自が食料を運んでくることもできた。あるいは、行軍線上のバリオに命令出して、カルガモとその護衛の到着予定時刻に合わせて食料を集めるようにすることもできた。このようなスタッフの事はック・ピスラーノとレックス・レイエスに任せていたが、フェルティグは任務と必要性を考慮し選択肢を検討し命令出さなければならなかった。このような仕事は、フェルティグも彼の指下の誰特別な訓練を受けていない。彼はヒュー・J・ケーシー少将に送った私信で、そのことを認めていた。

トップダウンで兵法を学ぶのは問題だ。技術マニュアルもないし、頼れる旧組織もない。…々の問題は、組織化され、敵の持続的な攻撃で崩壊し、そして再編成されるという、昔から変わらないストーリーだ。…降時に戦力だった人将校がどいない、そのような将校は高齢で軟弱です。これは待ちせの三等兵の軍隊です。しかし、時には農民や靴磨き少年だった者が、戦争責任を負い、その力を発揮する機会を与えられるのは、素晴らしいことです」。

兵法

上から目線で兵法を学ぶというのは、確かにその通りだ。ゲリラに参加した時、兵士になることがアグサン沿いのバリオ位を調べたり、木を切る速さを調べたりすることだとは思いもよらなかった。フィリピンの広葉の多くはケイ素を多く含んでおり、を持った一団が厚さ2㌳の木を1本切り倒すのに4日を要することもしばしばで、合理的な計画を立てなければならなかった。来週、もし大雨が降ったら、タラコゴンより下の川には本の丸太が積まれるだろうか?もし雨が降なかったら、ワロエにあと何本のバロトを集めなければならないか?

マッカーサーが言った「将来の必要性に備えて武器を貯蔵する」という言葉は、ある意味で不吉なものだった。ゲリラ部隊は、日本軍に対抗できる新しいフィリピン軍を作るためのものだとしか思えなかった。マッカーサーは、ミンダナ米軍を上陸させ、正面から攻撃するつもりだった。重装武装したゲリラ部隊日本軍の後方を攻撃するのだ。このような訓練を全く受けていない。フェルティグはケーシー将軍への手紙の中で、この戦略の拠り所となる大前提の虚偽性について述べた。
フィリピン人は開攻撃には耐えられない。戦闘ができない。優れた将校のいる小集団なら可かもしれないが、一般的にはそうではない」
 もう一つの誤った前提は、フェルティグが部隊を移動させることができるということだ。仮に物理的に部隊を移動させることができたとしても、いったん移動させた部隊が戦うは何もな。フィリピン人が待せ戦闘員であったとしても、それは自分のバリオのためであったに過ぎない。
 フェルティグは苛立ちをあらわにしながら、現の現目を向けた。今日、彼は20ミリ自動小銃と50口径機関銃を持っていた。重火器で武装したザパンタアテナとワルド・ネベリングのソー・ホワットは、装甲を含む日本軍のどんな進にも対抗できるだろう。日本間貿易を急襲し、アグサンの河口を保護することができた。ザパンタは壮大で芝居がかっていたが、大胆不敵で進取の気性に富み、ネベリング帳面で底した硬ドイツ人であった。本部はネベリング問題をどう解決するのだろうか。結局、彼は敵国人であり、厳密にはまだアメリカの捕虜であった。しかし、フェルティグはこの幸運な兵士アメリカ陸軍の任務を与えた。

 フェルティグは、ナルホルが持ってきたマッカーサーサイン入りの写真を不機嫌に見つめていた。

デタラメを送ればいいんだ。いかに素晴らしいか、いかに感謝しているかを伝えればいい

フェルティグは的を達成するためお世辞を言う用意はできていた。フェルティグは将軍手紙を出した。

「あなたのサイン入り写真は、残り少ない懐疑論者を説得する努力に100万ペソの価値があります、…みんな見たり触ったりしたがるので。第10軍管区と職員は、物資の量に感謝しています。これからも物資がどんどん届きますように。人の下士官兵で、私の委嘱を受けて実際に将校として働いている人たちに、徴兵制を敷いてもらえないでしょうか?彼らは私のもとに留まり、確かにその功績を認めるに値する。これが認められれば、私の問題の多くは解決されるでしょう。彼らは、送還の機会を与えられたとき、自ら進んで残留したことを思い出してください。シリアルナンバーを発行し、将校の給与を保することで、彼らは戦時国債を購入し、家族を養うことができるようになるのです... 」

ロトーを奪われた漁師に補償金を支払うよう命じたり、マニラフィリピン傀儡政権内の政治的駆け引きに関する諜報活動の見積もりを読んだり、化学課にキナ皮のキニーネへの変換の進捗状況を問い合わせたりと、仕事を続けていた。彼は、新カービンは近距離ではかなり正確だが、ジャムる傾向があり、弾丸は小枝や藪を打ち抜くには重くないという報告を研究した。ゲリラが好んだのは45口径のトンプソンか、30口径のブローニング自動小銃である。フェルティグはこれらの情報を、できる限り自分の部隊に供給する計画に当てはめバランスめようとした。

日本軍の増強

ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)

1943年12月下旬、日本軍はカガヤンからパンギル湾のふもとまでのラナオ海岸のいたるところで討伐を行った。ヘッジスが線機や物資を守る暇はなかった。ボウラーたちは、かろうじて包囲網から抜け出すことができた。ヘッジスは食料の育たない山のジャングルへ、補給線も切られ通信も途絶えた。

12日本軍はミンダナにいる人や人を助ける者は処刑するという布告を出した。特に人や人のゲリラを見つけると、日本軍は直ちにその者を処刑し、斬首した。公共の場には、に刺された首のコレクションが生えるようになった。

日本の第16師団は、ミンダナ治安の乱れを飢餓に起因するとし、「トウモロコシが不足すると、人々は食糧事情を過剰に心配するようになる。住民の間では、それが一日の要な話題となる」。オザミス上院議員はパーソンズに、闇運営する中国人商人を一袋1000ペソで値付けしていると語った。日本軍政は、隣組を通じての再分配を行うことで対抗した。また、労働者には15ペソ1袋を支給しており、これは戦前5倍の賃金であった。オザミスは、この「ミッキーマウス・マネー」を価値なものだと言った。「闇で何か買おうと思っても、買うものがない。インフレがどんどん進んでいる」。

インフレの加速

 日本軍戦前フィリピン通貨を違法としたが、200ペソ軍票を浮揚させ、さらに毎日印刷しインフレを加速させた。
 ケソンが通貨の印刷を許可したゲリラ地域のみ、物価が抑制された。「非占領区ではインフレが起きないだけでなく、闇け話もない。上限価格は厳格に維持され、この状況を利用して利益を得ようとする者はゲリラの長に取り締まられる」パーソンズは報告した。

マッカーサーは、インフレを促進させ日本政権にダメージを与えようとした。パーソンズは、最新のフィリピン軍票の見本を持ち帰り、偽造した。194312には、彼はさらに50ペソの偽札を流通させた。末までに、ワシントンゲリラの活動資金としてさらに1000ペソの偽札を交付した。しかし、戦後のある研究は、1,000ペソ日本軍が印刷した膨大な量の軍票べれば 「バケツの一滴」にすぎず、フィリピン経済システムには何らを与えなかっただろうと摘している。

ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

日本軍の増強

年が明けてから、ミンダナのいたるところで日本軍が動き出しているようだというニュース、カミギン日本軍が近づいているという海岸監視員の報告、原田次郎中将(44年6月に第100団長になる)が任命され、対ゲリラ訓練を受けた師団を率いミンダナに向かうというマニラからの報告。フェルティグは知らせを豪州に伝えるだけであった。日本軍の援軍はダバオに上陸していた。

日本軍が駐留していた町で、店のオーギュスタン・ピカルと妻のフアニータは、朝食をとっていた。日本軍が店を取り囲んでいた。フェルティグの情報に報奨金を与えるというポスター中に何者かが破り、軍官はがやったのか知りたがっていた。店とその妻は、軍部の一室に入れられた。ピカールは縛られ、フアニータは拷問され悲鳴を上げた。ピカルは気を失った。蘇生したとき、通訳が尋ねた。
看板を下ろしたんだ」
先生先生、私は知りません!」ピカルは、まったく本当のことを言って泣きじゃくった。「ああ、先生彼女も知らないんです。ああ、先生、あなたは大きな間違いを犯しました。ああ、先生、神の前にひざまずいて......」
通訳が合図をした。兵士たちは笑った。自分の叫び兵士たちの笑いとフアニータの悲鳴でがいっぱいになり、通訳は、ピカルが満足のいく答えを出せないたびに、フアニータは言いようのないの歓喜を味わうのだと説明した。ピカルは必死に丘の上にいる安全なはずの男の名前を叫んだ。
「ああ、そうですか」と通訳が言った。

ホイットニーの対応

 この、ホイットニー大佐マッカーサー将軍のためにフィリピン日報を作っていた。彼はフェルティグの追加写真依頼に応じた。
「C-in-Cマッカーサー写真に対するフェルティグの評価は予想通りであり、それは間違いなくナルホルがもたらした最強武器であり、モロ人の統一的支持を得る上で計り知れない価値を明するだろう」ホイットニーコロラド州のメアリーフェルティグに写真の複製を送るというフェルティグの要を承認した。
 だがフェルティグの繰り返し米ゲリの徴兵嘆願を読むと、これを不承認にすることを提案した。
「この人たちが本へ送還されることになれば、入隊資格のある送還者に関して大きな問題を抱えることになるだろう。フェルティグの所では、本送還された部下は、こちらに到着すると下士官兵の身分に戻るとのことだ。下士官生活に戻ることは、彼らにとって好ましいことではない。そのため、このような知識は、フェルティグの地域の士気を高め、そこにずっと留まりたいという気持ちを起こさせるのに役立っている」
 こうし些細な問題を処理した後、ホイットニはフェルティグのメッセージの残りを深く考えてみた。日本軍の活動は、ザンボアンガ、ミサミスオクシデンタル、ミサミスオリンタル、コタバト、ラナオの各州、そして海岸沿いの至る所で活発になっていた。ヘッジス大のラジオは放送されなくなった。フェルティグは、日本はゲリ船団に対するパトロールを強化していたので、ナルホル号を使ってウィルソと海無線機、造幣局をアグサン州に運ぶことを提案した。ホイットニーにとって気になることであった。
フェルティグは、機動性の高い防衛から離れ、一つの部に集中しすぎているのかもしれない。期の救援を期待しないように警告すべきだ」
 ホイットニーは、海軍には自由に使える潜水艦が複数あるという考えを、フェルティグに思い留まらせるよう提案した。また島中無線を移動させるためにナルホルを危険にさらすこともできない。ナルホルの次の補給任務で、フェルティグに海軍の通信機の複製と印刷物を送ること、そして、「フェルティグの物資の使用は通常の業務に限定すること」という警告を送った。 

日本軍の攻勢とアグサンでの飢餓

ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)

 アグサンではが長く降り、人々はこれほど洪水食料の少ない季節は記憶にないというほどであった。ダバオに上陸した日本軍の援軍は次々と押し寄せるようになった。日本軍は新兵を投入し、北西部海岸沿いと、を二分するセイヤー・ハイウエイに広がった。日本軍のパトロール隊はの路上で人を拷問することもあった。日本軍は悲鳴を聞きながら十分な情報が得られるまで、断片的な情報つなぎ合わせていった。恐怖は広がっていった。
 フェルティグは日本軍の残虐行為が増えているというニュースを憂慮しながら聞いていた。
「まあ、いいじゃないか。もし、ジャップが博義者を責任者にしたら、々はどうなるんだ?。もし彼らが私たちに協力すれば、ジャップは彼らを捕まえる。もし彼らがジャップに協力すれば、々が彼らを殺すか、情報を流しジャップが彼らを殺すように仕向ける」と、彼は怯えるエバンスに言った。
 暴力からより深い暴力へ、ラジオを聴くと死罪になるが比人はラジオがあ家に集まってきた。彼らは、最初は英語で、次にほとんど理解できなタガログ語で話しかけてく耳を傾けた。ロシアで勝ち取った大勝、フラン空も順調で、百機もの米軍機が何千㌧もの爆弾を失敗なく投下したらしい。イタリア戦闘計画通りに進んでいる。南太平洋では、マッカーサー軍がソロモン諸島ニューギニアで進撃し、ラバウルを8機で攻撃し23隻の日本軍艦を撃沈している。露ニューギニアがどこにあるか知っている少数の人にニュースは悲惨なものであった。ロシアでもイタリアでもドイツ軍と戦っている。々の友人マカリオニューギニアで攻撃しているのは良いことだが、見ろよ、日本軍豪州のすぐ近くまで来ているじゃないか。そうだ、人はフランス爆撃するために何機も飛行機を送るが、ラバウル爆撃にはたった8機しかない。チッ、戦争は長引くし、々には援助も来ないかも」
 しかし、ラジはゲリの英雄的犠牲は忘れられないだろう、そして米は独立を与えること誠実に証する、比人に約束した......。それ以上誰も聞いていない。
 あるフィリピン人は、「彼らは私たちから手を引いている」と叫び「助けられないと言いながら 残酷な運命々を見捨てるのだ!」。「独立なんて、出だ!」と悪態をついた。

 ブスラン・カラウは忠実にメッカに向かって身をかがめ、アッラーにむかって何世紀も前の言葉を繰り返した。それが終わると、中断していた読書に戻った。それは日本の宣伝将校平松少佐手紙で、彼は本土さえ、帝国日本飛行機によって何度も爆撃され、現在ヤンキー憂鬱生活を送っている。々は神の崇高な願いに従って、ラナオを建設し、この地の人々を高め、彼らもまた幸福で満足のいく庭を築くことを望んでいるのだ。だから々は握手をして、ラナオ州の向上のために協力しなければならない。ダンサランに来てください」。
 モロ族のダトゥブスランは、必ず返事を出した。日本人が平を申し出るのは、攻撃の意図がある、ブスラン早期の警告をありがたく思っていた。ブスランは、日本の招待を正式に受け入れ草稿を書いた。
臣民とされた朝鮮満州等の運命を知らない者がいるだろうか。…々の実の男性女性子供を殺し、略奪したを焼いたことの代償を払わせるために、ここにいる間、
軍隊に全な休息を与えぬ。方方ジャップは多くの人々を殺し略奪し数を燃やした。…々もまた、最善を尽くす。…々はニップスと同じくらい大胆な殺し屋だが、ちゃんとやっている。々の待ちせは、少なくとも殺しが悪いことだと教えてくれるだろう。そうすれば モロ族に敬意を払い... 戦いを続けることができるだろう。と握手することはできんぞ、ラナオ周辺にいるお前と部下が正式に降しない限りな。私は、神な書物であるコーランに、が死ぬまで戦いを止めないことを誓った。だから、生きているジャップには、どんな方法でも殺さずに会いたくないのだ。…方は米国民に多くの攻撃をしてるが、それらはすべて偽りだ。々は、方方よりも彼らをよく知っている。彼らの滞在は、人、特にモロ族にとって恵みであり、戦争前の々の状況は、フィリピン民族を他のと同じレベルにまで向上させようとする米国の慈悲深い態度の説得力のある拠となった。マ将軍隊が解放しに来るまで、あるいは来なかったとしても、物とでジャップを楽しませるために最善を尽くし、方の短いラナオ滞在を生き生きとした興味深いものにしよう。なる友よ、今はフィリピンのこの特別な場所で、偉大で最強日本帝国軍、サムライマラナオ戦士ファイティング・ボロ大隊の運命を決める最高の試練の時代なのだ。々は、米国が補償をするかしないかにかかわらず、圧倒的な不利な状況で戦い、死ぬ準備ができている。君の友人であり敵であるブスラン・カラウ官。」
 モロ族にとって、この戦争はまったく満足のいくものだった。

日本軍ブトゥアン攻撃

明け前に部隊は上陸し、正午までに、日本軍のパトロール隊は移動し、軍艦はブトゥアンのドックに荷を下ろしていた。
 、日本軍はブトゥアン速かつ無造作に移動していた時、マクリッシュは "発射!"と言った。陸軍の37ミリは、WW1戦車を止めるために設計され、スペイン内戦では惨敗した。しかし、ゲリラにとっては巨大
大砲であり、日本軍にとっては驚きであった。マクリッシュは、日本軍をブトゥウンに吹き返した。その時、日本軍航空支援を要請した。一方、ワルド・ネベリング装甲軍艦がアグサン河口に向かっていた。
「サー、々は今すぐ旋回しなければならない」ネベリングは、トニーの不安な気持ちを理解した。日本軍が来た時、トニーパイロットとして日本軍に仕えた。しかし、捕虜にしたゲリラはそれを信じず、彼をあごまでに埋めて、死ぬまで太陽と渇きと陸ガニとにまみれさせた。幸いなことに、フェルティグのロバート・スピールマンが、の中からまだ生きている頭部を発見して話しかけた結果、トニーは掘り起こされ、ゲリラ海軍として採用されたのである。
 ネベリンはバンカを陸に向けて大きく水させ、アグサ川の河口に到達川に入った。星条比国旗を掲げたソワット号は、流れに逆らって進んだ。ネベリンはアジアに
20代前半からいたが、アジアでは戦争になると民は逃げ駄な情があった。3日前フェルティグは、スリガオのゲリラの軍需品を受け取るために、ブトゥアンへのソワットを命じた。しかし、彼らはブトゥアンには到達しなかった。二人のぼろぼろの少年が叫んだ。「ハイ!ヒンディ!、レンティー!、プレンティハポン!」
ネベリングは即座にを切った。軍隊を積んだ日本の汽路を上ってきた。どちらのも発を待たず弾が炸裂、日本軍マストが崩れ落ち、ライフルの発射音、ソワットの重機関銃は音をかせていた。ソワットは縁を汽を追い越して下流に向かったが、汽は追撃、日本軍は甲撃し、ソワットの右舷首に命中した。2隻のゆっくりと撃ち合い、飛行機が来た。しかし、飛行機は眼下のにも気づかず、ブトゥアンの方へを切った。5時ちょうどに、ソワットが再び河口へ向きを変えに乗って外へ出て行った。
 ネベリングが見た飛行機は、アグサン緑の濃梢を低く飛び、マクリッシュが大砲を構えるゲリラの防衛線に飛び込んで、撃ちまくった。また、双発の爆撃機が空を旋回した。爆撃機の遠くの音は、フェルティグが新し令部で働くタラコゴンでも感じられた。

フェルティグのタララゴン本部

 タラコゴンは、トタン屋根の木造教会と、ヤシやバナナの間に隠れた、そしてセメントでできた2部屋の校舎で構成されていた。この校舎がフェルティグの事務所だった。洪水で荷が不足しているにもかかわらず、フレッドバーニーとセシルウォルターは、日本軍が現れる前に下流の物資をすべて撤収することができた。マクリッシュはヴィトスで戦線を維持していた。ブトゥアンにもエスペランサにも日本軍が見つけるものは何も残っていなかったし、タラコゴンに彼がいることもまだ知られてはいなかった。フェルティグは運が向いてきたと感じた。ネベリングに警告する手段がなかったのは残念だったが、ネベリングがブトゥウンで受け取るはずの軍需品が、日本軍が到着する前に事に運び出された。校舎の中は、の焼けるいい香りが漂っている。は縁起物だ。「サー、私たちフィリピン人を助けてくれるのは、あなたとアメリカです」とテニエンテは言った。それはタラコゴンに残された最後の動物で、村人たちはまるで生贄げるかのようにフェルティグにそれを渡した。数日ぶりににする新鮮なだった。
 騒音が皆に襲いかかってきた。
爆撃機は低で高速で近づいてきて音がいた。エバンスは走り回り墓地逃げた。ウィーラー中佐は地下室に身を寄せた。2本爆弾大地が揺れ動いた。そして、飛行機は消えていった。
「なんてことだ.... 見てみろ」エバンスは、頭を上げた。
「何?」ウィーラーは虚ろに校舎の残骸を見つめていた。建物は引き裂かれ、吹き飛ばされた書類が散乱していた。そこにはまだテーブルに座っているフェルティグの姿があった。フェルティグ豚から顔を上げた。奴らはとんでもないことをしたんだ。でも、まだ食べれるよ」
二人は校舎の廃墟に入りテーブルに座って、フェルティグがを切り分けるのを眺めていた。ペドロは何も言わずに再び現れ、フェルティグが盛った皿に給仕をした。

日本軍の侵攻

 毎日日本軍飛行機がアグサン沿いの町を次々と襲っていた。その戦術の堅実さで、日本機はいつも同じ時刻にやってきて、下流の町から順に攻撃してくる。爆撃のためみんな町を出て、すぐに戻ってくる。ただ一つ違、日本軍は1日に2回やってくる。しかし日本軍歩兵はブトゥアンから上流へど動かなかった。フェルティグは、マクリッシュの指揮官としての資質を疑っていたが、ここにマクリッシュが何日も日本軍を抑えている。戦闘導者としてのマクリッシュには何の問題もなかった。
 1月近く戦争は止まっているように見えた。ミサミスでは日本軍の活動は停滞しており、ボウラは農業プロジェクトが進展していることを報告した。実はマ元帥の帰還に備え、フェルティグが米軍機用に準備していた着陸帯だったのだ。ラナオのヘッジスから3月ぶりに直接連絡があった。日本軍の攻撃無線機を失ったが、ザパンタがどうにか新しい機材を持ってきたのだ。ネベリングも良い知らせがあった。スリガ海峡を回り、2隻の日本軍の船を撃退した。翌日、ネベリングはポートラモン港に近づくと、さらに2隻船から攻撃を受け、今度は1隻に火を放ち、もう1隻は逃走した。飛行機から攻撃を受けが、ドイツ兵は20ミリでこれを撃墜した。重要なことに、ネヴェリング沈没から日本軍の最新軽機を引き揚げた。フェルティグは、この計器を次の潜水艦に搭載して送り出すつもりであった。
 どの非占領地域でも、あらゆる物資が不足し島間貿易が事実上破綻しているにもかかわらず、ミンダ島では価格ラインが維持されていた。一方手が郵便局の宅配便で運ばれてきた。農民は、フェルティグの固定価格でパレイを政府に売り、政はゲリや民間人に配給した。婦人補助奉仕団は、布、弾丸、包帯を作り、男性の労働力を分担していた。

フェルティグのゲリラが崩壊

ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)

 4月中旬になると、状況はさらに好転した。日本軍川上からの攻撃は、ついにアンパロの対に上陸したが、下流のブトゥアンまで撤退したのである。ところが、その知らせは突然悪い方向へ向かった。
「彼は何をしたんだ?」フェルティグは運び屋の報告を遮った。
「そうなんです、ハポンがすぐ近くに来ていたので、彼はとても怖かったんです」
「もうないのか?すべて終わったのか?」フェルティグはそう言った。
「そうです、閣下。もうないんです。すべて使い切りました」。
 米人将校の一人が、日本軍が近づいてきたときに、マヨン号の燃料庫の燃料60㌧をすべてアグサンに投棄した。燃料を持ち去ろうとはせず、何も残すなという命令従って、川捨ててしまった。愚かさは決して罪にはならないので、処罰されることはない。フェルティグは、あの男に二度と微塵任ある地位を与えないと心に誓うだけであった。しかし、もっと悪い知らせが押し寄せてきた。
 アンパロへの最後の日本軍の攻撃で、マクリッシュの将校の何人かが怯えて山に逃げ込み、その間川ですべてが失われたと報告したのである。多くが、噂で逃げ出した。原田将軍は、フェルティグのゲリラの組織的破壊を監督するために到着したのだ。日本軍はまず、ザンボアンガ州、ミサミスオクシデンタル州、ラナオ州から部隊を引き揚げ、今スリガオ州の岸に上陸してきた。もう一つの日本軍は、ダバオ州の東岸を航行しながら、沿岸の町砲撃し、時には軍隊を上陸させて略奪と焼き討ちを行い、ポートラモンに入った。第3の日本軍は、ブトゥウンに戻った部隊と合流するためにアグサンを遡上していた。
 アグサ川が西の下流でせき止められ、日本が東のダバオからスリガオに上陸し、ポートラモンにも上陸してきたため、フェルティグは日本軍の定番作戦である二重包囲網に巻き込まれたのである。河川上の彼の位置は、潜水艦のランデブーを手配する能性がないため、全無意味なものとなった。今後、ミンダ岸で待ち合わせをし、荷物を道で苦労して運ばなければならない。日本軍上陸の知らせがポートラモン港から届いたとき、フェルティグは必死になって同港で予定されていたランデブーを中止した。ポートラモンからの最後のニュースは、ワルド・ネベリングのソワットが捕獲されたこと、ドイツ人は丘に逃げたと思われるが、確かなことは誰も知らないということであった。
 この災厄の物語とともに、本格的な爆撃が始まった。6機の重爆撃機からなる飛行隊が、エスペランサを皮切りに計画的抹殺を開始したのである。フェルティグは、ニッ・カストラーノをアグサン山脈のさらに上流に送り、ワロエに新し令部を用意させた。爆撃がタラコゴンに到着し、最初の攻撃で70発の爆弾を落とした頃には、フェルティグ令部はほとんどの機材を移動させていた。校舎は今回完全に破壊されていた。

フェルティグのゲリラが崩壊

 フェルティグのゲリラが崩壊し始めたのは、ワロエでだった。マガハットという異教徒の盗賊キリスト教徒の法者の集まりの中心地で、フェルティグは彼らを相手にパトロールをしなければならなかった。
 何も期待できない。タラコゴでタケノ主食にしていたときよりも、さらに食べるものが少ない。ワロエでは、食用のシダ類、、ココナッ竹、それにカモテかトウモロコの配な食事だった米と、カモテとココナッ殆どは、ミサミ・オリンタルを出発した荷運び人たちが120㍄を忍さらに数十㍄の山岳ジャングルを苦労して、数袋のパレイをワロエに運んだものだ。1ヵ月かかっ。フェルティグの本部が扱う大量の無線通信より、日本軍の原始的な無線探知でも簡単に三角測量ができるようになった。さらに,フェルティグが島の奥につれて,豪州との無線通信難しくなり,高くて露出した場所に重いVビームンテナを正確に設置しなければならなくなった。
 一方、カガヤン港とダバオ港には日本軍の援軍が続々と入る。

戦前日本人が1万数千人も在住し、アバカという麻を栽培していたダバオ周辺を警護していた一個師団の拠兵団と、サンボアンガを警備していた一個旅団の萩兵団が駐屯しているに過ぎなかった、そこへ南部の機動師団として、精鋭の兵団がはせ参じてきたというわけである。その頃、潜水艦張梁は甚だしく、バシー峡やの藻と消え、的地に事到着する団は極めてまれな状況であった。玉丸は、まさに運に恵まれてスリガオの事到着することが来た。…すでに、襲に対する考慮から、スリガオに集結した大な物資と兵員を分散させる作業が始り、村上中隊は東海ダンタグ集落に向かうことになっていた。
 …タゴに到着、の中央芝生の広場に、小さな教会と診療所があり、それを囲んで新羽不帰のが点々とあった。タゴの小さな小学校を宿営地に割り当てられた。…一夜明かして、出発した。タゴのすぐ西を流れるタゴ豊富をたたえて対にはっ暗な密林が続いた。…「小休止!」偵察隊は停止し休憩に入った。…その時突然、至近距離から自動小銃の発射音が静けさを破った。敵であった。…敵の射撃は猛を極め、わが方の単発小銃は途切れがちに聞こえた。…「よし、に貸せ」少尉擲弾筒を受け取ると射撃を試みた。55㎜榴弾が藪に吸い込まれて炸裂音がくと、敵の射撃は一ぱったりと途絶えた。この機に乗じて少尉は一分隊を敵の側面に進める。…敵のは急速に疎人なり、どこかへ消えてしまった。…「玉川!、ゲリ港には当分敬遠されると思っていたが、意外にくおに書かれたな」
 …山越えがうまくいって、ゲリラに遭遇することもなく、密林が切れた。そこがマリタグで、ビサヤ系の住民が平和を営み、日本軍が来ても逃げたり隠れたりはしなかった。高瀬少尉は尊重のを訪ねた。堂々として礼儀が正しかった。少尉は彼に協力を要請して、一行はそのマリタグに泊まった。
 …こうして偵察斥は終わった。結果、高瀬少尉らの所属する大隊がマリタグへ南下し、タンダグ付近には連隊の力が移駐し、ミンダナオに東海地は作られていったのである。荒木、ミンダナ戦記)

しかし、ミンダナの体内では、の領域がしく動いていた。数時間だけくなったところが、日本軍が移動するとまたくなる。日本軍の大きな基地だけが永久いままであり、周囲の土は常に顔色が変化していた。ゲリラり強く活動を続けていた。しかし、かつては裏山を自信満々に歩いていた運び屋も、今では慎重に歩を進めている。補給隊は長く危険な回を余儀なくされた。ゲリラ組織は、奇襲攻撃を受けるようになった。の文民政府は機していたが、手刷りの現金は不足していた。中国商人が、ゲリラへの信用供与を拒否しているという報告が不吉なものであった。フェルティグは、疲労が襲ってくるのを感じたこの時、マッカーサー部はフェルティグの通信を処理していた豪州オペレーターを新しい担当者に交代させた。新しい通信士は1分間に10個の暗号グループしか受信できないため、フェルティグの通信士は一度にそれまでの3倍も長く通信しなければならず、重な燃料を浪費し、日本軍が位置を把握する時間を与えてしまうことになった。
 日本の爆撃機がワロエに来たときエバンスはかなり深刻だった穴の中が安全だなんて、もう言わないでくれ。私はあれが怖くてどうしようもないんです」。フェルティグは、エバンスの職務を解き、ブトゥアンの北にあるカドバランに行かせた。そこでサ・ウィルソが海軍の通信を監督していた。ウィルソ無線が故障していた。
 エバンスのいなくなったフェルティグは、以前にも増して孤独を感じるようになった。物資が途絶え無線油の減少と磁石線の不足で深刻な脅威にさらされていた。日本は東岸の他の自治体もすべて占領しており、ビスリックに進駐するのは時間の問題だ。その前にミサミスにいるボウラにゲリ指揮を移すことができるかもしれない。しかし、自分が作った組織を手放す気にはなれなかった。自分より有な人間がいるとは思っていなかった。彼はますます自分の中に閉じこもり、何時も持ち歩いている2冊の本、「リシュリューの生涯」と「風と共に去りぬ」の再読に充てた。スカーレッ・オハラのようで「今日、考えるに値しないことは、明日考えることにしよう」。フェルティグは、潜水艦が運んできたメアリーからの手紙も何度も何度も読み返した。もう潜水艦は来ないし、手紙も来ない。

コーストウォッチャー、日本艦隊を連絡

ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)

 ジェラルドチャップマンは、丘の上に一人で住んでいる栄養失調で衰弱した23歳の沿監視員であった。毎サンバディーノ峡を見下ろす食崖まで歩を進めた。6月のある、彼は届いた知らせで体調を崩した。チャップマンの山の中のラジオ小屋から、イロシンに住む少女手紙を運んでいた使者を日本軍が殺したというのだ。
 チャップマンは、疲れ果てて張り台に座り、サンナディー海峡空虚を見つめていた。西海上に影が見える。双眼鏡で西平線目をやった船だ!軍艦だ。こんな艦隊は見たことがない。駆逐艦。その背後には巡洋艦の姿があった。巨大な戦艦の後ろには、たい空母が控えている。チャップマンは言った、「神よ、らの兵士を助け給え」。は、日本軍航空機エンジンの音で割れ、艦隊の前を掃射しているのを彼は見た。
 最後船が通り過ぎると、チャップマ無線小屋に駆け込んだ。メッセージを作成した。これは、ミンダのフェルテ令部まで飛び、豪州まで、真珠湾の太平令官まで、そこからワシントンまで、フラッシュラインに対する緊急事態であった。チャップマンは長い間送信し続けることで、日本側に自分の秘密基地を突き止める機会を与えることになろうとも、気にしなかった。「BALLS PD」とラップして、コードフレーズの最初の単語を送信した。メッセージは、そのフレーズの始まりと終わりの言葉の中にあるのだ。

日本海軍の艦隊は2隻の小哨戒機からなる CMA 11駆逐艦 CMA 10巡洋艦 CMA 3戦艦 CMA 9航空母艦 PD NR 3 西CMAから5つのPD 最後の通過したのは、長さ1・2・4度9分、遅さ1・2・3度4分、速さ10・2・9度で、PD 最初のはr ir -にいた。rLEN NIL FIVE PD DETAILS NEXT MSG PD OF FIRE

最後に撃された東 北東方向へ この順番で進む コロントロールボート2隻 CMA駆逐艦2隻 CMAアタコ巡洋艦2隻 CMAモガミ巡洋艦2隻 CMAトーン巡洋艦2隻 CMA駆逐艦2隻 こんごう戦艦3隻 空母1隻をリピート CMAナハト巡洋艦2隻 駆逐艦2隻

空母3隻、駆逐艦2隻、空母3隻、駆逐艦1隻、戦艦長門級1隻、巡洋戦艦トーン級1隻、航空護衛付き東進、サンベルナルジノ通過後、は散開しPDを行った。

やっちまえ。しかし、何をもって?。ワルド・ネベリングバンカと?貨物を運ぶ潜水艦ナルホドと?ザパンタアテナとその自大砲で?これらは、チャップマンが何年も見てきた一の連合であった。
 チャップマンが見たものは、マリアナに向かう日本艦隊のフィリピ海への出撃であった。しかし、マリアナで何が起こっているのか知らなかったし、米軍の旗艦中がチャップマのメッセーを提督に渡し、提督はそれを読んで深く満足し、「承認する」と言うだろうとも思っていなかった森の中道を登っていくと、ま船が見えてきて、戦争はいつまで続くのだろうと思った。

ピンチ

 エバンスは走っていた。小川から飛び出した裸の男たちを追って、20人以上の日本軍が走ってきたのだ。ハンソンが機関銃を構えると、口がを巻き上げ、日本人に倒れこんだ。彼は小の上にある3人の死体を観察した。「出よう」死体にも、捨てられたライフルヘルメットにも、も手を出さなかった。日本軍パニックは長くは続かず、日本軍が戻ってくる。
 一週間後。
ラリー逃げられたよ、彼らは私を一掃した。たちは逃げなければならなかった。すぐそばまで走ってきた。ラジオも何もかも失ったよ」
「今、伝えましょう」エバンスが言った。彼は携帯していた携帯トランシーバーの梱包を解き、マクリッシュの本部に電話してカババランニュースフェルティグに伝えた。
 同じ頃、ミンダ島の北の方では、ワルド・ネベリングらはコンパスを頼りに東の山を登り、フェルティグの地域に到達しようとしていた。ネベリングの隊列は3日間空腹で行進していた。カルガモがネベリングに「もうだめだ」と言った。「できる限りのことはする。あなたの苦しみを終わらせるために、あなたを撃つ」とネブリングはピストルを抜いた。「ああ、出航だ!。"I suffer no more !」
ネベリングピストルホルスターに戻しながら言った。「さあ、ゆっくり休んだら、行こう」カルガモたちは立ち上がり、耐え難いほどの荷物を背負うと、再び山の斜面を苦労して登っていった。

ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

44年4月になると、ミンダナには日本軍の援軍が押し寄せ、敵の官は米軍の侵攻を前に、ゲリラを一掃する計画を立てていた。物資を絶たれ、ブキドノン州の不毛な高地に追いやられたフェーティグたちは、絶滅危機に直面していた。しかし、8月米軍爆撃機がミンダナ襲し始めると、日本軍は内陸部から撤退して海岸の防備に専念したため、ゲリラの大部分を再び支配することができた。U.S. Army Special Operations in World War II)

空母機パイロットの救出

チャップマンは、日本軍飛行機の動きを報告するが任務だ。その音は、まったく聞き覚えのない「ジャップじゃない!」4機の飛行機が頭上を旋回し、見たことのないマークがあった。

チャップマン線小屋に駆け込んで、AT TWELVE FIVE EIGHT SAW FOUR US RPT US DOUGLAS DIVE BOMBERS GOING SOUTHEAST PI ) NR ONE THREE X WHOOPEEと送信する間、若い海軍少尉必死グラマン戦闘機天蓋を引き返し、燃える飛行機から頭から転げ落ちた。数分後が近づくと、彼はパラシュート・ハーネスから身をよじらせた。あと数㍄違えば、山の中腹でにぶらさがっているところだった。
 、チャップマ興奮気味にTHE AID PD BETWEEN SIX ONE FOUR HOW AND SIX THREE FIVE HOW TIME ONE TWO SEVEN US RPT US PLANES PASSED OVERHEAD GOING WEST PD TWO PLANES DIVED AND FIRED AT UNSEEN OBJECT NEAR BULUSAN about SIX FOUR FIVE now PD IS HERE. とレポートしていた。救出されたパイロット空母に戻り、新しいカーキ色のを着て、ブラックコーヒーを飲みながら、航空情報将校にその時の様子を話していた。
 「水から5分後に救出された。カヌーに乗った時、彼らは私に与えるものがないのが残念だと言い続けた。私の命を救ったのに米人のところに連れられて草ぶきの小屋無線機を持っていたんだが...」
 航空情報部員はうなずいた。ゲリラを通じ救助パイロッを空母に帰還させる手配がされていた。パイロットは、日本軍が3年近く支配していでゲリラが盛んであることに驚いたと語り
 「私は再び戻ってきたとき、すべてが燃えていた。マリアナ島のように、また七鳥の撃ち合いになった。途中で対空砲火を受けたのは運が良かっただけだ...。」
 ハルゼー提は情報将校の報告に熱心耳を傾けていた。ルソ島を襲った空空襲は、チャップマンが東に邁進していると報告した日本艦隊を撃破した結果であった。ゲリが墜落した飛行士を救出したことに感銘を受けたハルゼーは、日本の航空戦力の弱さを痛感し、すぐに真珠湾に自分の考えを伝える。 

 フェルティグもエイドだと思った。しかしマッカーサーが最も近いフィリピンからまだ900㍄以上離れていることが明らかになると、希望は絶に近いものに沈んだ。しかし海軍がここまで来れば......。
「もし、航空便を使えば、荷物を山から運ばずに済む。潜水艦に会う心配も、や小を使う心配もない。ジャップをかわして、どこにでも投下できるようにすればいいんだ」
日本軍はワロエから続く小を一つ除いてすべて封鎖していた。からの降下でフェルティグは山中に存在することができる。
「ただ、必要以上のものを要するように。政府機関と同じだ。5㌦を要求れば笑われるが、500億を要求すれ小切手をくれるだろう」とウィーラーは注意した。

南西太平洋最高部では、チェンバレン少将フェルティグのメッセージ読み上げた。

「このままジャップをかわす方法を続けるなら、々の線は深刻な妨を受けることを予期しなければならない。ブキドノンの地に移動して、敵の侵入の可性を最小限に抑えているが、地域に食糧がないため、輸による物資の供給が必要である。単位で必要な最低限の物資、食料:2,000㍀の脱水果物、野、加工肉、、調料、コヒー、紅、米。同量の消耗品:バッテリー、追加装備、交換部品、メンテナンス部品、士気高揚品。ガソリンまたは燃料油。所は、北緯08度02分、東経125度30分の地点で、降下地点として十分な広さがある。無線物資ダバオ、アグサン、スリガオ、ブキドノンの各州と、必要ならミンダナオ島西部小道で配給だ」

チェンバレン将軍は最近ワシントンから太平洋に到着したばかりで、フェルティグのメッセージの至る所に誤りがあることが分かった。「大佐メッセージは、現実的な事前計画を示していない。でなければ、準備を整え、広く分散させ、いかなる緊急事態に対しても備蓄していたはずだ。推奨行動。なし」。

フェルティグ本部、飢餓に追い詰められる

ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)

「なし?」フェルティグは、ウィーラーから渡されたメッセージ見つめてを上げた。「からの投下はないのか? 1機の爆撃機に1㌧の料を積んで送り込むこともできないのか?」
 モンゴメリ・ウィーラー中は潜水艦から派遣された海軍情報将校で、フェルティグは参謀長として側に置いていた。彼の懇願に対する答えは、まず「給気不可能」というものだった。続いて3つ指示があった。発電機の燃料を節約するため、メッセージは最小限にすること。日本軍に捕まらないようにすることで、本部の破壊を避けること。
 「そんなの馬鹿げてる。どうしてこんなバカなことができるのか......」フェルティグは言った。
 豪州で最近あっ唯一の良いニュースといえば、マ元がフェーティグ人部隊に勲章を授与することを自ら確認した、というものだった。マッカーサはバターンやコレヒドールで仕えた将校のことを決して忘れず、ホイットニの徴兵拒否の提案も却下した。しかし本部はミンダナオの状況を本当に理解しているのだろうか。日本軍の増援が4月に2万4千人、6月に5万人と殺到、ボウラーはミサミスで再び窮地に陥り、チルドレはダバオから退却、ネベリングは丘陵地帯に隠れ、エバンスは姿を消していた。日本軍はワロエに確実に近づいていた。食料が10日分もない。

ローゼンイス

SWPAは捕虜を助けようとした。1943年7月ダバオを脱出したスティーブン・メルニクはワシントンへ連れ去られ、敵の手に落ちた米国人捕虜を助けるための秘密組織MIS-Xに尋問した。メルニックはSWPAに戻り、12月11日ダバオとカバナトゥアンの連絡先開拓に関する覚書をG-2に提出している。
 2にMIS-Xのハロルド・A・ローゼンイス中尉がSWPAに配属され、ダバオ収容所に行くことを了承したが、G2に止められた。ホイットニー3月26日フェルティグの縄張りに侵入することを恐れたPRSの反対を押し切って、ようやく彼の任務を承認した。一ヶ後、PRSフェルティグに、ローゼンイストが「軍の捕虜支援計画における顧問として行動するため、軍の一時任務に就いた」と通告した。SWPAは、3月1日フェルティグが同じくダバオ脱走兵のロバート・スピールマン中尉を捕虜との連絡に当たらせていたことを知らなかった。スピールマン3月19日に捕虜と連絡を取り、わずかな物資を渡したが、その8日後に看守に発見された。マーク・ウォルフェルト大尉は、10人の捕虜を率いて必死の脱出を試みたが、パトロール隊に捕らえられ、4人が厳重な処罰を受けた。
 ノーチラス号は6月1、ローゼクイストをトゥルクランに上陸させ、中尉はカパタンガンのクラロ・ラウレタ少のゲリラ本部へ向かった。ラウレンタは、7月23日に彼をフェルティグ令部に連れて行った。

 その日の午後、ボウラーからメッセージがあった。ミンダナ南部のコタバト海岸で、2週間前に予告なしに潜水艦が浮上したという。5人の男がゴムボートを漕いで上陸、幸い海岸ゲリラに出会い、ボウラーのところに送ってもらった。そのうち4人は陸軍航空隊の下士官兵(気観測員)で、自動小銃ピストル、短剣、山盛りの非常食、そして商売具の特殊な温度計を持って上陸してきた。5人ハロルドローゼンイス少佐で、彼は情報将校であること以外、何も語ろうとしなかった。
豪州ローゼンイストという人を知らなかったか?」。フェルティグはウィーラーに尋ねた。「いや、知らなかった」
「ボウラーメッセージを送ってくれ。気関係者の武装を解除して、使える人間に引き渡せ。気の基本的な任務は妨げない。しかし、ミンダナオに報告するすべての人員は私の直接揮下にあることを理解するよう伝えてくれ。ローゼンイストは権限のないただの客員だ。本部との話し合いが済むまでそのままにしておくように言ってくれ。そして、本部へメッセージを送り、一体何が起きているのか問いただすのだ」フェルティグは締めくくった。

まあ、いいや。問題は、"偉大なる男 "の帰還を計画するために、多くのスタッフがそれぞれ独自に動いている。気関係者の到着は米軍航空活動の期拡大を予感させるものだ。諜報部員の到着は、また別の話である。ウィーラーフェルティグの部屋に戻って言った。
「本部は、ローゼンイストに必要な援助と支援提供するように言っている」。
「彼の任務は何だい?」
「彼らは言いません。『最も重要な任務であり、々は命に従うだけだ』と。」
「ここに特別任務を送り込んで、私の尻尾をつかませるようなことはさせない。だから、ボウラーにあのローゼンイストを私のところに送るように言ってくれ、彼を助けるかどうかは私が決める」
ウィーラーが去ると、フェルティグは屋のをじっと見つめた。日本軍は20㍄先にいる。動けば餓死、動かないでいれば殺される。もう一つの方法があった。血まみれの仕事を放り出すこともできる。もう十分だろう?。正規軍が降伏し後、彼のその場しのぎの軍隊は7千人の日本人を殺し、政府を再確立した。ミンダナオは日本の資源を耗することになった。日本軍は15万をミンダナオに投入し、抵抗勢力の鎮圧に努めたが成功しなかった。潜水艦で数㌧の物資を送った以外は、下らない指令と誤解タログ、そしてマ元帥のサイン入写真以外はほとんど送ってこなかった司令部に対、彼は十分な働きをしてきたのではないだろうか?

飢餓

 ニックカピトラーノの作業班がの中の丘に作ったキャンプ地、ブキドノンに移動することにした。線課とすべての機器を持って行き、燃料食料日本軍が許す限り、揮を執り続けるつもりだ。巨大なドリアンが、々から3m以上もそびえていた。ここで、フェルティグとウィーラーは一緒に暮らすことになる。ウィーラーがいれば、海軍ゲリラ支援を受けられる。ハウスボーイドリアンテーブルに置いた。フェルティグがそれを食べると、尿の臭いが悪臭となりウィーラーにさせた。「臭いと同じくらいおいしいよ」フェルティグは、クリーミーなスプーンですくいながら、気持ちよさそうに言った。「ドリアンを毎食出せばいい。そうすれば、々の食事は2倍長持ちする」
 手持ちの食料は10日分もない。このトウモロコシは、東村に隠してあった袋を山越えしてワロエまで運び、そこからブキドノンまで持ってきたのだ。東岸からの穀物はもうない。60日分の燃料があり、それがなくなると......。7月中はラジオを鳴らし続けたが油の在庫はどんどん減っていった。一方、ドリアンの木の下のキャンにメッセージが殺到した。
 海軍の攻撃は、日本軍を動揺させた。ゲリラにも微響を及ぼし、戦わなかった者たちは、マッカーサーが戻ってきたときに愛国者に数えられるようにと、レジスタンスに参加することを切望した。しかし、ゲリラたちは、このような新参者たちとは関わりを持ちたくなかった。その代わり、裏切り者と疑われる者を多く殺そうとした。将令は何だったのか?。この間、何とか食料を持って帰ってきたが、食料を探すのに使ったカロリーは、見つけた食料に代わるものよりも多いことは明らかであった。日本軍が、アグサ源から河口まで、そして海と幹線道路を制圧して、フェルティグを飢えさせるために丘に追いやり、彼無線空爆で破壊して満足しているようだ。

真洋丸事件

ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)

 食糧の備蓄が4日分を切ったとき、海軍の長距離陸上機がダバオ港を爆撃し始めたと聞いた。
陸上!?空母じゃない。頼むよ、モンティ海軍があのからダバオを攻撃できるのなら、なぜ々に食料を落とせないんだ?」フェルティグは叫んだ。
「私が提督なら、すぐにでもそうしますよ」ウィーラーが言った。フェルティグは黙ってその叱責を受け入れた。彼は、マッカーサーへのメッセージの中で質問を繰り返したが答えは「要理だ。とっくに丘陵地帯に食糧庫を用意しておくべきだった」だった。しかし、本部は、9月下旬にミンダナ潜水艦派遣してみるつもりだという。2ヶ先だ。このとき、ブキドノンにローゼンイストが来た。彼は、ミンダナに密かに到着してから見たものに満足し、フェルティグの線管制所に着いたときには豪州に送る予備報告書を暗号化していた。
「小道路河川をくまなく見衛兵と前部隊、各方面に精通した前線部隊の2人につきライフル1丁、弾薬15発を支給。道路封鎖、の建設、小の監視、敵の行動を遅らせるための計画を立てる。食料は多くの地域で、特にアグサン州では深刻な問題であり、衣料はどこでも貧弱である。部隊民間人も士気は高い。その点では々の旅は計り知れない価値がある。期の上陸を期待している。」
 フェルティグに紹介されるや否や、「もう長くはかからないだろう。いつになるかは分からないが、近いうちになること公然の秘密だ。後方地域の基地が閉鎖され、すべてが動き出すのだ。そして、大佐、あなたがとんでもない仕事をしたと皆が思っていることを知っておいてください」。
ローゼンイストは心から賞賛していた。フェルティグはきっぱりと言った。

それが可かどうかは、あなたの任務が現実的かどうかにかかっている。それをはっきりさせておきたい。もし、私があなたを助けないと決めたら、あなたには2つの選択肢がある。揮権を持たない参謀としてこの地域にとどまるか、あるいは、示書を渡すので、それに従うか。あるいは、私が適切と考える方法で、この部に仕えることもできる。少佐、私の領域内の作戦の判断は私が行うということをご理解いただきたいのです。さて、どうする?

ローゼンイストはついに任務を言った。
人捕虜をダバオに移動される前に、解放する」
「移動させられるという情報はない。この収容所は厳重に警備されているわけではない。私の部下12人がそこから脱走した」フェルティグは言った。ローゼンイストは、自分の情熱が戻ってくるのを感じた。2年以上も殴られ、飢えさせられた2千人の人捕虜を解放するのだ。
「何人必要かな?」ローゼンイストは熱心に質問した。
「本部は捕虜が解放されたらすぐ病院提供するのか?それを守る機動部隊は?」
ローゼンイストの顔を見て、フェルティグはその答えを知った。マッカーサー本部の計画は、歩けない病人の移動、食料品、衣料などの問題は、議論されていなかった。
「あのキャンプで何が起こっているか知っている。中には、私の友人もいる。どんな地獄を味わってきたか分かっている。しかし、私は十分な問題を抱えている。自分の身の回りのこともできない2000人の兵士を、維持することも守ることもできない、自分達を維持するのも守るのもやっとの状況下で?
ローゼンイストは何も言えなかった。
囚人たちの武装もできない。12人の男がその警備員を殺したとき、ジャップは25人の捕虜を斬首して報復した。もし、々が彼らを救出したら、ジャップは面子を守るため、人と人が発見されたすべての地域の住民と一緒に虐殺するまで休まないだろう。したがって、そのような救出は試みないように」フェルティグは結んだ。

洋丸 

 ローゼンイストはゲリラチームを編成し、8月初旬にダバオの流刑地に到着したが、そこは空っぽでしかなかった。
 この時、フェルティグもローゼクイストも知らなかったのは、マッカーサ令部が別の情源から、日本米人を台湾に移送しようとしていることを知ったことである。ドリアンの木の下にあるキャンプにその知らせがもたらされた。日本米人捕虜を貨物船倉に詰め込んだというのだ。フェルティグの沿岸監視員が、ダバオ港か船が出港するのを確認したのだ。

名不詳ダバオからサンボアンガに到着した捕虜は、ゲリラを欺くため数日待機し「洋丸」で到着した日本軍兵士と入れ替わって乗した。「洋丸」はタンカー「栄洋丸」ら6隻と団を組み、これを特設砲艦木曽丸」と駆潜艇「55号」が護衛し9月7日サンボアンガを出発。団は潜「パドル」と遭遇、魚雷で「栄洋丸」は座礁、「洋丸」は爆発で分断した。倉の蓋が飛び散り、警備兵が手榴弾倉に投げ込み、機関銃を発射して殺戮が始まった。750名の捕虜の大半は内で溺死し、外に脱出した者の大半も射殺され溺死した。座礁した「栄洋丸」の付近を泳いでいた約30名の捕虜は同に救助されたが、その上で全員が射殺された。捕虜の一人は、錨庫に隠れ錨鎖を伝って中に降り逃れた。翌、現地人は、海岸に打ち上げられた残骸や死体を見て捜索し、捕虜82名を救出した(1名は救出後に死亡)。81名はゲリラの隠れに案内され、ゲリラ豪州に連絡し9月29日潜「ナーウアール」が全員救出した。

この報告に警したアメリカ潜水艦が、ザンボアンガ海岸で輸送を迎え撃った。魚雷貨物船倉に大きなを開け、生き残った人がこのからに身を投げると、他の日本兵が機掃射を行った。この話は、ゲリラ部隊辺で半分溺れた状態で拾った数少ない生存者が語っている。戦争病気、飢餓、そして2年間にわたる日本軍の残虐行為から生き延び、ただ「救援が来る」という祈りだけを支えに、フォー将軍シャープ将軍とともに降した人々の大部分が、こうして命を落としたのである。

この知らせを聞いて、フェルティグはウィーラーを探し出した。
「一緒に行こう、モンティ散歩に行こう」
 ウィーラーは何も言わずにフェルティグの後を追った。二人は黙ったままキャンプ地を離れ、湿っ奥へと歩を進めた。倒れている丸太のところまで来ると、フェルティグが言った。
「座ろう」
二人は座った。ウィーラーフェルティグが言うのを待っていた。

もし、捕虜たちがすぐに移動すると知らせてくれていたら、何かできたかもしれないのに

 フェルティグは自分を責めた。彼は、自分が知っている将校の顔、バターンでウェイライトと共に戦い、降した兵士の顔を、記憶の中で見た。昔、7月4日にイリガンへのをパレードしていた時の顔が、浮かんできた。もしかしたら、何人かは外に出られただろうに。何か解決できたかもしれない。本部の命バカにして拒否したために、仲間が死んでしまった。フェルティグはの中の倒れた丸太の上に座り、両手で頭を抱え、まとまりのない思考に疲れていた。

モンティはもうメアリーに会えないんだろうか?たちに会えるだろうか?

 フェルティグは正座していた。にはが溢れていた。ウィーラーは、何か言えることがないかと思ったがうだめだ、と思った。が後を継ぐんだ?。フェルティグの手がウィーラーの肩に重くのしかかった。「よし、モンティキャンプに戻ろう」フェルティグのいつものがした。

 SWPAは後に、日本軍6月6日に収容所の1,250名の囚人目隠ししてダバオのラサン埠頭まで行進させたことを知った。6日後、彼らはザンボアンガ行きの商丸に囚人を詰め込み、そこからマニラ行きの洋丸に750人を乗せ換えた。米軍潜水艦 SS-256 Hake、SS-241 BashawSS-263 Paddleは、Tawi Tawiに集結しているとされる日本艦隊を迎撃するために待機していた。連合海軍から部隊の接近を知らされたパドルは、9月7日に新陽丸を攻撃した。上陸できたのは82名の捕虜だけであった。これは孤立した事件ではなかった。134隻の名の日本156回の航で輸送された 126,000人の連合捕虜のうち、21,000人が米軍飛行機潜水艦によって殺されたのである。
 戦後、G-2セクションはローゼクイストのダバオへの任務を検証し結んでいる。「ゲリラは少しの援助で、機会があるうちにプロジェクトを組織していれば殆どの捕虜を安全に撤去できたかもしれないことも、今では知られている」。

ダバオ空襲

ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)

 エバンス線機をなくし数週間前にこの山に来ていた。彼はやせ細りガイドと旅をしていたが、数日後裸のの男たちに出会った。エバンスよりもの男たちの方がはるかに驚いた。彼らは文字通り、他の人間の存在を知らないのだ。エバンスはそこで、少しずつ健康を取り戻し、簡単な医学を実践した。彼は、戦争のことを伝えようとしたが、すぐにあきらめ、南海で野生の部族に混じって暮らした。1944年9月1日、雷鳴がとどろき、裸の山の民が奮気味に呼んでいる。エバンスは木のから顔を出し、何事かと思った。その音は、ブキドノンでも聞こえた。ドリアンの下にある々から人たちが続々と出てきた。「Sair ! 。あそこだ!」「ダバオを攻撃している! 」。フェルティグは、線小屋へ飛び込んだ。ダバオを包囲しているゲリラ部隊は、もっと詳しく教えてくれるはずだ。…「々は彼らをノックアウトしている」ラジオマンは嬉しそうにささやいた。「数え切れないほどだ。こんな航空隊は見たことがない!」
 フェルティグは飛行隊がダバオに向かうのを見た。新しい航空機は、2つの胴体が共通と尾翼に結合されている。さらに堂々とした爆撃機の群れが空に現れた。1941のアメリカ陸軍航空隊を覚えていた。P-40パイロットが、航空機がないためバターンで歩兵として戦っていたことも思い出した。

 になって、フェルティグは陸軍航空軍のリベレーターとライトニングであり、130㌧の弾がバオに落ちたことを知った。当時ドイツに降り注いだ量に比れば大したことはないが、効果は絶大であった。航空機は、目を狙った。日本軍の空燃料や弾薬が保管されている家、対空砲の数や種類、設置場所までフェルティグのスパイが報告していたのだ。「爆撃機の2機が撃墜された。しかし飛び降りた者を全員救出した。パラシュートの着地までに、我の仲間は彼らを待っていた。フライボーイをどうするか?」
部隊に戻すまで安全にしておくことだ 」フェルティグは言った。ゲリラ歩兵として訓練された飛行士の命を費やすことを望まなかったのだ。
 翌日、ライトニングとリベレーターはダバオの日本空網の背後を破った。その後、ミンダ島南部では夜を問わず爆撃機リベレーターの爆響き渡っていた。ゲリラたちは、ダバオ港で9隻の日本軍艦が沈んだと嬉しそうに報告した。9月9に陸軍航空隊がさらに強力な攻撃を開始すると、新機が次々とフェルティグのキャンプ上を横切り、デルモンテの日本軍飛行場へ向かっていった。元海無線師が叫ぶ「グラマンの新種だ。グラマ翼を持っている!」。海岸監視員は、49隻の日本の船と軽警備艦の試練目の当たりにしていた。日本人のみが知っている何らかの理由で、輸船団の海をダバオに向かって上陸し、そのま空襲を受けながら海していた。日本戦闘艦はハルゼーの艦隊に向かい、沈没していった比人は何もないところから実体化するような不思議な方法で、泳いでいる人たちに襲いかかる。

日本軍の移動

ミンダナオに東海地は作られていったのである。だがその地もようやく形を整えた8月の下旬、兵団の命による配備の変更があり、せっかく築いた東海地はくずのように捨てられた。この連隊はミンダナ西部サランガニ地区への移動を命ぜられることになった。 
…兵団はミンダナオ北部のカガヤンに集結した。ここから二手に分かれて南部サランが二地区へ移動することとなった。…昭和19年9月9日米軍の敢行した荒木、ミンダナ戦記)

翌日この勝利の大きさを知った。日本軍はスリガオの軍隊を海岸から撤退させ、ダバオに送るように命じた。彼らは輸送団に乗り込み艦とともに滅亡した。湾に座礁した32隻のから逃げ出した人々は、文字通り虐殺されたと、沿監視員は報告している。ゲリラは閉じこもっていた丘から再び姿を現し、漂着したから連隊一個分の武装と日本制服を回収した。フェルティグはウィーラーに、「規則違反であることは分かっている。でも、ボロを着て半裸で歩き回るよりは、日本軍軍服を着てもらった方がましだ」日本軍の食糧も保管されていた。この戦の勝利東海から日本人がいなくなり、フェルティグが必要としていたヤシが手に入り、食料を東から探すことができるようになった。十分ではないにしても、常に食べるものを生産するのがココナツ海岸の美徳である。
 空爆は続いた。ウィーラとフェルティグは空爆開始後10日間で701 日本軍航空機を破壊し、176隻のを沈めるか不具にした、と結論づけた。
「いつ上陸するんだ」ともが知りたがった。なかなか知らせが来ない。エバンスが、からふらふらと出てきたとき、フェルティグはやっと彼の話を聞き取った。
ラリー、死んだとばかり思っていたよ。君の力を貸してくれ」
 こうして、エバンはラジオ小屋興奮の中へ案内されることになった令部からいつ、どこに上陸するかという連絡が来るのを皆が待っていた。フェルティグは、マッカーサーが最初に上陸するのは、ミンダ島だと信じて疑わなかった。しかし、その連絡は来なかった。

 ゲリラ部隊から日本軍があちこちで撤退しているという知らせが飛び込んできた。日本軍はアグサンをブトゥアンまで下り、そこでカガヤン行きのに乗った。ダバオ州では、地から急いで逃げたため、トラックや燃料、食料を放棄してしまった。彼らはイリガンを放棄して、ザンボアンガに向かって逃げ、カガヤン、コタバト、ダバオの三角地帯に作っていた防御地に35,000人の兵力を集中させることになる。戦争が始まったとき、米軍が守りきれなかった三角地帯である。
 空襲の後、信じられないような変化が起きている」と、フェルティグは日記に書いている。アグサ川は開かれ、海岸はどこでも再びゲリラの手中にあった。日本軍の後退の中で、100人中10人が待ちせで死亡した。の90%以上が、日本軍の撤退で突然ゲリラになった。クライマックスに向かっていた。スリガオからカガヤンまで、女子供を含む5千の日本人が行軍した。この残酷な行進の間中、ゲリラ行列を待ちせし、カガヤンに到着した日本人3400人足らずでであった。

帰還

ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)

 914日、ナルホルは41名を乗せ14活動に出港した。キアンバ付近で35人と35㌧の物資を降ろした後、ナルホルは豪雨と戦いながらバリンガサグ沖リラと落ち合い、3人と20㌧の物資を届けた。ゲリラ隊長のャンドラー・ーマスは、シアリ湾の海岸で担架で搬送される4人のゲリラピックアップするために潜水艦に乗り込んだ。929日、タイタス艦長は潮流、浅瀬、露出のため上陸地点が悪いことを知ったが、それでも下士官を乗せた2隻のゴムボートを出して、4名の負傷者を収容した。驚いたことに、82人の避難民が乗り込んできた。80人は洋丸の沈没から生還した捕虜であった。しかし、トーマスの言う通り、棺桶4つだけであった。過積載のナルホルは105日にミオス・ウェンディに到着した。

ある潜水艦が持ってきたトランプカジノをしながら、ウィーラーは「マカハラー湾は理にかなった場所だ」と言い、「チャーリー・ヘッジズと私は、ジャップがそこに入ってくるのを見たんだ」フェルティグが言った。「ずいぶん前のことだ。マッカーサーが上陸したら、私は辺で彼を出迎えたい。彼のために儀兵を用意して......」。「そして、彼がから降りたら」ウィーラーが言った。「マッカーサー元帥ですね。どこで何をしていたんだ?」
 しかし、その晩、ドリアンの木の下草屋でトラン興じる2人のもとに無線局舎からメッセージが届いた。内容はいたってシンプルだった。

レイテからサマーにかけての線局の管制を、上陸した第6軍の情報将校に委ねよ。第6軍総司令官宛に通信を行い、あらゆる可性を知らせよ。11月15日以降、タクロバン拠点とする水上で物資を供給できるようにする。

「さて、マッカーサーは戻ってきた」とフェルティグは言った。
「さあ、上陸だ!。レイ島に上陸するんだ!」。ウィーラーは言い放った。
「 そうだ。今さらながら......」フェルティグは虚ろに言った。

 日本軍がミンダナの孤立地域に撤退したため、フェルティグはいちくレイテマッカーサー部に出頭する機会を得た。飛行機が送られ最初に連れて行かれたのは、郵便局だった。葉巻煙草玉、シェービングローション、ライター歯ブラシ、靴、駐屯地の帽子、記章、靴ブリッツクロス腕時計万年筆などが大量にあるのを彼はぼんやりと見ていた。フェルティグは郵便局で品物を見て、欲しいものは何もないと判断した。ヘッジスへの贈り物としてヘアトニックを一本買った。重要なことは、ミンダナに非人的な援助をもたらす航空部隊ゲリラ部隊との間の適切な連絡の手配であり、フェルティグはその後の数日間、その手配に努めた。本部で彼は、今後の任務の内容も知った。ミンダナオはこの時点では再侵攻されない。作戦は、マッカーサーの部下がまっすぐマニラまでけ上がり、フェーティグはそのを固めるというものだった。そして、アメリカの機動部隊がミンダナを掃討するために派遣される。これは個人的な賛辞であり、フェルティグのゲリラがすでにの90%を支配しているという事実に対する認識だった。

ミンダナオのゲリラ戦(1945年)

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

 ミンダナオのゲリラ組織は最終的にフィリピンで最大かつ最高の装備を備えた組織になった。1945年1月までに、フェルティガ大佐揮下には約3.8万の兵力があった。線・情報網は、約70の送信所と、優れた大規模な海岸監視システムで構成されていた。GHQ には常に情報提供され、その正確さで対日作戦の計画に大いに役立った。また、ゲリラはディプログ、ラボ、ラララ、バロボに飛行場を用意していた。45年初頭の米軍侵攻で、彼らはを占領している日本軍に対して然と攻撃を開始した。

米軍上陸

 アイケルバーガーはフランクリン・シベルト少将の第X軍団を、417日に第24師団をマラバン付近に上陸させて前線飛行場を確保し、422日に第31師団をさらに南のパラン付近に上陸させてダバオへのハイウェイ1号を確保するように仕向けた。しかし最初の上陸の前に、フェルティグはディポログゲリラ飛行場からクレイトンジェローム大佐海兵隊飛行士の支援を受けて、彼のゲリラ日本軍を撃退しマラバンとその飛行場を確保したと報告した。アイケルバーガーは計画を変更し、53日までに第24師団はダバに入り、2に及ぶ熾な戦いが始まった。その日、第31師団は日本軍ダバとの連絡線の北端に到達した。アイケルベルガーはフェルティグの助言に従い、山での作戦を戦力偵察に限定し、師団を北上させた。この偵察は18日間でこの線をカバーした。第24師団は517日、フェルティグのゲリラを率いて再び攻撃を開始した。529日から、第19歩兵ゲリラ日本軍の東側地を陥落させ、615日にダバに北から南に流れるダバの東を奪取した" 日本軍100師団は、529日から退却した。第24師団は死者350人、負傷者1,615人、日本軍は死者約4,500人であった。622日、フェルティグはホルシー提督ルイス・コムズ提督ロバートカーニー提督アイケルバーガー将軍フレデリック・アーヴィング将軍らとの祝宴に出席した。彼はゲリラに対する彼らの賞賛を喜んでいた。630日にアイケルバーガーはマッカーサー日本の組織的抵抗はすべて終了したと伝えた。

援助隊が到着してからのことは、標準的な軍事作戦であった。もちろん、独立した官と遠隔地の部との間には、予想されるような多くの轢があった。あるとき、本部がフェルティグの日本軍犠牲者数の見積もりを信用しなかったので、フェルティグはモロ人が集めた一対のを詰めた2つのデミジョンを本部に送った。それ以来、本部が公式フェルティグの敵の死傷者数の見積もりを疑うことはなかった。結局、他のフィリピンがすべて再征された後、米軍はミンダナに上陸し、ゲリラ軍はそれを支援して日本軍地に正面から攻撃し、フィリピン人と人は死に、日本人絶滅したのである。

米軍による物価の上昇、経済の破綻

おはようございます、サー」。「洗濯物はありますか?私が洗ってあげましょう」兵士は驚き、サーと呼ばれたことと、洗濯をしてくれる人がいることに喜びを感じた。洗濯?そうですね... 、お嬢さん、もちろんです。いくら必要ですか?」兵士は、彼女プロ洗濯屋ではないこと、そして彼女の贈り物を提供していることを理解していなかった。「何もありません。あなたのと私のを洗うのに十分な石鹸をお願いします」
 
彼女石鹸を要するつもりはなかった。しかし兵士は何か支払うべきだと思ったのだろう。厚手の軍用石鹸女性に手渡した。女性を見開き、信じられないと言った。しかし、兵士は、自分があまりにも安く洗濯をしてもらっているという罪悪感から、石鹸彼女の手に押し付けた。彼は、汚れた制服靴下下着彼女に渡し、いつ持ってきてくれるのかと尋ねた。「この日です、サー」兵士彼女が去るのを見送った。女性は、心臓ハンマーのように震わせながら、軍のビバークから立ち去った。「一片の石鹸で十分だったのだ。残りの石鹸で......」これだけの石鹸があれば、中国商人の闇で買えない物はどない。彼女は、人のことを神に感謝した。しかしを洗うためにに着いたとき、彼女アメリカーノに対する見方は微妙に変化した。他の女性から、ある人が5ペソを払って洗濯をしてもらっていることを知ったのだ。5ペソ!?男の一週間分の稼ぎだ。 

 軍政の専門が登場した。そうなると、もはやフェルティグは闇商人を手当たり次第に撃ち殺すことはできなくなった。数週間のうちに「戦前は非常に安く、今は非常に高い」といわれるようになった。数ヶのうちに闇が乱立した。また、軍政の専門たちは、戦前情報をもとに作成した「職に就くべき者」のリストも持ってきていた。こうして、日本軍に協力した、あるいはゲリラのために何もしなかった多くのイリュストラドが、富と権力の座に返り咲いた。マニラでは、フィリピン陸軍の将校たちが、ゲリラ名前を消して族の名前を書き込んでいた。そうすれば、ゲリラに金を払うときに、将校とその族が代わりに金を受け取れる。多くの不祥事、多くの約束違反があり、何か問題が起こったときに、常に人が悪いのかどうかは別として、人は非難された。
 戦争中、フェルティグは物価を固定し、物資を配給することができた。しかし、亡命してい民政府が戻り、自己中心的なイラストラドたちが有利な場所に戻り、一方、新米軍はあまりにも多くあらゆるものに高い金を払い、物価をつり上げた比人にとって、ジャングルで一緒に戦っ米人を思い出すことも、学生時代の教科書に載っていた理想的なアメリを思い出すことも、次第に難しくなってきた。
 フェルティグはできる限りのことをした。彼は、こ比人は協力者であると専家に警告し、そ比人を州知事にすべきだ張し、経済の統制を提案し、の通貨を額面通りに使用することが根本的に必要であると訴えた。しかし、結局、彼は疲れて国のために名誉ある戦いをした男にふさわしい休息をとるために、コロラドに送り返されたことを喜んだ。メアリーはもちろん彼を待っていた。小さ娘たちはすっかり背が伸びていて、彼のことをまったく覚えていなかった。

ミンダナオのゲリラ戦、その後

概要
ミンダナオのゲリラ戦(開戦~1942年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1942年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1943年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年前半)
ミンダナオのゲリラ戦(1944年後半)
ミンダナオのゲリラ戦(1945年)
ミンダナオのゲリラ戦、その後

フェルティグの作戦が、情報伝達以上の軍事的意味をもっていたとは言えない。軍事的問題は「援助」の到着を除いて解決されることはなかった。彼の功績は、ミンダナの混沌、モロ族、異教徒、キリスト教徒の人、白人を共通の的のためまとめあげたことだった。この功績の多くは、日本軍サディスティックな資質にあり、敵対する住民たちが日本軍を憎むことで一致していたのは事実だが、彼らがお互いを愛していなかったのも事実だ。
 フェルティグ比人将校は、戦後のミンダ島で選ばれた官僚たちの大部分である。解放による経済的な災難から、こ比較く回復したのは、彼らのおかげである。こ島の発展は、ミンダナオがマニラか比較的政治的に自由であること主な原因である。

 サリパダ・ペンダトゥンは、フィリピン共和国上院議員になった。また、マラナオ民兵軍官のハナラオ・ミンダラーノは下院議員になった。ニック・キャピストラーノとその美しいジョセファは、材木の利権とその他の事業で大富豪になった。チックパーソンズは、フィリピン共和国市民権を得て、マニラに戻った。セシルウォルターはミンダナオで若く美しいフィリピン女性結婚した。モーガン戦後飛行機事故で亡くなったが、ビル・テイトは生きている。サムウィルソンは、第一騎兵師団と共にマニラに入り、妻と息子たちが手のように痩せていたが、まだ生きているのを見つけた。フィリピンで億万長者になっていたサムは、戦後カリフォルニアで億万長者になった。エルウッドオフレット曹長は、米海軍中佐として退役、チャーリー・ヘッジズはオレゴンで引退後。実際、ゲリラ全員生き残った。日本軍が殺したのは民間人である。

そして、フェーティグは?

ウェンデル・ファーティグは、メアリーコロラドに住んだ。たちは結婚フェーティグはおじいちゃんになった。防省のごく一部の人間にはよく知られた存在で、ゲリラ作戦のコンサルタントとして呼び出されることがある。

フェーティグとヘッジスが丘の上で日本軍のカガヤン上陸を見届けた日から14年6月のある日、マカジャラー湾にが接してきた。船長が男に近づき「サー、友達が待っているようだ」と言った。
"Welcome and Mabuhay !"と看板を掲げた男たちは笑った。
「サー。あなたが先に上陸してください。」
 大勢の人が待っていた。数千人いた竹電信がまだよく働くミンダ島の隅々から集まってきたのだ。ジョセファ・カストラーノ婦人会いユニフォームを着た女性たち、フィリピン退役軍人会の帽子をかぶった男性たち、マロングを着たモロ族赤いフェズ帽、そしてクリサントであった。群衆は声を上げた。その時、ブリッジで夫の横に立っていたメアリ・フェルティグは、初めて巨大な横断幕目にした。

ミンダナオの人々の苦しみを軽減した不屈の愛国者を歓迎します。

ミンダナに降り立ったフェルティグを、群衆が取り囲んだ。アメリカフィリピン共和国の旗をなびかせ、群衆を従えて大聖堂に行き、その後オープンパビリオン宴会を開いた。出張と思い込んでいたフェルティグが訪れたミンダナでは、どのでもフェスタが行われていた。どのバリオにも、「ザ・ワン」を待ち望む人々がいた。各バリオで、フェルティグはから降りて、14年前にこのぶきの町のために戦った男たちと握手し、群衆に向かって何か言うと、人々は彼を食べ物が待っているテーブルまで連れて行った。ビサヤ語に翻訳された長いスピーチがあり、辛抱強く待っていた人々もこの場を2倍楽しむことができた。そして、歌だ。多くの人が歌いながらを流した。

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